今年最後の岡山でのレジャーとして、カラオケに繰り出す。ちなみに今年もクリスマス会はもちろん忘年会もない、家族まみれの年末である。思えば家族や親類以外の人と外で集ったのって、5月の練馬が最後で、そして今年の最初だったな。なんと血縁の純度の高い1年だったか。我々はなにか精製しようとしているのだろうか。
唄ったのは以下の通りである。
1曲目はMAX「TORATORATORA」。1曲目はMAX、というのは僕の定番のギャグなのだが、とうとう今回トラトラトラを唄ってしまったので、あとはもう唄う曲がない。もっとも唄うべき曲なんて最初から1曲もなかった。
2曲目はラッツ&スター「ランナウェイ」。なぜ唄ったかと言えば、もちろん時事である。あとスタンドマイクを手に入れたとき、スタンドマイクを使って唄われる歌といったらなんだろうと思案して、ドリフを唄ったりしたが、考えてみたらこれがあったじゃないかと思った。ちなみに志村けんと田代まさしで、期せずしてゆるやかに繋がっている。とてもどうでもいい偶然だ。
3曲目、小坂恭子「思い出まくら」。これは3曲目にして本心から唄いたくて唄った歌。気持ちよかった。
4曲目、河島英五「時代おくれ」。これも気持ちよく唄いたくてセレクトしたのだが、やっぱり男の歌は音程が低くて厳しかった。
5曲目、ゴールデンボンバー「女々しくて」。「Lemon」が現れるまで、これと星野源の「恋」が、たぶん仲間内の愉しいカラオケではひたすらに唄われていたと思われるが、それをこのたびとうとう唄った。愉しかった。家族相手に唄ってもこんなに愉しいのだから、仲間内でアルコールも入った状態でやったら最高に愉しいんだろうな、と思った。
6曲目、Kaoru Amane「タイヨウのうた」。Kaoru Amaneなどといっているが、要するに沢尻エリカで、要するにラッツ&スターと同じ意味合いで唄った。その意味のためだけに、ろくに聞いたこともない、もちろん好きでもない、なんの思い入れもない歌を唄う。なんでそんなことをするの? と訊かれたらこう答える。別に。
7曲目、マライア・キャリー「恋人たちのクリスマス」。去年のクリスマス前カラオケでは、クリスマスソングの用意を忘れ、咄嗟に浮かんだプッチモニを唄ってしまったので、今年はきちんと準備して臨んだ。そしてこのセレクト。よう唄ったな! よう唄おうと思ったな! という話で、英語の曲ってフニャフニャ唄ってぐだぐだになりがちだよね、というまさにそんな感じになった。やはり歌ギャグは難しい。
8曲目、十田敬三「今日もどこかでデビルマン」。今回唯一のアニメソング。阿久悠と都倉俊一のコンビで、とてもいい歌。デビルマンのことは漫画もアニメもぜんぜん知らないが、これでオープニングもエンディングも唄ったことになる。
9曲目、ビートたけし「浅草キッド」。これも時事歌唱。珍しく不祥事や追悼じゃない。紅白で唄うことが、2日前くらいに発表になったのだった。たけしのこの歌は、ビブラートがいい、なんてことがいわれていたが、あれはただ声が掠れて震えているだけだと僕は思う。もちろんいい歌だけど。
10曲目、高橋真梨子「はがゆい唇」。高橋真梨子って、やっぱりみんないいっていうだけあって、すごくいいな、と近ごろ思いはじめている。なんの因果か僕はMAXのファンをやるはめに陥っているが、選べるならこっちがよかったな……。
11曲目、坂本九「上を向いて歩こう」。本日の、そして今年のラスト歌唱。そうなるとやっぱりこれかな、という感じで選んだ。抒情的なさみしさを抱えつつも、やはり高度経済成長の明るさに溢れたこの歌を、人口減少時代に唄うのもなかなかオツなものだと思う。前向き、上向きじゃない、スマホ首の時代に。
そんな感じで、なかなか思い通りに唄いたい歌を唄えた、いいカラオケだった。今年は何回行ったのだったかな。また来年も1ヶ月半にいちどくらいのペースで行くんだろうと思う。もちろん家族ばかりと。
夜はM-1グランプリ。子どもが起きている間はちゃんと観られないので、いつものように21時過ぎくらいから、追っかけ再生で観た。リアルタイムでは観られないが、当晩中に観ておかなければ次の日に結果は絶対に目に入ってしまうので、慌ただしくそうやって観るしかないのだ。優勝したミルクボーイがすごくよかった。そして来年はコウテイが優勝したらいいなあ。
翌日の23日はなんと休みじゃない。12月23日が休みじゃないなんて、物心がついてから初めてのことでショックで仕方ない。なにかと慌ただしい年の瀬の、クリスマス前日のこの休み、いろいろ整えるために、すごくよかったのになあ。ちなみにこれからのそれは2月23日だという。うーん……。なんでもねえ時期だな……。
師走の日々
寒くなった。約1ヶ月ぶりの「おこめとおふろ」である。このブログでこんなに間が空いたのは初めてかもしれない。この理由は、こんなことを言ったら何だが、co大のために1年間の日記の読み返し作業をしていた際、このブログの記事に辟易したからだ。他のブログは、ある程度「ネタ」の意識があって、話にオチをつけたりもするのだが、「日記ブログ」であるこのブログは、そういう気持ちを一切持たず淡々と書いているため、読み返す際にあんまり量があると、つらくなってしまう。子どもが成長途上なこともあり、生活はなんだかんだで変遷があるので、記録としては大事だから書くべきときは書くが、今後はちょっと更新を減らそうと思った。
さて今週末のことを、金曜日の夜から書く。なぜならば金曜日の晩ごはんを、おでんにしたからだ。今シーズン初おでん。近ごろ頓にしっかり冷え込みはじめたので、木曜日の夜に大根の面取りをしたりゆで卵を作っておいたりという下拵えをしておいて、さて金曜日に待ったなしでおでんを決行したものの金曜日はわりと暖かかった、なんて残念なこともなく、金曜日の日中ずっと、夜のおでんのことに思いを馳せて心を前向きにすることができた。そうして食べたおでんは、やはりしみじみと美味しかった。おでんを食べるたびにいっていることだが、とにかくがんもどきが突出して美味しい。僕は個人的な好みとしては、餃子がいちばん好きな食べものなのだけど、おでんのがんもどきの美味しさというのは、ちゃんと世間とか科学とかで数字にしたとき、「結局おでんのがんもどきが世界でいちばん美味しい食べもの」という結論が導き出されるのではないかと思わせる、ゆるぎない美味しさだ。幸福感に浸りながらおでんを食み、酒を飲んだ。
夜更かしの末に目を覚まし、休日の開始である。しかしこの週末、わが家には本当になんの用事もないのだった。必要な買い物は先週に済ませてしまったし、読む本にも困っていないし、もちろん公園で遊べる気温でもない(子どもは遊べるが親がいられない)。しかしなんの用事もないからって、2日間にわたって4人ひたすら家でダラダラするわけにもいかず、どうしようと昨晩さんざん悩んだ挙句、岡山駅のちょっと北にある岡山理科大という所で、恐竜博物館と銘打って化石を展示しているらしいという情報を見つけ、ポルガはいま恐竜をはじめとした絶滅動物に並々ならぬ興味を持っているので、じゃあそこに行こう、となった。展示は通年行なわれているようなので、混雑の心配はない。ゆったりと準備をして出発する。久しぶりに岡山駅の周辺を車で通った。人と建物が多くて緊張した。
到着した岡山理大は、どうやら山のような地形に建っているらしく、校舎は高さの異なるあちこちから林立し、その全容はまるで掴めず、土曜で人が少ないこともあるのだろうが静謐で、教団施設といわれても納得してしまうような、独特の雰囲気があった。この雰囲気に接して僕は、これが大学か、と思った。そもそも理系の大学というものに、これまで夫婦ともども、まるで馴染みのない人生を送ってきた。大学というのは、文章を書いたり、演技をしたり、ピアノを弾いたりする場所だと、すっかり勘違いしてこれまで生きてきたのだ。キャンパス案内図に並んださまざまな研究室の名目を眺めながら、いつから見ていたともしれない、長い夢から覚めたような気がした。そうか、大学という場所は、学術的な、専門的な、この世の中にまつわる大事なことについて、研究をし、そして研究する人間を育てる場だったんだ。あんな、教授の好みで評価が左右する(そしてその教授というのが、その道のプロの世界ではぜんぜん通用していない)、カルチャーセンターのごとき空間じゃない。これが大学なのだ。なんだ小説って。なんだ詩って。そんなもん趣味でやれ。理系の勉学をしながら、趣味でやれ。そもそも、ないだろ。別に。学ぶことって。これをいったら本当におしまいだが、本当にない。わざわざ4年通って学ぶべきことなんて。それに較べて理系の大学。めっちゃ意味ある。人類と世界にちゃんと必要。そのことを案内図を見ただけで悟り、強烈なショックを受けた。
目的の展示も、想像していたよりも見応えがあり、ポルガも喜んでいた。連れてきた果以があった。メイン展示を見たあとは、別の校舎にも少し展示があるというので、そちらへ移動する。移動の際、なにぶん全容が把握できないこともあり、結果的にずいぶんな大回りをしてたどり着いた。アップダウンが激しくて、なかなか公園でもお目にかからないような急勾配の階段を上ったりして、なんだか探検気分になった。無性に愉しかった。理系大学のスケールとゆるぎなさに、すっかり心が奪われてしまった。俺もこんな所で研究の徒になりたかった。俺しか知らない秘密の部屋で、俺しか知らない絶滅動物の研究をしたかった。残りの展示も見たあと、学食を見つけ、来訪者でも利用できるんなら学食ぜひ食べたい、と来る前から思っていて、訊ねたらオッケーとのことだったので、大喜びでカレーを食べた。土曜仕様でメニューは少ない様子だったが、たくさんあったところで学食で食べるのはカレー以外にない。350円という学食価格のカレーは、味も実に学食めいていて、郷愁に駆られた。これだけでも来た価値があると思った。
というわけで、目的にあぐねて捻り出したわりに、とても充実した大成功のレジャーとなった。いいなあ、大学。大学ってああいうものだったのか。俺も大学に行けばよかったな。なんか、本当の大学を知った今となっては、ぜんぜん大学じゃない所に行っちゃったんだよな。なんだったんだろうな、あそこ。まだ奨学金返済してんだけど。
帰宅して、晩ごはんはおでんの残りと、買って帰った巻きずし。しかしながらピイガが夕方から調子を崩し、早々に寝ついたため、3人での夜となった。そしてピイガがいなくなってみると、わが家というのは本当に静かなのだと分かった。寒いので今時分はみんな居間のこたつに集いがちなのだが、ピイガがいないと本のページをめくる音ばかりが部屋に響いた。それくらい静かなのだった。ピイガと遊んでいると、ポルガもそれなりにテンションが上がって喋るのだが、ひとりだとひたすら本を読むばかりで、もしも3人家族だったらこんな感じだったのか、と驚いた。普段あまりのうるささにうんざりしたりするが、ピイガの明るさは思いのほか尊いようだ。不在時にその存在感を痛感させるって、なかなかすごいことだと思う。
翌朝、ピイガはすっかり元気になっていた。土曜日の朝、ポルガと遊ぶのを愉しみに張り切って早く起きたりしたようで、寝不足だったらしい。12時間ほども寝て(子どもはすごい)、調子を取り戻していた。
とは言え今日はいよいよどこへも出掛ける予定はない。本当なら2日そうなるところを、昨日は華麗に回避してみせたのだから、今日はもうがんばらない。午前中に僕だけがスーパーに行ったほかは、家で過した。のんべんだらり、というほかない1日だったが、別に後悔が湧くような無駄な時間を過したわけではないので、これもまたいい休日だったと言える。晩ごはんは手羽中の唐揚げ。初めて塩味で作ってみた。ちょっと味が薄いような気もしたが、軽やかに食べられて美味しかった。
そんな週末。ここから先はいよいよ年末。今年は実はわりと「11月パピロウ」という言葉を思い出させる低調不調な11月だったので、それを脱出した今、気持ちの上でもちゃんと区切りをつけて、テンションを上げていきたい。愉しく暮そう。
さて今週末のことを、金曜日の夜から書く。なぜならば金曜日の晩ごはんを、おでんにしたからだ。今シーズン初おでん。近ごろ頓にしっかり冷え込みはじめたので、木曜日の夜に大根の面取りをしたりゆで卵を作っておいたりという下拵えをしておいて、さて金曜日に待ったなしでおでんを決行したものの金曜日はわりと暖かかった、なんて残念なこともなく、金曜日の日中ずっと、夜のおでんのことに思いを馳せて心を前向きにすることができた。そうして食べたおでんは、やはりしみじみと美味しかった。おでんを食べるたびにいっていることだが、とにかくがんもどきが突出して美味しい。僕は個人的な好みとしては、餃子がいちばん好きな食べものなのだけど、おでんのがんもどきの美味しさというのは、ちゃんと世間とか科学とかで数字にしたとき、「結局おでんのがんもどきが世界でいちばん美味しい食べもの」という結論が導き出されるのではないかと思わせる、ゆるぎない美味しさだ。幸福感に浸りながらおでんを食み、酒を飲んだ。
夜更かしの末に目を覚まし、休日の開始である。しかしこの週末、わが家には本当になんの用事もないのだった。必要な買い物は先週に済ませてしまったし、読む本にも困っていないし、もちろん公園で遊べる気温でもない(子どもは遊べるが親がいられない)。しかしなんの用事もないからって、2日間にわたって4人ひたすら家でダラダラするわけにもいかず、どうしようと昨晩さんざん悩んだ挙句、岡山駅のちょっと北にある岡山理科大という所で、恐竜博物館と銘打って化石を展示しているらしいという情報を見つけ、ポルガはいま恐竜をはじめとした絶滅動物に並々ならぬ興味を持っているので、じゃあそこに行こう、となった。展示は通年行なわれているようなので、混雑の心配はない。ゆったりと準備をして出発する。久しぶりに岡山駅の周辺を車で通った。人と建物が多くて緊張した。
到着した岡山理大は、どうやら山のような地形に建っているらしく、校舎は高さの異なるあちこちから林立し、その全容はまるで掴めず、土曜で人が少ないこともあるのだろうが静謐で、教団施設といわれても納得してしまうような、独特の雰囲気があった。この雰囲気に接して僕は、これが大学か、と思った。そもそも理系の大学というものに、これまで夫婦ともども、まるで馴染みのない人生を送ってきた。大学というのは、文章を書いたり、演技をしたり、ピアノを弾いたりする場所だと、すっかり勘違いしてこれまで生きてきたのだ。キャンパス案内図に並んださまざまな研究室の名目を眺めながら、いつから見ていたともしれない、長い夢から覚めたような気がした。そうか、大学という場所は、学術的な、専門的な、この世の中にまつわる大事なことについて、研究をし、そして研究する人間を育てる場だったんだ。あんな、教授の好みで評価が左右する(そしてその教授というのが、その道のプロの世界ではぜんぜん通用していない)、カルチャーセンターのごとき空間じゃない。これが大学なのだ。なんだ小説って。なんだ詩って。そんなもん趣味でやれ。理系の勉学をしながら、趣味でやれ。そもそも、ないだろ。別に。学ぶことって。これをいったら本当におしまいだが、本当にない。わざわざ4年通って学ぶべきことなんて。それに較べて理系の大学。めっちゃ意味ある。人類と世界にちゃんと必要。そのことを案内図を見ただけで悟り、強烈なショックを受けた。
目的の展示も、想像していたよりも見応えがあり、ポルガも喜んでいた。連れてきた果以があった。メイン展示を見たあとは、別の校舎にも少し展示があるというので、そちらへ移動する。移動の際、なにぶん全容が把握できないこともあり、結果的にずいぶんな大回りをしてたどり着いた。アップダウンが激しくて、なかなか公園でもお目にかからないような急勾配の階段を上ったりして、なんだか探検気分になった。無性に愉しかった。理系大学のスケールとゆるぎなさに、すっかり心が奪われてしまった。俺もこんな所で研究の徒になりたかった。俺しか知らない秘密の部屋で、俺しか知らない絶滅動物の研究をしたかった。残りの展示も見たあと、学食を見つけ、来訪者でも利用できるんなら学食ぜひ食べたい、と来る前から思っていて、訊ねたらオッケーとのことだったので、大喜びでカレーを食べた。土曜仕様でメニューは少ない様子だったが、たくさんあったところで学食で食べるのはカレー以外にない。350円という学食価格のカレーは、味も実に学食めいていて、郷愁に駆られた。これだけでも来た価値があると思った。
というわけで、目的にあぐねて捻り出したわりに、とても充実した大成功のレジャーとなった。いいなあ、大学。大学ってああいうものだったのか。俺も大学に行けばよかったな。なんか、本当の大学を知った今となっては、ぜんぜん大学じゃない所に行っちゃったんだよな。なんだったんだろうな、あそこ。まだ奨学金返済してんだけど。
帰宅して、晩ごはんはおでんの残りと、買って帰った巻きずし。しかしながらピイガが夕方から調子を崩し、早々に寝ついたため、3人での夜となった。そしてピイガがいなくなってみると、わが家というのは本当に静かなのだと分かった。寒いので今時分はみんな居間のこたつに集いがちなのだが、ピイガがいないと本のページをめくる音ばかりが部屋に響いた。それくらい静かなのだった。ピイガと遊んでいると、ポルガもそれなりにテンションが上がって喋るのだが、ひとりだとひたすら本を読むばかりで、もしも3人家族だったらこんな感じだったのか、と驚いた。普段あまりのうるささにうんざりしたりするが、ピイガの明るさは思いのほか尊いようだ。不在時にその存在感を痛感させるって、なかなかすごいことだと思う。
翌朝、ピイガはすっかり元気になっていた。土曜日の朝、ポルガと遊ぶのを愉しみに張り切って早く起きたりしたようで、寝不足だったらしい。12時間ほども寝て(子どもはすごい)、調子を取り戻していた。
とは言え今日はいよいよどこへも出掛ける予定はない。本当なら2日そうなるところを、昨日は華麗に回避してみせたのだから、今日はもうがんばらない。午前中に僕だけがスーパーに行ったほかは、家で過した。のんべんだらり、というほかない1日だったが、別に後悔が湧くような無駄な時間を過したわけではないので、これもまたいい休日だったと言える。晩ごはんは手羽中の唐揚げ。初めて塩味で作ってみた。ちょっと味が薄いような気もしたが、軽やかに食べられて美味しかった。
そんな週末。ここから先はいよいよ年末。今年は実はわりと「11月パピロウ」という言葉を思い出させる低調不調な11月だったので、それを脱出した今、気持ちの上でもちゃんと区切りをつけて、テンションを上げていきたい。愉しく暮そう。
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