非公開モードや、裏アカウント、鍵アカウントでつぶやくことだってできるだろう。でもそれだと僕の心が充足しない。世の中に向けて、叫びたいのだ。叫ばずにはおれないのだ。しかしその内容は不穏である。本当はあまり口にしないほうがいい。そんなことは判っている。ただでさえ糾弾されやすい世の中である。心の内にしまっておけるものは、なるべくしまっておいたほうがいいに決まっている。でもそれが無理だから、こうして書こうとしている。
裏アカウントだの鍵アカウントだのといったが、僕の場合、堂々と「papapokke」名義でやっているツイッターが、そんな設定ではないというのに、ごく限られた人の目にしか届かないという意味で、立派にその要件を満たしているともいえる。ビクビクするのは自意識過剰というもので、有名人ならばいえないようなことも、有名税ゼロの気楽さから、いくらでもいえばいいのだという気もする。しかし炎上などという派手な現象にならないにせよ、たったひとりの誰かの気に障り、その人に責められないとも限らない。つながることが主目的のツイッターでは、どうしたってその恐怖が拭いきれない。
その点、ブログならば安心だ。だってブログだ。ブログ! 誰が読むねん! いま、ブログ、本当に誰も読まない。読むはずがない。だってブログだ。ブログて! ブログにしたって画像とかがあればまだしも、文字だけのブログなんて、本当に誰も読まない。僕も読まない。誰も読まないのに、書き手だけがむやみに存在している。そういう意味でいえば、ブログとはもはや純文学と同等の存在になりつつあるのかもしれない。
だから、ここならば叫べる。誰も読まないにせよ、一応はワールドワイドウェブに開かれている。そのため王様の耳はロバの耳、ということを叫ぶのに、これが最も適したツールであると思う。
前置きが長くなった。
papapokkeのツイッターは、minneと繋げているため、別にそちらに仲間がいるわけでもないのだが、そういう意味でもいえないこと。とてもセンシティブで、光浦靖子とか、ヒルナンデスとか、実際に最近ちょっと取り沙汰されたりもするようなこと。
すなわち――レジンを使った、中に絵具とかキラキラしたものとかを混ぜて固めた、ピアスだのヘアピンだのの小物雑貨って、あんなもんめっちゃ簡単にそれっぽく作れるだろ、ということだ。
これは本当に大きな声でいったらダメなことで、あの人たちはこれをいわれるとすごく怒る。「型に流し込むだけじゃないんです!」「ハンドメイドをしたことがない人には分からない!」「哀しい!」などとすごく怒る。
しかしどう好意的に見ても、やはりああいった創作物というのは、布雑貨よりも絶対に簡単に作れるのだと思う。布雑貨では絶対に出品できないような数を、あの陣営は繰り出す。それはつまり、けっこう作るのが簡単だってことだろう。思うに、設備さえ整えれば、ひとつひとつの作業時間は短いというか、けっこうざっくばらんな感じで、まとまった数を一気に作業することができるんだと思う。
それで、別にその業界が盛り上がってなければ僕だってこんなことをわざわざいったりしないのだが、どうもminneを眺めたり、世の中のハンドメイドマーケット的なものを俯瞰するだに、レジン固めた系の小物雑貨というのは、ハンドメイド市場においてかなり活況なようで、それが悔しいがために、こうして恨み節を記している。
なにぶん、女はキラキラしたものが好きだ。キラキラしていれば食いつく。レジン創作に対する理解のなさに加え、いま最もやったらいけない類の、「女って生きものは~」論調まで繰り出してしまったが、レジンのハンドメイド作品の、作る人と買う人の様を見、そしてまるで売れない自分のオリジナルキャラクター柄トートバッグの様を見るにつけ、どんどん気持ちは依怙地になる。
その依怙地の発露として、このような記事を吐き出すこととなったわけだが、ここに僕の本音はひとつもなく、とっても悪い組織に命令されて仕方なくキーボードをブラインドタッチしたのだ、ということも、悪い組織の人たちが顔のすぐ近くで構えるピストルの恐怖に怯えながらも、せめてもの矜持として記しておく。
いつかレジンを使った作品に挑戦してみようかと思います。