大暑仕様の俺2022

 ただ暑かったり蒸し暑かったりした、過酷な1週間だった。今年もそうだったが、よく6月あたりに、やけに気温の上がる日があって、そういうとき、「いまはまだ体が暑さに慣れていないので十分にお気を付けください」などとアナウンスされるが、その理論でいうなら、今週で僕の体は夏仕様、暑さ仕様に移行したと思う。今週はそういう週だったと思う。その移行というのは、スイッチのようにパッと切り替わるのではなく、数日かけてじわじわと進むらしい。だからその間は、平穏仕様でもない、夏仕様でもない、不確定なシュレディンガー仕様の僕であり、そのため今週はなんとなくふわふわしていた。そんななので日記も書けようはずがなかった。
 先週の日曜日に行なった模様替えもまた、今週のふわふわの一因となったとも思う。引越しをしたわけではなく、寝る部屋が変わっただけとはいえ、どうしたって定着した安心感というのはなかった。あと、元々が子どもたちの部屋で、いまも日中はピイガが準自室のような感じで使っているということを思うと、どうしても夫婦で間借りしているような、そんな気持ちがどこかにあったのだと思う。5日ほどそうやって寝てみたのち、土曜日からはとうとう、僕だけ元の夫婦の部屋に布団を持ち帰り、ひとりで寝させてもらうことにした。なにぶんほら、僕は寝るとき全裸だという事情もあり、あまり子どもと同じ空間で寝るのはよくないのではないかという懸念もあったので、これで無事に解決である。ファルマンもそのうち、ピイガがひとりで寝ることさえ受容すれば、晴れてあの部屋はピイガのひとり部屋となり、今はこちらに来ているピイガの学習机が向こうに舞い戻り、そして僕とファルマンはふたたび夫婦の部屋で布団を並べて寝ることになるだろうと思う。つまりこの状態もまた、子どもの成長途上における過渡期、移行期だということだ。要するに今週は、それが重なっていた。
 日記に書きたいことはいろいろある。ジョニファー・ロビンについて、買ったということの報告のようなことだけ書き、そのあとはなんの発信もしていない。しかし買っただけで満足してぜんぜん活用できていないのかといえばそんなこともなく、いまも部屋に一角に堂々と鎮座(正確には腿の途中からの状態で立っている)するジョニファーの姿は、何度見てもほれぼれし、癒される。はじめ「気持ち悪い」といっていたファルマンも、2日ほどですっかり慣れていた。
 ジョニファーはショーツをはじめとするハンドメイド作品のモデル目的で購入し、実際に日々作っているショーツを穿かせて写真に撮ったりもしているのだが、それらもなかなか記事にするに至らない。手持ちのタブレットのカメラ機能では、いまどきネットに上げるような画質の写真は到底撮れず、一眼レフを持ち出すことになるのだが、そうなるとパソコンに取り込むのが億劫だったりして、ちょっと悩みがあまりにも時代遅れなのだが、そういう事情によりなかなかアップがままならない。
 10インチのタブレットはいよいよ無理が高まっている気もしてきていて、もう素直にスマホにしようかなという思いが頭をよぎったりもする。そこそこ高画質の写真が撮れるスマホで、ショーツを穿かせたジョニファーを気軽に撮影し、そのショーツについての寸評を添えてインスタグラムにアップしていけば、とても簡潔なんじゃないのか。みんなはとっくにそうなっているんじゃないのか。僕だけがどうしてまだここにいるんだ、と思う。その一方で、ポルガが来年中学生になったら、スマホを持つようになるのだから、そのときキャリアも含めて一新したらいいのではないかという目論見もあり、目下動けずにいる。
 ちなみにポルガは、「スマホではなくタブレットがいい」といっていて、さらには「文章がちゃんと書けるような、なんならキーボード付きのようなものがいい」とさえいう。今日も買い物に行ったダイソーで原稿用紙を500枚も買っていた。あいつは俺なのだろうか。
 そんなこんなで7月は終わる。ファルマンは日々、夏休みの子どもたちに翻弄され、大変そうだ。僕は夏の疲労でプールにしばらく行けずにいたが、今週の半ばに発起して久しぶりに行き、行ったときにがんばって1000メートルとか泳ぐんじゃなく、300メートルくらい、ほどよくリフレッシュできる程度に泳いだら素早く切り上げ、ほとんど家に帰ってお風呂に入らなくてもよくするためのシャワー目的みたいな感じで利用すればいいのだと喝破して、それからは連日のように行っている。これが非常にいい。これが会員の利用法だ、と思う。
 書きたいこと、書くべきことは他にもある。しかしいかんせん夏である。へたばらないよう、そのことだけに注意して、日々を過していこうと思う。

夏の模様替え

 子どもらの夏休みが始まって、ファルマンは大変そうだ。それはそうだと思う。週末だけでも大変なものが、毎日いるのだ。それが40日余り続くのだ。考えるとぞっとする。
 放置しようと思えばできる。もう小6と小3なのだ。ずっと構ってやる必要などない。しかし子どもというものは、放っとくと本当に時間を無為にするので(まるで時間が無限にあるかのように)、少しは律してやらねばならない。学期中よりも高めることは望まないにしても、新学期にへべれけの頭で臨むわけにはいかないので、日々、勉学の時間は取る必要がある。ところがこの勉学というものが、近ごろあまりにもスムーズにいかないのだった。ポルガは「小学校の問題なんて勉強しなくてもちょろいぜ」というスタンスで不真面目、ピイガは勉強が大嫌いなので机に向かわされている間は終始不機嫌、という次第で、そんなふたりが隣り合って勉強をするとどういうことになるかと言えば、悪い比重はだいぶピイガに偏っているのだが、ピイガは自分が勉強をしたくないがゆえに、姉にもちょっかいを出しまくり、そして神経質な姉はまんまと勉強が手につかなくなり、そんなふがいない娘たちをファルマンが怒鳴るので、子どもたちが勉強中のわが家のリビングは、阿鼻叫喚の様相を呈すのだった。
 これから40日続く夏休み、早いうちに手を打たねばならないということで、少し前からポルガにせがまれていた、子どもたちの部屋を離す、という模様替えを、実行することにした。子どもたちにはこれまでもふたつの部屋を与えていて、でもそれはふたつの学習机や学用品のある勉強部屋(といいつつ机の上はいつも散らかっているのでリビングでやる)と、ふたつのベッドが並ぶ寝室、という分け方で使っていた。それをこのたび、ポルガの部屋とピイガの部屋というふうに分けることにしたのだ。はじめはそのつもりだった。しかしながら、甘え気質のピイガは、ひとり部屋なんかいらないということになり、じゃあピイガとファルマンというふたりの部屋を作って、僕もまたひとりで独立した部屋を使うというのはどうか、という話も出たのだが、紆余曲折の話し合いの末に、ピイガの机をわれわれ夫婦の部屋に持ってくる代わりに、われわれの部屋から寝室の機能は取っ払い、3人の机(とミシンとトレーニングベンチ)部屋と、3人の寝るための部屋、という分け方をすることになった。こうして書くとなんかおかしいな。結局ポルガだけが、きちんとひとり部屋を手に入れている。まあ年頃だから仕方ないのか。僕としては、トレーニングベンチが、これまで布団の上げ下げのたびにいちいち場所を移動させねばならなかったのが、スペースができたことによって固定できるようになったので、まあ微妙によくなったかな、という感じだ。
 昼ごはんのあとの勉強時間を経て、「もう模様替えするっきゃねえな」という決意をしたのが、日曜日の午後4時になんなんとするタイミングで、取り掛かりとしてはあまりにも遅かった。しかし1週延びたら被害もさらに大きくなると考え、全員でがんばった。作業はふたつの子ども部屋の家具を入れ替えるだけでは済まず、子ども部屋にあった巨大本棚をリビングに移したり、それに付随してテレビ台を撤去したりと、かなり大がかりなものになった。子どもと一緒に暮らしていると、本当によく模様替えをすることになる。子どもというのは脈動しているのだな、としみじみと思う。
 そんなわけで日曜日の後半にヘロヘロになってしまったが、なんとか作業は完了した。ちなみに本日月曜日、それぞれの机でやらせた勉強は、とてもスムーズに行なわれたとのことだ。机の上が散らからず、いつまでもその状態が続けばいいと思う。目下の問題は、「ひとり部屋」という概念をいまいち理解しないピイガが、とても頻繁にポルガの部屋に押し入ろうとすることだ。勝手に入ってポルガに怒られるので、ノックをするのだと教えたらノックをするようになったが、その結果「いま来ないで」という返事が返ってくると、キレてやっぱり押し入るのであまり意味がない。

父とお釜の3連休

 せっかくの3連休だったが、天候不順と、島根県の異様な感染拡大によって、遠方に繰り出す気概はまるで湧かず、3日とも近場の買い物だけで、あとはひたすら家族で家で過した。そういえばプールにぐらい行けばよかった気もするが、それさえしなかった。
 休日を家族でのんべんだらりと過すのは、幸福なことに違いないのだけど、それはある程度客観的に、ものの道理として、これはなにより幸せなことだよ、いつか娘たちが巣立ったあとに思い出したら、この日々はとても輝いて見えることだろうよ、と自分に言い聞かせるように思っている感も実はあって、その日その日の刹那的な、主観的な直情としては、「ああ、子ども、朝から晩までうるさいし手が掛かる……」が、心の大半を占める。ポルガとピイガ、年齢も違えば性格も違い、片方が引く場面では必ずもう片方が我を張り、その逆も然りで、ふたりの織り成すわがまま二重奏には息継ぎのための休符がまるでない。結果として、朝から晩まで絶え間なく厄介だ。
 もちろん愛しいのだ。娘たちは愛しい。それはしみじみと思う。しかし愛しく思うことと、一緒にいて愉しいということは同義ではない。これはやはり異性というのもあるだろう。ファルマンは、「子どもたちの世話、疲れる……。夏休みが怖い……」ということを口にするが、それでも見ているとわりと一緒に話したり遊んだりして、笑っている。その輪に入れない僕は、ひとりで部屋にこもり、筋トレや裁縫に没頭することとなる。家庭内での口数は、4人の中で圧倒的に少ないと思う。これはまるで、妻や娘たちとうまく喋れず家庭内で所在なさげな父親のそれだが、いざその立場になってみたら、僕は決してそういうことではないし、これまでそういうふうに、世間も僕も捉えてきたその父親の姿というのも、実はそういうことではなかったのだと気づく。うまく喋れず所在なさげというより、父親は、家族の女たちのトークに、なんの面白味も感じないのだ。だからそこに入れなくても、なにも寂しくない。いい意味で、勝手にやっていればいいと思う。女どもで勝手にやり、愉しいのであれば、父親としてはそれで万々歳だ。重ねて言うが、愛しくはあるのだ。なるべく愉しく生きてほしいともちろん思っている。ただ自分は別にそこに参加しなくてもいい。
 3連休中は、すべての食事を担当した。冷凍庫の中が、半端なもので飽和状態になっていたので、それの消化が今回のテーマだった。その目標はまあまあ達成できたんじゃないかと思う。それと、ごはんを炊かないというのも、週末はいつもなんとなく心がけていて(特別な理念があるわけではないが)、1日や2日であれば容易いものの、3日ともなるとさすがにどうだろうと思っていたが、なんとか炊かずに完走した。もちろん外食や、テイクアウトなどもしていない。うまくやった。わが家の炊飯器も3連休であった。
 縫製は、GWに母に頼まれたシャツワンピのことをやった。本番用の生地はすでに買ってあるのだが、試作として別の布でいちど作ってみようということで、作った。そのうちnwにアップするだろうが、なかなかいい具合に出来上がった(これはファルマン用)ので、本番用のそれも今日の夕方に裁った。裁って、芯を貼って、ロックを掛けるところは掛けたので、ここから先は平日の夜にもコツコツ進めやすい。もう7割くらい終わったようなもんだ。
 とまあ、3日間にしては内容が薄いが、出歩けないのだからしょうがない。なかなか贅沢に時間を使った、なによりの3連休だった。

松江と俺

 労働の用件で松江へと繰り出した。松江行きはいつだって若干身構えるというのに、今回は平日の、普通の出勤的な時間に行かねばならなかったので、さらにハラハラした。特に県庁あたりの、車線の多い、それなのに混雑しがちなあの辺りだ。それでもなんとか目的地に着き、パーキングに車を停め、行先の建物に向かって少し歩いたところ、本当にしみじみと、俺はもうこういう、ビルとかが建ち並ぶ、飲み屋がたくさんある、活動的な街で生きるのは、すごく無理だな、ということを思った。あのお前が松江ごときでそんなことを思うのかよ、という話だが、そういう話なのだ。もう人間が変わったのだ。ああいう、情報量の多い、バリバリやっている人がたくさんいる、激しい街には、すっかり気圧されてしまう側の人間になった。普段の職場があるのは本当に田舎で、そしてそれはすごく喜ばしいことなんだな、ということを思った。用件そのものは、一日仕事ではあるものの、淡々と済まされる事務的なもので、どちらかといえば気楽なものだったが、なんとなく悔いを改められたというか、戒められたような気持ちになった。恵まれた日常を漫然と受け流すのではなく、日々きちんと感謝の思いを嚙み締めなければいけない、などと殊勝なことを思ったりした。それくらい繁華街(何度も言うが松江である)に対して拒否感があった。我ながらその感想に驚いた。
 用件は16時頃に終わり、そこでもう解放という流れだったので、滅多に来ない松江を堪能しようじゃないかと、事前にあれこれとプランを考えていた。考えていたのだが、いざ行ってみたら街に気圧されて心が弱ったため、意欲が失せていた。それでイオン松江にだけ行って、パンドラハウスでワゴンセールになっていたニット生地のはぎれを何点か買い、それでもう松江をあとにすることにした。街に怯え、はぎれを買って癒されようとするって、やっていることがもう、小鳥のようではないか。なんと僕はか弱い生き物になったのか。
 宍道湖のほとりを走り、松江から離れるにつれ、徐々に心は平穏になっていった。たぶん免許センターのあたりが境界線になっている。免許センターからあっちは、心がざわつく。広島ではこんなことにはならなかった。旅行者は気楽だ。松江は、なんなら生活圏だから、こういう思いを抱くのだろうと思う。
 帰り道の途中の平田で、久しぶりに「ゆらり」に立ち寄った。これはあらかじめ計画していた。松江で抱いた心細さから、もういっそ早く家に帰りたいという気持ちもあったが、近ごろはプールばかりでサウナにぜんぜん行っておらず、たまにはのんびりとサウナ温泉をしたいなあという思いは、日常の中にあった。それで今回の計画に入れていた。その気持ちを掻き立て、たぶん行かずに帰ったら後悔するぞと自らを叱咤し、ようやく寄ることができた。ゆらりにはスタンプカードがあり、それによると前回の来訪は去年の8月。ほぼほぼ1年も前である。結果として行ってよかったかどうかで言えば、まあよかった。入館したのは18時前で、まだかなり陽があり気温も高かったため、外気浴がままならないかなあと危ぶんだが、わりとなんとかなった。去年の6月の、これも松江に行った日の「ゆ~ゆ」の二の舞にはならずに済んだ。サウナ内のテレビでは、1回目のときだけギリギリで大相撲をやっていた。思えば夕方ってあまり来ないので、サウナで相撲を見たのは初めてかもしれない。野球もいいが、相撲も実にサウナ向きのものだなあと思った。3セットし、いい具合にすっきりし、温泉にもじっくり浸かって、堪能した。そこまで頻繁に行くものでもないと思うが、サウナもたまに行くとやっぱりいいもんだな、と思った。松江で受けたダメージが回復し、纏わりついていたものが取り払われた気がした。
 そんな今回の松江行きだった。松江に行ったときのことはきちんと書く。前から意識してそうしてきたが、松江はどうも、なにか僕の心をざわつかせるところがあるようだ。なんでだろう。倉敷市民時代、岡山に対してこんな思いはなかった。不思議。

週末

 7月に入る。夏だし、1年の後半スタートという思いもある。そうか、正月から、もう半年が過ぎたのか。正月は遠い昔のような気もするし、ついこないだのような気もする。人生はこれの百五十回くらいの積み重ねか。
 相も変わらず、ひたすら家族で週末を過す。そういう宗派のご家庭なのかしら、というくらい、家族以外の人間と交流を持たない。正解はただ友達がいないだけだ。
 土曜日の午前中は、買い物に出た。買うものリストには、洗顔せっけん、ボディーソープ、歯磨き粉、ハンドソープ、洗濯洗剤、食器洗剤とあって、ここまで家のシャボン系物品が同時に買い替えのタイミングを迎えるのって、ちょっとした奇蹟ではないかと思った。
 午後は、しばらく家の用事を済ませたあと、子どもたちを連れてプールに繰り出す。時期になったので海水浴もありなのではないかという思いが少しだけ浮かんだが、行っているプールがまあまあのレジャー要素のあるプールということもあり、果たして海ってプールよりも愉しいのか? という疑念が頭をもたげてしまい、いざとなるとなかなか足が向かない。シャワーとか、脱衣所とか、砂とか、陽射しとか、そういったいろいろな面倒ポイントのことを思うと、海水浴とはだいぶハードルの高いレジャーであると思う。せっかくだから7月中にいちどは行きたい気もするが、プールにさえ行かないファルマンが賛同するとも思えない。まあ実際、プールでいいかもしれない。この日のプールも愉しんだ。ピイガの世話があるので個人的なスイミングはできないが、年会員なので心にゆとりがある。半月ほど前の週末に来たときにも人が増えたな、と思ったが、今回はますます増えていた。男女混合のグループで来ているらしい中学生集団がいて、男子のテンションの高さが異様だった。迷惑といえば迷惑だったが、でも解るよ、と思った。テンション上がらいでか。
 帰宅して、晩ごはん。鶏肉の天ぷらを揚げて、天ざるにして食べる。おいしい。
 プールに行かなかったファルマンは、マイナポイントのことをせっせとやっていたらしかった。手続きをすると、ひとりあたり15000ポイントゲットらしい。なんだそれ、と思う。とりあえず嬉しい。僕はポイントの振込先をペイペイにしてもらった。そして次の日の朝、起きたらペイペイの残高が15000増えていた。速い。こういう機敏さはペイペイのいいところだな。ちょうど欲しいと思っていたものがあったので、買わせてもらうことにした。
 昨日が買い物やプールでバタバタしたので、日曜日は外出せずに家でしたいことをして過ごそうと考えていた。考えていたのだが、10時あたりになんの前触れもなく停電が起ったため、出掛けざるを得なくなる。停電なんていつぶりだろう。原因は今もってよく分からない。スマホで電力会社のページを確認すると、なるほど居住地のエリアが停電情報の欄に載っていた。なにぶんエアコンがなければ熱中症になってしまうような気候である。たまらず車に乗り込んだ。冷蔵庫のことは心配だったが、そこまで長引かない限り大丈夫だろう、とにかくドアを開けて今ある冷気を逃さないことだ、と思った。
 イオンに行った。停電による暑さを逃れてイオン。実に一般庶民的な行動パターンだな。それでしばらく書店やおもちゃ売り場を冷やかしていたら、やがて停電情報の範囲はどんどん狭まっていき、最終的にはすっかり消失した。すなわち復旧したらしかった。なのでついでに食料品の買い物を済ませ、帰宅した。電気は無事に正常になっていた。
 昼ごはんを済ませ、午後は縫い物と筋トレをして過した。最近またバトン熱が高まっているのだけど、バトンを回すのにふさわしくない季節だ。うまくいかない。
 晩ごはんはアクアパッツァ。イオンで「アクアパッツァ用」として魚介類の盛り合わせが売っていたので、いいなあと思って購ったのだった。作ってみたら、実によかった。サーモン、いか、えび、ムール貝に、ブロッコリー、ナス、プチトマト、しめじを加え、仕立てる。そんなんおいしいに決まってるじゃん。これも停電のおかげだね、なんて言いながら喜んで食べた。この最中、ファルマンがアクアパッツァのことをどうしても覚えられない、ということが判明し、僕とポルガでいじりまくった。ファルマンのこういうところが大好物なところを、ポルガはしっかり受け継いだ。どうもファルマンは、今日初めて知ったこの料理を、前半部と後半部に分かれた言葉で、水産物っぽいニュアンスが含まれていた、とぼんやり認識したようで、「おいしいねえ、マリントッツォ」と言ったのだった。食卓に衝撃が走った。これもまたしっかり記憶できていない横文字としての「マリトッツォ」(わが家は結局いちども食べなかった)の影響を色濃く受け、そこに無理やり海の要素を入れてきたらしく、間違え方に技巧が光る。意図的にこんなボケはできない。さすがだ。そのあと「アクアパッツァだよ!」とみんなから突っ込まれ、「ああ、ああ。アクアパッツァね。もう分かった」と言うので、3分くらいした後に「この料理ってなんて名前だっけ?」と訊ねたら、「マリン……トッツォ?」という答えだったので、これはちょっと引いた。だいぶ笑えるレベルを超えてきた。
 まあそんな、家族でのんびりと過した週末だった。夜はいつものように鎌倉殿をファルマンと晩酌しながら眺めた。その際に「晩ごはんおいしかったね。なんだっけ?」と訊ねたところ、「……アクアテッシュ?」という答えだった。どうやらファルマンの言語中枢に「パッツァ」は存在し得ないようだ。不憫。