ただ暑かったり蒸し暑かったりした、過酷な1週間だった。今年もそうだったが、よく6月あたりに、やけに気温の上がる日があって、そういうとき、「いまはまだ体が暑さに慣れていないので十分にお気を付けください」などとアナウンスされるが、その理論でいうなら、今週で僕の体は夏仕様、暑さ仕様に移行したと思う。今週はそういう週だったと思う。その移行というのは、スイッチのようにパッと切り替わるのではなく、数日かけてじわじわと進むらしい。だからその間は、平穏仕様でもない、夏仕様でもない、不確定なシュレディンガー仕様の僕であり、そのため今週はなんとなくふわふわしていた。そんななので日記も書けようはずがなかった。
先週の日曜日に行なった模様替えもまた、今週のふわふわの一因となったとも思う。引越しをしたわけではなく、寝る部屋が変わっただけとはいえ、どうしたって定着した安心感というのはなかった。あと、元々が子どもたちの部屋で、いまも日中はピイガが準自室のような感じで使っているということを思うと、どうしても夫婦で間借りしているような、そんな気持ちがどこかにあったのだと思う。5日ほどそうやって寝てみたのち、土曜日からはとうとう、僕だけ元の夫婦の部屋に布団を持ち帰り、ひとりで寝させてもらうことにした。なにぶんほら、僕は寝るとき全裸だという事情もあり、あまり子どもと同じ空間で寝るのはよくないのではないかという懸念もあったので、これで無事に解決である。ファルマンもそのうち、ピイガがひとりで寝ることさえ受容すれば、晴れてあの部屋はピイガのひとり部屋となり、今はこちらに来ているピイガの学習机が向こうに舞い戻り、そして僕とファルマンはふたたび夫婦の部屋で布団を並べて寝ることになるだろうと思う。つまりこの状態もまた、子どもの成長途上における過渡期、移行期だということだ。要するに今週は、それが重なっていた。
日記に書きたいことはいろいろある。ジョニファー・ロビンについて、買ったということの報告のようなことだけ書き、そのあとはなんの発信もしていない。しかし買っただけで満足してぜんぜん活用できていないのかといえばそんなこともなく、いまも部屋に一角に堂々と鎮座(正確には腿の途中からの状態で立っている)するジョニファーの姿は、何度見てもほれぼれし、癒される。はじめ「気持ち悪い」といっていたファルマンも、2日ほどですっかり慣れていた。
ジョニファーはショーツをはじめとするハンドメイド作品のモデル目的で購入し、実際に日々作っているショーツを穿かせて写真に撮ったりもしているのだが、それらもなかなか記事にするに至らない。手持ちのタブレットのカメラ機能では、いまどきネットに上げるような画質の写真は到底撮れず、一眼レフを持ち出すことになるのだが、そうなるとパソコンに取り込むのが億劫だったりして、ちょっと悩みがあまりにも時代遅れなのだが、そういう事情によりなかなかアップがままならない。
10インチのタブレットはいよいよ無理が高まっている気もしてきていて、もう素直にスマホにしようかなという思いが頭をよぎったりもする。そこそこ高画質の写真が撮れるスマホで、ショーツを穿かせたジョニファーを気軽に撮影し、そのショーツについての寸評を添えてインスタグラムにアップしていけば、とても簡潔なんじゃないのか。みんなはとっくにそうなっているんじゃないのか。僕だけがどうしてまだここにいるんだ、と思う。その一方で、ポルガが来年中学生になったら、スマホを持つようになるのだから、そのときキャリアも含めて一新したらいいのではないかという目論見もあり、目下動けずにいる。
ちなみにポルガは、「スマホではなくタブレットがいい」といっていて、さらには「文章がちゃんと書けるような、なんならキーボード付きのようなものがいい」とさえいう。今日も買い物に行ったダイソーで原稿用紙を500枚も買っていた。あいつは俺なのだろうか。
そんなこんなで7月は終わる。ファルマンは日々、夏休みの子どもたちに翻弄され、大変そうだ。僕は夏の疲労でプールにしばらく行けずにいたが、今週の半ばに発起して久しぶりに行き、行ったときにがんばって1000メートルとか泳ぐんじゃなく、300メートルくらい、ほどよくリフレッシュできる程度に泳いだら素早く切り上げ、ほとんど家に帰ってお風呂に入らなくてもよくするためのシャワー目的みたいな感じで利用すればいいのだと喝破して、それからは連日のように行っている。これが非常にいい。これが会員の利用法だ、と思う。
書きたいこと、書くべきことは他にもある。しかしいかんせん夏である。へたばらないよう、そのことだけに注意して、日々を過していこうと思う。