家族松江

 土曜日、松江に行った。なんだかんだで松江には行くものだな。
 今回の目的は、レジャーと言えばレジャーで、この夏、県立美術館ではチームラボによる体験展示みたいなことをやっていて、普通なら松江ということもあってわざわざ行こうとはしなかっただろうが、ポルガが地元新聞の懸賞に応募して入場券を当てたことにより、じゃあせっかくだから行くかということになった。入場券が当たったと言っても小学生1枚分のことであり、小学生がひとりで行くはずもないので、小学生に1枚タダでくれてやったら、もれなく付き添いの大人が自腹で入場券を購入してついてくるわけで、この当選は幸運でもなんでもなく、ただの商法なのではないか、という気も大いにするのだった。
 コロナ対策なのか、もともとそういう方式なのかは知らないが、時間指定の予約制で、われわれはこの日の午前にその申し込みをした。お盆はわが家的にも松江的にもバタバタしそうだと判断し、避けた次第である。
 出発時の天候は曇りで、今にも雨が降り出しそうだった。それくらいでちょうどよかった。それが夏におけるお出掛け日和の天気だ。南側を走った宍道湖は、曇天の下くすんでいた。それが山陰の湖のあるべき姿だろうと思った。
 美術館には、予約の時間の30分前くらいに到着した。チームラボの企画展以外にも、常設の部分も鑑賞すればいいわけで、このくらいの時間でちょうどいいのだろうと思った。そうしてファルマンと子どもたちをエントランスで降ろした。
 そうなのだ。僕は行かなかったのだ。僕が行ってもしょうがないだろうことは明らかで、付き添いの大人はファルマンがいればそれでいいだろうと思った。それよりも僕はイオン松江に行って生地を見たりしてるほうがよほどよかった。というわけでひとりイオン松江へと向かった。前回の松江行きの際にも来て、少し買って帰ったが、パンドラハウスのはぎれのワゴン販売は、けっこう侮れないのだ。ネットでは見かけないようなニット生地が多々あり、ホクホクした気持ちで購入した。僕の今の、ニット生地を買い集めるこの感じって、ブックオフ巡りが本当に愉しかった時期のそれと、だいぶ似ているような気がする。今回の夏休みのセールも、ブックオフにはいちども足を運ばなかった。どうやら趣味が完全に移行したらしい。目的の買い物を終えたあとはフードコートで過した。そこでは新語・流行語大賞のために自分の日記を読み返していた。ちょうど1年前くらいの日記で、ファルマンの免許試験のために僕は松江に来ていて、「ゆーゆ」に行ったりしていた。
 昼時になったあたりでうどんを注文して食べ、やがてファルマンからそろそろ退館するという連絡が来たので、計画していた通り、家族のためのマクドナルドを注文して受け取り、ふたたび美術館へと向かった。我ながら実にいい段取りなのだった。
 無事に回収したファルマンと子どもたちによると、チームラボの展示はなかなか愉しめたらしい。それならよかった。岡山で味わった、体の不思議展のときのような哀しい思いをせずに済んだのだな。あれは本当にひどかった。
 家族とマクドナルドを乗せた車は、そのまま次の目的地へと向かう。松江城である。せっかくの家族での松江なので、こちらにも立ち寄ることにしたのだった。マクドナルドはその足元の広場のような所で食べることにした。しかしちょうどいいベンチがあって、いざ食べ始めたところで、これまでぎりぎりのところで耐えていた雨が、いよいよ降り始める。仕方がなかった。今にも雨が降るような厚い雲がかかっていなければ、そもそも外でごはんを食べることなど叶わない時節である。それでも小雨だったのでなんとか食べ切ることができたのだから、運がよかったと言うべきだろう。
 そうして腹ごしらえを済ませ、松江城に登る。ポルガが赤ん坊の頃にいちどだけ来て、しかしベビーカーを携えながら登ることはとてもできず、広場を少し歩いただけで帰って以来なので、実質初めてである。子どもが御朱印・御城印を集め始めたことで、にわかに城や神社に行くようになったことだ。にわかに行くようになったが、知識も興味もわりと乏しいため、感想を訊ねられても困る。「階段が急だった」「雨混じりの曇天の日であんなに暑かったのだから、晴れた日だったら死んでたんじゃないかと思う」くらいしかない。御城印を無事に購入し、記念撮影をして、城を後にした。
 そのあとは松江行きのいつもの立ち寄りポイントとして、スーパーのディオに行き、買い物をして帰った。結局のところ、美術館と城に目的があった家族と、生地とスーパーに目的があった僕の、双方の欲求が合致しての松江行きだったと言える。しかし1週間あった夏休みには、本当にレジャーらしいことをなにもしなかったので、少しはそれっぽいことができてよかった。この日は陽射しこそなかったが、それでも気温は高く、湿度の高さもじんわりとした疲労をもたらしたようで、帰宅後は家族全員、なかなかグロッキーだった。やはりレジャーというものは、10月あたりから始めるべきなのだなと思った。

夏休み序盤

 夏休みを過している。休みが7日間もあると、余裕をぶっこいて間延びしてしまうのが必定だが、今回は決してそんなことにならぬよう、自覚を持って、土曜日も出勤で1日しか休みがない週の日曜日みたいな気持ちで、それを7回繰り返すのだ、そういう密度の濃い1週間を過すのだ、と意気込んでいるのだが、2日目が終わろうとしている今、それがままなっているかというと、うーん、という感じだ。休みの日というのは、どうしたって間延びする。これがこの話の救いになるのかどうかは微妙だが、思えば日曜日しか休みがない週の日曜日だって、間延びしていたじゃないか。7日間あるから、というのは実は関係ない。ただ焦燥感があって、それが緊張感と誤認され、密度が濃かったような気がしていただけだ。そういう意味では、目標そのものは、達成できているといえる。達成できるもなにも、要するに休日の自然体だったのだ。平日にできないことをやらなきゃやらなきゃ、と齷齪しつつも、そう一心不乱にはできず、WEB漫画を読んだり、時間のかかる料理に手を出してしまったりする、僕の。
 前の記事でも書いたが、なにぶん熱中症警戒アラートなんかが発令されている情勢なので、外遊びは完全に選択肢から除外され、そうなってくると子連れで愉しめるスポットというのはかなり限られてくる。初日はまあ、プールだった。実際プールっきゃないのだ。子ども二人を連れ、3人で行った。2日目はどうしたかといえば、これもまたプールだった。ただしこれは僕ひとり。昨日のプールがピイガの世話で自由でなかった分、思う存分に泳いだ。つまり2日連続で、今のところパーフェクトなので、こうなったら7日間毎日行ってやろうかな、とも思うが、別にそれはやろうと思えば普通にできるし、したところでどうってことないので、目標にするほどのことではない。普段、2日おきだったり3日おきだったりで僕がプールに行くと、必ず来ている人というのはいて、たぶんあの人たちは本当に毎日泳いでいるのだと思う。
 そういえば夏休みにしたいこととして、ジョニファー・ロビン活動があった。これまで作り溜めたショーツをジョニファーに穿かせ、写真を撮って投稿するということを、1日じっくり腰を据えてやれたらいいな、と思っていて、そこに照準を合わせ、実はいろいろ仕入れていたのだ。具体的に言うと、紙粘土と、リングライト付きの三脚と、さらにはカメラ機能が優秀なスマホを買った。紙粘土を何に使ったのかは、別記事で述べることにするとして、そうなのだ、スマホを買ったのだ。大きさだけを求めた10インチ超えのタブレットは、やはりカメラをはじめとした諸々の機能の低さ、及び、なによりも「大きすぎる」という理由により、耐えられなくなってしまった。これにより環境が整ったので、明日から本格的に撮影をして、投稿していけたらいいと思っている。これができたら、分かりやすい夏休みの成果だな、と思う。

夏と家族

 8月に入ったところで、兵庫住まいのファルマンの上の妹たちが実家に帰省してきた。妹たち、というのは、妹と、その長女(7歳)と、その次女(0歳)の3人である。同じくこちらの出身である夫とともに一家でやってきて、夫はその週末だけをこちらで過し、今はまたひとり兵庫にいる。またお盆あたりに、本人の帰省と家族の回収を兼ねてやってくるという算段だ。
 実家に行けばいとこがいるということで、わが家の妻と娘たちもまた、このところは実家によく行っているようだ。なにぶん時間を持て余しがちな夏休みなので、子ども同士、いとこ同士で時間を潰してくれるのなら万々歳だろう。実際どの程度うまくいっているのかはあずかり知らないけれど。
 3年ぶりの行動制限のない夏といいつつ、スカッとした気持ちで出掛けるには、新型コロナの話題はいまだ生々しいし、なによりも暑さで十分に行動は制限されていると思う。熱中症警戒アラートなどといって、不要な外出は避けるよう呼びかけられている。我々は3年前から、なるべく出掛けないよう呼びかけられ続けている気がする。
 そもそも乳児がいては、レジャー施設になどなかなか繰り出せるものではないし、なにより乳幼児用のチャイルドシートを車から降ろし忘れるというミスをしたのだそうで、道交法的に出掛けることができないという状況らしい。ちなみに少し前まで実家の物置に投げられていた、わが家でお役御免となったチャイルドシートは、昨今たびたび発起され実行される断捨離活動によって、あえなく処分されたそうだ。そのくらい、次女のところはひとりっ子で打ち止めだと、誰もが思っていた。
 先週末、4月末に生まれたばかりのその姪に、僕も初対面を果たした。生後3ヶ月の赤ん坊は、ああこんなんだったか、ピイガなんていまだに乳幼児みたいな感覚があったけれど、やはりリアル乳児の小ささというのは半端ないな、ということを思った。まだ人見知りも出ないような月齢ではあるが、わりと愛想のいい子なんじゃないかという評があり、僕が抱っこしたときも平然としていて、あやすように揺らしてやると微笑みさえしたので、感動した。「俺の抱っこによって、生まれて初めて笑った?」と妹に訊ねたら、「ううん、そんなことない」と即答された。
 まだ分かったものではないが、人当たりがよさそうな次女に対し、長女の人見知りは相変わらずで、僕はもちろん、ファルマンも、さらには祖母である義母にさえ、7歳の長女はあまり心を開かないらしい。次女を抱っこし、用が済んだので帰ろうというとき、(赤ん坊である妹にばかりかまけて上の子を無視する形になってはいけないな)と考え、あえて「〇〇ちゃん、じゃあね、またね」と声を掛けたら、一瞬びくりと反応したあと、義理の伯父に声を掛けられたことなどなかったこととしてやり過ごそうと判断したのか、完全に無視された。こうでなければ、子どもら3人でどこかへ連れ出してやるなんて案も出てくるのだが、長女は母親と離れようとしないし、母親には乳児がいて、そしてチャイルドシートがないので、やはり外出は詰んでいる。まあ重ねて言うが、暑さ的にも詰んでいるのだけど。
 こんな暑い盛りにしたっけか、と毎年けっこう驚くのだが、8月8日は結婚記念日だった。080808の並びを意識したため、この日付になったのだ。そういう、便乗というか、そういうの、ダサいよ、などと感じていた時期もあったような気がするが、こうして年月を重ねてみると、記憶のしやすさというただ一点において、とても素晴らしい日付であるとしみじみと思う。今年で14年。ファルマンのスマホのgoogleの機能で、データ内にあるその日付の歴代の写真がアーカイブとして表示される、というのがあり、5年前だとか、2年前だとか、子どもたちが幼児だったころの写真などが出てきて、よく愉しく眺めるのだが、この日のいちばん古い画像は、14年前、2008年8月8日の、婚姻届を提出したあと練馬区役所の前で撮影したツーショット写真であった。練馬区役所前で、ポルガ前で、震災前で、ピイガ前で、新型コロナ前だ。遠い。なんという遠さだろう。クラクラする。当日はケーキを買って帰り、みんなで食べた。直接関係ない子どもたちが、切り分けたケーキの大きいカットを求めてせめぎあいする様が、愛しいと思ったので、なにはともあれいい14年だったのだろうと思った。
 明日から僕も夏休みに入る。けっこう長い。丸1週間ある。さすがにどこかへ出掛けたい、高速道路とか使うような、そういうお出掛けをしたい、と思うが、公園が選択肢に入れられないので、いまだなにも当てが見つかっていない。さてどうしよう。

フルーツさん一家

 キウイの8個パックが安かったので買った。キウイはたまに買う。家族全員、誰もそこまで好物なわけではないが、たまに気が向く。冷蔵庫にあっても、子どもたちもせがむということはないが、剥いて出してやると食べる。とは言えヨーグルトやプリンのほうが反応がいい。そんな意欲なので、8個パックを買うと、最後のほうは持て余し、ダメにしてしまうこともある。
 そんなタイミングで、実家からマンゴーがやってきた。実家というのはどちらの実家かといえば、複合的であり、僕の実家からファルマンの実家にお中元として贈られたものが、お裾分けとしてわが家にやってきたという次第である。なぜか数年前からこの物品はマンゴーで定着している。おそらく母は思考を停止させているのだろうと思う。マンゴーはキウイよりも足が早そうなので、優先して食べた。下品な味がした。本当に、マンゴーの甘さというのは、下品としか言いようのない甘さだと思う。「気持ち悪い」に片足突っ込んでる美味しさの甘さだ。ファルマンとふたり、義務のように死んだ目で食べた。子どもたちは食べない。
 マンゴーを処理してやれやれと思っていたら、今度は祖母から桃が届いた。これははじめからわが家宛てに、シーズンに毎年来るものだ。とても立派な山梨の桃である。買うとそれなりに高いだろうと思う。段ボールに12個あったか。ファルマンの実家に少し託そうと思ったが、シーズンのさがとして、向こうも桃は充実しているらしい。ならば職場の人とかにお裾分けしようか、と一瞬思うが、これは岡山時代からいつも同じ現象が起きているのだが、お裾分けをすると、向こうがお返しをしなければならなくなるということに思いを馳せるにつけ、渡せなくなるのだった。これは、気を遣わせるのが申し訳ないという気持ちと、あととても神経質っぽい発言になるのだが、自分が桃をあげようとしておきながら、身内ならばまだしも、僕は他人の家に置いてあった食べ物をもらっても食べたくないので、そういう意味でやはりこの、お裾分けをしたりお返しをしたりというのは、止そうと思うのだった。しかし、だとすれば桃の12個というのは、あまりにも多すぎる。桃は美味しいが、1年に夫婦で2個か3個くらいでいい。マンゴーのように、できれば食べずに済ませたいというほどではないが、なければないでいいし、自分から買うことは絶対にない。結局その程度の好きさしかない。夫婦で、といったのは、子どもたちは食べないからだ。なんでだよ! 食べろよ! と思う。子どもたちはやはりヨーグルトやプリンを食べるのだ。子どもたちが整然とした、工業製品のようなヨーグルトやプリンを食べる横で、両親ばかりがせっせと熟れた桃を食むはめになる。また桃というのが、色味がエグく、生々しくて、だいぶ野性味がある食べ物なので、それが子どもたちにはまだなく、われわれには溜まってしまっている、生命体としてのグジョグジョしたものの象徴のように思われ、処理のように食べながら、なんとなく気が滅入るのだった。本当に、あの大箱での地方発送という文化は、ちょっと時代遅れなんじゃないだろうか。直接そうやって送らなくても、今やスーパーで全国の旬のものが売られているではないか。少量パックで。食べたければそれを買えばいい話で、このように大ぶりの桃を12個も送られても困惑のほうが大きい。夏なので外に出してもおけず、冷蔵庫のスペースは大きく圧迫された。
 そんな折に、義父が鳥取に行ったということで、大栄スイカを買って帰り、わが家にもその一部がやってきた。直径から察するにとても巨大な玉の、4分の1。野菜室は桃で支配されていたため、スイカは冷蔵庫の1段を占領することとなった。普段ほとんどフルーツを食べないわが家だのに、軽い気持ちで買ってしまったキウイが呼び水になったのか、にわかにフルーツ王国のようになってしまった。スイカは、切って食べたら、スイカらしい甘みがあり、スイカらしい甘みだなあと思った。2センチくらいの厚みに切ったものを、夫婦で2、3切れずつ食べたか。そのくらいでよかった。1年間でそれくらいでよかった。しかしそれはもらった分の3分の1にもならない消費だった。夫婦で、といったのは、やはり子どもたちは食べないからだ。もはや憤る気持ちさえ起きない。現代の子どもはスイカを喜ばない、というのは、もう何年か前に自分でスイカを買って帰った経験から知っていた。そのため義父が買って帰った気持ちは痛いほど解る。我々には、「夏の子どもがスイカを喜ばないはずがない」という固定観念がある。夏の子どもと、スイカと、食べ終えたスイカの皮をカブトムシに与えるのは、セットだと思っているだろう。しかしそれはもう現代には通用しないのだ。現代っ子には、スイカもカブトムシもぜんぜん魅力的じゃないのだ。
 12個の桃を送ってきた祖母も、巨大な大栄スイカを買って帰った義父も、それは世代的な行動だった。そしてそれを完膚なきまでに無碍にする子どもたちも、世代的であると思った。我々はその間に挟まれ、やはりMD世代だ。MOMOとDAIEIスイカをせっせと処理しなければならない世代だ。ちょっと無理があるな。
 結局最初に買ったキウイはどうなったかといえば、実はまだ、野菜室の二階に居るのです。