免許の更新を行なう(記録)

 実は今年は5年にいちどの免許の更新年なのであった。というわけで10月あたりにその手続きをしていた。宍道湖のほとり、出雲と松江のちょうど中間あたりにある免許センターに行けば一発なのだが、免許センターあるあるで、免許センターのほうになんのついでの用事もなく、せっかくの土曜日の休みをそれに費やすのは抵抗があったため、とある平日に外出の申請をして、職場の近くの警察署に行って手続きをした。なにぶん優良ドライバーなので、警察署でいいのである。10月の上旬にそれをして、このたびようやく新しい免許証が届いたというので、昼休みに受け取りに行った。5年ぶりのゴールド復帰であり、喜ばしい。顔写真は、今回こそこれまでの経験と対策によって史上最高の出来だろうと思っていたのだが、見てみたら「うーん、まあ……」という出来だった。まあそんなもんだよな。
 今回、職場のある街の、とてもマイナーな警察署で手続きをして思ったのだが、歴代の免許の更新をどこでしたかって、人生の変遷そのもので、けっこうおもしろいのではないだろうか。人生で、数年おきに必ず訪れる行事なんて、免許の更新くらいのものだろう。
 僕の場合、18歳で神奈川県で免許を取り、3年後(21歳)の更新も神奈川県、次の3年後(24歳)の更新は、住まいとしては練馬に住んでいたが、結婚するまで住民票は移していなかったため、たぶん神奈川県だったのではないか(記録がないので確かではないし、結婚が24歳の8月8日のことなので、そういう意味でも微妙だ)。それから5年後(29歳)は、第一次島根移住の時期であり、島根で行なっている。次の5年後(34歳)は、岡山だ。家族と免許センターに行ったので覚えている。そして今回が、ふたたびの島根。我ながら、なんだかウロウロしてるな。最初から最後まで、ずっと変わらない人もたくさんいるだろうに。
 完全な未来予知などできようはずもないが、その人が人生において、どこで免許の更新をするかだけが分かる能力、というのがあったらおもしろい。最初の2回が3年おきで、あとは5年おきだから、70過ぎで返納するとして、18歳で免許を取った人は、だいたい12回くらい免許の更新をすることになる。だからその能力者が18歳の僕を視たら、「お前のこれからの免許の更新場所は、神奈川・神奈川・島根・岡山・島根……」と来て、そこまででも十分に衝撃的なのだが、そこから「……滋賀・高知・栃木……」などと続き、そして「奈良・奈良・リオデジャネイロ・奈良!」と言われたら、とても驚くだろうと思う。途中も大概だけど、俺は還暦を過ぎたあたりでブラジルに住む時期があるらしい、そしてやっぱり奈良に戻るらしい、一体どんな人生なのだろう、と。
 18歳の浜っ子の僕からはあまりにも予想もつかない場所で、39歳の免許更新を行なったので、人生って奇異だな、と感じて、そんな想像をした。

4連休だった

 にわかに舞い込んだ4連休は、実に4連休らしい濃度で、過ぎていった。
 土曜日の午前は、一家でインフルエンザウイルスのワクチンの接種に行った。ワクチンの接種は、どれを選択しどれを選択しないか、人それぞれ、家庭それぞれの理念に拠っていて、現代なかなかセンシティブな話題であると思う。わが家は、夫婦ともども新型コロナウイルスワクチンの4回目は様子を見ていて、子どもに関しても3回目はしないで済んだらいいな、と考えている、という状況だ。まあ理念というほどのものではない。日々、第8波の気配などという話題を見るにつけ、揺らいでもいる。インフルエンザに関しては、もう健康診断みたいなもので、1年にいちど、やらないとどこか居心地悪いので、みたいな感じでやっている。
 インフルエンザウイルスのワクチンは、新型コロナと違い、重い副反応のようなものはない。ないので、打ったあとちょっと遠出してレジャーにでも繰り出そうかという目論見もあったのだが、折からのうっすらとした体調不良と、加えて残念なことに大気もあまり安定しない様子だったので取りやめ、家でおとなしく過すことにした。
 となったら当然、僕としては裁縫と筋トレに勤しもうと思い、意気込んだのだが、裁縫に関しては問題なかったものの、筋トレに関してはさすがに注射したほうの腕に疼痛があり、ままならなかった。こんなことなら昨日もっとちゃんとやっておけばよかったな、と後悔した。というわけでこの連休は、わりとひたすら裁縫をしていた。やりたいと思ってはいたが、平日や短い休みではなかなか取り掛かる気力が湧かないようなことが、できた。よかった。行程で、心を無にしてひたすら縫うだけの場面で、傍らのパソコンで映像でも観ようと思い、いろいろ吟味した結果、消去法によって数年ぶりの「かもめ食堂」に落ち着いたのだが、「かもめ食堂」を観ながら裁縫をしている姿を見たファルマンに、「けっ! 素敵生活かよ!」と悪態をつかれた。
 素敵生活ついでに、夜は皮を手作りした餃子にした。素敵生活どころか、皮を買う費用を惜しんだ結果の手作りである。小麦粉だって安くはないが、とは言え皮を買うほどは高くない。僕は大きい餃子が好きで、しかし大判の餃子の皮というのは、15枚で150円くらいしたりするのだ。だからそれを50個くらい拵えようと思ったら、皮だけで500円を超えたりする。それが嫌で、せっかく時間のある休日なのだからと、ずいぶん久しぶりに皮から作った。最近はピザも作るので、強力粉は常備しているのだ(「素敵生活かよ!」)。結果的に、手作りの皮の餃子は満足いく美味しさだったが、しかし労力のことを思えば、500円で皮を買うのもぜんぜんありだなあ、とも思った。得てしてそういうもんだな。
 夜は、せっかくだからジブリ映画でも観ようじゃないかという話がファルマンとの間に立ち上がり、なににするか協議した結果、「天空の城ラピュタ」になった。いいセレクトだったと思う。ツイッターが大盛り上がりする金曜ロードショーでは観ないため、前回の鑑賞からはだいぶ間が空いていた。そのためとても新鮮な気持ちで観ることができた。感想としては、ゲボが出そうなくらいおもしろかった。なんかもう、圧倒的だな。刷り込みもあるんだろうが、もうこれが「おもしろいアニメ映画」として、正答のように定まってしまっている感がある。つい最近オープンしたジブリパークは、アミューズメントみたいなものはないようだが、ドーラ一家に追われる機関車をテーマにしたジェットコースターがあったらおもしろかったんじゃないかと思った。そして走ったあと、橋桁がどんどん崩れていくのだ。
 明けて最終日の今日は、古代出雲歴史博物館で子ども向けの催し物をしているというので、今日もずっと家というのもなんだからと、せっかくなので行ってみた。しかし歴博は出雲大社のすぐ近くにあり、出雲大社はいま、実はこれが正式である旧暦の神在月が始まったところで、ものすごい混雑だった。日本各地のご当地ナンバーで大渋滞となり、駐車場に入るまでにだいぶ時間を要した。地元民なので出雲大社に行く心積もりはなく、だいぶとばっちりを受けた形だ。歴博は、実は僕は初めてだったのだが、館内を巡った結果、渋いな、という感想を抱いた。そして主目的である子ども向けの催し物は、かなりこじんまりとしていた。結果として、行くのに大いに苦労したほどの実入りがあったかと言えば、正直なかったが、まあ秋の空がきれいだったので、連休最終日のコンパクトな外出として、悪くなかったということにしよう、と思った。
 晩ごはんはすき焼き。先週、実家から牛肉をいただいたのである。なかなかおいしかった。日本酒も進んだ。食べたあと、風呂に入り、先日図書館でもらった「Tarzan」を眺める。ここ数日読んでいる号では、糖質の摂取を控えようという特集をしている。すき焼きを食べて日本酒を飲んだあとにこれを読むというのも情趣があるなあ、と思った。
 そんな4連休だった。まあまあやりたいことがやれ、気持ちもリフレッシュした、いい日々だったと思う。作ったものや、暮し以外のことも、明日からの日々で書いていきたい。

堪能中

 11月に入っている。それで10月について少し振り返ってみると、わりと充実して過せたように感じる。ここで言う充実とはなにかと言えば、それは結局のところ、射精の回数になってくると思う。射精の回数が多いということは、意欲が漲っているということで、生きているのが愉しく、日々が充実しているということを意味する。意味し過ぎてしまって、前にも書いたが、じゃあ老いて勃起という武器が失われたら、老病死の哀しみからどうやって自分を守ればいいのか見当もつかないほどなのだが、とりあえず現時点では喫緊の事態とはなっていないので、それについては対策を先送りにしている状況だ。政府と同じですね(切れ味の鋭い政治批判)。
 気温のアップダウンが激しく、なかなか油断できない気候が続く中、わが家の季節の変わり目のいつものパターンで、まずポルガが微妙に体調を崩し、それを他の人間がもらう流れが、この数日ふんわりと巻き起っている。ふんわりと表現したのは、どうもそれが決定的ではないからで、喉であったり洟であったり、それぞれうっすらと不具合はあるのだが、寝込むほどではぜんぜんなく、学校も行っているが、しかし本調子かと言われたら決してそうではない、みたいな状態なのだ。それが僕以外の3人に蔓延している。僕はやけになんともない。下半身も全身も元気だな。
 3日(木)は文化の日で祝日で、本日金曜日が平日、そして土日、というのが今週の世間一般の流れなのだが、なんか僕は会社の方針で金曜日もお休みということになり、ぽっかりと4連休を得ている。4連休! 今年のGWは3連休が2回だったので、単独ではGWにも打ち勝つほどの連休である。なんてったって平日の休みというのがポイントが高い。思わずはしゃいでしまって、やりたいと思っていてなかなかできずにいたことを、3日からいろいろやり出して、その結果10月からずっと続いていたインスタグラムの投稿が、途絶えてしまったほどだ。時間がたっぷりあると、逆に日々のルーティンが崩れてしまったりする。
 今朝は、子どもたちはもちろん学校なので、僕は布団の中で、子どもたちが準備して出発するのを聞いていた。子どもたちが登校なのに自分は出勤しないというのが、かなり久しぶりで、ちょっと無職時代や、不規則な出勤体制だった時期などのことを思い出してしまい、ぬくぬくと幸福感に浸るどころか、ほろ苦い気持ちになった。犬ドッグはトラウマだらけなのだ。午前中は昨晩からの作業の続きをし、昼にファルマンとふたりでうどんの昼ごはんを食べたあと、平日の休みとあらばそれをするしかあるまいよとばかりに、四季荘へと繰り出した。四季荘は、土日は熱波師が来てイベントが催されたりするようで、人も多いだろうし、なによりそういうフェスっぽい感じが好きではないので、行く気にならないが、平日ならば平穏に愉しめるだろうと考えた。行ってみて、実際どうだったかと言えば、思ったより人がいた。平日の日中でこれなのだから、週末はどうなるというのか、と思った。サウナ的には、まあこんなもんかな、という感じだった。最初に行ったときは設備に感動したが、そのインパクトが薄れてしまうと、やはりどうしたって週末のイベントであるとか、ヘビーユーザーたちの内輪受け感などが鼻について、居心地の悪さを覚えてしまう。それと、どうもやっぱり僕は、サウナそのものにそこまでの価値を見出せていないのだとも思った。
 夕方に帰宅して、晩ごはんを作ったり、作業をしたり。やりたいことがやれていて、愉しい。