40歳

 かくして正式に40歳になった。40歳のパピロウですって。ウケんね。
 お祝いは当日の水曜日になされた。お祝いのメニューはなにがいいかとファルマンに事前に訊ねられたので、「スーパーのでいいから鮨」と答えたところ、それはなんの逡巡もなく「よしきた!」と受け入れられた。しかし当日の夕方になってファルマンがスーパーに向かったところ、平日というのはスーパー側もあまり気合を入れて鮨を作らないようで、ほぼ助六のようなものしかなくて、僕に電話でそれを伝えてきたのだけど、じゃあ俺が調達しようと労働終わりに立ち寄った別のスーパーも、ほとんど同じような状況で、仕方なくそんな感じのものを買って帰ったが、ちょっとどうも、とても誕生日祝いのメニューらしくない感じで、残念だった。40代、これから世界に訪れるであろう食糧危機の未来を示唆しているのかもしれないと思った。そんな未来のために僕ができることはなんだろう。コオロギをむさぼり食うことかな。
 そんな食事を終えたあとは、ケーキ。ケーキは定番のガトーショコラである。定番と言いつつ、去年はなぜか白玉クリームぜんざいだったのだよな。今年は戻った。ピイガが小学校から帰ったあと、ファルマンとふたりで作ってくれたそう。愛しい。ガトーショコラは甘くておいしかった。近ごろ甘いチョコレートというものを久しく食べていなかったので、そう言えばチョコレートってこういうお菓子だったな、と思い出した。
 誕生日を祝うポスターは、今年は平日のため準備がままならず(腐るものではないのだから3連休でいくらでも仕立てられたのではないか、という含みはありつつも)、壁の装飾にとどまった。
 その装飾りがこちら。


 描いて、塗って、カットして、貼っているのだと思えばそれなりの手間のようにも感じられるが、それにしたってシンプル。シンプルもなにも、ちょっと悪意がないだろうか。時間がない中でなにかどうしても伝えたいのだとすれば、それは「おめでとう」であるべきではないのか。大台に乗った年齢のことを、どう考えてもちょっといじっていると思う。せっかくなのでかねてより変えたいと思っていたこともあり、LINEの画像をこれにしてはどうかとも一瞬思うが、かまってちゃんな感じかな、と思ってやめた。
 ちなみに直前まで決めあぐねていた誕生日プレゼントは、さんざん煮詰まった挙句、結局のところ自分がいまいちばん欲しいものはなんなのかという自己との対話の結果、生地になった。生地なんかい! 水着用のストレッチ生地を複数枚ネットで選び、それを買ってもらった。吟味しただけあって、とてもいい柄たち。嬉しい。
 そしてそんな9月20日を終えて、次の日からは曇りがち、雨がちな天候が続いていて、今日は土曜日に喰われた秋分の日で、ポルガが部活に行き、ファルマンが仕事をしていた午前には、ピイガとふたりで散歩に出た。日中に散歩に出たのなんて、何ヶ月ぶりだろう。やっぱり今年も僕の誕生日から世界は明確に秋になった。私は秋をもたらす者。I am autumn bringer.スーパーには新米が並び始めたが、たぶんそれは、僕が立ち寄ったスーパーに限るのだろうと思う。僕が足を運ばないスーパーは、いまだに冷やし中華が大売出しだ。
 節目ということで、1年の抱負とともに10年の抱負も考えるべきなのかもしれない。しかし偶然にもどちらも一緒だ。心地よく生きたい。ただひたすらに心地よい日々を目指したい。そのためには少々の苦難も覚悟している。それほどにだ。

偏狭3連休

 金曜日の労働が早めに終わったので、おろち湯ったりチャーンス! とひとり盛り上がり、赴くことにする。ちなみに職場からおろち湯ったり館へは、ほぼ家の前の道を通るような道のりしかない。職場をA、自宅をB、湯ったり館をCとしたとき、AからCへ斜めに向かうようなことは一切できない。でもはるばる行った。3連休のどこかで虎視眈々と好機を窺い、結局行けないまま終わったり、無理して行ったせいで全体が乱れたな、などと後悔するよりも、3連休前夜(と言っても翌日が休みという「自由な夜」は、この晩からの3日なのである。3連休は前夜から始まり、最終日の夜には実質的には終了している)に済ませてしまうのが得策だと思った。なんだろう、おろち湯ったり館は与えられた課題かなんかだろうか。
 7月以来の湯ったり館は、今回も裏切られることなく、よかった。プールも2階の外気浴も貸し切りで、快適に過ごした。ただし2階に上がると、誘蛾灯がジジジジと猛烈に作動している音が響いていて、なるほど見上げれば、とてつもない数の羽虫が飛んでいた。なんかもう、本当にすごかった。人生でこれほどの密度で羽虫が飛んでいる情景を見たことはなかった。まるで、問題ない量の精子が存在する精液のようだった。本能を刺激する強い光と、そこに群がる虫たちが放つフェロモンで、フライデーナイトフィーバーが繰り広げられているらしかった。ベンチに横たわると、照らされた羽虫は、夜空に浮かぶ星のようにも思え、それが目まぐるしいスピードでグルングルンと飛び回るものだから、いわゆる「ととのう」の、あの少し気を失いかけるような、心地よいめまいみたいな状態の視界の表現が、自動で展開されているような不思議な感覚があり、愉快だった。
 しっかり堪能し、帰る。帰って、餃子を焼いて、ビールを流し込んだら、先週もそうだったが、もうとても起きていられなくなり、早々に寝ることにした。人が夜に眠い状態になることを嫌うファルマンに、「そんな状態になるのなら湯ったり館に行くな」と責められたが、金曜日の夜にサウナに行って酒を飲んで眠くなるという一連の流れのいったいどこに、責められるべき不健全な部分があるだろうと思った。
 翌日、3連休の初日は、午前中に家族で少し外出する。先日も行ったクレーンゲーム専門店に行ったり、レンタルビデオ店でDVDを借りたりした。クレーンゲームでは、前回ほどの大物ではないが、ハイチュウの景品用っぽい箱タイプのものをゲットした。それ以外に挑戦した分も含め、700円を使ったが、たぶん中身はスーパーで買ったら250円から300円くらいだろうな、というものだった。そういうもんだ。遊興費だ。
 夜は地元の天文イベントに、子どもたちの引率として僕が参加する。定期的に行なわれるこれには、基本的にファルマンが連れて行っているのだが、今回はタイミングが合ったので代わることにした。しかし行った結果、まあまあのダメージを受ける。まず物理的に、部屋の温度が寒かった。空調の設定が強すぎて、体がどんどん冷えていった。周囲を見ると、女性も含めてみんな半袖だったが、僕以外は誰も寒そうなそぶりをしておらず、設定の変更を申し出られる雰囲気ではなかったため、首にタオルを巻いたり、最終的な自衛策として「部屋から勝手に出て廊下にただ佇む」などの手段を取った。あと話のテーマのひとつが、宇宙がどれほど大きいものか、というもので、プラネタリウム的な施設を用いながらその説明がなされたのだが、宇宙空間に飛び出す全天映像にはヒヤリとするような浮遊感があったし、そもそも宇宙のスケールの話は、あまり得意ではないのだった。星が何千億も何兆もあって銀河となり、宇宙にはその銀河が何千億も何兆もあるのだ、みたいな話って、聴くたびに、絶望感とか虚無感とか、そこまで強い言葉ではないにせよ、うすら寒い気持ちになるので、なるべく避けたいと思って生きている。そんなわけで、なかなかつらい時間を過した。帰宅してファルマンに報告をした際、「途中で食べたお弁当がおいしくてしあわせだった」と、自分が出発前に拵えた煮豚と焼き野菜の弁当のことを唯一の希望のように語ったら、「結局あなたは本当に自分のやることしか好きじゃないんだね」と呆れられた。なんか、どうも、そうかもしれない。偏狭だと我ながら思った。
 翌日はかなりのんびりと過した。部屋でひとり、借りてきたDVDを流しながら、筋トレをしたり、裁縫をしたりして、とても満ち足りた時間を送った。借りてきたDVDは大河ドラマで、もう僕は昔の大河ドラマを観ながら、裁縫をして、たまにおろち湯ったり館に行けたらそれだけでしあわせなのかもしれない、昨晩のことを思い出し、偏狭と言えばあまりにも偏狭なのではないかとも思うが、真性がそうなんだから仕方ないよな、などと思った。
 あとファルマンに髪を梳いてもらったのち、ブリーチを施してもらった。髪が、先の5分3くらい茶色、根元の5分の2くらいが黒という、なんとも半端な状態になっていて、40歳を迎えるにあたって(写真を撮られることも考えられる)整った状態にしておきたいと思ったのだった。使ったのは容赦のない感じのハイブリーチ剤で、全体がきちんと金髪らしい金髪になった。今回はたぶん、ここに色は入れないと思う。ただ脱色した金髪。なんかそんな気分。
 夜に放送された「VIVANT」の最終回は、タイミングが合わず、リアルタイム視聴はしなかった。そして翌日の午前中に、Tverで観た。とてもおもしろかったが、実を言えば世の中が盛り上がりすぎていて、何週間か前から、少し自分の心が冷めているのを感じていた。人気のないマニアックなものにしか価値を見出さないわけではないけれど、同じものに対し自分よりもテンションが上がっている人を見ると、どうしても引いてしまう。これも偏狭な性質の一種か。
 午後、祖母から電話が来る。今日届くように注文した敬老の日のプレゼントの礼だった。贈ったのは去年と同じく入浴剤。もう本当に毎年そうすることにしたのだった。電話口で祖母は、先ごろ死んだ親戚が自分と同い年だったという話や、どうせもうすぐ死ぬくせに補聴器を買ってしまったという話を披露してきた。祖母の「もう私は長くない」話は、たゆまぬ努力で日々バリエーションを増やし、数年前よりさらに芸に磨きが掛かっていると思った。
 そのあと、夕方にひとりでプールに赴く。暑さはまだ残り、祝日のプールはほどほどに混んでいた。気持ちが良かったが、少し体が重たい気がした。ちょっとこの3日間、摂取した脂質やアルコールに対し、運動量が少なかったのではないかと思う。これからの日々は、ちょっと摂生を心がけようかな、と思った。
 というわけで3連休が終わる。今年のシルバーウィークは散漫だ。誕生日も間の抜けた水曜日にある。そして僕はいよいよ40歳になるのか。それもまたいいだろう。ちなみに悩んでいた誕生日プレゼントも無事に決まった。宇宙の広さになど思いを馳せず、自分の本当に身の周りだけを、小さく満たして生きてゆきたい。

のんびり週末

 金曜日の夜は猛烈な眠気に襲われた。偉いと思う。1週間を勤め上げ、最後の最後に力が尽きたということだろう。本当に偉い。もっと家人に褒められてもいいと思う。22時くらいに起きていられなくなり、寝室にはまだ布団を敷いていなかったし、ファルマンが仕事をしていたので、リビングで座布団を枕にして横になった。とても珍しいことだ。そこで1時間ほど、たぶんとても深く寝て、眠りの粗熱は取れた感じがした。それでもまだ頭はぼんやりしていて、これは起きていてもなにもできないやつだな、と判断し、晩酌もせず、仕事を終えたファルマンとともに歯を磨き、休みの前夜にしてはだいぶ早めに寝た。休みの前夜というものに、毎週懲りずにテンションが跳ね上がるが、現実はこんなものだったりする。
 翌日は午前中に子どもたちが科学クラブだったので、送迎をする。ファルマンは仕事があったので、送と迎の間に洗濯を干したり、買い物に行ったりと、優れた働きをした。もっと家人に褒められてもいいと思う。子どもたちを回収したのち、昼ごはんに皿うどんを作って食べたあと、みんなで図書館に繰り出す。夏休みのスタンプラリー企画の際に借りた本が読み尽くされてしまい、新しく仕入れる必要があった。僕自身も、かなりの冊数を借りた。とても鋭い着眼点のあるあるだが、うだるような夏が終わり、朝晩が涼しくなって秋の気配を感じ始めると、わりと読書欲が増すと思う。言われてみればそんな気がしてくるから不思議だろう。秋って読書のシーズンだ、と断言してしまってもいい。我ながら斬新な意見だ。
 夕方、なんとなく気が向いたので、ピイガと近所の散歩に出る。だいぶ久しぶり。そういうことができる気候にようやくなった。ちなみにポルガには断られた。ピイガは縄跳びを、僕はバトンを持ち、車が通らない場所まで行ってから、それぞれやった。バトンは、夏を言い訳にできない期間に渡ってのご無沙汰であった。長らくできずにいたのは、労働で指を酷使する状況が続いていたからで、最近はちょっとそこから解放されたので、夏の終わりのタイミングも合致して、本当に久しぶりに回すことができた。そうしたら、ものすごく愉しかった。やっぱりバトンはいいなあ、もっと自由自在に回せるようになりたいなあ、と向上心が湧いた。手首を柔らかくするストレッチを心掛けたりしよう。きっとそれは水泳にもいい効果があると思うし。
 晩ごはんは、横浜から久々に届いたピザに、ポテトサラダと、味を付けて焼いた手羽元というメニュー。おいしかったし酒も進んだが、食べ終わったあと、まあまあの胃もたれ感があった。ポルガは下していた。ポルガはチーズがやはり少し弱点なのではないかという疑いがある。
 夜はポテトサラダの残りなどで、ファルマンと晩酌した。やっぱり週末の夜はこうでなくっちゃ。まあ晩酌自体は平日もしているわけだが、心の余裕が違う。
 翌日の今日は、ポルガが日曜日なのに午前中は部活ということで出ていったが、欠席者が多くて練習が成立しないということで中止になり、すぐに帰ってきた。夏を経ての疲弊もありつつ、新型コロナが相変わらず流行っているようで、おそろしい。わが家は、一応、いままだ、7月のあれがやはり新型コロナだったとすれば、免疫が、ある……よね? という感じなのだが。
 それ以降は、僕が食料品の買い物に出た以外は、外出せずに過した。なんならまた夕方になって涼しくなったら散歩に出てもいいね、などと話していたが、残念ながら夕方からは大雨だった。おやつのあとに4人で大貧民をやった以外は、ファルマンとピイガは一緒になにかしていたが、僕とポルガはそれぞれの部屋で、がっつりとしたいことをして過した。というわけで、のんびりとしたわりといい週末だったんじゃないかと思う。
 来週末は、今のところ3連休が予定されている。3連休ならば、いちどくらいは湯ったり館に行ければいいなあと思っている。つましい願いだな。

ギャンブルめいた日

 土曜日は部活だったり科学クラブだったりした子どもたちが、日曜日はふたりとも家にいて、どこかへ連れていけと朝からうるさかった。しかしまだまだ異常な暑さは続いているので、もちろん公園などの屋外施設になんか行けない。それで思案した挙句、ちょっと離れた場所にある大型書店と、その周辺の遊び場へと繰り出した。
 書店は、近ごろショッピングモールの中にあるような所にしか行っていなかったが、久しぶりにちゃんとした大型書店に行ったら、わりと愉しかった。書店というものを、もうほとんど過去の就業時代のことを忘れて、純粋に愉しめるようになったのだな、と思った。大型書店には文房具屋も併設されていて、いまどきの新しいグッズもありつつ、その一方でGペンだったりスクリーントーンだったり、大昔から置きっ放しなのだろうコーナーなんかもあって、おもしろかった。スクリーントーンというものを目にしたのは何年ぶりだろうか。この文房具屋で、消しゴムはんこの、透明ver.というものを初めて目にし、思わず購ってしまう。見た瞬間にテンションがぶち上がり、家に帰るなり彫り始めた、ということは別にないのだが、とりあえず買っておこうと思った。色を重ねて押すのに便利だろうと思う。使うべき時が来たら使おう。
 本屋のあとは、すぐそばにクレーンゲームの専門店があり、そちらにも立ち寄った。ゲームセンターと違い、本当にクレーンゲームだけが並ぶ、おもしろい空間だった。多様な景品の種類があり、どれも1プレイ100円だというので、とりあえず子どもたちに200円ずつ渡してやる。物色しながら店内を巡ると、あえなく失敗している人もいれば、袋に一杯の景品をぶら下げている人もいて、なかなかテクニックがものを言うようだな、と思った。ピイガはゴリラの人形があったのでそれに挑戦したが、落とすことはできなかった。そもそもあまりピイガは入れ込んでいない様子で、どうもギャンブル的な、お金を使っても失敗したらなにも返ってこない、という仕組みが、この子は好きではないらしかった。ポルガはさんざん悩んだ結果、ドラえもんがプリントされたどら焼き型の巨大クッションに挑戦し、2回失敗したが、なんかやけにいけそうな感じがあったので、思わず100円を追加してやったら、なんと3回目にアームががっちりとクッションを掴み、そのまま取り出し口へと運んでくれたのだった。せっかくだからなんか持って帰りたいけど、たぶん無理だろうね、などと話していたが、かくしてわりと豪華な景品をゲットしたのだった。ビギナーズラックというか、あとでファルマンがネットで検索したところ、この手のクレーンゲームは、一定のタイミングでアームが本気を出す仕様になっているようで、その前の、他人も含めた数々の失敗によって、そのゲージが一杯になり、このときにちょうど発動したのではないかということだった。胡散臭いというか、なんとも射幸心を煽る仕組みだな。とは言え戦利品が手に入ったのはよかった。いい思い出になった。
 そのあとショッピングモールにも寄り、こちらのガシャポンコーナーで、ピイガに1回だけ回させてやる。ピイガはクレーンゲームより、お金を入れれば必ずなにがしかの景品が手に入るこちらのほうが趣味に合っているらしい。堅実で悪くないと思う。
 それとここのダイソーに、他のダイソーでは見つからなかった、ブラックジャックグッズに合わせて発売された、手塚漫画のキャラクターの、缶バッジや、アクリルスタンドや、キーチェーンも販売されていて、それぞれどの絵柄が出るかは開けてのお愉しみなのだが、それぞれを3つずつほど買った。家に帰ってから開封したところ、「鉄腕アトム」と「三つ目がとおる」がやけに出て、しかしブラックジャックもそれぞれ1個ずつは出て、まあ、まあまあかな、という出目だった。「火の鳥」か「ブッダ」が出てくれたら嬉しかったのだけど、なんとなくそこらへんは絶対数が少なそうな気がする。たぶんアトムが多そうだと思う。
 行き場所をあぐね、苦し紛れに向かったわりには、かなり有意義に愉しめた外出となった。そして、やけにギャンブルめいたお金の使い方をした1日だった。