微妙なクリスマス週末

 11月の終わりくらいにクリスマスケーキの予約をしたのだが、受取日、すなわちクリスマスディナーを何日にするか、カレンダーを見て困ってしまった。24日が火曜だったからだ。やっぱりやるなら週末がいい。ファルマンから「私はクリスマスディナーっぽいメニューなんか作れない」という訴えもあり、そういう意味でも週末である必要があった。というわけで22日、日曜日に執り行なうことにしたのだが、自分的にも世間的にも、なんか微妙にまだクリスマスに気持ちが入っていない感じがあって、少しふわふわとした。ここ数年のカレンダーを確認したら、去年までの3年間は、24日が金曜、土曜、日曜と、うまく週末に当たっていたようで、それですっかり平日クリスマスというものに耐性がなくなってしまったらしい。今年からの3年間は平日が続くので、慣れなければならない。
 そんなわけでこの週末は、クリスマス要素と年の瀬要素がマーブル状に入り混じる、なんだか掴みどころのない感じだった。
 金曜日の夜は、職場の忘年会だった。相変わらず、時間が長く感じられた。ぜんぜん愉しく思えない飲み会だが、中心のおじさんが満足げであれば、それはそれで理解できるのだけど、決してそんなこともなさそうで、だとすれば本当に夏と冬のこの会というのは、誰のどんな情念で開催されているのだろう、と思う。唯一の救いとして、食事はわりとおいしかった。飲み物の選択肢に日本酒がなかったので(嘆かわしいことですね)、ビールのあとは赤ワインにした。思えば2024年は僕のワイン元年であったな。
 翌日土曜日は、一家でショッピングモールへと繰り出した。ポルガの部活はやはり秋口までがメインで、3年が引退して以降は明らかに流してる感じがある。また新年度を見据えた春先あたりから活発になるのだろう。ショッピングモールではメガネを見た。今年1年のご褒美として、リーディンググラスを買うことにしたのである。英語圏では老眼鏡のことをこう呼ぶのだそうだ。すばらしいと思う。おい日本人、そういうとこやぞ、と思う。お店の人に要望を伝え、検査をしてもらい、「じゃあこの1.0のやつですね」という案内をされ、何種類かフレームの選択肢のある中でひとつを選び、それを買った。買ってから、この1.0というのは別に僕の視力に合わせて調整をするものではなく、共通の規格なのだ、だからもうそのレンズが嵌まったやつが用意されていて、それを買って帰るだけなのだと、初めてリーディンググラスのシステムを知り、だとしたらこれってわざわざメガネ屋で何千円か出して買わんでも、ネットで、もっと安い値段で、いろんなフレームの選択肢があったんじゃないか、と気づいた。まあ検査もしてもらったし、勉強代と捉えることにしようと思う。帰宅後、本を読むときや、裁縫をするとき、着けたりしている。でも実はまだ、そこまで必要じゃないってことなんだろうな、というのを感じている。まあ腐るものではないので、転ばぬ先の杖的な感じで持っておいて損はないと思った。
 午後はプールへと繰り出した。12月の土曜日の半端な時間だというのに、まあまあ人がいた。もっともこの「まあまあ人がいた」というのは、あくまで島根県感覚なので、よその地区の人に共感してもらえるかは分からない。土曜日の余裕から、たっぷり歩き、たっぷり泳いだ。気持ちがよかった。
 晩ごはんは、ぶり大根と、かぼちゃの煮物。どちらも醬油味。ぶり大根は昨日の時点から心に決めていて、かぼちゃは冬至ということで売り出されていたので、縁起物だし食べておくか、という気持ちで急遽採用した。日本酒が進むいいメニューだった。
 明けて日曜日は、夕方にケーキを取りに行く以外は予定がなく、家でのんびりと過す。ファルマンと子どもたちは午前中に実家に行って、祖父母からクリスマスプレゼントを受け取っていた。ポルガはペン軸とペン先のセット、ピイガは豪華な色鉛筆。なんだかやけに絵を描くのが好きな姉妹のようじゃないか。まあ実際よく描いているけれど。
 午後は、もらったそれらを使って、早速クリスマスポスターを描いていた。ふたりとも個性のよく表れたいい出来だった。また写真に撮ってここにアップしようと思ったら、ファルマンに「ポルガは自分の絵をインスタにアップしたりするし、やめときなよ」と窘められたので、自重することにした。ややこしい渡世だな。
 いい時刻になったので、買い出しとケーキの受け取りに出た。スーパーは、ディスプレイ的にも、人出的にも、クリスマスのような、クリスマスでないような、本当に微妙な感じだった。案外平日でも24日にやる人のほうが多いのだろうか。
 クリスマスのメニューは、ひと晩味を付けておいた骨付きの鶏肉と野菜をオーブンで焼いたもの、フライドポテト、チルドのシンプルなピザに自前で具をたくさん載せたもの、2種のパスタ(たらこクリーム・ペペロンチーノ)、コーンスープ。日付こそ微妙ながら、それでも家族で囲むクリスマスディナーは、格別の多幸感があった。クリスマスが年末にあるのっていいことだな、7月とかにあったらあんまりいいイベントにならないだろうな、などと思った。
 食後はケーキ。箱から取り出してみると、去年と変わらない程度の価格を出しているはずだが、明らかに去年よりもワンサイズ小さくなっていた。それはそうだろうとも思ったし、言い知れぬ格別の侘しさを感じもした。わが家の場合、約10日後にリベンジの機会があるので、その際は大きさにこだわって手作りをしようと心に誓った。
 そんな感じのクリスマス週末だった。子どもたちにプレゼントが届けられるのは当然25日の朝である。なんだか本当に間が抜けた感じだな。来年、再来年のために、どうするのが正解なのか、よく考える必要があるかもしれないと思う。

11月から12月へ

 意外と「おこめとおふろ」を20日間も書いていなかった。ブログを複数持っていて、さらには新しいブログなんかも作ってしまったので、どうしたってこういう事態が出てくる。しかし他のブログならそれも仕方ないかもしれないが、「おこめとおふろ」はなんてったって日常生活の記録のブログである。僕の各ブログにはそれぞれの担当陣営がついているわけだけど、いちばんアクがなくて穏和そうな「おこめとおふろ」担が、実はいちばん苛烈であるというのは、よく知られた話だ。そのため、かの人たちのことを思うと、20日間も放置してしまったことに罪悪感を覚える。体調を悪くした人もいたかもしれない。本当に申し訳なく思う。
 さて11月パピロウ月間が終わり、12月に入った。今年もあと1ヶ月である。信じられない、とも思うし、この1年間の日記を読み返したばかりだから納得がいく、とも思う。
 11月最終日の土曜日は、午前中はいつものように買い出しに出た。いろいろ高い。家のおやつが枯渇したので、この日はおやつをいろいろ仕入れたのだけど、お菓子も以前に較べてすごく高くなった。板チョコが130円とかする。板チョコは100円(あるいは以下)という固定観念があるので、値札を見るたびにぎょっとする。100円という値段は固定にして大きさのほうを変えてくれよと思っていたが、このあと行ったダイソーで実際にガーナの板チョコが売られていて、それはなんか虚を突かれるような、自分が巨人になってしまったと錯覚するようなサイズだったので、やっぱりこれはこれで切ないな、と思った。
 午後は部屋にこもり、裁縫や筋トレをして過した。11月末日の土曜日ということで、これまでの僕だったら当然、2階が閉鎖される最終日でもあり、おろち湯ったり館が頭に浮かんでくる状況だったのだけど、今年はそうはならない。おろち湯ったり館とは、お別れをしたのだ。別れたことに後悔はないつもりだが、輝いていた日々のことに思いを馳せると、やはり切ない気持ちがこみ上げる。
 ところで部屋では、寒かったのでストーブを点けていた。先日灯油を汲んできて、今年のストーブ生活が開始したのである。しかしそうしたら空気が澱んだようで、気分が悪くなり、夕方くらいからやけにしんどくなった。我ながら日々フレッシュに生きているなと感心するが、ストーブを点けたときは換気を心掛けなければならないということを、シーズン初めですっかり失念していたのである。そんな中で筋トレ。ダンベルフンフン。それは参るよ。もしかしてバカなんじゃないか。
 晩ごはんは、午前中の買い物のときが寒すぎたので、想定していたメニューを取り止め、これはおでんしかない、と急遽おでんに差し替えたのだけど(昼ごはんのあとにもう仕立てていた)、そんな具合になってしまったので、おでんを夕飯から晩酌までグダグダやり続けるという青写真は露と消え、これはもう、早めに寝就き、たっぷり睡眠時間を確保して、とにかく体を回復させねばならないとなって、消化不良だった。そんな11月末日だった。
 12月初日の今日は、なんと一家でカラオケに行った。一家で行くのはだいぶ久しぶり。岡山以来だ。もっとも一家と言いつつ、部屋はふたつである。思春期である上の娘は、家族と一緒にカラオケなんかしないのである。さらには「離れた部屋にするよう店員に言え」という注文までつけてきた。実に思春期だなあ。というわけでポルガはひとりで、僕とファルマンとピイガは3人で、それぞれ唄った。3時間。
 僕が唄ったのは順番に、「はたらくくるま1」(のこいのこ)、「黄金の海で逢えたなら」(関取花)、「ぼくドラえもん」(大山のぶ代)、「フクロウの声が聞こえる」(小沢健二とSEKAI NO OWARI)、「トップ・オブ・ザ・ワールド」(カーペンターズ)、「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)、「ホネホネロック」(子門真人)、「芝生」(ハルカリ)、「唇よ、熱く君を語れ」(渡辺真知子)、「許婚っきゅん」(ano)、「はたらくくるま2」(子門真人)、「彗星」(小沢健二)、「天国街道」(リュックと添い寝ごはん)、「君は薔薇より美しい」(布施明)というラインナップ。大山のぶ代と西田敏行、そしてハルカリはいつもの追悼歌唱。ハルカリがなぜ追悼なのかと言えば、作詞が谷川俊太郎だからであるという、ちょっと意味の分からない執念を見せてみた。昨日やや崩した体調がまだ万全ではなく、どうなることかと危ぶまれたが、やっぱりマイクを持つとそこはプロ、そんな内実などおくびにも出さず、張りのある声を響かせたので、さすがだなと思った。
 しかし帰宅したあとは、また少し寝た。昨日からの合計で半日くらい寝ていないか。これは僕の身体が、冬仕様へとメタモルフォーゼしている現れかもしれない。だったらいい。まだ寒さは本格的じゃないのに、あまりにもつらすぎないかと思っていたが、要するに身体がまだぜんぜん冬のそれになっていなかったんだろうと思う。そう信じたい。
 あと身体的なことでついでに言うと、流行語大賞の「ゴーーーン」の項で述べたことだが、10月終了時点で今年の射精回数は、2023年(記録108回)ととてもいい勝負だということが判明し、ここからはちょっと意識的に回数増量な感じで行こう、去年の僕より今年の僕は1年分だけ年齢を重ねているけれど、こと年間射精回数に関しては、去年の数字はいまさら増やせないが今年はがんばれば増やせるという圧倒的なアドバンテージを有している(今後もこのアドバンテージは有し続ける)ので、おとなげなく1年前の若い俺をねじ伏せようと思考し、そういう発想のもとで11月を過した結果、どういうことになったかと言えば、実にすばらしいパフォーマンスとなり、もしも僕に射精のパーソナルトレーナーが付いていれば、とても褒められたに違いない数字を叩き出すことに成功したのだった。11月の旧称は霜月だが、僕にとってはシモ月だな(笑)、ってなもんで。なるほどこれならば「おこめとおふろ」を20日間書かなかったのもやむなしである。これにより12月に相当な余裕ができた。射精貯金である。もはや取り組む上での焦点は、来年のことも鑑み、どのあたりの数字で打ち止めにするか、という次元になっている。ゆとりがあるっていいな。
 まあそんなような、11月から12月への移行でした。愉しく暮しています。