42歳


 誕生日である。42歳である。
 土曜日の誕生日であったが、運悪く出勤日であったため、実は先週の3連休で既にお祝いを済ませていた。ちなみに「20日は出勤だからこの3連休でお祝いをしよう」という提案をしたのは、他ならぬ僕である。それに対して家族は「あ、うん……(半笑い)」みたいな反応で、なんだかやるせなかった。結局、僕の誕生日のことを世界でいちばん熱心に考えてくれるのは、僕だということだ。なので後悔のないよう、存分に寿ぐことにした。
 苺のない季節により毎回悩まされるケーキは、これまで主にチョコレートケーキに逃げ、あるいは白玉クリームぜんざいという変化球を放った年もあったが、今年は端から頭にモンブランが浮かんでいた。今年はやけに栗系のスイーツが食べたい機運なのだった。なのでモンブランって家で作ることができるのだろうかと検索をしたところ、マロンペーストというものが販売されていて、それとホイップクリームを混ぜると、いわゆるマロンクリームになるとのことで、モンブランの定義はよく知らないが、要するにスポンジにマロンクリームがたっぷり掛かってるやつが食べたかったので、そういうものを作ることにした。併せて栗の甘露煮も注文し、本人の並々ならぬ熱情により、3連休の数日前に準備は整った。マロンクリームは、本当は黄色いものが好きなのだけど、買ったマロンペーストは濃い茶色で、ホイップクリームと混ぜたら薄茶色になった。たぶんこっちが本当で、愛着のある黄色いやつこそが嘘の色なのだろうけど、こしあんつぶあんのように、所属派閥でないほうのものを食べるときは、少しだけ忸怩たる気持ちを抱く。でも黄色いペーストなど売っていなかったのでしょうがない。まあ、こしあんつぶあん以上に、「味は一緒」である。マロンクリームはデコレーション用で、スポンジの間には、ホイップクリームに、甘露煮とマロングラッセを細かく刻んだものを混ぜ、たっぷりと挟んだ。とにかく栗尽くしなのである。上にはマロンクリームを細い線で幾重にも走らせ、苺の代わりに甘露煮を8個、円周に等間隔に並べる。最後に粉砂糖を振りかけ、手製のモンブラン(もとい栗のケーキ)の完成である。ホイップクリーム、マロンクリーム、そして甘露煮、どう考えても凶悪な糖質、そしてカロリーであろうが、お祝いなのだからして、という勇ましい気概で怯むことなく食べた。ピイガはあまり食べつけない栗を受け入れず、当夜も半分残し、翌日のふた切れ目も食べないとのことだったので、結果的には僕が3切れを食べることとなった。こんな凶悪なケーキを3切れも、と思わないこともなかったが、しかし望んだとおりのおいしさだったので、幸福感とともに腹に入れた。ピイガのことなど気にせず、来年以降もこれでいこうと思う。
 祝いの席の食事は、やはり定番の手巻きずしにした。誕生日の特別予算も下り、刺身類を豪華に買い揃えた。それらはもちろんおいしかったが、しかし手巻きずしの際いつも言っているが、いちばんガツンとおいしいのは、玉子焼きと、アボカドと、たらこマヨの組み合せだったりする。とにかく僕の作る玉子焼きがおいしすぎて、これを欠く鮨が物足りなく思えてしまうほどである。夏の実家でも、僕が作ればよかったな。
 ちなみに今年もお祝いのポスターを描いてもらった(求めた)。こちらである。


 3人による共作で、左がポルガ、中央がファルマン、右がピイガなのだが、共作と言いつつも、ともになにかを描くとか、一連の流れになっているとか、そういうことは一切ない。ファルマンに関してはいちおう、ふたつ前の記事で写真をアップした、夏の手塚治虫記念館での僕の姿を描いているが、ピイガは自分のオリジナルキャラクター、カメラメ先生ファミリーの絵だし、ポルガに至っては、知らないキャラクターが知らないキャラクターに得体の知れないものを無理やり食べさせようとしている場面という、マジでなんでそれを今ここに描くの、マジでなんでなの、という絵で、しかしなんというか、非常にわが家らしい、それぞれ自我の強い感じのポスターに仕上がった。まあこれはこれでいいとしよう。
 そんな感じで、今年も無事に誕生日を祝えたわけで、これに勝る喜びはないとしみじみと思う。42歳の目標は、43歳も同じように祝えるよう、健やかに暮すことだ。あと一攫千金で使い切れないほどの金を手に入れ、めちゃくちゃ楽に生きたい。ただそれだけだ。
 ちなみに決めあぐねていた誕生日プレゼントだが、とうとう決まった。寒い時期の、プール後に着るためのジャージの上下にした。去年の靴に続き、今年も同じような価格帯なので、同型のものを色違いでふたつ買い、変な感じで着ようと思っている。

真夏のエアコン気絶と初秋の模様替え


 実は今年の夏、僕とファルマンが使っている部屋のエアコンが、音を上げていた。
 それは故障した、ではなく、あくまで音を上げた、という感じで、基本的には動くのである。そして動くときは、涼しい空気を出してくれるのである。しかし西向きに窓があり、室外機もまた西向きに設置されているわれわれの部屋のエアコンは、たぶん一日でいちばん温度が高まった状態になるのだろう、14時半から17時半くらいの時間帯、異常を知らせる赤色点滅を表示し、稼働を止めるのだった。それはまさに「もう無理!」とギブアップしている感じで、見方によってはなかなか親しみを感じる人間性であると言えた。
 とは言え室内で過す人間には堪ったものではない。僕がその時間帯に部屋にいるのは週末だけなのでそこまで問題ではないが、なにしろファルマンである。家からはもちろん、部屋からも極限まで出ないことで知られるファルマンだ。すぐに「これはまずい」ということになり、最低限の仕事道具一式を持ち出して、ピイガの部屋へと避難した。もちろん修理の依頼は試みたのだが、時期が時期だけに、だいぶ先になるという返事だったそうである。
 そんなわけでこの夏、ファルマンはずっとピイガの部屋で仕事をしていた。ピイガというのは甘えん坊なので、もちろんそれを拒むはずもなく、むしろ喜んでいた。なんなら寝るのもこの部屋ですればいいのになどと、末っ子らしい、いじましいことまで言うのだった。
 そんなふうにして夏が過ぎ、9月に入って、暑さもまだまだ継続しつつ、しかしさすがにピークは過ぎたようで、そのことをどこでいちばん強く感じるかと言えば、われわれの部屋のエアコンが例の時間帯にも音を上げなくなった、という点によってであり、とりあえずなんとか今年の夏は乗り切ったのだった。エアコンの修理は、先日いまさら「行けますよ」という連絡が来たのだが、真夏のあの時間帯以外は普通に動くのだし、まあ様子を見るか、ということでお断りした。
 それで、じゃあぼちぼちファルマンもこっちの部屋に戻ってくるのかな、と思いきや、ピイガは「戻らないでほしい」と望むし、ファルマン的にもリビングに近いピイガの部屋のほうが仕事をするにあたって都合がいいなどという事情があるようで、エアコンの気絶がきっかけの期間限定の避難のはずだったが、いっそピイガの部屋の一角を正式な仕事場ということにする、ということになり、この1ヶ月あまりで物置と化していたデスクなど、本格的にごっそりと移動することになった。そしてそうなると、その分のスペースが当然ながら空くので、こちらの部屋でも模様替えが発生することとなり、今週末はこの作業に勤しんだ。
 結果としては、これまでファルマンと共有だった部屋が、僕だけのものになった形で、とても寂しい。ああ寂しい。本当に寂しい。でも寂しさにばかり目を向けていてもしょうがないので、ミシンやパソコンなどをのびのび、すげえ機能的な感じに配置し、なるべく部屋が快適になるようにした。これまで週末、ファルマンに仕事があるとき、せっかくの休日なのにミシンができない、などという事態がままあったが、今後はそんな問題からも解放される。なんだか寂しい。心にぽっかりと穴が開いたようだ。
 ちなみに、冗談めかして述べているが、ファルマンが自分の身の回りのものをどんどん部屋から持ち出していくさまは、ある日ごっそりと父のものが家からなくなっていたという経験を持つ母子家庭出身者からすると、微妙にトラウマが刺激される部分があった、ということはここに明記しておく。それだのに気丈に、寂しさのことをわざとおちゃらけて表現するところに、僕の尊さがあるとしみじみ思う。
 もちろん夫婦の寝室としての機能は継続している。仕事はあっち、寝るのはこっちと、ファルマンの部屋はふたつに跨ったのである。これもある種のノマドワーカーか。「ピイガが思春期になって部屋から追い出されたら戻ってくるけん」とファルマンは言う。果たしてそんな日は来るだろうか。ピイガに限ってそんなことにはならないような気がする。いや、寂しいからいつでもこっちはウェルカムだけどもね。