子どもたちは大いに張り切っていた。労働を終えて電話を掛けたら、「帰ってきたら台本を渡すからね!」とポルガに言われた。だ、台本……? となるが、帰宅したら本当に渡された。
(ポルガ) おたんじょうびおめでとう!
(みんな) おめでとう!
(ピイガ) プレゼントをわたします みなさんじゅんびをしましょう!
(みんな) はいっ(じゅんび)
(パパ) ケーキのとうじょうです。(はくしゅ)
(ポルガ) クラッカーようい! (パーン)
(ピイガ) おかあさん ろうそくをふきけしてください。
(パパ) そしてまえにでてください!
(ポルガ) (せきばらい)きょうからなんさい?
(おかあさん) 35さい!
(ピイガ) ではケーキをたべます!
(パパ) おいしくつくりました!
おわり
これを、ポルガ、ピイガ、そして僕用に、3部わざわざ手書きで紙に記し、各自に配布していた。ポルガのさすがさが出たな、と思った。
ハヤシライスを食べたあと、ケーキを出し、台本通りの寸劇をして(なぜか比較的長セリフのピイガが進行を滞らせる一幕はあった)、歌を唄い、クラッカーを鳴らし、ケーキを食べた。
つい最近、1週間をひとりで過したから、なお強く思うのだと思うが、これ以上のものはないと思う。ポルガの挙動に対して若干の狂気じみたものを感じつつも、親の誕生日を子どもたちが張り切って祝ってくれるという、それ以上のものなんてない。
かくしてファルマンは35歳。節目だし、四捨五入で言えば分岐点でもあるので、けっこう感慨深いかと思いきや、意外とそうでもないな。年齢って体重と一緒で、数字の多寡は問題ではなくて、大事なのはその組成の質なのだよな、と最近になって思うようになった。こんなことを思うようになったということは、もう若くなくなったということに違いない。いやそんなことはない。俺は四捨五入したら30歳、ファルマンは40歳だもの。少なくとも俺はまだまだ若い。9月20日までの約半年、これをすごく言い続けようと思っている。