貴い3連休。天皇誕生日を軸とするこの連休は、その来歴からも、下々の民の暮しの中でのありがたさからも、本当に貴いと思う。この3連休のおかげで、クリスマスと、年末年始の準備が、グンと進んだ。来年からはなくなってしまうけれど、昭和の日のように近年中に復活させるべきだと切に思う。
クリスマスと年末年始の準備が進んだと言いつつ、僕が今回の3連休の中でいちばん正面から取り組んだことと言えば、やっぱり干支4コマである。おかげで「2018犬」を無事に完走させることができた。年始にやらないのは当然のこととして、しかし初夏のあたりから「やらなきゃなあ」という憂いを持ち続けていたので、そこから解放されたすがすがしさはひとしおである。年末までそうやってあがいた結果として、来年の干支を登場させて漫才にするというウルトラCを思いついたので、ずっと気に病みながらも尻に火がつかない限り決して本腰を入れて取り組まずにいる、というスタンスを貫いた果以があったのではないかと思う。こうして反省を一切しないため、この人間性はいつまでも継続するのである。ちなみに漫画内でも言及したが、2019年分のそれはさすがに、もう話もほとんどできているので、2019年に入ったらすぐに公開できると思う。そして2019年の干支漫画を年頭に早々に完了させることができたのなら、その次の「干支漫画をやらなければならない」まで、2019年1月から2020年12月という、約2年間もの月日が僕には与えられることになる。それが嬉しい。別に誰が期待しているということもないのだから、そんなに気重ならばやめればいいという話なのだが、多分ほかならぬ僕自身が期待しているということなのだろう。少なくとも、これは2010年の寅年から始めたので、2021年の丑年まではやろうと思っている。
あと3連休中の出来事としては、本放送から1週間ほど遅れて、「西郷どん」を最終回まで観終えた。なんとか年内に観終えることができてよかった。途中、二度の島流しの時期あたりで猛烈に視聴の意欲がダレて、何週間か飛んだのだけど、そのあと復活して、それなりの感慨を持って最終回に臨むことができた。西郷隆盛って、幕末が舞台の大河ドラマには絶対に出てきて、そしてずいぶんな権力を持っていて、わりと謎の感じがあり、だからそれが主人公である今年の話にはけっこう期待していた。それで1年間観終えた結果、やっぱり西郷隆盛が途中からなんであんなにグングンと偉い感じになったのか、あまりよく分からなかった。体と声が大きいからかなー、などと思った。バカな子の感想だな。でも全体的におもしろかった。「ちょいもす」とか「じゃっどん」とか「んにゃも」とか、この1年間はファルマンと僕の間で微妙に鹿児島弁が流行った。
前半の2日間はそんな風にのんびりと過した。金土日の3晩とも、夜更かしをして、そして酒を飲んだ。年末年始も、夜更かしをして、酒を飲むのだと思う。冬場に夜更かしをして酒を飲むとなると、どうしても卓上にカップ麺とかが登場してくるため(あの美味しさ、幸福感ったらなんなのだ)、これはどうしたって太るよな、と思う。太ったら太ったで、僕にも西郷隆盛のような人望が生じればいいのだが、たぶんきっと熊吉のほうだと思う。ただ太ってるだけの人になるのだと思う。
最終日の今日はクリスマスイブで、日中から夕餉の準備に邁進した。ポテトサラダを作り、手羽元に味を付け、そして子どもたちとともにケーキを作った。子どもたちはテンションが高めで、と言うよりも「3連休」じゃなく、もう金曜日に終業式を済ませた子どもたちは実は冬休みに突入しており、そのため終始ハイなのであり、せっかくのクリスマス準備なのに精神が持たず、うんざりする一幕もあった。「音量!」という注意を3連休の中で何度もした。音量の設定が、一定時間ですぐに最大に戻ってしまうというエラーが発生しているのだった。ケーキはクリスマスのわが家の定番である、6号の上に5号のスポンジを乗せた2段重ねの豪華版で、去年はこれを半分以上捨てることになったんだよなあ……、と去年の悪夢を思い出した。去年は、振り返ってみれば日中の時点でファルマンがだいぶグロッキーだったが、今年は幸いそんなこともなく(もっともインフルエンザではないが、今年は12月に入ってから家族内でまあまあの体調不良がずっと続いていた)、無事に手羽元は揚げ上がり、チルドのピザは焼き上がり、それらは全員で「おいしい」「おいしい」と胃に収めることができた。本当によかった。食事のあとは子どもたちのクリスマスソングの歌唱とめちゃくちゃなダンスがあり、それからケーキを食べた。美味しい。でもさすがに2段なので、子どもたちは食べきれてなかった。ファルマンも「さすがに多いね」と弱音を吐いていた。僕だけがサクッと食べた。ショートケーキ美味しい。しみじみと美味しい。「苺とクリームとスポンジっていうのは、マグロと酢飯よりも美味しいかもしれないね」とファルマンに言ったら、理解ができなかったのか眉間に皺を寄せていた。思わず口に出たのだが、たしかによく解らない発言だと思う。
さてこのあとは、例のあれだ。僕のブログの読者の9割は小学生なので、あまり精細には言えないけれど、クリスマスイブの親には、子どもが寝ついたあとに、ちょっとひとつ役割があるんでね、それをもうちょっとしたらやってやる必要があるのですわ。
そして明朝は出勤なので、たぶん枕元に届いたプレゼント(いったいいつの間に届くのだろう?)に対するリアクションは見られない。去年はそう言っていたら、朝ファルマンの具合があまりにも悪くて病院に行くことになり、とりあえず午前休にして、だから子どもたちがプレゼントで遊ぶさまをしっかりと眺めることができて、そしてそのあと怒涛のパンデミックへと突入したのだった。だから、サンタさんからのプレゼントのリアクションは、父親は見られないくらいがちょうどいいんだと思う。我ながらすごく深みのある言葉。戦地帰りは言葉の重みが違う。