誕生日を迎える。39歳になった。サンキュー!
本日は平日なので、昨日、敬老の日の19日にお祝いをしてもらった。毎年のように書いているが、誕生日が敬老の日と極めて近いというのは、生涯をかけて仕掛けるギャグのようだな、と思う。クリスマスと誕生日が近い子どものように、長生きできた場合の将来は、お祝いがひとまとめにされるに違いない。などと思いきや、われわれが年寄りになる頃には、年寄りを敬う習慣は完全に駆逐されていて、敬老の日なんてなくなっているかもしれない。なにぶんMD世代なので、そんな可能性もある。
敬老の日なので、この日に届くように注文した品物が、横浜の祖母のもとに無事に届いたようで、日中にお礼の電話があった。贈ったのは入浴剤。毎年あげるものが浮かばず、困った末に敬老の日ギフトの特設ページから佃煮のセットや和菓子のセットみたいなものを、仕方なく選んだりしていたが、今年は頭にパッと入浴剤のことが浮かんだので楽だった。これはすごくいい閃きだったな、と我ながら思っていたが、電話口の祖母の口ぶりも本当に喜んでくれている様子だったので安堵した。ただし「下手な食べ物なんかよりすごくいい!」という一言は余計だった。どうした、ここ数年、下手な食べ物を贈ってこられでもしたのかよ。
誕生日のお祝いだが、折しも猛烈な台風が九州から中国地方に直撃というタイミングで、気候も気圧も優れず、「世界も祝福してくれてる!」みたいな感動は一切ない日だった。出掛けることさえままならず、午前中に僕だけササっと買い出しに行った以外は、ずっと家で過した。家でなにをしていたかと言えば、ひたすらにショーツ作りに勤しんでいた。ショーツ作りって、今年に入ってから始めた趣味なのに、ショーツ作りをしていなかった時代の自分が休日をどう過していたのか、もう思い出せなくなりつつある。それくらい、この日に限らず、3連休を通して暇さえあればやっていた。hophophopに書いたが、初日にはピザを焼くということをしてみたのだけど、材料を機械に入れて作動スタートし、機械が生地をこねてくれている間も、ショーツ作りの作業をしていた。ああ俺は今、パンを作りながら、同時にパンツも作るという、稀有なことをしているな、と思った。「パン作ってる」と「パンツ喰ってる」のジョークがあるけれど、その世界観にだいぶ肉薄したのだった。
晩ごはんのメニューは手巻きずし。これまでいちおう盛り合わせみたいなものを買っていたのだが、今回からネギトロとサーモンのそれぞれパックだけを買うことにした。それでなんの問題もなかった。ハマチとか貝とか、結局みんなあんまり食べないんだよな。
子どもが恒例の誕生日ポスターを描いてくれた。こちらがピイガ。かわいい。左上から時計回りに、ファルマン・僕・ピイガ・ポルガ・ヒット君・ヒット君・ヒット君・クチバシ・モジャジャ・オオクチアホキリン・ひっとこちゃん・メロヘロ・バネリン・カンガルー(夏休みにピイガが僕に世話をされながらフェルトで作った)・みどご(ピイガの大好きな緑色のゴリラ)である。盛りだくさんで素晴らしい。
こちらはポルガ。「これ……なに? 誰たち?」と訊ねたら、「ポルガがいま書いているお話の登場人物だよ」という答えが返ってきて、え、あ、そうなんだ、と思った。「うまいでしょ」と賞賛の言葉を乞うてきたので、「え、その、誕生日おめでとう的なメッセージは?」と思わず問いかけてしまった。すると「ないよ」と平然と答える。相変わらずすごいな。思春期で素直に父親におめでとうって言えない、とかじゃない。本当にただ自分が描きたいものを描いたのだ。やー、さすがだ。
ごはんのあとはデザート。イチゴがまるでない時期につき、毎年微妙に困る僕の誕生日ケーキ。冷蔵庫にぶどう(シャインマスカット)はお裾分けされたものがけっこうあるのだが、ぶどうのケーキは素人には難しいだろう。かと言って今年はチョコレートケーキも気が乗らなかった。それでどうしたかと言えば、だいぶ思い切った。白玉クリームぜんざいにした。斬新な切り口だろう。誕生日ケーキって、甘いものであれば代替できるのかと言えば、そういうことでもない気もするのだが、でも今年はそうした。しかし悪くなかった。生まれて初めて白玉を作ったファルマンが、茹で上がった白玉を湯から取り上げて直接皿に盛ろうとしていたので衝撃を受けたが、ちゃんと冷やさせ、あんことアイスクリームをたっぷり添えて、食べた。おいしかった。
誕生日プレゼントは、いろいろ考えた末に、今後必要になる予定の棚をもらおうと思ったのだが、少々お値段が張るのと、現状はまだ必要ないのとで、年末あたりに、去年トレーニングベンチを買った、「今年一年がんばった自分へのご褒美」と合算して手に入れられればいいかな、ということで保留とした。虎視眈々としていることだな。
そんな39歳の誕生日の祝いだった。当日の今日は台風一過で、今日こそ世界は祝福してくれるかと思ったが、朝から風雨を浴びた車は汚く、下手に気温が下がったせいか職場の空調はうまく回らず空気は淀んでいて、さらには3連休で生活のリズムを崩した体は重く、なんだかあまり具合の良くない日だった。でもたぶん今日が底で、これから364日、調子は上がっていく一方だと思う。母から「三十代最後の一年を愉しんで」とメッセージが届いたが、三十代を惜しむもなにも、自分の中でまだ自分が三十代であることを処理できていないと言うか、受け入れられていない。なので今年は、自分が三十代であるという事実を受け入れるための1年間としよう。1年かけて、とろ火でじっくりと、自分にそのことを理解させられたらいいと思う。無理に決まってっけどな! へへん!