雪の勢いがどんどん増す、長い夜を過ごす。なぜ長いかと言えば、帰宅も早かったし、早寝をする必要もなかったからだ。出勤であったならば、道中のあれこれを想定し、どれほど早く家を出なければならなかったか。そんなことを思うにつけ、自分はこの夜をきちんと堪能しなければならないと思った。豚骨醤油ラーメンにビールという、偏愛する晩酌に、さらには冷凍の餃子まで付けた。そして満ち足りた気分で眠りに就いた。
起きたら窓の外は銀世界だった。なんでえ拍子抜けじゃねえか、これは午後から招集が掛かったりしやしないか、などということは一切なく、きちんと、休業はいい判断だったね、と言える度合で積もっていた。子どもたちは学校から、普段学校にいる時間帯は極力外出をしないよう、というお達しを受けていて、しかし窓から眺める、10センチ以上きちんと積もった雪は、なんとも柔らかそうに光っていて、心が千々に乱れている様子だった。聞けばお達しは、自宅の庭程度なら出てもよい、という注釈付きだそうで、集合住宅なので庭はないが、敷地内の駐車場は庭の範疇と言ってもいいだろうと判断し、車に積もった雪を落とすついでに、連れて出てやる。日が出ていたので眩しかった。久々のまとまった雪に子どもたちはテンションを上げて、玉を転がして作っていた。駐車場のアスファルトに積もった雪はきれいで、土で茶色く濁ったりしない、真っ白な巨大な玉が作られた。もうだいぶ大きくなり、転がすのもひと苦労となったあたりで、「そろそろ頭のほうを作ったらどうだ」と声を掛けたら、「頭なんて作らないよ。これはただの玉だから」という、信じられない答えが返ってきた。そんなパターンがこの世にあるのか。結局直径80センチほどもある巨大な一個の雪玉が完成し、駐車場に置いていたら他の住民の迷惑になりそうなので、自分のところの棟の一角まで運んだ。本当にただの巨大な玉なのだった。
そのあとは予定通りうどんを食べ、午後は縫製をして過した。前から試作したいと思っていたものを、いい機会だからと取り掛かり、作った。作ったものの、あまり期待していた良さを得ることはできず、これはあんまり作ってもしょうがない、ということを学べた試作、という感じだった。残念。
それが契機となったか、あるいは結果と言うべきなのか、日暮れ当たりの時間帯から、やけに気持ちが落ち込んで参った。なんでこんなに気持ちが下がったのかと考え、今日の行動範囲が自宅から駐車場までだからではないか、と思った。狭すぎる。さらには日中、同室でファルマンが仕事をしていたため、窓にカーテンが掛けられており、外界の光をあまり浴びなかった。ファルマンにとってはそれらはふたつとも日常のことらしいが、僕にはやけに応えた。スーパーへ買い物くらい行けばよかったな、と夜になって後悔した。
翌朝も雪は残っているため、いつもより早起きして出発時間を早めなければならない。そう思って、気分が優れなかったこともあり、早めに床に就く。そうしたらやはり眠りは浅く、嫌な夢をたくさん見た。インターフォンの音が鳴ったような気がして目が覚めて、時計を確認したら午前1時半だった。まさか実際に鳴ったわけではないだろうと思いつつ、さまざまな嫌な想像が頭をよぎった。午前中の、子どもたちが頭を作らなかった雪玉のことにも思いを馳せ、おそろしい気持ちになったりした。
翌日の今日は、大きい道に出るまでは、凍結した道がおそろしかったが、無事に職場に就き、フラットな気分で働けた。日中は日が出て、気温も昨日よりはだいぶ高まったようで、退勤の夕方には、雪はもうだいぶなくなっていた。