しかし自宅のすぐ横を通り過ぎて、おろち湯ったり館への道のりへと車を進めてしまえば、もうその億劫さからは解放されて、純粋に愉しみな気持ちだけになる。このときの気分の良さは、やはりおろち湯ったり館の持つパワーだろう。日も長くなって、道中はまだ明るかった。この分なら先週から再開した2階での外気浴も、はじめのうちは、すっかり陽が落ちてしまう前の、暮れなずんでゆくさまを愉しめることだろうとわくわくした。
無事に到着し、男湯は今回も木風呂のほう。サウナ室が大きいので、こちらのほうが嬉しい。いつもは最初にプールに行きがちなのだが、今日は日没のあわいを求めて、サウナから始めることにした。短縮営業の冬時間も終わり、混雑も緩和されたようで、人の入りはほどほどで、サウナ室の温度も高く保たれ、よく効いた。前回、真冬に来たとき、サウナの熱に包まれながら、鼻腔のあたりがほどけていくという、寒いとき人って鼻腔が縮こまるんだな、と実感する感触があったのだけど、前回よりはだいぶ気温の上がった今回も、淡くその感じがあった。顔の中心にある鼻腔がこうも物理的な感じで収縮するのだとしたら、人相というのも寒いときと暖かいときでだいぶ変化するのではないか、などと思った。サウナ室を出て、水風呂ののち、2階に上がって外気浴。ベンチで横になる。雲が猛スピードで移動するような、めまいまではぎりぎり行かない、アルコールを伴わない酩酊感のようなものが訪れる。これがいわゆる「ととのう」なのかどうかは知らないが、1杯目のビールと同じ、受け止めきるには身構えが必要な、もとい快楽の度合がオーバーして、逆にちょっと負担でさえあるというような、そんな感覚。それが純粋に快感なのかどうかは別として、日常生活では生じ得ない角度から、日常生活で溜まった澱が払拭される感じがある。億劫さをおして来た果以があった、やっぱりおろち湯ったり館は裏切らない、と1セット目のサウナで早くも満足した。そのあと何セットか繰り返し、陽はすっかり沈んで、頃合を見計らってプールにも行ってひとしきり泳ぎ、しっかりと堪能した。今回もいいおろち湯ったり館だった。
今回の客層の特徴として、珍しく若者のグループが多かった。脱衣所で彼らの会話が耳に入ったのだが、「おろち湯ったり館、すげえよかった」という話をしていて、「「ゆらり」はアレだし、温泉津もナンだし」みたいなことを言っていて、なんだよこいつら、愉しそうだな、と思った。「サウナイキタイ」のユーザー同士の絡みは、AMラジオ感があってものすごく嫌いなのだけど、でも実際にこうして仲間グループでサウナに来ている人たちを見ると、愉しいんだろーな! ずっちーな! という気持ちにさせられる。とても久しぶりに、友達が欲しい気持ちがむくむくと膨らんできそうになった。やはり友達というのは、裂傷部分、欠損部分に入り込む細菌なのだな、と改めて思った。
帰宅して、休日前の夜を愉しむ。平日はきちんと休肝したので、3日ぶりの酒だ。「秋山歌謡祭2024」や、昨日観られなかった「不適切にもほどがある!」など観ながら、ビールや赤ワインを飲む。白ワインから始め、赤ワインにも手を出し、そして最近はすっかり赤ばかり飲むようになった。白に較べて赤はエグい、と最初は思っていたのだけど、飲むようになったら、白のほうがむしろエグいと感じるようになった。なんとなくこの感覚は通っぽいような気がする。「そう? 白のほうがむしろエグいと思うけどな」みたいな。そして赤ワインに合わせて、肴はチーズだったりする。チーズに赤ワイン! パピロウ変わったね!
翌日の今日は、特に予定もなく、のんびり。午前中はドラクエ11を進める。世界崩壊後、ドラクエ4ばりの、仲間キャラそれぞれの物語のようなものが展開されていたが、今日でやっと主人公(ちなみに名前はパッピローニ)に話が戻った。ここから仲間との再会が描かれてゆくのだろうな。長いな。
午後は久しぶりにキララ多伎のほうに行って、海を見たりした。肌寒い曇り空の日本海。これが季語でいうところの「春の海」だな、としみじみと思った。しみじみと思ったが、なにも句は思い浮かばなかった。しみじみと思ったが なにも句は思い浮かばなかった 春の海(字余り)。
晩ごはんは鶏もも肉のステーキと、新じゃがのフライドポテト、マッシュルームの卵スープ。お前それ赤ワインを飲むためのメニューじゃねえか、という感じだが、そう言えば夕食時は飲まなかったな。ワインを飲むと、そこでもう夜が終わる感じがあるから、夕飯時にはちょっと飲みづらいのだ。このあと「光る君へ」を観ながら飲もうと思う。