梅雨入り週末

 中国地方、ようやくの梅雨入りである。遅い。そして満を持しただけあって、紛うことなく梅雨である。梅雨入り前と梅雨入り後が、マーブル状に入り交じるということは一切なく、21日の金曜日の開始時点からきっぱりと梅雨だった。それくらい空気が違った。重みが違う。戦中派と戦後生まれの発言くらい重みが違った。
 土曜日も雨が強く、いつものスーパー巡りのほかは、どこへも出掛けなかった。正確には、夕方にひとりプールに行こうとしたが、なんと駐車場が満車で、車内から眺めたエントランスは人で溢れていたため、すごすごと諦めてそのまま帰った。みんな、雨だから屋内プールくらいしかないな、という発想であろうか。まあ蒸し暑いしな。泳げなかったのは残念だったが、通っているプールが繁盛するのは大事なことだな、などと思った。なんと心が広いのか。
 それ以外は家でなにをしていたかと言えば、まあ裁縫をしていた。先日、Yahoo!フリマに出品している水着が初めて売れて、気を良くして売上金をだいぶ上回る金額の新しい生地を仕入れたので、それで水着を作っていた。まとめて裁断し、ひと工程ずつをいっぺんにやっているので、1日かけて完成品はまだひとつもない。水着はまだ1枚しか売れていなくて、もしかしたらちょっと売値が高いのかもしれないと思い始めているが、しかしこうして製作に取り掛って、作業量のことを思えば、まあ順当なところだろ、などとも思う。
 あとそれ以外に、ファルマンに服作りを懇願されたので、そちらにも取り掛かっている。服を買ったりするのが嫌すぎて、作ってほしいと言うのである。生地代や作業報酬を足せば、ファストファッションの服などはぜんぜん買えるような金額になるのだが、それでもいいから、選んで買うという手間を省きたいらしい。もしかして妻は前世、深窓の令嬢だったのかもしれない。こちらにとっても悪い話ではないので受け入れた。ブラウス2枚、ワンピース1枚を作る予定。
 晩ごはんは野菜たっぷりのスパゲッティと、あととうもろこし。とうもろこしを、丸ごとラップに包んでレンジにかけたもの。今年初で、おいしかったし嬉しかった。家族がとうもろこしにかぶりついている食卓の風景は愛しい。
 日曜日もだいたい同じような感じに過す。ファルマンのブラウスは最初の1枚がほぼ出来上がるが、ちょうどいいボタンがないことが判明し、その仕入れ待ちという状況。ちなみに水着はまだ完成しない。午後に念願のプールにありつく。賑わっていたが、入ってしまえばストイックに泳ぐコースにはあまり関係がない。久しぶりに800mも泳いだら、ヘトヘトになってしまった。晩ごはんは餃子を作った。僕の餃子のおいしさの安定感はすごい。そこまで特別なことをしているわけではないのに、いつも異様においしい。もう僕がおいしい餃子を希求するフェーズを抜けて、餃子陣営が僕のほうに寄ってきているのだと思う。それくらいおいしい。しかしおいしくて食べすぎた。プールでは泳ぎすぎるし、餃子は食べすぎる。わんぱくな日曜日だった。
 夏との折り合いは先週よりもだいぶついてきたように思う。

夏との折り合いと父の日のおくび

 先週の日曜日、これは梅雨に入ったな、ということを呟いたが、蓋を開けてみればぜんぜん雨の降らない1週間であった。気象庁的にも中国地方はまだ梅雨入りの宣言が出されていないようである。しかし降雨こそないが、どうにも湿り気のある暑さで、体がしみじみと重い。30℃になんなんとする気温に、まだ体が対応できていないというのもあるだろう。労働を終えて、帰宅し、晩ごはんを食べたら、あとはもうひたすら眠だるい、という日々だった。夏はこれから3ヶ月あまり続き、さすがにずっとこんな調子ということはないはずだ。どこかでこの暑さと折り合いをつけるときが必ず来る。なるべく早く来ればいいと思う。
 土曜日は毎週定番の買い出しに出る。生鮮食品のほか、ボディーソープを買った。選んだのはにおい対策を謳ったもの。これも夏の出だし特有の現象だろうが、1日かけてじっとりと醸成された汗などのにおいが、夕方ごろにはひどいことになっているような自覚があり、それはとてもテンションが下がることなので、速やかに打開したいと思った。
 晩ごはんはお好み焼きにする。ちなみにだが、今週は父の日ということで、去年のそれを確認しようと思って当該記事を読んだら、なんと1年前のこの土曜日の夜も、僕はお好み焼きをやっていた。先週のゴールデンユートピアおおちに続き、なんか空恐ろしくなった。たぶん去年の僕も、このむしむしとした気候に際し、あまりゴテゴテしたものは食べる気にならないし、かと言ってあまりにもさっぱりし過ぎたものも力が出なそうだしと逡巡した結果、キャベツたっぷりのお好み焼きへと思考が帰着したんだろう。分かるよ。
 今週は、ポルガが試験前で部活がないので、2日とも朝がのんびりだった。そして朝はまださすがに涼しいので、眠りの質は悪くない。平日はどうしても睡眠量に不満があるので(もっと早く布団に入ればいいのだが、起きていたい気持ちもあるわけで、なかなか難しい)、休日は思う存分に二度寝三度寝してやろうと意気込んでいたのだが、いざ休日を迎えてみれば、なぜかそこまで眠れないのだった。平日の朝の、既定の時刻に起きなければならない恨めしさの分だけ、休日にその鬱憤が解消されればいいのに、意外と「もういいかな」という感じで目が覚めてしまう。生きるのが下手なのだろうか。
 明けた日曜日も、買い出し以外は特に出掛けることはせず、ファルマンと子どもたちは昼間に実家へ行き、三姉妹からの父の日のプレゼントの贈呈などをしていたが、僕は参加せず、家でのんびりと過した。なんだか今週末は本当にぼんやりとしてしまったな。
 晩ごはんは、スーパーで買った鮨。ちなみに去年は手巻きずしをしていた。鮨はもちろん美味しく、充足感があった。まだ残っているので、このあと「光る君へ」を観ながら、酒を飲みつつ、つまもうと思う。いい時間だな。
 ちなみにわが家の父の日らしいムーブとしては、ピイガとファルマンとで、プリンを作ってくれた。うん、と思う。父の日でプリンと言うが、ほぼ同一サイズの容器に7つ作製し、3つを実家に持っていき、わが家で4つを食べたので、こう言ってはなんだが、ぜんぜん特別扱いされていない。そのことに少しだけ、釈然としないものを感じている。まあそんなこと、おくびにも出しませんけどね。おくびにもね。

ファルマンの運転とふたつの耳すま

 ポルガの部活がない土曜日だったので、普段より多少色を付けたお出掛けをしたいと考えた結果、ゴールデンユートピアおおちへと繰り出すことにした。去年行ったときはウォータースライダーが貸し切りだったのだよな、いつ頃だったろう、今よりももうちょっと夏の気配が遠い、5月下旬くらいのことだったかしら、などと思いながら自分の日記をあたったら、6月10日のことだった。虎舞竜の「ロード」並みに、ちょうど1年前なのだった。ちなみにその日の日記も、「土曜日はポルガの部活がなかったので、」という書き出しで始まっていて、なんか人の営みというものは、田んぼに水が張られると蛙の合唱が始まるというのと同じくらい、実はシステマティックなのかもしれないと思った。
 目的地までは、途中に無料の高速道路も含んだ1時間弱の道のりなのだけど、今回はこの運転をファルマンにしてもらうことにした。わが家には車が2台あるわけだが、普段ファルマンは専ら軽ばかりを使っていて、フリードを前に運転したのは、鳥取旅行の帰りに本当に少しだけ運転を代わったという、数年前のそれが唯一なのだった。しかし今後、ファルマンがフリードを運転する必要に迫られる場面もあるやもしれないので、どこかで練習をしておきたいね、ということを前から少し話していた。それを今回、実行することにした次第である。先日ドライブレコーダーを設置したことも、この練習をするにあたっての援助となった(ただし逆にとんでもない過失が記録される恐れもあるわけだが)。
 結果的にこの首尾はどうだったかと言えば、ひたすら軽だったとは言え、やはり当時から2年以上の経験を積んだことで、鳥取旅行の帰りのときほどどうしようもない感じではなくなっていて、最初こそ「これセンターラインはみ出してない?」みたいな、車体感覚が掴めていないがゆえの恐怖はあったが、それもしばらく運転していたら整った。高速道路では、軽にはない自動運転機能を作動させる、その作動のための操作を実習する予定だったが、「まずハンドルの右にあるそのボタン」とこちらが言っても、「ハンドルなんか見られん」と、前方から一瞬も目を逸らさないので(正しいことではあるのだけど)、結局機能を作動させることはできなかった。あと高速の出口では、普通に反対車線に出そうになったので、とてもおそろしかった。「曲がった先に車線がふたつあると、自分が走るのが右か左か分からなくなる」と言っていて、なんでだ、日本からいちども出たことがないくせになんでだよ、と思った。とまあスリリングな要素はあるのだけれど、とりあえずいざとなればファルマンもフリードを運転できないことはない、ということが確認できたのはよかった。
 到着したゴールデンユートピアおおちは、相変わらずの非日常空間で、ウォータースライダーも貸し切りでこそなかったが、家族が数組だったので、順番待ちで並ぶということもせず、あのグループがやっているときはこっちは普通のプールで遊び、空いたら次の時間帯はわれわれがひとしきり占有する、みたいな感じで、ストレスなく平和に遊ぶことができた。やっぱりわざわざ行く価値のある、なかなかいい施設なのだった。
 帰りは僕が運転した。ファルマンが行きの運転でグロッキーだったというのもあるが、助手席というのはとにかく退屈なものだということを、久しぶりに長い時間自分が運転しない車に乗っていて感じたのだった。だからまあ本当に、いざってときだな。
 帰宅後はプールあとの気怠さもあって、各自ぬるぬると過した。夜になって、近ごろ週末のテレビがぜんぜんおもしろいものをやっていないので、もういっそのこと映画を観ようという話になり、そうなってくるとわれわれの場合どうしたってジブリで、じゃあジブリのなにを観ようかという議論の結果、「耳をすませば」ということになった。人生何度目か知れない「耳をすませば」。観始める前は、実は少し怖かった。もしも「耳をすませば」を観て、ぜんぜん思春期のキャラクターにときめけなくなっていたらどうしよう、と思ったのだ。しかし杞憂だった。ぜんぜん無理することなく、ときめけた。自分の子どもが中学生になってもなんの問題もなくときめけるのならば、もう一生大丈夫なのかもしれない、と安心した。願わくは死の床でもこの映画を観て、ときめきにとどめを刺されて、キュン肺停止のキュン不全で昇天したいものだと思った。
 そんな感動の夜だったので、翌日の今日、昨日の余韻が残っているうちに、2年前に上映された実写版の「耳をすませば」を観てみようじゃないか、ということになった。上映当時から存在はもちろん気になっていて、機会があれば観たいと思っていた。それが先ごろからプライムビデオに追加され、そして土曜日にジブリ版を観たとなっては、この日曜日に観る以外ない。というわけでおやつのあと、晩ごはんまでの時間帯で、ファルマンと観た。感想は、なんとも言い難い。純然たる疑問として、どうして作ったの? ということを思った。いろんな意味で、どういう意図で作られることになった映画なのか、さっぱり分からなかった。今後のジブリ版との付き合いのため、この観賞はなかったことにしようと思った。
 そんな感じの週末だった。土曜日の夕方から降り始めた雨は、今日一日ずるずると降ったり止んだりを繰り返していて、これはあれだな、梅雨だな、と思った。