プロペ家の2018年の冬

 冬の休日のレジャーとして、カラオケに行く。本当に家族とばかり過す。
 唄ったのは、「マルス2015年」(スチーブン・トート)、「I'm proud」(華原朋美)、「バレッタ」(乃木坂46)、「センチメンタル・ジャーニー」(松本伊代)、「BE TOGETHER」(鈴木亜美)、「学園天国」(フィンガー5)、「Can't Stop Fallin' in Love」(globe)、「SWEET 19 BLUES」(安室奈美恵)、「I BELIEVE」(華原朋美)というラインナップ。どういうことかと言えば、もちろん小室哲哉引退記念である。華原朋美とか、果たして唄い切れるのかと不安だったが、それなりになんとかなった。朗々と気持ちよく唄える昭和ソングもいいけれど、ふだん絶対に出さないような高い声を精いっぱい出して唄うのもまた別の気持ちよさがあって、これぞカラオケの醍醐味だな、と思った。今後もうちょっと聴き込み、「I'm proud」とか持ち歌にできたらいい。あと唄ってみて初めて気づいたが、「BE TOGETHER」は、唄い手の歌唱力を勘案してのことだろうが、ちゃんと唄う部分というのが、歌の中にほとんどないのだった。タイトルの「BE TOGETHER」はコーラスの人が言ってくれて、本人はそのあとに「今夜は~」とか「朝まで~」とかちょっと言うだけ。気づいてなかった。唄っていてぜんぜん愉しくなかった。小室さすがだな。今回はファルマンも小室を何曲か唄い、globeの際には互いにマーク・パンサー担当を請け負う、ということをした。ファルマンは「DEPARTURES」だったので僕はわりと楽だったのだが、僕の「Can't Stop Fallin' in Love」はマーク・パンサーパートがわりと長く、迷惑をかけた。ファルマンは、ポルガが「モアナと伝説の海」の歌を唄う際は、夏木マリ演じるタラおばあちゃんのパートを課されたり、芸達者ゆえに大変そうだ。子どもたちもディズニーソングや童謡を愉しそうに唄っていた。普段があまりにも放埓な大声なので、マイクを持って音楽に合わせて唄おうとすると、むしろ声が小さくなるという現象が起きていた。家でもマイクを持たせようかな。そう言えばドラえもんの道具に、大きな声ほど小さく聞こえるようになるマイクというのがあって、ジャイアンにリサイタルの際に使わせていたな。
 カラオケのあとは図書館といういつものパターン。先週に図書館に行きそびれたので、子どもたちの読む本が欠乏していたのだが、実は昨日も行った別の図書館と合わせ、たんまり補充することができた。一家で、図書館をふたつ巡ると、なんか合計で100冊くらい仕入れる。考えてみたらずいぶんな量だと思う。駐車場で、雪まじりの小雨に降られた。岡山南部なので積もりはしないが、今年は何度も雪が舞った。きちんと寒い冬だった。
 午後は家でのんびりと過した。子どもらがふたりで遊んでくれて、両親はダラダラとパソコンなど、なんてことが、だんだん頻度が高く実現するようになってきた。素晴らしいことだ。晩ごはんはチルドの餃子と中華スープ。スープに手作りの煮豚を刻んで入れたら、とても美味しかった。キムチの素とごはんを入れて啜ったら、世界一おいしい感じがした。いい休日だった。

ポルガ7歳

 1月22日はポルガの誕生日ということで、その前日の日曜日、21日にお祝いをした。
 この日に対して並々ならぬ思いを抱いていたのは、もちろん祝われる側のポルガで、それ自体は真っ当なことであるような気がするが、しかしその思いがあまりにも強く、祝う側の人間を疲弊させた。哀しいことである。でも考えてみたら難しいものだと思う。だってクリスマスとかじゃなくて、年にいちど、自分だけが主役の誕生日なのだ。それはどこまでも盛大に祝われたいに決まっている。しかし往々にして、祝う側はそこまでの熱情を持ってその日に臨まない。もちろん親なので、娘の誕生日をめでたく思う気持ちは大きいし、ポルガ本人にも喜んでもらいたいと思っているが、その気持ちの強さはどうしたって本人のそれには敵わない。ここに悲劇がある。これは、特に子ども時代において、誰もが共通して通過することなのだろうか。少なくともポルガの両親である僕とファルマンは、どちらも子ども時代の自分の誕生日に、「誕生日だからってなんでも許されるわけじゃない」と親から叱られた経験がある。そんな両親から生まれた子どもが、自分の誕生日祝いの日に、度を超えないはずがない。なんかもう、ポルガは一日中バチバチとしたものを放電していて、周囲の人間はそれにすっかりあてられた。
 そもそも僕は体調があまりよくなかった。胃か腸か判らないが、なにか慣れない不快感があった。吐き気も下痢もないのだが、なんか体内の消化器系が調子を崩しているな、という感じ。しかし昼ごはんは回転鮨屋に行くという約束があったので、予定の変更などできようもなく、赴く。行ったら行ったで僕もだんだん調子がよくなり(外気に触れたのもよかったのかもしれない)、それなりに鮨をぱくついた。もっとも最近は家族で回転鮨屋に行っても、僕だけ店ではろくに食べず、持ち帰りの算段ばかりしている。やっぱりどうしたって鮨にはアルコールが必要なのだった。
 家に帰って、ケーキ作りを始める。今年もヒットくんの形をしたドーム型である。消化器系の不快感は依然として不定期に訪れ、ケーキと体調不良という組み合わせに昨年末の情景が想起され、ぞっとした。
 ケーキの目処がついたところで、プレゼントの贈呈をする。祝いの席で贈らないのは、今年のプレゼントが「人生ゲーム」だからだ。とうとうわが家にも人生ゲームがやってきた。またこういう小物が多い系のおもちゃが増えたか、という諦観も抱きつつ、早速プレイしてみることに。僕もファルマンももちろん子ども時代に家にあって、やっていたので、デザインの変わらないお札とかに色めき立った。ゲームそのものもさすがに愉しかった。ちなみに結果は、僕とピイガの合同チームが1位、ファルマンが2位、本日の主役がビリだった。接待しないのな。
 夕方になり、たこ焼きを始める。これも去年から変わらず、ポルガの誕生日祝いのメニューは、ポルガの大好物(と本人がするところの)たこ焼きなのである。ところでポルガが頻繁に所望するため、誕生日と言わず年に何度か作るけれど、回数を重ねれば重ねるほど、たこ焼きなんてそんなに食べたいもんじゃねえな、という気持ちが高まってきている。これまで紅しょうが、えびせん、だし汁と、さまざまな工夫をして愉しもうと努力してきたが、やっぱりいよいよそんなに食べたくない。重たいばかりで、そこまでおいしいものではないと思う。
 一陣目が焼き上がったところで、引っ越しが間近に迫る三女がやってくる。先週の引っ越し手伝いの際に誘い、本当に来てくれたのだった。三女はこの前夜、職場の同僚たちが開いてくれたという送別会だったそうで、そのときにもらったというスヌーピーのパーカーを着ていた。たぶん三女は今回の職場で2年程度しか働いていないのだが、それだのに送別会が開催されたということに、ずしりとしたショックを受けた。僕は今の職場で働いて、この春で丸4年になるけれど、それでもたとえ辞めたところで送別会など開かれないと思う。この差は一体なんだろうと思った。火の属性のキャラクターが火の近くに行くとその火の勢いが増すという現象のように、三女や義兄の身体からはなんかしらの人付き合いを強める成分が出ていて、それが周囲の人々を友好的な心情にするのではないかと思った。だとすれば彼らはなんと尊い人間だろうか。そして僕からはその真逆の成分が出ている。仮に僕が三女の職場に就職し、三女が僕の職場に入っていたら、僕の職場の人々は三女の送別会を開き、三女の職場の人々は僕の送別会などしない(僕に限らず、送別会とかそういうのをしないタイプの職場になる)のだろうと思う。僕の身体からは、人付き合いの火を消す成分が出ている。なんか中二病みたいな感じになった。みんな俺の周りから離れろっ!
 たこ焼きを食べ、ケーキを食べ、娘たちがテンション高く踊ったり唄ったりするさまを眺めていて、いよいよ意識が保ちづらくなる。ここでギブアップ。ファルマンと子どもたちが風呂に入ったタイミングで、お客さんの相手も放棄し、ベッドで仮眠することに。40分ほど寝て、ほどほどに回復する。こうも疲弊したのは、なんとなく身体の具合がよくなかったせいももちろんあるが、とにかく子どもがうるさいのが原因だろうと思う。うるさいというのは、生意気だとか口数が多いとか、そういうことじゃなく、単純に音量が大きいのだ。ふたりとも。体育館の端にいる人に話しかけるような音量で、すぐ耳元で喋るのだ。あれにやられる。平日は接触時間の少なさに救われているそれが、休日ではそうもいかず、そしてヘトヘトになる。なんだか本当に疲れた。夜はブログも書かず、漫画を読みながら鮨をつまみ、酒を飲んだ。鮨がおいしく食べられるのだから消化器系の不調も大したことない。
 全体的にうんざり感が横溢する文章になってしまったが、ポルガの7歳祝いである。それは本当にめでたい。めでたいんだが、もうちょっと落ち着いてほしい。まだか。まだだわな。

梱包ハイ

 これまで岡山でひとりで暮していたファルマンの下の妹(三女)が、このたび島根の実家に帰還することとなり、今日はその引っ越し準備の手伝いに赴いた。
 三女の住まいは我が家から車で30分ほど、鉄道で言えば5駅の距離にあり、今となってはもっと密に絡んでもよかったような気もするが、ほどほどに近くに住んでいたらそれはそれであまり接触しないものらしく、3年あまりの三女の岡山生活の中で、向こうの住まいにお邪魔したのは今日を入れて5回程度だった。
 以前、我々が島根、三女が香川に住んでいた時期にも、三女の香川県内での引っ越し作業というものを手伝ったことがあり、その際は本当に引っ越しが決行されるタイミングで、その前日の大詰めの作業から行なったのだった。そのときは、前日でありながらあまりの「日常の生活が送れてる」具合に頭がクラクラし、なんとか間に合わせるためにくたくたになったものだが、今回に関しては実際の引っ越しの2週間あまりも前での手伝いのため、気が楽だった。しかしかつて前日にあんな有様を見せた三女は、もしかしたら2週間前の段階で段ボールの手配さえできていないのではないかと危惧したが、さすがにそんなことはなく、玄関を入ってすぐの廊下に、パンダのキャラクターが印刷された段ボールの束が鎮座していた(受け取った状態で鎮座しているだけではあった)。
 というわけで梱包を始める。ファルマンが張り切っていた。ファルマンは現在の我々の住まいで、実家以来ずいぶん久しぶりにひとつ所に2年以上住んだ、というほどの引っ越しジャンキーであり、近ごろなど悪い虫が騒ぎ出し、引っ越し欲求が高まっていたところだったので、この梱包作業でいくらかはその衝動が収まってくれたのではないかと思う。
 僕は立場上、あまりプライベートな小物を梱包していく作業はどうなんだという気がしたので、動きあぐね、三女になにをすればいいか訊ねたところ、押入れに入れてある冬用タイヤを駐車場に降ろすだとか、ソファーを集積場まで運ぶとか、力仕事を求められたので、そんなことってあるのか、まだこの世に僕に力仕事を頼む人間が生き残っていたのか、と思った。でもがんばってやった。やったあとは予想通りそれだけで疲弊し、あとはほとんどコタツに入ってテレビを観たり、三女の住まいに来るのはきっとこれが最後になるので(引っ越しは平日に行なわれるため参加しない)、思い出として写真を撮ったり、作業において邪魔でしかない子どもたちを連れ出して近所の公園に遊びに行ったり(粉雪が舞うほどに寒かった)、そんな風にして過した。
 その間にファルマンはバカスカと段ボールを作っていた。引っ越しまではまだ2週間もあるのに、家にあるほとんどのタオルを箱に詰めてしまうくらい、見境をなくしていた。引っ越し梱包ハイ。普段の生活で、ファルマンほどの面倒くさがりはいないと僕は常々感じているのだが、こういうときのパッションを希釈して日常生活のほうに回すことはできないのだろうかと思う。まあできるはずもないのだけど。
 昼過ぎから夕方まで滞在し、そんなわけでそれなりに働いた。もっとも話を聞けば、なんのことはない、引っ越しまで2週間あまりあるのに対し、三女のこちらでの勤めはあと数日で終わるのだそうで(いいなあ!)、本人がいくらでも作業できるのである。まあそうなったらそうなったで意外と作業は遅々としてと進まない(というよりも直前までやる気にならない)、というのも自明の理なので、こうして梱包ハイの長姉一家が訪れ、まだわりと必要だったものまで箱に詰められるくらいの嵐に見舞われたのは、三女にとってよかったに違いない、と勝手に結論づけた。慣れない力仕事をして大いに疲れた。