この日に対して並々ならぬ思いを抱いていたのは、もちろん祝われる側のポルガで、それ自体は真っ当なことであるような気がするが、しかしその思いがあまりにも強く、祝う側の人間を疲弊させた。哀しいことである。でも考えてみたら難しいものだと思う。だってクリスマスとかじゃなくて、年にいちど、自分だけが主役の誕生日なのだ。それはどこまでも盛大に祝われたいに決まっている。しかし往々にして、祝う側はそこまでの熱情を持ってその日に臨まない。もちろん親なので、娘の誕生日をめでたく思う気持ちは大きいし、ポルガ本人にも喜んでもらいたいと思っているが、その気持ちの強さはどうしたって本人のそれには敵わない。ここに悲劇がある。これは、特に子ども時代において、誰もが共通して通過することなのだろうか。少なくともポルガの両親である僕とファルマンは、どちらも子ども時代の自分の誕生日に、「誕生日だからってなんでも許されるわけじゃない」と親から叱られた経験がある。そんな両親から生まれた子どもが、自分の誕生日祝いの日に、度を超えないはずがない。なんかもう、ポルガは一日中バチバチとしたものを放電していて、周囲の人間はそれにすっかりあてられた。
そもそも僕は体調があまりよくなかった。胃か腸か判らないが、なにか慣れない不快感があった。吐き気も下痢もないのだが、なんか体内の消化器系が調子を崩しているな、という感じ。しかし昼ごはんは回転鮨屋に行くという約束があったので、予定の変更などできようもなく、赴く。行ったら行ったで僕もだんだん調子がよくなり(外気に触れたのもよかったのかもしれない)、それなりに鮨をぱくついた。もっとも最近は家族で回転鮨屋に行っても、僕だけ店ではろくに食べず、持ち帰りの算段ばかりしている。やっぱりどうしたって鮨にはアルコールが必要なのだった。
家に帰って、ケーキ作りを始める。今年もヒットくんの形をしたドーム型である。消化器系の不快感は依然として不定期に訪れ、ケーキと体調不良という組み合わせに昨年末の情景が想起され、ぞっとした。
ケーキの目処がついたところで、プレゼントの贈呈をする。祝いの席で贈らないのは、今年のプレゼントが「人生ゲーム」だからだ。とうとうわが家にも人生ゲームがやってきた。またこういう小物が多い系のおもちゃが増えたか、という諦観も抱きつつ、早速プレイしてみることに。僕もファルマンももちろん子ども時代に家にあって、やっていたので、デザインの変わらないお札とかに色めき立った。ゲームそのものもさすがに愉しかった。ちなみに結果は、僕とピイガの合同チームが1位、ファルマンが2位、本日の主役がビリだった。接待しないのな。
夕方になり、たこ焼きを始める。これも去年から変わらず、ポルガの誕生日祝いのメニューは、ポルガの大好物(と本人がするところの)たこ焼きなのである。ところでポルガが頻繁に所望するため、誕生日と言わず年に何度か作るけれど、回数を重ねれば重ねるほど、たこ焼きなんてそんなに食べたいもんじゃねえな、という気持ちが高まってきている。これまで紅しょうが、えびせん、だし汁と、さまざまな工夫をして愉しもうと努力してきたが、やっぱりいよいよそんなに食べたくない。重たいばかりで、そこまでおいしいものではないと思う。
一陣目が焼き上がったところで、引っ越しが間近に迫る三女がやってくる。先週の引っ越し手伝いの際に誘い、本当に来てくれたのだった。三女はこの前夜、職場の同僚たちが開いてくれたという送別会だったそうで、そのときにもらったというスヌーピーのパーカーを着ていた。たぶん三女は今回の職場で2年程度しか働いていないのだが、それだのに送別会が開催されたということに、ずしりとしたショックを受けた。僕は今の職場で働いて、この春で丸4年になるけれど、それでもたとえ辞めたところで送別会など開かれないと思う。この差は一体なんだろうと思った。火の属性のキャラクターが火の近くに行くとその火の勢いが増すという現象のように、三女や義兄の身体からはなんかしらの人付き合いを強める成分が出ていて、それが周囲の人々を友好的な心情にするのではないかと思った。だとすれば彼らはなんと尊い人間だろうか。そして僕からはその真逆の成分が出ている。仮に僕が三女の職場に就職し、三女が僕の職場に入っていたら、僕の職場の人々は三女の送別会を開き、三女の職場の人々は僕の送別会などしない(僕に限らず、送別会とかそういうのをしないタイプの職場になる)のだろうと思う。僕の身体からは、人付き合いの火を消す成分が出ている。なんか中二病みたいな感じになった。みんな俺の周りから離れろっ!
たこ焼きを食べ、ケーキを食べ、娘たちがテンション高く踊ったり唄ったりするさまを眺めていて、いよいよ意識が保ちづらくなる。ここでギブアップ。ファルマンと子どもたちが風呂に入ったタイミングで、お客さんの相手も放棄し、ベッドで仮眠することに。40分ほど寝て、ほどほどに回復する。こうも疲弊したのは、なんとなく身体の具合がよくなかったせいももちろんあるが、とにかく子どもがうるさいのが原因だろうと思う。うるさいというのは、生意気だとか口数が多いとか、そういうことじゃなく、単純に音量が大きいのだ。ふたりとも。体育館の端にいる人に話しかけるような音量で、すぐ耳元で喋るのだ。あれにやられる。平日は接触時間の少なさに救われているそれが、休日ではそうもいかず、そしてヘトヘトになる。なんだか本当に疲れた。夜はブログも書かず、漫画を読みながら鮨をつまみ、酒を飲んだ。鮨がおいしく食べられるのだから消化器系の不調も大したことない。
全体的にうんざり感が横溢する文章になってしまったが、ポルガの7歳祝いである。それは本当にめでたい。めでたいんだが、もうちょっと落ち着いてほしい。まだか。まだだわな。