今年初めてのカラオケに行く。なんとなくカラオケ熱が下がっているのだった。たぶん行きすぎたのだと思う。メンバーも家族で固定だし、子どもたちは毎回おなじ歌を唄うし、僕とファルマンも唄いたい曲は大体もう唄ってしまった。完全に停滞期だな。
唄った曲は以下の通り。
1曲目、加藤登紀子「知床旅情」。MAXは、前回の「TORATORATORA」で歌い尽くしてしまったので、その定番ギャグはきっぱりと捨てた。そして加藤登紀子。MAXからの急転直下の渋さ。作詞作曲は森繁久彌。
2曲目、梓みちよ「二人でお酒を」。追悼歌唱。梓みちよの訃報を聞いたとき、あまり知らない人だなあと思ったのだけど、追悼歌唱のためになにか唄える曲はないかと検索したら、ぜんぜん知ってた。この歌の人だったのか。追悼歌唱といえば、野村克也も数日前に亡くなって、この人が佐知代夫人へ捧ぐ歌(「女房よ……」というらしい)とかを唄っていたのは知っていたので、ファルマンもいることだしそれも唄おうかとも思っていたのだが、準備が整わずに唄えなかった。残念だ。
3曲目、槇原敬之「どんなときも。」こちらは時事歌唱。カラオケのたびに、亡くなった人と事件を起した人(特にクスリ関係)の歌を唄っている気がするな。ところで近ごろ薬物で捕まった有名芸能人の頭文字が、沢尻、槇原、ASKA、ピエールで、SMAPになる、という非常にどうでもいい話題があるが、そう考えたとき僕は電気グルーヴの歌だけはカラオケで唄わなかったな、と思った。もっともカラオケで唄うような曲じゃないんだろう、たぶん。聴いたことがそもそもないけど。
4曲目、欅坂46「手を繋いで帰ろうか」。これも時事歌唱ということになるか。平手友梨奈の脱退はもちろん大いにショックだ。ショックだけど、当然の帰結のような感じもする。僕はこういう明るい歌をもっと唄ってほしかった。アイドルの女の子に、鬱屈や葛藤みたいなものは、ぜんぜん求めていない。更衣室で、ユッコがメグの胸を揉むような、そんな集団であればそれでいいのだ。
5曲目、氷川きよし「大丈夫」。年末年始の帰省の日記内で、紅白の感想としても触れたが、最近の氷川きよしは本当にいい。眺めているととても満ち足りた気持ちになる。さらに本人による解脱のこのタイミングでこの歌、というのが最高にいい。手拍子もちゃんとやった。ファルマンもいちおうやってくれていた。
6曲目、宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」。先日やっていた大型歌番組で、とにかくCDがたくさん売れた順にランキングして紹介、というのをやっていて、3位が「世界にひとつだけの花」(マッキー!)、2位がこれ、1位が「およげ! たいやきくん」だった。なので唄った。1972年発売ということで、当時の風潮はよく判らない。300万枚以上も売れたらしい。この歌がなぜなのだろう、とも思うが、「だんご3兄弟」のヒットは目の当たりにしたし、なんかまあ、そういうことってあるんだろうな、とも思う。カラオケ映像で、宮史郎がハンサム俳優みたいな扱いのドラマが流れて、ファルマンが爆笑していた。どこまで本当で、どこまでギャグなのか、後世の人間にはさっぱり判らない。
7曲目、子門真人「およげ! たいやきくん」。というわけで1位も唄う。「女のみち」よりは、いちおう価値が見出せる感じはある。それにしたって450万枚って、とは思う。ある程度の年齢に達した男性ならば絶対にやるだろう、子門真人のモノマネで唄った。わりと似ていたと思う。たぶん誰でもわりと似せられるのだと思う。
8曲目、欅坂46「不協和音」。再び欅坂に戻った。デビュー曲の「サイレントマジョリティー」の時点で方向性は決まっていたとはいえ、「手を繋いで帰ろうか」や「二人セゾン」などの正統派アイドルソング路線という道筋だって、あるにはあったろうと思うが、この「不協和音」で欅坂はもう引き返せなくなったのだな、と改めて唄ってみて思った。切ない。2回目の「僕は嫌だ!」は長濱ねるなので、ちょっと穏やかにいう、というところまで再現したが、家族は誰も気づかなかったろう。
このあとは「年度別紅白メドレー」という項目を発見したので、ファルマンとそれを唄った。1曲30秒ずつくらい、次々に出てくるやつ。それでまず「98年紅組」を選んだら、なんとMAXの「Ride on time」で始まったので、期せずして今回もMAXの灯は守られた。このしぶとさ、いかにもMAXらしい。そのあと他の年度もやり、ELTやHitomi、浜崎あゆみや花*花など、自分で入力することは決してないが、懐かしいし唄える、という曲がいろいろ出てきて、愉しかった。ぜんぜん聴いたことのない演歌なんかも出てきたが、思った以上にちゃんと唄えてファルマンに絶賛された。「知ってる曲なの?」と何度も訊かれた。天性の才能としかいいようがない。
そんなカラオケだった。時事歌唱などに囚われ過ぎて、自分の本当に好きな曲とか、十八番みたいなものを、ほとんど唄わなかったな。なにしろ、そういうのは本当に唄い尽くしてしまったのだ。次回以降、どうしたものか。
帰宅後、午後は家でのんびり過す。ファルマンと子どもたちがキッチンでなんか作業をしていて、なんだろうなあと不思議に思っていたら、夕食後に冷蔵庫から、パウンドケーキを焼くような型を使った、巨大なプリンが出てきて、えっなんでなんで? と思ったら、いっけね! バレンタインデーなのだった。正確には前日なのだけど。卵を大量に使うというハードタイプのプリンは、とても好みの感じで美味しかった。
翌、日曜日は、終日小雨ということもあり、だいたい家で過した。子どもがうるさかった。休みはいつもしみじみと「子どもがうるさい……」ということを思い、思って、日が暮れる。子どもはなぜああもうるさく、そして物を散らかすのか。僕がいま子どもに、「子ども」以外の名前を付けるとしたら、もっとそういう特徴を織り込む。「とにかくうるさく、そして物を散らかすもの」を意味する言葉にする。実際に子どもがそういう意味になっている言語も、世界にはあるんじゃないか。それともうちの子だけ特になのか。