数日前の出来事になるが、そろそろ子どもたちの夏休みも終わるということで、短いし遠出もできなかった今年の夏の、せめてもの思い出作りとして、新見市にあるという井倉洞という洞窟へと遊びに行った。この何日か前、夕方の地方ニュースで紹介されていてその存在を知ったのだった。テレビで紹介されたばかりだから人が殺到しているだろうかという危惧もあったが、なにぶん夏休みとはいえ世間的には平日なので、まあ大丈夫だろうと判断して向かった。
新見市は、山陰地方への鉄路、特急やくも擁する伯備線が市を縦断するように走っていて、そのひとつ手前の高梁市ともども、地名駅名になんとなく馴染みはありながらも、実際に降り立ったことはないため、知り合いなのか知り合いじゃないのか微妙な距離感の相手、という印象の街。道程は、高梁川と、伯備線と、そして我々の使った180号線が、三つ編みのように入り組み、なかなかフォトジェニックな景色が随所に見られた。高梁市の市街というのも、街の中には入らなかったが道から様子を垣間見て、城下町だからか、なんだか独特の雰囲気がありそうだな、と思った。総社市のように気楽に岡山倉敷に出てこられる距離感ではなさそうだが、それゆえの矜持なんかもあるような気がする。よその土地を覗き、その暮しに思いを馳せて、だとすればこれは小旅行といっていいかもしれない。ちなみに新見市街は、我々の目的地である井倉洞よりもさらに先へ進んだほうにあるため見ていない。東京などだと、細かい間隔で駅があって、その駅ごとにわりとちゃんと駅前の街並みが形成されているため、街と街の間に隙間というものがないけれど、「高梁」から「新見」なんていうのは、昔なんかだと特に、高梁を出て川伝いにずっと進むと、ようやく山の中に新見が現れる、みたいな感じだったんだろう。
そんなこんなで井倉洞に到着する。駐車場は空いていた。やはり平日だからだろうか。それとも外出は控えたほうがいいレベルの暑さだからだろうか。駐車場から洞窟の入り口までは、そこまで離れているわけではなかったが、それでもだいぶやられた。そもそも高梁市のあたりというのは、県内の天気予報でもいつもやけに高温を記録しているエリアなのである。いわれてみれば陽射しが強い気がする。空気がきれいだからだろうか。岡山倉敷もそんな空気が汚くなるほどの都市だとは思えないけどな。
入洞料を払って、歩道橋を渡る。高梁川の向こう側にある岩山に、井倉洞はあるのだった。橋を渡りきり、入り口に近づいたところで、空気が明確に変わる。洞窟の中は涼しい、というのは行く前の下調べでもちろん知っていたが、こうも違うものかと思った。ちなみに、そもそも僕は洞窟というものが、おそらく初体験なのである。もちろん子どもたちもそう。ファルマンだけは違う。ファルマンは「子どものころ近所の洞窟で友達と……」みたいなエピソードトークをしていた。近所の洞窟ってなんだろう。
井倉洞は全長1200メートルあり、アップダウンも激しい鍾乳洞である。他の洞窟のことは知らないが、初体験の洞窟としてはなかなかにアグレッシブだった。子どもが小さ過ぎたら行けないし、年を取り過ぎたら親が行きたくない。そう考えると今回はいいタイミングで行ったのではないかと思う。洞窟内は全体が水気に満ち満ちていて、あちこちから水滴が垂れていた。これも事前調査で、「だから大事なカメラは持ってこないほうがいい」という情報を得ていたので、今回のレジャーにはデジタル一眼レフは携えなかった。そのためタブレットで適当に写真や動画を撮りつつ、洞内を進んだ。洞内は、つらら石や石筍があちこちにあり、というかそれらが壁を形成しているような有様だったが、通路は通路として整備されているので、どこからどこまでが自然物でどこからどこまでが人工物なのか、いまいち判然としなかった。そのため36歳になって初めての鍾乳洞体験をした感想は、「テーマパークみたいだな」という、わざわざ連れてきた果以のないもので、それでもテーマパークにしろ天然の鍾乳洞にしろ、異空間であることには違いはなく、そういう場所に家族で来ると、とにかく思い出的で充足感がある。なので満足だ。それと中を歩きながら、もちろんその場では口には出さなかったものの、やはりずっと(いま大地震が来たら……)という不安が頭の中にあった。いま大地震が来て生き埋めになったら、我々一家が井倉洞に来ていたという事実を誰が知るだろう? 駐車場に車があるからそこから判明するだろうか、などと終始思っていた。幸いなんともなく無事に外界に出ることができた。無用な心配で済んでよかった。
洞内は涼しかったが、アップダウンが激しいので運動になり、体が冷えるわけではない。そして外に出たらもちろんひどい暑さで、駐車場までの道のりはつらく、結局トータルで、洞窟の優しい涼しさなど掻き消えるほどに暑かった。車内だってエアコンは効かすものの、窓から陽射しは受け続けるのだ。
帰宅した頃にはヘトヘトで、ポルガは例のごとく「頭が痛い」と言い出し、両親は仮眠を取らずにはおれなくなり、ピイガはひとり元気でうるさく、夕方以降はグダグダだった。でもテレビで見たときから「行ってみたいね」といっていたそこへ、この変な夏の思い出作りとして行かなかったら、たぶんずっと後悔した気がするので、行ってよかった。