8月31日という日。
とはいえ子どもたちの夏休みは、今年は1週間ほど前に終わっていて、すでに日常が戻っているのだった。しかし何度もいうけど、新型コロナで焦点がずれてしまっているが、今年の暑さは異常で、実はちょうど今日をもって、高梁市は今月9日からずっと続いていた連続猛暑日が23日となり、これは1990年と94年に大分県日田市が記録した22日を超えて、歴代最長記録の樹立であるらしい。めでたい! のかめでたくないのかいまいち判らない。こんなに暑くてつらい思いをしているのだから客観的な記録として後世に残るくらいの称揚がなければやってられない、という気もするし、記録なんてどうでもいいから涼しくなれよ、という気もする。あるいは、時おり雨など降って地面が冷えたりして、そこまで連続猛暑日が続いていない地域が見て、「高梁イキってんね笑」と揶揄の対象になっているのだとすれば、一抹の気恥ずかしさもある。とにかくどう捉えていいのかさっぱり判らない。ちなみに、どうしてこの記録に関してこんなに思いを馳せているのかというと、なにぶん今回の高梁市の記録に関しては、同県民というだけで便乗して盛り上がっているわけではないからだ。ひとつ前の記事、「井倉洞へ」で書いたが、まさに連続猛暑日真っ最中の、正確な日付としては8月21日のことになるが、そこでわれわれ一家は猛暑の高梁市の市街を目の当たりにしたのだ。なるほどこの暑さか、というものを体験、体感したのだ。そう考えるともはや、われわれ一家もこの記録には一枚噛んでいるといって差し支えない。日本の気象史に刻まれたこの記録に、パピロウ一家は深い関わり合いを持つ。
そしてちょうどそれとおんなじくらいのゆるーいつながりの、「としまえん」が、今日をもって営業を終了するのだった。なにしろかつては練馬区民だったので、としまえんには数えきれないほどの思い出がある、……ということはない。そもそも遊園地に行くようなタイプではないのに加えて、としまえんというのはファミリー向けに特化したタイプの遊園地であるわけで、22歳から練馬区民となり、27歳に子どもが生まれて東日本大震災が起こり(ほぼほぼ同時)、28歳で島根県へと移住した僕は、としまえんに行く機会が実際ほとんどなかった。それでも1回、いや2回だったかな、入園したことはあったと思う。なにをしたという思い出もないけど。今回の閉園のニュースを見ながらファルマンと、「あのまま練馬で暮してたらやっぱり子どもと遊びに行ったりしてたのかねえ」なんて話したりした。島根移住を決断した際、ポルガはもちろん既にこの世に存在していたが、ピイガは島根で生まれたので、練馬暮しを続けていた場合ピイガはこの世にいなかったかもしれない。パラレルワールド。
パラレルワールドといえば、やっぱり今年の夏は「新型コロナのせいで東京オリンピックが行なわれなかったほうの2020年」という感じがあって、そんな夏の終わりに安倍晋三が辞任表明をしたので、いよいよ「ひっちゃかめっちゃかなほうの未来」という感じが強まった。一方の未来の安倍晋三は、無事に開催された東京オリンピックにおいて安倍マリオとして再登場し大喝采を受けていたかもしれないのに、こちらでは心労がたたって持病再発である。未来も、人生も、確定的なことなんてひとつもないんだな、ということをしみじみと思う。安倍晋三は7年8ヶ月も総理大臣だったそうで、就任は2012年の12月26日。僕はこのときの、自民党が民主党から政権を奪還した選挙結果のニュースを、病院のロビーのテレビで見た記憶があったので、あああれはピイガの誕生間近(1月4日)の産婦人科での出来事か、としまえんも安倍晋三もピイガもつながってるんだな、と思ったのだが、よく考えてみたらピイガはいま6歳であり、その誕生は2014年のことなので、別に関係なかった。あの病院は酒蔵で足を挫いたときに行ったやつだ。安倍晋三は僕が酒蔵で働いていたときからずっと総理大臣だったのか。長かったな。