出雲空港視察

 図書館に行くついでに、出雲空港まで行ってみる。直前に迫った空の旅の、シミュレーションである。飛行機に乗るにあたり、事前に空港に行って心の準備をしておくって、まるで大昔の人のようだなと我ながら思う。
 前回ここを、すなわち飛行機を利用したのは、いつのことだったか。岡山県民だった時代は、いちども飛行機の世話にならずに済んだ。そもそもピイガは生まれてからまだ飛行機に乗ったことがないと考えると、少なくとも8年以上前だ。こんなときは過去のブログを検索すればよい。その結果、2013年の4月であることが判明した。2012年の夏に第一次島根移住生活が始まり、晩秋から春まで酒蔵に勤め、その年季が明けたところで3人で横浜に帰省、というとき(ちなみにこの1ヶ月後の5月に、ピイガを妊娠していることが判明する)。この際、横浜にはなんと5日間も滞在していて、それならば陸路で移動すればよかったんじゃないかと思うが、当時ポルガは2歳3ヶ月であり、7時間あまりの移動は厳しいと判断したのだろう(7時間なんていつでも誰でも厳しいが)。
 よって飛行機は9年ぶりということになる。9年も経つと、前回の搭乗の思い出はほとんど残っておらず、ただ「飛行機=怖い」という、いたずらな恐怖心ばかりが募ってしまう。今回はそれをいくらかでも払拭するために、空港と飛行機を目の当たりにしておくことにしたのだった。今回の出発はわりと朝早くの便で、慌ただしくなりそうなので、駐車場や搭乗口を確認しておくという、実際的な目的ももちろんあった。
 9年ぶりの出雲空港は、行く前に思い出せたわけではないが、行ったら「こうだった、こうだった」の連続で、びっくりするくらいなにも変わっていなかった。商業施設でも、公共施設でも、9年も経てばなんだかんだでいろいろ変化するものだと思うが、そういうのが一切なかった。考えてみたら、牧歌的なダイヤで飛行機が発着する地方空港って、流行りも廃りもなく、ただひたすらに悠然と機能をこなすだけなので、本っ当になんっにも変わる必要がないのだ。ここまで長年なんにも変わらない場所というのも珍しいのではないかと思った。僕はこれまで10回もここを利用したことがないと思うが、それなのに郷愁に駆られた。移り変わりの激しい世の中で、ここの時は止まっているように思えた。ロビーを9年前の我々が歩いていても不思議ではなかった。
 3階の展望デッキに出ると、飛行機が停まっていた。我々が乗る羽田行きではなく、それよりもひと回り小さい機体の大阪行きだったが、20分後くらいに出発するというので、待って離陸の瞬間を見学することにした。滑走路を眺めると、出雲空港は本当に広々とした場所に、のっぺりと存在していて、周囲に高い建物など一切なく、たぶんパイロットにとってはとても操縦しやすい空港であるに違いない、と思った(冬は気候が荒れるので別だが)。それをファルマンに言ったら、「でも鳥が突っ込んでくるかもよ」などという言葉が返ってきたので、頭に来た。出雲空港は宍道湖のほとりにあり、そして宍道湖の水鳥はラムサール条約によって丁重に守られているのだ。そういうことを思い出させるんじゃないよ。
 タラップや牽引車から引き離された飛行機は、やがて自力で動き始める。飛行機の巨大な機体を支えるにしては、3つの車輪はあまりにも矮小のような気がして、特に先端のひとつには過度な力がかかってしまっているのではないか、と見ていて思った。なにしろ着陸の時、あれはまず地面に着く所だろう。そのわりに頼りなくないか、とやきもきする。動き始めた飛行機は、滑走路の端までやってくると、くるりと旋回する。羽田空港などだと、この動き始めから、「滑走路に入る順番待ち」の時間が長かったりして、ハラハラの時間が長引いて精神が削られたりするが、出雲空港ではそんなことはない。周囲からのプレッシャーもなく、パイロットも平静な気持ちで運転ができるに違いないと思う。旋回してから再び動き出すと、それはもう離陸のための走行であり、轟音とともにすぐに猛スピードとなり、機体は進む。そして右から左へ、展望デッキの我々の前を通り過ぎたと思ったら、ス、と、フワ、と飛行機は空中に持ち上がって、そのまま斜めに飛んでいった。やはり見れば見るほど、このス、フワ、の瞬間が分からない。すごい勢いなのは分かる。分かるが、なぜ上に行くのか。翼をはためかせているのならまだしも、そのままの形で上がるのだ。どういう理屈なのか。やっぱり嘘なんじゃないのか、と思う。
 実際に見たことで、心構えができたのかどうなのか、自分でもよく分からなかった。これまでの恐怖心とは少し違う心理になったような気はした。ではどんな心理かと言えば、釈然としない気持ちだ。飛行機が飛ぶのは、見れば見るほど納得がいかない。納得がいかないまま、数日後には機上の人となる。まあ、世の中は、納得のいかないことばかりだけどさ。

 ここで巻末付録として、8年前に飛行機に乗った際の記事を引用しておく。
 まずは行き(「USP」2013年4月8日)。
 搭乗口の待機場所のガラス越しに、これから乗る飛行機が見えて、操縦席のパイロットが、子どもたちが手を振るのに応えて手を振っていて、(いいパイロットさんのようだ)と感じると同時に、(しかし伏線ではないのか)とも思った。普段はパイロットの実存なんて気にするものではないのだ。それが今回に限って存在を主張してきたことに、自分たちは「あのパイロット」によってひどい目に遭わされることになるのではないか、と思った。飛行機に乗る前ってなにもかもが伏線のような気がしてくる。
 そして乗った9ヶ月ぶりの飛行機は、相変わらずおそろしかった。今回思ったのは、そのタイミングしかないのは分かるけれど、あの僕がいちばん嫌いな、離陸の時の、車輪がそろそろと動き出して、滑走路まで移動し、飛行機が本気を出し、ボバーッと前方に向けて突進を始めるあの瞬間、あの瞬間に、モニターで緊急の際の対応についてやるのはいかがなものか、ということだ。離陸してからでは遅いので、本当にあの時しかないんだろうけど、でもやっぱりちょっと悪意がある気がしてならない。さらされている状況だけで十分にエマージェンシーなのに、そこへエマージェンシーな映像が画面に展開されるのだから、心拍数は一気に上昇し、取り乱し、もうダメだ、という気分になる。
 飛び立つ瞬間、僕の体は左斜め前方の虚空に向けて引き攣りつつ伸びていたという。「なんだったの、あのポーズ?」とあとからファルマンに訊かれたが、僕がああしないと離陸がままならなかったのだ、と正直に答えたところで信じてもらえないだろうから、「ははは……」と力なく笑うにとどめた。離陸して、シートベルト着用のランプが消えてからも油断はできず、高度が増していることを思えば危険性が増していることは間違いなく、少しの揺れに、すわ「これまでの航空史上で確認されたことのないレベルの突風」か、そもそも天気予報があれほど当たらないのにどうして航路の気流が問題ないかどうか分かるというのか、と絶望的な気持ちになるが、顔を見上げるとCAさんたちが何事もなかったように飲み物を配っているし、乗客の誰もパニックを起こしていないので、仕方なくそのたびに平静を装う。飛行機は斯様に敏感な人間ばかりが損をする乗り物だ。高度何千メートルという状況にあって危機感を抱かないなんて、動物としての正常な感覚が鈍磨してしまっているんだと思う。そんな中でポルガの無邪気さが切なかった。自分はなんという不憫な状況下に大事な娘を置いてしまっているのか、と思った。親のエゴで。
 ちなみに9ヶ月前とは較べものにならない2歳児のやかましさを、飛行機に乗る前は危惧していたのだけど、乗ってみたら飛行機は割とずっとゴーッとうるさくて、2歳児が少々わめこうが周りに音が響くようなことはなかったのだった。よかった。かくして飛行機は無事に羽田空港に着陸した。着陸した瞬間、ああ、僕の人生はもうちょっと継続するのだ、と思った。帰りにも乗るので、あと5日は継続するほうのパターンだ。その5日間をせいぜい悔いの残らないように生きよう、と思った。
 続いて帰り(「USP」2013年4月12日)。
 そして飛行機に乗り込む。行きの飛行機よりも大きい機体のようで、「大きい機体は揺れが少ないよ」とファルマンが甘い囁きをする。それでもやっぱり走り出し、ディスプレイで非常時の身の振り方を伝え出し、やがて体が上斜めに向かう不自然な状態になると、後悔した。飛行機が飛ぶといっつも後悔する。飛ぶ前は、せっかく地に足がついていて、死の危険とは縁のない状態だったのに、みすみす落ちたら死ぬ状態に身を置いてしまった、という後悔だ。置かなければ済む話だったのに、なんで置いてしまったんだ、といつも失敗した気持ちになる。こんなことを思ってしまうのは、基本的に乗客は座っているだけで、気持ちに余裕があるからで、恐怖はこの余裕につけ込んでくるのだ。なにか他のことに集中しようと、吉祥寺のブックオフで買ったグルメ雑誌の、駅弁特集のページを必死になって眺め、「ごはんに刻んだ胡桃が混ぜ込んであり意外な食感が愉しめる」などと書いてあるのを、ごはんに胡桃はどうなんだろう、と思ったりするのだけど、それで救われるのは全体の1割くらいで、やはりまだまだ余裕があってしまい、恐怖を感じることができてしまう。それで思ったのだけど、こんな僕みたいな人間のために、株主総会における総会屋のような感じで、そちら側の人を雇って乗せ、飛行機に乗っている間、その人が僕のことをさんざん怒鳴りつけていればいいんじゃないだろうか。そんな事態に陥れば、飛行機の恐怖感がだいぶ薄れる気がする。だけど到着後、心底くたくただろうな。あるいは気絶させ屋(しめ技の達人とか)ということになるけれど、しかし死の恐怖を味わいたいわけではないが、いざ飛行機が墜落するとなったとき、意識がなく眠ったまま死ぬというのはやはり嫌なので、やはり怒り屋のほうがいい気がする。怒り屋。だめだこりゃ。こんなくだらないジョークを言ってしまうのも仕方ないくらいに、山陰の飛行機って本当に怖いのだ。今回も中国地方に入り、高度を下げるため厚い雲を抜けようとするあたりで、ファルマンでも「わあっ」と声を上げてしまうほどの揺れがあったのだ。本当に信じられない。山陰地方信じられない。山で隔てられているせいで陸路が不便なくせに、空路もこんなんで、一体なにを考えているの、と思う。山陰地方がまるごと天の岩戸なのかもしれないね。しれないよ。
 それでもこうしてこのことをブログに書けているということは、飛行機はなんとか無事に着陸したのである。たぶん、いつか「飛行機が嫌だった話」が書けず終いのときが来るのだろうな、と思う。