尾道北のインターで降りて、あとは地道。動物園は山の中にあり、倉敷から来たときとは、なるほど反対の道(以前までは東から西の道、今は西から東の道)から自分たちがたどり着いたので、なんとなくおもしろいものだと思った。
福山市立動物園には大型遊具のある公園が併設されていて、子連れにとってこの公園をどう扱うか、動物園の前に遊ばせるか、あとに遊ばせるか、毎回わりと悩ましいところで、わが家は1回目は先に遊ばせ、しかしその結果、公園でお腹がいっぱいになってしまった反省を生かし、2回目はあとということにしたが、動物を観ながらも公園のことばかり気にするのでこれも失敗で、結局のところ正解はない(動物園の横に公園なんてないのが正解)ようなので、今回は子どもの希望に合わせ、先に遊びたいと言うので遊ばせることにした。それはいいのだが、この公園に関して今回、この公園ってこんなに小さかったっけ、ということを強く感じた。こじんまり、というほどではないにせよ、そこまで大規模な公園でもない。なんだか意外だった。もっと大きいような気がしていた。ポルガもそう感じたようで、子どもならば、それだけ自分たちが小さかったってことだよ、となるのだが、僕は2014年の初来訪の頃から大人だったではないか。強いて言うなら、当時よりちょっとだけ筋肉がついた。そのせいだろうか。筋肉がついたことによって、僕は世界のすべてが以前よりも些細なものに見えるようになったのだろうか。
公園でひとしきり遊んだあと、動物園に入る。3度目なので、配置はだいたい記憶している。相変わらず、必要最低限の要素がぎゅっと凝縮された動物園だ。ものすごく見応えがあるわけではないが、ズーラシアのことなどを思えば、これでいいんだよな、という気もするのだった。
動物園を出たあとは、福山市街へと向かう。今回は動物園に加え、福山城もコースに組み込んでいた。組み込んでいたのだが、天候のことなどもあって、前日の夜に行くことを最終決定し、福山城のホームページを見たら、城内の見学はコロナ対策として予約制で、前日の午後3時までに申し込まなければいけないとのことで、時間切れだった。それでも当日枠もあるということなので行ってみたのだが、一切の慈悲もなく「本日の受け付けは終了しました」というお知らせが掲示されており、城の外観を眺めながら恨めしい気持ちになった。広島城がぜんぜんそんなことしてないのに福山城がこんな制限をするのかよ、と若干の憎々しい気持ちが禁じ得なかった。下の広場には、「中入れないんだって」「ダメなんだって」などと語り合う人々が多くいて、こんなに無碍に客を拒むだなんて、殿様商売だなー、などとうまいことを思ったりした。
これで帰宅ではまだない。最後にサファ福山というショッピングセンターへと立ち寄る。前日の検索によって、ここにはファルマンが倉敷時代にこよなく愛していた(家のものすごく近所にあった)セイムスというドラッグストアがあり、さらには僕が倉敷時代にわりと愛していたエブリイというスーパーがあることを知り、どちらも山陰にはないので、せっかく山陽に出てきたのだから行くしかないとなったのだった。それぞれで微妙にテンションを上げながら買い物をし、さらには同じ敷地内にあった西海岸という古着屋(これは倉敷時代にも馴染みがなかった)にも行ってみて、先日ユニクロで買えなかった子どもたちの服を何枚か買った。わりとよさそうなものが手に入り、行ってよかったと思った。
そんな福山行きだった。城はまったく残念で、なんかもう今後またわざわざ福山という街に赴く機会はあまりないんじゃないかという気もするので、縁がなかったのだな、と思う。次の山陽行きは、いよいよ倉敷だろう。ポルガと未だに手紙などでのやりとりを続けてくれているダイアナと、久々の再会をさせてやりたい。僕も当時の近所のスーパーなどを巡ったりしたい。そのうちできればなあ。