11月とパピロウと

 一気に冬になった。今週の半ばくらいまでは11月なのに夏日だ、などと言っていたのに、日曜日からあまりにも冬じゃないか。過酷だ。厳しい部活動のようだ。われわれは7月頃からずっと、なんかしらの厳しい部活動に在籍しているのかもしれない。おかしいな。体験入部だけのはずだったんだけどな。
 しかも折悪しく、少し久々の11月パピロウ発動中と来ている。ただでさえ落ち込みがちの心に、体がまだぜんぜん対応できていない寒さまでが加わり、気持ちはいまとても低調だ。
 こんなとき、やっぱりそれというのは、傷口を狙って入り込む病原菌のようなものなんだな、ということを再認識するけれど、友達がいたらなあ、なんてことを思ってしまう。落ち込んだ心が友達によって救われた経験が、お前は人生中にいちどでもあるのかと問われれば、途方に暮れてしまうのだけど、家族だって趣味だってあって、そして疾病があるわけでもない僕が、それでも心が整わないということは、いま僕が完全に獲得できずにいるものにその原因があるのではないか、というふうに考えてしまう。それが友達だ。
 寒さもあって、温泉やサウナに行きたい欲求が日々高まっているが、しかしおろち湯ったり館になかなか行けずにいる。さらには米子の、ラピスパやオーシャンなんかに行けたらもっといいなあと夢想したりするが、ひとりで車を運転して米子まで行くのはあまりもコスパが悪いし、僕以外全員女性の、さらには温泉・サウナに興味のない家族と連れ立って行ってもぜんぜん愉しめないだろうと思う。こんなとき、友達がいたらいいんだろうなあと思う。サウナ仲間。サウナの中で会話をする輩が、普段はひたすら忌々しく感じるけれど、自分がそっち側だったら話は別だ。サウナは静かに入るもの、なんていうのは孤独な人間が言い張り始めた勝手なルールで、白状してしまうけど、サウナに入っている間って実はただ退屈なので、友達とおしゃべりをして過せたらどんなにいいだろうかと思う。「マジきちー」「やべえやべえ」とか言い合いたい(友達関係というものが大学生のあたりからまったくアップデートされていないので、友達感性が若いままである)。
 しかし僕の暮しに友達ができる気配はまるでない。今日も家族で過す。今日は午後からゆめタウン出雲に繰り出した。おととい、こちらに山陰初出店となる紀伊国屋書店がオープンしたのだ。せっかくだからそこを見にいってやろうじゃないか、という感じで出掛けた。店は賑わっていた。というよりゆめタウン全体が賑わっていた。みんな寒くなって、屋外イベントの季節も終わり、休日の外出の選択肢の筆頭にショッピングモールが来るようになったんだろう。書店の中をほうほうと窺っていたら、見知った顔があった。義父母と義妹なのだった。ゆめタウンでたまたま義母らと鉢合わせするのはこれで2度目だ。地方のショッピングセンターとはそういう場所である。書店ではなにも買わなかった。
 ニトリにも行った。クリスマスのコーナーが展開されていて、そうか、と思う。2023年もそろそろ終盤なのだな。やはり11月パピロウで、ツリー飾りを目にしてもなにも心は盛り上がらないのだけど、徐々にこの寒さにも慣れて、いまとてもか細い心の灯は、安心感のある暖炉の炎のようになってくれたらいいと思う。
 晩ごはんは、寒さに対して素直に鍋やクリームシチューにでもすればよかったのかもしれないが、なぜか焼売。しかしIHクッキングヒーターを食卓に持ち出し、食卓で蒸し上げるという演出をした。とは言え汁物じゃないと、あんまり部屋全体がほっこりあったまるようなことにはならないのだった。まあおいしかったけれど。
 11月パピロウはどうすれば克服できるか。昔の人はよく考えていたもので、そのためにcozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボがある。せいぜいそっちの活動に情熱を傾け、自分で自分を盛り上げていこうと思う。