東広島へ

  文化の日がもたらした3連休であった。ハッピーマンデーではなく、金土日という、最近ではちょっと珍しいパターン。ウィークデイが4日で終わるお得感があった。
 中日の土曜日に大きな外出をした。目的地は東広島市。ここの市立美術館において、『古代エジプト美術館展』という企画展が行なわれており、ポルガを中心に、それにつられて親も「王家の紋章」を読んだりしたことで、わが家はこのところすっかり古代エジプトづいているので、魅力的な企画展が、日帰り可能な、なんともありがたい場所に来てくれたものだと(ここの前は福島県だったそうだ)、大喜びで行くことにしたのだった。
 尾道や福山、そして広島市には行ったことがあったが、東広島市というのは初来訪である。行くにあたって、美術館以外の立ち寄りスポットはなんかないのかな、というのを探ったから判ったが、まあそこまでよその土地の人間がレジャーで行くような街ではなさそうだった。ウィキペディアにも、「広島市のベッドタウン」という記述がある。それでもなにかないものかと粘った結果、広島大学のキャンパスがあることが判り、さらにはそこでちょうどこの土日に大学祭が開催されることを知って、じゃあそこへも立ち寄ろうという計画が立った。ちなみに広島大学は叔父の出身大学であり、それも30歳間近くらいまで、院だったり研究員だったりで在籍していたという話なので、じゃあ今はもう横浜に暮す叔父に、「こんど広島大学へ行くよ」ということを伝えたらなんかしらの反応があるだろうかという思いが、少しだけ頭をよぎったが、でもあの叔父のことなので多分なんの反応もないだろうと思い、止した。
 美術館までの所要時間は約2時間半。ファルマンは「私も運転代わるよ」と提案したが、本人以外の3人の希望により却下された。もちろん道が混んでいるということもなく、事前に新鮮な曲ばかりの新しいプレイリストを用意した車内音楽もあり、わりと快適なドライブだった。やまなみ街道を三次で降りるのかな、と思いきや、Googleマップの案内によるとその次の三良坂ICだとのことで、これまで何度も通過だけはしてきた所で降りるというのが、なんだか貴重な体験だな、と思った。ちなみにこれを降りてからが実はだいぶ長く、東広島市というのは、本当に、なかなかよそ者が寄り付きにくい土地のようだな、と思った。
 島根に引けを取らないような田舎道がだいぶ続いたあと、東広島市街は、突如として現れた。まるでアメリカのようだと思った。もっとも地方というのはだいたいこんなものか。市街に入れば、さすがは山陽なだけあり、島根よりもチェーン店のバリエーションは幅広かった。どのあたりにそれを感じたかと言えば、「なか卯」があったのでそう思った。島根県にはないのだ。
 美術館は市役所のほど近くだったので、たぶんあれが東広島市のいちばん栄えているエリアだったんだろうと思う。隣接する広場にはイベント屋台も出ていた。案内された市営駐車場に駐車し、無事に入館した。
 

 展示品はレリーフや彫像、日用品や装飾品など多岐に渡り、なかなか見応えがあった。時代も、さまざまな王朝の、つまりさまざまな年代のものがあり、中にはツタンカーメン時代のものもあって、ポルガを興奮させていた。おらが島根にも古代出雲の歴史というものがあるけれど、それが紀元後の弥生時代とかのものであるのに対し、古代エジプトというものは、なにしろ紀元前3000年とかから始まっているらしいので、すごい話だなあと思う。貴重なものを実際に目の前で見ることができ、来てよかったと思った。 
 美術館のあとは、広島大学の方面へと車を走らせる。大学の近くにゆめタウンがあるようなので、そこに車を停めさせてもらい(もちろん買い物はするとして)、そこから大学まで歩こうという算段をする。しかしゆめタウンの駐車場を出たところで、坂を上るのか下るのかが分からない。Googleマップを見るが、徒歩のGoogleマップはなんかわかりづらい。それでも学生らしき若者がどんどん自転車で坂を上がっていくので、たぶん上のほうだろうと歩きはじめるが、そこへ同じくGoogleマップを見ていたファルマンが「ちがう」と言う。「こっちだ」と坂を下るほうの道を示す。そうかなあ、と思うが、自分のGoogleマップの扱いに絶大な自信があるわけではないし、なによりファルマンの主張を排しておきながら間違っていた場合の恐怖を想像すると、従うのが得策だろうと思い従った(結婚10年超の賜物である)。しかし坂を下り、丁字路に出て、「これはどっちに曲がるの?」と訊ねたところ、「待って! わかんない! ちがう! なんで!」とファルマンは錯乱し始め、そのあたりでどうもやはり大学は坂の上らしいぞ、ということは明らかになりつつあったが、もう空腹感も高まり、ファルマンの精神状態も限界を迎えそうだったので、そばにあった「すき家」で昼ごはんを済ますことにした。店で、配膳しに来た店員に、「広島大学はこの坂道の上ですか」と訊ね、「そうですよ。大学祭ですか?」「はい」などとやりとりをし、確認した。その間ファルマンは苦々しい顔をしていて、さらにはねぎ玉牛丼の卵を、怒りのあまりテーブルに強く打ちつけ過ぎて誤割してしまい、ただのねぎ牛丼として食べるはめになる、という失態まで犯した。怒ったあまり卵を誤って割ってしまいダメするというのは、ドラマなどの作り物の表現であり、現実に起るものではないと思っていた。いま、今回の東広島行きを思い出しながらこの文章を書いているが、全体を通して最も印象に残った出来事は、この誤道案内から卵の誤割までの一連の流れだ。思わずこちらを睨みつけながら食べるファルマンを写真に収めた。
 食べ終わり、確信を持って再び坂を上がる。ゆめタウンを過ぎてほどなくして、大学の近くらしい雰囲気が漂ってくる。さっき、もう少しファルマンのストップが遅ければ、スムーズに着いていたことだろうに。
 かくしてようやく到着した広島大学東広島キャンパスは、どうもずいぶん広大な(ちなみに広島大学は略すと広大である)敷地を擁するようで、さらにはそのあちこちの学部棟で、めいめいにイベントが行なわれていたりするので、なんかもう取り止めがなかった。とりあえず屋台が立ち並ぶメインストリートらしきルートを進み、途中で図書館棟やホールなどに立ち寄って、「ほうほう」と眺めつつ、いちおうホームページを見て目当てとしていた総合博物館を見つけ、中を見学した。惑星の成り立ちから被曝の記録までが、ひと部屋にギュッと凝縮されたミニ博物館といった感じで、触ってもいい化石などもあり、まあまあおもしろかった。そのあとはステージなどを少し眺め、まあ雰囲気は堪能したから帰ろうか、となる。気候もよかったためかだいぶ賑わっていて、実行委員会らしき学生がわちゃわちゃしているのを眺め、去来する思い出などもあり、少し感慨深かった。たぶん叔父は大学祭などには縁のない学生だったろうと思う。そもそも叔父の時代がこのキャンパスだったのかどうかも定かではない。
 ゆめタウンに戻り、しっかりと買い物をして、帰宅の途につく。到着予定時刻から、木次あたりでもう暗くなりそうだな、と予想するが、実際はもっと早く暗くなった。日に日に暗くなるのが早くなる時期である。暗くなった上に霧が出て、なかなか運転がしづらかった。三刀屋で降りたのが18時くらいで、おろち湯ったり館に行くのになんと最適な時間だろうか、と思う。もちろん家族連れなので行けない。3連休なのでどこかで行きたいものだと考えていたが、初日も行かなかったし、結果的に最終日にも行かなかった。おろち湯ったり館は、近くて遠い。
 ちょうど夕飯時に家に帰りつくことができた。ちなみに夕飯は、くたくたの帰宅後にあくせくしたくなかったので、前日にカレーを作っておいた。先日のおでんに続き、外出から帰ってきたあとの晩ごはんをすごく気にかけ、そしてその心配りによって、とても心が救われている。帰ったらごはんを炊いてカレーを温めるだけだ、という安心感がいい。こういうときってスーパーに立ち寄って弁当を選ぶのさえ面倒だし、なによりひとりなら別にいいけど、家族でスーパーの弁当を食べる情景ってあまり好きではない。
 結果的に5時間以上運転して、体が強張った感じはあったが、行きたい場所に行けたし、車内音楽が愉しかったし、ファルマンの卵の事件はおもしろかったしで、なかなかいいレジャーだったと思う。