日曜日の朝、島根に妻子を迎えに行く。先週が4連休で、しかしそのときはまだ子どもたちは終業式前で、そして今週は土曜日まで出勤だったのだった。まったくうまいこといかない日程だな。土曜日の退勤後に出発しようかとも考えたが、夜半に向こうに着いても利点はほとんどなくて、パジャマとか洗顔とか荷物が増えるだけなんだよな、と思ってよした。寝る前にファルマンから、「こっちは雷雨だから今夜に来ないで正解」とメッセージが届いた。前日に移動する唯一の利点は、行きと帰りの運転の間が空くということなのだけど、1日の中でなるべくその点を希求しようとすると、早朝に行く、という結論になる。というわけで4時半に起きて、5時前に出発した。ひとりだと行動が身軽だ。はじめは日の出の前で、走っている途中から明るくなった。天候はあまりよくなく、それどころか途中で吹雪に遭った。なんか前にもこんなことがあったなと思い出した。山地では3月下旬、と言うかほぼ4月でも普通に雪が降るのだ。山はおそろしい。あれは人が易々と越えてはいけないものだ。向うへの到着は8時前。ファルマンに「早い」と驚かれた。ポルガは僕の顔を見るなり、「もう来ちゃったのー。まだ遊びたかったのに」とホザいた。ポルガのこれは憎まれ口とかなにかの裏返しとか、そういうのではまるでなくて、本当に感じたことをそのまま口にしたのである。そのあとも祖父母や犬と絡んでばかりで、ほとんど僕とは接しなかった。実家でのポルガの通常運行だ。なので僕のことが「見える」ピイガと、ふたりで「スター☆トゥインクルプリキュア」を一緒に観て、そのあと少し散歩に出た。しかし本当に少し。山陰の風はあまりにも強く、そして冷たかった。山陽住まいにはあまりに過酷で、すぐに逃げ帰った。思えば10年前の3月の結婚式の際、出雲空港に到着するはずの飛行機は、生命の危機を感じさせるほどに乱高下した挙句、引き返して大阪に着陸したのだった。春先の山陰というのはそういうものなのだ。10時半くらいになり、義父母が孫ふたりを見てくれるというので、ファルマンとふたりで出掛ける。実家在住の際によく買い物に出ていたエリアに行って、店の変遷を眺めたり、買い物をしたりした。昼食のマクドナルドを買って帰宅。ハッピーセットでドラえもんのおもちゃ第2弾をもらう。また家族4人分注文したが、被ったものもあり、全種は揃わなかった。まあこれは仕方ない。そのあと少しのんびりして、2時半くらいに出発した。帰りの道ではまた山地で雪交じりの雨の強襲を受けた。ひとりの早朝の体験談だと「吹雪いたんだよ」と伝えても「それはまあ」くらいの反応だったので、味わわせることができてよかった。長いトンネルを抜けて山陽に出たらスカッと晴れた。山陰山陽ってずいぶんなネーミングだよな、という話なのだが、しかしどうしたって明白に陰と陽だ。もうこれは仕方ない。家の近くのスーパーに立ち寄り、出来合いの夕ごはんを買って帰宅。6時前の明るいうちに帰れてよかった。日帰りでこういうことをすると、日中に現地にいた自分と、朝と夜に自宅にいる自分が、日なのか人なのか分からないが、なにか同一のものとは思えないような気がして、不思議な気持ちになる。休日を過した気もあまりしないし、しかも明日からは新年度という大きな区切りということで、なんだか本当にゆらゆらとしている。
そうなのだ、新年度で、そして新元号発表なのだ。
「hophophop」において、元号をもりもり予想する、数打ちゃ当たる、と言っておきながら、3月は泳いでばかりいて、ろくに予想をしないまま、もう明日には発表なのである。思えば僕は昭和58年の9月に生まれて、だから5歳3ヶ月くらいのときに平成になったのである(ちなみにこれは偶然にも今回の改元のピイガの年齢とほぼ合致する)。そして5歳の頃の記憶なんてもちろんないので、つまり僕の人生はまるまる平成だと言っていい。人から年齢を訊ねられた際は1990年、平成2年生まれの28歳と答えることにしているので、そういう意味でもがっつり僕は平成の人間である。
それの次が決まるのだ。
上記の通り、元号が替わるのはほぼ初体験なので、ドキドキしている。これはお札が替わったときの気持ちに少し似ている。夏目漱石から野口英世へ、新渡戸稲造から樋口一葉へ、それぞれ替わる(そしてなぜか福沢諭吉は替わらない)というニュースを聞いたとき、うっすらとパラレルワールド感を味わったことを覚えている。当たり前と思っていた世の中の仕組みが変化するとき、少しだけ異世界に迷い込んだような気がする。これまでの世界とよく似ているけど、でもちょっと違う世界だぞ、と思う。元号はお札よりもさらにその感触が強い。新元号がなんであっても、明治大正昭和平成より、違和感がある。それは当然なのだけど、やはり少し不気味だ。でも愉しみ。要するに、ぞわぞわしている。
ずっ友4連休
木曜日の春分の日と、土日に挟まれた、平日の金曜日。実は僕、休みだった。去年の繁忙期に返上して出勤した休業日がここに移動し、しれっと4連休が爆誕していたのだった。4連休。かつての書店員時代ならば考えられなかった4連休。しかも世間は平日の日を含む4連休である。子どもたちはまだ春休みではないし、ファルマンもこの日に限って午前にPTAの会合があるという。なので完全なひとりフリー。とてつもなくレアな1日。なのでそれはもうジタバタした。なんかしなきゃ、なんかしなきゃ、と。それで真っ先に浮かんだのはやっぱりラウワン、ROUND1である。見果てぬシャングリラ、ラウワン。行くあてなどないまま、僕はよくそのホームページを眺めているのだけど、そのコースプランに、MEGAパックというのがあるのである。ボーリングにカラオケ、スポッチャ(+数百円がかかる)などすべての施設が、フリータイムでなんでもできるという、夢のようなプラン。たぶん行くときが人生で唯一のラウワンだろう僕は、せっかくならこのプランで、全部をいっぺんに堪能したいと考えていた。しかしこれは客が少ない平日だけのサービスなのである。つまり今回の平日休みこそが、僕の夢を実現する千載一遇のチャンスなのだった。しかしこれまでそうやって夢想していただけの事柄が、いざ具体的に実行可能になってみたら、その次の問題が眼前に立ち塞がった。これこそが真の問題と言っていい。誘う相手がいない、という問題である。なにぶん平日なので、世間の勤め人は働いているために誘えない。もっともそれは僕にとってはなんの障害にもならない。「世間の勤め人」に友達はひとりもいないからである。なので誘うとしたら同じく休みである職場の人間ということになる。しかしこれもまずい。なぜまずいか。僕には職場に友達はひとりもいないからである。そうなのだ。平日休みだろうが、MEGAパックだろうが、関係ないのだ。僕にはすべての時空において友達がひとりもいないので、ラウワンに行けるはずがないのである。これまでも「ラウワンに行けなさ」というのは感じていたけれど、今回は行こうと思えば行ける状況を与えられたために、今までよりも踏み込んだ境地で、「ラウワンに行けなさ」を感じることになった。僕は、たとえ平日の休みが与えられても、ラウワンに行けないのだ。ラウンドワングリラには結局、徳を積んだ偉いお坊さんしか行けないのだ。そのことを痛感し、とてもつらい気持ちになった。親鸞聖人に救いを求めたい。そうか。僕はひとりでラウンドワングリラに行けばよかったのか。たとえひとりで行っても、僕は親鸞とふたりで行ったことになるのだから。ああ、親鸞とバブルサッカーしたかったな。
ラウワンに行くことのかなわなかった僕は結局、午前中をどう過したかと言えば、大方の予想通り、プールに出向いた。せめて水泳という趣味が出来ていてよかったと思った。しかし平日の午前中のプールは、普段の平日の夕方でもそれなりにそうなのだが、そこへ輪をかけてお年寄りの坩堝で、さすがの密度の高さになんとなく辟易した。水泳をすることで、エクササイズと同時にリフレッシュと言うか、そういうものを求めているのに、ちょっとどうにもそういう清廉さからはかけ離れすぎた環境だった。たっぷり時間はあったのに、ともすれば平日のときよりも短く切り上げた。
少しスーパーで買い物をして帰ったら昼前で、じきにファルマンとピイガも帰ってきたので、温かいそばを作って食べた。3時ごろになり、下校してくるポルガを、ピイガと家の前の道まで出迎えに行った。この日に行なったことは以上である。こうして稀有な平日休みが終了した。こんな機会がなければ痛感しなくて済んだなにかを痛感するだけの休日だった。晩ごはんはサバの味噌煮。肉は嫌で、魚がいいけど、塩焼きの脂っこささえも避けたくての選択。美味しくいただけた。
金曜はこんな結果に終わったが、4連休(なのは僕だけだが)のイベントとして、土曜日は出雲の義父母や明石の義妹一家が岡山にやってきて、1月に亡くなった祖母の墓参りをする、というのがあるのだった。それ自体は別に心が躍るものではないが、その際に昼ごはんでレストランに行こうという話になっていて、わーいレストランだ、と僕はそれをとても愉しみにしていた。お店のホームページを眺めて、なにを頼むか数日前から考えていたほどだった。
ところがこの日の夜中になって、ポルガの体調がとうとう崩壊し、ひと晩中、上からも下からも出る、みたいなことになる。腹具合に関して兆候はあったが、よりにもよってこのタイミングでかよ、と思う。僕は寝かせてもらったが(初めて2段ベッドの上段で寝た)、ファルマンは付きっきりで看病し、ヘロヘロになる。朝になって病院に行くが、そのときにはもう、出すものは出しきって、体力はなくなって元気がないけれど、かと言って病院でどうこうできるもんじゃない、あとはもう安静にして回復を待つしかない、という状態になっていた。もちろん墓参りや、ましてやレストランになど連れ出せようはずがない。仕方なく我が家の不参加が決定する。なんてこったよ。せっかくの4連休。せっかくのレストラン。なんてこったよ。さえないな、まったく。ポルガはだんだん元気になっていったが、出掛けるわけにもいかないので、昼はうどんを啜り、ダラダラと過した。晩ごはんは鶏そぼろと玉子の2色丼を作る。ポルガは引き続きうどんの予定だったが、そぼろ丼を寄越せと言うので与えてやった。とても順調な回復ぶりで、こいつは本当に、今日の前半だけがピンポイントで駄目だったんだな、と思った。従妹と遊びそびれたことなど、本人はポロポロと涙をこぼして悔しがっていたけれど、泣きたいのは周りの大人たちだ。
明けて今日、4連休の最終日である。午前中に、注文していたドライブレコーダーが届いた。ずっと前から買おうと話していて、来週に出雲に行くので、その前に設置しておこうと、とうとう注文したのだった。いろいろ見た結果、バックミラー一体型のものを選んだ。取り付けた後、試運転も兼ねて一家で買い物に出る。100均やスーパーなど。ドラレコはなかなか鮮明な映像が撮れていた。ファルマンに「ドライブレコーダー稼働中」のステッカーは貼るのかと訊かれるが、さすがにあれって客観的に見て気分がよくないので貼らない。それにしてもドライブレコーダーに限らず、昨今の隠し撮り、隠し録音のニュースを見るにつけ、世の中から性善説は完全に駆逐されたのだな、と思う。
午後はファルマンが仕事をしていて、子どもたちは遊びに盛り上がっていたので、ファルマンにだけ断って、そーっとプールに出向いた。おとといのあの失敗に対し、この時間帯は非常によかった。人が少ないし、ちょっと西に傾いた自然光が窓から降り注いで水の底までをも輝かせ、とても気分よく泳ぐことができた。週末に来るとしたらこの時間なのだな、と学習した。
晩ごはんはほうれん草と豚肉のオイスター炒めと、手羽先と野菜の中華スープ。ひと泳ぎして、ビールも飲まず、野菜たっぷりのメニュー。何を隠そう健康診断はいよいよ明日なのだ。果たしてどんな結果が出るか。これだけ健康に留意して数値を愉しみにしていたら、それどころじゃない大病が発覚した、なんてオチの、ひと月かけた壮大なネタフリにならないといい。
そんな4連休だった。なんとも茫洋とした4連休だった。書店員時代の僕が見たら血の涙を流してもったいながりそうだと思う。しかし、じゃあお前ならどんな4連休を過したかね、という話だ。お前だって友達はひとりもいないじゃないか。東京に住んでいて、子どももいなかったくせに、別にどこへもアグレッシブに繰り出さなかったじゃないか。休日があるかどうかは関係ない。お前はずっとそうなんだよ。お前は、ずっと、そうなんだよ。
ラウワンに行くことのかなわなかった僕は結局、午前中をどう過したかと言えば、大方の予想通り、プールに出向いた。せめて水泳という趣味が出来ていてよかったと思った。しかし平日の午前中のプールは、普段の平日の夕方でもそれなりにそうなのだが、そこへ輪をかけてお年寄りの坩堝で、さすがの密度の高さになんとなく辟易した。水泳をすることで、エクササイズと同時にリフレッシュと言うか、そういうものを求めているのに、ちょっとどうにもそういう清廉さからはかけ離れすぎた環境だった。たっぷり時間はあったのに、ともすれば平日のときよりも短く切り上げた。
少しスーパーで買い物をして帰ったら昼前で、じきにファルマンとピイガも帰ってきたので、温かいそばを作って食べた。3時ごろになり、下校してくるポルガを、ピイガと家の前の道まで出迎えに行った。この日に行なったことは以上である。こうして稀有な平日休みが終了した。こんな機会がなければ痛感しなくて済んだなにかを痛感するだけの休日だった。晩ごはんはサバの味噌煮。肉は嫌で、魚がいいけど、塩焼きの脂っこささえも避けたくての選択。美味しくいただけた。
金曜はこんな結果に終わったが、4連休(なのは僕だけだが)のイベントとして、土曜日は出雲の義父母や明石の義妹一家が岡山にやってきて、1月に亡くなった祖母の墓参りをする、というのがあるのだった。それ自体は別に心が躍るものではないが、その際に昼ごはんでレストランに行こうという話になっていて、わーいレストランだ、と僕はそれをとても愉しみにしていた。お店のホームページを眺めて、なにを頼むか数日前から考えていたほどだった。
ところがこの日の夜中になって、ポルガの体調がとうとう崩壊し、ひと晩中、上からも下からも出る、みたいなことになる。腹具合に関して兆候はあったが、よりにもよってこのタイミングでかよ、と思う。僕は寝かせてもらったが(初めて2段ベッドの上段で寝た)、ファルマンは付きっきりで看病し、ヘロヘロになる。朝になって病院に行くが、そのときにはもう、出すものは出しきって、体力はなくなって元気がないけれど、かと言って病院でどうこうできるもんじゃない、あとはもう安静にして回復を待つしかない、という状態になっていた。もちろん墓参りや、ましてやレストランになど連れ出せようはずがない。仕方なく我が家の不参加が決定する。なんてこったよ。せっかくの4連休。せっかくのレストラン。なんてこったよ。さえないな、まったく。ポルガはだんだん元気になっていったが、出掛けるわけにもいかないので、昼はうどんを啜り、ダラダラと過した。晩ごはんは鶏そぼろと玉子の2色丼を作る。ポルガは引き続きうどんの予定だったが、そぼろ丼を寄越せと言うので与えてやった。とても順調な回復ぶりで、こいつは本当に、今日の前半だけがピンポイントで駄目だったんだな、と思った。従妹と遊びそびれたことなど、本人はポロポロと涙をこぼして悔しがっていたけれど、泣きたいのは周りの大人たちだ。
明けて今日、4連休の最終日である。午前中に、注文していたドライブレコーダーが届いた。ずっと前から買おうと話していて、来週に出雲に行くので、その前に設置しておこうと、とうとう注文したのだった。いろいろ見た結果、バックミラー一体型のものを選んだ。取り付けた後、試運転も兼ねて一家で買い物に出る。100均やスーパーなど。ドラレコはなかなか鮮明な映像が撮れていた。ファルマンに「ドライブレコーダー稼働中」のステッカーは貼るのかと訊かれるが、さすがにあれって客観的に見て気分がよくないので貼らない。それにしてもドライブレコーダーに限らず、昨今の隠し撮り、隠し録音のニュースを見るにつけ、世の中から性善説は完全に駆逐されたのだな、と思う。
午後はファルマンが仕事をしていて、子どもたちは遊びに盛り上がっていたので、ファルマンにだけ断って、そーっとプールに出向いた。おとといのあの失敗に対し、この時間帯は非常によかった。人が少ないし、ちょっと西に傾いた自然光が窓から降り注いで水の底までをも輝かせ、とても気分よく泳ぐことができた。週末に来るとしたらこの時間なのだな、と学習した。
晩ごはんはほうれん草と豚肉のオイスター炒めと、手羽先と野菜の中華スープ。ひと泳ぎして、ビールも飲まず、野菜たっぷりのメニュー。何を隠そう健康診断はいよいよ明日なのだ。果たしてどんな結果が出るか。これだけ健康に留意して数値を愉しみにしていたら、それどころじゃない大病が発覚した、なんてオチの、ひと月かけた壮大なネタフリにならないといい。
そんな4連休だった。なんとも茫洋とした4連休だった。書店員時代の僕が見たら血の涙を流してもったいながりそうだと思う。しかし、じゃあお前ならどんな4連休を過したかね、という話だ。お前だって友達はひとりもいないじゃないか。東京に住んでいて、子どももいなかったくせに、別にどこへもアグレッシブに繰り出さなかったじゃないか。休日があるかどうかは関係ない。お前はずっとそうなんだよ。お前は、ずっと、そうなんだよ。
カラオケと雑炊
春分の日。桜はまだ。天気もよくない。カラオケに繰り出す。最近はプールに行くようになり、カラオケからちょっと足が遠のいていた。親が「今日はカラオケだぜ」と盛り上がっていたら、子どもたちは「プールがいい」と文句を垂れていた。健全なことでなによりだが、しかしながら今日はカラオケの気分(僕はプールにいつだって行けるし、ファルマンはいつだってプールにそんなに行きたくない)だったので親の強権でカラオケを断行した。
唄ったのは以下の通りである。
1曲目、「真赤な太陽」(美空ひばり)。初めての美空ひばり。唄いやすかった。
2曲目、「ロマンスの神様」(広瀬香美)。有線で流れるのを聴いていて、このあっけらかんと明るい感じにやけに感動した瞬間というのががちょっと前にあって、唄おうと思った。しかしやってみたらすごく難しかった。ほとんどメロディがないところへ、アカペラのように歌を乗せていかなければならないのだった。
3曲目、「アイノカタチ」(MISIA)。美空ひばり、広瀬香美と来て、MISIAである。お前はいったい自分の歌唱力をどれほどのものだと思っているのか。強気すぎるだろう。でもこれはわりと気持ちよく唄えた。MISIAを。気持ちよく。マジか。
4曲目、「ドスコイ! ケンキョにダイタン」(こぶしファクトリー)。この流れで突然のこぶしファクトリー。どんなフェスだ。
5曲目、「ペリーヌものがたり」(大杉久美子)。いよいよの混沌。「ドキドキプリキュア」の連日放送が終了したあと、急に始まった「ペリーヌ物語」のオープニングテーマ。「ルンルン」という表現のはしりだと言われているが、真偽のほどは判らない。
6曲目、「ハピネスチャージプリキュア! WOW!」(仲谷明香)。「スマイル」「ドキドキ」と来て、次はこれかと身構えていたら「ペリーヌ」だった「ハピネスチャージプリキュア」のオープニングテーマ。ペリーヌと連続させたことで、なんか意趣返しのようになってしまったが、そんな意図はない。シリーズオープニングテーマコンプリートCDを聴いていて、前回の「魔法つかいプリキュア」に続いて、これもいいと思ったので唄った。曲中にセリフみたいな部分が入るのも愉しい。
7曲目、「青いイナズマ」(SMAP)。まさかのSMAP。なんとなくピンと来たような気がしたのでセレクトしたが、しかし気のせいだった。やっぱり男性の曲は苦手だ。喉が痛くなった。
8曲目、「ジンギスカン」(Berryz工房)。なぜか今日ふたつ目のハロプロ。そしてこのセレクト。今回のカラオケで僕は、モーニング娘。以外のハロプロを唄うと、家族(ファルマン)はとても白けた顔になる、ということを学習した。
個人として唄ったのは以上だが、目下プリキュアブームの娘たちが次々にプリキュアソングをセレクトしたため、それもかなり一緒に唄うことになった。最新作「スター☆トゥインクルプリキュア!」のエンディングテーマ、「パペピプ☆ロマンチック」がとてもよかった。なにを隠そうハンドルネームのプロペ★パピロウは、女の子がパ行を言うのってちょっとエッチでかわいいよね、という意図で考えたものなので、この曲は本当に僕の趣味にドンピシャリなのだった。しかも☆(白)と★(黒)の違いはあれど、星も共通している。キュアミルキーもかわいいし、今年のプリキュアとの相性は本当にどうかしている。
カラオケのあとは図書館とスーパーに寄って帰った。
午後は家でのんびりと過す。ポルガと将棋、ピイガとオセロをする。ポルガとの将棋は、今のところ飛車や角行や金将をくれてやっても勝てるのだが、最近ポルガはたまにタブレットのアプリでコンピュータ相手に将棋をするようになっていて、それで鍛錬しはじめたら、僕は普通に負けるようになるのだろうと思う。僕はそういうコンピュータの将棋では、「やさしい」モードにも勝つことができない。実はそんな棋力なのである。
晩ごはんは買ってきたカツオのたたきと、鶏雑炊。どうも近ごろ僕やポルガの腹の調子がよくなくて、季節の変わり目ということもあるが、言われてみればこってり系のメニューが続いたのではないかという話になり、今日はとことんお腹にやさしいメニューにしようとなったのだった。ネギ、しめじ、豆腐、鶏むね肉、卵と、とにかく温和なメンツばかりを揃え、しみじみと美味しい雑炊に仕上げる。「ああうまい……」と心の底から湧き上がるように唱えながら食べた。いよいよ健康診断も間近になってきて、ここからはラストスパートでさらに清らかな体を作っていきたいと思う。
唄ったのは以下の通りである。
1曲目、「真赤な太陽」(美空ひばり)。初めての美空ひばり。唄いやすかった。
2曲目、「ロマンスの神様」(広瀬香美)。有線で流れるのを聴いていて、このあっけらかんと明るい感じにやけに感動した瞬間というのががちょっと前にあって、唄おうと思った。しかしやってみたらすごく難しかった。ほとんどメロディがないところへ、アカペラのように歌を乗せていかなければならないのだった。
3曲目、「アイノカタチ」(MISIA)。美空ひばり、広瀬香美と来て、MISIAである。お前はいったい自分の歌唱力をどれほどのものだと思っているのか。強気すぎるだろう。でもこれはわりと気持ちよく唄えた。MISIAを。気持ちよく。マジか。
4曲目、「ドスコイ! ケンキョにダイタン」(こぶしファクトリー)。この流れで突然のこぶしファクトリー。どんなフェスだ。
5曲目、「ペリーヌものがたり」(大杉久美子)。いよいよの混沌。「ドキドキプリキュア」の連日放送が終了したあと、急に始まった「ペリーヌ物語」のオープニングテーマ。「ルンルン」という表現のはしりだと言われているが、真偽のほどは判らない。
6曲目、「ハピネスチャージプリキュア! WOW!」(仲谷明香)。「スマイル」「ドキドキ」と来て、次はこれかと身構えていたら「ペリーヌ」だった「ハピネスチャージプリキュア」のオープニングテーマ。ペリーヌと連続させたことで、なんか意趣返しのようになってしまったが、そんな意図はない。シリーズオープニングテーマコンプリートCDを聴いていて、前回の「魔法つかいプリキュア」に続いて、これもいいと思ったので唄った。曲中にセリフみたいな部分が入るのも愉しい。
7曲目、「青いイナズマ」(SMAP)。まさかのSMAP。なんとなくピンと来たような気がしたのでセレクトしたが、しかし気のせいだった。やっぱり男性の曲は苦手だ。喉が痛くなった。
8曲目、「ジンギスカン」(Berryz工房)。なぜか今日ふたつ目のハロプロ。そしてこのセレクト。今回のカラオケで僕は、モーニング娘。以外のハロプロを唄うと、家族(ファルマン)はとても白けた顔になる、ということを学習した。
個人として唄ったのは以上だが、目下プリキュアブームの娘たちが次々にプリキュアソングをセレクトしたため、それもかなり一緒に唄うことになった。最新作「スター☆トゥインクルプリキュア!」のエンディングテーマ、「パペピプ☆ロマンチック」がとてもよかった。なにを隠そうハンドルネームのプロペ★パピロウは、女の子がパ行を言うのってちょっとエッチでかわいいよね、という意図で考えたものなので、この曲は本当に僕の趣味にドンピシャリなのだった。しかも☆(白)と★(黒)の違いはあれど、星も共通している。キュアミルキーもかわいいし、今年のプリキュアとの相性は本当にどうかしている。
カラオケのあとは図書館とスーパーに寄って帰った。
午後は家でのんびりと過す。ポルガと将棋、ピイガとオセロをする。ポルガとの将棋は、今のところ飛車や角行や金将をくれてやっても勝てるのだが、最近ポルガはたまにタブレットのアプリでコンピュータ相手に将棋をするようになっていて、それで鍛錬しはじめたら、僕は普通に負けるようになるのだろうと思う。僕はそういうコンピュータの将棋では、「やさしい」モードにも勝つことができない。実はそんな棋力なのである。
晩ごはんは買ってきたカツオのたたきと、鶏雑炊。どうも近ごろ僕やポルガの腹の調子がよくなくて、季節の変わり目ということもあるが、言われてみればこってり系のメニューが続いたのではないかという話になり、今日はとことんお腹にやさしいメニューにしようとなったのだった。ネギ、しめじ、豆腐、鶏むね肉、卵と、とにかく温和なメンツばかりを揃え、しみじみと美味しい雑炊に仕上げる。「ああうまい……」と心の底から湧き上がるように唱えながら食べた。いよいよ健康診断も間近になってきて、ここからはラストスパートでさらに清らかな体を作っていきたいと思う。
春先週末日記
土曜日はファルマンが人間ドックへ行ったため、午前を子どもたちと過す。どう過すかここ何日か考えていたが、とても無難に、自転車で近所の公園に繰り出した。自転車は子どもたちがそれぞれのものに乗り、そして僕はピイガの世話のために徒歩である。ピイガは補助輪を付けているくせに、公園に着くまでに3度も横転した。下手なのではない。どんなに下手でも補助輪付きの自転車で横転はしない。無謀なのである。スピードが欲しいのか、すごくハンドルを揺すったりする。それであえなく倒れる。ピイガが補助輪なしの自転車に乗ったり、将来的に自動車を運転したりする姿を想像するとぞっとする。公園では菜の花が咲いていた。これまでたまたまその時期に行くことがなかったのか、近所のその公園が、そんなに菜の花の咲き誇る公園だとは知らなくて、得をした気持ちになった。菜の花って春先に本当にいい色合いで咲く。そのあと園内で遊んでいたら、「ピイガちゃん」と名前を呼ぶ声があり、振り向いたら小さな男の子だった。ピイガの幼稚園のクラスの子だという。彼は母親と来ていて、挨拶を交わした。今回の公園に僕はバトンを持ってくるのを忘れて悔しく思っていたのだが、回していなくてよかった。せめて父親のほうはまともであることを示しておかなければピイガがかわいそうだ。
帰宅後、昼ごはんとしてうどんを作り始めたタイミングで、ファルマンから「終わった」という連絡が来る。行きはバスで行き、帰りは車で迎えに行くという算段になっているのだった。ファルマンもそれから受診の特典であるランチに行くというので、そこまで急がない。うどんを食べてから3人で出発する。そしてファルマンを無事にピックアップした。病院の正面玄関から出てきた、外の世界で客観的に眺めるファルマンは、こういうときいつも感じることとして、やっぱりなんか変な生き物で、笑えた。ファルマンは胃のレントゲン検査の際、「右を向いて」と言われて左を向き、「左を向いて」と言われて右を向くということを繰り返した結果、最終的には技師が「コップを持ってるほうを向いて」と言ってくれるようになったと言っていた。
この帰りにケーキ屋に寄って、ホワイトデーのお返しとして3人にケーキを買ってやる。僕はあまりケーキの気分じゃなかったので、和菓子を買った。そのあとは、帰宅しておやつにそれを食べたほかは、午後はゆるゆると過した。
晩ごはんは皿うどんとおにぎり。皿うどんに最近ハマっている。皿うどんを食べるたびに、醤油さしならぬお酢差しが我が家には必要だ、と思う。皿うどんのとき以外に使う場面は浮かばないのだが(餃子は長い旅路の果てに、酢醤油よりも結局ポン酢で食べるのが美味しいという結論に至った)、あっても邪魔じゃないので、こんど100均の店内で思い出せたらボトルを買うことにしよう、と思った。
明けて今日は、午前中にプールに出向いた。僕だけではなく、一家でである。会員になってから一家で行くのは初めて。僕だけ券売機で券を買う必要がなく、ちょっと優越感を覚える。ちなみに会員になって約半月、ここまで週3回ほどのペースで通えている。どうやら月会費の元は余裕で取れそうだ。そして普段にしっかり泳げているので、こうして子どもと来たときに、俺も自分の泳ぎをしたいんじゃい、というがつがつした気持ちを抱くことなく、子どもの世話をきちんとすることができた。ポルガは相変わらず人の話をろくすっぽ聞かないのだが、それでも十を注いでやっと出口から一が出てくるみたいな、ドモホルンリンクルのような悠々としたペースで、なんとかこじ開けるようにちょっとずつ形になってきた。1年余りのスイミングスクールを経て、クロールどころか息継ぎもできるようになっていないのだが、それでもまあ、とてもうっすらとした、素地と呼ぶには材質が心許なさ過ぎる素地が、この子には一応ないこともないのかな……? と思った。そのくらい、まるでウスバカゲロウのようにはかない、ポルガのスイミングの心得なのだった。
帰宅して昼ごはん。家にあったものでいろいろ並べる。出掛ける前に仕込んであったゆで玉子も献立のひとつとして出す。休日、一家でプールに行ったあと、昼ごはんにゆで玉子を食べる家庭。ストイックか。
今日も午後は特に何もなく、だらだらと過す。週末はいつも日曜日の夕方には子どもに対してうんざりするモードに入るのだが、今週は昨日の午前のひとりきりでの対応が響いたのか、昼ごはんのあと早くも無理になった。娘たちはなぜああも延々とうるさいのだろうか。声、動作、操作するおもちゃ、その全てがうるさい。そんなにパーフェクトでうるささを発生させなくてもいいだろうと思う。
晩ごはんは手羽先の竜田揚げ。自分の好きなように片栗粉をたっぷりまぶし、カリカリならぬゴリゴリに仕上げる。仕揚げる。あと新じゃがでフライドポテトもした。そうなってくると、さすがにビールなんじゃないかとなり、ファルマンとふたりで1本だけ開けた。実に半月ぶりのビール。さぞや、さぞや最高に美味しいことだろうと思いきや、(まあこんなもんかな)という感想だった。これならレモンの炭酸水でも別にいいんじゃない、とも思った。これはビールに限ったことではないが、ビールは日々飲み続けていたほうが、美味しさを享受しやすいのだと思う。それはそうだと思う。継続は力なり。日々通いつめる常連客にこそ、店だってとっておきの美味しい部分を出してやりたくなるだろう。たまに都合のいいときだけやってきた人に、そこまで胸襟は開かない。それでいい。休肝日もなく、肝臓に負担をかけてまで飲み続ける人にこそ、本当の美味しさは与えられるべきだ。「家では飲まない。飲み会のときしか飲まない」などホザく人間に、ビールの十全の美味しさがもたらされてたまるものか。僕はまだ意識の上では常連客なので、そんなことを思うが、しかし立場的には既に一見の括りに入れられている。半月の別離によって、僕とビールはもうずるずるべったんの関係ではなくなったらしい。一抹の寂しさがあるが、所詮は一抹ほどだ、とも思う。僕の心の冷たい部分。
帰宅後、昼ごはんとしてうどんを作り始めたタイミングで、ファルマンから「終わった」という連絡が来る。行きはバスで行き、帰りは車で迎えに行くという算段になっているのだった。ファルマンもそれから受診の特典であるランチに行くというので、そこまで急がない。うどんを食べてから3人で出発する。そしてファルマンを無事にピックアップした。病院の正面玄関から出てきた、外の世界で客観的に眺めるファルマンは、こういうときいつも感じることとして、やっぱりなんか変な生き物で、笑えた。ファルマンは胃のレントゲン検査の際、「右を向いて」と言われて左を向き、「左を向いて」と言われて右を向くということを繰り返した結果、最終的には技師が「コップを持ってるほうを向いて」と言ってくれるようになったと言っていた。
この帰りにケーキ屋に寄って、ホワイトデーのお返しとして3人にケーキを買ってやる。僕はあまりケーキの気分じゃなかったので、和菓子を買った。そのあとは、帰宅しておやつにそれを食べたほかは、午後はゆるゆると過した。
晩ごはんは皿うどんとおにぎり。皿うどんに最近ハマっている。皿うどんを食べるたびに、醤油さしならぬお酢差しが我が家には必要だ、と思う。皿うどんのとき以外に使う場面は浮かばないのだが(餃子は長い旅路の果てに、酢醤油よりも結局ポン酢で食べるのが美味しいという結論に至った)、あっても邪魔じゃないので、こんど100均の店内で思い出せたらボトルを買うことにしよう、と思った。
明けて今日は、午前中にプールに出向いた。僕だけではなく、一家でである。会員になってから一家で行くのは初めて。僕だけ券売機で券を買う必要がなく、ちょっと優越感を覚える。ちなみに会員になって約半月、ここまで週3回ほどのペースで通えている。どうやら月会費の元は余裕で取れそうだ。そして普段にしっかり泳げているので、こうして子どもと来たときに、俺も自分の泳ぎをしたいんじゃい、というがつがつした気持ちを抱くことなく、子どもの世話をきちんとすることができた。ポルガは相変わらず人の話をろくすっぽ聞かないのだが、それでも十を注いでやっと出口から一が出てくるみたいな、ドモホルンリンクルのような悠々としたペースで、なんとかこじ開けるようにちょっとずつ形になってきた。1年余りのスイミングスクールを経て、クロールどころか息継ぎもできるようになっていないのだが、それでもまあ、とてもうっすらとした、素地と呼ぶには材質が心許なさ過ぎる素地が、この子には一応ないこともないのかな……? と思った。そのくらい、まるでウスバカゲロウのようにはかない、ポルガのスイミングの心得なのだった。
帰宅して昼ごはん。家にあったものでいろいろ並べる。出掛ける前に仕込んであったゆで玉子も献立のひとつとして出す。休日、一家でプールに行ったあと、昼ごはんにゆで玉子を食べる家庭。ストイックか。
今日も午後は特に何もなく、だらだらと過す。週末はいつも日曜日の夕方には子どもに対してうんざりするモードに入るのだが、今週は昨日の午前のひとりきりでの対応が響いたのか、昼ごはんのあと早くも無理になった。娘たちはなぜああも延々とうるさいのだろうか。声、動作、操作するおもちゃ、その全てがうるさい。そんなにパーフェクトでうるささを発生させなくてもいいだろうと思う。
晩ごはんは手羽先の竜田揚げ。自分の好きなように片栗粉をたっぷりまぶし、カリカリならぬゴリゴリに仕上げる。仕揚げる。あと新じゃがでフライドポテトもした。そうなってくると、さすがにビールなんじゃないかとなり、ファルマンとふたりで1本だけ開けた。実に半月ぶりのビール。さぞや、さぞや最高に美味しいことだろうと思いきや、(まあこんなもんかな)という感想だった。これならレモンの炭酸水でも別にいいんじゃない、とも思った。これはビールに限ったことではないが、ビールは日々飲み続けていたほうが、美味しさを享受しやすいのだと思う。それはそうだと思う。継続は力なり。日々通いつめる常連客にこそ、店だってとっておきの美味しい部分を出してやりたくなるだろう。たまに都合のいいときだけやってきた人に、そこまで胸襟は開かない。それでいい。休肝日もなく、肝臓に負担をかけてまで飲み続ける人にこそ、本当の美味しさは与えられるべきだ。「家では飲まない。飲み会のときしか飲まない」などホザく人間に、ビールの十全の美味しさがもたらされてたまるものか。僕はまだ意識の上では常連客なので、そんなことを思うが、しかし立場的には既に一見の括りに入れられている。半月の別離によって、僕とビールはもうずるずるべったんの関係ではなくなったらしい。一抹の寂しさがあるが、所詮は一抹ほどだ、とも思う。僕の心の冷たい部分。
晴れと雨の土日
土曜日は晴れで、日曜日は天気が崩れるっぽかったので、今日のうちにと公園に繰り出す。ポルガが冬の間、行きたい行きたいと言い募っていた大規模公園。日中の最高気温も15度を超えるようになり、ようやく公園シーズンが到来した。おにぎりは作っていかず、途中でマクドナルドに寄る。ハッピーセットのおもちゃがドラえもんの映画のものになったので、今日はそれを買って公園で食べるという算段なのだった。おもちゃは4種類ということで、大人もハッピーセットにして、4つ注文した。おもちゃは選べないということだったが、袋の手触りで判別は簡単にできそうで、オペレーターの人が気を利かせてくれたのか、4種ちがうものが付いていた。この世は優しさに満ちているな。公園には桃の花がたくさん咲いていた。おととしだったか、花見の時期にこの公園に、規模はどうあれちょっとくらい桜咲いてるやろ、咲いてないってことはないやろ、と当て込んで行ったところ、ほぼ咲いてないくらいの桜の木しかなかったということがあったが、そうか、ここの公園は桃の花だったのか、と思った。公園はそれなりに賑わっていた。「春の陽気に誘われて」という慣用表現を使うほかない、3月の週末なのだった。園内に入るなり駆け出して消え去ったポルガ(妹の面倒を見るという発想は一切ない)をひとしきり遊ばせている間に、広場の片隅にレジャーシートを敷き、簡易テーブルを設置する。テントって重くて、しまうのも大変で、心の底から買ってよかったと思ったことがこれまでいちどもないのだが、簡易テーブルは買ってよかった。公園での食事がすごく快適になる。準備を整えたところで、大型遊具の中に溶けているポルガを見つけ出し、回収する。そしてハッピーセットを食べた。春先の公園でのハッピーセットは、文字どおりなかなかのハッピー感があった。そのあとボール遊びなどもして、公園を堪能した。いい季節になったことだ。
帰りにショッピングセンターに立ち寄って、こまごましたものを買う。子どもの肌着を買うために入店した衣料品店で、とてもいい具合のバッグを見つけ、買ってしまう。これまで会社へはリュックサックで行っていて、その前はベジバッグと言われるトートバッグを使っていた。思い返せば僕はリュックとトートを1年周期くらいで「やっぱりこっちのほうがいいな」と思い直して替えるということを繰り返しているのだった。というわけで今回はトート。形はベジバッグだが、これまで持っていたものよりも大きい。これまでのはちゃんとした値段の、正規のベジバッグと言うか、白の硬い帆布生地のものだったのだけど、新しく買ったのは帆布というほどではない厚手の綿で、色はモスグリーン。これまでのものにはなかった、ショルダーとしても使える紐も付いていて(トートよりも肩掛けが好きなのでこれはとても嬉しい)、そして異様に安かった。とてもいい出会いをした。帰宅してリュックから中身を移し替えたら、とてもスペースに余裕があった。と言うか本当にでかい。これまでのリュックも、「1泊旅行にも十分な容量」という触れ込みだったのに、そこへそれなりにぎっしりと入れていた荷物が悠々と入った。こうなるとまた内容物が増えていくのだろう。まるでヤドカリのようだ。毎日の10時間程度の外出で、いったいなにがそんなに必要なのか、自分でもよく分からないが、まあ世の中には荷物が極端に少ない人と極端に多い人がいて、僕は後者だということである。
3時のおやつを食べたあと、アグレッシブにプールへと繰り出す。「午前中に公園で陽を浴びたのにプールに行くの? 行けるの?」とファルマンに驚かれる。これまでの僕なら、公園行って帰ってビール飲んで昼寝というのがお決まりのパターンだったろう。それを今はそこからさらにプールだ。参ったかこの野郎。
晩ごはんは、ホットプレートを出して焼肉というわけではないが、焼き肉用のカルビ肉をフライパンで焼いて野菜とともに皿に持って出した。たしかにこういう肉らしい肉が食べたい気分だった、とファルマンに同調された。
日曜日の今日は予報どおりの雨だったので遠出はせず、「スタートゥインクルプリキュア」を観たあとは、午前中に近所のスーパーへ必要なものだけを買いに出た。ピイガが昨日からくしゃみを連発するようになり、公園では「まさか花粉症かねえ」などと話していたのだが、帰宅後も続き、雨の今日も続くので、これはどうやら風邪らしいとなり、やわらかいティッシュを買った。やわらかいティッシュは、あえて選んだわけではなかったが、「ピンクローションティッシュ」という商品で、抜き出してみたら紙もピンク色をしていた。中学生ならこのティッシュだけでオナニーできるんじゃないか、というティッシュなのだった。それで僕の娘は鼻をかんでいる。いや、正しいんだけど。
それからは家でのんびりと過した。晩ごはんは、昨日から一転で気温も下がったので、ここは鍋ラーメンだな、とおそらく今シーズン最後の鍋ラーメンをした。体を暖めるための味噌味。おいしく食べた。そして酒は飲まない。3月に入ってから一滴も飲んでない、と言えれば話が簡潔なのだけど、1日のとんかつの際にちょっと飲んでしまっていて、しかしそれ以降は本当に飲んでいない。鍋ラーメンの今晩においてさえもだ。自分でもびっくりする。なににびっくりするって、飲まなければ飲まないで別に大丈夫な自分にだ。思えば20歳のときのタバコも、やめることにしようと思い立ったら、それ以降は別にぜんぜん苦しむことなくやめられた。もしかしたら僕は、本当になにかを心の底から欲してなんかいない、心の底がとても冷めきった人間なのかもしれない。かもしれないと言うか、実際そうなんだと思う。プライドは高いので、なにか一言では言い表せられない巨大なものに執着している感じはするのだが、対外的なものへの依存心は、いい意味でも悪い意味でもなく、とにかく著しく持っていないな、と思う。休肝月を実際に始める前から予感していたが、たぶんこの経験を通して、休肝月終了後も、僕とアルコールにはだいぶ距離が生まれるだろうと思っている。あるいはこの一文はネタフリかもしれないとも思う。
帰りにショッピングセンターに立ち寄って、こまごましたものを買う。子どもの肌着を買うために入店した衣料品店で、とてもいい具合のバッグを見つけ、買ってしまう。これまで会社へはリュックサックで行っていて、その前はベジバッグと言われるトートバッグを使っていた。思い返せば僕はリュックとトートを1年周期くらいで「やっぱりこっちのほうがいいな」と思い直して替えるということを繰り返しているのだった。というわけで今回はトート。形はベジバッグだが、これまで持っていたものよりも大きい。これまでのはちゃんとした値段の、正規のベジバッグと言うか、白の硬い帆布生地のものだったのだけど、新しく買ったのは帆布というほどではない厚手の綿で、色はモスグリーン。これまでのものにはなかった、ショルダーとしても使える紐も付いていて(トートよりも肩掛けが好きなのでこれはとても嬉しい)、そして異様に安かった。とてもいい出会いをした。帰宅してリュックから中身を移し替えたら、とてもスペースに余裕があった。と言うか本当にでかい。これまでのリュックも、「1泊旅行にも十分な容量」という触れ込みだったのに、そこへそれなりにぎっしりと入れていた荷物が悠々と入った。こうなるとまた内容物が増えていくのだろう。まるでヤドカリのようだ。毎日の10時間程度の外出で、いったいなにがそんなに必要なのか、自分でもよく分からないが、まあ世の中には荷物が極端に少ない人と極端に多い人がいて、僕は後者だということである。
3時のおやつを食べたあと、アグレッシブにプールへと繰り出す。「午前中に公園で陽を浴びたのにプールに行くの? 行けるの?」とファルマンに驚かれる。これまでの僕なら、公園行って帰ってビール飲んで昼寝というのがお決まりのパターンだったろう。それを今はそこからさらにプールだ。参ったかこの野郎。
晩ごはんは、ホットプレートを出して焼肉というわけではないが、焼き肉用のカルビ肉をフライパンで焼いて野菜とともに皿に持って出した。たしかにこういう肉らしい肉が食べたい気分だった、とファルマンに同調された。
日曜日の今日は予報どおりの雨だったので遠出はせず、「スタートゥインクルプリキュア」を観たあとは、午前中に近所のスーパーへ必要なものだけを買いに出た。ピイガが昨日からくしゃみを連発するようになり、公園では「まさか花粉症かねえ」などと話していたのだが、帰宅後も続き、雨の今日も続くので、これはどうやら風邪らしいとなり、やわらかいティッシュを買った。やわらかいティッシュは、あえて選んだわけではなかったが、「ピンクローションティッシュ」という商品で、抜き出してみたら紙もピンク色をしていた。中学生ならこのティッシュだけでオナニーできるんじゃないか、というティッシュなのだった。それで僕の娘は鼻をかんでいる。いや、正しいんだけど。
それからは家でのんびりと過した。晩ごはんは、昨日から一転で気温も下がったので、ここは鍋ラーメンだな、とおそらく今シーズン最後の鍋ラーメンをした。体を暖めるための味噌味。おいしく食べた。そして酒は飲まない。3月に入ってから一滴も飲んでない、と言えれば話が簡潔なのだけど、1日のとんかつの際にちょっと飲んでしまっていて、しかしそれ以降は本当に飲んでいない。鍋ラーメンの今晩においてさえもだ。自分でもびっくりする。なににびっくりするって、飲まなければ飲まないで別に大丈夫な自分にだ。思えば20歳のときのタバコも、やめることにしようと思い立ったら、それ以降は別にぜんぜん苦しむことなくやめられた。もしかしたら僕は、本当になにかを心の底から欲してなんかいない、心の底がとても冷めきった人間なのかもしれない。かもしれないと言うか、実際そうなんだと思う。プライドは高いので、なにか一言では言い表せられない巨大なものに執着している感じはするのだが、対外的なものへの依存心は、いい意味でも悪い意味でもなく、とにかく著しく持っていないな、と思う。休肝月を実際に始める前から予感していたが、たぶんこの経験を通して、休肝月終了後も、僕とアルコールにはだいぶ距離が生まれるだろうと思っている。あるいはこの一文はネタフリかもしれないとも思う。
禁酒をやひょうたんプールひな祭り
休肝月とした3月に入って最初の夕飯がとんかつだった。夫の決心に対して一切の忖度をしない妻。「えっ、飲まないの」と半笑いで挑発され、僕はなんと答えたか。「飲まないわけあるか!」。まんまと作戦に乗ってしまった。それで350ミリリットル缶の、3分の1くらいを、とんかつをひと切れ口に入れたのち、「カーッ!」と飲んだ。言うまでもなく美味しかった。そして残りはファルマンにくれてやった。初日から飲むのかよ、と我ながら思うが、なにしろ妻の嫌がらせでとんかつだったわけで、しかしそれでいてたったそれだけの量で済ませたのだから、実質的にはカロリーゼロだと思うし、アルコールも摂取していないと思う。いったいファルマンはどうしてそんなことをするのか、これまで当たり前にビールを飲んでいた日々において、オムライスとコンソメスープなどといった、おつまみがこの星にはひとつもないのか、みたいな献立の日がいくらでもあったというのに、なぜ禁酒開始の初日にとんかつなのか。サイコパスなのか。話を聞くと、どうもファルマンは「決めたからには完全に止める」みたいのがダサくて嫌なのらしい。肝臓に負担をかけない程度に飲んだらそれでいいじゃないか、というのである。それはそれで一理あるとは思う。しかし僕は酒を飲むことを自分に禁じない限り、控え目なんていう心掛けはできないのだ。オンかオフかのスイッチしかないのだ。淡い度合いなど存在しないのだ。だからやっぱりすっぱりと断ずるほかない。出ばなは見事なまでに挫かれたのだけど、ここからは本当に飲まない。土日は本当に飲んでない。土曜の夜など、ひとしきりパソコンでめいめいのことをしたあと、居間に移動して、普段ならそこから夫婦で晩酌タイムとなるところを、ポテトチップスとサイダーという、友達んちみたいな取り合わせで済ませた。ふたりで「マジか」「これはマジか」とボヤきながら飲み食いした。
週末の行動としては、土曜日はひょうたんの展示会が開催されていたので観に行った。主にペニスケース方面からなのだけど、近ごろひょうたんにとても興味を持っていて、そのタイミングでのひょうたん作品の展示会に、色めき立って赴いた次第である。会場は、入場客よりも出品者のほうが数が多いような空間で(なんとなく予想はしていた)、小さいものから大きいものまで、さまざまなひょうたん作品が林立していた。そういうジャンルを見たのはこれが初めてだったのだけど、ひょうたん工芸って、キャンバスがひょうたんだから許される、手仕事的にはゆるゆるのものが多くて、そこに味わいがあるなあと思った。眺めていたら、出品者のぐいぐい来る系じいさんにぐいぐい来られたので、表面の加工方法について訊ねたりして、わりと喋ったりもした。もちろんペニスケース方面で興味があるのだということは口にしなかった。並んでいる中で大きめのものを持ち上げてみたら、その軽さに驚いた。なるほどこれならば陰嚢のあのあたりで重さを受け止めることができるのだな、と納得した。「すごく軽いんですね!」「そうなんだよ。でもこれ、指で力いっぱい押してごらん」「ぐぐぐ、か、硬い」「そうなんだよ、すごいだろう、ひょうたんって」みたいな、学習漫画のような会話をじいさんと繰り広げた(もちろん実際のじいさんはこんなアーバンな口調ではない)。とてもまじめな人間のようだが、まあ根はたしかにまじめなのだ。ひょうたんのことはペニスケースの素材としてしか見ていないけど。作品は一部を除いて売り物で、巨大な作品は数千円から数万円くらいの値段がついていた。僕はリュックにぶら下げる用に、高さ10センチほどの、千成ひょうたんだろう加工品を購入した。700円。子どもたちには絵を描いて遊ぶ用に、100円の素材ひょうたんを買ってやった。子どもたちと買うひょうたんを選んでいたら、じいさんが「ひょうたんは女の子のお守りだからね」とちらっと言ってきて、なにしろ僕はひょうたんのことをペニスケースとして見ているので、高齢の人はさらりとこういう性的ジョークを口にするんだよなあと思ったのだけど、よく考えてみたらたぶん子宝とかそういう意味だ。俺の頭がペニスのそれに染まりすぎていただけの話だった。とは言えひょうたんの実物を見ることができたのは本当によかった。なんとひょうたんの種まで貰う。「鉢でも作れるから」と言われたが、どうしようかな。種は千成ひょうたんのそれなので育て上げたところでペニスケースにはならない。しかし純粋に興味はあるので、育ててみたい気もする。するとしたら種蒔きは3月中にするもののようなので、やるなら早めに決意しなければならない。
午後は、先日の模様替えによって部屋の快適化熱が高まったので、棚やチェストの整備を行なった。「消しゴムはんこ」とか「パイピングテープ」とか「刺繍糸」とか、これまでも一応は区分してあったのだが、暮しの中でどうしてもそれがだんだん混沌としてきてしまう(片づけるときに面倒くさがるからだ)。また最近になってマイク装飾のための「リボン」および「造花」という資材が加わったため、それらにもきちんと引き出しを与えたいという気持ちもあった。たまにこの作業をすると、自分が何を持っているのか把握できていい。欲しい欲しいと思ってたら、もう持ってたのか、なんてこともけっこうある。それにしてもちまちました手芸用品が俺は好きだな。道具類を眺めていてしみじみとそう思った。
明けて今日は、午前中に買い物に出た。100円ショップとスーパー。スーパーでは当日の調達となった雛あられを買った。今日は女の子の日。女の子の日って言うと、なんかちょっとアレな感じになるけれど、そりゃあ世の中には女の子の日に初めて女の子の日を迎えた子だっているだろう。ちらし寿司の予定だったのがお赤飯になっちゃったね、みたいな、そんな家庭も日本のどこかにはあるのだろうと思う。
午後は子どもたちに気づかれないようにスーッと家を出て、ひとりでプールに繰り出す。予告どおり3月の月間会員になったので、金曜日の夜も泳いだし(そのあととんかつでビール不可避)、休日もこうしてアグレッシブに出向くのだった。休日の水泳は、やっぱり平日の労働後よりも体力が残っているのだろう、すいすい泳げた。30分ほどかけて、たぶん600メートルくらい泳いだろうと思う。酒を飲まないし泳ぎはするし、3月の僕はいよいよ輝かしい存在へと昇りつめようとしている感がある。あるいはただ単に失われ始めたなにかを取り戻そうと必死なのかもしれない。
帰宅後はちらし寿司の準備。と言ってもベースはちらし寿司の素である。そこへ干し椎茸だけは足そうと、朝から水に浸けてあったものを煮詰める。あと錦糸玉子を作った。上には海老と桜でんぶを飾る。食べたらとてもおいしかった。太巻き寿司にしろちらし寿司にしろ、なんてったって鍵を握っているのは干し椎茸だ。干し椎茸による全体のおいしさの底上げ力は、すさまじいものがあると思った。
そんな感じの週末。健康的な週末。
週末の行動としては、土曜日はひょうたんの展示会が開催されていたので観に行った。主にペニスケース方面からなのだけど、近ごろひょうたんにとても興味を持っていて、そのタイミングでのひょうたん作品の展示会に、色めき立って赴いた次第である。会場は、入場客よりも出品者のほうが数が多いような空間で(なんとなく予想はしていた)、小さいものから大きいものまで、さまざまなひょうたん作品が林立していた。そういうジャンルを見たのはこれが初めてだったのだけど、ひょうたん工芸って、キャンバスがひょうたんだから許される、手仕事的にはゆるゆるのものが多くて、そこに味わいがあるなあと思った。眺めていたら、出品者のぐいぐい来る系じいさんにぐいぐい来られたので、表面の加工方法について訊ねたりして、わりと喋ったりもした。もちろんペニスケース方面で興味があるのだということは口にしなかった。並んでいる中で大きめのものを持ち上げてみたら、その軽さに驚いた。なるほどこれならば陰嚢のあのあたりで重さを受け止めることができるのだな、と納得した。「すごく軽いんですね!」「そうなんだよ。でもこれ、指で力いっぱい押してごらん」「ぐぐぐ、か、硬い」「そうなんだよ、すごいだろう、ひょうたんって」みたいな、学習漫画のような会話をじいさんと繰り広げた(もちろん実際のじいさんはこんなアーバンな口調ではない)。とてもまじめな人間のようだが、まあ根はたしかにまじめなのだ。ひょうたんのことはペニスケースの素材としてしか見ていないけど。作品は一部を除いて売り物で、巨大な作品は数千円から数万円くらいの値段がついていた。僕はリュックにぶら下げる用に、高さ10センチほどの、千成ひょうたんだろう加工品を購入した。700円。子どもたちには絵を描いて遊ぶ用に、100円の素材ひょうたんを買ってやった。子どもたちと買うひょうたんを選んでいたら、じいさんが「ひょうたんは女の子のお守りだからね」とちらっと言ってきて、なにしろ僕はひょうたんのことをペニスケースとして見ているので、高齢の人はさらりとこういう性的ジョークを口にするんだよなあと思ったのだけど、よく考えてみたらたぶん子宝とかそういう意味だ。俺の頭がペニスのそれに染まりすぎていただけの話だった。とは言えひょうたんの実物を見ることができたのは本当によかった。なんとひょうたんの種まで貰う。「鉢でも作れるから」と言われたが、どうしようかな。種は千成ひょうたんのそれなので育て上げたところでペニスケースにはならない。しかし純粋に興味はあるので、育ててみたい気もする。するとしたら種蒔きは3月中にするもののようなので、やるなら早めに決意しなければならない。
午後は、先日の模様替えによって部屋の快適化熱が高まったので、棚やチェストの整備を行なった。「消しゴムはんこ」とか「パイピングテープ」とか「刺繍糸」とか、これまでも一応は区分してあったのだが、暮しの中でどうしてもそれがだんだん混沌としてきてしまう(片づけるときに面倒くさがるからだ)。また最近になってマイク装飾のための「リボン」および「造花」という資材が加わったため、それらにもきちんと引き出しを与えたいという気持ちもあった。たまにこの作業をすると、自分が何を持っているのか把握できていい。欲しい欲しいと思ってたら、もう持ってたのか、なんてこともけっこうある。それにしてもちまちました手芸用品が俺は好きだな。道具類を眺めていてしみじみとそう思った。
明けて今日は、午前中に買い物に出た。100円ショップとスーパー。スーパーでは当日の調達となった雛あられを買った。今日は女の子の日。女の子の日って言うと、なんかちょっとアレな感じになるけれど、そりゃあ世の中には女の子の日に初めて女の子の日を迎えた子だっているだろう。ちらし寿司の予定だったのがお赤飯になっちゃったね、みたいな、そんな家庭も日本のどこかにはあるのだろうと思う。
午後は子どもたちに気づかれないようにスーッと家を出て、ひとりでプールに繰り出す。予告どおり3月の月間会員になったので、金曜日の夜も泳いだし(そのあととんかつでビール不可避)、休日もこうしてアグレッシブに出向くのだった。休日の水泳は、やっぱり平日の労働後よりも体力が残っているのだろう、すいすい泳げた。30分ほどかけて、たぶん600メートルくらい泳いだろうと思う。酒を飲まないし泳ぎはするし、3月の僕はいよいよ輝かしい存在へと昇りつめようとしている感がある。あるいはただ単に失われ始めたなにかを取り戻そうと必死なのかもしれない。
帰宅後はちらし寿司の準備。と言ってもベースはちらし寿司の素である。そこへ干し椎茸だけは足そうと、朝から水に浸けてあったものを煮詰める。あと錦糸玉子を作った。上には海老と桜でんぶを飾る。食べたらとてもおいしかった。太巻き寿司にしろちらし寿司にしろ、なんてったって鍵を握っているのは干し椎茸だ。干し椎茸による全体のおいしさの底上げ力は、すさまじいものがあると思った。
そんな感じの週末。健康的な週末。
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