日曜日の朝、島根に妻子を迎えに行く。先週が4連休で、しかしそのときはまだ子どもたちは終業式前で、そして今週は土曜日まで出勤だったのだった。まったくうまいこといかない日程だな。土曜日の退勤後に出発しようかとも考えたが、夜半に向こうに着いても利点はほとんどなくて、パジャマとか洗顔とか荷物が増えるだけなんだよな、と思ってよした。寝る前にファルマンから、「こっちは雷雨だから今夜に来ないで正解」とメッセージが届いた。前日に移動する唯一の利点は、行きと帰りの運転の間が空くということなのだけど、1日の中でなるべくその点を希求しようとすると、早朝に行く、という結論になる。というわけで4時半に起きて、5時前に出発した。ひとりだと行動が身軽だ。はじめは日の出の前で、走っている途中から明るくなった。天候はあまりよくなく、それどころか途中で吹雪に遭った。なんか前にもこんなことがあったなと思い出した。山地では3月下旬、と言うかほぼ4月でも普通に雪が降るのだ。山はおそろしい。あれは人が易々と越えてはいけないものだ。向うへの到着は8時前。ファルマンに「早い」と驚かれた。ポルガは僕の顔を見るなり、「もう来ちゃったのー。まだ遊びたかったのに」とホザいた。ポルガのこれは憎まれ口とかなにかの裏返しとか、そういうのではまるでなくて、本当に感じたことをそのまま口にしたのである。そのあとも祖父母や犬と絡んでばかりで、ほとんど僕とは接しなかった。実家でのポルガの通常運行だ。なので僕のことが「見える」ピイガと、ふたりで「スター☆トゥインクルプリキュア」を一緒に観て、そのあと少し散歩に出た。しかし本当に少し。山陰の風はあまりにも強く、そして冷たかった。山陽住まいにはあまりに過酷で、すぐに逃げ帰った。思えば10年前の3月の結婚式の際、出雲空港に到着するはずの飛行機は、生命の危機を感じさせるほどに乱高下した挙句、引き返して大阪に着陸したのだった。春先の山陰というのはそういうものなのだ。10時半くらいになり、義父母が孫ふたりを見てくれるというので、ファルマンとふたりで出掛ける。実家在住の際によく買い物に出ていたエリアに行って、店の変遷を眺めたり、買い物をしたりした。昼食のマクドナルドを買って帰宅。ハッピーセットでドラえもんのおもちゃ第2弾をもらう。また家族4人分注文したが、被ったものもあり、全種は揃わなかった。まあこれは仕方ない。そのあと少しのんびりして、2時半くらいに出発した。帰りの道ではまた山地で雪交じりの雨の強襲を受けた。ひとりの早朝の体験談だと「吹雪いたんだよ」と伝えても「それはまあ」くらいの反応だったので、味わわせることができてよかった。長いトンネルを抜けて山陽に出たらスカッと晴れた。山陰山陽ってずいぶんなネーミングだよな、という話なのだが、しかしどうしたって明白に陰と陽だ。もうこれは仕方ない。家の近くのスーパーに立ち寄り、出来合いの夕ごはんを買って帰宅。6時前の明るいうちに帰れてよかった。日帰りでこういうことをすると、日中に現地にいた自分と、朝と夜に自宅にいる自分が、日なのか人なのか分からないが、なにか同一のものとは思えないような気がして、不思議な気持ちになる。休日を過した気もあまりしないし、しかも明日からは新年度という大きな区切りということで、なんだか本当にゆらゆらとしている。
そうなのだ、新年度で、そして新元号発表なのだ。
「hophophop」において、元号をもりもり予想する、数打ちゃ当たる、と言っておきながら、3月は泳いでばかりいて、ろくに予想をしないまま、もう明日には発表なのである。思えば僕は昭和58年の9月に生まれて、だから5歳3ヶ月くらいのときに平成になったのである(ちなみにこれは偶然にも今回の改元のピイガの年齢とほぼ合致する)。そして5歳の頃の記憶なんてもちろんないので、つまり僕の人生はまるまる平成だと言っていい。人から年齢を訊ねられた際は1990年、平成2年生まれの28歳と答えることにしているので、そういう意味でもがっつり僕は平成の人間である。
それの次が決まるのだ。
上記の通り、元号が替わるのはほぼ初体験なので、ドキドキしている。これはお札が替わったときの気持ちに少し似ている。夏目漱石から野口英世へ、新渡戸稲造から樋口一葉へ、それぞれ替わる(そしてなぜか福沢諭吉は替わらない)というニュースを聞いたとき、うっすらとパラレルワールド感を味わったことを覚えている。当たり前と思っていた世の中の仕組みが変化するとき、少しだけ異世界に迷い込んだような気がする。これまでの世界とよく似ているけど、でもちょっと違う世界だぞ、と思う。元号はお札よりもさらにその感触が強い。新元号がなんであっても、明治大正昭和平成より、違和感がある。それは当然なのだけど、やはり少し不気味だ。でも愉しみ。要するに、ぞわぞわしている。