ファルマンの実家にレコードプレーヤーがやってきた。当時買ったレコードは捨てずにとってあったのだけど、プレーヤーはとっくになくなっていたのが、昨今にわかに世間でレコードブームが起り、プレーヤーも手に入りやすくなったことで、両親のレコード熱がふたたび高まったらしい。たぶん、いまの60代70代あたりの人たちの家庭で、とても多く発生している現象であろうと思う。
この一連の流れを、僕はあまり快く思っていなかった。快く思わなくないであれよ、と思うが、なんというか、レコードの、レコードにしかない味、みたいなことを声高にいう感じが鼻について、なんとも嫌なのだった。単館系映画とか、絶版本とか、カルト芸人とか、そういうのと同じ。そういうものの存在そのものを否定するわけではないが、それらの周りには必ず、「それの価値が判る自分」を、度合の強弱はあれど主張する輩が存在する。だから嫌いだ。
そのため義母から、「レコードプレーヤーがあるんよ。いいでしょう」といわれた際、「僕、レコードには一切興味がないんです」と、はっきり答えてしまった。冷静に考えると、そんなこというなよ、と思うが、あいまいな態度を取った結果、聴かされて、その味わいについて感想を述べさせられる展開になったらたまったもんじゃないと思ったので、ぴしゃりと遮断する意図があった。しかしながら義母も負けじと、「それなら余計に聴かさないとね!」といってレコードをかけ始めたので、これは決して、心ない義理の息子が、老いた義父母をいじめた話などではない。ちなみにこの話の顛末としては、どれがいいかと並べられたレコードを、どれがいいもなにもねえよ、と眺めていたら、その中にNSPのベスト盤を発見したので、すげえ、とちょっとテンションが上がって、それをかけてもらい、しっかり聴いた。ただしこれはあくまでNSPが聴きたかったのであって、レコードという媒体にどうこうという思いはない。レコードでなければ聴きたい曲の頭出しとか便利なのになー、と思いながら聴いた。
レコードに対していい印象を抱いていないのは、上記の理由もあるが、それに加えて、やはり自分がMD世代だからというのもあると思う。親世代のレコードに対して、我々世代のMDは、なるほど象徴的なショボさだな、としみじみと思う。MDには、親たちがレコードに対して抱くような郷愁や感慨は一切ない。しかしその「なさ」が、いかにも我々世代っぽくて、その「なさ」に郷愁や感慨を抱こうと思えば抱ける、という、複雑な様相を呈している。
話は唐突に変わるが、V6がそろそろ解散ということで、テレビでいろいろやっている。そのためV6に思いを馳せることが多くなり、それで思ったのだが、V6というのはMD世代のシンボル的なグループなのではないかと思った。この文脈では、まるでV6のことをショボいといっているようだが、そういうわけではない。そういうわけではないが、SMAPやTOKIOや嵐に較べて、V6というのは低空安全飛行的な、突っ張らない、地味な、しかし安心感があり、もちろん華やかさもありつつ、身近でもあり、ちょうど今日スペシャルをやっている「学校へいこう」は我々の中高時代のど真ん中の思い出で、そして我々の中高時代というのは、それすなわちMD時代なので、なんかもう本当に、V6ってMDだ。V6はMDの象徴であり、残影だったのではないかと思う。そのV6が、とうとう解散する。これまでSMAPやTOKIOの解散、そして嵐の活動休止に対して、僕は特になんの感想も抱かなかった。それが、まさかV6で初めてこんなもの哀しい気持ちになるだなんて。