そんなわけでこの週末は、クリスマス要素と年の瀬要素がマーブル状に入り混じる、なんだか掴みどころのない感じだった。
金曜日の夜は、職場の忘年会だった。相変わらず、時間が長く感じられた。ぜんぜん愉しく思えない飲み会だが、中心のおじさんが満足げであれば、それはそれで理解できるのだけど、決してそんなこともなさそうで、だとすれば本当に夏と冬のこの会というのは、誰のどんな情念で開催されているのだろう、と思う。唯一の救いとして、食事はわりとおいしかった。飲み物の選択肢に日本酒がなかったので(嘆かわしいことですね)、ビールのあとは赤ワインにした。思えば2024年は僕のワイン元年であったな。
翌日土曜日は、一家でショッピングモールへと繰り出した。ポルガの部活はやはり秋口までがメインで、3年が引退して以降は明らかに流してる感じがある。また新年度を見据えた春先あたりから活発になるのだろう。ショッピングモールではメガネを見た。今年1年のご褒美として、リーディンググラスを買うことにしたのである。英語圏では老眼鏡のことをこう呼ぶのだそうだ。すばらしいと思う。おい日本人、そういうとこやぞ、と思う。お店の人に要望を伝え、検査をしてもらい、「じゃあこの1.0のやつですね」という案内をされ、何種類かフレームの選択肢のある中でひとつを選び、それを買った。買ってから、この1.0というのは別に僕の視力に合わせて調整をするものではなく、共通の規格なのだ、だからもうそのレンズが嵌まったやつが用意されていて、それを買って帰るだけなのだと、初めてリーディンググラスのシステムを知り、だとしたらこれってわざわざメガネ屋で何千円か出して買わんでも、ネットで、もっと安い値段で、いろんなフレームの選択肢があったんじゃないか、と気づいた。まあ検査もしてもらったし、勉強代と捉えることにしようと思う。帰宅後、本を読むときや、裁縫をするとき、着けたりしている。でも実はまだ、そこまで必要じゃないってことなんだろうな、というのを感じている。まあ腐るものではないので、転ばぬ先の杖的な感じで持っておいて損はないと思った。
午後はプールへと繰り出した。12月の土曜日の半端な時間だというのに、まあまあ人がいた。もっともこの「まあまあ人がいた」というのは、あくまで島根県感覚なので、よその地区の人に共感してもらえるかは分からない。土曜日の余裕から、たっぷり歩き、たっぷり泳いだ。気持ちがよかった。
晩ごはんは、ぶり大根と、かぼちゃの煮物。どちらも醬油味。ぶり大根は昨日の時点から心に決めていて、かぼちゃは冬至ということで売り出されていたので、縁起物だし食べておくか、という気持ちで急遽採用した。日本酒が進むいいメニューだった。
明けて日曜日は、夕方にケーキを取りに行く以外は予定がなく、家でのんびりと過す。ファルマンと子どもたちは午前中に実家に行って、祖父母からクリスマスプレゼントを受け取っていた。ポルガはペン軸とペン先のセット、ピイガは豪華な色鉛筆。なんだかやけに絵を描くのが好きな姉妹のようじゃないか。まあ実際よく描いているけれど。
午後は、もらったそれらを使って、早速クリスマスポスターを描いていた。ふたりとも個性のよく表れたいい出来だった。また写真に撮ってここにアップしようと思ったら、ファルマンに「ポルガは自分の絵をインスタにアップしたりするし、やめときなよ」と窘められたので、自重することにした。ややこしい渡世だな。
いい時刻になったので、買い出しとケーキの受け取りに出た。スーパーは、ディスプレイ的にも、人出的にも、クリスマスのような、クリスマスでないような、本当に微妙な感じだった。案外平日でも24日にやる人のほうが多いのだろうか。
クリスマスのメニューは、ひと晩味を付けておいた骨付きの鶏肉と野菜をオーブンで焼いたもの、フライドポテト、チルドのシンプルなピザに自前で具をたくさん載せたもの、2種のパスタ(たらこクリーム・ペペロンチーノ)、コーンスープ。日付こそ微妙ながら、それでも家族で囲むクリスマスディナーは、格別の多幸感があった。クリスマスが年末にあるのっていいことだな、7月とかにあったらあんまりいいイベントにならないだろうな、などと思った。
食後はケーキ。箱から取り出してみると、去年と変わらない程度の価格を出しているはずだが、明らかに去年よりもワンサイズ小さくなっていた。それはそうだろうとも思ったし、言い知れぬ格別の侘しさを感じもした。わが家の場合、約10日後にリベンジの機会があるので、その際は大きさにこだわって手作りをしようと心に誓った。
そんな感じのクリスマス週末だった。子どもたちにプレゼントが届けられるのは当然25日の朝である。なんだか本当に間が抜けた感じだな。来年、再来年のために、どうするのが正解なのか、よく考える必要があるかもしれないと思う。