11月から12月へ

 意外と「おこめとおふろ」を20日間も書いていなかった。ブログを複数持っていて、さらには新しいブログなんかも作ってしまったので、どうしたってこういう事態が出てくる。しかし他のブログならそれも仕方ないかもしれないが、「おこめとおふろ」はなんてったって日常生活の記録のブログである。僕の各ブログにはそれぞれの担当陣営がついているわけだけど、いちばんアクがなくて穏和そうな「おこめとおふろ」担が、実はいちばん苛烈であるというのは、よく知られた話だ。そのため、かの人たちのことを思うと、20日間も放置してしまったことに罪悪感を覚える。体調を悪くした人もいたかもしれない。本当に申し訳なく思う。
 さて11月パピロウ月間が終わり、12月に入った。今年もあと1ヶ月である。信じられない、とも思うし、この1年間の日記を読み返したばかりだから納得がいく、とも思う。
 11月最終日の土曜日は、午前中はいつものように買い出しに出た。いろいろ高い。家のおやつが枯渇したので、この日はおやつをいろいろ仕入れたのだけど、お菓子も以前に較べてすごく高くなった。板チョコが130円とかする。板チョコは100円(あるいは以下)という固定観念があるので、値札を見るたびにぎょっとする。100円という値段は固定にして大きさのほうを変えてくれよと思っていたが、このあと行ったダイソーで実際にガーナの板チョコが売られていて、それはなんか虚を突かれるような、自分が巨人になってしまったと錯覚するようなサイズだったので、やっぱりこれはこれで切ないな、と思った。
 午後は部屋にこもり、裁縫や筋トレをして過した。11月末日の土曜日ということで、これまでの僕だったら当然、2階が閉鎖される最終日でもあり、おろち湯ったり館が頭に浮かんでくる状況だったのだけど、今年はそうはならない。おろち湯ったり館とは、お別れをしたのだ。別れたことに後悔はないつもりだが、輝いていた日々のことに思いを馳せると、やはり切ない気持ちがこみ上げる。
 ところで部屋では、寒かったのでストーブを点けていた。先日灯油を汲んできて、今年のストーブ生活が開始したのである。しかしそうしたら空気が澱んだようで、気分が悪くなり、夕方くらいからやけにしんどくなった。我ながら日々フレッシュに生きているなと感心するが、ストーブを点けたときは換気を心掛けなければならないということを、シーズン初めですっかり失念していたのである。そんな中で筋トレ。ダンベルフンフン。それは参るよ。もしかしてバカなんじゃないか。
 晩ごはんは、午前中の買い物のときが寒すぎたので、想定していたメニューを取り止め、これはおでんしかない、と急遽おでんに差し替えたのだけど(昼ごはんのあとにもう仕立てていた)、そんな具合になってしまったので、おでんを夕飯から晩酌までグダグダやり続けるという青写真は露と消え、これはもう、早めに寝就き、たっぷり睡眠時間を確保して、とにかく体を回復させねばならないとなって、消化不良だった。そんな11月末日だった。
 12月初日の今日は、なんと一家でカラオケに行った。一家で行くのはだいぶ久しぶり。岡山以来だ。もっとも一家と言いつつ、部屋はふたつである。思春期である上の娘は、家族と一緒にカラオケなんかしないのである。さらには「離れた部屋にするよう店員に言え」という注文までつけてきた。実に思春期だなあ。というわけでポルガはひとりで、僕とファルマンとピイガは3人で、それぞれ唄った。3時間。
 僕が唄ったのは順番に、「はたらくくるま1」(のこいのこ)、「黄金の海で逢えたなら」(関取花)、「ぼくドラえもん」(大山のぶ代)、「フクロウの声が聞こえる」(小沢健二とSEKAI NO OWARI)、「トップ・オブ・ザ・ワールド」(カーペンターズ)、「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)、「ホネホネロック」(子門真人)、「芝生」(ハルカリ)、「唇よ、熱く君を語れ」(渡辺真知子)、「許婚っきゅん」(ano)、「はたらくくるま2」(子門真人)、「彗星」(小沢健二)、「天国街道」(リュックと添い寝ごはん)、「君は薔薇より美しい」(布施明)というラインナップ。大山のぶ代と西田敏行、そしてハルカリはいつもの追悼歌唱。ハルカリがなぜ追悼なのかと言えば、作詞が谷川俊太郎だからであるという、ちょっと意味の分からない執念を見せてみた。昨日やや崩した体調がまだ万全ではなく、どうなることかと危ぶまれたが、やっぱりマイクを持つとそこはプロ、そんな内実などおくびにも出さず、張りのある声を響かせたので、さすがだなと思った。
 しかし帰宅したあとは、また少し寝た。昨日からの合計で半日くらい寝ていないか。これは僕の身体が、冬仕様へとメタモルフォーゼしている現れかもしれない。だったらいい。まだ寒さは本格的じゃないのに、あまりにもつらすぎないかと思っていたが、要するに身体がまだぜんぜん冬のそれになっていなかったんだろうと思う。そう信じたい。
 あと身体的なことでついでに言うと、流行語大賞の「ゴーーーン」の項で述べたことだが、10月終了時点で今年の射精回数は、2023年(記録108回)ととてもいい勝負だということが判明し、ここからはちょっと意識的に回数増量な感じで行こう、去年の僕より今年の僕は1年分だけ年齢を重ねているけれど、こと年間射精回数に関しては、去年の数字はいまさら増やせないが今年はがんばれば増やせるという圧倒的なアドバンテージを有している(今後もこのアドバンテージは有し続ける)ので、おとなげなく1年前の若い俺をねじ伏せようと思考し、そういう発想のもとで11月を過した結果、どういうことになったかと言えば、実にすばらしいパフォーマンスとなり、もしも僕に射精のパーソナルトレーナーが付いていれば、とても褒められたに違いない数字を叩き出すことに成功したのだった。11月の旧称は霜月だが、僕にとってはシモ月だな(笑)、ってなもんで。なるほどこれならば「おこめとおふろ」を20日間書かなかったのもやむなしである。これにより12月に相当な余裕ができた。射精貯金である。もはや取り組む上での焦点は、来年のことも鑑み、どのあたりの数字で打ち止めにするか、という次元になっている。ゆとりがあるっていいな。
 まあそんなような、11月から12月への移行でした。愉しく暮しています。