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2025年夏の自家用車横浜帰省 5日目


 前にも書いたが、実家の布団は硬い。どういう作用によるものか、年々硬くなっているような気がする。3日目ともなると、今晩もあの布団で寝るのかと思うだけで憂鬱になる。それくらい硬い。しかし1年で3日しか寝ない身分でマットレスを所望することもできず、耐え忍ぶしかないとあきらめていた。だが今回、これはさすがに体への負担が大きすぎるとなって、次に帰省する際は、車に自前のマットレスを積んでこようと決心した。子どもたちはさすがなもので平気らしいので、僕とファルマンのふたり分でいい。たぶんキャンプ用品とかで、コンパクトに収納できるいい感じのものが世の中にはあるはずだと検索したら、安い値段でいくらでも出てきた。安くていい。そこまでのクオリティなど求めない。現状の、畳に硬い布団だけのつらさに較べたら、どんなものでもあるだけマシだろうと思う。次は忘れず、必ず。
 この日は実家を立つ日で、しかし例のごとくホテルまで移動するだけなので、急がない。午前中はのんびり過し、早めの昼ごはんをお腹に入れて出発という算段だった。この午前に、僕はプールに行くことにした。横浜でプールに行くチャンスがあるかもしれないと思い、用品は車に載せてきていたのだ。子どもの頃によく行った北部(都筑)プール、中学生の頃よく行った中川(山崎公園)プール、そして横浜国際プールと、行きたいプールはいくつかあったが、実は高校時代から住むいまの実家からいちばん近いプールは、住所は川崎市となるヨネッティー王禅寺というプールであると母に教えられ、じゃあそこに行ってみるか、ということで行った。もちろんひとりである。この世でいちばん狭い駐車場なんじゃないかと思うくらい狭い駐車スペースにヒヤヒヤしながら車を停め、たどり着いたプールは、採光はまあまあ良かったが、水深が浅く、うーん、という感じだった。あとシャワー室や更衣室がだいぶ粗雑な印象で、なんだか遠い島根のホームプールのことが恋しくなった。
 プールの帰りに給油を済ませ、出発する。結局、昨日おとといとがっつり外出したので、なんだかあっという間の帰省だった。本日の目的地はどこかと言うと、これがなんとキャッスルイン豊川なのである。さすがにはじめからそうするつもりではなかったのだが、実は今年もポルガの部活に振り回され、1ヶ月ほど前に帰省の日程が1日後ろ倒しになったことで、帰りに泊まるはずだった三重県のホテルはキャンセルし、行きも帰りもキャッスルイン豊川ということになったのだった。好きすぎるだろ、キャッスルイン豊川。
 この日は途中まで新東名を走ったのだが、御殿場を過ぎたあたりで、たぶんあれは富士山の中腹なのだろう、という姿を目にした。上半分は雲が掛かっていたが、いちおうは見えた。あと2025年に新東名を走る以上、どうしたって参らないわけにはいかないスポット、浜松サービスエリアにももちろん立ち寄った。もっとも本来は上り方面でなければならないのだが、そこはしょうがない。広末涼子は奈良県での撮影のあと、ここで同乗男性と運転を交代し、そして掛川PA付近で事故を起したのだ。そしてこの浜松サービスエリアでは、通行人に「広末でーす」と大声で名乗るなどの奇行が目撃されていたという。この一件が報じられて以来、今年も帰省をするなら絶対に浜松サービスエリアに行かなければいけない、行ったら俺も「広末でーす」と叫ぼう、もしかしたら当地には「広末でーす」を記念した撮影スポットができているかもしれない、などと考えていた。残念ながらそんなものはなかったが(上りにはあるのかもしれない)、ああ自分はいまあの現場にいるのだと感激し、聖地巡礼をするファンの心理が初めて解った気がした。ちなみにだが、広末涼子はあの日、車の運転で140キロを出していたと言われるけれど、このあたりの道は制限速度が120キロだったりするので、140キロというのもそこまで素っ頓狂な数字ではない、ということをここに記しておく。これで世間の広末涼子に対する印象が少しでも改善されればそれ以上の望みはない。
 テレビっ子としての欲求も無事に満たし、4日ぶり3度目のキャッスルイン豊川へ。数日前に泊まったホテルにまた泊まるという経験は初めてで、なんだか不思議な感覚だった。この日も思う存分、漫画やサウナを堪能する。前回の月曜日(11日)がけっこう混雑していたので、金曜日なんてもっと混んでいるだろうと思いきや、この日はそれほどでもなかった。前回のサウナでは、テレビで「ラーゲリより愛を込めて」をやっていて微妙な気持ちになったが、この日の金曜ロードショーでは「火垂るの墓」をやっていたはずで、避けていたわけではなく、ちょうどその時間帯にはサウナに入らなかったのだが、さすがにチャンネルがそこに回されてはなかったろうな、などと思った。
 3日実家の布団で寝たあとのキャッスルイン豊川のベッドは、まるでベッドのようだと思った。雲のよう、などと大袈裟なことを言うつもりはない。ベッドがベッドだった。それでいいのだ。実家の布団は、なんかもう布団としての要件を満たしていないように思う。実家の布団への恨み節がしつこい。でも本当に実家の印象がそれだけになるくらいのインパクトだったんだもの。

夏なんだな


 意識を取り戻したら、8月ももう中旬に差し掛かろうとしているのだった。
 この半月は、本当にそんな感じで過ぎた。生きてだけ、いた。
 8月でプールに行ったのは一度きりで、労働終わりの夜だったのだが、普通にファミリーで賑わっていた。17時以降は利用料金が下がるし、なにより昼間よりも空くから、その時間から繰り出す作戦を取っているのだろう。プールの経営が危うくなっては困るので、かき入れ時にいくらでも稼げばいいと頭では思いつつ、どうしても、習慣としてプールエクササイズを嗜む人しかいない、人口密度の低い、統制の取れた世界が懐かしい、という気持ちを抱いてしまう。タチの悪い常連客のムーブ。もっとも、実はもうあと半月くらいの辛抱だったりする。夏は短い。
 プールに行けないのは、混雑に加えて、体力が残っていないのも大きな理由で、同じ理由により筋トレもままならない日々だった。ちょうど、冷房病によるものか、首回りに疼痛のようなものがあって、腕立て伏せをすると痛みがあって、これはまずいなあと思っていたのだが、うまくできているのかなんなのか、余力のなさで筋トレをする意欲が湧かない日々が、結果として肩を安静にしたことにより、少し前に感じていたそれは癒えたようである。
 筋トレはできなかったのだが、同時にろくに食べもしなかったので、鏡を見ると、意外と引き締まっている感じがあって、なんだか不思議な感じだ。ボディメイクは難しいな。やけにフンフン気張ってやっている時期、逆にプヨプヨした見た目になるケースもある。
 それとこの日々のトピックスとしては、リビングのテレビが壊れたのだった。あるとき突然リモコンが反応しなくなり、ただしそれ以外の機能は問題ないので、たぶん信号を受信する部分だけの問題なのだが、なにぶん10年前くらいに買った中古品なので、まあ実際買い換え時だろうという話になり、新調することになったのだった。少し前のめりで新しいテレビを求めたのは、テレビの使い方が前と比べて変化したからで、以前どこかに書いたが、ファルマンや子どもたちは「入力切替2」でネットの映像ばかりを観て、観終えるとそのままスイッチを切るので、僕が次にテレビを点けたときに地上波が映らないじゃないか、テレビなのにテレビが映らないってどういうことだ、となり、不便を感じていた。それがいまどきの新しいテレビでは、入力切替などせずとも、リモコンにあるボタンひとつで、YouTubeなりNetflixなりが映し出せるようになり、たとえそのまま消されても、いくら頑迷で老害なおっさんであっても、リモコンの「地上」ボタンを押すくらいなら我慢できるので、新しいテレビが来て以来、わが家のテレビ事情はとても平和になった。
 そんな8月上旬を経て、僕も本日から夏休みに入り、そして今年も自家用車での横浜帰省を決行する予定である。今年はいまのところ、南海トラフ警戒情報が発令されておらず、それだけで去年よりもだいぶ救いがある。その分、高速道路の混雑は多いだろうか。さらには移動日に雨の予報もあって、やはりなかなか一筋縄にはいかなそうだ。しかしそんなことも含めて、とても愉しみだ。宿泊先での計画も多数あり、いい思い出になったらいいなと思う。また帰ってきたら記録を書こうと思う。

GW2025の記録

  GWの4日間を、まあまあ満足のいく出来で終えようとしている。その記録をしてゆく。
 初日、5月3日は、このGWで唯一と言っていい、予定していた計画として、米子へと繰り出す。米子市美術館で開催中の、さくらももこ展が目当てである。わが家では現在、主にピイガが、「ちびまる子ちゃん」から入り、「コジコジ」にドハマりして、さくらももこワールドにどっぷりと浸っているのだった。また米子というのが、普段よりちょっとだけ大掛かりなGWの外出先として、非常に適当な位置関係であり、実に都合がよかった。しかも、次女一家の長女(ピイガと1学年違い)も同じく「ちびまる子ちゃん」が好きなので、それではこの日に、兵庫からまたこちらに帰省してくる次女一家と、あちらとしては通り道である米子で落ち合って一緒に観賞しようという、見事な計画を春休みの際に立てていたのだった。
 というわけで、昼まで部活だったポルガを学校で拾い、昼過ぎから米子に向けて出発する。ちなみに計画を話したところ三女も行くということになり、同乗していた。さくらももこはすごい。女子は35年前くらいからずっとさくらももこが好きだな。車内音楽は、この日専用のプレイリストを作り、子どもやファルマンがめいめい好きな曲を入れる中、僕だけは律儀に、アニメ「ちびまる子ちゃん」の歴代主題歌などを入れていたのだが、残念ながら行きではほとんど掛からなかった。ちなみに「ちびまる子ちゃん」だけでは、ひとりの持ち数である10曲に達しなかったため、「ドラゴンボール」の主題歌も入れた。これはなぜかと言えば、同じく米子にある天満屋というデパートで、ちょうどドラゴンボールのポップアップストアが開催されていたからだ。僕が熱烈な「ドラゴンボール」ファンであれば、女どもがさくらももこ展に行っている間、俺は「ドラゴンボール」のほうへ、という、まるで30年前の男子と女子のような図式になっておもしろかったろう。もちろん天満屋へは行かなかったし、さらに言えば「ドラゴンボール」の曲も行きではほとんど掛からなかった。僕の入れた曲は、行きでは「MajiでKoiする5秒前」しか掛からなかったんじゃなかったか。
 目的地には13時半くらいに着いた。次女一家は兵庫からなので、正確な時刻での待ち合わせなどはもちろん不可能で、先に着いたほうが美術館の中で鑑賞しながら待ってればいいよね、という感じだったのだが、運の悪いことにこの日の高速道路は事故が重なり、通行止めになる区間などもあって、この時点で次女一家はまだ岡山県という有様だった。これはだいぶ待つことになりそうだねえ、などと話しながら、家族と三女を美術館前で降ろした。降ろして、僕はひとりで次の目的地へと向かった。もちろんドラゴンボールショップではない。どこかと言えば、僕の日記をきちんと読んでいる人はすぐピンと来ると思う。
 そう、ラピスパだ。3月の鳥取遠征の際、少しだけ色気を出したけど、疲労から行くのを断念した、サウナ温浴施設。「ラピスパは長い人生、いつか行く機会がある気がする」と3月の際に書いたが、意外と早くその機会は巡ってきた。もっとも同市内と言っても、米子市美術館からラピスパは片道で20分ほど掛かるので、往復で40分かー、という気持ちも多少あったが、今度こそ行かないとまた後悔が尾を引きそうだな、と思い決行した。
 というわけで、ようやくのラピスパ初来訪となった。ちょうど、どちらかと言えばこっちがいいなあと思っていたガーデン風呂が男風呂の周期だったのもよかった。GWということで大混雑だったら嫌だなあと思っていたが、さすがは山陰、ほどほどの混み具合で、なんら問題なかった。名物のバレルサウナは、熱の感じがどうこうというより、室内がかなり暗くて、そのことに驚いた。言われてみればサウナってあんまり明るい意味ないよな、と思った。外気浴は、やや冷たい風が気持ちよかった。コールマンのインフィニティチェアが、とてもいい座り心地で感動した。ちなみにラピスパにはプールもあり、もちろん水着も持参していたので入ったのだけど、直線ではなく、円の中を歩いてジェットを体に当てたりする、健康増進目的みたいなプールで、さらにはファミリーもそれなりにいたので、プールとしての喜びはまるで得られず、早々に退散した。幸い、この2日前からプールには困っていないので、ガツガツしていないのだった。
 満足いくまでサウナを堪能し、それまでもちょくちょく連絡がないか確認はしていたのだが、ぼちぼちそちらへ戻ろうと思うよとファルマンに連絡したところ、向こうも美術館観賞を終わろうとしているが、次女一家は未だ来ていないということだった。そのあと4人を再び美術館前で拾ったあと、待機ついでに天満屋のドラゴンボールショップならぬ、高島屋で開催中の「うまいもの博」なんかを覗いたりもしたのだけど(島根にはもはや存在しない「百貨店」というものの雰囲気を本当に久しぶりに味わった)、この日の高速道路は本当に厄日だったようで、次女一家のさくらももこ展行きは断念され、米子での合流は成らぬまま、それぞれ実家を目指すこととなった。なんだかんだで、実家にはほぼ同じくらいのタイミングでたどり着いた。次女一家は、米子に13時台に着けるよう午前中に出発しての、夕方のゴールである。おつかれさま、としか言いようがない。さくらももこ展のグッズショップで買ったおみやげだけ渡し、この日はほぼ挨拶だけして、われわれは自宅に帰った。
 翌日は、GW中の唯一のイベントが終わったので、いとこと遊びたがる子どもたちを実家にうっちゃって、これからの3日間は家でのんびり、やりたいと思っていたことをひたすらやろうと目論んでいたのだが、サービス精神なのか責任感なのか、我ながらよく分からない心の運びなのだが、気がついたら午前中に買い出しに出て、昼には実家のホットプレートでパンケーキを焼いていた。ほのかにしか甘みのついていない粉を使用し、パニーニのような感じで、キャベツとソーセージを乗せて包んで食う感じにしたものをまず全員分作って昼ごはんとし、残った粉を長方形のプレートのように焼いて、熱を取ったところで、チョコペンで、つい先日3歳になった次女の次女への祝いの言葉を記し、さらにはホイップクリームやカラフルなチョコスプレーでデコレーションしたものを作った。冷静に考えると、なんで義理の伯父が急にそんなことをするんだろうという話だが、もはや性分としか言いようがないのだった。ちなみに僕とファルマンはそのケーキ的なものは食べず、昼ごはんを済ませたあとは早々に帰った。帰ったあとは、とても静かな自宅で、裁縫をして過した。母の日に、また手作りのものを送ろうとしていて、その作業である。まあまあ進む。夕方に娘たちを迎えに行った。
 翌日こそはのんびりしようとも思ったのだが、空がとても晴れ渡っていて、このまま子どもたちをただ実家に連れていったら、昨日の午後のように、ひたすら室内でグダグダワアワアと過すのだなと思うと、せっかくのGWの、それも子どもの日だというのに、あまりにも不憫であろうと、またひとりで勝手に気を揉んで、海に行くことを企画してしまう。なんかひとり、やけにジタバタしているような気がする。誘ったら誘ったで実家の面々も応じ、義父の車と2台に分かれて、キララの海岸へと向かった。GWの海は、泳ぐにはさすがにまだ温度が低いけれど(海開きももちろんまだ先だ)、足を浸すのには十分なあたたかさで、僕は(実は持っている)バミューダパンツ型の水着をハーフパンツとして穿いてここまで来ていたので、わりとぐんぐん海の中を突き進み、腰くらいまで入水し、海の感じを堪能した。海は波があってやっぱり愉しいな。子どもたちも着替えを持ってきていたので、ハーフパンツが水浸しになるまで海に入っていた。そして他の大人たちは砂浜からわれわれのことを眺めていた。どうも昨日、いやおとといから、GWを思う存分に堪能しようと、ひとりで躍起になっている。生き急いでいるのだろうか。海での遊びを終え、昼ごはんは義父母の奢りでマック。海で遊んでマックだなんて、なかなかいいこどもの日になったじゃないか、と満足した。
 そのあとはまた子どもだけ実家に残し、夕方まで自宅で過すパターン。この日は、これもGWにやりたいと思っていた、部屋の模様替えをした。模様替え、一時期は趣味なのかな、というくらい頻繁に行なっていたが、今回はだいぶ間が空いた。やったのは僕とファルマンの部屋の、タンスと工業用ミシンの入れ替えがメイン。これまで、パソコンが置いてあるテーブルの、すぐ背面にタンスがあり、僕のイスのせいでタンスが開けづらいというストレスがあったのだが、ならばタンスと工業用ミシンの場所を入れ替えれば、タンスは開けやすくなるし、僕は前を向けばパソコン、後ろを向けばミシンという、逆にどうしてこれまでその形にしていなかったのか、というくらいいい形になるのではないかと、少し前から構想していて、今回GWに一念発起してその作業を行なったのだった。ついでに生地の整理などもして、結果的にとてもいい形を作れた。本当にやってよかった。これまでパソコン用のイスとミシン用のイスという、僕のためにふたつのイスが部屋にあったのだが、これがひとつでよくなった。ファルマンのお下がりで使っていた、図体のやたらでかいオフィスチェアは、粗大ごみで棄てることにした。というわけでいま座っているのは折りたたみの簡素なイスなのだが、簡素は簡素で別にいいのだけど、これを360度回転するスツールにしたら、本当にくるっと身を翻すだけでパソコンとミシンが行き来できるようになって最高だな、などと考えている。やって達成感はあったが、午前中の海遊びもあり、いかんせん疲れた一日だった。
 翌日、最終日の今日は、次女一家は兵庫へと帰還するわけだが、これを見送ろうと考えると、予定していた時刻がどんどんずれ込んで、結局半日以上を棒に振るという事態になるので(春休みの際それをやってしまったのだった)、午前中はショッピングセンターに行ったり図書館に行ったりという用件をこなし、その帰り、昼前くらいに実家に顔を出し、見送れるなら見送るし、まだ出発しないようなら昼ごはんの前に退散しようという作戦を立てた。大きなダイソーにも行って、昨日の模様替えで必要性が出てきたケースなど、多数調達する。以前500円だったはずのケースが700円になっていて、どうしても必要だったので4つ買ったが、だいぶテンションが下がった。朝に聞いた出発予定時刻は11時とのことで、しかし次女一家のことだから11時に出発ということはあるまいと見込み、われわれの実家への到着が11時ちょうどになったのだが、そのとき次女たちはどんな状況だったかと言えば、なんかまだショッピングモールに買い物に行っている最中とのことで、じゃあ逆になんでいっつも実現できるはずのない出発予定時刻を伝えるんだよ、と軽く憤りを覚えた。子どもたちは家で留守番をしていたので、子どもたちはいとこらと最後の交流ができ、正午になっても帰ってこなかったので、当初の予定通りわれわれはそこで自宅に帰った。あとから聞いた話によると、それから数十分後に帰ってきた次女たちは、そのあと実家の面々と近所のファミレスに昼ごはんを食べに行き、それから出発したという。なんで! なんでショッピングモールで! 車の中で食べられるような! 適当なものを! 買って帰らないのか! 返す返すも、意地でも見送るために待とうだなどと考えなくてよかった。次に来るのは夏休み。まあまあ間が空くな、と思ったが、それってもう2ヶ月半後くらいのことなのだな。
 午後からは、GW最終日を、こうして日記など書いたりしつつ、それなりにのんびりと過した。母の日の手作り品は、まあまあ進んではいるけれど、もう今週の日曜日である母の日に、配達日数も含めて間に合うか、と言われれば難しそうだ。まあ当日にこだわりはないので別にいい。夕方、「買い物に行ってくるわ」と家族に伝え、こそっとプールへと繰り出す。昨日やおとといは混んだのかもしれないが、最終日の夕方ともなれば穏やかなものであった。明日からは日常。GWが終わると、しばらく真っ当な暦となる。泳いでストレスを解消しながら、なるべく心地よく暮していこうと思う。

24年~25年の年末年始記録 後期編

 7日目。1月3日。昨晩あたりからうっすらとその気配を感じていたが、喉に違和感があり、ゆるやかに体調が下り坂にあるようだった。加えて、しゃがむときなどに下半身に強張りを感じる。前日のランニングによる筋肉痛なのだった。全長3kmくらいの、途中で息が続かなくてだいぶ歩いた、あのランニングで筋肉痛になるのかよ、と驚いた。
 午前中は朝ごはんのあと、そのまま家族全員でのゲーム大会となった。おとといのブックオフで子どもたちが「スーパーマリオパーティー ジャンボリー」を買っていて、「パパもやるか」という誘いをこれまでは断っていたのだけど、この日は気が向いたので応じ、ファルマンも含めて4人でやることになった。前作「スーパーマリオパーティー」も子どもたちは持っており、こういうゲームが好きなんだなあ、と少し意外に思う。僕は美少年の頃、この手の、ミニゲームたくさん系のゲームは、ぜんぜん視界に入らなかった。もしかするとそれは家族の仲の良さとかが影響するのかな、などと思った。正月らしい愉しいひと時だった。
 11時くらいになって実家から連絡が来る。昼にマクドナルドを買うことにしたのでそちらも一緒にどうかという誘いだったので、喜んで受ける。次女夫妻が取りに行ってくれるというので、わが家のオーダーを伝えた。というわけで昼ごはんは実家でマクドナルド。助かった。
 食べ終わったあとファルマンと娘たちはそのまま実家で遊ぶというので、僕だけ帰る。帰って、しばし裁縫したのち、プールへと繰り出す。この日が今年の初開館日なのである。12月29日に行って、1月3日なので、4日あいただけのことか。よくあることだな。29日もわりとそうだったが、この日も家族連れが多かった。案外、真冬でも家族でプールに行くのだな。この時期、僕はプールに行くと言うたびに、妻から奇異な目で見られるのだけど。
 初プールをたっぷりと堪能し、その足で実家に寄り、家族を回収する。もう空は暗かった。遅く起きて、ゲームして、マック喰って、裁縫して、泳いで、そして終わった日だった。薄いと言えば薄い、ハッピーと言えばハッピー、なんかそんな日だった。
 8日目の1月4日は、わりと盛りだくさんだった。まず次女一家が午前中に出発するというので、その見送りに行く。いつものことながら、濃密に絡んだ日々だった。次に会うのは、順当にいけば春休みだろう。
 次女一家の車を見届けたあとで、われわれ一家もすぐに車に乗り込む。今日はこれから出雲大社にお参りに行くのだ。せっかくだからということで実家の3人もこのタイミングで行くことになり、現地で落ち合おうという話になった。三が日はそもそも近付かないのでよく知らないが、4日の出雲大社は、大いに賑わいつつも、近隣の駐車場に車がとても停められないということもなく、なかなかいい具合であった。元日の初詣とは別で、やはり新年、地元民として、出雲大社に行っておかないと、ずっと頭の片隅で気になったりするので、連休中に行くのが得策なのだった。また5日までは、ふだん開放されていないエリアが開放されている、という特典もあるわけだが、今回ももちろん入りはしたのだけれど、毎年のことながら、入ったところで別に感動するような場所ではないのだった。子どもや三女はここでもおみくじを引いていた。僕はもう引かなかった。三女の縁談の項が気になったが、あまり覗き込んだりするのもな、と思って自重した。噂によると、婚活に本腰を入れる決意をしたとのことである。いいご縁がありますように。
 大社のあと図書館へも行って、ずいぶん遅くなった。途中、ご縁横丁の店で焼き菓子を買い食いしたものの、昼を大幅に回ってしまった。帰りにスーパーに寄り、弁当を買って帰った。帰宅してそれを食べたあとは、いよいよピイガの誕生日祝いの準備である。ポルガがポスターを描き、ファルマンが部屋のセッティング、僕は食べ物担当。まずケーキに取り掛かる。イチゴはまったくもって法外な値段であったが、ここでケチったらクリスマスの二の舞だな、と思って十分な量を買い揃えた。そしてクリスマスのケーキが小ぶりだった雪辱を果たすため、高さにこだわり、生クリームのパックを2つ用いる、4段構成の立派なものを作り上げた。これでようやく溜飲が下がった。晩ごはんのメニューは、ピイガのリクエストである、たらこマヨネーズを塗った餃子の皮のピザと、それとメインをどうしようかと悩んでいたが、ピイガの好物であるうどんの入った寄せ鍋にした。出雲大社で、空腹で寒い思いをしたので、もうこれは鍋にするしかない、と思ったのだった。
 というわけでピイガ11歳の誕生日祝いの宴を執り行なう。鍋はもちろんおいしかったし、ケーキは8等分してもひとりひとりのケーキ皿にデデンとすさまじい存在感の塊として鎮座し、その表面や断面にはふんだんにイチゴがあしらわれていると来て、心がとても満ち足りた。なにより味がおいしかった。今年はクリスマスケーキも手製にしようかな、と思った。ちなみに、子どもが誕生日を今年も無事に迎えられたことはもちろんめでたいが、10歳から11歳という数字の変化は、特になんの感想ももたらさないな、と思う。11歳もすくすくと成長してほしいものですね。
 そして最終日、1月5日。この日はもう、体調もじわじわ悪くなっている感があったし、なにより気持ちがダウナーだった。サザエさん症候群の、特大版。だって9連休だったんだもの。自分がフルタイムで勤めに出ている人間であることを、ちょうど体がすっかり忘れかけたくらいのタイミングで、翌日からそれが再開するのである。ひどい! 人の営みっていったいなんだろう。勤めがあるから、尊い尊い9連休があるわけで、書店員時代の自分が9連休なんて得たら半狂乱だったろう、みたいなことを初日に書いたけれど、それで言えば、つい5年前くらいに、9連休どころではない、長い長い休みがあった。じゃああれは夢のようにしあわせな日々であったかと言えば、もちろんそんなことはなかったわけで、休み明けの憂鬱さに苛まれつつ、休みが終わるということに感謝をしなければならない、とも思う。とも思うが、やはり気持ちはダウナーなのだった。この日はもうどこにも出掛けない、と決意をしていたのだが、おやつの時間のあとで、いろいろ憂わずにおれないのだから、せめて冷蔵庫の中が充実していない憂いくらい解決させて明日を迎えようと思い、スーパーに繰り出した。そしてそれなりにいろいろ、明日からの食材を買い込んだ。明日からはファルマンが調理担当に戻る。ファルマンのなんとも言えない料理が恋しい(気がしないでもない)。そんな感傷的な、連休最終日であった。
 最後はどうしたって切なくなるけど、今年で言えば9分の8、つまり正月休み全体の約89%はひたすらに愉しいわけで、早くも1年後のそれを待ち遠しく思っている。それまでせっせと生きてゆこうと思う。

24年~25年の年末年始記録 前期編

 28日から無事に年末年始の休暇に入っている。今年は暦の巡りがよくて、「奇跡の9連休」と言われている。僕もそうである。もちろん嬉しい。しかしその一方で、9連休にそこまで大興奮していない自分を感じ取っていて、そのことに気を悪くしている。「おもひでぶぉろろぉぉん」当時の、書店員時代の僕は、テレビで「奇跡の9連休」などという話題が出たら、その瞬間にチャンネルを変えていただろうと思う。それが今は享受できているのだから、本当はもっと、過呼吸になるくらい喜ぶべきだろうと思う。
 27日は大掃除のあと労働が早めに終わったので、プールへと繰り出した。まだ日が沈む前だったので嬉しかった。これが今年最後になるかもなあと思いつつ、たぶんやっぱりもういちど来るだろうな、と考えていた。実際もういちど行くことになった。
 28日は土曜日ということで、ルーティンとして買い出しに繰り出す。しかしなにぶん年末のことなのでいつものようにはいかないだろうと、これはもう行く前から覚悟していた。結果としては、野菜や魚はたしかにそうだったが、肉は思いのほかよくて、豚のひき肉がとても安く手に入ったので、これはもう餃子だな、と思い立った。実家にはこの日から次女一家が帰ってくることになっていて、いつもごはんのことで大騒ぎしているので、大量に作って向こうにも餃子を提供してやろうと考えたのだった。
 帰宅後は昼ごはん。焼きそば。ポルガは友達とショッピングモールに遊びに行ったので、3人である。3人なのでいつもは買いづらい3玉入りのものがちょうどよかった。
 食後は餃子の餡を仕立てたあと、部屋での作業。溜め込んでいた布を総ざらえして、この連休中に使うかもしれないものを、とりあえず外に出した。そうしたら部屋の床が布で埋まり、ファルマンからブーイングを受けた。9連休でも別にそこまで心が躍っていないみたいなことを言いながら、その一方でひそかに青い炎が燃えたぎってもいるのだった。
 16時くらいになって次女一家が実家に到着したというので、実家用の餃子を包み、ピイガを連れて参上する。夏以来の対面となる次女の次女は、2歳4ヶ月だったのが2歳8ヶ月になっているわけで、だいぶ成長を遂げていた。この時期の4ヶ月はでかいな。それに引き換え41歳にとっての4ヶ月と来たらどうだよ、と思う。
 ピイガはいとこと遊ぶというので、晩ごはんまで置いておくことに。自宅に戻ったら間もなくポルガが帰ってきて、ピイガは実家に行っていると伝えたら、自分も行くと言って自転車で行ってしまった。中学生は身軽だな。
 自宅用の餃子を包み終えたところで、子どもたちを迎えに行く。ポルガの自転車も車に乗せて帰った。どうせこれから連日、いとこと絡み続けるのだろう。
 餃子はもちろん美味しく、実家からも甚く感謝された。それはそうだと思う。こんなに気の利く娘の夫はこの世にそうそういないだろうと思う。
 夜は裁縫。ピイガのためのキャスケット帽を作っていた。近日中に「nw」にアップするだろうが、実は半月ほど前からピイガ用にコートを作っていて、その余った生地でキャスケットも作ることにし、年末年始に間に合わせたいと思っていたのだが、この日になんとか完成したのだった。とてもいい出来になったので満足している。9連休、なるべく1日も無駄にしたくないので、とりあえず初日に成果があってよかった。
 2日目の29日は、次女一家が午後は夫のほうの実家に行くが午前中はいるというので、また子どもたちを連れていく。連れていくと言うか、置いていく。
 その間に僕は買い物。ドラッグストアや100円ショップなど、食料品以外のこまごまとしたものを買い出す。その中に蛍光灯があった。僕とファルマンの部屋の蛍光灯が、どう考えてもこれはさすがに暗いだろうという話になり、新年を迎えるこのタイミングで新しくすることにしたのだった。それで帰宅後、付け替える。しかしこの作業をしていた際、僕が椅子に乗り、これまでのものをふたつとも外し、まず大きいほうの環を嵌め、さて次に小さいほうの環を、と思って腕を下げた瞬間に、気を利かせて小さい環を僕に向かって差し出していたファルマンの腕にぶつかり、新しい小さい環は床へと落下し、無残にも粉々になったのだった。大ショックである。部屋を明るくするために買った新しい蛍光灯がダメになってしまった哀しみと、これでもかというくらい細かく粉々になったガラスの後処理の大変さ(しかも床には僕がぶちまけた生地が散乱していて、それならそれで蛍光灯は救われろよと思うが、巧みにそれを避けて硬い床に落ちて割れつつ、破片は布へも散るという最悪のパターンであった)で、年末にとてもつらい気持ちになった。ファルマンなど「今年でいちばん哀しかった」とさえ言った。言ったあとで僕に、「お前は今年、島根のおばあさんと岡山のおじいさんを亡くしただろう」とツッコまれる始末であった。仕方なく小さい環は、これまで使用していた、だいぶくすんだものを再び付けることにした。それでも外側の大きい環が新しくなったことで、これまでよりはだいぶ明るくなったので、当面はこれでいくことにした。ファルマンがガラス片の処理をしてくれるというので、僕は子どもたちを迎えにいって、そして昼ごはんを作った。客観的な記録も証言もないので、この一件については、僕とファルマンのどちらが悪かったのか、もはや究明のしようがない。ファルマンはもちろん僕が悪いと言う。僕は口に出しては言わない。言わないけどここには書く。上を向いて作業をしていた人の、あんな至近距離に、声も掛けず物を差し出しているというのは、よろしくないのではないかと僕は思う。
 昼ごはんのあと、午後はひとりプールへと繰り出す。この日がホームプールの今年最後の営業で、僕も今年の締めとしてたっぷりと泳いだ。具体的に言うと、1250m泳いだ。こういうときよく1000mを泳ぐので、今日はそこにもう少し色を付けようと思い、この数字になった。気持ちよかった。これまでなら、このあとおろち湯ったり館へ行く可能性が残るので、そうなるとまだ泳ぐ余地があるということになるが、今年に関してはそれがないため、今年の水泳はここできっぱりとおしまいである。おろち湯ったり館とは後腐れなく別れたつもりだが、こんなときはやっぱり一抹の寂しさを感じる。ちなみにだが、サウナに行きたい気持ちはあるのだ。しかしおろちは嫌だし、ゆらりもなあ、とあぐねている。
 晩ごはんはカレーライス。大みそかまで微妙にあるこの日程において、鍋いっぱいのカレーを拵えておけば、夜にも昼にも食べられて便利だろうという算段から作った。
 韓国で起った飛行機事故のニュースを見て、いたましいと思うと同時に、飛行機に対する恐怖がまた増大した。去年あんなことがあり、今年は飛行機のメカニズムを学ぼうなどとは目論んでいなかった。それでももちろんそんなこととは一切関係なく、事故は起るときには起るのだ。車だって鉄道だって船だって、不可避で死亡に至るような事故はいくらでも起るけど、不可避の不可避さ加減が、飛行機はそれらとは段違いであるように思え、そこがおそろしくてしょうがないと改めて思った。
 3日目の30日、すなわち今日だが、この日の午後から例の、初めての親類カラオケの試みということで、午前は家で粛々と過した。僕は前の晩から、ひたすらに裁断作業に取り掛かっていた。年末年始用に新しく買った生地に加え、これまでに買って自分用のものだけ作り販売用は作っていなかった生地など、所有しているほとんどのスイムウェア用の生地を、もういっそすべて裁ってしまえと、とにかく裁った。なかなかすごい量になった。なんだかんだで書店員だった時代の癖が抜けず、9連休というものを過信しているのかもしれない。そこまで作れんだろう。他にやりたいこともあるのだし。でも裁っておくと気が向いたときに少しずつ進められるから、やっぱりまとめてやれてよかったと思う。
 昼ごはんは早速カレーライスを使って、実家へと向かう。そして車2台でカラオケへと繰り出した。大人7人、中学生以下4人、総勢11人の大所帯である。部屋の半分がマット敷きになっているキッズルームだったので、なかなか快適に愉しめた3時間であった。岡山時代に購入したマイクスタンドを、今回久しぶりに発掘して、持っていった。マイクスタンドって、あまり個人で所有しないし、ましてやカラオケに持っていったりしないものらしいので、袋から取り出して組み立てただけでけっこうウケた。こういう会は初めてということで、ならば1曲目はこれであろうとあらかじめ決めていた、「生まれてはじめて」(神田沙也加)で僕が口火を切った。そのあと各人いろいろ唄い、僕は「ALIVE」(SPEED)、「世界中の誰よりきっと」(中山美穂&WANDS)、「あなたの好きなところ」(西野カナ)、「君は薔薇より美しい」(布施明)などを唄ったあと、最後に「さよならの向う側」(山口百恵)で床にマイクを置いた。JOYSOUNDじゃなくてDAMだったので若干の唄いにくさはあったが、まあまあ気は済んだ。この1ヶ月、車内で準備した果以があったというものだ。前回のカラオケの数日後の訃報であった中山美穂の追悼もできてよかった。
 実家に戻って人を降ろしたあとは、今日のところは長引かせず退散する。どうせ明日も日中、子どもたちは実家に入り浸るのだろう。帰宅後はまた裁断の続きをして過す。晩ごはんはあんかけラーメンと餃子。とろみのあるラーメンが、熱々でおいしかった。
 ここまでが9日間の、前期3日間の記録。中期が年越しと、元日の実家の集いと、初詣などで、そして後期はピイガの誕生日のお祝いとかの話題になってくることだろう。

微妙なクリスマス週末

 11月の終わりくらいにクリスマスケーキの予約をしたのだが、受取日、すなわちクリスマスディナーを何日にするか、カレンダーを見て困ってしまった。24日が火曜だったからだ。やっぱりやるなら週末がいい。ファルマンから「私はクリスマスディナーっぽいメニューなんか作れない」という訴えもあり、そういう意味でも週末である必要があった。というわけで22日、日曜日に執り行なうことにしたのだが、自分的にも世間的にも、なんか微妙にまだクリスマスに気持ちが入っていない感じがあって、少しふわふわとした。ここ数年のカレンダーを確認したら、去年までの3年間は、24日が金曜、土曜、日曜と、うまく週末に当たっていたようで、それですっかり平日クリスマスというものに耐性がなくなってしまったらしい。今年からの3年間は平日が続くので、慣れなければならない。
 そんなわけでこの週末は、クリスマス要素と年の瀬要素がマーブル状に入り混じる、なんだか掴みどころのない感じだった。
 金曜日の夜は、職場の忘年会だった。相変わらず、時間が長く感じられた。ぜんぜん愉しく思えない飲み会だが、中心のおじさんが満足げであれば、それはそれで理解できるのだけど、決してそんなこともなさそうで、だとすれば本当に夏と冬のこの会というのは、誰のどんな情念で開催されているのだろう、と思う。唯一の救いとして、食事はわりとおいしかった。飲み物の選択肢に日本酒がなかったので(嘆かわしいことですね)、ビールのあとは赤ワインにした。思えば2024年は僕のワイン元年であったな。
 翌日土曜日は、一家でショッピングモールへと繰り出した。ポルガの部活はやはり秋口までがメインで、3年が引退して以降は明らかに流してる感じがある。また新年度を見据えた春先あたりから活発になるのだろう。ショッピングモールではメガネを見た。今年1年のご褒美として、リーディンググラスを買うことにしたのである。英語圏では老眼鏡のことをこう呼ぶのだそうだ。すばらしいと思う。おい日本人、そういうとこやぞ、と思う。お店の人に要望を伝え、検査をしてもらい、「じゃあこの1.0のやつですね」という案内をされ、何種類かフレームの選択肢のある中でひとつを選び、それを買った。買ってから、この1.0というのは別に僕の視力に合わせて調整をするものではなく、共通の規格なのだ、だからもうそのレンズが嵌まったやつが用意されていて、それを買って帰るだけなのだと、初めてリーディンググラスのシステムを知り、だとしたらこれってわざわざメガネ屋で何千円か出して買わんでも、ネットで、もっと安い値段で、いろんなフレームの選択肢があったんじゃないか、と気づいた。まあ検査もしてもらったし、勉強代と捉えることにしようと思う。帰宅後、本を読むときや、裁縫をするとき、着けたりしている。でも実はまだ、そこまで必要じゃないってことなんだろうな、というのを感じている。まあ腐るものではないので、転ばぬ先の杖的な感じで持っておいて損はないと思った。
 午後はプールへと繰り出した。12月の土曜日の半端な時間だというのに、まあまあ人がいた。もっともこの「まあまあ人がいた」というのは、あくまで島根県感覚なので、よその地区の人に共感してもらえるかは分からない。土曜日の余裕から、たっぷり歩き、たっぷり泳いだ。気持ちがよかった。
 晩ごはんは、ぶり大根と、かぼちゃの煮物。どちらも醬油味。ぶり大根は昨日の時点から心に決めていて、かぼちゃは冬至ということで売り出されていたので、縁起物だし食べておくか、という気持ちで急遽採用した。日本酒が進むいいメニューだった。
 明けて日曜日は、夕方にケーキを取りに行く以外は予定がなく、家でのんびりと過す。ファルマンと子どもたちは午前中に実家に行って、祖父母からクリスマスプレゼントを受け取っていた。ポルガはペン軸とペン先のセット、ピイガは豪華な色鉛筆。なんだかやけに絵を描くのが好きな姉妹のようじゃないか。まあ実際よく描いているけれど。
 午後は、もらったそれらを使って、早速クリスマスポスターを描いていた。ふたりとも個性のよく表れたいい出来だった。また写真に撮ってここにアップしようと思ったら、ファルマンに「ポルガは自分の絵をインスタにアップしたりするし、やめときなよ」と窘められたので、自重することにした。ややこしい渡世だな。
 いい時刻になったので、買い出しとケーキの受け取りに出た。スーパーは、ディスプレイ的にも、人出的にも、クリスマスのような、クリスマスでないような、本当に微妙な感じだった。案外平日でも24日にやる人のほうが多いのだろうか。
 クリスマスのメニューは、ひと晩味を付けておいた骨付きの鶏肉と野菜をオーブンで焼いたもの、フライドポテト、チルドのシンプルなピザに自前で具をたくさん載せたもの、2種のパスタ(たらこクリーム・ペペロンチーノ)、コーンスープ。日付こそ微妙ながら、それでも家族で囲むクリスマスディナーは、格別の多幸感があった。クリスマスが年末にあるのっていいことだな、7月とかにあったらあんまりいいイベントにならないだろうな、などと思った。
 食後はケーキ。箱から取り出してみると、去年と変わらない程度の価格を出しているはずだが、明らかに去年よりもワンサイズ小さくなっていた。それはそうだろうとも思ったし、言い知れぬ格別の侘しさを感じもした。わが家の場合、約10日後にリベンジの機会があるので、その際は大きさにこだわって手作りをしようと心に誓った。
 そんな感じのクリスマス週末だった。子どもたちにプレゼントが届けられるのは当然25日の朝である。なんだか本当に間が抜けた感じだな。来年、再来年のために、どうするのが正解なのか、よく考える必要があるかもしれないと思う。

嬉しいのんびり週末

 先週の3連休がバタバタだったので、4日間の労働をこなして手に入れた、特になんの予定もない週末が、とても愛しい2日間だった。
 土曜日の午前中は、いつものスーパー巡りに繰り出し、そのままプールへも赴いた。ここまでの4日間は、プールに行くこともままならなかったので、久々である。午前中の陽射しが水面を照らし、気持ちがよかった。
 午後は家族で少しだけ買い物に出たが、基本的に家の、それも自室にこもり、好きなように過した。岡山で手に入れたニット生地や、ネットで注文した水着用の生地など、いま新しい生地が充実しているので、とても満ち足りているのだった。注文する前もだいぶ長い期間ワクワクしたし、届いて以降は当然テンションが上がるので、非常にコスパがいいと思う。それの裁断をしたり、合間で筋トレをしたり、のんびりと過した。午前中にプールをやったことでの、うっすらとした倦怠感もまた、いいエッセンスになっていたと思う。
 晩ごはんは、手羽元のフライドチキンと、フライドポテト、そして納豆のパスタ。最初はもちろんビールだけど、そのあとの赤ワインのこともだいぶ念頭に入れているメニュー。ワインの情趣というものが、最近になってようやくきちんと理解できてきた感がある。
 プールに行って、裁縫をやって、揚げ物を食べて赤ワイン。至福の休日であった。
 翌日の日曜日も、引き続きゆったり過す。午前中はcozy ripple名言・流行語大賞のための読み返し作業に勤しみ、無事に11月までの記事を完読した。読みながら候補語をピックアップしていくわけで、この時点で選考はすでに始まっている。さらには、パピロウヌーボでのプロ角と優香の掛け合いなどもうっすら考えはじめている。愉しい。
 午後は、ポルガが英検の受験だったので、その送迎がてら、出雲ドームで行なわれていた産業博というものに3人で赴いた。この企画には、なんだかんだで3年連続で顔を出している。この3年、毎年規模が大きくなっているのは、コロナ明けのグラデーションということなのだろうな。今年の様子が、本来の状態なんだろうと思う。ファルマンとピイガは、それなりに愉しんだようだった。僕は出雲ドームに行く用事があると、大抵の場合、その向かいにある生鮮食品おだというスーパーに行くことのほうが主目的になり、今回もその例で、ひとり買い物を済ませてからドーム内に足を踏み入れ、ふたりを探しがてらぐるっと回ったら、もうそのあたりでポルガから試験終了の知らせが来たので、さっと切り上げた。
 晩ごはんは、なんとなく食べたい機運が高まったので、少し面倒だったが、かつ丼にした。満足のいく出来になったのでよかった。
 岡山に行ったりするの、それはそれでワクワクするが、こういう大した用件のない週末の尊さというのもすさまじいものがあるな、と思った週末だった。

8月から9月へと

 怒濤の8月が終わった。
 暑くて、パリ五輪で(これは実はほとんど印象にない)、南海トラフ地震注意で、横浜への自家用車帰省で、大社高校フィーバーで、風邪で、そして台風10号。なんかそんな、わりと盛りだくさんの8月であった。
 ずいぶん久しぶりの風邪は、咳や痰がしつこく長引いたが、ここ2日あたりでようやくほぼ完治したのではないかと思う。8月最終日で土曜日だった昨日は、去りゆく8月への挽歌として、午後からプールへと繰り出した。新しく半年会員となった8月だったが、これまで行って水の中に浸るたびに、「体おもっ!」と、水泳という運動への向かなさを痛感していたわけだけど(もちろん水泳に限らないが)、労働後ではない、さらには翌日も休みであるという、末日にしてようやく巡ってきた万全の態勢に、途中襲ってきた、800くらいで手を打っておこうかという悪魔の囁きを強い精神力で振り払い、なんとか1キロを泳ぎ切った。達成感もあって、気持ちがよかった。おかげで8月もいい顔で逝ったと思う。
 これはあくまで中国地方の話になるが、この昼過ぎまでまだぐずついていた空模様は、プールから出たあとの夕方あたりから、完全に台風一過の様相となった。今回の台風10号は、冒頭にも書いたように、このクドいまでに要素が多かった8月の掉尾を飾るのにふさわしい、もはや変態的なアクションで、日本全体を翻弄した。ここまで日本人の誰にとっても他人事でない動きをする台風は珍しいに違いない。その中にあって、中国地方の、それも山陰側というのは、どちらかと言えば被害が軽微だったほうなのだろう。最初に上陸した九州はもちろんだが、東海方面がひどいようで、今月まさに縁を持った、津であるとか、豊川であるとか、あのあたりもだいぶ激しかったようだ。南海トラフ地震注意に怯えながら彼の地を渡ったのは、わずか半月前のことだ。あのときも台風7号から若干の睨みを受けたけれど、もしもあのときに今回のような台風が来ていたらと思うとゾッとする。さすがに心が折れていたろうと思う。日本って過酷な環境だな。
 子どもたちの夏休みは数日前、8月最終週の半ばに終わったのだけれど、金曜日は台風のために休校となり、早々の3連休となった。しかしもはや休みに慣れ切った子どもたちには、3連休なんぞわざわざ喜ぶ対象には足り得ない様子である。驕っているな。ちなみに今回、始業式における校長の話で、「120%大社高校の話がなされる」という予想を打ち立てていたのだが、ポルガの通う中学校では的中したものの、ピイガの小学校の校長は一切しなかったそうで、ずいぶんひねくれてるな、と思った。けっこう改革派の人らしいので、こんなときも逆張りしてくるようである。
 台風を経て、月も代わり、季節はひとつ先へ進むのかと思いきや、なんのことはない、台風一過にかこつけて、このあと夏の陽気はしばらく続くようである。やはり20日までは耐えるしかないのか。
 9月が始まり、今日は車検に行ってきた。軽のほう。2年前に頼んだ所にあまりいい印象を持たなかったので、別の所に行ったら、こちらはずいぶんよかった。きれいだったし、人の感じもよかったし、なにより安く済んだ。車検が安く済むというのは、あまり積極的にあれもこれも治療をしようとはしない歯医者みたいなもので、実際にいいことなのかどうなのかは判らないが、少なくとも目先の家計的にはもちろんいい。ここでガクンとテンションが下がるんだろうなあと予期していた車検が意外とリーズナブルに終わったので、得をした気持ちになった。悪くない幕開け。なんてったって誕生月だ。なるべく気分よく過したい。
 誕生日プレゼントでなにをもらうか、考え始めているが、案が浮かばない。欲しいものが思い浮かばないということは、満ち足りていることか。ちがう、となんとなく否定したい気持ちはあるが、まあ実のところ、案外そうなんだろうとも思う。今年も生地になるのかな。

梅雨入り週末

 中国地方、ようやくの梅雨入りである。遅い。そして満を持しただけあって、紛うことなく梅雨である。梅雨入り前と梅雨入り後が、マーブル状に入り交じるということは一切なく、21日の金曜日の開始時点からきっぱりと梅雨だった。それくらい空気が違った。重みが違う。戦中派と戦後生まれの発言くらい重みが違った。
 土曜日も雨が強く、いつものスーパー巡りのほかは、どこへも出掛けなかった。正確には、夕方にひとりプールに行こうとしたが、なんと駐車場が満車で、車内から眺めたエントランスは人で溢れていたため、すごすごと諦めてそのまま帰った。みんな、雨だから屋内プールくらいしかないな、という発想であろうか。まあ蒸し暑いしな。泳げなかったのは残念だったが、通っているプールが繁盛するのは大事なことだな、などと思った。なんと心が広いのか。
 それ以外は家でなにをしていたかと言えば、まあ裁縫をしていた。先日、Yahoo!フリマに出品している水着が初めて売れて、気を良くして売上金をだいぶ上回る金額の新しい生地を仕入れたので、それで水着を作っていた。まとめて裁断し、ひと工程ずつをいっぺんにやっているので、1日かけて完成品はまだひとつもない。水着はまだ1枚しか売れていなくて、もしかしたらちょっと売値が高いのかもしれないと思い始めているが、しかしこうして製作に取り掛って、作業量のことを思えば、まあ順当なところだろ、などとも思う。
 あとそれ以外に、ファルマンに服作りを懇願されたので、そちらにも取り掛かっている。服を買ったりするのが嫌すぎて、作ってほしいと言うのである。生地代や作業報酬を足せば、ファストファッションの服などはぜんぜん買えるような金額になるのだが、それでもいいから、選んで買うという手間を省きたいらしい。もしかして妻は前世、深窓の令嬢だったのかもしれない。こちらにとっても悪い話ではないので受け入れた。ブラウス2枚、ワンピース1枚を作る予定。
 晩ごはんは野菜たっぷりのスパゲッティと、あととうもろこし。とうもろこしを、丸ごとラップに包んでレンジにかけたもの。今年初で、おいしかったし嬉しかった。家族がとうもろこしにかぶりついている食卓の風景は愛しい。
 日曜日もだいたい同じような感じに過す。ファルマンのブラウスは最初の1枚がほぼ出来上がるが、ちょうどいいボタンがないことが判明し、その仕入れ待ちという状況。ちなみに水着はまだ完成しない。午後に念願のプールにありつく。賑わっていたが、入ってしまえばストイックに泳ぐコースにはあまり関係がない。久しぶりに800mも泳いだら、ヘトヘトになってしまった。晩ごはんは餃子を作った。僕の餃子のおいしさの安定感はすごい。そこまで特別なことをしているわけではないのに、いつも異様においしい。もう僕がおいしい餃子を希求するフェーズを抜けて、餃子陣営が僕のほうに寄ってきているのだと思う。それくらいおいしい。しかしおいしくて食べすぎた。プールでは泳ぎすぎるし、餃子は食べすぎる。わんぱくな日曜日だった。
 夏との折り合いは先週よりもだいぶついてきたように思う。

ファルマンの運転とふたつの耳すま

 ポルガの部活がない土曜日だったので、普段より多少色を付けたお出掛けをしたいと考えた結果、ゴールデンユートピアおおちへと繰り出すことにした。去年行ったときはウォータースライダーが貸し切りだったのだよな、いつ頃だったろう、今よりももうちょっと夏の気配が遠い、5月下旬くらいのことだったかしら、などと思いながら自分の日記をあたったら、6月10日のことだった。虎舞竜の「ロード」並みに、ちょうど1年前なのだった。ちなみにその日の日記も、「土曜日はポルガの部活がなかったので、」という書き出しで始まっていて、なんか人の営みというものは、田んぼに水が張られると蛙の合唱が始まるというのと同じくらい、実はシステマティックなのかもしれないと思った。
 目的地までは、途中に無料の高速道路も含んだ1時間弱の道のりなのだけど、今回はこの運転をファルマンにしてもらうことにした。わが家には車が2台あるわけだが、普段ファルマンは専ら軽ばかりを使っていて、フリードを前に運転したのは、鳥取旅行の帰りに本当に少しだけ運転を代わったという、数年前のそれが唯一なのだった。しかし今後、ファルマンがフリードを運転する必要に迫られる場面もあるやもしれないので、どこかで練習をしておきたいね、ということを前から少し話していた。それを今回、実行することにした次第である。先日ドライブレコーダーを設置したことも、この練習をするにあたっての援助となった(ただし逆にとんでもない過失が記録される恐れもあるわけだが)。
 結果的にこの首尾はどうだったかと言えば、ひたすら軽だったとは言え、やはり当時から2年以上の経験を積んだことで、鳥取旅行の帰りのときほどどうしようもない感じではなくなっていて、最初こそ「これセンターラインはみ出してない?」みたいな、車体感覚が掴めていないがゆえの恐怖はあったが、それもしばらく運転していたら整った。高速道路では、軽にはない自動運転機能を作動させる、その作動のための操作を実習する予定だったが、「まずハンドルの右にあるそのボタン」とこちらが言っても、「ハンドルなんか見られん」と、前方から一瞬も目を逸らさないので(正しいことではあるのだけど)、結局機能を作動させることはできなかった。あと高速の出口では、普通に反対車線に出そうになったので、とてもおそろしかった。「曲がった先に車線がふたつあると、自分が走るのが右か左か分からなくなる」と言っていて、なんでだ、日本からいちども出たことがないくせになんでだよ、と思った。とまあスリリングな要素はあるのだけれど、とりあえずいざとなればファルマンもフリードを運転できないことはない、ということが確認できたのはよかった。
 到着したゴールデンユートピアおおちは、相変わらずの非日常空間で、ウォータースライダーも貸し切りでこそなかったが、家族が数組だったので、順番待ちで並ぶということもせず、あのグループがやっているときはこっちは普通のプールで遊び、空いたら次の時間帯はわれわれがひとしきり占有する、みたいな感じで、ストレスなく平和に遊ぶことができた。やっぱりわざわざ行く価値のある、なかなかいい施設なのだった。
 帰りは僕が運転した。ファルマンが行きの運転でグロッキーだったというのもあるが、助手席というのはとにかく退屈なものだということを、久しぶりに長い時間自分が運転しない車に乗っていて感じたのだった。だからまあ本当に、いざってときだな。
 帰宅後はプールあとの気怠さもあって、各自ぬるぬると過した。夜になって、近ごろ週末のテレビがぜんぜんおもしろいものをやっていないので、もういっそのこと映画を観ようという話になり、そうなってくるとわれわれの場合どうしたってジブリで、じゃあジブリのなにを観ようかという議論の結果、「耳をすませば」ということになった。人生何度目か知れない「耳をすませば」。観始める前は、実は少し怖かった。もしも「耳をすませば」を観て、ぜんぜん思春期のキャラクターにときめけなくなっていたらどうしよう、と思ったのだ。しかし杞憂だった。ぜんぜん無理することなく、ときめけた。自分の子どもが中学生になってもなんの問題もなくときめけるのならば、もう一生大丈夫なのかもしれない、と安心した。願わくは死の床でもこの映画を観て、ときめきにとどめを刺されて、キュン肺停止のキュン不全で昇天したいものだと思った。
 そんな感動の夜だったので、翌日の今日、昨日の余韻が残っているうちに、2年前に上映された実写版の「耳をすませば」を観てみようじゃないか、ということになった。上映当時から存在はもちろん気になっていて、機会があれば観たいと思っていた。それが先ごろからプライムビデオに追加され、そして土曜日にジブリ版を観たとなっては、この日曜日に観る以外ない。というわけでおやつのあと、晩ごはんまでの時間帯で、ファルマンと観た。感想は、なんとも言い難い。純然たる疑問として、どうして作ったの? ということを思った。いろんな意味で、どういう意図で作られることになった映画なのか、さっぱり分からなかった。今後のジブリ版との付き合いのため、この観賞はなかったことにしようと思った。
 そんな感じの週末だった。土曜日の夕方から降り始めた雨は、今日一日ずるずると降ったり止んだりを繰り返していて、これはあれだな、梅雨だな、と思った。

ゆる週

 ピイガが今週、初めての宿泊行事、すなわち人生で初めて家族と離れて眠るというイベントに行って、無事に帰ってきた。なのでピイガのいない晩、わが家は夫婦と思春期真っ盛りの娘という3人で、まるで火が消えたようだった。ファルマンが、ピイガへの恋しさを訴える独白ばかりが、残りのふたりに完全に無視され、むなしく唱えられ続けた夜だった。
 行事でどんなことをしたのかは知らないが、疲労感もあり、さらには筋肉痛だとも言うので、この週末は天気こそよかったものの、ポルガもまた土日両日ともに部活だということもあり、特に大きな外出はせずのんびりと過すことにした。
 なにより車検という用件もあった。このたびフリードが初めての車検を迎え、この週末に1泊2日で作業してもらう算段になっていた。土曜日の午前中に車を店へ持っていき、代車で帰宅する。ちなみに代車はフィットだった。
 午後は夕方近くになって、ひとりプールへと繰り出す。今週はなんとなく気が乗らず、平日にいちども行かなかったのだった。行ったら行ったで気分はいいのだが、どうも今年の5月というのは総じてテンションの上がらない月間であった。来月からはすぱっと切り替えたいものだと思う。
 晩ごはんは、ミートドリアと、手羽先を揚げたもの。土曜恒例の朝市で、新鮮そうなアジが売られていたが、どうも魚の気分ではなかった。そして思案の末に繰り出した洋風のメニューは、なかなかよかった。やっぱり週末はパーティーメニューっぽいものがいいよな。
 ちなみにこの週末から、ファルマンの両親は青森に旅行に行っているらしい。ファルマンは、青森に行くなら斜陽館に行くべきだとおすすめをし、両親は娘の提案を受け入れたそうなのだが、今になってファルマンは、「両親は別に太宰ファンでもないのに、果たして行って愉しめるだろうか」と不安を抱いていた。しかし、まああの人たち(主に母)のことだから、行ったら行ったで自分がこれまでも熱心なファンだったかのように愉しめるに違いない、と自分で自分を安心させていた。たしかにそうだろうと僕も思う。若い頃は、浅くミーハーなそういった性分のことを、軽く見るところがあったけれど、実はその能力は、人生を愉しむ上で、とてもすばらしいものなのではないかと感じるようになってきた。この話の流れでファルマンと、いつか行きたい場所、食べたいものはあるかという話になって、僕はしばらく思案したのだけど、特に何も挙げることができなかった。結局、いわゆる「推し」というものがなにもないので、外の世界に強い魅力を感じることがないのだ。でもそれって、とても生きづらい生き方なんじゃないのか。回復アイテムを拒むモードでゲームをクリアしようとしているんじゃないのか、無意味に。特にこうやって、テンションの上がらない5月を過したりしていると、ことさらにそんなことを思う。
 翌日、車検が終わったフリードを回収する。車検代はやはりデデーン、という金額。もっとも今回はドライブレコーダーの取り付けを依頼したことで(品物はネットで買った)、その工賃も含まれているので余計に高いのである。ドライブレコーダーは、車を買ったときも、特に必要ないかな、と思って取り付けをしなかったのだけど、最近になって、別にヒヤリハットがあったというわけではないが、やっぱりあったほうが安心か、ということになって設置することにした。ネットでそれなりの商品を選び、取り付け作業をどうしたものかと考え、ネットで情報を見ると「がんばれば自分でできる」などと書いてあるが、決してできない(特にリアカメラは無理だ)ことを僕は知っているので、どこかしらのプロに頼むしかないなあと思っていたのだが、折よく車検というタイミングだったので、じゃあもうあちらさんに一緒にお願いしてしまうか、ということになったのだった。というわけで帰ってきたフリードには、ドライブレコーダーのモニターが設置されていた。プロの手によるので、もちろん配線なんかもすっきりしてなんの問題もない。いろんな意味で安心だ。
 それから午後は、本当に外出することなく、僕はいったいなにをして過しただろう、特になにをしたということもなく、ゆるゆるしてしまった。よろしくないな。でもよろしくないという自覚が持てているので、まあ良しとするか。どうだ、この力業の前向きさは。
 晩ごはんはハンバーグにし、付け合わせも彩りよく作ることができて、わりと満足感が強かった。明日からは天候が荒れるらしい。ぼちぼち風も強くなってきた。眠りが浅くなったら嫌だなと思いつつ、これから寝るまで愉しく過そうと思う。

幻の塔とおろちとザ・セカンド

 先日ふとした瞬間に、ある風景が脳裏に浮かんだ。
 それは緑生い茂る山の中、小径のようになっている先に、こじんまりとした白い塔があって、上った先にはとても見晴らしのいい景色が広がっている。僕はそこを、小さいポルガとともに訪れていた。そんな情景だった。
 浮かんだそれは淡くぼやけた、とても曖昧な景色だったので、それが実際の思い出なのか、あるいは夢なのか、判断がまるでつかなかった。これはあそこだな、という場所が思い浮かばず、小径の先に白い塔、という舞台設定がやけに嘘くさく思え、どうやら夢のほうがだいぶ優勢だな、と思った。
 ファルマンに相談したところ、そのふわっとした手掛かりで、さすがである、「それは一の谷公園ではないか」とすぐに突き止めてくれた。一の谷公園。第一次島根移住において、何度か行ったことがある。そう言えば第二次では行っていない。記憶の中に小さなポルガだけがいて、ピイガがいないこととも辻褄が合う。「画像があるかもしれん」とファルマンは出そうとしてくれたが、ポルガが小さい頃の写真は膨大な量なので、探し当てることはできなかった。しかし言われてみればたしかにそうだ、あれは一の谷公園だ、という思いが強まった。
 というわけで、実際に行ってみることにした。夢ということで処理しかけていた場所が、実は現実に存在する場所だった、というのは、実際にその場に行くと、滅多に味わえないような精神体験ができるのではないか、などと考えたのだった。
 土曜日の昼過ぎ、部活終わりのポルガを学校まで迎えに行って、そのまま向かった。ドラゴンメイズのときと同じパターンだが、別にそこまで遠いわけではない。
 一の谷公園は、かなり急勾配の坂道を上った先にあった。そう言えばこんな道のりだったな、とその時点で懐かしく、駐車場の感じも見た瞬間に記憶がよみがえってきて、懐かしかった。岡山在住時代、島根に帰省した際に来たこともあったような気がしないでもないが、定かではない。なかったのだとしたら、なんともう10年ぶりくらいということになる。
 入ってすぐの東屋で、持ってきた弁当を食べる。今日は食パンがたくさん家にあったので、サンドイッチならぬハンバーガー的なものを拵えた。顎が疲れたが、まあまあおいしかった。腹ごしらえをしたあとは、公園を散策する。遊具は、あるにはあるけれど、閉鎖中のものが多く、そもそもそこまで大規模ではない。園内の家族連れも、連れてきている子どもは幼児が多かった(10年前の自分たちのようだな、などと思った)。
 遊具よりも、この公園の骨子はなんと言っても自然だ。山にそのまま作られた公園なので、アップダウンのスケールがすごい。さらには、いい意味でも悪い意味でもなく、わりと整備が行き届いていない感じがあって、山に作った公園という人工的な部分が、端のほうからじわじわと山に飲み込まれつつあって、その感じが独特のエモさを演出していた。


 座面の木材の隙間から花が顔を出しているベンチ。
 

 かつては切り拓かれていて、座ればなんかしらの見目好い風景が見られたのかもしれないが、今では草木に侵食されてなにも見えない、そもそも草木が座面を占領していて座ることができなくなっているベンチ。
 ああ、文明って、運営され、管理されなければ、やがてこうやって自然に還るのだな、ということをしみじみ思った。
 そして、途中少し道に迷ったりしながらも、なんとか目的の場所にたどり着いた。


 さすがはいちど夢に違いないと思っただけあって、実際に目の当たりにしても、なんとなく夢の中にいるような気持ちにさせるスポットだった。あまりにもベタだが、ここまでの風景を含め、いよいよ抵抗することができなくなって、ここでとうとう「ラピュタは本当にあったんだ! 父さんは噓つきじゃなかった!」と口に出して言ってしまった。ここまで来れば自分たち以外に人の姿はなく、山の上からさらに高い場所に行くので、気分は完全にラピュタのそれであった。
 塔の屋上からの景色は格別だった。快晴の五月の空の下、見おろす森の木々、そして出雲の街の風景は、感動的だった。急に思い出して、そして場所を突き止めて家族とふたたび来ることができて、なんだかとても貴重な体験をしたな、と思った。
 階段を下りてから、塔の横に立てられた案内板によると、これは1970年に地元のライオンズクラブによって建てられたのだそうで、1970年と言えばもう54年前ということになる。ライオンズクラブと言えば地元の名士たちの集団なわけで、54年前の名士たちは、おそらくもう全員が鬼籍に入っていることだろう。人間の営みというものは、尊いような、虚しいような、とにかくとても切ないものだな、と思った。

 この日の夕方からは、晩ごはんの準備をしたあと、僕だけおろち湯ったり館へと繰り出した。そろそろおろち湯ったり館を済ませておかないといけない、発作が起りそうな機運が高まっていたので、その処理のために行った次第である。サウナの回数を経るにつれ、だんだん暮れなずんでゆくような、そんな時間帯がいいという狙いのもと、18時過ぎから20時過ぎくらいまでの時間を過した。狙いはぴたりと嵌まり、とてもよかった。1回目の外気浴では、まだまだ夕暮れというにも早いくらいの青空で、日中の一の谷公園の塔の屋上でもそうだったが、おとといあたりににわかに激しい風雨があったことで、どうやらとても空気が澄んでいるらしく、青々とした若木の繁る山々が鮮やかで、その風景がサウナ後の軽い酩酊によって軽く揺らぐので、笑い出したくなるほど満ち足りて愉快だった。途中でプールを挟んだりしつつ、2回目の外気浴はまさにマジックアワーというタイミングで、東の空から徐々に群青色に染まりはじめ、3回目ではすっかり全体が薄暗くなった。毎回異なる空の様子が味わえて、大成功だった。今回もこちらの高すぎる期待に、見事に答えてくれたおろち湯ったり館であった。
 帰宅後は、録画していた「THE SECOND」を、ファルマンと晩酌しながら、おっかけ再生で視聴する。金属バットは金属バットらしくてよかった。彼らは優勝したくなったらしたらいいんだと思う。ななまがりが、初戦のパフォーマンスを見てこれは優勝間違いなしだな、ぶっちぎりだな、これはななまがりの大会だったのだなと確信したのだが、結果が敗北だったのでとてもびっくりした。ザ・パンチはとても感動的だった。「死んで~」がご時世的に使えなくなった中で、工夫と技術でかつて以上の輝きを生み出している感じが、愛しかった。最後にいちどだけ出た「砂漠でラクダに逃げられて~」は、元新選組の永倉新八が、年老いてからヤクザに絡まれたとき、威圧感だけで退散させたというエピソードのような、そんな痛快さがあった。また博多大吉のコメントもさすがだと思った。

 明けて今日は、ぐだぐだと過した。今日ぐだぐだと過すために、土曜日におろち湯ったり館の義務を済ませていたわけで、近所に買い出しに出たほかはずっと家にいた。家でなにをしていたかと言えば、ピイガがこんど学校で初めての宿泊行事に行くので、バッグに名札を縫い付けたり、また夏に向けてオリジナルTシャツを作ろうかという気持ちがじわじわと募ってきたので、久しぶりにステカを稼働させたりした(予想通り、まだ調子が整わない)。天気はずっと曇りという感じで、過しやすかったと思うと同時に、公園もおろちも、外気を堪能する系のことを昨日やっといて本当によかった、と思った。

異世界転生したGW前半

 前半と後半にきぱっと分断されている今年のGWの、前半を終える。
 初日の土曜日は、土曜日なので僕はいつものように、午前中は買い出しに勤しんだ。ちなみに4月の食費も、まあなんとか予算内に収まりそうである。担当している食費のやりくりは、気を抜いたらすかさずオーバーしてしまうような、絶妙な設定になっているため、もう少し余裕があればいいのにと常に思いつつ、なんだかんだで愉しんでいる面もある気がする。
 帰宅して、昼ごはんまでにはまだ余裕があったので、ひとりプールへと繰り出す。ピイガは、混んでいるだろうから、という理由で付いてこなかったのだが、行ってみたら意外と空いていた。世の中、4月はまだプールの機運ではないのかもしれない。
 この日の午後は、どこへ出掛けるということもなく、家で過した。筋トレをしたり、子どもたちの新しいキャスケットを作ったりなど。おやつに白玉を作り、アイスとあんことともに食べる。そして晩ごはんは餃子。ちなみに白玉作りにも、餃子包みにも、もちろんピイガは参画した。そのさまを見て、小学5年生はまだまだ懐っこいものだな、と思ったが、しかしこれはひとえにキャラクターによるものだろう。ポルガはこれよりももっと幼い頃から、食べるものを一緒に作ったりなどまるでしなかった。あいつは将来、どういう食生活で生きてゆくのだろうか。たぶんファルマンの大学時代のような感じになるのだろう。チョコチップスナックと、吉野家と、アセロラドリンクで食いつなぎ、徹夜でネットをし、明け方に寝て、口中に口内炎を作って生きてゆくんだろう。
 2日目は予報どおりに天候に恵まれたので、レジャーデイにする。ポルガは午前中が部活だったため、終了時間めがけて学校まで迎えに行って、そのまま出発する。本当は公園などで食べたかったが、おにぎりを車内で食べた。それでもおいしかったし、テンションが上がった。家族で、車で出掛けて、弁当を食べるの、やっぱり好きだな。車内ではこの日のためにまた、ひとり5曲ずつという約定で作ったプレイリストを流す。僕は最近とてもハマっている歌手から選び、なにしろとてもいい歌なので、家族の心にもさぞ響くことだろうと思ったのだが、全員からポカーンとされたのでショックだった。「山奥のサナトリウムで唄われているような歌」とファルマンに言われ、やっぱり趣味が合わない、と思った。
 レジャーの目的地は、とうとうやってきた、ドラゴンメイズである。雲南市の奥のほうにある、なかなかディープなスポット。目玉は巨大迷路で、存在は前から知っていたのだが、なんとなく機会に恵まれず、ようやく初めての来訪となった。冬は閉鎖するし、真夏は厳しいので、GWというのはこの施設の最も繁盛する時機であろうと推察され、行ってみてあまりにも混んでいるようなら予定を変更し、鬼の舌震にでも行こうかと話していたのだが、もちろんそれなりに賑わってはいたものの、幸いそこまでではなかったため、予定通りに入場した。迷路は選ぶコースによってチェックポイントの数が異なるとのことで、せっかくなのでいちばん多いコースを選んだ。
 このコース選びの説明を受ける段階、もとい駐車場から歩き始めた瞬間からなのだが、いま思い返しても、あれは夢の中の世界だったのではないかと思うような、なんと言えばいいのか、話の通じなさというか、噛み合わなさというか、独特の感性で作り上げられた異常な空気感が横溢していて、とにかく濃厚な体験をした。迷路の要所要所に貼られたポスターには、モチーフが謎のオリジナルキャラクターが描かれ、そいつのセリフの意味がいちいち分からない。また迷路内には、建築基準法や消防法はどうなっているのだろうというような建屋があって、令和の日本とはとても思えなかった。増田こうすけの漫画の中に入り込んだのかと思った。でも総合的な感想としては、「とてつもなく愉しかった」ということになる。そんな不思議でエネルギッシュな施設だった。すべてひっくるめて、こんな体験を家族でできてマジでよかった、と思った。大当たりのGWレジャーだった。
 しかしこの日は気温もかなり高かったので、1時間以上も迷路を歩き回り、だいぶヘトヘトになった。車に戻り、近隣のお店に行って、スポーツドリンクとアイスを買って、全員でむさぼるように食べた。こういうときのアイスの美味しさったらない。そして帰宅後、まだ明るかったがファルマンとすぐにビールを飲んだ。こんなときはビールを飲まなければバチが当たる。疲労とほろ酔いで気怠くなり、とてもいい気持ちだった。
 明けて前半最終日の今日は、ポルガが部活がなかったので、午前中に、GWの特別イベントをやっているという出雲弥生の森博物館へと赴いた。こちらもまあまあ賑わっていた。王墓のボランティアガイドをやっているというのでお願いし、説明を受けながら四隅突出型古墳のエリアを歩いた。回転率などという概念は存在しないようで、とても優雅に、小一時間もかけて案内してくれた。なかなか興味深い話もあって、愉しめた。なにしろ行政が運営する、子ども向けに親しみやすくしているとは言えアカデミックな施設なので、整然とした世界であり、昨日のドラゴンメイズとの落差がすごかった。わが家は今年、ジェットコースターのようなGWを過した、と思った。
 午後は家でのんびりと過した。明日からしばしの平日。そしてGWの後半となる。こちらには次女の一家がまた実家にやってくる予定で、でもどういう日程で来るのか定かでなく、予定が立てづらいというか、もっともそれがなくても、特に計画などはない。ドラゴンメイズもわりと急に決めた感じなので、後半も流動的に、それなりに愉しめればいいなと思う。

春だったり冬だったり

 先週の土曜日は労働だった。それなのに珍しくポルガの部活は休みで、擦れ違いなのだった。それで家族3人はどうしたかと言えば、子どもたちはドラえもんの新作映画を観に行ったという。「のび太の地球交響楽」という、音楽をモチーフにした作品。朝いちばんの上映を予約し、当然ながらファルマンが送迎した。子どもたちがふたりだけで映画を観たのは初めてで、成長を感じさせるような、ただ単にゆめタウンまで連れて行ってもらって席に座ってドラえもんを観ただけだからぜんぜん大したことではないような、いまいち判断がつかない感じである。ちなみに僕は小学生の頃、同級生と田園都市線に乗って渋谷に出て、映画を観ていた。それに較べるとやはりだいぶ箱入りな気がする。
 映画を観終えたあとは、3人でマクドナルドを買って帰るという計画を立てていて、前日にファルマンが予約注文のためにマックのアプリをダウンロードしようとしたところ、例の全世界的なマックのシステム障害が発生していて、叶わなかったという。このあまりの絶妙すぎるタイミングに、思わず「このシステム障害は君がダウンロードしようとしたせいなんじゃない」と軽口を叩いたら、「それ、ポルガにも言われた」と言われた。あなたたちって本当に似た性格してるよね、とも。そんなことはないだろう。傍でポルガの発言を聞いていて、こいつ性格悪いな、と思う場面が多々あるのだが、僕がそう感じるということは、ポルガは僕を凌駕しているということだと思う。結局予約はできなかったが、店舗は営業していたため、無事に購入できたらしい。買ったのはもちろんドラえもんのおもちゃが付くハッピーセット。マイクやボンゴなどが当たっていた。鳴り物+ピイガの組み合わせがうるさいったらありゃしない。あとボンゴという言葉が出るたびに、自分が「たたけボーンゴ」とマツケンサンバⅡの一節を唄い出すのが我ながらウザいと思った。
 日曜日は、午前中はポルガが部活だったため、僕とピイガで例のプールに行った。「例のプール」というと、思わずあの「例のプール」を連想してしまうが、もちろんこれは新宿区の話ではない。島根の、だいぶ山奥にある健全なプールである。2月の、あのいま思えばどう考えても異常だった温暖な陽気の日ほどの感動はなかったが、それなりに愉しく泳いだ。ちなみにこの日の営業から、おろち湯ったり館では2階が開放されていた。なんならオープンめがけて行って、今年度の2階の最初の客になるというのも悪くないと思ったが、昨日のこともあったので、午前中はピイガを受け持つことにしたのだった。
 午後は近場の買い物をこなし、あとの時間は筋トレや縫製をして過した。水着作りを着々とやっているが、思ったよりも数がいかない。そこまで集中してやれているわけではないというのはあるけれど、せっかく売り出すのならやはりある程度はまとまった数をこしらえてから始めたいと思っているので、もどかしい。
 それから平日を2日間やって、本日は春分の日で旗日。そして今日が休みでよかった、と心の底から思うような、何度も目が覚める夜通しの暴風雨であった。気温もぐっと下がり、三寒四温という言葉の範疇を大きく逸し、真冬のようになる。暖冬という肩書を保持しながら、陰ではコソコソとこうして悪事を働く、性根が姑息な今年の冬の、ラストにして真骨頂を見たような気分だ。
 午前中はポルガが部活だったため、残った3人は家でのんびりと過した。僕はドラクエ11をやった。昨晩もやっていて、いま主人公が魔王を突っついたせいで世界が崩壊してしまったところ。世界中の人々が希望をなくしてしまってしゅんとしてしまっている感じが、2017年の発売ながら、その3年後あたりの現実世界のようだな、などと思った。
 午後は買い物と、せっかくなので墓参りを行なう。先だっての葬儀では、式に参加しなかった子どもたちは手を合わせる場面もなかったので、ここらでひとつ、じいさんも含めて顔を見せておこうじゃないかと思ったのだった。偉い。普段ひねくれたことを言いつつも、なんだかんだでそういうところは律儀というか、仁義があるというか、人間的に立派だよね、と思う。誰も言ってきたりはしないので、自分で思っておく。雨はやんでいたが、風があり、線香に火を点けるのに往生し、凍えた。
 帰宅して、おやつはおはぎ。あずきときなこをそれぞれ等分し、ファルマンと分け合って食べた。久しぶりでおいしかった。子どもたちは、ピイガは出せば食べたかもしれないが、ポルガが餅系を拒絶するので、ポルガだけふわふわした洋菓子とかだとピイガがかわいそうだと思い、ふたりともそういうものにした。スポンジとカスタードクリームの、おいしそうなやつ。おいしそうだった。なんで親だけ、お彼岸に義理立てておはぎ喰ってんのかな、と思った。
 晩ごはんはひな祭りのあたりにすっかりやり忘れた、ちらしずし。あと先日の手巻きずしの際に唱えた、すし酢の香りを嗅ぎながら食べると玉子焼きとかたらこマヨとかアボカドとか納豆とかの、本当はすしじゃないやつが滅法おいしく感じられるという説を立証するため、そういったものたちをごちゃまぜにした、サラダというか、もはや酒の肴そのもの、みたいな和え物を作り、サイドメニューとして小鉢で出した。結果はどうだったかと言えば、もちろん美味しかった。テレビではドジャース対パドレスの、韓国で行なわれるメジャー開幕戦が中継されていた。大谷とダルビッシュの初対決ということで、これは観なけりゃいかんと思ってチャンネルを合わせていたが、いざ試合が始まると、数ヶ月ぶりに目にする野球は、そうか、そう言えば野球ってこういうものだったな、という、あまりなにを愉しめばいいのか分からない感じで、早々にチャンネルを切り替えた。選抜も始まったし、いよいよ球春ですね。
 そんな感じの、先週末からの日々でした。

逃げない2月

 金曜日が祝日というタイプの3連休であった。ポルガが学年末試験の直前であったり、ファルマンの上の妹一家が車検のために兵庫からこちらにやってきたりで、なんだかんだでバタバタし、あっという間に過ぎ去った感がある。
 初日は、初日はなにをしたのだっけ。ポルガを試験勉強のため図書館に送迎したり、そのついでにスーパーで買い物をしたりすると、わりとそれだけで午前中が終わったりして、ふわっと過ぎ去ったような気がする。午後、上の妹一家が実家に到着したので、家族はそちらに行き、ひとり残されたので、のびのびと自慰をしたのだが、天皇誕生日に自慰をするというのは、これは国民として真っ当なことなのか不敬なことなのか、判断が難しいところだな、などと思った。ちなみになのだが、やけに勢いよく飛び出た。現人神のなんかしらの力が作用したのだろうか。だとしたらすごい話だな。ものすごく直接的に国の繁栄に繋がるな。晩ごはんは、数日前から正統派のおいしい醤油ラーメンが食べたい気持ちが高まっていたので、そうしたのだが、万全を期して作ったのに、満足度としては80点に届かないくらいの出来で残念だった。
 2日目は、午後にまた家族が実家に行ったのだが、この日は自慰ではなく、逆に実家までランニングで行く、ということを実行した。なにが「逆に」なのかよく分からないけれど。我が家から実家までは、走って行こうと思えばぜんぜん可能だが、往復となるとちょっとしんどいな、という距離なので、今回のように向こうに既に家族が行っていて、帰りは車で帰れるという状況は絶好のチャンスなのだった。義妹一家に、さしあたって顔を合わす理由もないな、と思っていたけれど、それでもせっかく来ているのにまったく接触しないというのもな、という思いもあったので、そういう意味でもちょうどよかった。まあ正月に会ったばかりだし、春休みにはまたこちらに来るに違いないのだけど。もうすぐ2歳になる第二子が、ひたすらかわいらしかった。警告色のようなガチのランニングウエアで登場したので、ただでさえ人見知り時期のところ、完全に怖がられ、ぜんぜん抱っことかはできなかったけれど。晩ごはんは、鶏の手羽元を、クリスマスに好評だったローストレッグ風に味付けし、じゃが芋やかぼちゃと一緒にオーブンで焼いた。先週に引き続き、お前それ赤ワインが飲みたいだけじゃないか、というメニューなのだった。おいしかった。
 3日目は、子どもたちは実家やら図書館やらで、またその送迎で微妙にせわしなく過ぎた。ピイガはいとこと遊べることを喜びつつも、3連休の間に何度もプールをせがんできた。しかし先週の陽気はやはり奇蹟だったのであり、今週はきちんと2月下旬らしい寒さで、さらには花粉も飛び始めていてクシュンクシュンとやっているので、とても連れていける感じではなかった。でもそれだけまた行きたがるということは、先週のあれがよほど愉しかったのだろう。たしかに本当によかった。人生の歓びとはこういう時間のことを言うのかもしれない、とさえ思った。なので午後にこそっと僕ひとりだけで泳ぎに行った。ピイガに知られると絶対にめちゃくちゃキレられるので、隠している。先週もピイガには子ども用プールで遊んでてもらい、その間に何百メートルかきちんと泳いだが、今週はひとりでがっつりと泳ぐ。せっかくだからということで1キロ泳いだ。ランニングするし泳ぐし、ずいぶん活発な奴だな。晩ごはんは、ファルマンに前日にリクエストを訊ねたら、「手巻きずし」という子どものような答えが返ってきたので、そうした。刺身もおいしかったが、毎度のことながら卵焼きやたらこマヨといったあたりが、くらくらするほどおいしい。でもそれだけだときっとそこまでおいしくないんだよな。なんだろ、刺身の匂いかな。刺身の匂いを嗅ぎながら食べることで、やけにおいしく感じられるのかもしれない。
 まあそんなような3連休で、大きなイベントはなかったが、のんびりと平和に過した。2月は逃げるなどと言われるわりに、意外と長いような気がしている。こちらが短いハードルを高め過ぎたのかもしれない。評判ほどじゃないよね。ちょっと調子に乗ってるよね。

山陰の2月なのに晴れた週末

 2月の山陰とはとても思えない、晴れやかで温暖な週末だった。もちろんこれは期間限定のもので、週明けからは気温が下がり、さらには荒れるという予報である。であればこそ、この2日間の尊さが際立つというものだ。結果的に、こうしちゃいられない衝動に突き動かされた2日間となった。
 土曜日は午後から一家で公園へと繰り出した。公園を目的地としたのはいつ以来だろうか。去年の秋は、なんだかんだでそういうことをしなかったような気がする。行ったのは平田にある愛宕山公園。図書館にも行きたかったのでその選択となった。前回に行ったのがもうだいぶ前で、シカやヒツジやヤギが飼育されているということ以外、ほとんど覚えていなかった。遊具はそれほどでもなかったはず、と思っていたが、行ってみたらたしかにそれほどでもなかった。そもそもがだいぶ小さい子向けで、中学1年生と小学4年生は明らかに対象ではなかった(それでもポルガはぜんぜん気にせず遊んだ。さすがだ)。しかし名前にあるように山に作られた公園なので、案内に従って進むと展望台に辿り着き、そこからの景色がとてもよかった。晴れて暖かいだけでなく、空気がとても澄んでいたのだ。本当にいいコンディションの日だったのだ。東のほうに視線をやると、遠くに雪を被った山があり、どうやらそれは大山であるらしかった。三瓶山にしろ大山にしろ、なるほど名のある山というのは見事な見た目をしているものだな、と思った。とてもいい散歩になった。そのあとは図書館に寄り、さらには平田に来たあともうひとつの理由である、先月くらいにオープンしたダイレックスにも寄った。平田にダイレックスができたとは聞いたが、いったいどのあたりにできたのかと思っていたら、なんのことはない、図書館の本当にすぐ近くだった。まだオープニングセールを継続していて、肉がとても安く、喜んで買い込んだ。ほくほくと、すばらしい平田行きであった。
 晩ごはんは鶏の唐揚げ。ポルガが翌日、お弁当行事なので、そのおかずのためのメニューである。今週から週末限定とした酒がおいしかった。ちょっと久しぶりのビールに体が驚いたのか、喉の奥や胃のあたりから変な音が出た。
 翌日も同じような天候で、ポルガは科学教室の課外活動で、貸し切りバスに乗って遠出だという。うらやましい。もうこの陽気の中、貸し切りバスで移動するというだけで、成功は確約されていると言ってもいい。帰りは夕方ということで、姉ひとりが愉しそうなイベントに参加し、取り残されたピイガがあまりにも不憫になる。そこで前から存在は知っていて、でもなんとなく足が向かずにいた、実は車で30分足らずで行ける屋内温水プールに、とうとう行くことにした。ファルマンは仕事を抱えていたが、初めてのプールでピイガを更衣室でひとりにするのは心配だということで、仕事道具を持って付いてきてくれた。今は休館している行きつけのプールが、ありがたいことにとても近所にあるため、やけに遠いように感じていたが、まあ車で25分くらいなので、実は倉敷時代に児島のプールに行くよりも近いのだ。倉敷時代は、どこへ行くにも30分以上の移動は当たり前だった。今はコンパクトシティ(もとい、栄えているエリアがほぼ1箇所しかない)に暮しているので、感覚がちょっと変わっている。初めて行ったプールは、ファルマンも子どもの頃に何度か行ったという場所で、しかしどうやら近年に改装がなされたようで、とても新しげできれいだった。窓から陽光がたっぷりと降り注ぎ、もちろん空いていて、非常に良かった。プールからガラスを隔てて見学席があり、好都合なことにそこにはテーブルもあったので、ファルマンは快適に仕事ができたという。ピイガは久しぶりのプールにはしゃいでいて、連れてきてよかったと思った。僕もピイガの相手をする合間に、25mのプールできちんと泳ぐということができたので大満足だった。やっぱり50mや100mをしっかり泳ぐと気持ちがいいな。通勤の方向とは残念ながらぜんぜん違うのだが、向こうのプールはまだまだ再開しないので、必要を感じたらまた来ようと思った。
 そんな感じで、2日間とも陽の光を存分に浴びて、山陰の冬で溜めた鬱屈がだいぶ癒された週末であった。まあ実際、冬はもう虫の息と言っていい。しかし虫の息と言うと、春のほうがよほど虫の息吹をイメージさせるため、ちょっとややこしいことになる。

久々連休

 1月は前半に休みを大量消費してしまい、その帳尻合わせのように後半は出勤の土曜日ばかりが続いていた。たぶんこれは、完全週休二日制じゃない会社あるあるだろう。だからとても久しぶりの3連休に、テンションは高かった。
 そのようなわけで、初日には行かねばならぬという使命感から、おろち湯ったり館へと繰り出した。前回、日中に行ったらプールに人が多いしサウナはまだ熱くないしで微妙だったので、やはり夕方から夜にかけてがいいだろうということで、温め直せばいいように晩ごはんを作っておき、ひとり17時くらいから雲南へと車を走らせた。2月ながら、道の心配はまるでない。つまり暖冬だったかと言われると、普通に寒かったわ! と反論したくもなるが、やはり雪は少ない冬だった。しかしいつに降ったものか、湯ったり館の駐車場の一角には、雪が集められ積まれていたので驚いた。
 晩ごはんどきに差し掛かった湯ったり館はもう混雑のピークを超えているだろうと目論んでいたのだが、中に入ると意外と人が多かった。多かったと言っても、もちろん横浜の実家近くのスーパー銭湯のような、ギャグマンガ日和のようなレベルではぜんぜんないのだけど、空いているだろうと当て込んでいたので、ちょっとショックだった。サウナ内での常連客同士の会話によると、どうやら今年の冬から冬時間営業というものが制定され、閉館時間が1時間前倒しになっているため、それで人が多いのだということだった。「ほんにろくなことせん」とその常連客はぼやいていた。その人は、何ヶ月かにいちどくらいしか来ていない僕が、それでも顔を覚えているような、おそらく毎晩ここで風呂に入っている人なので、人生の調和が崩れたほどの出来事なのだろう。でもサウナはしっかり熱かったし、男湯が広いほうの週だったしで、まあまあよかった。2階にはもちろん上がれないのだけど、1階の露天の脇のベンチで外気浴をしていたら、冬の山陰名物の、降るとも降らないともない霧雨のようなものが降ってきて、それを全裸で浴びるのもまた悪くなかった。
 しかし今回のおろち湯ったり館の主目的は、なんと言ってもプールなのだ。なぜならホームプールが冬の休館および、今年はそれに併せて大規模な改修工事も行なうということで、春まで閉まっているのである。そのため実はもう既にしばらく泳げていないし、今後もまだだいぶ水泳になかなかありつけなそうな情勢なのである。普段は、25mよりも短い湯ったり館のプールには、こちらはこちらで独自の魅力もありつつ、しかし泳ぐという行為そのものに格別な感動というものはないのだが、今回はそんな事情なので、なんてったって久しぶりに泳げるというのがとにかく嬉しかった。やっぱり泳ぐと、泳ぐことでしか得られない刺激が体に来て、気持ちがよかった。
 そんなわけでわりとしっかりと堪能できた、今回の湯ったり館であった。やっぱり夜だな。次に行くのは3月中旬から下旬頃か。2階の閉鎖が終わり、そして桜が咲き始めるような、そんな頃に行けたらいい。
 帰宅して、ひとり遅めの晩ごはん。メニューは野菜とソーセージのトマト煮と、合い挽き肉をたっぷり入れたオムレツ。もう完全に赤ワインに照準を合わせたメニューじゃないか。そのとき傾倒している酒に合わせて、作る料理というのは変化するようだ。サウナのあとの満腹と酩酊で、3連休の初日にふさわしい、よい心地の夜だった。
 2日目の朝、ポルガが風邪を発症する。連休中なので病院に行きづらく、どうしたものかと危ぶんだが、いまこの日記を書いている3日目の晩の時点でだいぶ回復し、普通のごはんを食べているので、コロナでもインフルでもなかったようである。それ自体はもちろんよかったのだが、なんてったってポルガは普段の生活態度があまりにも悪い(夜更かし・薄着・部屋がゴミ屋敷のよう)ので、体を壊すのもなるべくしてなった感があり、今後は少しでも悪行を改めてほしいと切に思う。切に思うのだが、中学生ってマジで言うことを聞かないし反省もしないので、始末に負えない。
 ポルガがずっと部屋で寝転がっていたこの日、他の人間はどう過したかと言えば、ファルマンは仕事とポルガの世話をし、僕とピイガはクッキーを焼いていた。今年はなぜか急に、この3連休というものはバレンタインのお菓子を作るのに最適なタイミングなのだなあということを思い、クッキーを焼くことにしたのだった。たぶんこれは、バレンタインは女から男へチョコを捧げるもの、という固定観念が、現代の時流に合わせて、僕の中でやんわりと破壊されたということだろう。おっさんのパンツがなんだっていいのだ。
 せっかく作るのだから、きちんとおいしいものをいい感じに作りたいと思い、実はこの半月ほどせっせと準備していた。クッキーの型や包装、アイシングの材料などを取り揃え、平日の夜に試作で焼いてみたりして、ファルマンを慄かせたりした。その果以もあり、なかなか満足いくものができた。


 これはごく一部で、バターは丸々ひとパック、200gを使うような分量で、オーブンで4回に分けて焼くほど焼いた。アイシングは100均のものに加えて、粉糖と着色料で手作りもし、8色ほど作った。ピイガはイラストを描くように、なかなか上手にやっていた。僕はいざやってみたら、アイデアがなにも浮かばず、ヒット君型クッキーに顔ばかりを描いた。ヒット君型は、オリジナルのクッキー型ってどうやって作ればいいんだろうと検索し、牛乳パックで作ればよいのだという知見を得て、実行したものである。なかなかかわいらしい、商売っ気のある、と言うかこういう人のキャラクターの形のクッキーって既に世の中にいくらでもあるよな、という感じのものができた。
 食べたら普通においしい。クッキー自体の甘さは控えめで、アイシングでちょうどいい具合になった。アイシングは、アイデアもさることながら、絞り袋が途中でぐじゃぐじゃになったり、思うような線が描けなかったりで、少し悔しさが残った。でもこれは、やればやるほどどんどん手慣れるタイプのやつだな、という感触を得たので、また1年後と言わず、気が向いたらやりたいと思う。
 翌日、袋に詰めたものを実家の面々に渡し、さらには横浜へも宅配便で送った。人にあげるのは、本当にそれだけである。冷静に考えると、なんとまあ他者と交流しない一家なのか。つながりというものが、あまりにもない。いやまあ、多少つながっている程度の人から手作りクッキー(それもアイシング掛け)をもらっても、絶対に食べないけどさ。
 3連休はまあそんな、おろち湯ったり館とクッキー作りがメインで、あとはいつも通り、ミシンをしたり筋トレをしたり、酒を飲んだりして過した。久々の連休を十全に堪能できたかと訊かれると、それに対して自信満々にイエスと答えられるのはいったいどんな人間だ、と問い返したくもなるが、ずっとしなきゃいけないと思っていた布置きエリアの掃除もできたし、まあそこまで悪くなかったんじゃないかと思う。連休明けからは春らしさが出てくるという噂もあり、愉しみにしている。前途が愉しみだなんて、すばらしいじゃないか。いや、それはつまり今現在を憂えているということだから、もしかしたらぜんぜんすばらしくないのかもしれない。とにかく早く寒くなくなってほしい。

2023年の瀬の瀬の瀬

 28日で労働が納まり、29日から休みに入っている。めでたい。めでたーてしゃーない。
 無為に過してしまわぬよう、やるべきこと、やりたいと思っていることを、28日の夜に箇条書きした。なるべくならここに書いた全てをこなしたいものだが、これがなかなか難しいのだ。時間的には十分あるはずなのだが、そう単純な話ではないのである。
 まず29日の午前は、予約していた病院に行った。先日、12月の頭に受けた健康診断の結果が返ってきて、γ-GTPも含めて概ね問題なかったのだが、肺のレントゲンで引っ掛かり、「要精密検査」の診断が出ていた。とは言え自分ひとりでは、ちょっと嫌だなあと思いつつも、わざわざ専門医に検査を申し込むことはしなかったに違いないが、そこは配偶者が有無を言わさずやってくれ、労働が終わりつつ病院がまだ開いているという、唯一のこの日に予約を入れてくれたのだった。ありがたい話である。
 その待合室で書いた問診票の欄に、喫煙歴についての問いがあり、「これまでタバコを吸った経験がありますか」に対して、「一度もない」「今も吸っている」「かつて吸っていたがやめた」という項目があって、僕がタバコを吸っていたのはもう20年も前の、20歳前後に1年くらいだけなので、もはやほとんど事実としてないようなものだと思われたが、わざわざ肺を診てもらいに来たのに、「一度もない」に〇をするのもそれはそれで違うような気がして、仕方なく3番目に〇をつけ、「20歳の頃、1日平均5本ほど」という、やっぱりどう考えても今の僕の肺に影響が残っているとは思えない情報を記した。なんとなく間が抜けているような気がして、恥ずかしかった。結果として、CTというものを生まれて初めて受けて、「問題なし」の診断をもらう。よかった。
 午後は、兵庫在住の次女一家がこちらに到着したというので、ファルマンと子どもたちは実家へ行った。呼吸器内科ではずいぶん待ち時間があり、暇だったので、その間に僕は1年前の年末年始の自分の日記を読んでいたのだが、そこにも、28日で労働が納まり、29日の午後に次女一家がやってきた、ということが書かれていたので、なんとなくおもしろかった。年間行事というものはルーティンでオートメーションなもので、それはなんとなく空恐ろしい、虚無的な感じもありつつ、しかし世界に目を向ければ、その当たり前が崩壊してしまっている人々も多くいるわけで、なによりもありがたいことだとも思う。来年も同じ日程が繰り返されればいい(もっとも来年は28日が土曜日なので、年末の休みが1日前倒しで多くなる可能性がある)。ちなみに1年前は、僕も赤ん坊を見るため、そこに参加した様子だが、今年はそうはせず(どうせ正月には集うので)、この日が年内最終の営業日であった、いつものプールへとひとり繰り出した。そして最後ということで、1km泳いだ。いつもは次の日のことを考え、泳いでも500mくらいなのだ。1kmは、久しぶりに泳いでみれば、まあこんなもんかという感じで、特別に疲労が大きかった印象もなく、実は普段でもやれるかもしれないと思った。と言うか、400mから500mあたりで、なんか今日はもういいかな、というしんどさが襲ってくるのだけど、それに克って700mとか800mまで行くと、逆にすいすい行ける感じになる。今後の参考にしようと思う。ちなみに今年最後のプールだったということで、1年間の水泳回数を集計した。この記録は去年の途中から付け始めたので、1年間を通しての数字というのはこれが初めてである。結果は、94回。ほぼ4日に1回ということになり、そう考えるとまあ年間通してだいぶきちんと行ったものだな、と思う。94回泳いだ僕は、1回も泳がなかった僕に較べ、だいぶ健やかであるに違いないので、今後もこの習慣は続けていこうと思う。一時期作りすぎて食傷気味になった水着作りも、もうその気持ちは薄れ、新しいものが欲しくなってきている。来年も生地を手に入れ、作ろうと思う。ちなみに水泳とともに記録している射精に関しても、(まだ最終が済んだかどうか不明ながらも)このとき一緒に集計をしたのだが、それについてはできれば「BUNS SEIN!」に書きたいと思ったので、いまここに結果は記さない。なぜわざわざ「BUNS SEIN!」に書こうと思ったかと言えば、集計結果がなかなかおもしろいものであったからだ。年内に記事が書けたらいいのだけど。
 晩ごはんはホイコーローをメインに、中華風の卵焼きや水餃子のスープなど、中華にした。これから休みの間は、もちろん料理をすべて僕が担当する。ファルマンは休みの日は料理をしなくていいということが、心底嬉しいそうで、喜ばれるのはもちろん嬉しいのだが、あまりにもそこを喜ばれるというのも、普段そんなにつらくてしょうがないのかよ、と言いたくなるわけで、少し複雑な感じがある。
 夜、ファルマンにブリーチ剤の塗布をしてもらう。正月を前に、もはやプリンでもなく、髪の3分の1くらいが黒いという状態を是正しておくことにしたのだった。髪の長さ自体が、またしっかりと結べるくらい長くなっているので、こういう長さでド金髪にすると、さすがに激しすぎて変だったりするんだよなあ、もしもそうなったら散髪もしてもらおう、と思っていたのだが、仕上がりは問題ない感じだったので、無事に金髪の長髪に移行した。嬉しい。今回はどこまで続けるんだろうな。まあそのうち急に自分の中で終わりが来て、「なが! うざ!」となって切ることになるだろう。
 明けて今日は、午前中は家族で桃鉄をして過した。その桃鉄とは、実は「WORLD」である。年末年始を前に、あったら家族で愉しめるよなあ、という思いに抗えず、買ってしまったのだった。ちなみに1年前のこの日は、わが家は湖遊館にスケートに行っていて、あれが実は一家4人で、桃鉄のソフト代と同じくらいの金額が掛かっているので、今年はそれが桃鉄になったという解釈でよいのだと思う。今回は世界全体が舞台ということで、基本的な桃鉄の仕組みは一緒なのだが、とにかくマップの全容が把握できず、その戸惑いも含めて、やはり愉しい。午前中を使って、4年を終える。ポルガが初期設定でしれっとプレイ年数を100年にしていたが、まさかそこまでやるつもりはない。
 午後は、妻子は今日も実家に遊びに行くというので、ここが今回のおろち湯ったりチャンスであろうと、雲南市へと足を運ぶことにした。また1年前の日記になるが、1年前の休みのときは、「湯ったり館に行きたいなあと思いつつも踏ん切りがつかなかったが、かと言って家で有益に過せたかと言えばそんなこともなかったので、やっぱり行けばよかった」と言っていて、今年もこのままだと同じことになるなあと思い、行ったほうがいいと判断したのだ。今年は暖かい年末年始となり、雲南市への道のりも何の懸念もなく行ける。しかし曜日的には土曜日の、12月30日の昼下りと来れば、そこまで人がいないということもないだろうなあと覚悟はしていて、行ってみたら、まあ果たしてほどほどに人がいた。そしてプールには子どもがいたし、今週は男湯が狭いほうの風呂だったし、そもそも2階は閉鎖されているし、サウナも人の出入りであまり熱くなかったしで、総合的に見て、実にあまりよくなかった。しかしあまりよくなかったが、なんと言うか、まあこういうものだと、なにもマイナスに感じていない自分がいて、もう僕にとっておろち湯ったり館は、即物的な満足を得るだけの場所ではなくなってきているのだな、と思った。先日、ラーメン二郎に関する記事を読んで、ラーメン二郎を愛する人々というのは、ラーメン二郎のラーメンを、実はいつでも十全においしいと思って食べているわけではなく(もちろん基本的にはおいしく感じているのだろうが)、しかしあまりおいしく仕上がっていないときに当たってしまっても、別に不満や怒りが生じるわけでもなく、ラーメンの味どうこうという次元ではなく、もはやラーメン二郎のラーメンを食べるという、行為をしに行っているのだ、みたいな話があり、僕のおろち湯ったり館も、要するにこういうことだな、と思ったのだった。だから今日も、この年末年始の休み中に、おろち湯ったり館に行くという行為ができて、よかった。そう思った。あとちなみに、温泉のひとつに、壁からジェット水流の出るものがあって、普通に座ると、それが背中や腰に当たって気持ちがいい、というものなのだが、これに対しどうしたって、なかなか強い勢いで放出されているこのジェット水流を、ちんこに当てたい、当てて快楽を得たいという思いを禁じ得ないのだけど、しかしそれは公共の温泉施設において、ちょっとルール違反であるような気がして、これまで自重していた。しかし今回、先日まで脇腹を痛めていて、今でも朝起き上がるときとかにちょっと違和感がある、というストーリーが自分の中にあったため、そんなの周囲の人間からすればなんの関係もないことだが、その大義名分のもと、堂々と普段とは逆、ジェットの出どころのほうを向いて座り、脇腹に水流を当て、筋肉をほぐすということをし、そしてそうなると自ずと、普段は腰に当たるジェットが下腹部に当たることになるわけで、そこからは淡い倦怠感を伴う、なんとも言えない快楽がもたらされたのだった。でもこれは温泉の正当な使用法である湯治の、その派生によるものなので、ルール違反には当たらない、と自分の中で判断した。判断しつつ、途中からは脇腹よりもそちらに意識が強く行って、よりよいポジションを探っていた感があったということも、僕は正直者(近所でも評判)なのでここに記しておこう。
 湯ったり館を出たあとは、近くの店で晩ごはんの買い出しをして、そのついでにジャイアントコーンを買って、それを齧りながら帰った。温泉に入ったとはいえ、本当に暖かい年末である。湯上りのジャイアントコーンがとてもおいしかった。結果的に大満足である。
 帰宅後は、家族らはまだ実家から帰ってきていなかったので、ひとり静かにこの日記を書きはじめる。これが今月の10記事目。まだ明日もあるので、もう少しなにか書ければいいなとも思うが、とりあえず2桁に届かせることができてよかった。これにより年間毎月2桁投稿が無事に成った。
 晩ごはんはたらこ入りのポテトサラダと、ほうれん草ときのこのグラタン、そして焼き鳥。もう完全におつまみモード。明日大みそかの晩ごはんはどうしようかな。最後にそばを食べなければいけないから、あまり腹に溜まるものは食べられない。明日はたぶん家族で買い出しに出るので、そこでなにかよさそうなものを見繕おうと思う。

クリスマス2023

 なんだかんだでクリスマス寒波というものは、毎年几帳面にやってくる気がする。
 木曜日あたりからどぎついのがやってきて、金曜日の出勤はなかなかハードだった。などと言いつつ、その日の退勤後、プールに寄って帰った。ファルマンに電話で、泳いでくることを告げると、驚嘆された。電話だから分からないが、たぶんのけぞられたのだろうと思う。雪が降ってるような日に、逆にプールに行くというのもオツなもんさ、と思ったのだが、あまりそう考える人はいなかったようで、なんと25mプールのすべてのレーンを含めて、貸し切りだった。また僕の島根の貸し切り伝説に新しい1ページが刻まれた、と思った。ちなみに監視員はいつも通りふたりいたので、泳者よりも監視員のほうが多いのだった。視線を感じながらひとしきり泳ぎ、満足した。
 土曜日は午前中、食料品の買い物に邁進した。土曜日の午前はスーパーが安売りをするので、とてもテンションが上がる。土曜日に出勤がある週は、複合的な要因でテンションが下がるけれど、この土曜午前のスーパー巡りがままならないというのが、かなり大部を占めている気がする。今週もクリスマスと年末年始に向けて、まあまあいい買い物をすることができた。
 午後は家族でゆめタウンに繰り出した。どうしてもこれ、という用件があったわけではないのだけど、子どもたちがどこかに行きたいというので、なんとなくのショッピングモールである。年末らしい活気があった。ちなみに子どもたちは金曜日が終業式で、もう冬休みに入ったのだった。ああいよいよ1年が終わるのだな。
 晩ごはんは鍋ラーメン。ちゃんと寒い日に、満を持して鍋ラーメンができて嬉しい。鍋ラーメンだけだと寂しいかなと思っておにぎりも出したら、おにぎりで腹が膨れたのか鍋ラーメンのほうがだいぶ余ってしまった。夜になってファルマンと、日本酒とともに後半戦を行なったけれど、それでも余った。おかしいな。子どもたちが小さくて、まだ今ほど食べなかった頃に、鍋ラーメンだけでは物足りず、残った汁にごはんと卵を入れて雑炊をしていた記憶があるのに、今ではこんなありさまだ。子どもたちの食べる量ばかりを気にして、これまであまり意識してこなかった部分だけど、もしかすると自分たち夫婦の食べる量が、10年ほど前よりもだいぶ少なくなっているのかもしれない。
 翌日すなわち本日クリスマスイブの日曜日は、午前中に買い物ついでに、予約していたクリスマスケーキを受け取りに行く。ここから我が家はひと月で3回という、ケーキラッシュ期間に入る。そのこけら落としとなるクリスマスケーキは、普通に店で買うことにしたのだった。去年はブッシュドノエルだったが、今年は普通のホールケーキ、それも8個がそれぞれ別(オーソドックスなショートケーキなどは2つだったりする)のケーキになっているタイプのやつにした。こんなのって、手作りではもちろん、街のケーキ屋さんでもあり得ない(並んでいるケーキを8つ買えばいいのかもしれないが、わざわざしようとは思わない)ので、これぞ、こういう工場生産の大手メーカーによるケーキの醍醐味かもしれないな、と思って初めて選んだ。
 昼ごはんはあっさりとしたうどん。備蓄してある鶏のささみと、細かく切ったちくわ、そして卵をかき玉にして、優しく仕上げる。昨晩がにんにくやらしょうがやらを入れた豚バラ肉の鍋ラーメンで、今晩がクリスマスディナーなので、穏和なものを心掛けた。
 午後はファルマンと子どもたちはクリスマスの飾りつけをしたり、ポスターを描いたりを、金曜日の夜にやっていた「ホームアローン」を観ながら行なっていた。日記にこう書くと、まるでとても心地のよい平和なクリスマスイブのようだが、実際はみんなわがままで、ポルガは反抗期だし、ピイガは張り切りすぎて暴走していたしで、リビングからはわりと終始キーキーした声がしていた。僕はその間、4年ぶりとなった「仲間内10大ニュース」の記事の作成に勤しんでいて、無事に投稿することができた。とても嬉しい。
 晩ごはんのクリスマスディナーは、ローストレッグと、えびとブロッコリーとゆで卵のサラダ、買ってきたテリーヌと、パスタ3種というメニュー。今年は手羽元でフライドチキンなどに逃げず、きちんと前日から味を浸して、オーブンでじっくりと焼いてローストレッグを仕立てた。味はほとんど思うがままに冷蔵庫の調味料をジップロックの中に投入したのだが、食べたら絶品で、家族からも好評だったので気分がよかった。酒は、最初の1杯だけビールで、そのあとは珍しく白ワインを飲んだ。赤ワインは絶対に無理なのだけど、白ワインは昔ちょっと飲んでいた時期があった。せっかくクリスマスなので、チューハイではなく白ワインにでもしようかと思い、買っておいたのだった。とても久しぶりの白ワインは、悪くなかった。もしかするとこれからけっこう僕の飲酒ラインナップに躍り出てくるかもしれない。
 ちなみにテレビ朝日系が映らないでおなじみの「M-1グランプリ」だが、去年はTverでのライブ配信をひとり自室で眺めたけれど、今年はさすがにクリスマスディナーなのでそれは自粛し、まあ結果が出てから(結果も普通にヤフーとかで気にせず見るつもり)、合間合間でゆっくり観ればいいかな、と思っている。
 そんでもって、クリスマスのイベントであと残すところは、子どもたちが寝たあとの例の行為だけだ。しかしポルガはもう我々よりも遅く寝たりするので、寝静まった夜半に部屋に忍び込むのはすっぱりと諦め、明朝にそっと置く予定である。というかもうサンタの存在は、ふたりともさすがに信じていないような雰囲気があるのだが、特にピイガに関しては、藪蛇になる可能性があるので改めて確認をするわけにもいかないしで、まだこの形式は続けざるを得ない。続けざるを得ないというか、「もうそういうのいいから」などと言われたら哀しいので、やっぱりなるべくなら続けたいかな、とも思う。複雑な親心である。
 それでは皆様、メリークリスマス。

11月が終わる

 今年も無事に「cozy ripple名言・流行語大賞発表」と「パピロウヌーボ」を投稿することができた。とてもめでたい。しかし今年の「パピロウヌーボ」は難産だった。ゲストを誰にするか、直前まで本当に決まらなかった。記事を書き始めたときは藤井聡太の予定だったのだ。それが結果的にあんなことになった。プロ角が、「プロ角が出てる番組に藤井聡太が出るわけないでしょ」と言い出し、それもそうだと思い、ああいうことになった。登場人物が勝手にしゃべり出すとはこういうことか、と思った。まさかその初めての経験の相手がプロ角とはな。でもとにかく終わって嬉しい。読んだファルマンの反応は、「発表」のほうは上々だったが、「ヌーボ」は微妙だった。江角マキコが、林葉直子に対し、ヒョードルにするべき質問をする、そして林葉直子もヒョードルとして答えるというくだりは、異常なレベルでおもしろいと思ったのだけどな。
 去年もそうだったので、これも含めて年間行事の一環のようだが、今年もこれらの記事の製作の最中に、おろち湯ったり館へと赴いた。23日、勤労感謝の日のことである。11月いっぱいで2階が閉鎖になることは分かっていたため、やはりどうしてもそれまでに行っておきたかったのだ。しかしこの日はやけに気温が上がり、道路脇に設置された気温表示板には、「23℃」などという阿呆な数字が出ていて、陽射しも強かったため、11月下旬の、もうすぐ2階が閉鎖されるタイミングでの、冬の気配を感じながらの外気浴というわけにはぜんぜんいかず、むしろベンチに横たわるとじりじりと灼けるような暑さだった。さらには午前中だったので、さすがにまあまあ人がいて、ここで言っている「人がいる」とはどういう程度のものかと言えば、プールや2階が貸し切りじゃなかった、というレベルの話なので、これはまあちょっと僕の感覚がおかしくなっているわけだけど、それでも少し残念に思った。やっぱり夜、17時くらいからの夕暮れ時から始めて、サウナ水風呂外気浴のセットのたびにどんどん暮れなずんでいくという、そういう時間帯にすればよかったなー、などと思った。でも晩ごはんの準備があるからそれはなかなか難しいのだ。
 この日の午後は、子どもたちがまた「どこかへ連れてけ」と言うので、じゃあ昨日の晩、稲佐の浜でなんか儀式をして、旧暦神在月の、なんか出雲大社が1年で最も盛り上がる、全国の神様が集結するというチート設定の例の期間が始まったらしいので、どんなもんか様子を見に行こうじゃないか、と車を出した。ところが出雲大社まであと2キロくらいのあたりで突如として道が混み、ぜんぜん前に進まなくなる。前方を見ると、信号とか右折車とかそういう問題じゃなく、本当にただひたすらに車が詰まっているようだ。これはやべえやつだと悟り、慌てて対向車線側の脇の道に入り、ターンして来た道を引き返すことにした。どうやら神在月の出雲大社というものは、どんなもんか様子を見に行こう、などという生半可な気持ちでたどり着けるような場所ではぜんぜんないらしい。なるほど引き返しながら見ると、これから出雲大社に向かおうとする車は、そのほとんどが県外ナンバーであった。神頼みガチ勢なのだろう。神々と同時に、全国の鬼気迫るその輩も集結しているらしい。であれば出雲大社は殺気立った雰囲気だろう。それこそ触らぬ神に祟りなしというやつだな、この期間中は近付くまいな、と思った。
 金曜日の平日を挟み、週末。ちなみに金曜日の夜、金曜ロードショーで「ノートルダムの鐘」をやっていて、僕は観たことがなかったのだけど、ファルマンは昔観たことがあり、これまでの日々で時おり、「ここは聖域だー!」というカジモドのモノマネをやって、しかし家族の誰も元ネタを知らない、という残念なことになっていたので、いい機会なので観てみることにした。感想としては、期待値がかなり低かったというのもあり、思っていたよりもはるかにおもしろく、これまで観ないでいたことを後悔するほどだった。友達がひとりもいないカジモドは彫像をイマジナリーフレンドにしていて、そいつらがとにかくカジモドのことを全肯定する、というのが切なく、心に刺さった。カジモドグッズが欲しくなってしまったが、いばらの道であろうな。
 土曜日は午前中にインフルエンザワクチンの接種に行った。僕以外の3人は半月前くらいの平日に既に打っていた。開院時間と同時の予約に合わせて行った病院の待合室は、しかし具合の悪そうな子どもと、これから受ける注射のことでアンニュイな子どもで、阿鼻叫喚であった。接種は秒で終わる。今年も罹らずに済めばいいのだけど。
 日曜日は、ポルガの期末試験の結果が、まあこちらが求める程度にはよかったので、ご褒美というか、塾に支払わないで済んだ分の資金で、約束していたゲームソフトを買いに行く。「スーパーマリオブラザーズ ワンダー」である。前作にあたる「U」は、ポルガとピイガでずいぶんやり込んでいたようで、新作も当然ながら渇望していたのだった。やっているところを見たが、画面が精細で、情報量が多く、そして子どもたちの動かすプレーヤーの動きがおそろしく速いため、なんだかクラクラした。嘘だ。クラクラしなかった。なんかもう、脳がきちんと内容を把握することを放棄して、漠然とした感じで眺めた。なるほどこれだからeスポーツも若くないと無理なんだな、と思った。また姉妹で長く愉しめそうでよい。
 それ以外は、買い物をしたり、料理をしたり、筋トレをしたり、裁縫をしたり、まあわりとのんびりと過した週末だった。ブログ活動における大きな行事が終わり、それを通して狙い通り「11月パピロウ」も解消して、気持ちは澄んでいる。よかったよかった。