24年~25年の年末年始記録 中期編

 4日目、31日の大みそかは、日中は相変わらず裁縫をしたり、スーパーに買い出しに出たりして、地味に過した。おろち湯ったり館への思いが、この日々の端々で何度も募るのだけど、もちろん実際に行くことはない。行ったところで、在りし日の姿を期待している僕が満足するはずがないことは判っている。切ない。昼ごはんはカレーうどん。
 午後はファルマンと子どもたちが実家へ行ったので、自由に過す。もちろん裁縫や筋トレもしたが、この3時間あまりの中で行なったある行為が、最終日にして、結果として1年間の印象をガラリと変える、劇的な効果をもたらすこととなった。内容は「BUNS SEIN!」に詳しいのでそちらをご覧ください。
 夕方になって家族が帰ってきたので、大みそかの宴の準備をする。紅白歌合戦を眺めながら、5時間あまり過すための、お酒と食べ物。メニューについては数日前からいろいろ思案していたが、午前中のスーパーで、オードブルセットとして、円形の容器に盛られた、スモークサーモンであるとか、鴨肉のソテーであるとか、海老とアボカドのサラダであるとか、もうこれさえあればほぼ他になにもいらないじゃん、みたいなものを見つけ、それを買って帰ったので、とても楽だった。あとポテトを揚げたり、鶏肉を焼いたり。それともちろんポルガ以外の3人は蕎麦を食べ、ポルガは横浜の実家から送られてきた中華ちまきを食べた。
 今年の紅白歌合戦の印象は、言うまでもなく、B'zに尽きた。ファルマンは当然ながら大興奮だったが、ファルマンでなくたってあれは興奮するというものだ。圧倒的なパワーを見せつけられた。紅白はなんだかんだで、数年前のユーミンと桑田佳祐であったり、去年のYOASOBIの「アイドル」であったり、そして今年のB'zであったり、わりときちんと多幸感のあるエンターテインメントを見せてくれるな、と思う。1年の最後に感動があると、それは年間全体にいい作用をもたらすような気がする。すばらしいことだ。
 年が明けて、「2355-0655」恒例の、新春たなくじを行なう。画面でパッパッと高速で切り替わるおみくじの文面を、スマホのカメラで撮影し、捉えた1枚が今年の運勢という、現代的なスタイルのおみくじ。こちらが今年、「大大大大大吉」であったため、とても気分のいいスタートとなった。田中裕二の顔もこれ以上ないほどのドヤ顔であった。
 明けて5日目の元日。ポルガ以外の3人はお雑煮を食べ、ポルガはトーストにジャムを塗って食べた。もはや14年近くも育てていると、食べようとしないものを無理に食べさせようとするような、無駄な労力は使わないのだった。あと横浜から送られてきた黒豆と、スーパーでなんとなくそれだけ買った、紅白かまぼこと伊達巻の3本セットのものを切って並べた。伊達巻が、口に入れた瞬間に時空が歪むくらい甘くてびっくりした。
 そのあと昼前くらいに、毎年なんだかんだで元日に行っている神社へと向かう。地元民なので少なくとも三が日は出雲大社に近付かないのだ。参拝ののち、ここでもおみくじ。これがなんと、大吉なのであった。今年はやけに運勢を褒めそやされることだ。「願望(ねがいごと)」の項目では、「思うまゝです」とまで持ち上げられた。マジかよ。ただしそのあとで「しかし油断すれば叶わず」とあったり、他の項目でも「色に溺れ酒に狂えば凶なり」という注意喚起がなされていたり、多少の懸念はある。色に溺れ、酒に狂えば凶なのか。そうか。しかしそれらの、溺れたり、狂ったりというのは、いったいどのような度合を指すのだろう。ある程度は溺れ、狂うわけで、そのあたりを詳細に教えてほしいと思った。
 初詣のあとは、新春セールのブックオフへと元日から繰り出す。子どもたちは、このあと受け取るだろうお年玉のことを見越して、かなり買い込んでいた。やばい生き様だな。僕は僕で、どういう風の吹き回しか、110円のコーナーに並んでいた、社会契約論であったり純粋理性批判であったりの二次元エロ小説を、とても久しぶりに何冊か(子どもに隠れて)買った。買いはしたが、決して色目的ではないので、これはセーフだろうと思う。
 帰宅して昼ごはんのあとは、この日は夕餉を実家で、カラオケのときと同じメンバーで行なうので、ファルマンと子どもたちは先行してもう移動した。僕は家に残り、やはり裁縫であったり、筋トレであったり、そして「BUNS SEIN!」を書いたりして過した。元日も浮ついたところが一切ない。これはもう願望は思うまゝだな、と我ながら思う。
 夕方になってファルマンが迎えに来てくれ、ふたりで車に乗り込み、そのまま鮨屋に鮨を取りに行く。これももはや毎年定番のパターンだな。そして鮨を持って実家へ。鮨を食べ、酒を飲み、愉しく過す。プールで知らないじいさんに「腹、割れとったな」と言われたエピソードなどを開陳し、それなりに場を盛り上げたと思う。
 そこまでたくさん飲んだ気もしなかったが、帰宅後はなんとなく気怠くなり、運転役だったファルマンの晩酌には付き合えず、飲まずに寝た。なんだかこうして書くと本当に、おみくじを引いた初日から、わりと果敢にギリギリのラインを攻めていることだな。
 6日目、1月2日。のんびり起きてテレビを点けたら、箱根駅伝をやっている。年齢を重ねて、若いときには興味が湧かなかった事柄について、だんだん面白味を感じてきたりする部分もあるが、箱根駅伝はどうも、今年もまだらしい。ピイガと餅を食べている間だけ漫然と眺めたが、食べ終わったところで消した。
 午前中にひとり買い出しに出る。この3日間ほど、ごはんを炊きさえしない食生活だったので、さすがに地に足のついたものが食べたくなって、そういうものを買う。あとピイガの誕生日祝いのケーキ材料として、スポンジと生クリームを仕入れた。あとはイチゴだけだが、これがもう、今年の大河ドラマかよ、と言いたくなるくらい、べらぼうに高いのだった。三が日が終わった4日、少しでも値段が下がればいいのだけども。
 というわけで昼ごはんは、炊き立てのごはんでおにぎりと、キャベツの千切り、ベーコンエッグ、そして味噌汁という、本当に実直なメニューにする。白菜の浅漬けなんかも添えちゃって、しみじみとおいしかった。
 午後は今日もファルマンと子どもたちは実家行き。もはやオートメーションのような次元で行くことだ。帰省してきている従姉妹らは、実家で特にすることがないので、まあうちの子たちが行けば、それは喜ばれるわけである。娘たちも、家にいると「どっか連れてけ」だの「宿題したくない」だのとうるさいので、まあ行ってくれるのに越したことはない。
 ただし今日は、次女一家は今晩は夫側の実家で会食ということで、16時くらいにはそっちへ移動するという話だったので、だったら俺、15時過ぎくらいに実家にランニングで行って、おやつをみんなと一緒に食べて、そんでファルマンたちが乗っていった車に一緒に乗って帰るという、前にもいちどやったパターンのやつをやろうと思い、ひそかにファルマンたちが出発する前に、車に着替えや入浴グッズなどを載せておく。そして14時45分くらいまではいつも通り、裁縫や筋トレをして過したあと、ランニングウェアに着替え、家を出た。こうして走るのはずいぶん久しぶり、たぶん前の冬以来のため、自分の走れなさにびっくりした。水泳とは使う能力がぜんぜん違うらしい。3kmほどの道のりを、たびたび息が持たず歩きながら、なんとか辿り着いた。
 到着は15時15分頃だったので、さあちょうどおやつの時間だろうな、と思ったら、実家には義父とファルマンと子どもたちしかいない。義母と義妹らは、初売りセールへと繰り出したのだそうだ。16時に移動するんじゃなかったのかとファルマンに問い質したら、「その予定で、私もそのつもりで子守りを買って出たけど、なかなか帰ってこないのだ」とのことだった。仕方なくシャワーを浴びたりして過すが、それ以降もなかなか帰ってこない。結局3人が帰ってきたのは16時半を過ぎてからだった。そのあとせわしなくおやつを食べ、われわれ一家は帰った。予定時刻を聞きつけ、呼ばれてもないのに勝手に現れたわけで、文句が言える筋合いではないが、2歳児の相手などしながら、これならもっと遅くなってから来ればよかったなあ、と思った。
 晩ごはんは、こちらも日常を求め、豚肉と舞茸とネギの卵とじに、鯖、そして納豆という、どこまでも優しい献立。白米がひたすらにおいしいのだった。
 そんな中期3日間であった。休みはこれで残りあと3日。まだ3日もあるとも思うし、もうあと3日なのか、とも思う。普通ならダレそうなラスト3日間だが、わが家の場合、4日に誕生日の人がいる関係で、その心配はない。せいぜい愉しく過そうと思う。

24年~25年の年末年始記録 前期編

 28日から無事に年末年始の休暇に入っている。今年は暦の巡りがよくて、「奇跡の9連休」と言われている。僕もそうである。もちろん嬉しい。しかしその一方で、9連休にそこまで大興奮していない自分を感じ取っていて、そのことに気を悪くしている。「おもひでぶぉろろぉぉん」当時の、書店員時代の僕は、テレビで「奇跡の9連休」などという話題が出たら、その瞬間にチャンネルを変えていただろうと思う。それが今は享受できているのだから、本当はもっと、過呼吸になるくらい喜ぶべきだろうと思う。
 27日は大掃除のあと労働が早めに終わったので、プールへと繰り出した。まだ日が沈む前だったので嬉しかった。これが今年最後になるかもなあと思いつつ、たぶんやっぱりもういちど来るだろうな、と考えていた。実際もういちど行くことになった。
 28日は土曜日ということで、ルーティンとして買い出しに繰り出す。しかしなにぶん年末のことなのでいつものようにはいかないだろうと、これはもう行く前から覚悟していた。結果としては、野菜や魚はたしかにそうだったが、肉は思いのほかよくて、豚のひき肉がとても安く手に入ったので、これはもう餃子だな、と思い立った。実家にはこの日から次女一家が帰ってくることになっていて、いつもごはんのことで大騒ぎしているので、大量に作って向こうにも餃子を提供してやろうと考えたのだった。
 帰宅後は昼ごはん。焼きそば。ポルガは友達とショッピングモールに遊びに行ったので、3人である。3人なのでいつもは買いづらい3玉入りのものがちょうどよかった。
 食後は餃子の餡を仕立てたあと、部屋での作業。溜め込んでいた布を総ざらえして、この連休中に使うかもしれないものを、とりあえず外に出した。そうしたら部屋の床が布で埋まり、ファルマンからブーイングを受けた。9連休でも別にそこまで心が躍っていないみたいなことを言いながら、その一方でひそかに青い炎が燃えたぎってもいるのだった。
 16時くらいになって次女一家が実家に到着したというので、実家用の餃子を包み、ピイガを連れて参上する。夏以来の対面となる次女の次女は、2歳4ヶ月だったのが2歳8ヶ月になっているわけで、だいぶ成長を遂げていた。この時期の4ヶ月はでかいな。それに引き換え41歳にとっての4ヶ月と来たらどうだよ、と思う。
 ピイガはいとこと遊ぶというので、晩ごはんまで置いておくことに。自宅に戻ったら間もなくポルガが帰ってきて、ピイガは実家に行っていると伝えたら、自分も行くと言って自転車で行ってしまった。中学生は身軽だな。
 自宅用の餃子を包み終えたところで、子どもたちを迎えに行く。ポルガの自転車も車に乗せて帰った。どうせこれから連日、いとこと絡み続けるのだろう。
 餃子はもちろん美味しく、実家からも甚く感謝された。それはそうだと思う。こんなに気の利く娘の夫はこの世にそうそういないだろうと思う。
 夜は裁縫。ピイガのためのキャスケット帽を作っていた。近日中に「nw」にアップするだろうが、実は半月ほど前からピイガ用にコートを作っていて、その余った生地でキャスケットも作ることにし、年末年始に間に合わせたいと思っていたのだが、この日になんとか完成したのだった。とてもいい出来になったので満足している。9連休、なるべく1日も無駄にしたくないので、とりあえず初日に成果があってよかった。
 2日目の29日は、次女一家が午後は夫のほうの実家に行くが午前中はいるというので、また子どもたちを連れていく。連れていくと言うか、置いていく。
 その間に僕は買い物。ドラッグストアや100円ショップなど、食料品以外のこまごまとしたものを買い出す。その中に蛍光灯があった。僕とファルマンの部屋の蛍光灯が、どう考えてもこれはさすがに暗いだろうという話になり、新年を迎えるこのタイミングで新しくすることにしたのだった。それで帰宅後、付け替える。しかしこの作業をしていた際、僕が椅子に乗り、これまでのものをふたつとも外し、まず大きいほうの環を嵌め、さて次に小さいほうの環を、と思って腕を下げた瞬間に、気を利かせて小さい環を僕に向かって差し出していたファルマンの腕にぶつかり、新しい小さい環は床へと落下し、無残にも粉々になったのだった。大ショックである。部屋を明るくするために買った新しい蛍光灯がダメになってしまった哀しみと、これでもかというくらい細かく粉々になったガラスの後処理の大変さ(しかも床には僕がぶちまけた生地が散乱していて、それならそれで蛍光灯は救われろよと思うが、巧みにそれを避けて硬い床に落ちて割れつつ、破片は布へも散るという最悪のパターンであった)で、年末にとてもつらい気持ちになった。ファルマンなど「今年でいちばん哀しかった」とさえ言った。言ったあとで僕に、「お前は今年、島根のおばあさんと岡山のおじいさんを亡くしただろう」とツッコまれる始末であった。仕方なく小さい環は、これまで使用していた、だいぶくすんだものを再び付けることにした。それでも外側の大きい環が新しくなったことで、これまでよりはだいぶ明るくなったので、当面はこれでいくことにした。ファルマンがガラス片の処理をしてくれるというので、僕は子どもたちを迎えにいって、そして昼ごはんを作った。客観的な記録も証言もないので、この一件については、僕とファルマンのどちらが悪かったのか、もはや究明のしようがない。ファルマンはもちろん僕が悪いと言う。僕は口に出しては言わない。言わないけどここには書く。上を向いて作業をしていた人の、あんな至近距離に、声も掛けず物を差し出しているというのは、よろしくないのではないかと僕は思う。
 昼ごはんのあと、午後はひとりプールへと繰り出す。この日がホームプールの今年最後の営業で、僕も今年の締めとしてたっぷりと泳いだ。具体的に言うと、1250m泳いだ。こういうときよく1000mを泳ぐので、今日はそこにもう少し色を付けようと思い、この数字になった。気持ちよかった。これまでなら、このあとおろち湯ったり館へ行く可能性が残るので、そうなるとまだ泳ぐ余地があるということになるが、今年に関してはそれがないため、今年の水泳はここできっぱりとおしまいである。おろち湯ったり館とは後腐れなく別れたつもりだが、こんなときはやっぱり一抹の寂しさを感じる。ちなみにだが、サウナに行きたい気持ちはあるのだ。しかしおろちは嫌だし、ゆらりもなあ、とあぐねている。
 晩ごはんはカレーライス。大みそかまで微妙にあるこの日程において、鍋いっぱいのカレーを拵えておけば、夜にも昼にも食べられて便利だろうという算段から作った。
 韓国で起った飛行機事故のニュースを見て、いたましいと思うと同時に、飛行機に対する恐怖がまた増大した。去年あんなことがあり、今年は飛行機のメカニズムを学ぼうなどとは目論んでいなかった。それでももちろんそんなこととは一切関係なく、事故は起るときには起るのだ。車だって鉄道だって船だって、不可避で死亡に至るような事故はいくらでも起るけど、不可避の不可避さ加減が、飛行機はそれらとは段違いであるように思え、そこがおそろしくてしょうがないと改めて思った。
 3日目の30日、すなわち今日だが、この日の午後から例の、初めての親類カラオケの試みということで、午前は家で粛々と過した。僕は前の晩から、ひたすらに裁断作業に取り掛かっていた。年末年始用に新しく買った生地に加え、これまでに買って自分用のものだけ作り販売用は作っていなかった生地など、所有しているほとんどのスイムウェア用の生地を、もういっそすべて裁ってしまえと、とにかく裁った。なかなかすごい量になった。なんだかんだで書店員だった時代の癖が抜けず、9連休というものを過信しているのかもしれない。そこまで作れんだろう。他にやりたいこともあるのだし。でも裁っておくと気が向いたときに少しずつ進められるから、やっぱりまとめてやれてよかったと思う。
 昼ごはんは早速カレーライスを使って、実家へと向かう。そして車2台でカラオケへと繰り出した。大人7人、中学生以下4人、総勢11人の大所帯である。部屋の半分がマット敷きになっているキッズルームだったので、なかなか快適に愉しめた3時間であった。岡山時代に購入したマイクスタンドを、今回久しぶりに発掘して、持っていった。マイクスタンドって、あまり個人で所有しないし、ましてやカラオケに持っていったりしないものらしいので、袋から取り出して組み立てただけでけっこうウケた。こういう会は初めてということで、ならば1曲目はこれであろうとあらかじめ決めていた、「生まれてはじめて」(神田沙也加)で僕が口火を切った。そのあと各人いろいろ唄い、僕は「ALIVE」(SPEED)、「世界中の誰よりきっと」(中山美穂&WANDS)、「あなたの好きなところ」(西野カナ)、「君は薔薇より美しい」(布施明)などを唄ったあと、最後に「さよならの向う側」(山口百恵)で床にマイクを置いた。JOYSOUNDじゃなくてDAMだったので若干の唄いにくさはあったが、まあまあ気は済んだ。この1ヶ月、車内で準備した果以があったというものだ。前回のカラオケの数日後の訃報であった中山美穂の追悼もできてよかった。
 実家に戻って人を降ろしたあとは、今日のところは長引かせず退散する。どうせ明日も日中、子どもたちは実家に入り浸るのだろう。帰宅後はまた裁断の続きをして過す。晩ごはんはあんかけラーメンと餃子。とろみのあるラーメンが、熱々でおいしかった。
 ここまでが9日間の、前期3日間の記録。中期が年越しと、元日の実家の集いと、初詣などで、そして後期はピイガの誕生日のお祝いとかの話題になってくることだろう。

微妙なクリスマス週末

 11月の終わりくらいにクリスマスケーキの予約をしたのだが、受取日、すなわちクリスマスディナーを何日にするか、カレンダーを見て困ってしまった。24日が火曜だったからだ。やっぱりやるなら週末がいい。ファルマンから「私はクリスマスディナーっぽいメニューなんか作れない」という訴えもあり、そういう意味でも週末である必要があった。というわけで22日、日曜日に執り行なうことにしたのだが、自分的にも世間的にも、なんか微妙にまだクリスマスに気持ちが入っていない感じがあって、少しふわふわとした。ここ数年のカレンダーを確認したら、去年までの3年間は、24日が金曜、土曜、日曜と、うまく週末に当たっていたようで、それですっかり平日クリスマスというものに耐性がなくなってしまったらしい。今年からの3年間は平日が続くので、慣れなければならない。
 そんなわけでこの週末は、クリスマス要素と年の瀬要素がマーブル状に入り混じる、なんだか掴みどころのない感じだった。
 金曜日の夜は、職場の忘年会だった。相変わらず、時間が長く感じられた。ぜんぜん愉しく思えない飲み会だが、中心のおじさんが満足げであれば、それはそれで理解できるのだけど、決してそんなこともなさそうで、だとすれば本当に夏と冬のこの会というのは、誰のどんな情念で開催されているのだろう、と思う。唯一の救いとして、食事はわりとおいしかった。飲み物の選択肢に日本酒がなかったので(嘆かわしいことですね)、ビールのあとは赤ワインにした。思えば2024年は僕のワイン元年であったな。
 翌日土曜日は、一家でショッピングモールへと繰り出した。ポルガの部活はやはり秋口までがメインで、3年が引退して以降は明らかに流してる感じがある。また新年度を見据えた春先あたりから活発になるのだろう。ショッピングモールではメガネを見た。今年1年のご褒美として、リーディンググラスを買うことにしたのである。英語圏では老眼鏡のことをこう呼ぶのだそうだ。すばらしいと思う。おい日本人、そういうとこやぞ、と思う。お店の人に要望を伝え、検査をしてもらい、「じゃあこの1.0のやつですね」という案内をされ、何種類かフレームの選択肢のある中でひとつを選び、それを買った。買ってから、この1.0というのは別に僕の視力に合わせて調整をするものではなく、共通の規格なのだ、だからもうそのレンズが嵌まったやつが用意されていて、それを買って帰るだけなのだと、初めてリーディンググラスのシステムを知り、だとしたらこれってわざわざメガネ屋で何千円か出して買わんでも、ネットで、もっと安い値段で、いろんなフレームの選択肢があったんじゃないか、と気づいた。まあ検査もしてもらったし、勉強代と捉えることにしようと思う。帰宅後、本を読むときや、裁縫をするとき、着けたりしている。でも実はまだ、そこまで必要じゃないってことなんだろうな、というのを感じている。まあ腐るものではないので、転ばぬ先の杖的な感じで持っておいて損はないと思った。
 午後はプールへと繰り出した。12月の土曜日の半端な時間だというのに、まあまあ人がいた。もっともこの「まあまあ人がいた」というのは、あくまで島根県感覚なので、よその地区の人に共感してもらえるかは分からない。土曜日の余裕から、たっぷり歩き、たっぷり泳いだ。気持ちがよかった。
 晩ごはんは、ぶり大根と、かぼちゃの煮物。どちらも醬油味。ぶり大根は昨日の時点から心に決めていて、かぼちゃは冬至ということで売り出されていたので、縁起物だし食べておくか、という気持ちで急遽採用した。日本酒が進むいいメニューだった。
 明けて日曜日は、夕方にケーキを取りに行く以外は予定がなく、家でのんびりと過す。ファルマンと子どもたちは午前中に実家に行って、祖父母からクリスマスプレゼントを受け取っていた。ポルガはペン軸とペン先のセット、ピイガは豪華な色鉛筆。なんだかやけに絵を描くのが好きな姉妹のようじゃないか。まあ実際よく描いているけれど。
 午後は、もらったそれらを使って、早速クリスマスポスターを描いていた。ふたりとも個性のよく表れたいい出来だった。また写真に撮ってここにアップしようと思ったら、ファルマンに「ポルガは自分の絵をインスタにアップしたりするし、やめときなよ」と窘められたので、自重することにした。ややこしい渡世だな。
 いい時刻になったので、買い出しとケーキの受け取りに出た。スーパーは、ディスプレイ的にも、人出的にも、クリスマスのような、クリスマスでないような、本当に微妙な感じだった。案外平日でも24日にやる人のほうが多いのだろうか。
 クリスマスのメニューは、ひと晩味を付けておいた骨付きの鶏肉と野菜をオーブンで焼いたもの、フライドポテト、チルドのシンプルなピザに自前で具をたくさん載せたもの、2種のパスタ(たらこクリーム・ペペロンチーノ)、コーンスープ。日付こそ微妙ながら、それでも家族で囲むクリスマスディナーは、格別の多幸感があった。クリスマスが年末にあるのっていいことだな、7月とかにあったらあんまりいいイベントにならないだろうな、などと思った。
 食後はケーキ。箱から取り出してみると、去年と変わらない程度の価格を出しているはずだが、明らかに去年よりもワンサイズ小さくなっていた。それはそうだろうとも思ったし、言い知れぬ格別の侘しさを感じもした。わが家の場合、約10日後にリベンジの機会があるので、その際は大きさにこだわって手作りをしようと心に誓った。
 そんな感じのクリスマス週末だった。子どもたちにプレゼントが届けられるのは当然25日の朝である。なんだか本当に間が抜けた感じだな。来年、再来年のために、どうするのが正解なのか、よく考える必要があるかもしれないと思う。

11月から12月へ

 意外と「おこめとおふろ」を20日間も書いていなかった。ブログを複数持っていて、さらには新しいブログなんかも作ってしまったので、どうしたってこういう事態が出てくる。しかし他のブログならそれも仕方ないかもしれないが、「おこめとおふろ」はなんてったって日常生活の記録のブログである。僕の各ブログにはそれぞれの担当陣営がついているわけだけど、いちばんアクがなくて穏和そうな「おこめとおふろ」担が、実はいちばん苛烈であるというのは、よく知られた話だ。そのため、かの人たちのことを思うと、20日間も放置してしまったことに罪悪感を覚える。体調を悪くした人もいたかもしれない。本当に申し訳なく思う。
 さて11月パピロウ月間が終わり、12月に入った。今年もあと1ヶ月である。信じられない、とも思うし、この1年間の日記を読み返したばかりだから納得がいく、とも思う。
 11月最終日の土曜日は、午前中はいつものように買い出しに出た。いろいろ高い。家のおやつが枯渇したので、この日はおやつをいろいろ仕入れたのだけど、お菓子も以前に較べてすごく高くなった。板チョコが130円とかする。板チョコは100円(あるいは以下)という固定観念があるので、値札を見るたびにぎょっとする。100円という値段は固定にして大きさのほうを変えてくれよと思っていたが、このあと行ったダイソーで実際にガーナの板チョコが売られていて、それはなんか虚を突かれるような、自分が巨人になってしまったと錯覚するようなサイズだったので、やっぱりこれはこれで切ないな、と思った。
 午後は部屋にこもり、裁縫や筋トレをして過した。11月末日の土曜日ということで、これまでの僕だったら当然、2階が閉鎖される最終日でもあり、おろち湯ったり館が頭に浮かんでくる状況だったのだけど、今年はそうはならない。おろち湯ったり館とは、お別れをしたのだ。別れたことに後悔はないつもりだが、輝いていた日々のことに思いを馳せると、やはり切ない気持ちがこみ上げる。
 ところで部屋では、寒かったのでストーブを点けていた。先日灯油を汲んできて、今年のストーブ生活が開始したのである。しかしそうしたら空気が澱んだようで、気分が悪くなり、夕方くらいからやけにしんどくなった。我ながら日々フレッシュに生きているなと感心するが、ストーブを点けたときは換気を心掛けなければならないということを、シーズン初めですっかり失念していたのである。そんな中で筋トレ。ダンベルフンフン。それは参るよ。もしかしてバカなんじゃないか。
 晩ごはんは、午前中の買い物のときが寒すぎたので、想定していたメニューを取り止め、これはおでんしかない、と急遽おでんに差し替えたのだけど(昼ごはんのあとにもう仕立てていた)、そんな具合になってしまったので、おでんを夕飯から晩酌までグダグダやり続けるという青写真は露と消え、これはもう、早めに寝就き、たっぷり睡眠時間を確保して、とにかく体を回復させねばならないとなって、消化不良だった。そんな11月末日だった。
 12月初日の今日は、なんと一家でカラオケに行った。一家で行くのはだいぶ久しぶり。岡山以来だ。もっとも一家と言いつつ、部屋はふたつである。思春期である上の娘は、家族と一緒にカラオケなんかしないのである。さらには「離れた部屋にするよう店員に言え」という注文までつけてきた。実に思春期だなあ。というわけでポルガはひとりで、僕とファルマンとピイガは3人で、それぞれ唄った。3時間。
 僕が唄ったのは順番に、「はたらくくるま1」(のこいのこ)、「黄金の海で逢えたなら」(関取花)、「ぼくドラえもん」(大山のぶ代)、「フクロウの声が聞こえる」(小沢健二とSEKAI NO OWARI)、「トップ・オブ・ザ・ワールド」(カーペンターズ)、「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)、「ホネホネロック」(子門真人)、「芝生」(ハルカリ)、「唇よ、熱く君を語れ」(渡辺真知子)、「許婚っきゅん」(ano)、「はたらくくるま2」(子門真人)、「彗星」(小沢健二)、「天国街道」(リュックと添い寝ごはん)、「君は薔薇より美しい」(布施明)というラインナップ。大山のぶ代と西田敏行、そしてハルカリはいつもの追悼歌唱。ハルカリがなぜ追悼なのかと言えば、作詞が谷川俊太郎だからであるという、ちょっと意味の分からない執念を見せてみた。昨日やや崩した体調がまだ万全ではなく、どうなることかと危ぶまれたが、やっぱりマイクを持つとそこはプロ、そんな内実などおくびにも出さず、張りのある声を響かせたので、さすがだなと思った。
 しかし帰宅したあとは、また少し寝た。昨日からの合計で半日くらい寝ていないか。これは僕の身体が、冬仕様へとメタモルフォーゼしている現れかもしれない。だったらいい。まだ寒さは本格的じゃないのに、あまりにもつらすぎないかと思っていたが、要するに身体がまだぜんぜん冬のそれになっていなかったんだろうと思う。そう信じたい。
 あと身体的なことでついでに言うと、流行語大賞の「ゴーーーン」の項で述べたことだが、10月終了時点で今年の射精回数は、2023年(記録108回)ととてもいい勝負だということが判明し、ここからはちょっと意識的に回数増量な感じで行こう、去年の僕より今年の僕は1年分だけ年齢を重ねているけれど、こと年間射精回数に関しては、去年の数字はいまさら増やせないが今年はがんばれば増やせるという圧倒的なアドバンテージを有している(今後もこのアドバンテージは有し続ける)ので、おとなげなく1年前の若い俺をねじ伏せようと思考し、そういう発想のもとで11月を過した結果、どういうことになったかと言えば、実にすばらしいパフォーマンスとなり、もしも僕に射精のパーソナルトレーナーが付いていれば、とても褒められたに違いない数字を叩き出すことに成功したのだった。11月の旧称は霜月だが、僕にとってはシモ月だな(笑)、ってなもんで。なるほどこれならば「おこめとおふろ」を20日間書かなかったのもやむなしである。これにより12月に相当な余裕ができた。射精貯金である。もはや取り組む上での焦点は、来年のことも鑑み、どのあたりの数字で打ち止めにするか、という次元になっている。ゆとりがあるっていいな。
 まあそんなような、11月から12月への移行でした。愉しく暮しています。

嬉しいのんびり週末

 先週の3連休がバタバタだったので、4日間の労働をこなして手に入れた、特になんの予定もない週末が、とても愛しい2日間だった。
 土曜日の午前中は、いつものスーパー巡りに繰り出し、そのままプールへも赴いた。ここまでの4日間は、プールに行くこともままならなかったので、久々である。午前中の陽射しが水面を照らし、気持ちがよかった。
 午後は家族で少しだけ買い物に出たが、基本的に家の、それも自室にこもり、好きなように過した。岡山で手に入れたニット生地や、ネットで注文した水着用の生地など、いま新しい生地が充実しているので、とても満ち足りているのだった。注文する前もだいぶ長い期間ワクワクしたし、届いて以降は当然テンションが上がるので、非常にコスパがいいと思う。それの裁断をしたり、合間で筋トレをしたり、のんびりと過した。午前中にプールをやったことでの、うっすらとした倦怠感もまた、いいエッセンスになっていたと思う。
 晩ごはんは、手羽元のフライドチキンと、フライドポテト、そして納豆のパスタ。最初はもちろんビールだけど、そのあとの赤ワインのこともだいぶ念頭に入れているメニュー。ワインの情趣というものが、最近になってようやくきちんと理解できてきた感がある。
 プールに行って、裁縫をやって、揚げ物を食べて赤ワイン。至福の休日であった。
 翌日の日曜日も、引き続きゆったり過す。午前中はcozy ripple名言・流行語大賞のための読み返し作業に勤しみ、無事に11月までの記事を完読した。読みながら候補語をピックアップしていくわけで、この時点で選考はすでに始まっている。さらには、パピロウヌーボでのプロ角と優香の掛け合いなどもうっすら考えはじめている。愉しい。
 午後は、ポルガが英検の受験だったので、その送迎がてら、出雲ドームで行なわれていた産業博というものに3人で赴いた。この企画には、なんだかんだで3年連続で顔を出している。この3年、毎年規模が大きくなっているのは、コロナ明けのグラデーションということなのだろうな。今年の様子が、本来の状態なんだろうと思う。ファルマンとピイガは、それなりに愉しんだようだった。僕は出雲ドームに行く用事があると、大抵の場合、その向かいにある生鮮食品おだというスーパーに行くことのほうが主目的になり、今回もその例で、ひとり買い物を済ませてからドーム内に足を踏み入れ、ふたりを探しがてらぐるっと回ったら、もうそのあたりでポルガから試験終了の知らせが来たので、さっと切り上げた。
 晩ごはんは、なんとなく食べたい機運が高まったので、少し面倒だったが、かつ丼にした。満足のいく出来になったのでよかった。
 岡山に行ったりするの、それはそれでワクワクするが、こういう大した用件のない週末の尊さというのもすさまじいものがあるな、と思った週末だった。

11月の岡山へ

 岡山に行ったのだった。3連休の最終日、11月4日のことである。
 前回はたしかGWだったよな、とぼんやり思っていたが、いま日記で確認したら、4月初頭であった。ということは7ヶ月ぶり。11月に入り、今年って経過がやけに早くないか、と思うことがたびたびあるのだけど、この7ヶ月にもだいぶ驚く。
 行った目的はもちろん、ポルガがいつもの友達と遊ぶためであり、他の3人はその送迎ついでに岡山で半日を過すという、前回と同じパターンである。ちなみに先月に亡くなったファルマンの母方の祖父のことも、もちろん頭には思い浮かび、告別式にはファルマンしか参加できなかったので、どこかのタイミングで墓参りに行かなければならないとは思っているのだが、今回はまだ四十九日前ということもあり、そちらの用件は見送った。
 島根から岡山への所要時間は、2時間半から3時間といったところで、その往復をしつつ、中学生がとりあえず満足する程度の時間、遊ばせてやらねばならないので、出発時刻はどうしたって早くなる。7時半になる前に車に乗り込み、車内で朝ごはんを食べながら移動する。山間部の霧がすごかった。
 友達とはいちおう11時の待ち合わせにしてもらっていたが、滞りなくたどり着けたので、連絡して30分早めてもらった。最寄り駅に戻ってくる電車の時刻は事前に定めてあるので、合流が早ければその分だけ遊ぶ時間が稼げるのだった。
 というわけでポルガを降ろし、ここから5時間ほどを、なんかかんかして過さねばならない。これについて、7ヶ月前はわりとあぐねて、かつての職場の方面へ車を走らせるなどという錯綜をしたが、2度目ともなると慣れたもので、というより達観し、今も密接にコミュニケーションを取っている友達のいるポルガ以外、残りの3人は、引っ越しの時点で7歳だったピイガはしょうがないとして、7年あまりも暮した岡山に、実はもはやなんの感慨もないのだ、会いたい人もいなければ行きたい場所も特にないのだ、薄情な人間なのだ、という厳然たる事実を正直に認め、ジタバタせず、7年暮した経験などない人とまったく同じ時間の潰し方、すなわちショッピングモールに行く、という選択をした。全国津々浦々、どこにもあって、そして決して裏切らない、天下無敵のイオンモールである。イオンモールの包容力は、どんな人間も取りこぼさないのである。
 もちろんイオンに行ったからには、パンドラハウスに行って、ニット生地を見るのは欠かせない。暮していたときにはまるで享受しなかった恵み。島根の手芸店では、ニット生地はほとんど売ってない。ただし今回は時期が悪かったか、収穫はそこまでではなかった。冬用の生地が売り場の面積を多く取っていて、ショーツに使えそうな薄手のニットは肩身が狭そうだった。まあしょうがないな。次に行くときは、暖かくなっている頃だろうから、次回に期待だ。
 やがて昼時になったが、前回フードコートで失敗したのでなんとなく忌避感があり、時間もまだまだあったので、今度はアリオに移動することにした。車で15分ほど。それにしても岡山の人は本当にウィンカーを出さない。ジョークじゃなく出さない。もちろん全員が出さないわけではないけど、「出さない人が多い」って、とんでもない土地柄だと思う。
 このタイミングでアリオに行ったのは、昼ごはんを竹清にしようという魂胆があったからだ。香川県のうどん屋。当時はけっこう利用していた。でも久しぶりに行ってみたら、当時と変わりはないのだけど、行列だし、座席の確保が大変だし、うどんはセルフで湯がかなければならないし、つゆも自分で注がなければならないしで、わりと大変じゃないか、と思った。なんで幼児ふたりを連れて、たびたび来ていたんだろう。今はもう、上の子は友達と遊ぶようになり、下の子も小5で、楽になったものだと思った。ちょうど隣の席に、夫婦と幼女ふたりという、当時のわが家のような一家が来て、お母さんは娘たちの世話をし、お父さんがうどんの世話をしていて、どちらもなかなか大変そうで、こんなんだったなあ、と思った。ちなみにファルマンは今回、「初めてうどんを湯がいた」と言っていて、本当に当時いちども、うどんのほうの作業はやらせることがなかったらしい。湯切りが不十分だったらしいファルマンの丼のつゆはなんか濁っていて、「味が薄い」と言っていた。やらせると途端にそうなるのかよ、と思った。
 久しぶりのうどんを堪能したあとは、アリオやアウトレットをウロウロし、ソフトクリームなんか食べたりして過した。まあ本当に、ショッピングモールで休日をこなす、という感じに過した半日であった。
 ぼちぼちいい時間になったので、ふたたびかつての最寄り駅へと戻り、ポルガを待ち受ける。無事に予定通りの電車で戻ってきた。予定通りの電車とは、すなわち16時半到着の電車である。ここから島根に帰るのだ。なかなかじゃないか。3連休の、初日か、中日だったらいいだろう。しかしいろいろ都合もあって、最終日なのだ。翌日は労働なのだ。帰り道は西に向かって走るから、夕暮れが長く続いた。
 帰宅は20時前で、時刻としてはそう深いわけではないけれど、いかんせん疲れた。労働は半覚醒でやり過ごしたし、それなのにその晩から取り掛かった日記の文章は、ご覧のとおりに大いに崩れた。2日経って、ようやく回復したように思う。この日に限らず、盛りだくさんの3連休だったのだ。無事に済んでよかった。

らしいぜ松江

 子どもが、試験であったり、部活であったり、学校以外の活動であったりで、なかなか都合が合わないのだが(ちなみに両親は、仕事がない限りは一切の対外活動がない)、3連休初日の土曜日は珍しくなんの予定もなかったので、気候もいい折、ここでレジャーをせねばならないという使命感に駆られ、実行した。
 大きな公園に行って遊び、お弁当を外で食べる、というのが至上命題であったわけだけど、その一方で、松江にある県立図書館に行きたいという個人的な希望もあり、この両立にとても腐心した。というのも、松江方面にはそういう、小学校高学年と中学生を満足させるような、アスレチックやアクティビティのある大規模な公園というものが、まるでないのだ。松江って本当に、身内なのか外部者なのか我ながら判断がつかない立場からいうのだけど、なんか絶妙にうまいこといっていない街で、大都会でもなければ田舎でもなく、どちらのメリットも見事に取りこぼしている感があって、今回の目的地選びでもしみじみとそれを痛感した。いっそのこと隣接する安来市や鳥取県は境港市、さらには米子市まで足を延ばして、ファルマンも子どものみぎりに遊んだという、大型アスレチックのある大山まで行くのはどうかとさえ考えたのだが、さすがにそれは1日の行程としてはハード過ぎるだろうと考え、やめた。結果として、遊具的なことはすっぱり諦め、松江市街にある、とりあえず野原はありそうな公園に目星をつけた。ちなみに地図を眺めているときに目についた島根大学が、もしかしてと思い検索したところ、学園祭はこの3連休の後半2日だったので非常に惜しかった。去年の広島大学のようなことにはならなかった。ちなみにわが家は、なんだかんだでこれまで岡山大学、広島大学と学園祭に行っているのだった。別に強い情熱があるわけではぜんぜんないのだが。
 というわけで、とにかく松江に向けて出発である。出発前、おにぎりを拵える。ずいぶん久しぶりだ。一家でのお出掛けの前におにぎりを仕立てるという、その行為が好きである。そしてそういうことに固執するから、子どもが育ってその機会が失われつつあることに寂しさを感じ、厄介なのだと我ながら思う。
 行程は、まず県立図書館。ドライブも兼ねて、高速道路は使わず地道で行く。昨晩に新しいプレイリストを作ってみんなで曲を入れたのだが、シャッフル再生した曲は前半、なぜか僕とファルマンのものばかりが立て続けに流れ、しかもその選曲は嫌がらせのように盛り上がらないものだったので(僕は最近お気に入りに追加した曲を中心に入れたのだが、客観視して初めて、近ごろの自分がダウナーな感じの女性シンガーの曲ばかりを聴いているということに気付いた)、残念だった。専用のプレイリストを作って家族でドライブという行為に、移動がやけに愉しかった夏の帰省の幻影を見てしまっているのかもしれないと思った。宍道湖は陽射しに照らされてきれいだった。
 島根県立図書館に来たのは、実は初めてではない。初めて来たのは第一次島根移住の際で、確認したら2012年9月のことであった。実に12年前。辰年のときだけ来る一家。12年前なので、行く前はぜんぜん当時の情景が思い出せなかったが、行ってみたら、そう言えばこんな感じだったかな、という感じがあった。前回ここに来たのは、ファルマンの仕事の資料がここにしかなかったからだったが、今回の来訪の目的は主に僕で、仕事ではなく趣味の、いわゆる性的だったりする本が、検索すると県内でここにしかない、というのが数点出てきたので、行くっきゃないとなったのだった。そして、いちど行って利用者カードさえ作れば、あとは地元の市立図書館で受け取りや返却ができる仕組みがあるに違いないという狙いもあった。入館し、まず申し込みをする。用紙に記入をしてカウンターに持っていくと、「おふたりは既にカードを作られていますね」と言われたので驚いた。当時は実家の住所だし、なにしろもう12年間利用がなかったのだから、てっきり失効になっているものと思っていた。これで失効にならないのだとしたら、死去した人間のデータも残り続けるわけで、いつか県立図書館の利用登録者数は日本の人口を超えるのではなかろうか(1日に5人くらいは増えているだろう)。おかげで僕とファルマンのカードだけは、ラミネートなしの仮発行のものとなり、「家で以前のものを探してください」と言われてしまった。そんな出来事もありつつ、しかし県立図書館の蔵書はやはりなかなか充実していて、あらかじめメモしてきたものに加え、その本のある書棚に行けば、その近辺にも見逃せないものがあったりして、とてもいい収穫だった。わざわざ行った果以があった。ちなみに今回の本から早速、返却は市立図書館でできる仕組みでの貸し出し処理をしてもらったので、今後こちらまで足を運ぶ機会はそうそうないだろうとは思う。
 図書館のあとは、昼ごはんを食べるために公園へと向かう。悩んだ末に選んだのは、松江の中心地から少し東側にある、楽山公園という所。遊具がないというのは織り込み済みだったが、緑豊かな遊歩道があります、といった感じで紹介されていたので、それならばいい景観で弁当を食べるようなスポットもあるだろうと思ったのだった。ところが、である。駐車場に車を停め、こちらがたぶん公園エリアということだよなあ、というほうへ足を進めてみると、あまり整備されていない感じの、饐えた臭いのする池と、ひたすら生い茂るうす暗い林ばかりで、とても食事ができるような感じではなかった。もちろん子ども連れなど誰もいない。奥に野球場があり、少し覗いたら草野球をやっていたが、それも完全に選手ばかりで、周辺で選手の家族がピクニック気分で和気あいあい、ということも一切なく、なんだか非常にエンタメ性のない、必要最低限の、こう言っては何だが、非常に松江らしい要素の横溢した公園であった。仕方なく駐車場のほうへ戻り、仕方ないから車で食べようかねえ、などと話していたが、駐車場の脇あたりは、それでもいちおう野原のようになっていて、座るための場所などもあったので、そこで食べることにした。車を降りて、公園に繰り出す前には、目に入らなかった場所。でも実はそこがこの公園のピークであったという。ロケーションとしてはそんな感じだったが、それでも外でごはんを食べるという目的は果たせた。この予定に合わせて昨日の晩のメニューとした唐揚げの残りも含め、おいしく食べた。たとえこんなおかしな場所でも、外で食べるごはんはおいしい。
 そのあとは松江イオン。生地はさすがに買わなかった。ゲームセンターに行って、ポルガは音ゲーをし、ファルマンとピイガはクレーンで遊んでいた。珍しくふたりとも景品をゲットすることができ、特にファルマンはドーパミンをドバドバ出している感じでおそろしかった。おやつのミスドを買って帰る。ミスドはおらが町にだってあるけれど。
 帰りは高速道路。4時前には家にたどり着くことができた。久々に一家の予定の合った休日の外出として、十全であったような、もうちょっと高みを目指せたような、この微妙な感じこそ、まさに松江といった感じだな、という1日であった。

41歳

 22日に誕生日を祝ってもらい、かくして41歳となる。
 40歳から41歳という、単なる数字による印象の違いは、もちろんないわけではないけれど、たぶん当人にしか知覚できないくらい繊細なものだろうと思う。だからそれについてはとやかく言わない。ただ1年前の自分と較べたとき、腰であるとか関節であるとか、さらには目や耳といった器官にも、一時的なものではない、これを加齢によるものと捉えないのは至難の業だろ、というような、じっとりと湿り気のある不調が現われはじめているという、年を取ったことの実感を抱きやすい事象がたびたび散見されるようになった気はするのだけど、それに関して語ることの箍を外してしまうと、そのあとはもう坂を転がり落ちるようにその話題を唱え続けてしまう気がするので、これについてもとやかく言わないでおこうと考えている。
 とにもかくにも、41歳である。
 誕生日祝いの宴のメニューは、手巻きずしにした。持ち帰りの鮨という案もあったのだけど、食費とは別でその予算が下りるならば、その資金で買い出しをして自分好みの手巻きずしのほうがいいという、当人のめんどくさい希望を通すこととなった。かくして買い出しから、玉子焼きを作ったり、酢飯を拵えたりするのも、すべて当人で行なった。それでいいのか。それがいいのだ。最後のほうなんか、おいしそうな具材はどんどん揃うし、これから俺の誕生日祝いだし、ということでテンションが上がって、バースデーソングのプレイリストを当人がスマホで流しはじめる始末であった。その結果、思春期の長女から「うるさい、ヘッドホンして」と文句を言われた。嘘だろ、俺の誕生日の祝いなんだぜ? と愕然とした。
 手巻きずしはもちろんおいしかった。盛り合わせとかを買うと白身魚を持て余す、という経験則から、今回はネギトロとサーモンと海老をそれぞれ買い、生もの系はそれのみとした。ただしそれでも余った。ピイガなんて、なにを包んでいるのかちゃんと見ていないけど、もしかしたら納豆とか玉子焼きとかばっかりなんじゃないのか。
 食後にケーキ。ガトーショコラだの、クリームぜんざいだの、9月のバースデーケーキには毎年腐心していたが、今年はちょうどバナナとキウイフルーツが家にあったので、ロールケーキをリクエストし、採用される。ファルマンとピイガで、午前中に作ってくれた。現代のネットのレシピは優秀だ。ちゃんと包めていたし、ちゃんとおいしかった。画像を載せようかと思ったが、撮った写真は、ベージュ色の皿に、たまご色のスポンジのロールケーキがズドンと乗った、なんとも言えないものだったので、よしておく。
 代わりに恒例の誕生日ポスターを載せておこう。


 去年の、膝から崩れ落ちそうになるようなものではなく、今年はきちんと描いてくれた。姉妹での合作である。ロゴや家族の似顔絵、オリジナルキャラであるカメラメ先生などを先にピイガが描き、空いたスペースにポルガが、やはりオリジナルキャラを描いた。相変わらず、ポルガはぜんぜん誕生日のお祝いイラストということを意識せず、自分の描きたいものを描く。これはもう反抗期とかそういうことではない。こいつの心性だ。
 ちなみにピイガの手による似顔絵は、左下がポルガ(切るのを拒む髪がうっとうしい)、右下がピイガ、紙面の中央あたりでヒット君に乗って空を飛んでいるのがファルマン、そして中央最前にいるのが僕。アップにするとこう。


 まあまあ似ているような気がする。LINEのプロフィール画像にしようかな。
 ちなみに誕生日プレゼントは、思案した挙句、今年こそは生地に逃げず、靴にした。しかしネットで注文したのだが、まだ届いていない。早く届いてほしい。
 そんな感じで、加齢の実感であったり、娘の思春期であったり、もちろんそれ以外にも、日々の懸案はそれなりにありつつも、それでもこうして家族3人から誕生日を祝ってもらえたのだから、これ以上望むことはない。本当にありがたいことである。これからの1年も、愉しい日々が続けばいいと思う。

9月雑談

 2週連続の3連休がある9月である。8月の盆休みから、地に足のつかない感じがずっと続いている気もするが、じゃあ週6勤務が何週も続くことが地に足がつくということなのか、と言えばもちろんそんなこともない。と言うか、そんな考え方は最悪過ぎる。
 日々がどことなくふわっとしている原因は、連休とかではなく、なにより暑さによるものではないか、とも思う。9月になってもまだ暑さは続くんだろうと、8月から覚悟はしていたけれど、まさかここまでとは思っていなかった。まだ猛暑日とか言っている。9月の猛暑日は、8月のそれよりも、湿り気がある分、なおタチが悪いように感じる。でもこの頭のおかしい暑さも、やっぱり9月20日までのようで、20日の最高気温の予想が35℃であるのに対し、21日は29℃と、もはや律義過ぎると言いたくなるほど、きっかりそこで季節が分かつ。「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸とは具体的にどこを指すのかと言えば、春分の日、秋分の日を中日とした前後3日間、合計7日間だそうで、今年で言うと9月19日~25日ということになるが、だいぶずるいと思う。このあたりの日付で7日間の幅を持たせれば、まあ結果はついてくることだろう。でも安全策過ぎて配当は低い。もっと慧眼っぽいことを言っているんだと思っていた。「暑さ寒さも彼岸まで」と、今後したり顔で言う人がいたら、鼻で嗤ってやろうと思う。それに対して僕の、「暑さは俺の誕生日まで」の豪胆な一点買いと来たらどうだ。しかもこれがよく当たるからかっこいいじゃないか。
 誕生日と言えば、つい先日、クリスピー・クリーム・ドーナツが発表した、366日の誕生日ランキング(どの日に多く生まれているか)というのを目にしたのだが、9月20日は全体の4位だった。4番目によくある誕生日ということである。ちなみにこのランキングをなぜドーナツ屋が発表したのかと言えば、クリスピー・クリーム・ドーナツの誕生日が9月9日で、そして9月というのは1年で最も誕生日の人が多い月だからだそうだ。なるほど表を見ると9月はやけに成績がいい。1位は9月25日で、2位こそ5月2日だが、3位は9月26日、そして4位は9月20日という具合である。このあたりに誕生日があるというのは、はなわがずっと前にテレビでそんなネタをやっていた記憶があるけれど、やっぱりクリスマス的なことで仕込まれたのかな、と思う。気になったのでちょっと検索してみたら、フランスで最も多い誕生日は9月23日で、これに関してもやっぱり同じような理由が指摘されていた(年末年始のパーティーが原因だ、という説もある)。ちなみにだが、日本の9月23日生まれのランキングは345位である。この理由は簡単。秋分の日で祝日だからだ。またうるう年の場合、秋分の日は9月22日になり、だから今年もそうなのだけど、その影響もあってか、9月22日生まれも245位と、エリート集団である9月後半の中でその2日が足を引っ張っている。しかしその祝日を避ける傾向によって、その前後に誕生日がより集中するという現象もあるようで、5月2日が全体2位というのも当然その現象によるもので、5月1日が5位、5月8日が6位である一方、5月3~6日は350位前後が続く。こうしてみると、出産日というのはかなりコントロール可能なのだな。
 9月20日あたりに誕生日がある人は、将来年寄りになったとき、誕生日と敬老の日の祝いがごっちゃになる、という、世にも珍しい「未来あるある」があるけれど、今年の敬老の日はわりと早めに来たこともあり、すっかり油断していて、横浜の祖母へのプレゼントを注文し忘れた。連休に入ってから気付いた。仕方ないので当日に電話をして、「1週まちがえていたので、遅れてなにか送ります」と伝えた。
 散漫な日記になった。俺は悪くない。9月なのに猛暑日とかになるのが悪い。

8月から9月へと

 怒濤の8月が終わった。
 暑くて、パリ五輪で(これは実はほとんど印象にない)、南海トラフ地震注意で、横浜への自家用車帰省で、大社高校フィーバーで、風邪で、そして台風10号。なんかそんな、わりと盛りだくさんの8月であった。
 ずいぶん久しぶりの風邪は、咳や痰がしつこく長引いたが、ここ2日あたりでようやくほぼ完治したのではないかと思う。8月最終日で土曜日だった昨日は、去りゆく8月への挽歌として、午後からプールへと繰り出した。新しく半年会員となった8月だったが、これまで行って水の中に浸るたびに、「体おもっ!」と、水泳という運動への向かなさを痛感していたわけだけど(もちろん水泳に限らないが)、労働後ではない、さらには翌日も休みであるという、末日にしてようやく巡ってきた万全の態勢に、途中襲ってきた、800くらいで手を打っておこうかという悪魔の囁きを強い精神力で振り払い、なんとか1キロを泳ぎ切った。達成感もあって、気持ちがよかった。おかげで8月もいい顔で逝ったと思う。
 これはあくまで中国地方の話になるが、この昼過ぎまでまだぐずついていた空模様は、プールから出たあとの夕方あたりから、完全に台風一過の様相となった。今回の台風10号は、冒頭にも書いたように、このクドいまでに要素が多かった8月の掉尾を飾るのにふさわしい、もはや変態的なアクションで、日本全体を翻弄した。ここまで日本人の誰にとっても他人事でない動きをする台風は珍しいに違いない。その中にあって、中国地方の、それも山陰側というのは、どちらかと言えば被害が軽微だったほうなのだろう。最初に上陸した九州はもちろんだが、東海方面がひどいようで、今月まさに縁を持った、津であるとか、豊川であるとか、あのあたりもだいぶ激しかったようだ。南海トラフ地震注意に怯えながら彼の地を渡ったのは、わずか半月前のことだ。あのときも台風7号から若干の睨みを受けたけれど、もしもあのときに今回のような台風が来ていたらと思うとゾッとする。さすがに心が折れていたろうと思う。日本って過酷な環境だな。
 子どもたちの夏休みは数日前、8月最終週の半ばに終わったのだけれど、金曜日は台風のために休校となり、早々の3連休となった。しかしもはや休みに慣れ切った子どもたちには、3連休なんぞわざわざ喜ぶ対象には足り得ない様子である。驕っているな。ちなみに今回、始業式における校長の話で、「120%大社高校の話がなされる」という予想を打ち立てていたのだが、ポルガの通う中学校では的中したものの、ピイガの小学校の校長は一切しなかったそうで、ずいぶんひねくれてるな、と思った。けっこう改革派の人らしいので、こんなときも逆張りしてくるようである。
 台風を経て、月も代わり、季節はひとつ先へ進むのかと思いきや、なんのことはない、台風一過にかこつけて、このあと夏の陽気はしばらく続くようである。やはり20日までは耐えるしかないのか。
 9月が始まり、今日は車検に行ってきた。軽のほう。2年前に頼んだ所にあまりいい印象を持たなかったので、別の所に行ったら、こちらはずいぶんよかった。きれいだったし、人の感じもよかったし、なにより安く済んだ。車検が安く済むというのは、あまり積極的にあれもこれも治療をしようとはしない歯医者みたいなもので、実際にいいことなのかどうなのかは判らないが、少なくとも目先の家計的にはもちろんいい。ここでガクンとテンションが下がるんだろうなあと予期していた車検が意外とリーズナブルに終わったので、得をした気持ちになった。悪くない幕開け。なんてったって誕生月だ。なるべく気分よく過したい。
 誕生日プレゼントでなにをもらうか、考え始めているが、案が浮かばない。欲しいものが思い浮かばないということは、満ち足りていることか。ちがう、となんとなく否定したい気持ちはあるが、まあ実のところ、案外そうなんだろうとも思う。今年も生地になるのかな。