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42歳


 誕生日である。42歳である。
 土曜日の誕生日であったが、運悪く出勤日であったため、実は先週の3連休で既にお祝いを済ませていた。ちなみに「20日は出勤だからこの3連休でお祝いをしよう」という提案をしたのは、他ならぬ僕である。それに対して家族は「あ、うん……(半笑い)」みたいな反応で、なんだかやるせなかった。結局、僕の誕生日のことを世界でいちばん熱心に考えてくれるのは、僕だということだ。なので後悔のないよう、存分に寿ぐことにした。
 苺のない季節により毎回悩まされるケーキは、これまで主にチョコレートケーキに逃げ、あるいは白玉クリームぜんざいという変化球を放った年もあったが、今年は端から頭にモンブランが浮かんでいた。今年はやけに栗系のスイーツが食べたい機運なのだった。なのでモンブランって家で作ることができるのだろうかと検索をしたところ、マロンペーストというものが販売されていて、それとホイップクリームを混ぜると、いわゆるマロンクリームになるとのことで、モンブランの定義はよく知らないが、要するにスポンジにマロンクリームがたっぷり掛かってるやつが食べたかったので、そういうものを作ることにした。併せて栗の甘露煮も注文し、本人の並々ならぬ熱情により、3連休の数日前に準備は整った。マロンクリームは、本当は黄色いものが好きなのだけど、買ったマロンペーストは濃い茶色で、ホイップクリームと混ぜたら薄茶色になった。たぶんこっちが本当で、愛着のある黄色いやつこそが嘘の色なのだろうけど、こしあんつぶあんのように、所属派閥でないほうのものを食べるときは、少しだけ忸怩たる気持ちを抱く。でも黄色いペーストなど売っていなかったのでしょうがない。まあ、こしあんつぶあん以上に、「味は一緒」である。マロンクリームはデコレーション用で、スポンジの間には、ホイップクリームに、甘露煮とマロングラッセを細かく刻んだものを混ぜ、たっぷりと挟んだ。とにかく栗尽くしなのである。上にはマロンクリームを細い線で幾重にも走らせ、苺の代わりに甘露煮を8個、円周に等間隔に並べる。最後に粉砂糖を振りかけ、手製のモンブラン(もとい栗のケーキ)の完成である。ホイップクリーム、マロンクリーム、そして甘露煮、どう考えても凶悪な糖質、そしてカロリーであろうが、お祝いなのだからして、という勇ましい気概で怯むことなく食べた。ピイガはあまり食べつけない栗を受け入れず、当夜も半分残し、翌日のふた切れ目も食べないとのことだったので、結果的には僕が3切れを食べることとなった。こんな凶悪なケーキを3切れも、と思わないこともなかったが、しかし望んだとおりのおいしさだったので、幸福感とともに腹に入れた。ピイガのことなど気にせず、来年以降もこれでいこうと思う。
 祝いの席の食事は、やはり定番の手巻きずしにした。誕生日の特別予算も下り、刺身類を豪華に買い揃えた。それらはもちろんおいしかったが、しかし手巻きずしの際いつも言っているが、いちばんガツンとおいしいのは、玉子焼きと、アボカドと、たらこマヨの組み合せだったりする。とにかく僕の作る玉子焼きがおいしすぎて、これを欠く鮨が物足りなく思えてしまうほどである。夏の実家でも、僕が作ればよかったな。
 ちなみに今年もお祝いのポスターを描いてもらった(求めた)。こちらである。


 3人による共作で、左がポルガ、中央がファルマン、右がピイガなのだが、共作と言いつつも、ともになにかを描くとか、一連の流れになっているとか、そういうことは一切ない。ファルマンに関してはいちおう、ふたつ前の記事で写真をアップした、夏の手塚治虫記念館での僕の姿を描いているが、ピイガは自分のオリジナルキャラクター、カメラメ先生ファミリーの絵だし、ポルガに至っては、知らないキャラクターが知らないキャラクターに得体の知れないものを無理やり食べさせようとしている場面という、マジでなんでそれを今ここに描くの、マジでなんでなの、という絵で、しかしなんというか、非常にわが家らしい、それぞれ自我の強い感じのポスターに仕上がった。まあこれはこれでいいとしよう。
 そんな感じで、今年も無事に誕生日を祝えたわけで、これに勝る喜びはないとしみじみと思う。42歳の目標は、43歳も同じように祝えるよう、健やかに暮すことだ。あと一攫千金で使い切れないほどの金を手に入れ、めちゃくちゃ楽に生きたい。ただそれだけだ。
 ちなみに決めあぐねていた誕生日プレゼントだが、とうとう決まった。寒い時期の、プール後に着るためのジャージの上下にした。去年の靴に続き、今年も同じような価格帯なので、同型のものを色違いでふたつ買い、変な感じで着ようと思っている。

春の日々

 暖かくなったり、また寒くなったりする、春の日々を過している。
 寒さがずるずると長引いたので、今年は桜が咲くのも遅いだろうと予測していたのだが、まあ若干遅いような、山陰においては毎年だいたいこのくらいのような、そんな感じに咲いた。そんなわけで5日と6日のこの週末が、花見のタイミングとしては絶好だったわけだが、なんかいろいろ複合的な事情から、今年は決行には至らなかった。少し残念なような、特にそうでもないような、そんな心持ち。コロナのとき、コロナが明けたら花見とかレジャーとかたくさんしたい、と意気込んだものだが、コロナ明けが長く続き、それが当たり前になったら、意欲は減退するのだな、と思う。人間なんてさみしいね。
 花見に至らなかった複合的な事情について述べていくことが、そのまま最近の日々の記録になると思うので、していく。
 まず春休みということで、いつものことながら、先週から次女一家が実家に来ていた。もちろん夫は向こうで平常運転であり、次女とふたりの娘のみである。そうなってくると、これもまたいつものことながら、わが家の面々も実家へと日参し、毎日わちゃわちゃと過していたようである。そんな日々の中で、水曜日だか木曜日だかに、義母、ファルマン、ポルガ、ピイガ、そして次女とその娘たちという、総勢7名の女ばかりの集団で、近所の、まあまあ桜の名所と言えなくもない公園へ、プチお花見みたいな感じで繰り出したそうで、ただの散歩および公園遊びなら、まだ印象は違ったかもしれないが、行く途中でスーパーに寄って食べ物を買い、それを公園で昼ごはんとして食べたという話だったので、じゃあそれはもう花見だな、今年はもう俺とか抜きで、平日に、お前らは花見を済ませたということだな、と受け止め、となれば週末に僕が花見を呼びかけたところで、既にいちど花見をやった人間とテンションを合わすことは不可能であり、不快感を抱くことになりそうな予感がしたので、音頭を取る気があまり湧かなかったのだった。
 また日曜日は次女一家が向こうに帰る日なので、花見をするとしたら土曜日だったのだが、この午前中はポルガが部活だったり、次女の夫がこちらにやってくる予定があったりで、とにかく状況が整わなかった。ファルマンと娘たちはこの日も午後から実家へ行ったので、仕方なくひとり残った僕はいつものように、筋トレや裁縫などをして過した。雲南のプールに行くという考えも一瞬頭をかすめたが、桜の時期の雲南に、桜以外の用件で行くというのも間が抜けているな、と思ってよした。
 この日の晩ごはんは餃子にすることして、よければ実家にも持っていってやろうかと思ったのだが、確認したところ実家のこの日の夕餉は、夫も含めた次女一家とおうち焼肉だそうで、焼き肉が好きな人にとっての焼き肉の、あの感じなのだな、と思って気を悪くした。持っていく分を想定して買った大量の材料で、ひたすらわが家の分の餃子を作った。
 それとケーキも作った。もちろんファルマンの誕生日祝いのケーキである。スポンジにイチゴを付与しクリームを纏わせた、オーソドックスなケーキ。毎年のことながら、ファルマンの誕生日の時期はいちごの値段が落ち着いていてありがたい。娘らの誕生日の時期のいちごの値段というのは、もはや忌々しくさえある。
 夕方に3人が戻ってきたので、餃子を焼いて食べ、ケーキを食べた。ファルマン42歳。なんだか信じられない。42という字面は、41よりもだいぶ力強い感じがする。だいぶ言葉を選んだが、要するにだいぶ年喰った感がある。「おもひでぶぉろろぉぉん」は、25歳で、結婚式をしたりしているというのに。もっとも毎日顔を合わせているせいか、見た目にそう劇的な変化があるようには思えない。いま横に25歳のファルマンを置かれたら、それはさすがにだいぶ違うのかもしれないが、イメージの中では固定されていて、いつも一定のファルマンである。夫婦とはそういう感じで、ずっと互いの不変的な、イデア的な部分を見続けるものなのかもしれない。日々もう少し運動をして、健やかに暮せばいいと思う。
 日曜日に花見ができない理由はさらにあって、昼過ぎからタイヤ交換なのだった。いつもの業者の人に来てもらい、実家で全員の車をまとめてやってもらう。やってもらう予定だったのだが、前回スタッドレスにしたときにチラッと言われていたのだけれど、僕の車の普通タイヤがもうだいぶ劣化していて、2本はいいがやっぱり2本は新しくしないとダメだということで、この日の作業は行なわず、後日こちらの業者から購入する形で、新しいタイヤに付け替える、という算段になった。タイヤ代というのはそれなりにするわけで、もちろん嫌だが、しかしまあ、ガソリン代が高いのも、車の維持費が嵩むのも、この暮しではしょうがないことだよな、と思う。都会の公共交通機関の暮しより、あえてこっちを選んでいるのだから。ちなみに三女の車は今回、4本一斉交換だそうで、それよりは2本で済んだ分よかったな、という精神的な救済もあった(できれば2、3年おきに2本ずつ交換するようなサイクルで回していければいいなと思う)。
 次女一家は夕方にこちらを出発し(本来はもっと早く出発する予定だったはずだが、なんかグダグダと遅れたらしい。さすがだ)、22時とか、ずいぶん遅い時間に向こうに着いたそうだ。子どもの始業式は火曜日なので、夫の出勤以外、特に問題ないのだろう。そして1週間こちらにいて、いちど戻ったが、だいたい3週間後くらい、GWになればまた来る。すぐだ。
 桜も咲いて、GWなんて単語も出てきて、ようやく季節は巡った。なんだかとても長い冬だったような気がする。プールはまだ開かない。そのせいかもしれない。

14年

 ポルガの誕生日を祝う。
 ピイガの1月4日というのは、なにも、ただでさえわちゃわちゃしている正月の、こんなタイミングじゃなくてもいいだろ、という気持ちにさせられるのだけど、ポルガのこの1月22日というのもまた、大寒だし、日が短いし、このあたりの時期は土曜日の休みが少ないしということで、どうもスカッと祝いづらいのだった。そんなの出産の、ひいてはお前の行為に拠るものなのだからしょうがないだろ、と言われればそれまでではあるのだけど。
 お祝いの日の晩ごはんのメニューや、ケーキの趣向について、事前にポルガに希望を訊ねたところ、「回転ずしがいい。持ち帰りじゃなく、お店で食べたい」という答えが返ってきたので、作らなくていいし案外いい手かもしれないと思い、受諾した。さらには「じゃあケーキも回転ずしのデザートのやつでいいんじゃないか。食べたいだけ食べていいから」と提案したところ、ポルガもそれを魅力に感じたようだったので、とても簡潔に丸く収まったのだった。
 というわけで土曜日の夜、くら寿司に行った。ポルガがリクエストするだけあって、お店で食べるのはとても久しぶりで、鮨がレーンを回っているさまを、本当に久々に目にした気がした。店内は混んでいたが、予約をしていたのでわりとスムーズに席につけた。鮨は安定のおいしさだった。ビッくらポンはいちども当たらなかったが、やっぱり外食は外食で愉しいものだな、と思った。鮨のあと、子どもたちはケーキを食べていた。ポルガはふたつ頼み、嬉しそうだった。ちなみにくら寿司は、まさに誕生日のお祝いを対象にした、ホールケーキが装飾とともにレーンを流れてくるサービスを少し前から始めているようだが、残念ながら島根県の店舗にはまだ未上陸なのだった。ポルガは「来年もこれでいい」と言っていたので、来年には利用できればいいと思う(けっこう恥ずかしそうだけど)。
 お祝いはこれで無事に完了のはずだったのだが、個人的になんとなく物足りなさを覚えたので、翌日、日曜日の昼食を、しれっとホットケーキにした。チョコペンも用意し、ポルガのものにだけメッセージも書いた。「ポルガ おめでとう 14」と書くつもりだったが、「『ポルガ 天才』にして」というリクエストを受けたので、そう書いた。ホイップクリーム、はちみつ、アイス、さらにはさつまいもを甘く煮たものや、あんこにきなこなども乗せて、背徳的な味を愉しんだ。
 さらには晩ごはんは、なんだかんだでたこ焼きにした。ポルガの誕生日祝いの日の夕餉はたこ焼きというルーティンに、実は本人なんかよりも僕のほうがよほど拘泥しているのかもしれない。わりと久しぶりだったたこ焼きは、やはりおいしかった。焼きながら、食べながら、マリオパーティーをした。とても愉しかった。
 回転ずしだの、マリオパーティーだの、実につましく、まっとうな、一般家庭の生活の営みだなあとわれながら思う。最近、2008年の、まだ子どもがいない新婚時代の日記を読んでいるのだが、当時はふたりで1日にジブリ映画を3本観たりとかしていて、びっくりする。ベタなことを言うが、第一子が14歳ということは、われわれが親というものになって14年が経ったということである。14年。ずいぶんなもんだ。なるほど年を取るわけだ。あのパピロウが、めちゃくちゃベタなことを言うもんだ。これも加齢によるものか。

24年~25年の年末年始記録 後期編

 7日目。1月3日。昨晩あたりからうっすらとその気配を感じていたが、喉に違和感があり、ゆるやかに体調が下り坂にあるようだった。加えて、しゃがむときなどに下半身に強張りを感じる。前日のランニングによる筋肉痛なのだった。全長3kmくらいの、途中で息が続かなくてだいぶ歩いた、あのランニングで筋肉痛になるのかよ、と驚いた。
 午前中は朝ごはんのあと、そのまま家族全員でのゲーム大会となった。おとといのブックオフで子どもたちが「スーパーマリオパーティー ジャンボリー」を買っていて、「パパもやるか」という誘いをこれまでは断っていたのだけど、この日は気が向いたので応じ、ファルマンも含めて4人でやることになった。前作「スーパーマリオパーティー」も子どもたちは持っており、こういうゲームが好きなんだなあ、と少し意外に思う。僕は美少年の頃、この手の、ミニゲームたくさん系のゲームは、ぜんぜん視界に入らなかった。もしかするとそれは家族の仲の良さとかが影響するのかな、などと思った。正月らしい愉しいひと時だった。
 11時くらいになって実家から連絡が来る。昼にマクドナルドを買うことにしたのでそちらも一緒にどうかという誘いだったので、喜んで受ける。次女夫妻が取りに行ってくれるというので、わが家のオーダーを伝えた。というわけで昼ごはんは実家でマクドナルド。助かった。
 食べ終わったあとファルマンと娘たちはそのまま実家で遊ぶというので、僕だけ帰る。帰って、しばし裁縫したのち、プールへと繰り出す。この日が今年の初開館日なのである。12月29日に行って、1月3日なので、4日あいただけのことか。よくあることだな。29日もわりとそうだったが、この日も家族連れが多かった。案外、真冬でも家族でプールに行くのだな。この時期、僕はプールに行くと言うたびに、妻から奇異な目で見られるのだけど。
 初プールをたっぷりと堪能し、その足で実家に寄り、家族を回収する。もう空は暗かった。遅く起きて、ゲームして、マック喰って、裁縫して、泳いで、そして終わった日だった。薄いと言えば薄い、ハッピーと言えばハッピー、なんかそんな日だった。
 8日目の1月4日は、わりと盛りだくさんだった。まず次女一家が午前中に出発するというので、その見送りに行く。いつものことながら、濃密に絡んだ日々だった。次に会うのは、順当にいけば春休みだろう。
 次女一家の車を見届けたあとで、われわれ一家もすぐに車に乗り込む。今日はこれから出雲大社にお参りに行くのだ。せっかくだからということで実家の3人もこのタイミングで行くことになり、現地で落ち合おうという話になった。三が日はそもそも近付かないのでよく知らないが、4日の出雲大社は、大いに賑わいつつも、近隣の駐車場に車がとても停められないということもなく、なかなかいい具合であった。元日の初詣とは別で、やはり新年、地元民として、出雲大社に行っておかないと、ずっと頭の片隅で気になったりするので、連休中に行くのが得策なのだった。また5日までは、ふだん開放されていないエリアが開放されている、という特典もあるわけだが、今回ももちろん入りはしたのだけれど、毎年のことながら、入ったところで別に感動するような場所ではないのだった。子どもや三女はここでもおみくじを引いていた。僕はもう引かなかった。三女の縁談の項が気になったが、あまり覗き込んだりするのもな、と思って自重した。噂によると、婚活に本腰を入れる決意をしたとのことである。いいご縁がありますように。
 大社のあと図書館へも行って、ずいぶん遅くなった。途中、ご縁横丁の店で焼き菓子を買い食いしたものの、昼を大幅に回ってしまった。帰りにスーパーに寄り、弁当を買って帰った。帰宅してそれを食べたあとは、いよいよピイガの誕生日祝いの準備である。ポルガがポスターを描き、ファルマンが部屋のセッティング、僕は食べ物担当。まずケーキに取り掛かる。イチゴはまったくもって法外な値段であったが、ここでケチったらクリスマスの二の舞だな、と思って十分な量を買い揃えた。そしてクリスマスのケーキが小ぶりだった雪辱を果たすため、高さにこだわり、生クリームのパックを2つ用いる、4段構成の立派なものを作り上げた。これでようやく溜飲が下がった。晩ごはんのメニューは、ピイガのリクエストである、たらこマヨネーズを塗った餃子の皮のピザと、それとメインをどうしようかと悩んでいたが、ピイガの好物であるうどんの入った寄せ鍋にした。出雲大社で、空腹で寒い思いをしたので、もうこれは鍋にするしかない、と思ったのだった。
 というわけでピイガ11歳の誕生日祝いの宴を執り行なう。鍋はもちろんおいしかったし、ケーキは8等分してもひとりひとりのケーキ皿にデデンとすさまじい存在感の塊として鎮座し、その表面や断面にはふんだんにイチゴがあしらわれていると来て、心がとても満ち足りた。なにより味がおいしかった。今年はクリスマスケーキも手製にしようかな、と思った。ちなみに、子どもが誕生日を今年も無事に迎えられたことはもちろんめでたいが、10歳から11歳という数字の変化は、特になんの感想ももたらさないな、と思う。11歳もすくすくと成長してほしいものですね。
 そして最終日、1月5日。この日はもう、体調もじわじわ悪くなっている感があったし、なにより気持ちがダウナーだった。サザエさん症候群の、特大版。だって9連休だったんだもの。自分がフルタイムで勤めに出ている人間であることを、ちょうど体がすっかり忘れかけたくらいのタイミングで、翌日からそれが再開するのである。ひどい! 人の営みっていったいなんだろう。勤めがあるから、尊い尊い9連休があるわけで、書店員時代の自分が9連休なんて得たら半狂乱だったろう、みたいなことを初日に書いたけれど、それで言えば、つい5年前くらいに、9連休どころではない、長い長い休みがあった。じゃああれは夢のようにしあわせな日々であったかと言えば、もちろんそんなことはなかったわけで、休み明けの憂鬱さに苛まれつつ、休みが終わるということに感謝をしなければならない、とも思う。とも思うが、やはり気持ちはダウナーなのだった。この日はもうどこにも出掛けない、と決意をしていたのだが、おやつの時間のあとで、いろいろ憂わずにおれないのだから、せめて冷蔵庫の中が充実していない憂いくらい解決させて明日を迎えようと思い、スーパーに繰り出した。そしてそれなりにいろいろ、明日からの食材を買い込んだ。明日からはファルマンが調理担当に戻る。ファルマンのなんとも言えない料理が恋しい(気がしないでもない)。そんな感傷的な、連休最終日であった。
 最後はどうしたって切なくなるけど、今年で言えば9分の8、つまり正月休み全体の約89%はひたすらに愉しいわけで、早くも1年後のそれを待ち遠しく思っている。それまでせっせと生きてゆこうと思う。

41歳

 22日に誕生日を祝ってもらい、かくして41歳となる。
 40歳から41歳という、単なる数字による印象の違いは、もちろんないわけではないけれど、たぶん当人にしか知覚できないくらい繊細なものだろうと思う。だからそれについてはとやかく言わない。ただ1年前の自分と較べたとき、腰であるとか関節であるとか、さらには目や耳といった器官にも、一時的なものではない、これを加齢によるものと捉えないのは至難の業だろ、というような、じっとりと湿り気のある不調が現われはじめているという、年を取ったことの実感を抱きやすい事象がたびたび散見されるようになった気はするのだけど、それに関して語ることの箍を外してしまうと、そのあとはもう坂を転がり落ちるようにその話題を唱え続けてしまう気がするので、これについてもとやかく言わないでおこうと考えている。
 とにもかくにも、41歳である。
 誕生日祝いの宴のメニューは、手巻きずしにした。持ち帰りの鮨という案もあったのだけど、食費とは別でその予算が下りるならば、その資金で買い出しをして自分好みの手巻きずしのほうがいいという、当人のめんどくさい希望を通すこととなった。かくして買い出しから、玉子焼きを作ったり、酢飯を拵えたりするのも、すべて当人で行なった。それでいいのか。それがいいのだ。最後のほうなんか、おいしそうな具材はどんどん揃うし、これから俺の誕生日祝いだし、ということでテンションが上がって、バースデーソングのプレイリストを当人がスマホで流しはじめる始末であった。その結果、思春期の長女から「うるさい、ヘッドホンして」と文句を言われた。嘘だろ、俺の誕生日の祝いなんだぜ? と愕然とした。
 手巻きずしはもちろんおいしかった。盛り合わせとかを買うと白身魚を持て余す、という経験則から、今回はネギトロとサーモンと海老をそれぞれ買い、生もの系はそれのみとした。ただしそれでも余った。ピイガなんて、なにを包んでいるのかちゃんと見ていないけど、もしかしたら納豆とか玉子焼きとかばっかりなんじゃないのか。
 食後にケーキ。ガトーショコラだの、クリームぜんざいだの、9月のバースデーケーキには毎年腐心していたが、今年はちょうどバナナとキウイフルーツが家にあったので、ロールケーキをリクエストし、採用される。ファルマンとピイガで、午前中に作ってくれた。現代のネットのレシピは優秀だ。ちゃんと包めていたし、ちゃんとおいしかった。画像を載せようかと思ったが、撮った写真は、ベージュ色の皿に、たまご色のスポンジのロールケーキがズドンと乗った、なんとも言えないものだったので、よしておく。
 代わりに恒例の誕生日ポスターを載せておこう。


 去年の、膝から崩れ落ちそうになるようなものではなく、今年はきちんと描いてくれた。姉妹での合作である。ロゴや家族の似顔絵、オリジナルキャラであるカメラメ先生などを先にピイガが描き、空いたスペースにポルガが、やはりオリジナルキャラを描いた。相変わらず、ポルガはぜんぜん誕生日のお祝いイラストということを意識せず、自分の描きたいものを描く。これはもう反抗期とかそういうことではない。こいつの心性だ。
 ちなみにピイガの手による似顔絵は、左下がポルガ(切るのを拒む髪がうっとうしい)、右下がピイガ、紙面の中央あたりでヒット君に乗って空を飛んでいるのがファルマン、そして中央最前にいるのが僕。アップにするとこう。


 まあまあ似ているような気がする。LINEのプロフィール画像にしようかな。
 ちなみに誕生日プレゼントは、思案した挙句、今年こそは生地に逃げず、靴にした。しかしネットで注文したのだが、まだ届いていない。早く届いてほしい。
 そんな感じで、加齢の実感であったり、娘の思春期であったり、もちろんそれ以外にも、日々の懸案はそれなりにありつつも、それでもこうして家族3人から誕生日を祝ってもらえたのだから、これ以上望むことはない。本当にありがたいことである。これからの1年も、愉しい日々が続けばいいと思う。

今年度が終わる

 季節の変わり目のためか、この1週間は疲労感が強かった。土曜日というゴールに、ふらふらになりながらたどり着いたようなイメージ。そのため土曜日は、僕以外の3人は終日実家だったこともあり、思う存分にのびのびと過した。
 午前中はいつものスーパー巡り。3月分の食費は底をついてしまっているので、4月分からの拠出となる。本当はそうならないようにしたいのだが、でも仕方ない。買い物をせずに冷蔵庫の備蓄で週末を乗り切ることは可能だが、土曜日の安売りにケチケチして買い控えをしたら、結果的に損だと自分を説得し、存分に買う。たぶん僕の場合、これがストレス解消にもなっているので、いろんな意味でお得になっていると思う。
 帰宅後は裁縫と筋トレといういつものパターン。かなりストイックにそのふたつを行なった。筋トレはなるべく薄着、できれば上半身などは裸でしたいという思いがあり、筋トレで体が温まっている間は、冬でもわりとそれが可能なのだけど、縫ったり、腕立てしたり、縫ったり、腕立てしたり、というふうにやろうとすると、裁縫のときはさすがに寒いので服を着る必要があり、その脱ぎ着が面倒でしょうがないのだが、いよいよ春も本格的になり、日中の気温も15度を超えるようになってきたため、上半身裸のまま裁縫ができるようになって、嬉しい。腕立てをした直後の、パンプアップした大胸筋で、スイムウェアを作る。この時間が、やけに愛しく、愉しい。
 昼ごはんは、ひとりなのでざるそばで済ます。午前中、プロテインと鈴カステラをダラダラと摂取していたので、ちょうどいいだろうと思った。
 午後は少しドラクエを進め、夕方になってファルマンが、仕事が来たと言ってひとりで帰ってきて仕事を始めたので、その少しあと、僕が子どもたちを迎えに行った。ちなみに3人がなぜ実家に行っていたのかと言えば、義両親は春休みの帰省でやってくる次女とその娘たちを、蒜山あたりで向こうの車と落ち合う感じで迎えに行っていたため、その間の犬の面倒を見る必要があったからで、その報酬としてなのかなんなのか、夕食としてテイクアウトの鮨をもらい受ける。やったぜ。昼がざるそば、夜がもらった鮨で、なんだかとても楽で健やかな1日だった。休日かくあるべし、という感じで癒された。
 明けて今日は、タイヤ交換のために昨日に引き続いて朝から実家へ。タイヤ交換は、この日取りを聞いたときは、ちょっと遅いような気がしたが、何日か前に雪がちらついたりもしたので、結果的にはよかったんじゃないかと思う。それにしても今年の冬はやはり性根が悪く、桜の開花予想も大きく外れ、グダグダだった。雲南をはじめとしていろんな場所で、この週末が桜まつりということになっていたが、今週はたぶん1、2分咲きだろう。かと言って来週ということなると、もう盛りは過ぎているのではないかという感じもある。ちなみに来週は予定があることもあり、去年のような実家の面々との花見は実現しなさそうである。
 タイヤ交換のあと、せっかくだからやろうと予定していた洗車も行なう。数日前から黄砂のことが言われているので、タイミングとしてどうなのかという思いはあったが、黄砂に限らず、「いま洗車のし時でない理由」を言い出したらキリがないので、思い切ってやることにした。2台とも。やったらやったで、まあすっきりした気持ちになった。
 そのあとは昼ごはんとして牛丼をテイクアウトしてきて、一同で食べる。久しぶりでおいしかった。もうすぐ2歳になる、次女の次女は、引き続き人見知り期により、接触がままならない。ファルマンには抱かれるというのに。切ない。ただ2歳の姪と触れ合えないことが切ないのではなく、男という生きものの孤独さを改めて感じ、切ない。
 車のことが終わり、昼ごはんを食べたら、もう僕は実家に用はない。2台で来ていることもあり、僕だけ自宅に戻ることにした。今日はファルマンの誕生日祝いをする予定となっていて、ケーキを作ったりしなければならないのである。また晩ごはんのメニューはなにがいいかと事前に本人に訊ねたところ、お好み焼きというちょっと意外な答えが返ってきて、そうする計画を立てていたので、昨晩と昼をおごってもらった礼として、実家にお好み焼きを焼いて届けてやろうと考えたのだった。というわけで、帰宅後はひとりでお好み焼きを焼き、ケーキを仕立てた。男という生きものは、孤独なのである。あるいは僕がとりわけそうなのかもしれない。
 お好み焼きを届けたら喜ばれた。それはそうだろうと思う。義母はかなり料理をするのが嫌いな人なので(本人に言ったら否定されるだろうが)、餃子やお好み焼きをたまにこうして持っていくと、とても喜ばれる。「ごはんと山芋しかなかったから助かったわー」と言っていたので少し驚いた。「タッチ」で、南が上杉家にイチゴをお裾分けしに行ったら、双子の母が「晩ごはんのおかずに困ってたから嬉しい」と言って南をおののかせるシーンがあったが、それを思い出した。
 夕方になってようやく家族が戻ってきたので、わが家もお好み焼きで夕食とする。キャベツが、春キャベツと銘打っていたわけではないが、ちょっとふんわり気味のもので、そのためか仕上がりも軽やかで、とてもおいしかった。実家の面々も喜んだことだろう。
 そのあと冷蔵庫からケーキを取り出して、ファルマンの41歳の誕生日祝いを行なう。今年は誕生日が水曜日なので、年度を挟むこともあって気持ち的にとても早い感じがあるけれど、こういう形になった。お祝いは今日行なったが、ファルマンが41歳になったということへの感慨は、正式に誕生日を迎えてから書こうと思う。まあ40から41って、本当に特になんの感慨もないけれども。
 そんな感じで、日曜日はわりとバタバタしたけれど、土曜日は本当に伸びやかに過せて、結果としてとてもいい週末だった。そして今年度が終わる。しかし新卒の新入社員がいるわけでもないので、明日から劇的な変化があるわけでもない。子どもの春休みももうしばし続く。タイヤがノーマルに戻り、燃費がよくなるのが嬉しい。平和に暮そう。

ポルガ13歳

 ポルガの誕生日祝いを無事に執り行なった。13歳である。中学生という生き物は、13歳~15歳を指す印象があるので、これでやっと名実ともに中学生になったな、という感じがある。 
 誕生日祝いの日の晩ごはんは、定番のたこ焼き。いつもより1.5倍多く作り、実家にもお裾分けした。少し前に、生地の中に細かく刻んだちくわを混ぜるとおいしくなるというライフハックをネットで目にしたので、今回それを初めてやってみた。いつもよりおいしくなったような、いつもどおりのおいしさのような(そもそものレベルが高すぎるのかもしれない)。具のひとつで、カットしたちくわの穴にとろけるチーズを入れたもの、というのがあるのだが、今回は生地にちくわを使用したため、ちくわの代わりに海老にしてみた。海老は海老でおいしかったが、海老の味が強すぎるためか、チーズがあまり感じられなかった。
 ケーキは、本人のリクエストを受け、ピラミッドをモチーフに作った。もとい、造った。買ってきたスポンジを、はじめは同じ大きさのたくさんの直方体を作り、それを積み上げるという、本物のピラミッドと同じ製法で考えていたのだが、あまりにも面倒そうだったので、スポンジを、大きさを段階的に変えた正方形に何枚も切り出し、それを順々に積み上げていくことにした。だからケーキの構造としては、結果的にミルフィーユみたいな感じになった。だいたいの形ができたところで、表面をクリームでコーティングする。本物のピラミッドも、たしか最初はそうやってなめらかな仕上がりだったんじゃなかったか。それがやがて剥がれ落ちて、現在のほぼ石が剥き出し状態になったんだったと思う。ちなみにこのクリームには黄色の着色料を混ぜ、エジプトの砂や土をイメージした黄土色に仕立てた。着色料なんて久しぶりに買ったな、と思い、前回がいつだったかと探ったら、なんのことはない、1年前のポルガの誕生日祝いのケーキで、カラフルなゼリーを作るために使ったのだった。毎年やけに奔放にリクエストをしてくるものだ。ピイガはいつも正統派のショートケーキを求めるので、こういうところに性格の違いが明確に現れるな、と思う。かくしてピラミッド型ケーキが無事に完成した。本物のピラミッドに較べ、かなり急勾配になったけれど、まあまあ要望には応えられたんじゃないだろうか。
 親からの誕生日プレゼントは、手塚治虫の「ブッダ」の愛蔵版全巻。ピラミッドで、ケーキで、ブッダ。もうわけが分からない。ポルガらしい混沌だとしみじみと思う。
 混沌としているのは、もともとの人間性に加え、目下思春期花盛りなので、なおさらなのだろう。日々、苦々しかったり、痛々しかったり、眩しかったり、なんだか目まぐるしい。いかようにも今後の筋道が変化する、人生の中でかなり重要な時期なんだなー、ということを客観的に見て思う。でも当事者は決してそれに気づかない。中学生って、起きてから寝るまで、ずっとがむしゃらだ。こんな思索のない、がむしゃらな生き物、他にいないだろうと思う。それともうちの子が特になのだろうか。個性的なのはいいことだが、もう少し親の言うことに素直に耳を傾けるようになってほしい。無理だろうな。

40歳

 かくして正式に40歳になった。40歳のパピロウですって。ウケんね。
 お祝いは当日の水曜日になされた。お祝いのメニューはなにがいいかとファルマンに事前に訊ねられたので、「スーパーのでいいから鮨」と答えたところ、それはなんの逡巡もなく「よしきた!」と受け入れられた。しかし当日の夕方になってファルマンがスーパーに向かったところ、平日というのはスーパー側もあまり気合を入れて鮨を作らないようで、ほぼ助六のようなものしかなくて、僕に電話でそれを伝えてきたのだけど、じゃあ俺が調達しようと労働終わりに立ち寄った別のスーパーも、ほとんど同じような状況で、仕方なくそんな感じのものを買って帰ったが、ちょっとどうも、とても誕生日祝いのメニューらしくない感じで、残念だった。40代、これから世界に訪れるであろう食糧危機の未来を示唆しているのかもしれないと思った。そんな未来のために僕ができることはなんだろう。コオロギをむさぼり食うことかな。
 そんな食事を終えたあとは、ケーキ。ケーキは定番のガトーショコラである。定番と言いつつ、去年はなぜか白玉クリームぜんざいだったのだよな。今年は戻った。ピイガが小学校から帰ったあと、ファルマンとふたりで作ってくれたそう。愛しい。ガトーショコラは甘くておいしかった。近ごろ甘いチョコレートというものを久しく食べていなかったので、そう言えばチョコレートってこういうお菓子だったな、と思い出した。
 誕生日を祝うポスターは、今年は平日のため準備がままならず(腐るものではないのだから3連休でいくらでも仕立てられたのではないか、という含みはありつつも)、壁の装飾にとどまった。
 その装飾りがこちら。


 描いて、塗って、カットして、貼っているのだと思えばそれなりの手間のようにも感じられるが、それにしたってシンプル。シンプルもなにも、ちょっと悪意がないだろうか。時間がない中でなにかどうしても伝えたいのだとすれば、それは「おめでとう」であるべきではないのか。大台に乗った年齢のことを、どう考えてもちょっといじっていると思う。せっかくなのでかねてより変えたいと思っていたこともあり、LINEの画像をこれにしてはどうかとも一瞬思うが、かまってちゃんな感じかな、と思ってやめた。
 ちなみに直前まで決めあぐねていた誕生日プレゼントは、さんざん煮詰まった挙句、結局のところ自分がいまいちばん欲しいものはなんなのかという自己との対話の結果、生地になった。生地なんかい! 水着用のストレッチ生地を複数枚ネットで選び、それを買ってもらった。吟味しただけあって、とてもいい柄たち。嬉しい。
 そしてそんな9月20日を終えて、次の日からは曇りがち、雨がちな天候が続いていて、今日は土曜日に喰われた秋分の日で、ポルガが部活に行き、ファルマンが仕事をしていた午前には、ピイガとふたりで散歩に出た。日中に散歩に出たのなんて、何ヶ月ぶりだろう。やっぱり今年も僕の誕生日から世界は明確に秋になった。私は秋をもたらす者。I am autumn bringer.スーパーには新米が並び始めたが、たぶんそれは、僕が立ち寄ったスーパーに限るのだろうと思う。僕が足を運ばないスーパーは、いまだに冷やし中華が大売出しだ。
 節目ということで、1年の抱負とともに10年の抱負も考えるべきなのかもしれない。しかし偶然にもどちらも一緒だ。心地よく生きたい。ただひたすらに心地よい日々を目指したい。そのためには少々の苦難も覚悟している。それほどにだ。

ファルマン生誕祭

 ファルマンが誕生日を迎える。
 当日は月曜日なので、前日の昨日、日曜日にお祝いをした。特別なことをしたわけではないが、4人でちょっと豪華な晩ごはんを食べ、そして手作りのケーキを食べるという、平和でしあわせな時間を過した。なによりだと思う。
 かくしてファルマンは、40歳になった。
 40歳。


 40歳である。
 去年が39歳だったのだから、別に予測不能の展開でも、どんでん返しでも、なんでもないのだが、それでも40歳というのは破壊力がある。来ることは分かっていて、そのために身構えていても、いざ襲来されると、そのパワーはこちらの予想をはるかに上回っている。そんな感じがある。ヒットくんたちは無邪気に、人文字ならぬヒット文字で「40」を描き出しているけれど、なぜか端っこにいるファルマンは、ひとりだけ髪を黒く塗ってもらえていない。そのあたりに、40歳以上と40歳未満の、あまりにも深い溝が見て取れる。
 僕がファルマンと付き合い始めたとき、ファルマンは20歳だった。それが40歳。人を、40歳以上と40歳未満で区分けした場合、僕はまだ、かの日の自分たちと同じ括りの中にいるけれど、ファルマンはそうではない。ファルマンはもう、先の階梯に進んでしまった。
 10年にいちどの、「代」が異なる5ヶ月半が始まり、とても嬉しい。30代の僕は、40代の姉さん女房を、この五ヶ月半の間、味がしなくなるまでいじり続けようと思う。そしてその喜びを掻き立てるかのように、ディズニーランドも40周年の特別イベントのことをCMでやり始めている。開園日である4月15日から開始だそうだ。つまり、もうこれを何度言ったか知れないけれど、ファルマンが生まれた時点では、日本にディズニーランドはなかった。ついでに言えば、1983年7月15日に発売されたファミコンも、まだなかった。じゃあ当時、娯楽はなにがあったんだろう。メンコとか、ゴム紐とか、缶詰に紐を通してカッポカッポするやつとかだろうか。そんな、物質的には貧しかったけれど、それでも戦後の経済成長の途上にあり、日本人が元気だった時代を生き抜いて、今のファルマンがある。時代の生き証人として、これからも元気で居続けてほしい。
 どんなにいじっても、まだいじり足りない気がする。自分より早く生まれた妻とかけて、ちんこととく。そのこころは、どんなにいじっても、まだいじり足りない気がするでしょう。5ヶ月半後に自分が40代になる頃には、あまりにもいじり過ぎた結果、さすがに40代いじりは賢者タイムになっていたらいいなと思う。僕はいじられたくない。

年月 おもひでぶぉろろぉぉん・2

 母が誕生日ということで、電話で祝意を述べた。つい忘れがちな親の年齢だが、母とピイガはちょうど60年(十干十二支で言うとふたりとも甲午となる)離れている、という便利な手掛かりによって、とても覚えやすくなった。そんなわけで母は69歳である。いいなあ、69歳。憧れの69歳。自分が69歳になったとき、69という数字を無邪気に喜べる69歳であればいいと思う。
 そして同時に、cozy rippleが19周年を迎える。このふたつの事柄が同日であるということに思いを馳せるたびに、20歳の俺は母の50歳の誕生日の日、家には帰らず、ファルマンのアパートに泊まり込んでホームページを作っていたんだなあ、ということを思う。だからなんだ、という話なのだけど。その頃は姉ももういなく、祖母もまだ横浜には来ておらず、ふたり暮しだったので、家にいたところで特になにもしなかったに違いないけれど。
 19周年で特別になにか企画があるわけではないが、先日からあちこちのブログで宣言している通り、1年後の20周年に向けて過去の日記の読み返し作業、その名も「おもひでぶぉろろぉぉん」を始めている。というわけで最近は21歳当時の自分の日記を読んでいて、面映ゆかったり、愛しかったり、憎らしかったり、いろいろと感情を揺さぶられている。
 その「おもひでぶぉろろぉぉん」だが、日記を読み返しての雑感をこうして綴ったり、世相も絡めた自分史を作成したりという、当座のプランはあるものの、最終的にどういうゴールを迎えるつもりなのかは、実はまだあまり定まっていない。ひとつ構想していることはあって、とりあえずはそれを念頭に入れつつ、粛々と作業をしていこうと考えている。
 そしてその読み返し作業をしていくにあたり、ちょっとでも心の琴線に触れた部分、すなわち当世の言葉で言うと「いいね」と感じた部分を、せっかくだから選り抜いて集積していくことにした。『おもひでぶぉろろぉぉん特設サイト ~フレーズで振り返る20年の歩み~』というのがその選り抜きの集積場の名前で、ここに本当にハードル低く、「いいね」ボタンを押すほどの感覚で、過去の記事からコピーした文節を置いてゆく。ここには当時の記事タイトルも、どのブログに書いたものなのかも、明記しない。ただ綴った文章を淡々と置いてゆく。タイトルは日付。カテゴリは記事公開時の僕の年齢。付す情報はそれのみ。まだ4ヶ月分ほどしかできていないが、溜まっていけば、なんかしらの効果は発生してくるのではないか。淡々とした流れが、やがて怒涛になるのではないかと期待している。

ポルガ12歳と20年間

 過去の日記を読み返そうと思い、さかのぼっていったら、本当に最初のウェブ上の日記というものは、どうにもこうにも残っていないようだった。これからまだ精細に日記を読み返していくつもりなので、その中で不意に新事実が明らかになってくる可能性もあるが、どうも最初は「everydiary」というサービスで、「purope★papiroの日記」というタイトルで書いていたようだ。20歳の頃である。20歳。20歳って、そこまで遠くない、大人の、今の自分と地続きのもののように思っていたが、実はぜんぜんそんなことない。だって20歳当時から、もうぼちぼち20年が経つのだ。安室奈美恵のように、20歳で子どもを産んでいれば、その子どもがもう20歳なのだ。そのくらい、20歳と40歳は離れている。クレヨンしんちゃんの「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」において、大人たちがみんな洗脳されて子ども返りしてしまうシーンで、不良の高校生グループである埼玉紅さそり隊の少女たちまでがそちら側に入っていて、でもそれは5歳児から見れば自然なことなのだろうと思ったりしたが、年齢って斯様に相対的なものだと思う。40歳からすれば、高校生はもちろん、20歳だってぜんぜん子どもだ。子どもだと思いつつ、ではいったい自分は20歳の頃からどこが成長し、どこが大人になったのだろう、とも思う。この人は急になにを言い出したのか、と思われるかもしれない。ポルガが本日、12歳になったのである。ひと回りで、春から中学生で、自分たちは今年40歳になる、などの種々の要素が、なんとなく節目めいた思いを誘発させるのかもしれない。当日がちょうど日曜日という恵まれた暦だったので、スムーズにお祝いすることができた。
 午前中に買い物に出て、昨日までの買い物で準備しきれなかったものを買い揃えた。その際、コンビニにも寄って、ポルガのリクエストの誕生日プレゼント、マリオカートのコース追加パスを買った。元からたくさんのコースがあるのに、さらに新しいコースを追加するのである。現代っ子の情報への貪欲さはとどまるところを知らない。思えば自分がいちばん、あのスーパーファミコンのマリオカートをやっていた時期が、ちょうどいまのポルガくらいの頃だった。
 昼にラーメンを食べ、子どもたちが追加パスで追加されたコースを嬉々としてプレイするのを尻目に、ひとりプールへと繰り出した。平日の退勤後に行かないこともないのだが、正月以来、陽の光を感じながら泳ぐ気持ちよさに目覚めてしまい、休みの日中に行きたがる傾向がある。今日も実によかった。
 帰宅後は本腰を入れて、誕生日祝いの準備をする。すなわち、ケーキ作りとたこ焼きの下ごしらえである。ケーキは、どんなものがいいか事前に本人に訊ねたところ、「こんなの」と図で示され、色とりどりの星が散りばめられたケーキをリクエストされたため、受けて立とうじゃないかと、食用色素とゼラチンを用意し、カラフルなゼリーを作製した。薄いパットに広げて固めたそれを、クッキーの星型で抜き(だいぶ難しかった)、それをケーキの上に載せ、残った部分はフォークでぐじゃぐじゃに剥がし、ケーキの周りに散りばめた。かくしてだいぶ再現度の高い、目下「銀河鉄道の夜」にハマっているポルガの希望に沿うケーキが出来上がった。
 夕方、大相撲1月場所の千秋楽がまだやっているような時間からたこ焼きを焼きはじめ、時間をかけてゆっくりと食べる。おいしかった。時間をかけて食べたら、殊のほか食べ過ぎて、一同お腹がいっぱいになってしまい、すぐケーキに取り掛かるのは無理だということになって、腹ごなしついでに、今度は4人でマリオカートをやった。20歳の僕と今の僕は、19も年が離れているけれど、ポルガとは8しか違わない。当時の自分は、こんなようなものだったのか、と思うと、信じられない思いがする。20歳からの日々には、さまざまなことがあった。プラスも、マイナスも、いろいろ待ち受けていた。日記に書いたこともあれば、書かなかったこともたくさんあるが、本人なので、読んでいく中で自然と思い出される部分も多くあるだろう。それをこれから時間をかけて本格的に読み返していくつもりだが、しかしあの20歳の、青年という言葉もまだ似合わないような自分の約20年後が、長女の12歳のお祝いの日に、家族4人でマリオカートができているのだから、この20年分の文章を読み返す作業には、安心感がある。
 しばしのゲームののち、ケーキを食べた。スポンジは、7号のものが欲しかったのだけど、あれはクリスマスの頃にしかなかなか店には並ばないもののようで(なのでピイガのときには手に入った)、さらには6号もなく、仕方なく5号と4号を買って、スリムな2段のケーキにした。スリムと言いつつ、2段なのでどうしたってかなりのボリュームである。それぞれ8分の1を切り分け、僕はなんとか食べたが、ファルマンは残していた(子どもたちはペロリ)。
 かくしてポルガが12歳。もともと変な子だったのが、近ごろは思春期も相俟って、いよいよ混沌として来ている。自己肯定感が、弱いとか強いとか、もはやそういう次元ではなく、超然としたレベルに達していて、他人としてこの子どもを眺めたら、一体どう育てたらこういう考え方の子になるんだろう、と疑問を抱くだろうと思う。どう育てるもなにもない。自己肯定感が超然レベルの子どもは、親の育て方の方針などには左右されないのだ。左右されるような性分なら、ここまで超然とはしない。古代生物と古代文明が好きで、「らんま1/2」が好きで、藤子・F・不二雄が好きで、好きな言葉は「パラレルワールド」。春からは中学生。周りに合わせてうまくやるタイプではないので、他力本願にならざるを得ないが、いい気性の子が周囲にいてくれればいいな、と思う。

2023年が始まる

 新年を迎える。2023。あけましておめでとう。
 大みそかから今日までは、振り返れば特になにを成したということもなく、なかなかに正月らしく、だらだらと過した。
 元日は午前中に、近所の神社へ初詣に繰り出した。そこまで大仰ではないが、おみくじなんかも普通にある、いい規模の神社。ここで引いた去年のおみくじは大吉で、かなりいい内容だった。今年はそれが中吉で、内容もあまりピンと来なかった。でもなんというか、個人的に、去年に較べて今年は、神頼み的な気持ちが薄いように思うので、この印象の違いは、要するにこちらの受け止め方だろうとも思った。調子のいい話と言えば調子のいい話だが、とは言え神的なものって、そもそも機能的に、すがりたいときにだけすがればいいんだと思う。今年はそれがそこまで必要ない心持ちだというのなら、それに越したことはない。
 午後は、実家で親戚の集い(と言っても両親と三姉妹とその家族である)が催され、鮨などのはなやかな食事を愉しんだ。年末年始はオートメーション作業だと以前書いたが、この手の集いにまさにその思いを強くする。長女の夫としての立ち回りが、長年の勤続によってどんどん熟達してきたように思う。
 2日は、午後から妻子らはまた実家に行くというので、僕はひとり、家で好きにした。この午後からおろち湯ったり館は開いていて、少しの逡巡はあったものの、やはり行かなかった。でも時間の過し方としてあまり有意義にできなかったので、結果的には行けばよかった。晩ごはんは、まだ昨晩の海産系の豪華食事が体に残っている感じがあり、簡素なものがいいと思い、豚汁とおにぎりとだし巻き卵にした。これがとてもよかった。
 3日は、会員であるプールが今年の営業を始めたので、午前中から泳ぎに行ってしまう。先週の火曜日に行っているので、実は1週間ぶりでしかない。でもすごく久しぶりのような気がした。いつもは退勤後なので、もうここ数ヶ月、泳ぐとき窓の外はすっかり暗くなっていたのだけど、新年ということもあろうが、明るい陽の光の中の水泳は気分が良かった。今年もたくさん泳ごうと思う。
 夕方から夜にかけては、今年最初の記事、「nw」にアップした「クラショー」を作製していた。これがものすごく愉しかった。ショーツを作るのも愉しかったし、記事を書くのも愉しかった。僕の両輪である裁縫とブログが、高純度でマッチしたな、と思った。新年一発目にして、これが到達点かもしれない。そのくらい愉しかった。
 明けて今日は、連休最終日にしてピイガの誕生日である。今日から仕事の職場と、今日まで休みの職場が、世の中では大きく二派となっていて、それは誰しも4日まで休みのほうがいいだろうが、僕の場合はただ休みが多いほうがいいというだけでなく、実利的な理由から、3日までと4日までではぜんぜん対応が変わってくる。しかしそれであっても、1月4日生まれというのはやはりバタバタするのだった。
 今日の午前中は、出雲大社に参拝した。やっぱり地元民として1年の早い段階に出雲大社には参っておきたい。かと言って大渋滞だろう3が日に行くのは避けたい。というわけでの、観光客はもうあらかた帰ったであろう4日である。期待した通り、そこまでの混雑ではなかった。正月で特別に開く本殿も含め、ひと巡りする。初詣は先によそで済ませたが、とは言え出雲大社はやはり特別な気もして、すっきりした気持ちになった。
 午後はピイガの誕生日祝いの準備。ごはんのリクエストは、「餃子の皮のたらこのピザ」とのことで、実に安上がりだが、それではメインにならない。それ以外はお任せということだったので、ちらしずしを作った。お祝いらしい、いい献立になったと思う。食事のあとはケーキ。クリスマスがお店のブッシュドノエルだったので、誕生日はいつもの、出来合いのスポンジを買ってきてデコレーションしたショートケーキである。7号の、大サイズで作る。オーソドックスなショートケーキは、やはり問答無用においしかった。なにしろ久しぶりだ。クリスマスに食べていたら、こうは愉しめなかったろう。かつては実際にそれをしていた。クリスマスは豪勢に、2段にしたこともある。そして1月にはすっかり食傷気味になっている。数年それを繰り返して、このたびようやく学習した。誕生日プレゼントは、年が明けてからネットで注文をしたので、当然まだ届かない。届いて、届いたものを実際に使ったら、また記そうと思う。
 かくしてピイガが9歳となる。8歳が9歳になったというのは、正直言って感慨を抱きづらい数字なのだが、この数日、従妹の0歳児と触れ合ったので、そこからの成長ということを思うと、ずいぶん育ったものだな、と感じる。ポルガ(ちなみに年女)が絶賛反抗期中で、もとから接しづらいキャラだったのが、もはやコミュニケーション面において壊滅状態になっている中、人懐っこく明るいピイガの存在は、わが家の貴重な救いとなっている。相変わらず騒音めいたやかましさはあるものの、しかし無上に愛しい。これからも健やかに育ってほしい。
 そうして年末年始の連休も終わろうとしている。後半(年始)ややダレたが、それでもほどほどに堪能できたのではないかと思う。74点くらいの出来。明日からは労働。年末年始の休みが待つ12月に対し、1月2月の、明確な心浮き立つ予定のない山陰の冬は、過酷である。せいぜい気丈に生きようと思う。

39歳

 誕生日を迎える。39歳になった。サンキュー!
 本日は平日なので、昨日、敬老の日の19日にお祝いをしてもらった。毎年のように書いているが、誕生日が敬老の日と極めて近いというのは、生涯をかけて仕掛けるギャグのようだな、と思う。クリスマスと誕生日が近い子どものように、長生きできた場合の将来は、お祝いがひとまとめにされるに違いない。などと思いきや、われわれが年寄りになる頃には、年寄りを敬う習慣は完全に駆逐されていて、敬老の日なんてなくなっているかもしれない。なにぶんMD世代なので、そんな可能性もある。
 敬老の日なので、この日に届くように注文した品物が、横浜の祖母のもとに無事に届いたようで、日中にお礼の電話があった。贈ったのは入浴剤。毎年あげるものが浮かばず、困った末に敬老の日ギフトの特設ページから佃煮のセットや和菓子のセットみたいなものを、仕方なく選んだりしていたが、今年は頭にパッと入浴剤のことが浮かんだので楽だった。これはすごくいい閃きだったな、と我ながら思っていたが、電話口の祖母の口ぶりも本当に喜んでくれている様子だったので安堵した。ただし「下手な食べ物なんかよりすごくいい!」という一言は余計だった。どうした、ここ数年、下手な食べ物を贈ってこられでもしたのかよ。
 誕生日のお祝いだが、折しも猛烈な台風が九州から中国地方に直撃というタイミングで、気候も気圧も優れず、「世界も祝福してくれてる!」みたいな感動は一切ない日だった。出掛けることさえままならず、午前中に僕だけササっと買い出しに行った以外は、ずっと家で過した。家でなにをしていたかと言えば、ひたすらにショーツ作りに勤しんでいた。ショーツ作りって、今年に入ってから始めた趣味なのに、ショーツ作りをしていなかった時代の自分が休日をどう過していたのか、もう思い出せなくなりつつある。それくらい、この日に限らず、3連休を通して暇さえあればやっていた。hophophopに書いたが、初日にはピザを焼くということをしてみたのだけど、材料を機械に入れて作動スタートし、機械が生地をこねてくれている間も、ショーツ作りの作業をしていた。ああ俺は今、パンを作りながら、同時にパンツも作るという、稀有なことをしているな、と思った。「パン作ってる」と「パンツ喰ってる」のジョークがあるけれど、その世界観にだいぶ肉薄したのだった。
 晩ごはんのメニューは手巻きずし。これまでいちおう盛り合わせみたいなものを買っていたのだが、今回からネギトロとサーモンのそれぞれパックだけを買うことにした。それでなんの問題もなかった。ハマチとか貝とか、結局みんなあんまり食べないんだよな。

 
 子どもが恒例の誕生日ポスターを描いてくれた。こちらがピイガ。かわいい。左上から時計回りに、ファルマン・僕・ピイガ・ポルガ・ヒット君・ヒット君・ヒット君・クチバシ・モジャジャ・オオクチアホキリン・ひっとこちゃん・メロヘロ・バネリン・カンガルー(夏休みにピイガが僕に世話をされながらフェルトで作った)・みどご(ピイガの大好きな緑色のゴリラ)である。盛りだくさんで素晴らしい。
 
 
 こちらはポルガ。「これ……なに? 誰たち?」と訊ねたら、「ポルガがいま書いているお話の登場人物だよ」という答えが返ってきて、え、あ、そうなんだ、と思った。「うまいでしょ」と賞賛の言葉を乞うてきたので、「え、その、誕生日おめでとう的なメッセージは?」と思わず問いかけてしまった。すると「ないよ」と平然と答える。相変わらずすごいな。思春期で素直に父親におめでとうって言えない、とかじゃない。本当にただ自分が描きたいものを描いたのだ。やー、さすがだ。
 ごはんのあとはデザート。イチゴがまるでない時期につき、毎年微妙に困る僕の誕生日ケーキ。冷蔵庫にぶどう(シャインマスカット)はお裾分けされたものがけっこうあるのだが、ぶどうのケーキは素人には難しいだろう。かと言って今年はチョコレートケーキも気が乗らなかった。それでどうしたかと言えば、だいぶ思い切った。白玉クリームぜんざいにした。斬新な切り口だろう。誕生日ケーキって、甘いものであれば代替できるのかと言えば、そういうことでもない気もするのだが、でも今年はそうした。しかし悪くなかった。生まれて初めて白玉を作ったファルマンが、茹で上がった白玉を湯から取り上げて直接皿に盛ろうとしていたので衝撃を受けたが、ちゃんと冷やさせ、あんことアイスクリームをたっぷり添えて、食べた。おいしかった。
 誕生日プレゼントは、いろいろ考えた末に、今後必要になる予定の棚をもらおうと思ったのだが、少々お値段が張るのと、現状はまだ必要ないのとで、年末あたりに、去年トレーニングベンチを買った、「今年一年がんばった自分へのご褒美」と合算して手に入れられればいいかな、ということで保留とした。虎視眈々としていることだな。
 そんな39歳の誕生日の祝いだった。当日の今日は台風一過で、今日こそ世界は祝福してくれるかと思ったが、朝から風雨を浴びた車は汚く、下手に気温が下がったせいか職場の空調はうまく回らず空気は淀んでいて、さらには3連休で生活のリズムを崩した体は重く、なんだかあまり具合の良くない日だった。でもたぶん今日が底で、これから364日、調子は上がっていく一方だと思う。母から「三十代最後の一年を愉しんで」とメッセージが届いたが、三十代を惜しむもなにも、自分の中でまだ自分が三十代であることを処理できていないと言うか、受け入れられていない。なので今年は、自分が三十代であるという事実を受け入れるための1年間としよう。1年かけて、とろ火でじっくりと、自分にそのことを理解させられたらいいと思う。無理に決まってっけどな! へへん!

広島旅行2022浅春 ~39歳の目覚め~

 日付が変わってファルマンの誕生日になった、その1時間後あたり、ファルマンは物音で目を覚ましたという。それは隣室から聞こえてきているようで、はじめはなんなのか判らなかったが、繰り返される一定のリズムの正体に、ファルマンはやがて思い至ったという。そしてリズムは次第にペースを上げ、やがてフィニッシュを迎えたそうだ。ファルマン、39歳になって最初に起った出来事がこれ。これからの1年間を暗示しているのだろうか。
 そのめっちゃおもしろい事態の間、ぐっすり眠っていた僕は、いつものように6時過ぎに目を覚まし、家族を起こさぬよう準備をして、朝風呂に向かった。気持ちがよかった。とてもいい目覚めだった。ドーミーインを心ゆくまで堪能した。
 チェックアウト後は、ビル街の中を車で進み、広島城へとやってきた。そっち方面は本当に詳しくないので、広島に城があるなんてこれまで知らなかった。ならばなぜ来たかと言えば、ポルガが、今年の初詣から御朱印帳を始めたことで神社や城に興味を持ち始めたため、広島城で御城印をもらう(買う)というイベントが旅行に組み込まれたのだった。ちなみにもちろん昨日の厳島神社でも御朱印を書いてもらっていた。
 案内された少し遠い市営駐車場に車を停め、歩いていくと、広島城のお膝元には、広島護国神社という神社があり、桜がちょうど満開の晴れた大安の日曜日ということもあって、お宮参りやら祈祷やらの人々でとても賑わっていた。なんならあとでこちらでも御朱印をもらおうと話しながら、まずは広島城へと入城する。中は5階建てくらいで、当時の文化や道具などが紹介される、博物館のようになっていた。最上階の天守閣では、建物の外側に設置された通路で360度を見渡すことができ、なかなかいい景色だった(もっと高い建物が周りにあったけど)。昨日行った宮島も見えた。城を出たあとで、やはり護国神社にも立ち寄り、参拝したり、御朱印をもらったりした。つまり今回の広島旅行で、ポルガは新たに3枚分をゲットしたのだった。御朱印帳、なるほどコレクター心というか、スタンプラリー心というか、そういったところを刺激されてなかなか愉しそうだ。ただ旅行するより、旅行先のそういうのを目的にすると、より面白みが増すだろうと思う。
 広島城からは、歩いて次の目的地、原爆ドームや平和記念公園のエリアへと向かう。幸いなことに、このあたりは徒歩圏内なのである。ちょっと歩いて、大きな道を渡ると、すぐ目の前に原爆ドームがあった。たぶん子どもの頃も見て、修学旅行では確実に見て、そのためおそらく3回目になると思うが、やはり迫力があり、そこだけ空気の質が違っているような気がした。世界遺産であり、有名スポットだが、観光地と無邪気に言うわけにもいかず、子どもらを前に立たせて写真というのもどこか違う気がして、ふむー、と粛々とした気持ちでしばし眺め、先に進んだ。先には平和記念公園があって、花見客でとても賑わっている様子だった。平和記念公園って8月15日の式典でしか見ないので、いつもあんなふうな、かしこまった空間なのかと思っていたが、街の中にある公園として、明るく利用されているようで、なんだかホッとした。なにしろ平和を記念する公園である。平和ならば平和に使えばいいのだ。いま世の中が平和なのかと言えば、あまりそんなこともないけれども。
 園内では大勢の人が、ベンチに座ったり芝生に腰を下ろしたりして、酒を飲んだり食事をしたりしていたので、わが家もここで昼ごはんを食べることにした。公園からの脇道にセブンイレブンが見えたので、お弁当でも買おうかと歩みを進めたところ、松屋の袋を提げている人とすれ違い、松屋があるのか! と色めき立ち、松屋に方針転換した。広島まで来てなぜ松屋、という話だが、実は島根県どころの話ではなく、山陰地方には松屋がないのだ。そのため松屋は十分に、旅先でしか味わえないグルメの要件を満たすのだった。セブンイレブンの向かいには、広島風お好み焼きの店が行列を作っていたが、そんなものには目もくれず、松屋を探し求めて歩く。セブンイレブンの奥には、予想外の商店街が続いていた。阿佐ヶ谷パールセンターを連想するような、この商店街の感じが、やっぱり都会なのだと思った。いろいろな店があり、歩いているだけでおもしろかった。そしてしばらく進んだところで無事に松屋を発見し、牛めし弁当などを買い込む。嬉しい。ほくほくした気持ちで平和記念公園へと戻り、花壇の前のブロックに場所を確保して、食べた。おいしかった。松屋は、一時期(書店員時代だ)あまりにも食べ過ぎて食べられなくなった時期があったが、たぶん僕は牛丼3大チェーンの中で、本当は松屋がいちばん好きなのだ。数年ぶりに食べて、そのことを再認識した。でも山陰にはないのだ。もしかするとそれもまた美味しさの一助になっているのかもしれないとも思う。松屋はおいしく、春の陽気がぽかぽかと暖かく(昨日は実はわりと寒かった)、桜は満開で、とても心地よい時間だった。4月3日はいつもわりと桜が満開で、ファルマンは柄にもなく溌溂として朗らかな、とてもいい時期に生まれたものだと、毎年思う。印象深い39歳の誕生日になったのではないかと思う。
 腹ごしらえをしたあとで、平和記念公園の平和記念公園たる部分を見て回る。原爆ドームほどのピリピリした感じはないにせよ、やはりここもまた、それなりに粛々と受け止めた。原爆資料館へは、入らなかった。修学旅行の代替として来ているので、行くべきなのかもしれなかったが、しかしながらここは、家族と離れ離れの状況で見るべきものなんじゃないかという気もした。原爆資料館を見て、家に帰ったら、原爆資料館を一緒に見たわけではない家族がいるから救われるという、ここはそういう場所だと思った。だから一家で入るわけにはいかなかった。ピイガが修学旅行をする頃には、さすがに県外に行けるだろうから、ピイガはその時に見ることになるのではないかと思う。
 広島旅行の行程はこれでおしまい。宮島、広島城、原爆ドーム、平和記念公園と、とてもオーソドックスに広島の要所を拾った1泊2日であった。大成功と言っていいのではないかと思う。家族旅行はやっぱり愉しいな。しかし鳥取と広島をやってしまったので、次の目的地の当てがない。車で行けて、1泊2日の範囲がいいなと思うが、岡山に行ってもしょうがないし、山口はどうも食指が動かない。いっそ移動を少しがんばって福岡か? いよいよ九州バージン喪失か? とも思うが、福岡はやろうと思うといろいろ大変そうだとも思う。まあどちらにせよしばらく先だ。11月の鳥取は、秋からのレジャーの集大成だったが、今回の広島は、いわばレジャー時期の幕開けを告げる鐘だ。これからは公園やプールや海など、近隣の大自然を堪能しようと思う。

38歳

 誕生日である。38歳である。
 37歳から38歳なので、感想は何もない。37歳から38歳への移行について、なんかしらでも感傷を抱く者がこの世にいるだろうか。親が37歳で死んだ人くらいのものではないか。思えば僕と母とピイガは、それぞれ30歳差で、両親が離婚したのが、僕が今のピイガと同じ小2の頃だったから、母は38歳の頃に離婚したということになるのかもしれない。無理やりにでもそんなことを思うと、少し感傷的な気持ちになる。なっても得は一切ない。
 誕生日が敬老の日とあまりにも近くて、今はまだ別に困らないけれど、遠い将来、誕生日がクリスマスの人とまったく同じ困惑を周囲に与えるのだろうなあということを思っていたが、今年はとうとうまさに今日が敬老の日となったことで、若干の弊害があった。今日に届くように横浜の祖母にちょっとしたものを贈り、無事に届いて、「ありがとうね」という連絡が来て少し話したのだが、感謝の気持ちの表現と、自分がどれだけ年寄りかというアピールに余念がない93歳との会話において、「今日という日は敬老の日であると同時に、実は孫の誕生日なのだよ」「なんなら贈り物はこちらからの一方的なものではなく、そちらからもなんかしらの物品があってもなんら差し支えはないのだよ」という主張はどう考えても情報量オーバーで、すっぱりあきらめた。もっとも93歳の祖母が、孫の38歳の誕生日を祝うというのは、あまり健全な図式ではないような気もするので、すっかり忘れ去られているくらいでちょうどいいのかもしれない。
 家族からはもちろん祝ってもらった。晩ごはんは鶏の唐揚げで、ケーキはこの時期の、僕の誕生日特有のチョコレートの、カステラのような、シフォンケーキのような、決してガトーショコラではない、チョコレートと小麦粉と砂糖が混ざった感じの、素朴なケーキで、とても素朴な味わいだった。子どもたちもそれぞれプレゼントをくれ、ポルガは卵と一緒にお湯に入れるとゆで卵の黄身の仕上がりが窺えるようになるあの道具(わざわざ買うほどではないがわりと欲しいと思っていたので普通に嬉しい)、ピイガはプラスチックの水筒(こんなんいくつあってもいいですからね)だった。ファルマンからは、サプライズ的な趣向で僕に物を与えてもいいことはひとつもないことをよく知っているので、ファルマンの口座から下りるように楽天で僕が注文したズボン(パンツといいたいところだが、楽天で「パンツ」で検索すると下着とズボンが本当に半々くらいで出てきて、ややこしいので、仕方なくズボンという)をもらった(ただしまだ届いていない)。
 37から38という数字に感慨はないが、それでも年齢をひとつ重ね、それを平穏に家族で祝えたことはもちろん喜ばしい。今がコロナ禍でなければ、かつてのように大勢でパーティーを催すところだけど、そんなこといってもしょうがないし、こうして不自由な時代になったからこそ、本当に大事なものがなんなのかに気づけたような気もする。
 あとこれは誕生日とは別に関係のないことなのだが、たぶん38歳の僕は37歳の僕よりも、ブログが多く書けるようになるのではないかな、と思っている。右手に希望、左手に余裕を持って生きてゆきたい。


 ピイガ作ポスター。
 6月の父の日、輪郭や髪形を四角く描かれて驚愕したが、今回はあごひげで再び驚かされた。ピイガってあんまり僕の顔を見ていないんじゃないかな。あるいは、やっぱり僕がいない時間帯、この家には別のパパが訪れているのではないかと思った。


 ポルガ作ポスター。書いていることのひとりよがりさが、ポルガの話そのもので、こいつは本当に相手にどう思われたいとかなくて、いつ何時も自分のしたいようにするのだな、ということをしみじみと思った。僕の似顔絵は悪くないが、ファルマンのそれには若干の悪意があるし、ピイガに至っては緑色のゴリラとして描かれている。おそろしい。

ファルマン38

 ファルマンの誕生日祝いをする。
 プレゼントはもう事前にあげていた。アマゾンで売ってる、アマゾンプライムなどのウェブ上の映像ソフトを、テレビで観られるようにするやつ。それとminneに出品していた、グラニーバッグ風トートバッグも、欲しいというのであげた。うちの妻は誕生日に、ブランド物のバッグではなく、僕のハンドメイドのバッグを欲しがるのか。
 晩ごはんに希望のメニューはあるかと訊ね、いつもなら「カレー」ということになるのだが、カレーはほんの数日前に食べてしまったのと、あと明確に口に出していうわけではないが、ファルマンはきっと、前ほどはカレーが好きではなくなっていて、それはカレーというより、油物全般ということになるが、そのためまったく答えが浮かばなかったようで、絞り出した末に、「次の日にお弁当のおかずになるもの」という、俺はいま誕生日祝いの晩ごはんのメニューを訊いたのだけども? という答えが返ってきたので、仕方なく僕の独断で、その前日に豚のひき肉が安く手に入っていたこともあり、シュウマイにした。「だってほら、誕生日ってなるとシュウマイ食べたくなる人だもんね?」と確認したら、「うん、そうそう」と、食べたいものを考えるという難事業から解放された喜びで、ファルマンは激しくうなずいた。もともと食べものに執着のない人だったが、加齢によって食べたいと思うものの範囲が狭まってきて、いよいよファルマンは食の愉しみから解脱しかかっていると思う。
 ケーキは、いつもの感じで作るつもりだったが、なぜかここにきっぱりと希望を表明してきて、「アイスケーキが食べたい」ということだったので、今回は初めてそういうものを作った。いま思えばこれもまた、ホイップクリームが重たいからという理由だったのかもしれない。ファルマンの家ではたまに供されたらしいが、僕はアイスケーキというものにまるで縁を持たずに生きてきたため、ぼんやりとしたイメージしかなかったが、まあ溶かし気味にしたアイスを型に流して、間にイチゴを挟んだり、皿に出したとき底になる部分にスポンジを敷いたりして凍らせればそれっぽくなるだろう、と思って作り、見事にそれっぽい感じになった。アイスとスポンジの組み合わせは、普通においしかった。ただし間に入れたイチゴは、凍ったら味がせず、ただ氷のようになったので、無駄だった。次回もしも作ることがあれば、イチゴ抜きで作ろう。しかしだとすれば、アイスケーキなんて毎年フルーツで困る僕の誕生日にやればよかった。イチゴのシーズン真っ盛りのこの時期に、イチゴのかいのない食べ方をした。
 子どもたちからのプレゼントは、ポルガは夏用のスリッパを、ピイガはファルマンが仕事中につまむためのおやつを入れるポッドだった。これらは3人で買いに行ったのだが、ポッドを選ぶ際、「お母さんはお仕事になると食べ物を食べないから……」とか、「お母さんは蓋があると外すのが面倒でおやつを食べないから……」とか、娘たちもさんざん、ファルマンの食べ物への関心の低さ、そして面倒臭がりさについて糾弾していた。もちろん僕による扇動があった面も否めない。
 誕生日祝いの際などにはいつもいうが、今年もこうやって家族4人、無事にお祝いができてよかった。なによりである。それでもってファルマンは、これで何歳になったのかといえば、いわゆるひとつの、38歳である。38歳! すごい! 7と8では大違いだ。37歳の僕からすると、38歳という数字ははるか高みにあり、もはや霞がかっている。これから約半年間は、配偶者のことを仰ぎ見て暮そうと思う。

37歳

  誕生日である。シルバーウィークの真っ只中である。去年がそうであったように、シルバーウィークといえども、肝心の20日が狭間の平日だったり土曜だったりして休みじゃない、なんてことはよくある。その点、今年はきっぱり日曜日なので、ちゃんと当日にお祝いをしてもらうことができた。もっともそんな年に限って、毎日が日曜日の身分である。
 今日でめでたく37歳になったわけだが、予想していた通り36歳と37歳の境にはなにも心を動かすものが存在しなかった。20代と30代の間には国境があり、34歳と35歳の間には県境くらいのものがあったように思うが、36歳と37歳の間は市境よりももっと弱く、町区の境くらいの感覚だ。徒歩というわけにはいかないが、自転車でもあれば簡単に行き来できる気がする。もっとも行き来する意味はない。なぜならこっちの町もあっちの町も、ほぼ同じ一帯だからだ。36歳から37歳になる感慨とは、だいたいそんなものだった。
 零時になった瞬間にお祝いメッセージが殺到したせいで誕生日当日は寝不足気味、といういつものギャグは、もう唱える気にもならなかった。この3ヶ月弱、だいぶ混じりっけなしに家族以外と絡んでいない人間が、1年前の時点でそういうやりとりをする存在がひとりもいなかったのに、なぜ今年そんなことになるというのか。なるはずがない。理屈がない。あまりにも理屈が合わないギャグはつまらない。つまらないというか、もはや悲壮感がある。
 そんなわけでちゃんと7時間ほど快眠し、37歳の誕生日の朝を迎える。気候がよくなったので公園に遊びに行きたいとか、文房具屋に子どもの必要なものを買いに行かなければ、といった用件はあったのだけど、さすがは4連休の余裕で、そういったものは明日以降にすればいいということになり、今日は純粋に僕の誕生日を祝う日として、近所のスーパーへの買出し以外はひたすら家にいて、子どもたちは飾り付けの作製、ファルマンはケーキ作りに勤しんだ。誕生日のお祝いをする日に、誕生日のお祝いの準備だけして過ごすなんて、優雅きわまりないな。僕もまた、ヒットくんのフェルト人形を作ったり、ごはんを作ったりして、37歳の誕生日をゆったりと過ごした。平穏なことだ。
 晩ごはんはエビフライ。いちばん好きな食べものは相変わらず餃子だが、今日はエビフライの気分だった。エビフライは好きな食べものランキングの、4位くらいか。食べてちょっと恍惚とするくらいには好き。たっぷりの時間で下拵えも丁寧にしたので仕上がりは上々で、ちゃんと恍惚とすることができた。
 食事のあとはケーキ。僕の誕生日ケーキは、毎年恒例のチョコケーキ。これがしみじみとおいしい。誕生日ケーキに関して、いちごコンプレックスが数年前まであったが、夏が終わってチョコレートに感激できるタイミングなのだと喝破してから、心が安らかになった。これからは板チョコを持ち歩くのもやぶさかじゃない季節だ。
 ケーキのあとはプレゼントをもらう。ファルマンからは既にひと月ほど前に、財布をもらっていた。子どもたちは、ポルガが縄跳び、ピイガがエコバッグをくれた。どちらもなかなか実用的で、成長したものだと思う。あと恒例の手紙や冊子いろいろ。この3ヶ月弱は特に絡む時間が長く(僕が家にいるからだが)、悩まされる機会も多かったが、しかしまあ素直に誕生日をお祝いしてくれる姿を見ると、問答無用で愛しい。やっぱり家族の誕生日のお祝いは、末永く、なるべく力を注いでやるべきだな、と思いを新たにした。
 そんな37歳の誕生日だった。
 


ポルガ9歳

 当日の22日が水曜日だったので、土曜日にポルガの誕生日の祝いをした。9歳である。しかし8歳が9歳になるのって、どうしたって感慨がない。ひと桁最後の年、というならそれはそうなのだが、それは来年迎える10歳の、10という数字の衝撃に引っ張られているだけの感慨だろう。それにしてもポルガの誕生日は、同時に「東日本大震災から今年で何年になるのか」に思いを馳せさせることだ。
 誕生日が平日なので土曜日にお祝い、といいながら、珍しくポルガには半ドンの授業があった。いまどきの小学校は、道徳やら英語やらプログラミングやら、かつてはなかったカリキュラムが増えたわりに、休日の数は増え、こなさなければならない授業数は汲々らしく、始業式や終業式の日に通常の授業をしたり、こうしてにわかに土曜日が登校になったりするのだった。でもそのおかげで、ファルマンは午前中に仕事をし、僕はピイガとともにお祝いの準備をすることができた。ケーキや晩ごはんの材料を買い、そしてケーキを作ったりした。
 昼過ぎになってポルガが帰ってきたので、すぐに車で出掛ける。昼ごはんは本人のリクエストにより回転ずしなのだった。例のごとく僕は、ほとんど店では食べず、折詰めにして夜に日本酒とともに頂く、ということをしたかったのだけど、今日はこのあといくつかお店に寄ったりする用事があったため、泣く泣く諦め、店で食べた。すしを食べて日本酒が飲めない状況って、どうにもやるせない気持ちになる。
 帰宅後はおやつを食べ、晩ごはんの準備。誕生日のお祝いの日の晩ごはんは、毎年恒例のたこ焼きである。すしも、たこ焼きも、ポルガは本当に食べものとして味が好きというより、細かいものがたくさんあっておもしろいので好きなだけなんじゃないか、と思う。別にいいんだけど。焼くのに時間が掛かるので、早い時間から始めて、食べる。おいしい。ホームたこ焼きは、準備から焼くまで終始面倒だけど、なんだかんだで愉しくておいしい。ただしその愉しさとおいしさが、面倒さに勝つか、といわれるとそこまでではない。子どもが喜ばないなら決してしないメニューだろう。まあ誕生日様のリクエストならば仕方ない。
 たこ焼きのあとはケーキ。今年のケーキは、これも本人のリクエストにより、のび太ケーキ。
 

 何度もいうようにポルガは目下、「ドラえもん」にぞっこんなのだが、それでドラえもんが好きなのかと思いきや、好きなキャラクターは実はのび太なのだという。のび太ってそんな、ドラえもん派のび太派に分かれるような、そういうキャラではないだろう、素直にドラえもんが好きであれよ、と思うのだが、本人の中でそこは譲れないようで、学校の仲のいい友達からも、のび太デザインのマグカップを送られていた。友達に対しても、ドラえもんよりのび太が好きなのだという主張をしているようだ。そんなことあまり知らなった僕は、ドラえもんケーキならば、頭の部分に切ったいちごをバーッとあしらって、赤いのはドラえもんじゃなくてミニドラだけど、そんなふうに仕立てればいいな、と考えていたのだが、急遽のび太に方向転換し、このような仕上がりとなった。いちごはカットせずにまるごとスポンジの間に挟んだ。そのため厚みのあるケーキになった。髪の毛の部分はココアパウダー。ココアパウダーはだいぶ余ったのだが、どうせ20日後くらいに使うんじゃねえの、と思った。まあまあうまくできたと思う。本人の指は、左手はパーになっていて、両手で9を表しているものである。見て喜んでいたのでよかった。味もなかなかよかった。まるごとのいちごが中に入ってるのっていいもんだな、と思った。
 誕生日プレゼントは顕微鏡。いろいろ観察すればいいと思う。
 そんな9歳の祝いであった。8歳からの1年で、だいぶ成長したような、相変わらず甘ったれで幼児じみたところがあるような、微妙な感じ。ほぼ4年生ともなると、同級生の女子の中には、もういっぱしの女子な感じの子も出てきているようだが、ポルガには一向にその気配がない。決して父親の希望的観測ではない。相変わらず昼休みにはひとりで校庭を走っているようだし。

36歳

 誕生日だった。誕生日のお祝いメッセージは、母と姉から届いた。人からお祝いメッセージが届かないことは、「hophophop」に書いたように、ぜんぜん哀しくないつもりだったのに、母と姉から届くものだから、さすがに哀しくなった。誰からも届かない、なら受け入れやすいのに、母と姉から届いたせいで、母と姉からしか届かなかった、という状況になってしまい、母と姉だけに誕生日を祝ってもらうのは、普通それは子どもの頃の話で、じゃあ22歳で家を出てから今日までの約15年間で俺はいったいなにを……? と、とてつもなく重くて暗い部分に気持ちをやってしまい、落ち込むはめになった。しかもその二者のメッセージというのが、毎年一様にそうなのだが、「あんたももうずいぶんな歳だね」という内容で、届くだけで気持ちが塞がるのに、なおも文面で嫌な気持ちにさせるのかよ、と毎年思う。他になんか言葉はないのか、と訊ねたくなるが、肉親なので訊かずとも分かる。ないのだ。あいつ誕生日や、いくつや、36か、いい歳やなー、と、本当にそれしか思わないのだ。僕もきゃつらのそれについて同じことしか思わないので、ただ単にそれだけのメッセージを送ることになると思う。それに対してファルマン家の人々はきっと、「いい1年になりますように!」とか、「しわわせに過ごしてね!」なんてことを言い合う。さすが中国山地の向こう側にあるというラテンの国の一家だと思う。
 誕生日当日はそんな感じで、本当に静かに過ぎた。家族によるお祝いは、出勤だった本日土曜日の夜にやってもらった。帰宅すると、日中からケーキ作りや部屋の飾りつけにいそしんでいたという子どもたちはテンションがきわめて高く、うるさかった、けどかわいらしかった、けどうるさかった、けど幸福感があった(けどうるさかった)。将来、我々はどっち側の気風の家族になるのだろう。ファルマン家側かな。少なくともファルマンと子どもたちはそうだろうな。僕もそのときまでに、大人になった子どもたちの誕生日について、「あいつもいい歳だな」以外の感想が浮かぶ人間になっていようと思う。
 ファルマン特製のミートソースがたっぷり掛かったスパゲティと、野菜たっぷりのスープ、チキンナゲットというメニューのあと、リクエストしたガトーショコラを食べた。全体的においしく食べたのだが、食べたあとで胃がもたれる感じがあった。いい歳……。子どもたちから、手作りのプレゼントをいろいろもらう。去年は「ずかん」という名目の冊子だったが、今年はさらに進化し、巻き物のようになっていた。ファルマンによると、この1週間ほどはずっとその制作に励んでいたという。嬉しい。嬉しいと同時に、父親は今後の思春期に思いを馳せずにいられない。いつまで快く祝ってくれるのだろうな。ちなみにファルマンからのプレゼントは、もうだいぶ前に先取りで手に入れたダンベルセットである。ファルマンからの誕生日プレゼントをろくに使わないことで有名な僕だが、これは初めてくらいに、今のところ日々せっせと使っている。そのあとはみんなで少しドンジャラをして、パーティーは終わった。なにはともあれ、こうして無事に年齢を重ねられたことはめでたい。家族以外だれも僕の誕生日を祝わないけれど、僕は僕の誕生日に際して、この世のありとあらゆるものへ感謝の気持ちを捧げる。受け取るばかりのそなたらは自らの浅ましさを思い知り、存分に恥じ入るがいい。

安息春週末

 土曜日は花見を敢行した。今週はウィークデイがずっと寒く、島根行きで崩した体調がなかなか改善せず、プールにも行けない冴えない数日だったが、体の具合も気候も週末に一気に帳尻を合わせてきた。昨日からの暖かさで、桜も満開とまではいかないが、言う人によっては「これくらいがいちばんいいんだよ」と言いそうな程度には咲き揃った。1年でこの日がいちばん花見に適した日であることはまず間違いなく、だとしたら場所のセレクトはとても大事だと考え、思案の挙句に山のほうにある公園を選んだ。これまで2度ほど行ったことのある公園だが、桜の時期に行くのは初めて。桜の時期に行っていないので認識していなかったが、ウェブで情報を見たら実は桜の木が多く、いい花見スポットなのらしい。またわが家の場合、花より団子ならぬ花より公園の要素も大きいので、そういう意味でもちょうどいいと思った。しかし行ったところ、普段は休日でもガラガラの駐車場が満杯で、特別に停めてもいいらしい園内の道にも縦列駐車で隙間なく車が連なっていた。自分がまだ子供だった頃、横浜でこういう類の経験をしたことはあるが、大人になり、地方に住むようになってからは初めてで、なんだか驚いた。でも車を停めることができない状況で横目に眺める園内は、それはもう桜がダイナミックに咲いていて、まあこれは誰もが今日ここに来るよなあと思った。そうしてしばらく園内をさまよい、だいぶ山からも降りる形になったところで、ようやく空きのある駐車場にたどり着いた。たぶん1年でこの時期にしか使われない駐車場。車窓からの桜があまりにも見事だったので、降りられずにそのまま下山ということにならなくて本当によかったと思った。そして待望の花見にありつく。駐車場は大変な有様だったが、園内は面積が広大なため、そこまで人に溢れ返っているということはなかった。シートを敷き、お弁当を食べる。山肌に幾重にも咲き連なる桜はすごくよかった。食後は子どもたち待望のアスレチックエリアへ。これがなにしろ山肌に作られているので、わざわざアスレチックになど挑まずとも、大人にとっては子どもについていくだけで十分にアスレチックだった。登りの斜面は、ただの坂の部分と、階段になっている部分があり、親切にもどちらも味わうことができ、その結果、どちらにもそれぞれのつらさがある、と思った。ファルマンにそう話したら、「坂は腰、階段は膝」と、さすがはつらさの大家だな、という含蓄のある言葉が返ってきた。挙句の果てには、広めの間隔の階段の、段と段の間が坂になっているというハイブリット型まで現れ、この容赦ない苦しませっぷりは、ここはもしかしてプチサイズの地獄なのではないかと思った。それでも大人の花見欲と子どもの公園欲が十全に満たされたので、場所の選択は正解だったろうと思った。弁当からアスレチックまで、園内で撮った写真の全てに桜の木が写り込んでいた。そのくらいに咲いていた。花見はこうでないと。
 帰宅するとファルマンはよほど疲弊したのか、少し寝ていた。僕は寝なかった。これまでと逆である。体力減退の構図が、この1ヶ月半で完全に逆転したのを感じる。3月の僕はやけに健康で、プールに行って、たんぱく質を意識的に摂って、そして酒を飲まなかった。それがこの1週間の体調不良で少しトーンダウンしてしまったが、週明けからまたプール通いの日々は再開する予定だ。やっぱり30代半ばともなると、意識的にその地点にとどまろうと励まないと、取り返しのつかないことになるような気がする。
 そんな流れで言うのも何だが、この日は3日(水曜日)に祝えなかったファルマンの36歳の誕生日祝いなのだった。ケーキは、ショートケーキはさすがに飽きたということで、リクエストによりレアチーズケーキを作った。初めてだったが、焼くわけでもないのでとても簡単だった。クリームチーズやら生クリームやらサワークリームやら、レシピの通りに買ってきたものを、レシピの通りに混ぜ合わせて、型に入れて冷やしただけなので、これは果たして僕による調理なのだろうか、とさえ思った。晩ごはんのリクエストは「炊き込みごはん」で、スーパーで見たらレトルトの筍のやつが美味しそうだったのでそれでいいやとなり、すさまじく楽だった。あとは鶏肉を焼いたりお吸い物を作ったりした。ファルマンは炊き込みご飯を3杯食べた。ちなみに先日の人間ドックの結果が数日前に届き、概ね異常なしだったらしいが、体重があまりにも少なすぎることはやはり指摘されたそうだ。しかしご飯を3杯食べたところでこの人は、出すばっかりでぜんぜん蓄えないのだよな。食事のあとはケーキ。レアチーズケーキは、白一色の平らな表面で、あまりにも飾り気がなかった。そこへ「3」と「6」のろうそくだけ立てた。味はよかった。チーズやらサワークリームやらでできているので、けっこう重たいのかしら、と思いきや、意外と軽く食べられた。そんなお祝いだった。
 夜はビールとチューハイを飲んだ。実は金曜日の夜も飲んだ。飲んだらやっぱり美味しいし愉しいのだった。休みの前夜くらい心置きなく飲むってことにしよう、と思った。毎晩だと洒落にならないけれど、このくらいなら背徳感さえも美味しさの一助になるのではないかと思う。この晩は作り置きの煮豚と煮卵があったので、インスタントのとんこつラーメンなんか作ってしまう。夜中のとんこつチャーシュー麺とビール。なかなかに背徳感が暴れ馬だったが、なんとかかんとか乗りこなし、快楽方面へ持っていった。週末だけやから。
 明けて今日は、ポルガが小学校の友達(の一家)から花見にお呼ばれして出掛けたので、僕とピイガのふたりでプールに行った。子どもに定期的にプールをさせたい気持ちはあって、しかし一家全員で行くとファルマン(しかもこの人は別に泳ぎたくない)への負担が大きく、かと言って更衣室やプールでの目配りなどの都合から僕がひとりで娘ふたりを見るのは難しいので、行く際はどちらかひとりと行って、交互に連れていけばいいのではないかと考えた。そのことを子どもたちに話したら、「じゃあポルガから先!」「ピイガから!」と喧嘩したので、話がそこから先に進まずにいた。だから今日はとてもいい機会だった。次にポルガと行く際はポルガはひとりで女子更衣室に行ってもらうが、ピイガは男子更衣室に一緒に入る。更衣室はほとんど貸し切りなのでなんの問題もなかった。僕も今週は月曜日に無理して行って(喉が少し痛いだけでそこまで体調不良だと認識していなかった)以来だったので、ちょっと久しぶりで嬉しかった。もちろんピイガを付きっきりで見ている必要があるため、ほとんど自分の泳ぎはできない。ピイガの脚を後ろから掴んで押し進めるように泳ぐ、という感じで、なんとか泳いでる感を得た。ピイガはポルガよりは人の話を聞かないということはなく、浮き方ひとつ取っても姉よりは筋がいいように感じる。水泳は自分の泳いでいる姿は目に見えないので、意識の上で自分を客観視できないと上手くならないのだが、ポルガはそれが壊滅的にできない。ピイガは周りの目を気にする性格なので、それが上手なのではないかと思う。数十分そうして過すが、そこまで体を動かしているわけではないので、体が温まらず、温水プールでもさすがに体が冷えてきたので切り上げた。休日の子どもとのプールはこんな感じか。まあ自分の泳ぎは平日にするからいいのだけど。
 午後はポルガも花見から帰ってきて、ちょっと買い物に出るかという話もあったが、そこまで緊急性のある用件でもなく、なにぶん日曜日の午後だったので、よすか、となって家でのんびり過した。おやつに昨日のチーズケーキの残りを食べる。晩ごはんは塩焼きそばと焼売。なんとなくあっさり系中華献立。焼売には2日連続の摂取となる筍を入れた。ホタルイカ、菜の花、筍、カツオ。春の美味しいものはどこか、のほほんとしている気がする。美味しかった。
 先週が1日だけの休みで、しかも4時半とかに起きて、さらにはそのあと体調不良に陥ったので、今週は思う存分に夜更かしと寝坊ができ、いい週末だった。