ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

要点を押さえたGW後半

 GWの後半が終わろうとしている。つまり今年のGWが終わろうとしている。寂寞である。
 初日の5月3日は、次女一家がこの前日の晩に移動して、既に実家に来ていたので、午前中から出向いた。春休み以来なので、1ヶ月ぶりでしかない。とは言え次女の第二子は、この間に1歳児から2歳児へという、年齢が2倍になるという大いなる躍進を遂げたのだった。すごいなあ、生まれたばかりの頃というのは。
 人が多かったので、昼ごはんの準備は買って出ることにした。材料はもちろん、ホットプレートまで持ち込んで、ソース焼きそばを作る。4玉を3回やった。
 食べたあとは、なぜだか出雲大社に行こうという話になって、僕の車と次女の夫の車の2台に分かれて出発した。地元民がGWに出雲大社に行くなんてものすごく馬鹿げた話だが、山陰では滅多にないような晴天だったので、出掛けないというのも阿呆らしく、出雲大社はともかく稲佐の浜を歩いたらさぞ気持ちがいいだろうと思った。なるべく混まない道から行こうと考え、大鳥居をくぐってご縁横丁を進む正面ルートではなく、裏側の稲佐の浜のほうから入るコースを選んだのだが、熟慮の果以むなしく、ひどく混んでいて、駐車場に入るまでだいぶ時間が掛かった。いざ駐車場に入る直前まで来たら、交差点の向こう側の、正面ルートから来る車はそこまででもないように見え、もしかしたら最近急に言われ始めた、「稲佐の浜の砂を持って出雲大社の砂と交換するのが正式な参拝法」という、これまで地元民は聞いたことのなかった言い伝えのせいで、今はむしろこっちの道のほうが混むのかもしれない、と思った。ちなみに道々の車は、全国津々浦々のナンバーで、島根や出雲はむしろ少数派だった。それはそうだ。散歩なのか参拝なのか、というような感じで境内を巡り、帰った。渋滞で時間と体力を喰ったこともあり、もう稲佐の浜はいいか、となった。僕的にはむしろそっちがメインだったのだけどな。
 実家に帰還後は、僕とファルマンだけがいったん自宅に戻り、夕方になってまた出発する。晩ごはんは鮨ということになり、ネットで注文したそれを店で受け取ったあと、実家へ再び赴いた。そして一同で食べた。1日、きちんと一族で過したな、県外に住む娘一家も帰省してきたのだし、GWに1日くらいこういう日はあるべきだな、というような日だった。
 翌日、5月4日は、次女一家は向こうの両親とともに泊りがけで広島にプロ野球を観に行く(これはこの一家の恒例行事のようだ)ということで、実家の面々とは絡まず、ゆるゆると過す。ポルガが午前中部活だったので、午後から道の駅キララ多伎へと出向き、昨日の稲佐の浜の雪辱で、海に足を浸したりして遊んだ。3月下旬に来た際は、春先の、まだ冷たい日本海であったが、今回は気候がよかったこともあり、裸足では砂浜が熱いほどだった。海開きはもちろん先で、まだシャワーも稼働していないのに、がっつり海に入って遊んでいる家族なんかもいて、こういう輩って毎年いるよな、と思った。気持ちは分かったけれど。
 晩ごはんは豆アジの唐揚げと、ミネストローネ。前晩の鮨しかり、自分が食事を担当する大型連休期間は、みそ汁が登場しないことが多く、気付けば野菜不足になっていたりするので、2日にわたって使えるような分量でミネストローネを作る。おいしかった。
 食後、せっかくGWだし、ということで久しぶりにトランプを持ち出し、大貧民をした。ちなみにだが、このGWを通し、わが家はとうとういちども誰もswitchを起動させなかったのだった。なんだかすっかりわが家のゲーム熱は下がったな。要するに、あまりゲーマー気質の人間たちではないのかもしれない。各自他にやりたいことがあるのなら、それに越したことはない。
 僕は合間の時間などはどう過していたかと言えば、そこまでバリバリやっていたわけではないが、今年も母の日にリクエストを受けたエプロンを作ったりなどしていた。プールは、会員が4月末で切れてしまい、なにも混んでいるであろうGWに行かなくてもなあという思いから、次の申し込みを先延ばしにしているため、行けていない。サウナもまた、いちどくらい行くかなとも思っていたのだが、結局行かなかった。
 それでは家でひたすら暇を持て余すGWだったかと言えば別にそんなこともなく、なんだかんだでちょこまかと動いた。3日目となる5日は、ポルガの部活もなかったので、午前中から松江へと繰り出した。目的は、ひとえに扱いの悪さによるものだろう、ポルガのスマホの不調を直してもらうためで、せっかく松江に行くのだからということで、なんかしらのイベントはやっていないものかと調べたのだが、意外とめぼしいものは見つからず、わりと純粋に、イオン松江にだけ行って帰った。スマホは店員さんが操作したら、わりとすぐによくなった。これはどうも、ちょっとした設定操作でなんとかなる、「わざわざ来なくてもよかった案件」のようだな、と感じたが、店員さんがやけに感じのいい人で、横溢する「わざわざ来なくてよかった案件」の香りを、ふわっと煙に巻くような感じの説明で、「そんなことなかったですよ案件」にしようとしてくれている様子だったので、こちらもそれに乗っかり、「来てよかった案件」として処理することにした。すばらしい大人たちの処世術だな、と思った。
 そのあと、せっかくだからということで、松江のブックオフに立ち寄る。初めて入った店。しかし近ごろブックオフって、本当に買いたいと思えるものがなく、そしてそれはブックオフではなく、100%僕のほうに原因があるので、かつて愉しめた場所が愉しめなくなったという種類の、いかにも中年的なアンニュイさに襲われるのだった。そしてこの精神の流れは、いつも入店してから思い出すのだ。入店する前は、過去のイメージから、いつもわりと意気揚々としている。ちなみに買わなかったけれど、二次元ドリーム文庫や美少女文庫が、110円の棚にずらーっと並んでいたので驚いた。この現象こそが、僕のブックオフとの距離を象徴しているな、と思った。かつてこれらのレーベルの文庫は、需要によるものだろう、よほど汚れているとかでない限り、滅多なことでは110円の棚には行かなかったのだ。400円とかしたのだ。それが今ではほとんどが110円になってしまった。そして在庫処分のように110円の棚に多く並ぶのは最後の輝きで、そのあとはもはやブックオフというフィールドからいなくなってゆくんだろう。哀しい。並んでいるものには、人生の途中で泣く泣く手離したようなものがわりとあって、ここでまた手元に置いておこうかな、ラストチャンスかもしれないな、などとも思ったのだが、娘たちに隠れてレジを通すのが、不可能ではないだろうが億劫だな、と考えてよした。自分も、ラノベ系文庫エロ小説も、すっかりフェーズが変わってしまったのだな、と切なくなった。娘たちは、漫画や児童書を何冊か買っていた。それでいい。それでいいんだ。
 帰宅した午後は、おやつに買って帰った柏餅を食べ、あとの時間は各自やりたいことをして過した。晩ごはんは、ミネストローネと、スーパーで買った味付きの焼くだけの豚肉だったのだけど、こちらがあまりおいしくなくて残念だった。
 夜は、この前の晩から2日がかりで、金曜ロードショーで放送した「すずめの戸締まり」をファルマンと観終えた。作品の世界観を理解してもらうための説明なんて、いつの間にかもう一切しなくていいことになったのか、と思った。そうだったのか。いつからだよ。
 かくして今日、6日がGWの最終日。ファルマンと子どもたちは午前、兵庫に戻る次女一家の見送りのため実家へ。広島みやげとして、もみじまんじゅうをもらって帰ってきた。僕はエプロンをとりあえず完成させた。今日はもうどこへも行かず、明日からの平日に向けて体制を整えようと思う。
 今年のGWは、遠出こそしなかったが、「渋滞」(出雲大社)、「親戚の集い」、「海遊び」、「高速道路移動」(松江)と、要点だけはやけに押さえた日々だった。というわけで、まあ悪くなかったんじゃないかと思う。ひどい疲労感とかもないし。さあ、ここから夏までは、わりとストイックな日々だな。次女一家もさすがに夏休みまでは現れまい。せいぜい気丈に暮そうと思う。

主におろち湯ったり館について書いた週末の日記

 今週も土曜日が出勤で、水曜日はたしかに休みだったのだけど、なんか週の半ばの休みって逆にリズムが崩れてじわじわしんどかったりするのだよな、という感じもあり、さらには日々の激しい寒暖差もあって、最終的にはじっとりとした疲労感があった。その疲労感で挫けそうにもなったのだけど、だからこそ積極的に癒すための行動をしなければならないと奮起し、今週の予定として当初から目論んでいた、労働後のおろち湯ったり館行きを決行した。いつも言っているが、職場とおろち湯ったり館は、自宅を挟んでまるで逆方向なので、行くことにするまでがかなり億劫と言うか、このまま帰っちゃえばなにより楽だな……、という衝動に駆られるのである。しかしその誘惑に負けて行くのを取り止めると、翌日の日曜日も、そして翌週も、やっぱり行けばよかったな、行かないといけないな、という葛藤に延々と苛まれることになるので、もはやそれを回避するのが目的で行ったようなものである。こうなると僕のおろち湯ったり館行きは、なにを求めての行為なのかいよいよ分からなくなってくる。
 しかし自宅のすぐ横を通り過ぎて、おろち湯ったり館への道のりへと車を進めてしまえば、もうその億劫さからは解放されて、純粋に愉しみな気持ちだけになる。このときの気分の良さは、やはりおろち湯ったり館の持つパワーだろう。日も長くなって、道中はまだ明るかった。この分なら先週から再開した2階での外気浴も、はじめのうちは、すっかり陽が落ちてしまう前の、暮れなずんでゆくさまを愉しめることだろうとわくわくした。
 無事に到着し、男湯は今回も木風呂のほう。サウナ室が大きいので、こちらのほうが嬉しい。いつもは最初にプールに行きがちなのだが、今日は日没のあわいを求めて、サウナから始めることにした。短縮営業の冬時間も終わり、混雑も緩和されたようで、人の入りはほどほどで、サウナ室の温度も高く保たれ、よく効いた。前回、真冬に来たとき、サウナの熱に包まれながら、鼻腔のあたりがほどけていくという、寒いとき人って鼻腔が縮こまるんだな、と実感する感触があったのだけど、前回よりはだいぶ気温の上がった今回も、淡くその感じがあった。顔の中心にある鼻腔がこうも物理的な感じで収縮するのだとしたら、人相というのも寒いときと暖かいときでだいぶ変化するのではないか、などと思った。サウナ室を出て、水風呂ののち、2階に上がって外気浴。ベンチで横になる。雲が猛スピードで移動するような、めまいまではぎりぎり行かない、アルコールを伴わない酩酊感のようなものが訪れる。これがいわゆる「ととのう」なのかどうかは知らないが、1杯目のビールと同じ、受け止めきるには身構えが必要な、もとい快楽の度合がオーバーして、逆にちょっと負担でさえあるというような、そんな感覚。それが純粋に快感なのかどうかは別として、日常生活では生じ得ない角度から、日常生活で溜まった澱が払拭される感じがある。億劫さをおして来た果以があった、やっぱりおろち湯ったり館は裏切らない、と1セット目のサウナで早くも満足した。そのあと何セットか繰り返し、陽はすっかり沈んで、頃合を見計らってプールにも行ってひとしきり泳ぎ、しっかりと堪能した。今回もいいおろち湯ったり館だった。
 今回の客層の特徴として、珍しく若者のグループが多かった。脱衣所で彼らの会話が耳に入ったのだが、「おろち湯ったり館、すげえよかった」という話をしていて、「「ゆらり」はアレだし、温泉津もナンだし」みたいなことを言っていて、なんだよこいつら、愉しそうだな、と思った。「サウナイキタイ」のユーザー同士の絡みは、AMラジオ感があってものすごく嫌いなのだけど、でも実際にこうして仲間グループでサウナに来ている人たちを見ると、愉しいんだろーな! ずっちーな! という気持ちにさせられる。とても久しぶりに、友達が欲しい気持ちがむくむくと膨らんできそうになった。やはり友達というのは、裂傷部分、欠損部分に入り込む細菌なのだな、と改めて思った。
 帰宅して、休日前の夜を愉しむ。平日はきちんと休肝したので、3日ぶりの酒だ。「秋山歌謡祭2024」や、昨日観られなかった「不適切にもほどがある!」など観ながら、ビールや赤ワインを飲む。白ワインから始め、赤ワインにも手を出し、そして最近はすっかり赤ばかり飲むようになった。白に較べて赤はエグい、と最初は思っていたのだけど、飲むようになったら、白のほうがむしろエグいと感じるようになった。なんとなくこの感覚は通っぽいような気がする。「そう? 白のほうがむしろエグいと思うけどな」みたいな。そして赤ワインに合わせて、肴はチーズだったりする。チーズに赤ワイン! パピロウ変わったね!
 翌日の今日は、特に予定もなく、のんびり。午前中はドラクエ11を進める。世界崩壊後、ドラクエ4ばりの、仲間キャラそれぞれの物語のようなものが展開されていたが、今日でやっと主人公(ちなみに名前はパッピローニ)に話が戻った。ここから仲間との再会が描かれてゆくのだろうな。長いな。
 午後は久しぶりにキララ多伎のほうに行って、海を見たりした。肌寒い曇り空の日本海。これが季語でいうところの「春の海」だな、としみじみと思った。しみじみと思ったが、なにも句は思い浮かばなかった。しみじみと思ったが なにも句は思い浮かばなかった 春の海(字余り)。
 晩ごはんは鶏もも肉のステーキと、新じゃがのフライドポテト、マッシュルームの卵スープ。お前それ赤ワインを飲むためのメニューじゃねえか、という感じだが、そう言えば夕食時は飲まなかったな。ワインを飲むと、そこでもう夜が終わる感じがあるから、夕飯時にはちょっと飲みづらいのだ。このあと「光る君へ」を観ながら飲もうと思う。

GW後半の前半

 3日からのGW後半の部もそろそろ終わりを迎えようとしている。物寂しい気持ちでいっぱいだ。過ぎ去った日々を惜しみたい。過去を振り返りたい。前だけを向いて生きていきたくない。というわけで、この日々の行動を、日記として記録していこうと思う。
 3日は、5連休の初日でありながら、実はメインイベントのレジャー日だった。初日がお愉しみとしてはピークなので、あとはもう右肩下がりというか、尻すぼみである。しかし4月の中旬、「hophophop」にも書いたが、まったく読めない半月後の気象を、気にしても仕方ないと予約を申し込んだこの日程だったのだけど、結果として連休の後半は強風だったり雨だったりと大気が不安定になったので、まだ平穏な気候だった初日に行くことにして、賭けに勝った感があった。
 行ったのは雲南市にある、フォレストアドベンチャー・たたらの里である。これは最近できたという、自然の森を利用して作られたアスレチック施設で、事前に予約を入れる必要のある、(なかなかの金額の)有料の、命綱を付けて行なう、かなり本格的な所なのだった。
 画像としては、このような感じになる。
 

 山の麓に位置する森に、樹木や、その傾斜を利用して、アスレチックが作られている。基本的に、木から木へ、伝われた縄を頼りに、中空のステップなどを渡って進んでゆく。ご覧のとおり、木の高さはかなりのもので、それが山の少し登った高みにあるのだから、奥に見える駐車場などとは、別世界と言ってもいい標高である。そんなことは知るまでもなく、プレイヤーは子どもたちだけで申し込んだのだが、気の迷いで自分もやることにしたりしないで本当によかった。高所恐怖症の人間には到底耐えられない高さである。
 

 目玉はジップラインで、子どもたちが今回行なった初級者向けのコースでも、70mくらいの距離がある。ハイレベルのほうだと140mだそうで、駐車場に車を停めて、なるほどあそこがアスレチックになっているのだな、などと山を眺めていたら、視界の端から端の空中を、人がスーーーッと通り過ぎていったので驚愕した。僕がやったら気絶すると思う。
 それにしても画像が、消しゴムマジックで消してやったかのように、うちの子どもたちしか映っていない。加工はしていない。これは本当に、GWの、事前予約が必要な施設なのか。まあ実際はそれなりに人はいた。いたと言っても、3月の横浜で行ったアスレチック施設のような人出ではもちろんない。
 ちなみにやり終えた結果、子どもたちは大いに愉しんだようで、レジャーとしては大成功だった。
 翌日4日は、道の駅のキララ多伎でGWイベントをしているというので、昼過ぎに少しだけ出向いた。こちらは正真正銘、かなり混雑していた。第二駐車場までがほぼ満杯で、さすがはコロナが終息したGWだな、と感慨深かった。なんとか車を停め、施設のほうに向かうと、ちょうど高校の吹奏楽部のステージが行なわれている最中だった。高校の吹奏楽部はとても上手で、なにより若さが弾けていて、胸を鷲摑みにされるような感動があった。この感動には、たぶん親としての気持ちも混じっている。高校生を眺めるとき、もう完全に親の目線になった。親の目線で、部活をがんばった我が子たちの姿が眩しかった。
 

 そのあとは海のほうに降り、波打ち際で少しだけ遊ぶ。この画像もまた、混雑だなんて嘘っぱちじゃないかとしか思えないが、まだ海水浴の季節ではないので、まあこんなものだろう。もちろん砂浜で遊んでいる人はそれなりにいた。それなりにいたと言っても、島根県における「それなり」ではあるけれど。
 初日と2日目はだいたいこんな感じ。最初に右肩下がりと書いたが、本当にそうで、フォレストアドベンチャー、キララ多伎と来て、あとはもう本当に大してどこにも行っていない。でも生活をしていなかったわけではないので、それらの日々についても書く。しかしここでいちど記事を分けることにする。

岡山旅行&横浜帰省記 7 完結

 江ノ電はひどく混んでいた。今回乗った電車の中で、断トツだった。いったいこれがGWにはどうなってしまうのか、とまた思った。予定通り、由比ヶ浜駅で下車。由比ヶ浜駅というくらいだから、降りたらすぐに砂浜の風景が広がるのかと思っていたが、意外とそんなことはなかった。どうも人の流れ的にこちらが海らしい、という方向へ、住宅街の中をしばらく歩いて、ようやく着いた。この道の途中や、あるいは沿岸にコンビニのひとつもあるだろう、そこで食べ物の追加や、そしてノンアルコールビールを買おうと画策していたのだが、意外とひとつもなかった。仕方ないので先ほど調達したもので我慢することにした。箱を開けてみたら稲荷ずしは思っていたよりもボリュームがあったので、食べ物の分量的には問題なかった。ノンアルビールはだいぶ恨めしかった。食べていたら、上空をトンビの大群が旋回し始め、子どもが怖がる。それを憂えたファルマンが、持っていたビニール袋を頭上に突き上げ、変なステップを踏みながら振り回すという、トンビを追い払っているのか人を追い払っているのか判らない謎の動きをしたのでとてもおもしろかった。
 食べ終わったあとは、長谷の方面に向け、砂浜を歩く。わが家は、日本海や瀬戸内海には馴染みがあるけれど、太平洋とはほとんど接触がない。一応みなとみらいでも目にはしているのだが、あれはあまり海という感じがしない。歩いて分かったが、日本海と太平洋の大きな違いとして、太平洋の砂浜には、ハングル文字のプラごみがない。
 長谷駅までは歩いたらけっこうあった。そして長谷駅から、いわゆる鎌倉の大仏のある高徳院までも、けっこう距離があるのだった。しかもゆるやかな上り坂。ファルマンとふたりで来たときも同じ道を歩いたはずだが、まったく記憶にない。こんなにけっこう行くまでに苦労したんだったっけ、大仏様ちょっと奥に移動してない? などと思った。
 高徳院に着き、大仏に相対する。おー、という感想。写真とかテレビで見たことあるやつー、と思った。バカな感想だな。僕とファルマンとポルガの3人は、つい最近「ブッダ」を読んだばかりなので、特別な感慨を持てばいいだろうに、あまりそんなことはなかった。大仏の内部も入れたので入った。たぶんこれは初めてじゃないかと思う。内部が特別どうこうということはなかったが、あの鎌倉の大仏の中に入ったという事実がおもしろいと思う。
 鶴岡八幡宮、小町通り、由比ヶ浜、鎌倉の大仏という、王道ルートをこなし、これにて鎌倉観光は終了。これから長谷駅まで歩いてそこからまたあの激混みの江ノ電かー、とテンションが下がっていたら、高徳院を出てすぐの所にバス停があり、鎌倉駅まで行ってくれるというので飛び乗った。座ることもでき、とても楽だった。
 帰りの電車で母と話をしていて、由比ヶ浜の話題になり、母が「波の音って本当にうるさくて嫌」と言ったのが印象的だった。ああ、この人は息子一家と鎌倉に来て、由比ヶ浜を見て、そしてしみじみと、「波の音がうるさい」ということを思うんだな、ブレないな、と思った。母がこれからもずっとこうやって、老人的なみすぼらしさを見せないでくれたらいいと思った。
 帰りがけにスーパーに寄り、夕飯の買い出し。メニューをどうするか問われたので、焼き鳥やシュウマイや煮豚や枝豆など、おつまみっぽいものをこまごまと作ろうと提案した。帰宅すると既に甥は実家にいた。それから叔父と姪を車で迎えに行き、夕餉を始める。陽射しを浴び、よく歩いたあとの焼き鳥とビールが、どこまでもおいしかった。途中で姉と、今晩は義兄もやってきて、全員集合となる。全員が集合したので、3年ぶりに全員での写真を撮った。見較べてはないが、3年分子どもたちが大きくなっているだろう。それ以外はあんまり見た目の変化はないだろう。
 翌日は最終日。なんとこの日も予定が入っている。新幹線は午後2時新横浜発なので、午前中だけなのだが、ここが今回の帰省で唯一の、いとこで遊べるチャンスなので、姉と事前に協議した結果、つくし野のアスレチック施設に行くことにしたのだった。しかしここまで岡山・上野・鎌倉と動き回り、さらには夕方からは岡山から島根までの運転が待っている身としては、今日はもういいんじゃないか、姉の家の大きなテレビでWBCの準決勝を観る、というのでいいんじゃないかと、やんわりと提案したのだけど、アスレチックにテンションを上げる子どもたちにそんな声が届くはずもなかった。というわけで朝からアスレチックへ。姉によると、ここには自分が子どものころにも来たことがあるそうなのだが、まったく覚えがなかった。園内を巡っているうちに痛烈に思い出す瞬間があるかもしれないと期待していたが、結局最後まで一切の思い出がなかった。子どもたちは普通の公園にはないレベルの設備に、躍動していた。こいつらはもう、こどもの国じゃなくてこっちなんだな、もとい数年前から実はそうだったんだな、と見ていて思った。そして子どもたちをアスレチックで遊ばせながら、大人たちと言えば、やはり誰もが明らかにWBCの試合状況をチェックしているのだった。大抵の大人は、家でWBCを観たいに決まっているのだ。それでも子どもとアスレチックに行く約束をしてしまったから逃れることができなかったのだ。試合は敗色濃厚の様相を呈し、諦めムードの中、われわれのタイムリミットは迫り、アスレチックを後にする。その施設から出て駐車場の車まで歩いている途中で、周囲からワーッという叫び声が響き、慌てて車に飛び乗ってラジオを付けると、村上のサヨナラタイムリーで日本が勝っていた。タイミングが特徴的だったので、なかなか印象深い記憶になったと思う。
 そのあとはいったん帰宅し、少し急いで昼ごはんを食べ、1時ごろに実家をあとにする。濃厚であっという間の2日間だった。
 そのあとは新横浜で新幹線に乗り、5時半ごろに岡山に到着。岡山から再びかつての居住地の街へと移動し、3日間、見知らぬ街に置いていかれていた愛車に乗り込んだ。ここから3時間の運転である。この街に住んでいたらここで行程はおしまいなわけで、楽だなと思うが、でもやっぱり、これは前向きな発言として、ここに住んでいた頃よりも、今の島根県での暮しのほうが好きだな、3時間余計に掛かっても島根の暮しがいいな、というふうに思ったので、自分のことながら安心した。3時間は、ポルガのプレイリストを聴きながら、愉しく運転した。今回は本当にギチギチのスケジュールだったのだが、無事にすべてをやり遂げることができ、よかった。帰省して数ヶ月は、「さすがに顔を出さないとなあ」という懸念から解放されるのがいい。GWはたくさんのんびりしようと思う。

疲れるスイミング指導と稲佐の浜で壊れたスマホといい刺身の手巻きずし

 ポルガが市でやっている工作教室のようなものに参加していて、それが開催される土曜日で、かつ僕の労働が休みのときは、僕がピイガを連れてプールに行く、というのが、今回から施行されることとなったわが家の恒例のパターンで、今週はそれの初回であった。というわけでピイガとふたり、プールに行く。もちろん会員になっているいつものプールである。実は昨晩、金曜日の退勤後にも僕は行っていたので、15時間くらいしか間が空いていない。大みそかから5月まで泳がずにいたことを思えば、とんでもない間の詰まり方である。ピイガは、去年の10月24日に家族でおろち湯ったり館に行った記録があるので、泳ぐのはこれ以来だろう。果たして今年の夏は、学校でプール授業はあるのだろうか。だいぶ怪しい。せいぜいこうして、ポルガも含め、練習のために連れてきてやろうと思う。半年以上ぶりのプールで、ピイガは初めのうちは戸惑い、体の動きが見事にバラバラだったが、ぴたりと横について矯正し、1時間半ほどやって、まあまあ整った。顔を水につけるのができないとかではないので、体の動きさえ身に付けばそのうちいい具合に泳げるようになるだろう。
 子どもとの午前中のプールは気持ちがよく、夜は夜でファルマンとHIITをして(なんだかいやらしい行為の隠語のようだが、YouTube動画に従いながらの純然たるエクササイズである)、実に健康的に過した1日だったのだけど、少しオーバーワークだったのか、次の日に疲労が残った。水の中での指導って、自分でクロールで泳ぐのとはぜんぜん別の力が入るらしい。
 残っていたのだが、好天の日曜日だったので、外出しないのももったいない気がし、子どもは公園をせがんだがそれは回避し、稲佐の浜なんかに行ってみる。地元民はあまり、「よし、稲佐の浜に行こう」と言って稲佐の浜に行ったりしないので、ずいぶん久しぶりだった。


 引き潮のタイミングだったようで、あの巨岩はすっかり陸上にあり、間近で見ることができた。季節もいいのか、岩の上の草むらに花も咲いていて、本当にとてもよかった。稲佐の浜って、前に来たときはもっと、荒々しくて素っ気なくて武骨な感じがあった気がするが、観光地化に力が注がれたようで、周囲の整備も進められていて、どうやらいい具合に仕立て上げられているらしかった。いいことだと思う。実際に人出もそれなりにあった。僕と子どもたちは、海に足を浸しもした。海の水はまだ冷たかった。日中は夏日になってそれなりに汗ばんだりもするが、まだ朝晩はだいぶ涼しいものな。
 そんな、来てよかった大満足の稲佐の浜だったのだが、ここでアクシデントが。ファルマンがスマホや一眼レフでの撮影中、スマホを地面に落下させてしまい、そこからスマホがうんともすんともいわなくなってしまったのだった。でも充電がちょうどなくなっただけかもしれないから充電しよう、とか、カードをいちど抜き差ししてみよう、とか、帰宅後にもいろいろ試すが、それでも一切の反応がない。ファルマンがスマホを落とすところを、僕は波打ち際から見ていたが、ぽとり、という感じで、そこまで強く落ちた様子はなかった。ファルマンの使っていたスマホは、僕が1年ちょっと前に、スマホをポケットに入れて持ち歩いていなければならない環境になったため、買って使っていたもののお下がりで、その当時になんども、走った際に尻ポケットからスマホが放り出される、なんてことがあったので、そんな程度で壊れるはずはないと思った。だとしたら原因は砂だろうか。稲佐の浜の砂は見るからに細かかった。さらには落としたあとに拾い上げたら、元々のものなのか、整備工事によるものなのか、その場所の砂には砂鉄がだいぶ含まれるようで、スマホにはカバー越しに砂がびっしりとくっついていた。めっちゃ細かい磁力交じりの砂。なるほどいかにもスマホによくなさそうだ。だとしてもいちど落としただけで瞬殺とは。たまたまだろうか。落としただけでスマホが壊れるのなら、稲佐の浜の観光地化に暗雲が立ち込める。ファルマンのスマホは、そもそもが安物の僕のお下がりだから諦めがついた。これが10万円くらいするような最新のものだったら目も当てられない。
 ともかく急いで新しいものを調達せねばならず、ネットも見たが、これというものは見出せず、仕方なく午後ふたたび車を出し、家電量販店へ。しかし家電量販店というのは、SIMフリーのスマホ本体だけの販売なんてことはしていないそうで、諦めかけ、ネットで注文したらあさってには届くかねえ、などと話していたが、ふと思いついて中古屋に行ったらわりと新しいものがお手頃な値段で売っていたので、ええやん、となって買って帰った。まあ本当に、そもそもがお下がりだったから、壊れても「まあしょうがないか」となったが、普通に考えればひどい話である。ともあれファルマンのスマホは、これまでよりちょっとスペックがよくなって、刷新された。
 帰宅後は、そもそも昨日からの疲労があったのに加え、浜辺で陽射しを浴びたのも効いたのか、いよいよぐったりしたので、最近にしては珍しく、昼寝をした。窓を開け、5月の16時の風を感じながらの昼寝は、こういう気持ちよさを感じるために生きているのかもしれない、と思うほどに心地よかった。
 晩ごはんは手巻きずし。GWに実家でもやったが、たらこやアボカドなど、にわかに周囲の材料がいい具合に調達できたため、外堀を埋められるようにして機運が高まった。刺身はいつもの、近所のスーパーの日曜日に出す盛り合わせだったのだが、なんか今日はこのラインナップの質がやけによくて、マグロなんか明らかに中トロで、サーモンも水っぽくなく、だいぶ祝福されていた。そうして家族で囲む手巻きずしは、やはりとてもおいしく、しあわせを感じた。手巻きずしの多幸感は、なんか突き抜けていると思う。たらこマヨや玉子焼きは途中で売り切れ、刺身は予想通り余った。日曜日の夜の晩酌の肴が豪華だと嬉しい。このあと「鎌倉殿の13人」を観ながら、いい刺身で酒を飲むのだ。

広島旅行2022浅春 ~ファルマン38歳最後の叫び~

 宮島から本州に戻ったあと、ホテルに直行するにはまだわりと時間があった。たぶんそうなるだろうと思いつつ、しかし宮島に予想外に長居する可能性もなくはなかったので、この間の計画はふんわりとしていた。眼鏡を新調したいという思いがずっと燻っていて、しかしながら島根で見る店ではこれぞというものに出会えず、今の眼鏡を作った倉敷のアウトレットのゾフにいつか行く日までは耐えるしかないか、と思っているのだが、もしやと思って事前に検索したところ、広島市街から少しだけ外れた所にある、イオンが経営するというジ・アウトレットという施設に、ゾフが入っているのを発見し、ワンチャンそこへ行くのもありなんじゃないかと目論んでいたのだが、いざ家族旅行に身を置いてみると、自分の眼鏡のためだけに、妻子はたぶんまるで魅力を感じないだろうアウトレットモール行きを断行するのは、間違いなくいい結果をもたらさないと判断し、あきらめた。あきらめて、かなりホテルまでの通り道といってもいい立地なので、おそらく時間が余った場合はここに立ち寄るのが現実的だろうと考えていた、マリーナホップという商業施設に赴いた。海沿いの、埋め立て地に作られた施設で、どうも正直あまり盛り上がっていないらしく(2025年に解体予定だそう)、入っている店もあまり聞いたことがない、縁のないものばかりなのだが、ここの一角にマリホサーカスと銘打って、小さい子向けのミニ遊園地があるというので、それ目的で参った次第である。1回300円くらいで、すべての冠にミニがつくような、ジェットコースターやバイキング、ディズニーランドで言うところの空飛ぶダンボみたいな乗り物に乗れて、なにぶん遊園地のない島根県の子どもたちなので、これでも目にした瞬間、十分にワクワクした様子だった。子どもたちは、急流すべりという、流れる水の上を進む乗り物と、あとファルマンと3人でジェットコースターに乗った。


 ファルマンは3人の貸し切りだったジェットコースターで大きな悲鳴を上げていた。たぶん大の大人が悲鳴を上げるようなジェットコースターでは決してないのだが、そんなジェットコースターでさえ断固として乗るのを拒んだ僕がそれについてとやかく言う筋合いもない。ちょうど前回の鳥取の、子どもの国のゴーカートを踏襲するような動きとなり、いい具合に愉しんで時間を調整することができた。
 それから車はちゃんと都会の広島市街の中心部へと突入し、スーパーに寄り道して(駐車券があった!)酒など買い込み、さらにはこれも前回と同じ、夕食としてのスシローの、予約しておいたものを受け取って、ホテルへと無事に到着した。土地勘のまったくない広島において、それなりに入念な準備をして、うまく立ち回ったものだと思う。もっと家族から褒められてもいいと思うので、ここで僕自身が褒めておく。
 つづく。

広島旅行2022浅春 ~宮島のログポース~

 唐揚げの匂いに反応したのかなんなのか、鹿たちの食いつきたるや、とんでもなかった。宮島の鹿には食べ物を与えてはならず、鹿せんべいのようなものも販売していなくて、ということはどこかできちんと餌が与えられているはずで、そっちの心配がないからこの鹿たちはこんなにも超然とした面持ちで、悠然と人ごみの中を闊歩しているのだろうと思っていたのだが、お弁当を広げる様子を見せるやいなや、顔は相変わらずの超然顔のまま、わらわらと湧き立つように無数の鹿が姿を現し、われわれ一家の座るベンチを取り囲んだのだった。本当に囲まれたので、囲まれた図というものを写真に撮ることはできなかった。公園内にいた他の人たちが、鹿が群がる様子をおもしろがってスマホを構えていたので、「宮島の鹿に取り囲まれてる一家がいたんだがwww」としてネットにアップされているかもしれない。
 もちろんお弁当はとても食べられるはずもなく、早々に避難する。登ってきたのとは別の口から、傾斜になっている公園を下ってゆくと、要所要所にベンチや東屋が設置されていたので、近くに鹿がいないのを確認して、「ここならいいだろう」と腰を下ろし、お弁当を広げた。すると、ぬ、と、本当に空気中の粒が結合して発生するかのように鹿が音もなく現れ、たまらず退散、ということをさらに2回繰り返した。鹿、がつがつした素振りは一切見せないが、飄飄と執拗だった。飄飄と執拗。これを鹿のキャッチコピーとしよう。
 仕方なく公園での食事はあきらめ、厳島神社に向かって歩いた道に再び出て、海に向かって備えられたベンチを確保し、そこで食べた。ここにも鹿はいたが、なにぶん人が多いので、こちらに殺到してくるということはなかった。自然の中だと鹿が強すぎた。
 腹ごしらえをしたあとは、おみやげを物色する。子どもたちはばあば(義母)から、広島で好きなものを買ってね、という小遣いを受け取っていた。いろいろな店を眺め、ポルガは厳島神社の鳥居の形をしたお守り、ピイガは鹿のかわいらしい置き物を買っていた。僕はなんといってももみじまんじゅうだ。もみじまんじゅう、叔父が出張で横浜の家に来るたびに手みやげで持ってきたので、小学生の頃はよく食べていた。僕があんこに関し、極度のこしあん派であるのは、たぶんもみじまんじゅうの影響だろうと思う。とにかくこしあんのもみじまんじゅうが好きだった。ところがある時期から、もみじまんじゅうの中身にバリエーションが生まれ、叔父はそのアソートセットのようなものを持ってくるようになり、それにはつぶあんだのチョコレートだの、食指が動かないものが多く入り、その分こしあんが少なくなっていたため、忸怩たる思いを抱いた。さらにそのあと、もはやもみじまんじゅうでさえない、桐葉菓というものを持ってくるようになり、いよいよ僕ともみじまんじゅうの縁は遠のいたのだった。しかしながら、とうとう宮島にやってきたのである。懐かしのもみじまんじゅうを、思う存分に自由に買えばいいのだ。というわけで、こしあんだけの時代、叔父がよく持ってきてくれた、やまだ屋で、1個ずつで売っているのを、こしあんを中心に、熟考の末に選んで買った。抹茶や、期間限定の桜もち風というのも買った。


 しかし買って、帰りのフェリーに乗ったあたりで、(あれ、もしかして、桐葉菓がやまだ屋なだけで、俺が子どもの頃にいちばん好きで食べてたメーカーって、にしき堂じゃなかったっけ……)ということが頭をよぎった。やまだ屋のそれが、記憶のそれとパッケージがぜんぜん違うのは分かっていたが、しかしそれは時代によるものだろうと解釈していた。しかし思えば思うほど、やまだ屋じゃなくてにしき堂のような気がしてくるのだった。そのあとインターネットでちゃんと調べたところ、やまだ屋でもにしき堂でもなく、藤い屋だった。なんじゃそりゃ。もっとちゃんと下調べしてから臨めばよかったな。とはいえやまだ屋のももちろんおいしかったし、別に藤い屋の味を覚えているわけでもない。というか、たぶんほとんどのもみじまんじゅう、そう味に違いはない。そもそも味にそうそう違いの出るような菓子ではない。
 まあそんな宮島探訪であった。とにかく鹿がおもしろい島だった。うさぎの大久野島、鹿の宮島と、広島の島はキャラが立ってるな。ワンピースみたいだな、と思う。
 つづく。

広島旅行2022浅春 ~鹿~

 実は今回の広島旅行を計画するまで、宮島のことをあまり把握していなかった。本当に海に浮かんでいるほうの島ではなく、児島とか水島とか、それこそ広島とかの、かつては島だったのかもしれないけど今はもう本州の一部みたいな、そういう類の地名かと思っていた。厳島神社が海上にあるというのは知っていたのだけど、つまり広島市の浅瀬にあるのだろうと勝手に解釈していた。ガイドブックを見たらしっかりと島だったので驚いた。
 フェリーで近づくと、島はだいぶ大きかった。大久野島より大きいのはもちろん、直島よりも実は大きいのだ。ちなみに宮島というのは通称で、お宮、すなわち厳島神社があるから宮島と呼ばれるだけで、正式には厳島だという。そして厳島神社の印象がとにかく強いものだから、神の島的な、文字通り厳かな、閉鎖的な空間のようなイメージが浮かびがちだが、島内には小中学校もあり、水族館もあり、商店街もあり、とにかくなんだか一筋縄ではいかない島なのだった。
 船着き場から出て、右に向かう。左方面は普通の町ゾーンのようだった。歩いて少しすると、海のそばに平清盛の像が建っていた。厳島神社と言えば平清盛。さも詳しい人のように言ってみたが、もちろんそれも今回ガイドブックで知った。「鎌倉殿の13人」では、先々週あたりに病死していて意外だった。なんか昔の読み物では、平清盛は義経の進撃に顔を真っ赤にして怒る、みたいな場面があったような気がするが、記憶違いだろうか。とりあえず娘らを隣に立たせて写真を撮った。
 それからさらに進むと、厳島神社までの道はひたすら観光地の賑わいで、みやげ物屋やら屋台やら人力車やらの風景が広がる。その喧騒の中に、ひょいと鹿がいた。宮島には鹿がいるということは当然ガイドブックで読んでいたが、本当にこんなにもひょいといるのかとびっくりした。そして鹿は、がやがやとした人間界のざわめきなど完全に遠い世界の出来事であるかのように、やけにきれいな無表情で、超然と歩いていた。厳島は言うほど厳かな島ではないな、と思っていたのが、この鹿の登場によって覆された。やっぱりすごい島なのかもしれない、と思った。
 数頭の鹿とすれ違いながらさらに進むと、右手の海上に例の鳥居が見えてきた。あの有名なやつである。実はフェリーからも見えた。しかし鳥居はいま、と言っても数年も前から改修工事中で、灰色の覆いが掛けられているのだった。まあそれは残念は残念なのだろうが、改修工事の終了時期は未定とのことで、待ってもいられないので仕方がなかった。
 入場料を払って入った厳島神社は、まあまあさらっと通り過ぎた。神社って、本尊みたいなものがあるわけではないので、いざ行ってみると結構さらっと終わる。とはいえ世界遺産である。世界遺産。世界遺産だからってとんでもなく見応えがわるわけではない。ちなみに潮の満ち引きによって、厳島神社のエリアから完全に水が干上がるタイミングもあるそうで、そうなるとたぶんさらに見どころはなくなる。幸いこの日の満潮は午前10時半で、その1時間後くらいだったので、まあまあいいタイミングだったろう。


 神社を見終えたあとは、お腹が空いたのでお弁当タイムにする。今回もちゃんと早起きして拵えてきた。さてどこで食べようかと地図を探り、弥山という山の頂上まで行くつもりはないが、その中腹、もとい麓らへんにある公園で食べようじゃないかと、みやげ物屋の商店街を抜け、坂を上り、目的地に到着する。宮島と言えばなんといってももみじで、だから紅葉の季節が1年のピークなのだろうが、公園には満開の桜が咲き誇っていて、なかなかどうして、宮島で桜というのもオツじゃないか、と思った。いい具合のベンチもあり、それではここで昼ごはんをいただくことにしようと、荷解きを始めたそのときである。


 ぬ、と厳かに現れたのだった。
 つづく。

広島旅行2022浅春 ~トラウマと思い出と深層心理~ 

 去年11月の鳥取旅行の成功に味を占め、また旅行をしてきた。今回の目的地は広島である。
 鳥取の次は広島だな、ということは前回の旅行が終わってすぐの頃から考えていて、しかし春から6年生となるポルガが、5月だか6月だかに修学旅行で広島に行くらしいので、それとあまり時期的に近すぎるのもちょっとなあ、などと逡巡していたところへ、このたびの第6波によって、修学旅行の行先はあえなく県内に変更されたため、なんの障害もなく広島への家族旅行が決行された。日取りは最初、4月の後半あたりで考えていたが、各人の予定であったり、GWとの兼ね合いであったりの理由からだいぶ早まり、4月2日3日となった。ホテルの予約を取る作業をしたのが3月中旬のことだったので、決めてから本番までが本当に早かった。
 でも結果として、これはとてもいい日取りだった。子どもたちが春休み中なので疲労に関して気兼ねをしなくていいし、なにより2日目がファルマンの誕生日である。誕生日に旅行をしているなんて、なかなかやろうと思ってできることではない。
 天候は、1週間前の週間予報では、広島に雨マークがあって戦々恐々としたが、2日前くらいになると掻き消え、心配なくなった。逆のパターンも往々にしてあるが、1週間前の週間予報って本当に意味がないな。目安にさえならない。
 土曜日は朝早くに出発する。張り切るあまり、僕もポルガも早く起きすぎて、ファルマンを怒らせた。愉しみなことがあると、どうしても早く目が覚めてしまう。その点ファルマンはすごい。どんなイベントが待ち受けていようと、「自分は朝が弱いのだ、朝はなるべくなら起きたくないのだ」というスタンスを崩さない。貫いているな、とも思うが、もしかするとこの人はこの世のなんにもそれほど愉しみじゃないのかもしれない、そういう人なのかもしれない、とも思う。
 道のりは、三次までは、岡山との行き来と同じやまなみ街道で、そこからざっくり言うと、右下(南東)に行けば尾道福山岡山方面で、左下(南西)に行けば広島方面である。これまではひたすら右下方面、すなわち尾道線にばかり進んでいたわけだが(それももうだいぶ久しいが)、しかし左下方面が未知の領域かと言うと実は違って、2019年の夏に僕は、義父母と義弟と4人でカープの試合観戦という行為をしており、義父の運転であったが広島へ行くこの道は使ったことがあった。今回運転をしていて、サービスエリアなどを目にし、そのときの記憶がよみがえってきて、トラウマを刺激された。あの日は本当につらかったな。僕の今生の野球観戦が終了した日。あの日の思い出を上書きするために、広島でたくさんいい思い出を作ろうと思った。
 最初の目的地は宮島である。ちなみに僕はこれまで、たぶん4回広島(市街)に来たことがあって、最初は子どもの頃、母と姉と3人で、叔父を訪ねついでに家族旅行、次は中学の修学旅行、そしてその次があの野球観戦で、宮島に関しては、修学旅行では来なかったし、子どもの頃の家族旅行に関しては、来たという記憶だけはあるが、自分が何歳くらいの頃でどんな場所を巡ったのかはさっぱり覚えていないため、行ったことがあるかどうか定かでない。なんなら母に訊ねればいいではないかという話なのだが、この旅行の数日前、向こうから簡素なLINEが来た折に、「こんど広島に行くけれども、そちらの面々は、見てきてほしい場所や買ってきてほしいものなどあるか」と、問いかけたところ、あまりにも見事に既読スルーされたので、もういいやとなった。ちなみにわが家は、僕が生まれる前、まだ姉しかいなかった時代、父の赴任先が広島だったので2年くらい居住していたり、叔父はなんといっても大学時代からおととしくらいまで、40年くらい広島で生活をしていたし、祖母も一時期まで叔父の面倒を見に(なのかなんなのかよく分からないが)1年のうちの何ヶ月かは広島で暮らす、みたいな感じだったので、広島とは実はだいぶ縁深いのだ。そのことを思い、親切心から問いかけてやったのに、本当に見事な既読スルーであった。
 というわけで、初めてなのか2度目なのかは不明だが、宮島である。事前の下調べ通り、宮島口駅近くの駐車場に車を停めて、フェリー乗り場まで歩いた。世界遺産である厳島神社を擁する宮島だが、宮島口駅近くには立派なボートレース場が鎮座していて、わりと殺伐としていた。そこまで長くないこの道中で、歩きたばこのおっさんと、ふたりも擦れ違った。ただでさえ喫煙に厳しいご時世の上にコロナ禍で、近ごろはいよいよ歩きたばこになんて遭遇せずに暮しているので、とてもびっくりした。
 フェリーはふたつの会社が、少し時間をずらして、頻繁に行き来しているようで、待ち時間も混雑もなく、スムーズだった。フェリーは、やはり瀬戸内海の、直島に行ったときと、大久野島に行ったときにも乗って、それ以来で、果たしてそれらはどっちが先でどっちが後だったっけ、と迷ったが、直島が2014年8月大久野島が2017年3月と、迷うのがおかしいくらい時期が離れていた。前者なんて、ピイガがまだ生後7ヶ月ということではないか。なぜ迷ったのか。やはり深層心理で、ピイガのことをずっと1歳児くらいで扱っているからかもしれない。


 まさか柵から体がはみ出されるはずもないのだが、船がかき混ぜる水面がおもしろいのか、真下を覗き込もうとするピイガの様子に、少しヒヤヒヤした。そういえば。いまこうして書いていて思い出した。子どもの頃の記憶で、乗っている船の進行によって泡立つ水面を眺め、母親に「洗剤を使っているの?」と訊ね、「洗剤なんて使うわけないでしょう」と笑われたことがあった。あれってもしかして、もしかしてもしかして、宮島行のフェリーか? じゃあ訊ねろよ、という話なのだが、まあ訊ねない。でもそんな気がしてきた。他に僕が船に乗る機会があったかな、と思うし。
 ちなみに船上は寒かった。地熱がない上に、実際この日はかなり冷え込んだのだ。われわれ3人もわりと肌寒く感じたほどだったので、ファルマンは凍えていた。別にこの旅行の要旨がファルマンのバースデイ接待というわけではないが、起床の不愉快に加えて寒さまで加わり、うっすらと暗雲が立ち込めながら、船は一路宮島へと向かうのだった。
 つづく。

春先3連休

 嬉しい3連休。なにが嬉しいって、済まさなければならない用件はもちろんのこと、レジャーの予定もなく、レジャーは、公園系は寒くて行けるはずがないし、蔓延防止等重点措置が発令されているため屋内施設も営業をしていなかったり、していたとしてもやっぱりこのタイミングで行かなくてもいいよな、と思ったりで詰んでおり、つまり「特になにもすることがない3連休」だったのだ。それのなんと贅沢なことか。
 初日の午前中は買い物に出た。食糧品を中心にいろいろ仕入れたあと、昼ごはんとしてマクドナルドを買って帰った。マックはいまハッピーセットがムーミンで、ぼやぼやしているうちに気づけば第2弾になってしまっていたのだが、それを大人も含めて4つ(本気でほしいおもちゃのときだけ、大人もハッピーセットを注文するのが発動する)、買って帰った。買って帰ったと簡単に言ったが、3連休初日の祝日、そして第2弾の初日、さらには正午過ぎという時刻もあり、買うまではなかなか苦労した。待ちながら、「島根でこんなに盛況しているのだから、東京ではとんでもないことになっているんじゃないか」なんてことを夫婦で話していたら(しかしよく考えたら東京は店舗数が多いから逆にこんなことにはならない気もする)、ポルガが「行列が伸びて山をふたつくらい越えるかもしれないね」と言ってきたので爆笑した。ジョークじゃない。マジである。実は練馬生まれのくせに、長年の田舎暮らしによって、とうとうそんな世界観になってしまった。リアル「俺ら東京さ行ぐだ」状態。将来は銀座に山を買うのかもしれない。ハッピーセットは、3種類がひとつずつと、ムーミンママの砂時計が被った。3種の中ではムーミンママの砂時計がいちばん当たりだと思うので、大成功だった。
 午後は縫製をしたり、筋トレをしたりという、いつもの過し方。おやつのあと、僕とファルマンでswitchをやった。子どもたちは、1日に許されたゲーム時間を、休日はいつも朝に使ってしまうため、見るだけ。わが家唯一のソフトである2次元のスーパーマリオは、ファミコンの「スーパーマリオブラザーズ3」の経験値が通用するため、子どもたちから「パパは上手」という認定をされており、気分がいい。ずっとこういう、親世代が最新技術についていけない、みたいにならないゲームだけしていたい。
 晩ごはんは肉たっぷりのつけ汁で食べるざるうどんと、厚焼き玉子とアボカドのタラマヨサラダ。後者は、1週間前に手巻きずしをした際、厚焼き玉子とタラマヨで巻いたものが、刺身よりもむしろおいしく、感動したため、じゃあもういっそその中身みたいなサラダ(サラダというか和え物?)を作ってしまえばいいんじゃないか、と思って作った。結果、まあまあおいしかったが、でもここに、海苔と、酢飯と、わさび醤油が加わったらもっとおいしいんだろうな、とも思った。こういう、組み合わさった物の中心部が好きで、その中心部だけがたくさん集合したものがあれば夢のようだと思い、しかし実際に手に入れてみたら、案外そこまで愉しめなくて、周りがあるからこそ高いレベルで成立するんだな、と思うことって、いま具体的な例はひとつも思い浮かばないけれど、人生の中で多々ある。
 翌日は、天気が良かったので、朝からひとり、ジョギングに出た。実は10日ほど前から、2、3日おきのペースでジョギングを始めた。プールの代替としての有酸素運動である。いつもは夕食後、食休みをしてから夜に走っているのだけど(8時台なのに人とまったくすれ違わない)、休日だから朝だ。朝陽の下、ジョギング。帰宅後のシャワーを含め、とても気持ちがよかった。人とまったくすれ違わなかった。山をふたつくらい越えた先にしか人はいないのかもしれない。
 この日は、この特にしなければならないことのない3連休の中で唯一と言ってもいい、やったほうがいいこと、やってしまいたいことの、知人のためのズボン作りをした。依頼を受けて3週間あまり、当初思っていたよりもかなり難儀し、あぐねていたのだけど、ようやく作り上げる見当がついたので、このまとまった休日のうちに仕上げてしまいたかった。結果、無事に完成することができた。なぜズボン作りでそんなにあぐねたのか、その模様は後日「nw」に記録しようと思う。
 昼ごはんは、納豆と卵の混ぜそば。大人はネギを、これでもかとたっぷりかけ、つるつるさっぱり、おいしく食べた。僕が料理を担当する週末は、やけにごはんを炊かない。
 午後、あまりにも天気が良くて、もったくなく感じ、しかし公園は、子どもは遊ぶので体があったまるだろうが、待機する大人はひたすら寒いのでやはり行くわけにはいかず、考えた末に海を見に行くことにした。砂浜には、同じような選択肢の中、同じような思考をしたらしき人たちが、そこそこいた。海は、1月のそれとは明らかに変わっていて、どこからどう見ても「春の海」だった。やっぱり2月は、冬だけど冬じゃなく、言わば「冬(春)」みたいな冬だな、ということを思った。子どもたちは砂でめいめいに遊び、大人はそれを眺めたり、写真に撮ったり、海を見てたそがれたり、思い思いに過ごした。来ている人たちの中には、海に足を浸している剛の者もいたが、それをする気にはならなかった。7月になったら泳ぎにこようと思った。
 晩ごはんはハンバーグ。さすがにごはんを炊いた。付け合せで、先日スーパーで買った、いかにも春先らしい、ピンポン玉よりもひと回りからふた回り小さいような、メークインを、もちろん皮のまま、丸ごと揚げた。これがとてもおいしかった。こうしてみると、とても春を感じ取った1日だったようだ。
 最終日の今日は、この3週間わりと頭を重くしていたズボンの件が落着した解放感から、ひたすらしたいことをして過した。天候は昨日から一転、山陰の冬らしい「降るともなく降り続ける雨模様」のやつで、これからはこういうせめぎ合いが延々と続くのだろう。
 昼ごはんは、昨日のハンバーグの残りで作ったハンバーガーと、午前中に作ったトマトソースをたっぷり塗ったピザトーストという、目新しい感じのメニュー。あと昨晩のそれがとてもおいしかったので、またひと口メークインを揚げた。そう考えると、初日のマック、2日目のハンバーグの付け合せ、そしてこれと、3日連続でフライドポテトを食べたのだな。だからなに、ということはないけれど。
 午後は、ファルマンと子どもたちが午前中に焼いたチョコのカップケーキを持って、実家へ。1日早いバレンタインデーである。向こうからも、ムーミンのかわいい缶箱に入ったチョコレートをもらう。缶箱が嬉しい。中身を食べきったら、こまごましたものを入れる箱にしようと思う。おやつとして、持ってきたカップケーキを一同で食べる。予想通りの、見た目通りの味。なにぶん、僕の母にいつぞや教えられたレシピで作ったものなので、本当によく知った味なのだった。実に淡々と済まされたバレンタインデーであった。
 晩ごはんは、ぶり大根とスパゲティサラダ。最近、寒さもあってビールやチューハイを飲まない代わりに、日本酒の酒量が増えていて、あまりよろしくないなあと思うのだが、ぶり大根はあまりにも日本酒向きの味で、夕飯時は飲まずに済ませたのだけど、たぶんこのあと、録画した「鎌倉殿の13人」をファルマンと観ながら、どうしたって残りのぶり大根と熱燗、ということになる。もうこれはしょうがない。人生の快楽だからしょうがない。
 というわけで3連休は、斯様にとてものんびり、いい具合に過した。観ている「THIS IS US」のシーズン5の中で、「忘れたくないのは、子どもたちが子どもだった頃の、なんでもない土曜日の記憶」みたいな台詞があって、それは本当にそうだろうな、としみじみと思ったのだった。子どもと一緒に過ごす休日は、毎日終盤になると、主にピイガのうるささなどに辟易し、うんざりしてしまうのだけど、今がとても貴重な時間だということは、その乍中にありながら、理解している。理解はしているが、やはり夜にはもうたくさん、となる。このあたりの心情と、記事序盤の厚焼き玉子とタラマヨの話は、かすかに繋がる気もする。

鳥取旅行2021晩秋 ~地獄と天国の砂丘~

 旅行する。1泊2日の家族旅行である。帰省以外の、家族水入らずの旅行は、実はこれが初めてだ。
 目的地は鳥取砂丘。鳥取砂丘って中国地方に縁などなかった時代から気になるスポットだったが、岡山からも島根からも、近くて遠く、日帰りもできないことはないのだが、なんとなく踏ん切りがつかない距離感で、これまでずっと行けずにいた。それが今回、子どもも大きくなったし、車も長距離移動がしやすいものになったし、レジャー欲の高まりもあるし、後述するがキャンペーン特典もあったりで、いよいよ機が熟した感、今しかない感が極まり、ようやく念願が果たせた次第である。
 土曜日の朝に家を出発する。子どもたちも今回のイベントをとても愉しみにし、この1週間はせっせとオリジナルのしおりを作ったりしていた。誰の影響であろうか。天候は、1週間前には日曜日に雨マークがついていて戦々恐々としたが、当日が近づくにつれて、週間予報としては珍しいことに予報が後ろにずれて、土日はなんとか持ちそうな情勢になった。子どもたちがてるてる坊主を作った成果かもしれない。2021年でも子どもはてるてる坊主を作る。
 行きは高速道路を使い、一路鳥取砂丘を目指す。鳥取砂丘は、島根県と同様に横に長い鳥取県の右端にあるため、その道程はまさに横断である。ちなみに考えてみたら、そもそも僕は鳥取県に足を踏み入れるのが、特急やくもに乗って通り過ぎるのをノーカウントとしたら、実は今回が初めてのことなのだった。岡山にしろ島根にしろ、長らく鳥取県は僕にとって隣県であり続けているというのに、意外とそんなものだ。
 途中、大山の近くの道の駅で休憩を取った。もっとも雲が多く、大山の名を謳う休憩スポットでありながら、大山の姿を拝むことはできなかった。それから羽合であったり、青山剛昌記念館であったり、ほうここがあの、みたいな土地を通り過ぎて、11時頃に砂丘へと辿り着いた。憧れの地というと大袈裟すぎるが、鳥取砂丘という場所に自分の身が在るというのが、なんとなく不思議な心地がした。やはり全国的な観光地なだけはあって、おみやげ屋が林立し、大型バスが乗り入れ、それなりに大勢の人がいた。
 駐車場から少し歩き、人の流れに沿って階段を上がると、その先が砂丘だった。鳥取砂丘鳥取砂丘というけれど、少しイメージを膨らませ過ぎているのではないかという疑いがあり、広大に見える写真とかも、賃貸物件の画像のように、そういうふうに写るよう撮っているだけではないかと、わざわざ何時間もかけて行った自分ががっかりするはめに陥らないよう、心に予防線を張っていたのだが、ぜんぜんそんな心配はなく、砂丘はちゃんとすごかった。砂と傾斜しかない、あまりにも広い空間は、現世とはまるで違う世界だった。


 写真中央手前にいるのがポルガとピイガだが、そんなことよりも注目すべきなのは、奥にある通称「馬の背」と呼ばれる盛り上がりである。豆粒のような人々が登っているが、この坂の角度たるや、とんでもないのだ。45度を軽く超えている、と書こうとして、いちおう検索をかけておくか、と思って検索したら、鳥取県の公式ページの紹介文に、「最大傾斜が32度」とあった。おかしいな。たまたまこの日だけ異常な風が吹いた結果、ありえない傾斜になっていたのではないだろうか。体感として55度くらいあった。
 体感と書いたのは、われわれも頑張って登ったからだ。子どもたちはすいすいと登ったが、僕とファルマンは決死の思いだった。登り始める前から、これはつらいだろう、中腹あたりで、行くも地獄戻るも地獄みたいな事態になるだろうと予期していて、写真右方にあり、ヤラセのようにひとり登ってくれている、もう少しなだらかなコースから行こうかとも思ったが、しかしせっかく鳥取砂丘まではるばる来たのだからと一念発起して挑戦し、果して中腹あたりで「これは地獄だ」「ここは地獄」「地獄ってこういうことなんだ」と嘆き合いながら、それでもなんとか登り切った。人工物がないこともあり、鳥取砂丘は精神世界めいた雰囲気があるため、全編を通して天国のようでもあったし、地獄のようでもあった。人生観が変わったとまではいわないが、文明社会で生活している限りはあまり感じない、一個の人間としての生きることと死ぬことに、少し思いを馳せさせられた。ファルマンは「地獄に落ちたくないから善行をして生きていこうと思った」といっていた。それほどの体験だった。


 登った先には日本海が広がり、砂の具合もよく、人口密度も下がり、ご褒美としてフォトジェニックな風景が広がる。左からポルガ、僕、ピイガ。なんとなく芸術作品のような写真になった。こういうのがいくらでも撮れる。子どもたちは、このあとまた車に乗るんだからもう少し気にしろよ、といいたくなるくらい、砂まみれになって遊んでいた。
 つづく。

白昼夢

 子どもが夏休みに入り、僕もなんかずっと家にいる、不思議な夏が始まった。子どもたちに夏休み用のドリルが必要だというので、大きい本屋の入っているイオンに行こう、となったのだが、月のはじめは土日だったので、「じゃあ空いてる月曜日に行こうぜ」なんてことが簡単にできてしまい、特殊な感覚だなあと思った。
 もっとも悠々自適がどこまでも快適かといえばそんなこともなく、けっこう時間を持て余す感じもある。ましてや子どもがいるので、ファルマンとふたりだった7月のように、ひとりでフラッと出掛けるようなことはなんとなく憚られ、かといって一家でどこかへ行くにしても、イオンへはもう行ってしまったし、公園で遊べるような気温じゃないしで、わりとあぐねるのだった。
 そんなわけで今日なんかは、海へと遊びに行った。といってももちろん泳いだりしたわけではない。そもそも今年は、他の地域もそうであるように、我々のところの海水浴場も開設していないのだ。そのため海水浴シーズンじゃないときと同じように、波打ち際でパシャパシャだけをしに行った。行ったら、平日とはいえそれなりに人がいて、海水浴場の営業がないとはいえ自己責任で遊泳している人もいた。普段の夏場には寄り付かないので、これが例年に比べてどの程度の賑わいなのかは定かではない。あと、「それなりに人がいて」という言葉は、ふだん湘南の海とかで遊ぶ人と、地方の人とで、思い浮かべるイメージがぜんぜん違ってくるだろうとも思う。具体的に言うと、端から端までぜんぜん駆け抜けられないくらいの広い海岸に、ざっと20グループくらい。そういう人出。波打ち際で脚を浸して遊ぶ娘たちの写真を撮るにあたり、第三者が入り込んでくる心配はぜんぜんない、当世流行りのソーシャルディスタンスな密度であった。波は穏やかで、砂浜は暑く、水はひんやりとしていて気持ちがよかった。夏の海だった。目的通り、裾をまくって、しばらく脚だけ浸し、波を感じたりして過ごした。猛暑日になろうかという昼過ぎの陽射しは強く、20分ほどで頭はぼんやりしはじめ、少し慌てて車へと戻った。あとから思い返して、この不思議な夏の、白昼夢のように感じるひとときだったかもしれない。
 余談だが、この海岸と、6月まで働いていた職場はまあまあ近いので、海岸に向かう前に、急遽ちょっと様子を見に立ち寄った。様子を見に、というのは現在そこが取り壊しの真っ最中だからで、職場の近くに住んでいた同僚に、「たまに解体状況の写真でも送ってよ」と、数少ないLINE友だちなので在勤時に頼み、すると7月下旬にいちど実際に送ってきてくれて、その画像ではもうけっこう建物は壁だけしか残っていないような状態になっていて、ほほー、と思ったりしたのだが、せっかくここまで来たのだから自分の目でも見ようじゃないか、と思ったのだった。というわけで見に行ったら、建物そのものはまだ残っていたが、壁は一部なくなってきていて、剥離させた壁や鉄骨を、ショベルカーみたいな重機が、かつての駐車場に積み上げていた。そのさまを見て、やっぱり、ほほー、と思った。在籍年数6年あまりというのが、長いのか短いのかよく判らないが、案外ぜんぜん感慨深かったりしないものなんだな、と思った。土地や建物への愛着や愛執というものが、やっぱり広島に半世紀近くいた叔父も(話したわけではないが確信をもっていえることとして)そうであったように、血筋によるものなのかなんなのか、どうもない。軌跡といえば軌跡だが、軌跡が現存しているかどうかって大事なことか? という気がする。一方で、そういう個人的な要素に特別な感情を抱くことこそが人間的ってことだろう、という気もする。爬虫類じゃねんだから、と。かつて勤めた会社の建物が解体されていること自体には感情は揺さぶられなかったが、そのことに対して自分はどう感じるべきか、ということについて思いを巡らせることとなった、かつての職場見学だった。8月中に解体は終わるらしいので、あの建物を肉眼で見るのは今日が最後だったろうな。
 いやはや、なんだか不思議な夏。

緊急事態宣言解除の海へ

 週末、天気がよかったので砂浜に遊びに行く。はじめはどこかしらの公園に行くつもりだったのだが、ファルマンのタブレットの下世話な機能で、「約1年前にあなたはこんな場所に行きましたよ」と砂浜の写真が提示され、それを目にしたら、たぶん1年前の自分たちとまったく同じ熱情で、この時期のこの気候は砂浜だよ、という気分になったのだった。行ったところ砂浜は、ほぼ間違いなく、去年よりも人出が多かった。やはりそれは、緊急事態宣言が解除されたとはいえ、さすがにショッピングモールとかはちょっと……、と自重する層が多いからだろうか。もっとも人出が多いとはいえ、湘南などの情景を想像してはいけない。砂浜で遊ぶ娘たちを、他の人が映り込まないように撮るのに苦労はぜんぜんしないという、その程度の人出である。
 陽射しが強く、砂は裸足で歩くとだいぶ熱かったが、海水に足を浸すと水温はまだまだ冷たかった。しかしがっつり海水浴っぽいことをしている豪のファミリーもいた。いちど入ってしまえば大丈夫になるのかもしれないが、それまでに高いハードルがあるし、それに浸かってしまったらもう二度と地上に戻れない気もした。ひとしきり波打ち際で遊んだあと、テントの中で昼ごはんを食べた。今年もなんとかこういう季節にたどり着いたのだな、と例年よりも格段に感慨深く味わった。
 緊急事態宣言の解除によって緩みが見受けられる、などと為政者はいうけれど、緊急事態宣言の解除で緩んではいけないのなら、我々はいったい何によって締め付けられていたのだろう。それこそ、ウイルスよりも怖い人の目、というやつで、緊急事態宣言が解除されても、自粛警察の気が済むまでは緩んだ素振りを見せてはいけない、みたいな話になってくる。今回のコロナ禍は、9年前の放射能禍と、違う部分もあるが同じ部分もあって、「いちばん怖がる人がいちばん偉い」的な空気はまったく一緒だと思う。正常性バイアス族はとことんバカにされ、最後まで警告を発し続ける人が最も賢いみたいな、そんな雰囲気がある。でもそれって悪いことばかりいう占い師みたいなもので、「このままだとマズいよ」といわれて、本当に悪いことが起ったら「それ見たことか」となるし、もしも悪いことが起らなかったら「私の占いを聞いて気をつけた結果だね」となるので、絶対に外れないがゆえに最強という、そういう感じがある。つまり、ひたすら最悪のシナリオをいい続ける人というのは、そんな卑怯なスタンスに身を置いていると思う。正常性バイアス族の出歩きを断罪するのなら、同じ振り幅の反対側の、そっちの人のこともちゃんと断罪してほしい。断罪してほしいが、彼らにはいつまでも「それ見たことか」と言う、という望みがなくならないので、難しいだろうな(放射能のなにかの元素の半減期は30年後とかだっけ)。それに対して韓国がそうであったように、収束したかな、と思いきやクラブでクラスター発生、みたいな、正常性バイアス族の不利になる案件は、いくらでも起り得る。だからこの対決は勝てるはずがない。でも悲観論者が勝つことで、いったいどういう救いがあるというのだろう。じゃあ全員で世を儚んで死ぬかよ。
 帰宅後、まだ3時前だったが、全員シャワーを浴びた。正規の入浴時間にはだいぶ早かったが、汗をかき、海風を浴びたので、もういっそ着替えの意味も含めて浴びちまおう、となった。これがとてもよかった。日中の入浴は気持ちがいい。
 日中の入浴は気持ちがいい、で想起されるのは、スーパー銭湯やサウナ、および入浴ではないがプールのことなどだ。これらの施設もさすがにそろそろ再開してくるはずで、それがとても嬉しい。ジムには正直まだあまり行く気にはならないが、風呂やプールはいいだろうと思う。自分の中でそういう線引きがある。コロナの落ち着きとプールシーズンが噛み合ってよかった。夏には(いったん)収束する、というのは以前からいわれてたけど、公共のプールはもしものことを考えて前のめりで休業したがるだろう、ということを危惧していて、もうちょっと不穏な時期が長続きしたら今夏は完全にクローズ、ということになりかねなかったと思う。そうはならなそうだ。よかった。

笠岡へ

 3連休の中日。お出掛けをする。あの笠岡の花畑へ、久しぶりに行ったのだった。一時期、ほぼ花が変わるごとに行って、菜の花、ポピー、ひまわり、コスモスという年間の4種をコンプリートして満足し、それ以来だった。日記で確認したら、それはまだ「USP」時代の、17年10月(コスモス期)のことだった。つまり約2年半ぶりになるのだった。歳月の早さよ。今回の来訪は、もともと菜の花畑が見たい気持ちが高まっていた(僕は上記の4種中はもちろん、あらゆる花の中でも菜の花が割と好き)のと、ポルガがカブトガニ博物館に行きたがっていたのと、さらにいえば義父母がまたおじいさんに会いにこちらに出てくるというので、ならばわざわざ家まで足を延ばさなくても、笠岡で落ち合えば、どうせ帰りの通り道なのだし、一緒にレジャーが愉しめるじゃない、ということを提案したら乗ってきた、という要素が合わさって実現した。
 というわけで義父母は用件を済ませてからの現地集合なので、われわれ一家は昼前くらいに、のんびりと移動を開始した。よく晴れて陽射しが暖かく、コートを脱いでサングラスを掛け、たまに窓を開ける必要さえあった、今年のこの腐った冬を象徴する日和であった。
 そして恐竜公園へと到着する。混んでいた。3連休の中日ということや、このあと行く花畑のあるベイファームでイベントが開催されていたという事情もあるのだろうが、明らかに3年前よりも活気がある。当時だってここに来たときは花の咲いている週末だったはずだが、こんなに盛況していなかった。実はなんとなく道中においても、街並みを見ていてそんな印象を受けていた。さびれた地方の街、という印象しかなかった笠岡だったが、なんかしらの作用でちょっと盛り返しているのかもしれない。まさか絲山秋子効果ではないだろう。公園の設備が増えた様子もない。目玉である恐竜のオブジェは、相変わらず堂々と、僕やファルマンが子どもだった頃の恐竜のイメージで造形されていて、令和の時代に眺める、ジュラ紀の恐竜オブジェに、昭和レトロを感じた。羽毛なんてもちろん生えてないし、ティラノサウルスは前傾姿勢ではなく直立している。古き良き恐竜。ここで弁当を食べたり、ひとしきり遊具で遊んだりした後、義父母とカブトガニ博物館で合流した。
 カブトガニ博物館は、以前にもいちど入館した。それも「USP」で確認したら、16年の5月ということで、なんと4年前だ。歳月! そのときわりと愉しめた思い出があった(ピイガは館内の暗さに怯えて泣いたのだった)ので、けっこう期待していたのだけど、今回の印象は、「あれ? こんなもんだったっけ?」だった。やっぱりいかんせん、わずか1ヶ月半前に国立上野科学博物館に行ってしまっているので、目が肥えてしまっているきらいがある。ありとあらゆる時代の、ありとあらゆる生きものが網羅されたあちらに対し、こちらはカブトガニのほぼ一本鎗である。「カブトガニの這った跡の化石」までもが展示され、好きなアイドルの使用済みの割り箸を収集する変態のごとき、偏執的なカブトガニ愛は感じられ、とてもいい、とてもいいことだとは思うのだが、どうしたってこちら側に、そこまでのカブトガニ熱を受け取る入れ物がない。両手で受けようもないのだった。
 そのあとは車で少し移動し、花畑のあるベイファームへ。駐車場に停めるなり、もう咲き誇っていた。今年の冬は、冬の陰鬱なつらさが希薄な冬だったが、それでも春先の菜の花の鮮やかさには心が鷲掴みにされる。菜の花の黄色さ、緑さは本当にいい。潔さだろうか。小細工がない感じで、とても清らかな気持ちになる。ひとしきり花畑の中を歩き、堪能した。すごくよかった。義父母も喜んでいたようだし、今日はいい企画だった、と満足した。義父母とはここで別れた。
 帰り道は海沿いの道を走り、途中で見かけた砂浜に立ち寄った。ナビに案内されるままに走った、まったく予定していない場所だったが、ここが大当たりだった。夏はちゃんと海水浴場となる場所のようで、砂浜の砂がとても細かい。そこへ大きめの貝殻がゴロゴロ転がっていて、ピイガが躍動した。貝殻の、破片のようなものしかない砂浜と、こういう全形のまま残っている砂浜は、いったいなにが違うのだろう。浜からは小堤防が伸びていて、こういうのって立ち入り禁止になっている所がけっこうあるが、ここは一切それがなく、本当に伸びている先っぽまで行けそうで心が躍ったのだが、遮るもののない浜風が強く、小さい子どもと2月の海に落下する恐怖に駆られたため、ぜんぜんそんな先まで行けなかった。あれはまたリベンジしたい。
 そんな具合の笠岡レジャーだった。とても愉しめた。しかし久しぶりに陽射しを大いに浴びて、少し頭や体がくたびれた。今夜は晩酌とテレビでまったり過し、たっぷり寝ようと思う。