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11月から12月へ

 意外と「おこめとおふろ」を20日間も書いていなかった。ブログを複数持っていて、さらには新しいブログなんかも作ってしまったので、どうしたってこういう事態が出てくる。しかし他のブログならそれも仕方ないかもしれないが、「おこめとおふろ」はなんてったって日常生活の記録のブログである。僕の各ブログにはそれぞれの担当陣営がついているわけだけど、いちばんアクがなくて穏和そうな「おこめとおふろ」担が、実はいちばん苛烈であるというのは、よく知られた話だ。そのため、かの人たちのことを思うと、20日間も放置してしまったことに罪悪感を覚える。体調を悪くした人もいたかもしれない。本当に申し訳なく思う。
 さて11月パピロウ月間が終わり、12月に入った。今年もあと1ヶ月である。信じられない、とも思うし、この1年間の日記を読み返したばかりだから納得がいく、とも思う。
 11月最終日の土曜日は、午前中はいつものように買い出しに出た。いろいろ高い。家のおやつが枯渇したので、この日はおやつをいろいろ仕入れたのだけど、お菓子も以前に較べてすごく高くなった。板チョコが130円とかする。板チョコは100円(あるいは以下)という固定観念があるので、値札を見るたびにぎょっとする。100円という値段は固定にして大きさのほうを変えてくれよと思っていたが、このあと行ったダイソーで実際にガーナの板チョコが売られていて、それはなんか虚を突かれるような、自分が巨人になってしまったと錯覚するようなサイズだったので、やっぱりこれはこれで切ないな、と思った。
 午後は部屋にこもり、裁縫や筋トレをして過した。11月末日の土曜日ということで、これまでの僕だったら当然、2階が閉鎖される最終日でもあり、おろち湯ったり館が頭に浮かんでくる状況だったのだけど、今年はそうはならない。おろち湯ったり館とは、お別れをしたのだ。別れたことに後悔はないつもりだが、輝いていた日々のことに思いを馳せると、やはり切ない気持ちがこみ上げる。
 ところで部屋では、寒かったのでストーブを点けていた。先日灯油を汲んできて、今年のストーブ生活が開始したのである。しかしそうしたら空気が澱んだようで、気分が悪くなり、夕方くらいからやけにしんどくなった。我ながら日々フレッシュに生きているなと感心するが、ストーブを点けたときは換気を心掛けなければならないということを、シーズン初めですっかり失念していたのである。そんな中で筋トレ。ダンベルフンフン。それは参るよ。もしかしてバカなんじゃないか。
 晩ごはんは、午前中の買い物のときが寒すぎたので、想定していたメニューを取り止め、これはおでんしかない、と急遽おでんに差し替えたのだけど(昼ごはんのあとにもう仕立てていた)、そんな具合になってしまったので、おでんを夕飯から晩酌までグダグダやり続けるという青写真は露と消え、これはもう、早めに寝就き、たっぷり睡眠時間を確保して、とにかく体を回復させねばならないとなって、消化不良だった。そんな11月末日だった。
 12月初日の今日は、なんと一家でカラオケに行った。一家で行くのはだいぶ久しぶり。岡山以来だ。もっとも一家と言いつつ、部屋はふたつである。思春期である上の娘は、家族と一緒にカラオケなんかしないのである。さらには「離れた部屋にするよう店員に言え」という注文までつけてきた。実に思春期だなあ。というわけでポルガはひとりで、僕とファルマンとピイガは3人で、それぞれ唄った。3時間。
 僕が唄ったのは順番に、「はたらくくるま1」(のこいのこ)、「黄金の海で逢えたなら」(関取花)、「ぼくドラえもん」(大山のぶ代)、「フクロウの声が聞こえる」(小沢健二とSEKAI NO OWARI)、「トップ・オブ・ザ・ワールド」(カーペンターズ)、「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)、「ホネホネロック」(子門真人)、「芝生」(ハルカリ)、「唇よ、熱く君を語れ」(渡辺真知子)、「許婚っきゅん」(ano)、「はたらくくるま2」(子門真人)、「彗星」(小沢健二)、「天国街道」(リュックと添い寝ごはん)、「君は薔薇より美しい」(布施明)というラインナップ。大山のぶ代と西田敏行、そしてハルカリはいつもの追悼歌唱。ハルカリがなぜ追悼なのかと言えば、作詞が谷川俊太郎だからであるという、ちょっと意味の分からない執念を見せてみた。昨日やや崩した体調がまだ万全ではなく、どうなることかと危ぶまれたが、やっぱりマイクを持つとそこはプロ、そんな内実などおくびにも出さず、張りのある声を響かせたので、さすがだなと思った。
 しかし帰宅したあとは、また少し寝た。昨日からの合計で半日くらい寝ていないか。これは僕の身体が、冬仕様へとメタモルフォーゼしている現れかもしれない。だったらいい。まだ寒さは本格的じゃないのに、あまりにもつらすぎないかと思っていたが、要するに身体がまだぜんぜん冬のそれになっていなかったんだろうと思う。そう信じたい。
 あと身体的なことでついでに言うと、流行語大賞の「ゴーーーン」の項で述べたことだが、10月終了時点で今年の射精回数は、2023年(記録108回)ととてもいい勝負だということが判明し、ここからはちょっと意識的に回数増量な感じで行こう、去年の僕より今年の僕は1年分だけ年齢を重ねているけれど、こと年間射精回数に関しては、去年の数字はいまさら増やせないが今年はがんばれば増やせるという圧倒的なアドバンテージを有している(今後もこのアドバンテージは有し続ける)ので、おとなげなく1年前の若い俺をねじ伏せようと思考し、そういう発想のもとで11月を過した結果、どういうことになったかと言えば、実にすばらしいパフォーマンスとなり、もしも僕に射精のパーソナルトレーナーが付いていれば、とても褒められたに違いない数字を叩き出すことに成功したのだった。11月の旧称は霜月だが、僕にとってはシモ月だな(笑)、ってなもんで。なるほどこれならば「おこめとおふろ」を20日間書かなかったのもやむなしである。これにより12月に相当な余裕ができた。射精貯金である。もはや取り組む上での焦点は、来年のことも鑑み、どのあたりの数字で打ち止めにするか、という次元になっている。ゆとりがあるっていいな。
 まあそんなような、11月から12月への移行でした。愉しく暮しています。

12月人生

 12月に入っている。
 こないだの週末は、子どもたちを連れ出して年賀状のための写真を撮る予定としていたが、木曜日にピイガがインフルエンザを発症し、それどころでなくなった。一時期は熱が39度を超え、嘔吐などもあったそうだが、特効薬によって回復は早かったようだ。そして幸いなことに、ファルマンの献身的な看病(隔離)によって、他の者への感染は起らなかった。ピイガは土曜日にはもうケロッとして、どこかへ出掛けたいなどとのたまうほどだったが、大人だったらこうはいかないだろう。名もなき後遺症、重たく、つらく、しんどい、あの感じが、長く続くに違いないので、本当に無事に通り過ぎてくれてよかった。
 さらには日曜日には、ポルガが部屋から出てくるなり「目が腫れた」と言って、見ればたしかに右目の瞼が大きく腫れているのだった。ポルガはちょいちょい、ものもらいになる。そのため前回時に眼科でもらった薬が、まだ期限内で家にあったので、それで様子を見ることにした。中学生である本人は、眼帯を着けてご満悦のようだった。
 それにしたって、年賀状の写真を撮るつもりだったタイミングで、大いなる意思によって妨害でもされているんじゃないかというくらい、子どもふたりとものコンディションが整わなかったのだった。仕方ないので予定は翌週に後ろ倒しになった。どうせ出す枚数はきわめて少ないので、それからでも十分に間に合う。
 年末らしい行事と言えば、少し前に、職場の集まりで忘年会を行なった。世の中にありがちな「4年ぶりの開催」ということで、僕はこの職場になって初めてのこういった集いだった。いまの職場は平均年齢が本当に高いので、会はとても落ち着いたもので、はっきり言ってしまえばまったく盛り上がらず、ぜんぜん愉しくなかった。乾杯をして、ひとしきり食べて、飲んで、そろそろ終盤かな、と思って時計を見たら、40分しか経っていなかったので心底驚いた。そういう会だった。
 しかしこれがもしも同年代だらけの職場での飲み会であったら、果たしてきちんと盛り上がっただろうか、ということを思った。世代の違いという言い訳をなくして、それでも愉しくならなかったら、それはもう自分の精神の問題ということになってくるのではないか。
 数日前、こんな夢を見た。僕は東北や北陸などの、寒い地域の中学生で、バスを乗り継いで通学している。その地方のバス停は、寒さ対策として、待合所が小屋みたいになっていて、そこには炬燵まで用意されている。僕がそこに入ってバスを待っていると、クラスメイトの女子ふたりもやってきて、僕に声を掛け、炬燵に入ってきた。ひとりは小学校も同じだったからわりと話す子で、もうひとりはあまり馴染みのない子である。僕は彼女たちに特別の恋情を持っているわけではなかったが、一緒に炬燵に入っているという特別感からか、なんかやけに好もしい気持ちを抱き、昂揚するのだった。そんな夢だった。
 起きてから、いい夢だったと思うと同時に、もう僕は中学生ではないし、もしも同じ状況で、40歳の僕の入るバス停の炬燵に、女子中学生ふたりが入ってきたら、僕は戸惑ってただ俯くほかなくなるに違いない、つまり今生の僕には、中学生が抱くあの昂揚感はもう二度と訪れないのだと思い、とても寂しくなった。
 飲みの席というのも一緒で、もう若い頃のように身軽ではないので、深酒もそのあとのことを考えてあまりする気にならないし、はめを外したあとにやってくる後悔の億劫さを思えばそれも避けたいしで、もう心ゆくまで盛り上がる飲み会というものは、永遠にやってこないのではないだろうか。どうもそんな気がする。
 でも飲み会は別にいい。中学生の昂揚感に関しては、悲痛な思いを抱いている。

真夏のシンデレラ

 暑さがすごい。今年の暑さと来たら、すごいじゃないか。1週間のうちの日中の大部を過している職場は、日当たりこそ必要以上にいいものの、ありがたいことに冷房は適温で効いているため、暑さによる体力的なダメージは、わりと免れていると思う。それでも夕方には、これまでの時期とは較べ物にならないような疲労感がある。
 思えば7月というのは実は毎年そうで、体調が崩れないようタイトロープをそろそろと渡るような危なっかしさがあり、今年のように思いっきり足を踏み外し、落下するパターンもある。6月末に切れたプールの会員を、7月上旬に更新したのは本当に失敗だった。7月は、混んでいるし、日々の体力が持たないしで、実はろくにプールに行く気にならないのだ。去年、そのことはしっかり学習していたはずなのに、7月もまだ上旬というのは、逆にいちばん、「これから暑くなってプールが気持ちいい夏がやってくるぜ」というテンションになっているせいで、なんの思慮もなく間髪入れずに申し込んでしまった。
 プールに行く気が起らないくらいだから、日々の筋トレの意欲ももちろん減退している。蓋を開けてみれば、プールに足が向かないくらい、むしろ普段の月よりも披露する機会がないのだが、なんとなく筋トレというのは、露出が増える夏に向けて、それ以外の期間せっせと雪の下で筋力を蓄える、という図式ではないかと思う。それだのにこの半月ほどのサボりのせいで、6月下旬あたりだいぶ仕上がっていた僕の体は、ここへ来て少し迫力がなくなったように思う。夏というのは本当に過酷だな。
 あと先日の、一家を襲った体調不良なのだが、あれってもしかするとコロナだったんじゃないかという疑惑が、にわかに高まっている。あのプールと餃子の日のあとから、各人が体調を崩しはじめたわけだが、実は3女も同じタイミングで発熱し、あの週は仕事をだいぶ休んだという。しかしコロナの検査をしたところ陰性だったそうで、僕はそれを聞いて、ああよかったと安心したのだった。というのも、倦怠感や、ごはんの味が少しおかしく感じられるなどの症状があったため、当然(もしや……?)という恐怖を抱いていたのである。しかしタイミング的に同じウイルスにやられたのだろう3女が陰性だったということは、これはコロナではなく、たちの悪い夏風邪なのだな、と解釈することができた。ところがである。この数日後、すなわち次の週末あたりに、今度は実家の義両親がふたり揃ってダウンし、こちらはなんと陽性だったのである(今はもう回復した模様である)。これで話が分からなくなった。感染したにしては少し発症のタイミングがズレ過ぎている気もするのだが、ただの風邪にしては、我々の症状はだいぶヘビーだったような気がしないでもない。今となっては確かめようがないが、しかし僕もファルマンも、40代ってこんなに風邪がしんどいのか……、と今回ことさらに加齢を哀しく思ったのだけど、それがコロナであったとするならば、あのしんどさは加齢が原因ではないということになってくるので、そっちを採用しようと思っている。
 ちなみにコロナで心配される後遺症についてだが、幸いなことにちんこが小さくなった様子は見受けられない。もっとも少々小さくなったところでびくともしないとも言えるし、そもそもスケール感が規格外すぎて大小などという概念を超越しているとも言える。まあとりあえず言えることとしては、安心してください、ということだ。

うつりました

 体調を崩していた。伏線はあからさますぎるほどに張っていた。前回の記事は、「ピイガの風邪がうつりませんように。」で終わっている。願いは叶わず、まんまとうつった。
 ただでさえ3連休明けの哀しみを抱えて始めなければならない今週に、その上体調が悪いだなんて、あんまりではないか。体調を崩すこと自体が久々だったため、僕の中の体調不良耐性はだいぶ弱くなっていて(喜ばしい話だが)、そのためかなりの絶望感があった。
 火曜日の夜は、9時間寝た。月曜日に発症し、菌をまき散らしたピイガは、これが若さか、この日にはもうすっかり回復していて、僕はそんな小学生よりも早く、8時台に眠りに就いたのだった。いくら体がつらいからって、さらには眠くなる鼻炎薬を服んだからって、8時台なんかに眠れるだろうかと一瞬だけ危ぶんだが、一瞬だけだった。寝られるもんですね。
 9時間寝たんだから大回復しただろうと期待したが、これが四十路か、そこまで劇的な効果は得られず、水曜日もまだ気怠かった。熱とかそういうんじゃなく、気怠さがメインの症状という、少し珍しい、そして精神面にダメージの来る、陰鬱なタイプの風邪なのであった。水曜日の夜も8時間寝た。9時間と8時間。我ながらよく寝たものだ。
 その果以もあり、今日になってようやく体調はだいぶ改善した。風邪のあとの、粘り気のある鼻水や、しつこい咳はあるものの、こうして日記が書ける程度には回復した。やれやれである。
 ちなみにポルガも僕と同じく火曜日に発症し、しかしこれは次の日にはなんともなくなっていた。若さ。僕を隔離するためにピイガの相手をしていたファルマンも、化け物ながら、さすがに無傷というわけにはいかず、やはりいま咳をしている。おとといと昨日は僕があんな感じだったので、ファルマンはピイガの部屋で寝ており、今晩あたりからは別にこちらに戻ってきてもいいのだが、ファルマン曰く、「私の咳はでかくて、自分で自分の咳の声にびっくりして起きたりするくらいだから、横にいないほうがいいと思う。ピイガは起きないけど」とのことである。たしかにファルマンは咳もくしゃみも大きい。そういう様子を見るにつけ、「頭のいい人はつい効率的な動きをしてしまうから筋トレに向かず、馬鹿はがむしゃらに必要以上の筋肉を使うから筋肉がよく育つ」という、前々から提唱している理論が補強されると思う。「咳のし過ぎで腹筋が痛い」とも言っていて、なぜそんな作用が起るのか、僕にはさっぱり分からない。
 この3日ほど、そのような感じで、なかなかダウナーな気分だったのだけど、そんな中でキラリと光る喜ばしい出来事として、前にも書いたが、やはり鼻炎薬を服むと、陰嚢が寛ぐのだった。陰嚢が寛ぐとはどういう状態か、このブログの読者のメイン層である女子高校生や女子大生の諸君にはイメージがしにくいだろうから説明すると、要するにリラックスし、だらける感じだ。普段は、悠々としているようで、それでも抑えるべきところは抑えている陰嚢だが、薬を服むと、なんかもう、完全になにもかもがどうでもよくなってしまうようで、べほーっとなる。だからすごく揺れる。いつもより大きなスケールで揺れる。愉しい。普段もちんこによって救われる場面は多々あるが、こんな体調不良で気持ちが落ち込みがちのときにさえ、ちんこは僕を喜ばせる。本当に、本当になんていいやつなんだろう。困ったときに助けてくれるのが本当の友達。尊い。
 鼻炎薬を服んで陰嚢がそうなるのは、おそらく血流がよくなるからだろう。だとすれば、死んだあとの陰嚢って、きっとすごく小さくなる。前に読んだ本に、韓国では死んだあとで陰嚢に食塩水だかなんだかの注射を打ち、陰嚢を肥大化させる(死に装束に着替えさせるときなどに親類に体を見られても恥ずかしくないようにするのが目的)専門の業者がいる、ということが書いてあったが、気持ちは大いに分かる。僕もできればやってほしいし、あるいは僕がその業者になるという道もあるかもしれない。
 話が横道に逸れた。とにかく回復してよかった。もう当分は子どもをプールに連れて行きたくねえ、と思うが、子どもたちは夏休みに突入し、ピイガは早くプールに誘えとせっついてくる。お前に、お前にプールのあとうつされた風邪で、こんなに参って、まだ本調子じゃなく、先週プールの会員を更新したばかりだというのに、それからまだろくに行けていなくて、こんなことなら会員申し込みをもっと先延ばしにすればよかったと後悔している父に向って、よくそんなことが言える。若さって怖い。

3回目接種の春週末

 金曜日、職場の一斉のやつで、新型コロナウイルスワクチンの3回目接種を受ける。1回目2回目とそこまで症状が出なかったので気楽に捉えていたのだが、先週のファルマンが「3回目がいちばんタチが悪かった」などというものだから、そこから少し身構えた。それで結果はどうだったかというと、なるほど僕も3回目がいちばんよくなかった。ファルマンのような熱や頭痛こそなかったものの、倦怠感と、注射を打ったほうの左半身に、筋肉痛という言葉の範疇からはちょっと逸脱するような痺れが出た。そしてこの痺れは、日曜日の夜になった今でも、それなりに残っている。もちろん日常生活や仕事に支障を来すほどのものではないのだけど、ストレスを感じる。まったく嫌なものだ。
 そんなわけで土曜日は、家でグダグダと過した。ちょうど天気も大荒れで、出掛けようのない日だった。午後には昼寝もした。昼寝、思えば数年前まで、休みの日は昼ごはん時にビールを飲んだりして、そしてしばし昼寝、というのをわりとよくしていたが、最近はめっきりやらなくなったな、と久しぶりに昼寝の態勢に入りながら思った。昼にビールを飲んで寝るのって、自堕落といえば自堕落だけど、しかしその一方で、逆に体力があるからそんなことができていたんじゃないか、とも思った。昼寝から目覚めると、その前に解熱鎮痛剤を服んだこともあり、寝る前よりもだいぶすっきりしていた。
 晩ごはんはお好み焼きにした。この時点で、冷蔵庫の上に置いてあるホットプレートを取り出すことができるほど、ワクチンの副反応は遠のいていた。もちろんヘラでお好み焼きをひっくり返すのも無事に行なうことができた。お好み焼きはおいしかった。
 翌日の今日は、春の嵐のあと、台風一過のように空気が澄んで、陽射しがまぶしいほどに好天だったので、これは出掛けなければダメだろうと思い、公園に繰り出した。初めて行った公園で、遊具の規模はそこまでではなかったが、散歩に適していて、この時期に訪れるのにぴったりだと思った。梅やこぶしがよく咲き、桜のつぼみがだいぶ膨らんでいた。陽射しを浴びながらアップダウンの道を往ったため、冬季でどうしたって萎えた体に、きっぱりとした気持ちのよい疲労感が現れた。あまりにも春なのだった。
 午後は家で家族でのんびりした。子どもたちは春休みに入っていて、明日からもこんなような日々である。うらやましい。しかし金曜日の一斉接種には大いに意義があって、あの接種翌日の感じで出勤だったらすごく嫌だったけど、もう体はだいたい平常に戻ったので、まあ僕は明日からの平日をちゃんとこなそうと思う。晩ごはんは、鶏むね肉と錦糸卵の丼と、ブロッコリーとゆで卵のサラダ。ボディービルダーのような献立。もっともこの週末は、いうまでもなく筋トレを行なえていない。今晩、このあとちょっとくらいしようかな。ともかく3回目接種もなんとか無事に終わったので、大手を振って活動的に、これからのいい時期を愉しんでいこうと思う。

GW帰省の後半

 IMAに舞い戻った僕がまずはじめに向かったのはGU(住んでいた頃はなかった)で、そこでTシャツを買った。そして試着室で着替えた。昼ごはんを食べたあたりからの急な気温の上昇で、それまで着ていた長袖の肌着に長袖のシャツがとても耐えられなくなっていたのだ。Tシャツ1枚になったら爽快でテンションが上がった。快適な恰好になったあとは、公園とは反対側の住宅街へと歩みを進めた。かつて住んでいたコーポがあるほうである。ああこんな道だったな、と懐かしかった。とは言えコーポと駅とは徒歩で15分あまりの距離があるため、さすがに途中で引き返した。
 そのあとは駅でファルマンたちと合流し、次の目的地へ向けて出発することに。次の目的地は中村橋である。計画ではバスで移動する予定だったが(練馬から中村橋、光が丘を経由して成増へと至るバスがあるのだ)、バス停の位置が意外と遠いようだったので、早々に諦めて電車を使った。大江戸線で練馬駅へ出て、そこから西武線でひと駅。中村橋に降り立つ。ここは僕とファルマンが大学卒業後、はじめに住んだ町だ。
 駅前の様子は、そこまで変わっていなかった。西友はもちろんそのままだし、西日本には影も形もない「福しん」も変わらずあった。福しんの向かいにあった回転ずし屋はなくなっていた。「おかしのまちおか」は、我々が住んでいた頃はなかったが、引っ越したあとでなにかの折に訪れたときに、できたことは知っていた(住んでいた頃にあればよかったのに、と悔しく思ったのを覚えている)。そんな様を眺めていたら、先ほどまで一緒にいた友達一家の母と娘が自転車でやってくる。彼女らは光が丘も中村橋も自転車圏内なのだ。そういう位置関係なのだ。
 それからみんなで練馬区立美術館のほうへ向かう。練馬区立美術館は昔からあったものなのだけど、何年か前にその建物の前のスペースがリニューアルされて、子どもが乗ったりして遊べるカラフルな動物のオブジェなどが設置され、愉しい空間になっているのだった。このことは数年前に放送され、そのテーマまじかよ、と驚愕した「アド街ック天国」の中村橋特集で知った。それで、そこへ連れていくのと同時に中村橋回顧ができればちょうどいいなあと前から目論んでいたのだ。住んでいたコーポも同じ方面にあり、だからこの美術館や図書館の前を、かつては毎日のように歩いていたのである。しかしこうなる前の美術館前のスペースがどんなものだったのか、今となってはまるで思い出せない。目の当たりにしたその空間は、とてもしゃれた感じだった。子どもたちも喜んで遊びはじめ、一家の母親が見ていてくれるというので、僕とファルマンのふたりで、そこから5分ほどの位置にあるコーポを見にいった。コーポそのものは何の変哲もないものなので、実際に見ても大した感慨はなかったが、そこまでの道のりがよかった。光が丘のプールと一緒で、当時は目に入っていなかったものが見えるようになっていた。当時、特に移り住んですぐは無職だったので時間はべらぼうにあったはずなのに、なんかぜんぜん東京も、練馬区も、中村橋も、いろいろ見て回るということをしなかったな、としみじみと思った。してろよ、と今なら思うけど、当時は当時で、そんなことをする暇がないくらい、自分の中の何かのことで大忙しだったのかもしれないな、とも思った。
 充実の思いで散歩を終え、美術館のほうに戻る。美術館は図書館と併設していて、この図書館へはもちろんたくさん通った。しかしさらにはちょっとしたスポーツセンターみたいなものもあり、トレーニングルームなんかもあるということは知らなかった。本当に当時の世界は狭かったのだな。当時の僕がトレーニングジムの存在を知ったところで通ったとは思えないけれど、こんな近距離にそんな施設があることをまるで知らずにいたとは。思わず職員に話しかけてトレーニングルームを見学させてもらった。「トレーニングシューズだけは用意してもらわなくちゃいけないけど、興味を持ったらぜひ来てください」と言われた。通おうかなと思った。
 そんなこんなで充実の思い出巡りだった。時刻も夕方になり、さてそろそろ帰ろうかというところで、事件が起る。隣を歩いていたファルマンが、いきなり持っていたビニール袋に顔を突っ込み、嘔吐しはじめたのだ。前兆もない突然の出来事に、えっ? えっ? と戸惑った。ひとまず木陰に避難して休む。まだ母と娘と別れる前だったので助かった。状況や症状から、どうも熱中症ではないかという話になる。母親に子どもたちを見てもらい、僕は水分や塩分のものを買いにいった。しかし水分を与えてもファルマンの調子はなかなか回復せず、立ち上がってもまたすぐに吐き気に襲われていた。これはまずいことになった、と思った。なんてったって練馬である。ここから実家まではどうしたって1時間半ほど掛かる。旅先でのこういう事態の不安さ、心許なさ、というものを痛感する。それでも帰らないわけにはいかないので、しばし休んだところで、母親たちに心配されながら別れ、電車に乗り込む。有楽町線直通の便に乗って渋谷まで出て、そこから田園都市線。どちらも座ることができたのは救いだった。ファルマンは車内でも何度かえずいていたが、なんとかたまプラーザまで持った。それから母の車で家までたどり着いた。たどり着けてよかった。本当にどうなることかと思った。
 それからファルマンはひたすら横になった。帰宅した実家には、姪と甥がやってきていた。キャンプから帰ってきたのだ。義兄は別の集いがあるとのことで現れず、姉は風邪を引いたとのことで子どもたちを置いてすぐに帰ったという。昨日のキャンプは、タープに溜まった雨水が滝のようにこぼれるような有様だったそうで、風邪を引くのも当然の帰結だと言えるだろう。僕はそれから改めてドラッグストアに行って、補水液や吐き気止め、ゼリー飲料などを買った。店員に症状を話して相談したら、「今日みたいに雨上がりに急に気温が上がったような日は熱中症になりやすいのだ」と言われた。ここまでの本当に冴えない天候の日々により、熱中症なんて言葉は完全に頭の埒外だった。妻も姉もやられた。どうも今年のGWの気候というのは、あんまりにも性格が悪かったのではないだろうか。あんまりにも。
 晩ごはんはピザだった。昨日が春巻で今日がピザ。実家の食事は脂質が多いな。またしてもビールが進んでしまう。ファルマンはゼリーだけ啜り、そのまま寝た。
 翌日もファルマンはもちろんヘロヘロだったが、この日は初めからなんの予定もなかったので問題なかった。たっぷり休んだことで徐々に回復はしてきていて、おかゆを少しずつ食べていた。風邪の姉もまたひたすら寝ていたいようで、子どもたちを託しに来てすぐに自分だけ帰った。そのため僕ひとりで4人の子どもの相手をする構図となった。こんなのこれまでの僕だったらウェーとなる場面だったが、2ヶ月前から健康志向になっているので、やってやろうじゃないかと近所の公園に繰り出し、サッカーなんかしたりする。本当に、たまたま僕が健康に目覚めていたからよかったようなものを、だ。これまでの肝臓弱ってるおじさんだったらとても無理で、公園で遊んだ以上の時間を回復のための昼寝に要していたに違いなかった。それに対して現在の溌溂さ! 昼ごはんを挟んで午後にも別の公園に出掛け、さらには地区センターで卓球までして帰った。
 晩ごはんは、帰省中に必ずどこかでなされる、定番の手巻き寿司。ここには子どもたちの迎えのために義兄が現れ、一緒に食べた。ちなみに義兄は僕とかなり同じようなタイミングで、「酒をやめてみたら案外そのまま平気になってしまって健康に目覚めた」そうで、運転があるので当然だが、この日もまったく酒を飲んでいなかった(僕は飲んだ)。なぜ時を同じくしてなのかは謎で、世界一どうでもいいシンクロニシティだと思った。「俺よりも4年早く健康に目覚めたのが羨ましい」と言われ、39歳の肝臓弱ってるおじさんが35歳の肝臓弱ってるおじさんを羨むのって、地獄のような図式だなと思った。
 食事を終えて、姉一家(の姉以外)を見送る。今回はこんな状況なのでもちろんポルガの姉家への宿泊は実行されない。なかなかにバタバタとした邂逅となった(と言っても僕は1日たっぷり相手をしたけれども)。次に会うのは年末か。
 翌日は帰宅の日。ファルマンは昨日の日中をずっと寝たことで、夜にはまあまあ回復し、夕餉の席にも顔を出せるまでになっていた。本当によかった。2日前の夕方の中村橋の絶望感たるやなかった。まったくすごいGW帰省だった。出発と帰宅は早いに限る、ということで新幹線は9時台の便。祖母に別れを告げ、母にあざみ野まで送ってもらった。
 岡山まで戻って在来線に乗ったら、だだっぴろい風景にほっとした。光が丘公園とはやっぱりぜんぜん違う、野(でさえないもの)がそこにはあって、そして人がぜんぜん少なくて、ああこっちに安心するようにもう頭がなっているのだなあと思った。

安息春週末

 土曜日は花見を敢行した。今週はウィークデイがずっと寒く、島根行きで崩した体調がなかなか改善せず、プールにも行けない冴えない数日だったが、体の具合も気候も週末に一気に帳尻を合わせてきた。昨日からの暖かさで、桜も満開とまではいかないが、言う人によっては「これくらいがいちばんいいんだよ」と言いそうな程度には咲き揃った。1年でこの日がいちばん花見に適した日であることはまず間違いなく、だとしたら場所のセレクトはとても大事だと考え、思案の挙句に山のほうにある公園を選んだ。これまで2度ほど行ったことのある公園だが、桜の時期に行くのは初めて。桜の時期に行っていないので認識していなかったが、ウェブで情報を見たら実は桜の木が多く、いい花見スポットなのらしい。またわが家の場合、花より団子ならぬ花より公園の要素も大きいので、そういう意味でもちょうどいいと思った。しかし行ったところ、普段は休日でもガラガラの駐車場が満杯で、特別に停めてもいいらしい園内の道にも縦列駐車で隙間なく車が連なっていた。自分がまだ子供だった頃、横浜でこういう類の経験をしたことはあるが、大人になり、地方に住むようになってからは初めてで、なんだか驚いた。でも車を停めることができない状況で横目に眺める園内は、それはもう桜がダイナミックに咲いていて、まあこれは誰もが今日ここに来るよなあと思った。そうしてしばらく園内をさまよい、だいぶ山からも降りる形になったところで、ようやく空きのある駐車場にたどり着いた。たぶん1年でこの時期にしか使われない駐車場。車窓からの桜があまりにも見事だったので、降りられずにそのまま下山ということにならなくて本当によかったと思った。そして待望の花見にありつく。駐車場は大変な有様だったが、園内は面積が広大なため、そこまで人に溢れ返っているということはなかった。シートを敷き、お弁当を食べる。山肌に幾重にも咲き連なる桜はすごくよかった。食後は子どもたち待望のアスレチックエリアへ。これがなにしろ山肌に作られているので、わざわざアスレチックになど挑まずとも、大人にとっては子どもについていくだけで十分にアスレチックだった。登りの斜面は、ただの坂の部分と、階段になっている部分があり、親切にもどちらも味わうことができ、その結果、どちらにもそれぞれのつらさがある、と思った。ファルマンにそう話したら、「坂は腰、階段は膝」と、さすがはつらさの大家だな、という含蓄のある言葉が返ってきた。挙句の果てには、広めの間隔の階段の、段と段の間が坂になっているというハイブリット型まで現れ、この容赦ない苦しませっぷりは、ここはもしかしてプチサイズの地獄なのではないかと思った。それでも大人の花見欲と子どもの公園欲が十全に満たされたので、場所の選択は正解だったろうと思った。弁当からアスレチックまで、園内で撮った写真の全てに桜の木が写り込んでいた。そのくらいに咲いていた。花見はこうでないと。
 帰宅するとファルマンはよほど疲弊したのか、少し寝ていた。僕は寝なかった。これまでと逆である。体力減退の構図が、この1ヶ月半で完全に逆転したのを感じる。3月の僕はやけに健康で、プールに行って、たんぱく質を意識的に摂って、そして酒を飲まなかった。それがこの1週間の体調不良で少しトーンダウンしてしまったが、週明けからまたプール通いの日々は再開する予定だ。やっぱり30代半ばともなると、意識的にその地点にとどまろうと励まないと、取り返しのつかないことになるような気がする。
 そんな流れで言うのも何だが、この日は3日(水曜日)に祝えなかったファルマンの36歳の誕生日祝いなのだった。ケーキは、ショートケーキはさすがに飽きたということで、リクエストによりレアチーズケーキを作った。初めてだったが、焼くわけでもないのでとても簡単だった。クリームチーズやら生クリームやらサワークリームやら、レシピの通りに買ってきたものを、レシピの通りに混ぜ合わせて、型に入れて冷やしただけなので、これは果たして僕による調理なのだろうか、とさえ思った。晩ごはんのリクエストは「炊き込みごはん」で、スーパーで見たらレトルトの筍のやつが美味しそうだったのでそれでいいやとなり、すさまじく楽だった。あとは鶏肉を焼いたりお吸い物を作ったりした。ファルマンは炊き込みご飯を3杯食べた。ちなみに先日の人間ドックの結果が数日前に届き、概ね異常なしだったらしいが、体重があまりにも少なすぎることはやはり指摘されたそうだ。しかしご飯を3杯食べたところでこの人は、出すばっかりでぜんぜん蓄えないのだよな。食事のあとはケーキ。レアチーズケーキは、白一色の平らな表面で、あまりにも飾り気がなかった。そこへ「3」と「6」のろうそくだけ立てた。味はよかった。チーズやらサワークリームやらでできているので、けっこう重たいのかしら、と思いきや、意外と軽く食べられた。そんなお祝いだった。
 夜はビールとチューハイを飲んだ。実は金曜日の夜も飲んだ。飲んだらやっぱり美味しいし愉しいのだった。休みの前夜くらい心置きなく飲むってことにしよう、と思った。毎晩だと洒落にならないけれど、このくらいなら背徳感さえも美味しさの一助になるのではないかと思う。この晩は作り置きの煮豚と煮卵があったので、インスタントのとんこつラーメンなんか作ってしまう。夜中のとんこつチャーシュー麺とビール。なかなかに背徳感が暴れ馬だったが、なんとかかんとか乗りこなし、快楽方面へ持っていった。週末だけやから。
 明けて今日は、ポルガが小学校の友達(の一家)から花見にお呼ばれして出掛けたので、僕とピイガのふたりでプールに行った。子どもに定期的にプールをさせたい気持ちはあって、しかし一家全員で行くとファルマン(しかもこの人は別に泳ぎたくない)への負担が大きく、かと言って更衣室やプールでの目配りなどの都合から僕がひとりで娘ふたりを見るのは難しいので、行く際はどちらかひとりと行って、交互に連れていけばいいのではないかと考えた。そのことを子どもたちに話したら、「じゃあポルガから先!」「ピイガから!」と喧嘩したので、話がそこから先に進まずにいた。だから今日はとてもいい機会だった。次にポルガと行く際はポルガはひとりで女子更衣室に行ってもらうが、ピイガは男子更衣室に一緒に入る。更衣室はほとんど貸し切りなのでなんの問題もなかった。僕も今週は月曜日に無理して行って(喉が少し痛いだけでそこまで体調不良だと認識していなかった)以来だったので、ちょっと久しぶりで嬉しかった。もちろんピイガを付きっきりで見ている必要があるため、ほとんど自分の泳ぎはできない。ピイガの脚を後ろから掴んで押し進めるように泳ぐ、という感じで、なんとか泳いでる感を得た。ピイガはポルガよりは人の話を聞かないということはなく、浮き方ひとつ取っても姉よりは筋がいいように感じる。水泳は自分の泳いでいる姿は目に見えないので、意識の上で自分を客観視できないと上手くならないのだが、ポルガはそれが壊滅的にできない。ピイガは周りの目を気にする性格なので、それが上手なのではないかと思う。数十分そうして過すが、そこまで体を動かしているわけではないので、体が温まらず、温水プールでもさすがに体が冷えてきたので切り上げた。休日の子どもとのプールはこんな感じか。まあ自分の泳ぎは平日にするからいいのだけど。
 午後はポルガも花見から帰ってきて、ちょっと買い物に出るかという話もあったが、そこまで緊急性のある用件でもなく、なにぶん日曜日の午後だったので、よすか、となって家でのんびり過した。おやつに昨日のチーズケーキの残りを食べる。晩ごはんは塩焼きそばと焼売。なんとなくあっさり系中華献立。焼売には2日連続の摂取となる筍を入れた。ホタルイカ、菜の花、筍、カツオ。春の美味しいものはどこか、のほほんとしている気がする。美味しかった。
 先週が1日だけの休みで、しかも4時半とかに起きて、さらにはそのあと体調不良に陥ったので、今週は思う存分に夜更かしと寝坊ができ、いい週末だった。

7年目の春の暮し

 土曜日は図書館のついでに公園へと赴く。風がわりと冷たかった。バトンのほか、今回は縄跳びまで持参するが、子ども用のを目一杯に伸ばした長さでもやはり短く、ろくに跳べなかった。ランニングシューズに続き、専用の跳び縄が欲しくなった。ところでランニングは、もうそろそろ始めたっていいくらいの時期のように思えなくもないわけだが、巷のジョガーを見てみると、ウエストポーチや小型のメッセンジャーバッグを着けて走っていることに気がつき、そう言えば携帯電話や財布など、外出時の必需品はそうやって持つしかないのだなと思い至り、僕はそんなものを持っていないぞ、となって、走り出すのを躊躇っている。ファルマンから、「あんたは携帯電話や財布が必要になるほど長い時間どうせ走らないだろう」と呆れられているが、そういう姿勢がよくない。携帯電話や財布を万全に整えてこそ、心ゆくまでのランニングができるんだろうに、と思う。なので次はウエストポーチだな、と思っている。公園は短めに切り上げた。
 図書館に寄って本を借りたあと、家の近所のホームセンターに立ち寄り、ファルマンの仕事用の椅子を買う。これまで使っていた椅子が、いちおうリラックスチェアではあるのだけど、リラックスチェアの中では下等なもので、腰痛や背中痛がこのところひどいということで、新調することにしたのだった。もう平日に下見して、買うものは決めていたので、話が早かった。後部座席を最大限に後ろにやって、子どもたちの足元に大きな段ボールをデデンと乗せて帰る。
 午後になり、このところ咳に続いて頭痛までもがひどかったファルマンが、いよいよ観念して病院に行くことにしたので、子どもにはDVDを見せ、その間に椅子の組み立てをする。ファルマンはこのところ実に体調が整わない様子で、とうとう頭痛を理由に病院に行ったので、大ごとになったらどないしようとドキドキしたが、行ったのは耳鼻科であり、診断結果は本人の予想通りの副鼻腔炎だったとのことで、ひと安心する。副鼻腔炎と言えば2年ほど前の年末年始のことが思い出される。インフルエンザやその後の咳および痰で、炎症を起したパターンらしい。まあ原因がはっきりしたならよかった。
 晩ごはんは新じゃがを使ってのフライドポテトと、手羽元の竜田揚げ。とにかくカリカリの揚がり具合がよくて、卵などもちろん纏わせず、小麦粉も使わず、片栗粉だけで硬派に揚げる。その結果、もはやカリカリを超えてガリガリな仕上がりとなり、満足いく出来となった。ビールがおいしくて感動した。ビールというものはまったく年中おいしいものだな(秋あたりに少しだけ落ち着くけど)。
 翌日の今日は、ポルガが先日のスイミングで、水着と帽子をプールに忘れてきたので、それの回収ついでに、ちょっとした買い物と、ガソリンスタンドで洗車をする。洗車はだいぶ前からする必要を感じていたのだが、なにぶん寒くて、洗車後の拭き取り作業とかのことを考えると億劫で、ここまでずれ込んだ。というわけで数ヶ月ぶりの洗車。相変わらず愉しい。家族で車に乗っていて体験するわけで、サファリパークにも通じるアミューズメントであるように思う。ピイガは本気で怖がり、隣のポルガにしがみついていた。まああの巨大ブラシが近づいてくる感じは、たしかになかなかに迫力がある。洗車後は家族総出で拭き取りをし、掃除機で車内のゴミを吸った。車内の汚れもまた、車体の汚れに負けず劣らず凄まじいものがあり、時間制の掃除機に2回お金を入れて、丹念にやる。結果、とてもすっきりした。洗車の爽快感って、取りとめがなさすぎる家の掃除と違って、あの完結した空間をピカピカにすれば得られるわけで、世のおじさんたちが休日にそれをするのも気持ちが解るな、と思った。思ったところでまた数ヶ月きっとしないのだけど。
 帰宅して、昼ごはんは焼きそば。うまく作れるようになった焼きそばに、目下とてもハマっていて、平日の晩酌にも作ったりしている。寝る前の焼きそばビール(orハイボール)って、なんだかとても不健康な感じがあり、控えようとは思うのだが、それにしたって最近の僕の作る焼きそばはやけにおいしいのである。こんなおいしい焼きそばはいまだかつて、実家でも、縁日でも、スーパーでも、お店でも、食べたことがない。だから仕方がないじゃあないか、という気持ちもある。晩酌での1玉ではない、4玉を使っての製作もものともせず、今日もおいしくできた。コツは、とにかく水分を嫌うこと。だからキャベツやもやしは入れない。野菜は、ニンジンだけいちおう入れたが、なくても別にいい。麺と肉だけでいい。野菜は他の食事で摂ればいい。
 午後は、午前の洗車で勢いがつき、同じく長らくの懸念であった、寝室の大々的な掃除をする。ファルマンとふたりがかりでマットを持ち上げ、ベッドそのものを動かし、壁とベッドの隙間に落ちたゴミや埃を掃除機で吸ったり雑巾で拭いたりという、大掃除レベルの掃除である。思えばファルマンの事務員時代の同僚が、「大掃除を寒い時期にやる必要はない。あったかくなってからやったほうがいい」ということを言ったらしいが、今日はそれを地で行く感じになった。本体だけになったベッドをずらして隙間を露出させると、思わず「うひゃあ」と叫んでしまうような、体に悪そうな有様がそこには存在していて、それを掃除するのは、車に負けず劣らずの達成感があった。このところ続いていた咳がすべてこれのせいであるわけもないが、でもマジでこの掃除によって咳はこれから劇的に治っていくんじゃないかな、と思わせるほどだった。やって本当によかった。
 2時46分になり、黙祷。7年。もう岡山での生活がすっかり板についてきたこともあり、7年前は自分たちが練馬にいたのだな、と思うと、やけに不思議な気持ちになる。大昔の人と違って、現代の我々は「その日暮らし」ではないけれど、かと言ってそこまで大きく違うわけでもないな、と思う。人生をまじめに計画することはもちろん大事だけど、ひとりひとりの計画は、世界のうねりによって、まったく予期していなかった形になることが多々ある。これはいわゆるひとつの、典型的な運命論者の考え方だろう。震災を経て運命論者。我ながらとても分かりやすいな。
 そのあとひとり散歩に出掛け(ジョギングにあらず)、夕飯の材料や、車内の芳香剤などを買う。車がきれいになったついでに、芳香剤まで新調した。すっかりいい気分だが、そんな風にして誰を乗せるのかと言えば、お菓子をバリボリとこぼしながら喰う子どもたちだ。
 晩ごはんは寄せ鍋。お店で鍋スープの数々を吟味したが、どれもしっくり来ず、今日の僕が食べたいのはそういう、商品になるようなコクの効いたやつじゃなくて、あっさりと煮たものをポン酢に付けて食べる感じのやつだと喝破して、鍋スープを買うつもりだった代金でレモン果汁を買った。そうして醤油と酢とレモン汁で、かなりすっぱい付けダレを作り、薄い昆布だしで煮た具材をそこに付けて食べた。これがとてもおいしかった。ファルマンと、思えば我々が子どもの頃の鍋と言えば、こういうものだったよね、と言い合った。なんかいつからか、スープという商品が出てきて、それを選んで何鍋にするか、みたいな感じになっていたが、化かされていたのかもしれない。そうそう、こうゆうのだよ、こうゆうのでいい、こうゆうのがいいんだよ、とちょっと感動しながら食べた。

インフルB型とピョンチャン閉幕

 先週末にポルガがインフルエンザB型を発症し、そのため日曜日は隔離の意味合いも含め、ピイガとふたりで外に出た。しかし半日そんなことをしたところで焼け石に水で、あえなく今週の半ばに、リレンザ効果でだいたい回復したポルガとバトンタッチで、ピイガが発症した。だから、ポルガは金曜日にやっと解禁されて登校したのだけど、その日までは、体調がよくなって元気を持て余すポルガと、体調不良の不快感に泣き叫ぶピイガの世話で、ファルマンはそれはもうてんてこ舞いの日々だった。そして、夜中にも喉の痛みや熱による寝苦しさを容赦なく訴える子どもたちの世話で、ファルマンの体力は削られ、その結果、当然の帰結としてファルマンも具合を悪くする。もはや病院に行く気も起らず、そのためインフルエンザなのかどうなのかも不明だが、この期間の有様を目の当たりにしていた立場からすれば、それはそうだろうと思った。兆候が出るや否や、素早くリレンザを摂取したので、そもそもB型ということもあり、いまはもう大丈夫になったようだ。ちなみに僕はおかげさまで、ファルマンが厳重に子どもを統制し、食事も寝室も別にして、発症中の子どもたちとほぼ触れ合わないという対策を取ったため、発症の気配はない。もちろんまだ油断はできないけど。しかし今年の冬はインフルエンザの当たり年だった。世間的にインフルエンザの当たり年と言われる年でも、家族がまったく発症しないこともあるわけで、そういう意味で今年はわが家にとって正真正銘の当たり年だった。
 そんな状況だったので、今週はポルガとふたりでの外出となった。図書館へ行って、溜まっていた本を大量に返し、また大量に借りた。ピイガがいると、ピイガはまだ図書館であまり長く静かにできないので、今回はじっくり選ぶことができた。それから店でうどんを食べた。ポルガは最近、うどんを親から分けてもらうのではなく、自分用に1玉頼めるようになったのが、とても嬉しそうだ。
 帰宅して、晩ごはんとしてミネストローネを作った。思えばA型からの快癒のタイミングでも作ったような気がする。ファルマンに食べたいものを訊ねたら、「野菜が多くて、お腹に優しいもの……」ということだったので、どうしたってミネストローネということになる。おいしかった。
 明けて今日は、完全に外出せず、わりとひたすらに通園グッズの作製に勤しんだ。それで無事に終わったかと言えばそんなこともなく、歯ブラシ入れと、着替え入れと、あとランチョンマットの洗い替え2枚という成果。ひたすらに勤しんだと言ったが、実際はYouTubeを流しながらだらだらやったのだった。でもこれで残りは手提げと上履き入れのみ。それも裁断は済んだので、もうすぐだ。もうすぐでようやくハンドメイドブログのこけら落しの記事が完成する。
 晩ごはんは鳥肉とゆで卵の煮物と、ほうれんそうとコーンのバター炒め。食事も今はひとり自分のパソコンデスクで食べているので、ちょっと侘びしい。早く娘たちに競ってビールを注いでもらう日々が戻ってきてほしい(来週の水曜日くらいの予定)。
 夜はピョンチャンオリンピックの閉会式。中国の偉い人はどんなコスプレで現れるんだろうと期待していたら、普通にVTRでスーツ姿で語っていて残念だった。それにしてもオリンピック、韓国の次が日本で、その次が中国なのか。なんだかそれって、東アジアの人間ながら、白ける。もっと遠くでやってほしい。