主におろち湯ったり館について書いた週末の日記

 今週も土曜日が出勤で、水曜日はたしかに休みだったのだけど、なんか週の半ばの休みって逆にリズムが崩れてじわじわしんどかったりするのだよな、という感じもあり、さらには日々の激しい寒暖差もあって、最終的にはじっとりとした疲労感があった。その疲労感で挫けそうにもなったのだけど、だからこそ積極的に癒すための行動をしなければならないと奮起し、今週の予定として当初から目論んでいた、労働後のおろち湯ったり館行きを決行した。いつも言っているが、職場とおろち湯ったり館は、自宅を挟んでまるで逆方向なので、行くことにするまでがかなり億劫と言うか、このまま帰っちゃえばなにより楽だな……、という衝動に駆られるのである。しかしその誘惑に負けて行くのを取り止めると、翌日の日曜日も、そして翌週も、やっぱり行けばよかったな、行かないといけないな、という葛藤に延々と苛まれることになるので、もはやそれを回避するのが目的で行ったようなものである。こうなると僕のおろち湯ったり館行きは、なにを求めての行為なのかいよいよ分からなくなってくる。
 しかし自宅のすぐ横を通り過ぎて、おろち湯ったり館への道のりへと車を進めてしまえば、もうその億劫さからは解放されて、純粋に愉しみな気持ちだけになる。このときの気分の良さは、やはりおろち湯ったり館の持つパワーだろう。日も長くなって、道中はまだ明るかった。この分なら先週から再開した2階での外気浴も、はじめのうちは、すっかり陽が落ちてしまう前の、暮れなずんでゆくさまを愉しめることだろうとわくわくした。
 無事に到着し、男湯は今回も木風呂のほう。サウナ室が大きいので、こちらのほうが嬉しい。いつもは最初にプールに行きがちなのだが、今日は日没のあわいを求めて、サウナから始めることにした。短縮営業の冬時間も終わり、混雑も緩和されたようで、人の入りはほどほどで、サウナ室の温度も高く保たれ、よく効いた。前回、真冬に来たとき、サウナの熱に包まれながら、鼻腔のあたりがほどけていくという、寒いとき人って鼻腔が縮こまるんだな、と実感する感触があったのだけど、前回よりはだいぶ気温の上がった今回も、淡くその感じがあった。顔の中心にある鼻腔がこうも物理的な感じで収縮するのだとしたら、人相というのも寒いときと暖かいときでだいぶ変化するのではないか、などと思った。サウナ室を出て、水風呂ののち、2階に上がって外気浴。ベンチで横になる。雲が猛スピードで移動するような、めまいまではぎりぎり行かない、アルコールを伴わない酩酊感のようなものが訪れる。これがいわゆる「ととのう」なのかどうかは知らないが、1杯目のビールと同じ、受け止めきるには身構えが必要な、もとい快楽の度合がオーバーして、逆にちょっと負担でさえあるというような、そんな感覚。それが純粋に快感なのかどうかは別として、日常生活では生じ得ない角度から、日常生活で溜まった澱が払拭される感じがある。億劫さをおして来た果以があった、やっぱりおろち湯ったり館は裏切らない、と1セット目のサウナで早くも満足した。そのあと何セットか繰り返し、陽はすっかり沈んで、頃合を見計らってプールにも行ってひとしきり泳ぎ、しっかりと堪能した。今回もいいおろち湯ったり館だった。
 今回の客層の特徴として、珍しく若者のグループが多かった。脱衣所で彼らの会話が耳に入ったのだが、「おろち湯ったり館、すげえよかった」という話をしていて、「「ゆらり」はアレだし、温泉津もナンだし」みたいなことを言っていて、なんだよこいつら、愉しそうだな、と思った。「サウナイキタイ」のユーザー同士の絡みは、AMラジオ感があってものすごく嫌いなのだけど、でも実際にこうして仲間グループでサウナに来ている人たちを見ると、愉しいんだろーな! ずっちーな! という気持ちにさせられる。とても久しぶりに、友達が欲しい気持ちがむくむくと膨らんできそうになった。やはり友達というのは、裂傷部分、欠損部分に入り込む細菌なのだな、と改めて思った。
 帰宅して、休日前の夜を愉しむ。平日はきちんと休肝したので、3日ぶりの酒だ。「秋山歌謡祭2024」や、昨日観られなかった「不適切にもほどがある!」など観ながら、ビールや赤ワインを飲む。白ワインから始め、赤ワインにも手を出し、そして最近はすっかり赤ばかり飲むようになった。白に較べて赤はエグい、と最初は思っていたのだけど、飲むようになったら、白のほうがむしろエグいと感じるようになった。なんとなくこの感覚は通っぽいような気がする。「そう? 白のほうがむしろエグいと思うけどな」みたいな。そして赤ワインに合わせて、肴はチーズだったりする。チーズに赤ワイン! パピロウ変わったね!
 翌日の今日は、特に予定もなく、のんびり。午前中はドラクエ11を進める。世界崩壊後、ドラクエ4ばりの、仲間キャラそれぞれの物語のようなものが展開されていたが、今日でやっと主人公(ちなみに名前はパッピローニ)に話が戻った。ここから仲間との再会が描かれてゆくのだろうな。長いな。
 午後は久しぶりにキララ多伎のほうに行って、海を見たりした。肌寒い曇り空の日本海。これが季語でいうところの「春の海」だな、としみじみと思った。しみじみと思ったが、なにも句は思い浮かばなかった。しみじみと思ったが なにも句は思い浮かばなかった 春の海(字余り)。
 晩ごはんは鶏もも肉のステーキと、新じゃがのフライドポテト、マッシュルームの卵スープ。お前それ赤ワインを飲むためのメニューじゃねえか、という感じだが、そう言えば夕食時は飲まなかったな。ワインを飲むと、そこでもう夜が終わる感じがあるから、夕飯時にはちょっと飲みづらいのだ。このあと「光る君へ」を観ながら飲もうと思う。

春だったり冬だったり

 先週の土曜日は労働だった。それなのに珍しくポルガの部活は休みで、擦れ違いなのだった。それで家族3人はどうしたかと言えば、子どもたちはドラえもんの新作映画を観に行ったという。「のび太の地球交響楽」という、音楽をモチーフにした作品。朝いちばんの上映を予約し、当然ながらファルマンが送迎した。子どもたちがふたりだけで映画を観たのは初めてで、成長を感じさせるような、ただ単にゆめタウンまで連れて行ってもらって席に座ってドラえもんを観ただけだからぜんぜん大したことではないような、いまいち判断がつかない感じである。ちなみに僕は小学生の頃、同級生と田園都市線に乗って渋谷に出て、映画を観ていた。それに較べるとやはりだいぶ箱入りな気がする。
 映画を観終えたあとは、3人でマクドナルドを買って帰るという計画を立てていて、前日にファルマンが予約注文のためにマックのアプリをダウンロードしようとしたところ、例の全世界的なマックのシステム障害が発生していて、叶わなかったという。このあまりの絶妙すぎるタイミングに、思わず「このシステム障害は君がダウンロードしようとしたせいなんじゃない」と軽口を叩いたら、「それ、ポルガにも言われた」と言われた。あなたたちって本当に似た性格してるよね、とも。そんなことはないだろう。傍でポルガの発言を聞いていて、こいつ性格悪いな、と思う場面が多々あるのだが、僕がそう感じるということは、ポルガは僕を凌駕しているということだと思う。結局予約はできなかったが、店舗は営業していたため、無事に購入できたらしい。買ったのはもちろんドラえもんのおもちゃが付くハッピーセット。マイクやボンゴなどが当たっていた。鳴り物+ピイガの組み合わせがうるさいったらありゃしない。あとボンゴという言葉が出るたびに、自分が「たたけボーンゴ」とマツケンサンバⅡの一節を唄い出すのが我ながらウザいと思った。
 日曜日は、午前中はポルガが部活だったため、僕とピイガで例のプールに行った。「例のプール」というと、思わずあの「例のプール」を連想してしまうが、もちろんこれは新宿区の話ではない。島根の、だいぶ山奥にある健全なプールである。2月の、あのいま思えばどう考えても異常だった温暖な陽気の日ほどの感動はなかったが、それなりに愉しく泳いだ。ちなみにこの日の営業から、おろち湯ったり館では2階が開放されていた。なんならオープンめがけて行って、今年度の2階の最初の客になるというのも悪くないと思ったが、昨日のこともあったので、午前中はピイガを受け持つことにしたのだった。
 午後は近場の買い物をこなし、あとの時間は筋トレや縫製をして過した。水着作りを着々とやっているが、思ったよりも数がいかない。そこまで集中してやれているわけではないというのはあるけれど、せっかく売り出すのならやはりある程度はまとまった数をこしらえてから始めたいと思っているので、もどかしい。
 それから平日を2日間やって、本日は春分の日で旗日。そして今日が休みでよかった、と心の底から思うような、何度も目が覚める夜通しの暴風雨であった。気温もぐっと下がり、三寒四温という言葉の範疇を大きく逸し、真冬のようになる。暖冬という肩書を保持しながら、陰ではコソコソとこうして悪事を働く、性根が姑息な今年の冬の、ラストにして真骨頂を見たような気分だ。
 午前中はポルガが部活だったため、残った3人は家でのんびりと過した。僕はドラクエ11をやった。昨晩もやっていて、いま主人公が魔王を突っついたせいで世界が崩壊してしまったところ。世界中の人々が希望をなくしてしまってしゅんとしてしまっている感じが、2017年の発売ながら、その3年後あたりの現実世界のようだな、などと思った。
 午後は買い物と、せっかくなので墓参りを行なう。先だっての葬儀では、式に参加しなかった子どもたちは手を合わせる場面もなかったので、ここらでひとつ、じいさんも含めて顔を見せておこうじゃないかと思ったのだった。偉い。普段ひねくれたことを言いつつも、なんだかんだでそういうところは律儀というか、仁義があるというか、人間的に立派だよね、と思う。誰も言ってきたりはしないので、自分で思っておく。雨はやんでいたが、風があり、線香に火を点けるのに往生し、凍えた。
 帰宅して、おやつはおはぎ。あずきときなこをそれぞれ等分し、ファルマンと分け合って食べた。久しぶりでおいしかった。子どもたちは、ピイガは出せば食べたかもしれないが、ポルガが餅系を拒絶するので、ポルガだけふわふわした洋菓子とかだとピイガがかわいそうだと思い、ふたりともそういうものにした。スポンジとカスタードクリームの、おいしそうなやつ。おいしそうだった。なんで親だけ、お彼岸に義理立てておはぎ喰ってんのかな、と思った。
 晩ごはんはひな祭りのあたりにすっかりやり忘れた、ちらしずし。あと先日の手巻きずしの際に唱えた、すし酢の香りを嗅ぎながら食べると玉子焼きとかたらこマヨとかアボカドとか納豆とかの、本当はすしじゃないやつが滅法おいしく感じられるという説を立証するため、そういったものたちをごちゃまぜにした、サラダというか、もはや酒の肴そのもの、みたいな和え物を作り、サイドメニューとして小鉢で出した。結果はどうだったかと言えば、もちろん美味しかった。テレビではドジャース対パドレスの、韓国で行なわれるメジャー開幕戦が中継されていた。大谷とダルビッシュの初対決ということで、これは観なけりゃいかんと思ってチャンネルを合わせていたが、いざ試合が始まると、数ヶ月ぶりに目にする野球は、そうか、そう言えば野球ってこういうものだったな、という、あまりなにを愉しめばいいのか分からない感じで、早々にチャンネルを切り替えた。選抜も始まったし、いよいよ球春ですね。
 そんな感じの、先週末からの日々でした。

17年

 これは本当にまぐれなのだけど、ちょうど先ごろ「おもひでぶぉろろぉぉん」で読み返した、「ファルマンの父方の祖母が餅を喉に詰まらせて植物状態になる」という、2007年の1月下旬に起った出来事が、このほどようやく終結したのだった。
 丸17年である。上の義妹が成人式をした年であった。下の義妹はまだ高校生であった。つまり当時彼女は17歳だったので、彼女の人生の半分、祖母は眠り続けていたということになる。長い。あまりにも長い。かつて麻生太郎がボヤいたように、もはや魂があるのかないのか分からない祖母に、その年月注ぎ込まれた保険料のことを思うと、日々せっせと働くことって一体なんなんだろう……、と虚無的な気持ちになったりもした。でも17年前のあの日、「とりあえず生かすことは可能」という診断結果に対し、親族が処置を断るという選択肢もなかったわけで、これは本当に難しい話だ。なにより誰もそれが17年も続くとは考えていなかったし。とりあえず親族にも、ご本人にも、おつかれさまでした、という言葉をかけるよりほかない。
 僕は故人にいちどだけお会いしている。在学中に島根に行ったのは1回だけだったと思うので、そのときだ。これぞまさに一期一会というものだな、と思う。もちろんそこまでしっかり絡んだわけではないので、印象というのは特にない。でも会ってはいるんだよな、という感慨はあった。俺もなかなかこの一族の中で古参になってきたものだな、と。
 木曜日の朝に亡くなり、金曜日が通夜だった。仕事を少し早上がりして、僕もホールへと向かった。ほぼ身内だけの式なので、集まっていたのはほとんどが知った顔だった。義父の妹の娘、すなわちファルマンの従妹と久々にお会いした。いつぶりかと言えば、祖父の葬式以来だろう。親戚あるあるの定番、「喪服でしか会わない」のやつだな。関西に住む上の義妹一家はまだ到着しておらず、翌日の葬式からの参加ということだった。また従妹の下には従弟もいるのだが、そちらはいま関東に住んでいるため、明朝の早い飛行機で来るらしい。通夜の儀式はつつがなく終わった。純度の高いメンツなので、僕はどうしたってわりと部外者的な感じで、それでいて通夜というのは、ご遺体とかなり接する場面があるため、なかなか戸惑った。下の義妹や従妹は肩を震わせたりしていたが、ファルマンは一切そんな様子がなく、前日に初めて祖母の遺体と対面したときも、ファルマンは開口一番に「鼻毛」と口に出して言ってしまい、顰蹙を買ったそうだ。ドンマイドンマイ、僕は好きだよ。
 翌日は午前に火葬、午後から葬儀というスケジュールで、午前中のそれにはわが家からはファルマンだけが参加することとなり、午前は子どもとのんびりと過した。ちなみにこのタイミングで鳥山明の訃報が届いており、追悼の気持ちを込めてドラクエ11を進めた。
 昼ごはんを食べてから再びホールへ。上の義妹一家と、従弟が参上していた。上の義妹一家は、日記にも書いたとおり、2月下旬に会ったばかりで、別れるとき、どうせまた1ヶ月後の春休みになったら会うのだなー、などと思っていたら、それよりさらに短いスパンで顔を合わせた形だ。こっちが移動しているわけではないので、居住地が関西であるという距離を感じさせない遭遇ぶりである。それに対して従弟は本当に久しぶり。当然こちらも祖父の葬式以来である。その頃が20代半ばから後半くらいで、いまが34歳。前回のときの記憶が残っているわけでもないが、彼にとっての母と姉が通夜の際に「老けたよ」と評していた通り、なかなか貫禄が出ているように感じた。太ったというわけではなく、なんというか、トーンが落ちたというか、渋くなったというか、若々しさがなくなったというか、くすんだというか、とにかくこれがリアル加齢というものだな、と思った。向こうもこちらを見てそう思ったろうか。彼の数年間がたまたまそれが顕著に出る時期だったのであり、こちらも一律にあの変化が起っていて、身近な人間では気づきにくいが、数年ぶりに対面したら僕も劇的に変わっているように見えているのだ、とは思いたくない。おそろしくてしょうがない。いや、人は老い、そして死ぬものだけども。それを痛感させる最たる行事にまさに参加している身の上なのだけれども、それだから余計にかもしれない、数年ぶりに会う親戚に「老けたなー」って思われるのきっつ、と思った。
 葬式は、ご遺体が遺骨になった以外は、通夜とあまりやることに違いはなかった。お坊さんが戒名の説明をする際、脇の台に置かれた位牌を取ろうとして、水平チョップのようになってしまい、位牌を思いきり倒したのがおもしろかった。ファルマンとは席が離れていたのだが、いまあいつは絶対に笑いをこらえているのだろうな、と思った。ファルマンは昔から、葬式のときはずっと頭の中で志村けんが躍動するのだそうだ。そのあとはひたすらお経。今日は鳴り物要員もいて、やかましかった。どうも一丁前に、音の強弱や鳴らす所作などにこだわりがありそうで、なんじゃそりゃ、と思った。死後の世界のことは生きている人は誰も分かってない、分かりようがない、ということを、みんなもう知っているのに、なんでお坊さんって、あんなふうに「こういうものですよ」という感じで振る舞えるのだろう。あれって一体どういう精神構造なのだろう。嘘を自分で信じ込み過ぎて、嘘と現実の区別がつかなくなっているのだろうか。あるいはもう完全にビジネスライクなのだろうか。それならそのほうがよほど健全だと思う。そして僕はそのビジネスにはお金は払いたくないな、ということを今回改めて思った。もしもいま僕が突然に死んだら、何宗なのかも知らないが、家のなんかしらの宗派の寺の取り仕切りで葬式がなされることになるが、それは事前にきちんと、決してやってくれるな、ということを意思表明しておかなければならないと思った。僕の葬式は和民かサイゼリヤでやってほしい。そこでみんなリーズナブルに、食べたいものを食べ、飲みたい酒を飲んでほしい。そして願わくば、最後に死体でフィッシュパニック(胴上げ)してほしい。そうすれば、僕は文字通り浮かばれると思う。
 とまあそんなことを思った、久々の葬式だった。式はこれでおしまい。ファルマンのいとこたちと、別れの挨拶を交わす。「また長いお別れだね」と口からついて出たのだが、もうファルマンとこのいとこたちの共通の祖父母は、これにていなくなったわけで、滅多なことを言うものではないが、次の葬儀は次の世代の番ということになり、そう考えれば彼等との再会は本当にだいぶ先のことになりそうだ。その頃にはもうどうしたって、お互いに「老けたなあ」と思わずにはいられないに違いない。
 そのあと納骨などもあったが、火葬と同じくそちらはパスし、義妹の娘を含めて子どもたちを連れて僕だけ先に実家に帰った。ちなみに子どもたちは、通夜も葬式も、ホール内のホテルのような控室で遊んで待機し、式には参加していない。なにしろ故人とはいちども触れ合っていないので、その距離感は仕方がないと思う。17年間というのは本当に長かった。僕は「おもひでぶぉろろぉぉん」をやっているので、強い実感とともにそう思う。ただそのおかげで、ということもないが、今回の一連の葬儀に悲愴感はほぼなかったと言ってよく、この、親戚一同が喪服を着て式に参加しているのに、故人に対しての喪失感がない感じって、あれだな、これはもはや法事だったのだな、とも思った。葬式と、17回忌を、足して2で割ったような、今回はそんな儀式だったような気がする。不思議な感触で、なんだか早くも白昼夢のような記憶になりそうな気配がしている。

逃げない2月

 金曜日が祝日というタイプの3連休であった。ポルガが学年末試験の直前であったり、ファルマンの上の妹一家が車検のために兵庫からこちらにやってきたりで、なんだかんだでバタバタし、あっという間に過ぎ去った感がある。
 初日は、初日はなにをしたのだっけ。ポルガを試験勉強のため図書館に送迎したり、そのついでにスーパーで買い物をしたりすると、わりとそれだけで午前中が終わったりして、ふわっと過ぎ去ったような気がする。午後、上の妹一家が実家に到着したので、家族はそちらに行き、ひとり残されたので、のびのびと自慰をしたのだが、天皇誕生日に自慰をするというのは、これは国民として真っ当なことなのか不敬なことなのか、判断が難しいところだな、などと思った。ちなみになのだが、やけに勢いよく飛び出た。現人神のなんかしらの力が作用したのだろうか。だとしたらすごい話だな。ものすごく直接的に国の繁栄に繋がるな。晩ごはんは、数日前から正統派のおいしい醤油ラーメンが食べたい気持ちが高まっていたので、そうしたのだが、万全を期して作ったのに、満足度としては80点に届かないくらいの出来で残念だった。
 2日目は、午後にまた家族が実家に行ったのだが、この日は自慰ではなく、逆に実家までランニングで行く、ということを実行した。なにが「逆に」なのかよく分からないけれど。我が家から実家までは、走って行こうと思えばぜんぜん可能だが、往復となるとちょっとしんどいな、という距離なので、今回のように向こうに既に家族が行っていて、帰りは車で帰れるという状況は絶好のチャンスなのだった。義妹一家に、さしあたって顔を合わす理由もないな、と思っていたけれど、それでもせっかく来ているのにまったく接触しないというのもな、という思いもあったので、そういう意味でもちょうどよかった。まあ正月に会ったばかりだし、春休みにはまたこちらに来るに違いないのだけど。もうすぐ2歳になる第二子が、ひたすらかわいらしかった。警告色のようなガチのランニングウエアで登場したので、ただでさえ人見知り時期のところ、完全に怖がられ、ぜんぜん抱っことかはできなかったけれど。晩ごはんは、鶏の手羽元を、クリスマスに好評だったローストレッグ風に味付けし、じゃが芋やかぼちゃと一緒にオーブンで焼いた。先週に引き続き、お前それ赤ワインが飲みたいだけじゃないか、というメニューなのだった。おいしかった。
 3日目は、子どもたちは実家やら図書館やらで、またその送迎で微妙にせわしなく過ぎた。ピイガはいとこと遊べることを喜びつつも、3連休の間に何度もプールをせがんできた。しかし先週の陽気はやはり奇蹟だったのであり、今週はきちんと2月下旬らしい寒さで、さらには花粉も飛び始めていてクシュンクシュンとやっているので、とても連れていける感じではなかった。でもそれだけまた行きたがるということは、先週のあれがよほど愉しかったのだろう。たしかに本当によかった。人生の歓びとはこういう時間のことを言うのかもしれない、とさえ思った。なので午後にこそっと僕ひとりだけで泳ぎに行った。ピイガに知られると絶対にめちゃくちゃキレられるので、隠している。先週もピイガには子ども用プールで遊んでてもらい、その間に何百メートルかきちんと泳いだが、今週はひとりでがっつりと泳ぐ。せっかくだからということで1キロ泳いだ。ランニングするし泳ぐし、ずいぶん活発な奴だな。晩ごはんは、ファルマンに前日にリクエストを訊ねたら、「手巻きずし」という子どものような答えが返ってきたので、そうした。刺身もおいしかったが、毎度のことながら卵焼きやたらこマヨといったあたりが、くらくらするほどおいしい。でもそれだけだときっとそこまでおいしくないんだよな。なんだろ、刺身の匂いかな。刺身の匂いを嗅ぎながら食べることで、やけにおいしく感じられるのかもしれない。
 まあそんなような3連休で、大きなイベントはなかったが、のんびりと平和に過した。2月は逃げるなどと言われるわりに、意外と長いような気がしている。こちらが短いハードルを高め過ぎたのかもしれない。評判ほどじゃないよね。ちょっと調子に乗ってるよね。

山陰の2月なのに晴れた週末

 2月の山陰とはとても思えない、晴れやかで温暖な週末だった。もちろんこれは期間限定のもので、週明けからは気温が下がり、さらには荒れるという予報である。であればこそ、この2日間の尊さが際立つというものだ。結果的に、こうしちゃいられない衝動に突き動かされた2日間となった。
 土曜日は午後から一家で公園へと繰り出した。公園を目的地としたのはいつ以来だろうか。去年の秋は、なんだかんだでそういうことをしなかったような気がする。行ったのは平田にある愛宕山公園。図書館にも行きたかったのでその選択となった。前回に行ったのがもうだいぶ前で、シカやヒツジやヤギが飼育されているということ以外、ほとんど覚えていなかった。遊具はそれほどでもなかったはず、と思っていたが、行ってみたらたしかにそれほどでもなかった。そもそもがだいぶ小さい子向けで、中学1年生と小学4年生は明らかに対象ではなかった(それでもポルガはぜんぜん気にせず遊んだ。さすがだ)。しかし名前にあるように山に作られた公園なので、案内に従って進むと展望台に辿り着き、そこからの景色がとてもよかった。晴れて暖かいだけでなく、空気がとても澄んでいたのだ。本当にいいコンディションの日だったのだ。東のほうに視線をやると、遠くに雪を被った山があり、どうやらそれは大山であるらしかった。三瓶山にしろ大山にしろ、なるほど名のある山というのは見事な見た目をしているものだな、と思った。とてもいい散歩になった。そのあとは図書館に寄り、さらには平田に来たあともうひとつの理由である、先月くらいにオープンしたダイレックスにも寄った。平田にダイレックスができたとは聞いたが、いったいどのあたりにできたのかと思っていたら、なんのことはない、図書館の本当にすぐ近くだった。まだオープニングセールを継続していて、肉がとても安く、喜んで買い込んだ。ほくほくと、すばらしい平田行きであった。
 晩ごはんは鶏の唐揚げ。ポルガが翌日、お弁当行事なので、そのおかずのためのメニューである。今週から週末限定とした酒がおいしかった。ちょっと久しぶりのビールに体が驚いたのか、喉の奥や胃のあたりから変な音が出た。
 翌日も同じような天候で、ポルガは科学教室の課外活動で、貸し切りバスに乗って遠出だという。うらやましい。もうこの陽気の中、貸し切りバスで移動するというだけで、成功は確約されていると言ってもいい。帰りは夕方ということで、姉ひとりが愉しそうなイベントに参加し、取り残されたピイガがあまりにも不憫になる。そこで前から存在は知っていて、でもなんとなく足が向かずにいた、実は車で30分足らずで行ける屋内温水プールに、とうとう行くことにした。ファルマンは仕事を抱えていたが、初めてのプールでピイガを更衣室でひとりにするのは心配だということで、仕事道具を持って付いてきてくれた。今は休館している行きつけのプールが、ありがたいことにとても近所にあるため、やけに遠いように感じていたが、まあ車で25分くらいなので、実は倉敷時代に児島のプールに行くよりも近いのだ。倉敷時代は、どこへ行くにも30分以上の移動は当たり前だった。今はコンパクトシティ(もとい、栄えているエリアがほぼ1箇所しかない)に暮しているので、感覚がちょっと変わっている。初めて行ったプールは、ファルマンも子どもの頃に何度か行ったという場所で、しかしどうやら近年に改装がなされたようで、とても新しげできれいだった。窓から陽光がたっぷりと降り注ぎ、もちろん空いていて、非常に良かった。プールからガラスを隔てて見学席があり、好都合なことにそこにはテーブルもあったので、ファルマンは快適に仕事ができたという。ピイガは久しぶりのプールにはしゃいでいて、連れてきてよかったと思った。僕もピイガの相手をする合間に、25mのプールできちんと泳ぐということができたので大満足だった。やっぱり50mや100mをしっかり泳ぐと気持ちがいいな。通勤の方向とは残念ながらぜんぜん違うのだが、向こうのプールはまだまだ再開しないので、必要を感じたらまた来ようと思った。
 そんな感じで、2日間とも陽の光を存分に浴びて、山陰の冬で溜めた鬱屈がだいぶ癒された週末であった。まあ実際、冬はもう虫の息と言っていい。しかし虫の息と言うと、春のほうがよほど虫の息吹をイメージさせるため、ちょっとややこしいことになる。

久々連休

 1月は前半に休みを大量消費してしまい、その帳尻合わせのように後半は出勤の土曜日ばかりが続いていた。たぶんこれは、完全週休二日制じゃない会社あるあるだろう。だからとても久しぶりの3連休に、テンションは高かった。
 そのようなわけで、初日には行かねばならぬという使命感から、おろち湯ったり館へと繰り出した。前回、日中に行ったらプールに人が多いしサウナはまだ熱くないしで微妙だったので、やはり夕方から夜にかけてがいいだろうということで、温め直せばいいように晩ごはんを作っておき、ひとり17時くらいから雲南へと車を走らせた。2月ながら、道の心配はまるでない。つまり暖冬だったかと言われると、普通に寒かったわ! と反論したくもなるが、やはり雪は少ない冬だった。しかしいつに降ったものか、湯ったり館の駐車場の一角には、雪が集められ積まれていたので驚いた。
 晩ごはんどきに差し掛かった湯ったり館はもう混雑のピークを超えているだろうと目論んでいたのだが、中に入ると意外と人が多かった。多かったと言っても、もちろん横浜の実家近くのスーパー銭湯のような、ギャグマンガ日和のようなレベルではぜんぜんないのだけど、空いているだろうと当て込んでいたので、ちょっとショックだった。サウナ内での常連客同士の会話によると、どうやら今年の冬から冬時間営業というものが制定され、閉館時間が1時間前倒しになっているため、それで人が多いのだということだった。「ほんにろくなことせん」とその常連客はぼやいていた。その人は、何ヶ月かにいちどくらいしか来ていない僕が、それでも顔を覚えているような、おそらく毎晩ここで風呂に入っている人なので、人生の調和が崩れたほどの出来事なのだろう。でもサウナはしっかり熱かったし、男湯が広いほうの週だったしで、まあまあよかった。2階にはもちろん上がれないのだけど、1階の露天の脇のベンチで外気浴をしていたら、冬の山陰名物の、降るとも降らないともない霧雨のようなものが降ってきて、それを全裸で浴びるのもまた悪くなかった。
 しかし今回のおろち湯ったり館の主目的は、なんと言ってもプールなのだ。なぜならホームプールが冬の休館および、今年はそれに併せて大規模な改修工事も行なうということで、春まで閉まっているのである。そのため実はもう既にしばらく泳げていないし、今後もまだだいぶ水泳になかなかありつけなそうな情勢なのである。普段は、25mよりも短い湯ったり館のプールには、こちらはこちらで独自の魅力もありつつ、しかし泳ぐという行為そのものに格別な感動というものはないのだが、今回はそんな事情なので、なんてったって久しぶりに泳げるというのがとにかく嬉しかった。やっぱり泳ぐと、泳ぐことでしか得られない刺激が体に来て、気持ちがよかった。
 そんなわけでわりとしっかりと堪能できた、今回の湯ったり館であった。やっぱり夜だな。次に行くのは3月中旬から下旬頃か。2階の閉鎖が終わり、そして桜が咲き始めるような、そんな頃に行けたらいい。
 帰宅して、ひとり遅めの晩ごはん。メニューは野菜とソーセージのトマト煮と、合い挽き肉をたっぷり入れたオムレツ。もう完全に赤ワインに照準を合わせたメニューじゃないか。そのとき傾倒している酒に合わせて、作る料理というのは変化するようだ。サウナのあとの満腹と酩酊で、3連休の初日にふさわしい、よい心地の夜だった。
 2日目の朝、ポルガが風邪を発症する。連休中なので病院に行きづらく、どうしたものかと危ぶんだが、いまこの日記を書いている3日目の晩の時点でだいぶ回復し、普通のごはんを食べているので、コロナでもインフルでもなかったようである。それ自体はもちろんよかったのだが、なんてったってポルガは普段の生活態度があまりにも悪い(夜更かし・薄着・部屋がゴミ屋敷のよう)ので、体を壊すのもなるべくしてなった感があり、今後は少しでも悪行を改めてほしいと切に思う。切に思うのだが、中学生ってマジで言うことを聞かないし反省もしないので、始末に負えない。
 ポルガがずっと部屋で寝転がっていたこの日、他の人間はどう過したかと言えば、ファルマンは仕事とポルガの世話をし、僕とピイガはクッキーを焼いていた。今年はなぜか急に、この3連休というものはバレンタインのお菓子を作るのに最適なタイミングなのだなあということを思い、クッキーを焼くことにしたのだった。たぶんこれは、バレンタインは女から男へチョコを捧げるもの、という固定観念が、現代の時流に合わせて、僕の中でやんわりと破壊されたということだろう。おっさんのパンツがなんだっていいのだ。
 せっかく作るのだから、きちんとおいしいものをいい感じに作りたいと思い、実はこの半月ほどせっせと準備していた。クッキーの型や包装、アイシングの材料などを取り揃え、平日の夜に試作で焼いてみたりして、ファルマンを慄かせたりした。その果以もあり、なかなか満足いくものができた。


 これはごく一部で、バターは丸々ひとパック、200gを使うような分量で、オーブンで4回に分けて焼くほど焼いた。アイシングは100均のものに加えて、粉糖と着色料で手作りもし、8色ほど作った。ピイガはイラストを描くように、なかなか上手にやっていた。僕はいざやってみたら、アイデアがなにも浮かばず、ヒット君型クッキーに顔ばかりを描いた。ヒット君型は、オリジナルのクッキー型ってどうやって作ればいいんだろうと検索し、牛乳パックで作ればよいのだという知見を得て、実行したものである。なかなかかわいらしい、商売っ気のある、と言うかこういう人のキャラクターの形のクッキーって既に世の中にいくらでもあるよな、という感じのものができた。
 食べたら普通においしい。クッキー自体の甘さは控えめで、アイシングでちょうどいい具合になった。アイシングは、アイデアもさることながら、絞り袋が途中でぐじゃぐじゃになったり、思うような線が描けなかったりで、少し悔しさが残った。でもこれは、やればやるほどどんどん手慣れるタイプのやつだな、という感触を得たので、また1年後と言わず、気が向いたらやりたいと思う。
 翌日、袋に詰めたものを実家の面々に渡し、さらには横浜へも宅配便で送った。人にあげるのは、本当にそれだけである。冷静に考えると、なんとまあ他者と交流しない一家なのか。つながりというものが、あまりにもない。いやまあ、多少つながっている程度の人から手作りクッキー(それもアイシング掛け)をもらっても、絶対に食べないけどさ。
 3連休はまあそんな、おろち湯ったり館とクッキー作りがメインで、あとはいつも通り、ミシンをしたり筋トレをしたり、酒を飲んだりして過した。久々の連休を十全に堪能できたかと訊かれると、それに対して自信満々にイエスと答えられるのはいったいどんな人間だ、と問い返したくもなるが、ずっとしなきゃいけないと思っていた布置きエリアの掃除もできたし、まあそこまで悪くなかったんじゃないかと思う。連休明けからは春らしさが出てくるという噂もあり、愉しみにしている。前途が愉しみだなんて、すばらしいじゃないか。いや、それはつまり今現在を憂えているということだから、もしかしたらぜんぜんすばらしくないのかもしれない。とにかく早く寒くなくなってほしい。

ポルガ13歳

 ポルガの誕生日祝いを無事に執り行なった。13歳である。中学生という生き物は、13歳~15歳を指す印象があるので、これでやっと名実ともに中学生になったな、という感じがある。 
 誕生日祝いの日の晩ごはんは、定番のたこ焼き。いつもより1.5倍多く作り、実家にもお裾分けした。少し前に、生地の中に細かく刻んだちくわを混ぜるとおいしくなるというライフハックをネットで目にしたので、今回それを初めてやってみた。いつもよりおいしくなったような、いつもどおりのおいしさのような(そもそものレベルが高すぎるのかもしれない)。具のひとつで、カットしたちくわの穴にとろけるチーズを入れたもの、というのがあるのだが、今回は生地にちくわを使用したため、ちくわの代わりに海老にしてみた。海老は海老でおいしかったが、海老の味が強すぎるためか、チーズがあまり感じられなかった。
 ケーキは、本人のリクエストを受け、ピラミッドをモチーフに作った。もとい、造った。買ってきたスポンジを、はじめは同じ大きさのたくさんの直方体を作り、それを積み上げるという、本物のピラミッドと同じ製法で考えていたのだが、あまりにも面倒そうだったので、スポンジを、大きさを段階的に変えた正方形に何枚も切り出し、それを順々に積み上げていくことにした。だからケーキの構造としては、結果的にミルフィーユみたいな感じになった。だいたいの形ができたところで、表面をクリームでコーティングする。本物のピラミッドも、たしか最初はそうやってなめらかな仕上がりだったんじゃなかったか。それがやがて剥がれ落ちて、現在のほぼ石が剥き出し状態になったんだったと思う。ちなみにこのクリームには黄色の着色料を混ぜ、エジプトの砂や土をイメージした黄土色に仕立てた。着色料なんて久しぶりに買ったな、と思い、前回がいつだったかと探ったら、なんのことはない、1年前のポルガの誕生日祝いのケーキで、カラフルなゼリーを作るために使ったのだった。毎年やけに奔放にリクエストをしてくるものだ。ピイガはいつも正統派のショートケーキを求めるので、こういうところに性格の違いが明確に現れるな、と思う。かくしてピラミッド型ケーキが無事に完成した。本物のピラミッドに較べ、かなり急勾配になったけれど、まあまあ要望には応えられたんじゃないだろうか。
 親からの誕生日プレゼントは、手塚治虫の「ブッダ」の愛蔵版全巻。ピラミッドで、ケーキで、ブッダ。もうわけが分からない。ポルガらしい混沌だとしみじみと思う。
 混沌としているのは、もともとの人間性に加え、目下思春期花盛りなので、なおさらなのだろう。日々、苦々しかったり、痛々しかったり、眩しかったり、なんだか目まぐるしい。いかようにも今後の筋道が変化する、人生の中でかなり重要な時期なんだなー、ということを客観的に見て思う。でも当事者は決してそれに気づかない。中学生って、起きてから寝るまで、ずっとがむしゃらだ。こんな思索のない、がむしゃらな生き物、他にいないだろうと思う。それともうちの子が特になのだろうか。個性的なのはいいことだが、もう少し親の言うことに素直に耳を傾けるようになってほしい。無理だろうな。

久しぶりカラオケ

 今日の午前、ポルガが部活で3人が予定なしという、こういう状況が訪れたらぜひやろうと思っていた、カラオケ行きを決行した。岡山時代、わりとよく行っていたカラオケだったが、コロナ禍を経て、島根に住まいも変わって、すっかり疎遠になっていた。そしてその間に長女は思春期に入り、家族とカラオケに行くのを拒む年頃になってしまったのだった。それはそうだと思う。自分は中学生の頃、カラオケはおろかスーパーだって親と一緒に行かなかった。というわけで、ポルガが合法的にいない隙を狙っての、本当に久しぶりのカラオケなのだった。
 ポルガが昼過ぎには帰宅するので、それに間に合うよう、1時間半である。ちょっとタイトな気もしたが、久しぶりのカラオケにはちょうどよかったようにも思う。
 僕が最初に唄ったのは、「唇よ、熱く君を語れ」(渡辺真知子)。この歌は前から好きで、車内でよく聴いている。唄うのは初めてのように思う。伸びやかに唄えるので、喉を開くのにちょうどよかった。
 次が「ロコロコのうた」(ロコロコ・イエロー)。これは「おもひでぶぉろろぉぉん」で過去の日記を読み返す中で、これについて言及している箇所があって、去年十何年ぶりにその存在を思い出し、それ以来よく聴いているのだった。ゲームをプレイしたことはいちどもないが、利用しているサブスクの年末のまとめによると、僕が去年いちばんよくそのサービスで聴いた曲は、なにを隠そうこの歌だった。歌詞が架空の言語で、なんの意味もないのがいい。少々歌詞を間違えてもなんの問題もなく、勢いだけで愉しく歌えた。
 その次が「イケナイ太陽」(ORANGE RANGE)。なぜ唄ったかと言えば、この年末年始、去年のリアルタイム放映時はまったくノーマークで乗り遅れた「ブラッシュアップライフ」を、ファルマンとTVerで一気に観たからだ。ドラマは評判通りすごくおもしろかった。そしてこのタイミングでカラオケに行くならば、それはこの歌を唄わなければいけないだろうと思って唄った。ファルマンが「うまい」と褒めてくれたので、じゃあ本気で歌手を目指そうかなと思った。
 ここからは追悼が続く。まず「愛は勝つ」(KAN)に始まり、その次が「昴」(谷村新司)、その次が「舟歌」(八代亜紀)、そして「たそがれマイ・ラブ」(大橋純子)と、自分の順番時、4曲連続で追悼歌唱を行なった。これはあくまで真摯な気持ちで、岡山時代から行なっているのだけど、さすがにこう連続させると、逆に不謹慎な感じが少しした。
 最後に「COLORS」(宇多田ヒカル)でフィニッシュ。車内で聴いて、これを上手に唄えたら気持ちいいだろうと思い、数日前から少し練習をしていた。でもやっぱり難しい。あまり満足のいく感じにはいかなかった。
 そんな8曲。8曲と言えばけっこうな量だな。1時間半だけとは言え、メンバーが3人だし、ファルマンには2周に1回くらいしか唄わなかったし、こうなるか。カラオケは定期的に行くと、カラオケ筋のようなものがパンプアップされてゆくので(つまり今回は岡山時代に培ったそれが萎えているのを感じた)、今後はそれほど間を空けずに行きたいと思う。カラオケ筋がパンプアップされているとなにがいいのかと言えば、まあ特になにも浮かばないのだけども。

捉えづらい正月

 2024年の三が日が終わろうとしている。
 大みそかから書くなら、夜はひたすらに紅白を映しながら、食べたり飲んだりしていた。普段21時半に寝るピイガは途中からぐずり始めたが、それでもがんばって目を開け続け、無事に最後から3番目の出番であったYOASOBIを見届けていた。YOASOBIのパフォーマンスは、そうまでして観た果以のある、とてもいいものだった。たぶんジャニーズ系のアイドルグループが出演しない紅白は、この1年限りだろうと思う。その年にこれをやったというのが、巡り合せでおもしろいな、と思った。
 のんびりと目覚めた元日は、去年と同じく、おせちにおける骨と皮のような、最低限の要素だけの品を皿に並べた。紅白かまぼこ、茹で海老、れんこんの炒め煮、煮豚、黒豆という面々。ちなみに後半のふたつは母から送られてきたものである。それと我々3人は雑煮を食べ、餅を食べない主義のポルガは、餅の入っていない汁と、前日の残りのクリームパンなどを食べていた。元日からポルガはもちろん和を乱すのだった。
 そのあと、とりあえず初詣へ。いつもの、出雲大社ではもちろんない、近場の、正月なのでそれなりに賑わっている、ちょうどいい規模の神社である。神様への挨拶ののち、全員でおみくじを引いた。子どもたちふたりは大吉で、僕とファルマンは吉。と言うか、僕とファルマンが引いたのは、同じ番数の、同じ文面のおみくじだった。その内容はと言えば、『心正しく行いをすなおにしないと家の内に不和が起こって災が生れます 特に男女の間をつつしめ』、さらには「願望」の欄には、『とゝのう しかし色情につき妨起る』とあって、夫婦揃ってこんなに下半身関係のことを諫められるおみくじを引くだなんて、2024年はいったいどんな年になるのだろう、だいぶ桃色の年になるのだろうか、と思った。
 そのあとは実家に向かい、昼過ぎから新年の集いをする。
 年末には僕はこちらに顔を出さなかったので、次女一家とは夏以来の再会であった。1歳半ほどになる第2子は、それなりに歩くようになっていて、喃語も少し出てきていて、そしてたぶんいちばん人見知りをする時期に入っていた。夏はできた抱っこも、今回はできなかった。ファルマンのように年末から足場固めをしていたら心を開いてもらえたのかもしれないが、なにぶん今回はほとんど絡まなかったのだった。まあ眺めているだけで癒されたので別にいい。
 鮨とおせちの食事を済ませたあと、みんなで外に出て、散歩がてら凧揚げなどする。僕はバトンを持ってきていたので、それを回した。その最中に、ファルマンのスマホに警報が届き、ほぼ同時に、川の近くのスピーカーからなにかアナウンスのようなものが流れた。しかしなにが起ったのかはあまりよく分からず、そのままもう少し外で過したのち、家に戻った。家に戻ってテレビを付けたら、だいぶとんでもないことが起っていて、大いに驚く。「令和6年能登半島地震」と名付けられた、最大震度7の大地震なのであった。まさかの元日の出来事に、現実味がまるで湧かない。海や川からすぐに離れるよう促すアナウンサーの、鬼気迫る声がひたすらおそろしかった。
 晩ごはんの前に実家を出て、スーパーに寄って帰る。昼餉が豪華だったので、晩ごはんは簡単に、レトルトのミートソーススパゲッティと、茹でた肉や野菜などで済ました。
 そして2日である。この朝に覚えていた夢が、初夢と言われる。僕は、ピイガとトランプをしていたら、ピイガが持っている札を8つ折りにしたので叱った、という、なんとも所帯じみた、そして僕はピイガの手癖の悪さをよほど憂えているのだな、という夢だった。ファルマンにどんな夢だったか訊ねたところ、ファルマンは「ん-……」と口ごもったあと、「淫夢だった……」とポツリと答えた。そのあと内容について詳細を語らないので追求しようとしたら、「いや、ちょっと、倫理的に、よしとく」と拒まれた。それでも「俺は? 相手は俺?」と問いただしたところ、「うん、あなたも、出てきたよ」とのことで、「も」かー、と思った。どうも非常に社会通念的によろしくない夢だったようである。前日に引いたおみくじのことが思い出された。色情につき妨起る。
 そしてこの日は、僕ひとりが買い物に行った以外は、なんだかんだで一家で家にこもって過した。3人はまた実家に顔を出す気満々だったのだが、第2子の昼寝のタイミングであったり、第1子は向こう(次女の夫)の家の面々と出雲大社に初詣に行ってしまって、聞いた瞬間に、よく行ったもんだな、と思ったけれど、やっぱり行きも帰りもとんでもない混み具合だったそうで、半日仕事になってしまい、この夜は次女一家はもとから向こうの家に宿泊する予定となっていたため、まるで遊べる時間がなくなってしまったりで、ままならなかったのだった。
 晩ごはんは唐突に食べたくなり、餃子を作った。そしてホットプレートで焼き上がった餃子を囲んで、それを摘んで食みながら、「桃太郎電鉄ワールド」をした。もちろん普段はごはんを食べながらゲームなんてしないのだが、こういうときなので特別である。ちなみにこれまでの数日でゲーム内では10年ほどが経過し、意外や意外、もう何年もファルマンがトップで在り続けている。今作は前作までよりも、盤石の体制が作りづらい気がする。このまま右肩上がりかな、と思いきや、あれよあれよと借金になったりする。それゆえにおもしろい。やっぱり休みのはじめに買ってよかった。
 夜になり、風呂に入っていたら、羽田空港でとんでもないことが起っていた。前日の地震に関連した出来事とは言え、正月からあんまりじゃないかと思う。折しも、「hophophop」に書いたように、いたずらに怖がっている飛行機についてきちんと知識を深めようと、年末の図書館に行って関連本をたくさん借り、読んでいた最中である。そんなタイミングで目にしたセンセーショナル過ぎる映像に、頭がくらくらした。もうああなってしまったら、飛行機が飛べる仕組みとか関係ない。揚力について学んでも意味がない。なんてこったよ。
 それにしても、夏の台風もひどかったが、今回も帰省が悲劇ではないか。帰省することにしていた場合、冬なので飛行機を使う目は基本的になかったけれど、飛行機があんなことになった影響で、新幹線に人が流れたそうで、そして新幹線と言えば、今回の帰省を思いとどまるひとつの要素であったが、全席指定席(指定席を持たない人は通路に立って乗る)仕様なわけで、そこへ想定外の人の流入が起ったのだとすれば、その車内はさぞひどいことになったのではないかと思う。ああ帰省おそろしい。
 3日の今日は、次女一家は今日が移動日ということで、午前中にまた3人は実家へと向かい、僕はホームプールが今年の初営業ということで、初泳ぎをしに行った。午前中ということで、いつもとはぜんぜん違う感じかなと思いきや、泳いでいる人間はわりと見たことのある顔ばかりで(誰とも喋ったことはないが)、要するに会員の、ふだん足繫く通っている人間は、数日間のブランクを経ての待ちに待った営業再開日、夕方までなんか待てず、午前中のうちに来てしまったのだろうと思った。かくいう僕もだけど。今年最初の今日も、去年最後の日と同じく、1km泳いだ。
 午後は、またずっと家にいるのも何だしということで、年末と同じく具体的な目的があったわけではないが、ゆめタウンへと赴いた。初売りセールでにぎやかだった。まあそういう雰囲気を味わいに行ったということで。ちなみにここへは昨日、お笑いコンビのアイデンティティが営業でやってきていて、三女は観に行ったそうだ。もちろん野沢雅子だったらしい。いいなあ。
 晩ごはんは、鶏肉ですき焼きにした。2日連続のホットプレート(IHクッキングヒーター)メニューで、今日もまた行儀悪く、食べながら桃鉄をした。いけませんな。
 まあそんな感じで、三が日は終わろうとしている。わが家は地味に過し、世の中ではとんでもないことが起き、なにをどう思えばいいのか、とことん捉えづらい正月だ。とは言え確かなのは、家族で家で過せているのは、とても尊いということである。初詣でもそれを願った。しかし石川県の人々も、あの日の午前にそれを願っていたに違いなかった。やるせないな。
 休みはいちおう明日まである。しかしもう三が日は終わったし、翌日からは労働が始まるし、なにより明日という日はピイガの誕生日を祝うための日なので、もう実質的に年末年始の休みは今日でおしまいだ。のんびり自由に過した日々だった。開始時にやりたいと思っていたことは、まあまあの率で潰せた。よかったと思う。

2023年の瀬の瀬の瀬

 28日で労働が納まり、29日から休みに入っている。めでたい。めでたーてしゃーない。
 無為に過してしまわぬよう、やるべきこと、やりたいと思っていることを、28日の夜に箇条書きした。なるべくならここに書いた全てをこなしたいものだが、これがなかなか難しいのだ。時間的には十分あるはずなのだが、そう単純な話ではないのである。
 まず29日の午前は、予約していた病院に行った。先日、12月の頭に受けた健康診断の結果が返ってきて、γ-GTPも含めて概ね問題なかったのだが、肺のレントゲンで引っ掛かり、「要精密検査」の診断が出ていた。とは言え自分ひとりでは、ちょっと嫌だなあと思いつつも、わざわざ専門医に検査を申し込むことはしなかったに違いないが、そこは配偶者が有無を言わさずやってくれ、労働が終わりつつ病院がまだ開いているという、唯一のこの日に予約を入れてくれたのだった。ありがたい話である。
 その待合室で書いた問診票の欄に、喫煙歴についての問いがあり、「これまでタバコを吸った経験がありますか」に対して、「一度もない」「今も吸っている」「かつて吸っていたがやめた」という項目があって、僕がタバコを吸っていたのはもう20年も前の、20歳前後に1年くらいだけなので、もはやほとんど事実としてないようなものだと思われたが、わざわざ肺を診てもらいに来たのに、「一度もない」に〇をするのもそれはそれで違うような気がして、仕方なく3番目に〇をつけ、「20歳の頃、1日平均5本ほど」という、やっぱりどう考えても今の僕の肺に影響が残っているとは思えない情報を記した。なんとなく間が抜けているような気がして、恥ずかしかった。結果として、CTというものを生まれて初めて受けて、「問題なし」の診断をもらう。よかった。
 午後は、兵庫在住の次女一家がこちらに到着したというので、ファルマンと子どもたちは実家へ行った。呼吸器内科ではずいぶん待ち時間があり、暇だったので、その間に僕は1年前の年末年始の自分の日記を読んでいたのだが、そこにも、28日で労働が納まり、29日の午後に次女一家がやってきた、ということが書かれていたので、なんとなくおもしろかった。年間行事というものはルーティンでオートメーションなもので、それはなんとなく空恐ろしい、虚無的な感じもありつつ、しかし世界に目を向ければ、その当たり前が崩壊してしまっている人々も多くいるわけで、なによりもありがたいことだとも思う。来年も同じ日程が繰り返されればいい(もっとも来年は28日が土曜日なので、年末の休みが1日前倒しで多くなる可能性がある)。ちなみに1年前は、僕も赤ん坊を見るため、そこに参加した様子だが、今年はそうはせず(どうせ正月には集うので)、この日が年内最終の営業日であった、いつものプールへとひとり繰り出した。そして最後ということで、1km泳いだ。いつもは次の日のことを考え、泳いでも500mくらいなのだ。1kmは、久しぶりに泳いでみれば、まあこんなもんかという感じで、特別に疲労が大きかった印象もなく、実は普段でもやれるかもしれないと思った。と言うか、400mから500mあたりで、なんか今日はもういいかな、というしんどさが襲ってくるのだけど、それに克って700mとか800mまで行くと、逆にすいすい行ける感じになる。今後の参考にしようと思う。ちなみに今年最後のプールだったということで、1年間の水泳回数を集計した。この記録は去年の途中から付け始めたので、1年間を通しての数字というのはこれが初めてである。結果は、94回。ほぼ4日に1回ということになり、そう考えるとまあ年間通してだいぶきちんと行ったものだな、と思う。94回泳いだ僕は、1回も泳がなかった僕に較べ、だいぶ健やかであるに違いないので、今後もこの習慣は続けていこうと思う。一時期作りすぎて食傷気味になった水着作りも、もうその気持ちは薄れ、新しいものが欲しくなってきている。来年も生地を手に入れ、作ろうと思う。ちなみに水泳とともに記録している射精に関しても、(まだ最終が済んだかどうか不明ながらも)このとき一緒に集計をしたのだが、それについてはできれば「BUNS SEIN!」に書きたいと思ったので、いまここに結果は記さない。なぜわざわざ「BUNS SEIN!」に書こうと思ったかと言えば、集計結果がなかなかおもしろいものであったからだ。年内に記事が書けたらいいのだけど。
 晩ごはんはホイコーローをメインに、中華風の卵焼きや水餃子のスープなど、中華にした。これから休みの間は、もちろん料理をすべて僕が担当する。ファルマンは休みの日は料理をしなくていいということが、心底嬉しいそうで、喜ばれるのはもちろん嬉しいのだが、あまりにもそこを喜ばれるというのも、普段そんなにつらくてしょうがないのかよ、と言いたくなるわけで、少し複雑な感じがある。
 夜、ファルマンにブリーチ剤の塗布をしてもらう。正月を前に、もはやプリンでもなく、髪の3分の1くらいが黒いという状態を是正しておくことにしたのだった。髪の長さ自体が、またしっかりと結べるくらい長くなっているので、こういう長さでド金髪にすると、さすがに激しすぎて変だったりするんだよなあ、もしもそうなったら散髪もしてもらおう、と思っていたのだが、仕上がりは問題ない感じだったので、無事に金髪の長髪に移行した。嬉しい。今回はどこまで続けるんだろうな。まあそのうち急に自分の中で終わりが来て、「なが! うざ!」となって切ることになるだろう。
 明けて今日は、午前中は家族で桃鉄をして過した。その桃鉄とは、実は「WORLD」である。年末年始を前に、あったら家族で愉しめるよなあ、という思いに抗えず、買ってしまったのだった。ちなみに1年前のこの日は、わが家は湖遊館にスケートに行っていて、あれが実は一家4人で、桃鉄のソフト代と同じくらいの金額が掛かっているので、今年はそれが桃鉄になったという解釈でよいのだと思う。今回は世界全体が舞台ということで、基本的な桃鉄の仕組みは一緒なのだが、とにかくマップの全容が把握できず、その戸惑いも含めて、やはり愉しい。午前中を使って、4年を終える。ポルガが初期設定でしれっとプレイ年数を100年にしていたが、まさかそこまでやるつもりはない。
 午後は、妻子は今日も実家に遊びに行くというので、ここが今回のおろち湯ったりチャンスであろうと、雲南市へと足を運ぶことにした。また1年前の日記になるが、1年前の休みのときは、「湯ったり館に行きたいなあと思いつつも踏ん切りがつかなかったが、かと言って家で有益に過せたかと言えばそんなこともなかったので、やっぱり行けばよかった」と言っていて、今年もこのままだと同じことになるなあと思い、行ったほうがいいと判断したのだ。今年は暖かい年末年始となり、雲南市への道のりも何の懸念もなく行ける。しかし曜日的には土曜日の、12月30日の昼下りと来れば、そこまで人がいないということもないだろうなあと覚悟はしていて、行ってみたら、まあ果たしてほどほどに人がいた。そしてプールには子どもがいたし、今週は男湯が狭いほうの風呂だったし、そもそも2階は閉鎖されているし、サウナも人の出入りであまり熱くなかったしで、総合的に見て、実にあまりよくなかった。しかしあまりよくなかったが、なんと言うか、まあこういうものだと、なにもマイナスに感じていない自分がいて、もう僕にとっておろち湯ったり館は、即物的な満足を得るだけの場所ではなくなってきているのだな、と思った。先日、ラーメン二郎に関する記事を読んで、ラーメン二郎を愛する人々というのは、ラーメン二郎のラーメンを、実はいつでも十全においしいと思って食べているわけではなく(もちろん基本的にはおいしく感じているのだろうが)、しかしあまりおいしく仕上がっていないときに当たってしまっても、別に不満や怒りが生じるわけでもなく、ラーメンの味どうこうという次元ではなく、もはやラーメン二郎のラーメンを食べるという、行為をしに行っているのだ、みたいな話があり、僕のおろち湯ったり館も、要するにこういうことだな、と思ったのだった。だから今日も、この年末年始の休み中に、おろち湯ったり館に行くという行為ができて、よかった。そう思った。あとちなみに、温泉のひとつに、壁からジェット水流の出るものがあって、普通に座ると、それが背中や腰に当たって気持ちがいい、というものなのだが、これに対しどうしたって、なかなか強い勢いで放出されているこのジェット水流を、ちんこに当てたい、当てて快楽を得たいという思いを禁じ得ないのだけど、しかしそれは公共の温泉施設において、ちょっとルール違反であるような気がして、これまで自重していた。しかし今回、先日まで脇腹を痛めていて、今でも朝起き上がるときとかにちょっと違和感がある、というストーリーが自分の中にあったため、そんなの周囲の人間からすればなんの関係もないことだが、その大義名分のもと、堂々と普段とは逆、ジェットの出どころのほうを向いて座り、脇腹に水流を当て、筋肉をほぐすということをし、そしてそうなると自ずと、普段は腰に当たるジェットが下腹部に当たることになるわけで、そこからは淡い倦怠感を伴う、なんとも言えない快楽がもたらされたのだった。でもこれは温泉の正当な使用法である湯治の、その派生によるものなので、ルール違反には当たらない、と自分の中で判断した。判断しつつ、途中からは脇腹よりもそちらに意識が強く行って、よりよいポジションを探っていた感があったということも、僕は正直者(近所でも評判)なのでここに記しておこう。
 湯ったり館を出たあとは、近くの店で晩ごはんの買い出しをして、そのついでにジャイアントコーンを買って、それを齧りながら帰った。温泉に入ったとはいえ、本当に暖かい年末である。湯上りのジャイアントコーンがとてもおいしかった。結果的に大満足である。
 帰宅後は、家族らはまだ実家から帰ってきていなかったので、ひとり静かにこの日記を書きはじめる。これが今月の10記事目。まだ明日もあるので、もう少しなにか書ければいいなとも思うが、とりあえず2桁に届かせることができてよかった。これにより年間毎月2桁投稿が無事に成った。
 晩ごはんはたらこ入りのポテトサラダと、ほうれん草ときのこのグラタン、そして焼き鳥。もう完全におつまみモード。明日大みそかの晩ごはんはどうしようかな。最後にそばを食べなければいけないから、あまり腹に溜まるものは食べられない。明日はたぶん家族で買い出しに出るので、そこでなにかよさそうなものを見繕おうと思う。