嵐とサウナとイカ

 夜中に嵐の音で目が覚めた。山陰を中心に線状降水帯的なものが発生したのだった。起きてニュースを見たら県内どころか市内においてかなりの被害状況で、わあとなったが、家の周りはとりあえず大丈夫だったし、子どもたちの小学校も休校などの連絡はまるで寄越さないので、なんとなくそんなものかと思った。そもそも山陰の人々は、「夜半の大嵐」というものに、慣れきってしまっているところがある。他の土地の人間ならば、「この世の終わりか?」と思ってしまうような轟音も家の揺れも、冬であれば日常茶飯事だ。だからこれは正常性バイアスのように見えて、山陽のそれとはまた別の、いわば諦観性バイアスみたいな作用なのかもしれないな、と思った。
 今日は労働が休みだった。休みになった、というわけではなく、もともとの休みだったわけで、僥倖、と思った。まだまだ不穏な気候情況とか、あるいは嵐の後片付けとか、そういうことを思えば、本日が休みであったことの、なんとラッキーなことか。やっぱりこういうときに、普段の行ないの良さというか、自分のことは二の次三の次にして、他人がどうすれば幸せになれるのかということばかり考えているから、こういうときに厄介事から回避できるのだよな、神様は見てごじゃるのだよな、としみじみと思った。
 しみじみと思ったので、さらなる幸福を堪能するべく、サウナへと繰り出した。不穏な気候情況などといいつつサウナ。なるほどこれが、災害が起こっているのにゴルフを続行する政治家の気持ちか、と思う。もっとも僕は政治家ではないので、なんの誹りを受ける謂れもない。ここ最近の日々で疲労が蓄積していたため、今日はサウナに行くのだということはあらかじめ心に固く決めていたのだ。
 行き先について、四季荘、ゆらり、湯ったり館と悩んだが(もっとも湯ったり館は水曜日が定休であるのに加え、雲南市にも避難指示が出ていたため、さすがに行くわけにはいかなかった)、「しっとりつるつる北山温泉」というのが、奇数日は男性がサウナの日だという情報を得て、じゃあ初めてのそこに行ってみるか、となった。そしてサウナが主目的なのはもちろんだが、肉体の内外両面のダメージのことを思えば、温泉の効用にも期待をしたかった。そのため「しっとりつるつる」を謳う、まるで化粧水のようなぬるぬるの泉質だというそれに魅力を感じたのだった。
 行った結果の感想としては、全体的にこじんまりとしていて、露天風呂も小さく、外気浴向けのスペースも意識されている様子はなく、微妙といえば微妙だった。ただし今日は前回の松江に較べ、なんてったって条件がよかった。雨交じりの風が吹けばほのかに涼しいというくらいの気候で過ごしやすかったし、僕自身も「癒されるんじゃい!」という強い意欲があったため、快楽の享受に前のめりだった。そのため、まあまあ心地好い時間を過すことができた。ぬるぬるという点については、泉質がアルカリ性ということで、前に化学工場に勤めたときに体験したけれど、アルカリ性のものってたんぱく質を溶かすので、指で触ると指の表面が溶けて、それでぬるぬるするわけで、つまりアルカリ性の泉質でつるつるって、皮膚が溶けてるだけのことなんじゃねえの、ということを、お湯に浸かってから思ったけど、まあ深くは考えまい、ぬるぬるの化粧水のようなお湯でお肌つるつるですよ、そうですよ、プラシーボですよ、こんなこと考えてる時点でぜんぜんプラシーボ効果ないですよ、などと心の中でひとりごちた。
 帰りにスーパーに寄り、最近スーパーでは近海で獲れたイカが多く並んでいて、「刺身用」などというシールが貼られていて、こんなん刺身で食べたらめっちゃうまいんだろうなあ、でもイカって捌いたことないんだよなあ、でも今度の休みの日に一念発起してやってみようかな、イカの刺身めっちゃ食べたいな、と切望していたイカを、買う気満々だったのだが、本当に近海で夜に獲ったものが数時間後に地元のスーパーに並んでいたんだな、ということを実感させる出来事として、昨晩の大嵐で船が出ているはずもなく、イカの姿は売り場に一切なくて、涙を飲んだ。そして夕飯はお好み焼きになった。