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2025年夏の自家用車横浜帰省 5日目


 前にも書いたが、実家の布団は硬い。どういう作用によるものか、年々硬くなっているような気がする。3日目ともなると、今晩もあの布団で寝るのかと思うだけで憂鬱になる。それくらい硬い。しかし1年で3日しか寝ない身分でマットレスを所望することもできず、耐え忍ぶしかないとあきらめていた。だが今回、これはさすがに体への負担が大きすぎるとなって、次に帰省する際は、車に自前のマットレスを積んでこようと決心した。子どもたちはさすがなもので平気らしいので、僕とファルマンのふたり分でいい。たぶんキャンプ用品とかで、コンパクトに収納できるいい感じのものが世の中にはあるはずだと検索したら、安い値段でいくらでも出てきた。安くていい。そこまでのクオリティなど求めない。現状の、畳に硬い布団だけのつらさに較べたら、どんなものでもあるだけマシだろうと思う。次は忘れず、必ず。
 この日は実家を立つ日で、しかし例のごとくホテルまで移動するだけなので、急がない。午前中はのんびり過し、早めの昼ごはんをお腹に入れて出発という算段だった。この午前に、僕はプールに行くことにした。横浜でプールに行くチャンスがあるかもしれないと思い、用品は車に載せてきていたのだ。子どもの頃によく行った北部(都筑)プール、中学生の頃よく行った中川(山崎公園)プール、そして横浜国際プールと、行きたいプールはいくつかあったが、実は高校時代から住むいまの実家からいちばん近いプールは、住所は川崎市となるヨネッティー王禅寺というプールであると母に教えられ、じゃあそこに行ってみるか、ということで行った。もちろんひとりである。この世でいちばん狭い駐車場なんじゃないかと思うくらい狭い駐車スペースにヒヤヒヤしながら車を停め、たどり着いたプールは、採光はまあまあ良かったが、水深が浅く、うーん、という感じだった。あとシャワー室や更衣室がだいぶ粗雑な印象で、なんだか遠い島根のホームプールのことが恋しくなった。
 プールの帰りに給油を済ませ、出発する。結局、昨日おとといとがっつり外出したので、なんだかあっという間の帰省だった。本日の目的地はどこかと言うと、これがなんとキャッスルイン豊川なのである。さすがにはじめからそうするつもりではなかったのだが、実は今年もポルガの部活に振り回され、1ヶ月ほど前に帰省の日程が1日後ろ倒しになったことで、帰りに泊まるはずだった三重県のホテルはキャンセルし、行きも帰りもキャッスルイン豊川ということになったのだった。好きすぎるだろ、キャッスルイン豊川。
 この日は途中まで新東名を走ったのだが、御殿場を過ぎたあたりで、たぶんあれは富士山の中腹なのだろう、という姿を目にした。上半分は雲が掛かっていたが、いちおうは見えた。あと2025年に新東名を走る以上、どうしたって参らないわけにはいかないスポット、浜松サービスエリアにももちろん立ち寄った。もっとも本来は上り方面でなければならないのだが、そこはしょうがない。広末涼子は奈良県での撮影のあと、ここで同乗男性と運転を交代し、そして掛川PA付近で事故を起したのだ。そしてこの浜松サービスエリアでは、通行人に「広末でーす」と大声で名乗るなどの奇行が目撃されていたという。この一件が報じられて以来、今年も帰省をするなら絶対に浜松サービスエリアに行かなければいけない、行ったら俺も「広末でーす」と叫ぼう、もしかしたら当地には「広末でーす」を記念した撮影スポットができているかもしれない、などと考えていた。残念ながらそんなものはなかったが(上りにはあるのかもしれない)、ああ自分はいまあの現場にいるのだと感激し、聖地巡礼をするファンの心理が初めて解った気がした。ちなみにだが、広末涼子はあの日、車の運転で140キロを出していたと言われるけれど、このあたりの道は制限速度が120キロだったりするので、140キロというのもそこまで素っ頓狂な数字ではない、ということをここに記しておく。これで世間の広末涼子に対する印象が少しでも改善されればそれ以上の望みはない。
 テレビっ子としての欲求も無事に満たし、4日ぶり3度目のキャッスルイン豊川へ。数日前に泊まったホテルにまた泊まるという経験は初めてで、なんだか不思議な感覚だった。この日も思う存分、漫画やサウナを堪能する。前回の月曜日(11日)がけっこう混雑していたので、金曜日なんてもっと混んでいるだろうと思いきや、この日はそれほどでもなかった。前回のサウナでは、テレビで「ラーゲリより愛を込めて」をやっていて微妙な気持ちになったが、この日の金曜ロードショーでは「火垂るの墓」をやっていたはずで、避けていたわけではなく、ちょうどその時間帯にはサウナに入らなかったのだが、さすがにチャンネルがそこに回されてはなかったろうな、などと思った。
 3日実家の布団で寝たあとのキャッスルイン豊川のベッドは、まるでベッドのようだと思った。雲のよう、などと大袈裟なことを言うつもりはない。ベッドがベッドだった。それでいいのだ。実家の布団は、なんかもう布団としての要件を満たしていないように思う。実家の布団への恨み節がしつこい。でも本当に実家の印象がそれだけになるくらいのインパクトだったんだもの。

2025年夏の自家用車横浜帰省 1日目


 今年も決行した自家用車での横浜帰省から、無事に戻ってきた。今年は2回目だし、去年と違って南海トラフ地震注意が出ているわけでもなかったので、そのぶん余裕があったと思う。さらに言えば、伊勢神宮に行くはずが急に午後からの出発を余儀なくされて計画を見直す、などということもなかった。こうして考えると去年はなかなかハードモードだったのだな。
 出発は去年と同じ8月11日。そして同じく5泊6日の旅程なので、日付的には去年と丸々同じだということになる。初日はひたすら泊まるホテルに向かうだけなので、出発時間はいつでもよかったのだが、なにぶん泊まるホテルと言ったらあの、1年前わが家を骨抜きにし、2024年のパピロウヌーボの会場にまでなったキャッスルイン豊川なのであるからして、過す時間をなるべく長くするため、朝の8時半に家を出たのだった。
 今年のお盆シーズンの前半は大気が不安定で、この日も山陰から近畿、東海に至るまで、ずっと曇り時々雨という感じで、ピーカンよりはいいのかなあと思いつつ、雨が激しくなる場面も間々あって、そのときは大変だった。しかし渋滞らしい渋滞はなく、計画通りに15時半くらいには豊川の街にたどり着くことができた。ホテルに入る前に、酒など、こまごましたものを買うため、スーパーに立ち寄る。行ったのはサンヨネという地元密着型のスーパーで、豊橋ナンバーしか停まっていない駐車場に車を停めて、ぜんぜん馴染みのない土地の地元民に混じって買い物をしたら、なんだか人生の厚みが増したような、じんわりとした多幸感があった。
 1年ぶりのキャッスルイン豊川は、相変わらずの心地よさで、これから明日の10時まで、ここで気のすむまでのんべんだらりと過せるのだと思うと、これこそが帰省の主目的なのではないか、とさえ思った。ちなみに同施設には映画館も併設されているのだが、ここでポルガが急に、「ああ、ちょうどいいや、ここで『鬼滅の刃』観るわ。観に行く暇がないと思ってたからよかった」と言い出し、早めに晩ごはんを済ませて、ポルガだけ夜の回を観賞するという流れになった。旅先で映画を観るなんて、ずいぶん上級旅行者みたいなことをする奴だな、と思った。晩ごはんは去年と同じく、施設内のレストランで食べた。去年は南海トラフを警戒して自重したホテルでのアルコールを、今年は気兼ねなく取ることにしたので、ウェルカムドリンクのサービスで生ビールを頼んだ。キャッスルイン豊川で、生ビール飲みはじめたら、そんなのもういよいよ最強じゃん、と思った。
 いい気分になって、映画を観に行くポルガと別れたあとは、もちろんコロナの湯へと向かう。宿泊者以外も利用できる温浴サウナ施設であり、去年も書いたが、ホテル宿泊者はその一般客が入浴料とかを払うゾーンの内側にエレベータで直行できるというシステムが、優越感をかき立て、満足感をいや高めるのだった。施設内はわりと混んでいた。ちょうど帰省で若者が帰ってきているということなのかもしれないが、平均年齢が低く、島根のサウナとの違いを感じた。もしかしてだけど、島根ってやっぱり超高齢化なのか。あとここのサウナで、僕は初めてアウフグースというものを体験した。狙っていたわけではないが、入っていたらちょうど始まったのだ。しかもそのとき、このサウナの目玉であるらしい「玉座」という席にいたので、なんだかとても気分がよかった。ちなみにこのときサウナ室内のテレビでやっていたのは、映画「ラーゲリより愛を込めて」で、そこはちょっと複雑な気持ちにさせられた。サウナを堪能したあとは、岩盤浴コーナーで漫画を読み、部屋に戻ってまた少しビールを飲んだりして、思う存分キャッスルイン豊川を堪能したのだった。

春の日々

 暖かくなったり、また寒くなったりする、春の日々を過している。
 寒さがずるずると長引いたので、今年は桜が咲くのも遅いだろうと予測していたのだが、まあ若干遅いような、山陰においては毎年だいたいこのくらいのような、そんな感じに咲いた。そんなわけで5日と6日のこの週末が、花見のタイミングとしては絶好だったわけだが、なんかいろいろ複合的な事情から、今年は決行には至らなかった。少し残念なような、特にそうでもないような、そんな心持ち。コロナのとき、コロナが明けたら花見とかレジャーとかたくさんしたい、と意気込んだものだが、コロナ明けが長く続き、それが当たり前になったら、意欲は減退するのだな、と思う。人間なんてさみしいね。
 花見に至らなかった複合的な事情について述べていくことが、そのまま最近の日々の記録になると思うので、していく。
 まず春休みということで、いつものことながら、先週から次女一家が実家に来ていた。もちろん夫は向こうで平常運転であり、次女とふたりの娘のみである。そうなってくると、これもまたいつものことながら、わが家の面々も実家へと日参し、毎日わちゃわちゃと過していたようである。そんな日々の中で、水曜日だか木曜日だかに、義母、ファルマン、ポルガ、ピイガ、そして次女とその娘たちという、総勢7名の女ばかりの集団で、近所の、まあまあ桜の名所と言えなくもない公園へ、プチお花見みたいな感じで繰り出したそうで、ただの散歩および公園遊びなら、まだ印象は違ったかもしれないが、行く途中でスーパーに寄って食べ物を買い、それを公園で昼ごはんとして食べたという話だったので、じゃあそれはもう花見だな、今年はもう俺とか抜きで、平日に、お前らは花見を済ませたということだな、と受け止め、となれば週末に僕が花見を呼びかけたところで、既にいちど花見をやった人間とテンションを合わすことは不可能であり、不快感を抱くことになりそうな予感がしたので、音頭を取る気があまり湧かなかったのだった。
 また日曜日は次女一家が向こうに帰る日なので、花見をするとしたら土曜日だったのだが、この午前中はポルガが部活だったり、次女の夫がこちらにやってくる予定があったりで、とにかく状況が整わなかった。ファルマンと娘たちはこの日も午後から実家へ行ったので、仕方なくひとり残った僕はいつものように、筋トレや裁縫などをして過した。雲南のプールに行くという考えも一瞬頭をかすめたが、桜の時期の雲南に、桜以外の用件で行くというのも間が抜けているな、と思ってよした。
 この日の晩ごはんは餃子にすることして、よければ実家にも持っていってやろうかと思ったのだが、確認したところ実家のこの日の夕餉は、夫も含めた次女一家とおうち焼肉だそうで、焼き肉が好きな人にとっての焼き肉の、あの感じなのだな、と思って気を悪くした。持っていく分を想定して買った大量の材料で、ひたすらわが家の分の餃子を作った。
 それとケーキも作った。もちろんファルマンの誕生日祝いのケーキである。スポンジにイチゴを付与しクリームを纏わせた、オーソドックスなケーキ。毎年のことながら、ファルマンの誕生日の時期はいちごの値段が落ち着いていてありがたい。娘らの誕生日の時期のいちごの値段というのは、もはや忌々しくさえある。
 夕方に3人が戻ってきたので、餃子を焼いて食べ、ケーキを食べた。ファルマン42歳。なんだか信じられない。42という字面は、41よりもだいぶ力強い感じがする。だいぶ言葉を選んだが、要するにだいぶ年喰った感がある。「おもひでぶぉろろぉぉん」は、25歳で、結婚式をしたりしているというのに。もっとも毎日顔を合わせているせいか、見た目にそう劇的な変化があるようには思えない。いま横に25歳のファルマンを置かれたら、それはさすがにだいぶ違うのかもしれないが、イメージの中では固定されていて、いつも一定のファルマンである。夫婦とはそういう感じで、ずっと互いの不変的な、イデア的な部分を見続けるものなのかもしれない。日々もう少し運動をして、健やかに暮せばいいと思う。
 日曜日に花見ができない理由はさらにあって、昼過ぎからタイヤ交換なのだった。いつもの業者の人に来てもらい、実家で全員の車をまとめてやってもらう。やってもらう予定だったのだが、前回スタッドレスにしたときにチラッと言われていたのだけれど、僕の車の普通タイヤがもうだいぶ劣化していて、2本はいいがやっぱり2本は新しくしないとダメだということで、この日の作業は行なわず、後日こちらの業者から購入する形で、新しいタイヤに付け替える、という算段になった。タイヤ代というのはそれなりにするわけで、もちろん嫌だが、しかしまあ、ガソリン代が高いのも、車の維持費が嵩むのも、この暮しではしょうがないことだよな、と思う。都会の公共交通機関の暮しより、あえてこっちを選んでいるのだから。ちなみに三女の車は今回、4本一斉交換だそうで、それよりは2本で済んだ分よかったな、という精神的な救済もあった(できれば2、3年おきに2本ずつ交換するようなサイクルで回していければいいなと思う)。
 次女一家は夕方にこちらを出発し(本来はもっと早く出発する予定だったはずだが、なんかグダグダと遅れたらしい。さすがだ)、22時とか、ずいぶん遅い時間に向こうに着いたそうだ。子どもの始業式は火曜日なので、夫の出勤以外、特に問題ないのだろう。そして1週間こちらにいて、いちど戻ったが、だいたい3週間後くらい、GWになればまた来る。すぐだ。
 桜も咲いて、GWなんて単語も出てきて、ようやく季節は巡った。なんだかとても長い冬だったような気がする。プールはまだ開かない。そのせいかもしれない。

らしいぜ松江

 子どもが、試験であったり、部活であったり、学校以外の活動であったりで、なかなか都合が合わないのだが(ちなみに両親は、仕事がない限りは一切の対外活動がない)、3連休初日の土曜日は珍しくなんの予定もなかったので、気候もいい折、ここでレジャーをせねばならないという使命感に駆られ、実行した。
 大きな公園に行って遊び、お弁当を外で食べる、というのが至上命題であったわけだけど、その一方で、松江にある県立図書館に行きたいという個人的な希望もあり、この両立にとても腐心した。というのも、松江方面にはそういう、小学校高学年と中学生を満足させるような、アスレチックやアクティビティのある大規模な公園というものが、まるでないのだ。松江って本当に、身内なのか外部者なのか我ながら判断がつかない立場からいうのだけど、なんか絶妙にうまいこといっていない街で、大都会でもなければ田舎でもなく、どちらのメリットも見事に取りこぼしている感があって、今回の目的地選びでもしみじみとそれを痛感した。いっそのこと隣接する安来市や鳥取県は境港市、さらには米子市まで足を延ばして、ファルマンも子どものみぎりに遊んだという、大型アスレチックのある大山まで行くのはどうかとさえ考えたのだが、さすがにそれは1日の行程としてはハード過ぎるだろうと考え、やめた。結果として、遊具的なことはすっぱり諦め、松江市街にある、とりあえず野原はありそうな公園に目星をつけた。ちなみに地図を眺めているときに目についた島根大学が、もしかしてと思い検索したところ、学園祭はこの3連休の後半2日だったので非常に惜しかった。去年の広島大学のようなことにはならなかった。ちなみにわが家は、なんだかんだでこれまで岡山大学、広島大学と学園祭に行っているのだった。別に強い情熱があるわけではぜんぜんないのだが。
 というわけで、とにかく松江に向けて出発である。出発前、おにぎりを拵える。ずいぶん久しぶりだ。一家でのお出掛けの前におにぎりを仕立てるという、その行為が好きである。そしてそういうことに固執するから、子どもが育ってその機会が失われつつあることに寂しさを感じ、厄介なのだと我ながら思う。
 行程は、まず県立図書館。ドライブも兼ねて、高速道路は使わず地道で行く。昨晩に新しいプレイリストを作ってみんなで曲を入れたのだが、シャッフル再生した曲は前半、なぜか僕とファルマンのものばかりが立て続けに流れ、しかもその選曲は嫌がらせのように盛り上がらないものだったので(僕は最近お気に入りに追加した曲を中心に入れたのだが、客観視して初めて、近ごろの自分がダウナーな感じの女性シンガーの曲ばかりを聴いているということに気付いた)、残念だった。専用のプレイリストを作って家族でドライブという行為に、移動がやけに愉しかった夏の帰省の幻影を見てしまっているのかもしれないと思った。宍道湖は陽射しに照らされてきれいだった。
 島根県立図書館に来たのは、実は初めてではない。初めて来たのは第一次島根移住の際で、確認したら2012年9月のことであった。実に12年前。辰年のときだけ来る一家。12年前なので、行く前はぜんぜん当時の情景が思い出せなかったが、行ってみたら、そう言えばこんな感じだったかな、という感じがあった。前回ここに来たのは、ファルマンの仕事の資料がここにしかなかったからだったが、今回の来訪の目的は主に僕で、仕事ではなく趣味の、いわゆる性的だったりする本が、検索すると県内でここにしかない、というのが数点出てきたので、行くっきゃないとなったのだった。そして、いちど行って利用者カードさえ作れば、あとは地元の市立図書館で受け取りや返却ができる仕組みがあるに違いないという狙いもあった。入館し、まず申し込みをする。用紙に記入をしてカウンターに持っていくと、「おふたりは既にカードを作られていますね」と言われたので驚いた。当時は実家の住所だし、なにしろもう12年間利用がなかったのだから、てっきり失効になっているものと思っていた。これで失効にならないのだとしたら、死去した人間のデータも残り続けるわけで、いつか県立図書館の利用登録者数は日本の人口を超えるのではなかろうか(1日に5人くらいは増えているだろう)。おかげで僕とファルマンのカードだけは、ラミネートなしの仮発行のものとなり、「家で以前のものを探してください」と言われてしまった。そんな出来事もありつつ、しかし県立図書館の蔵書はやはりなかなか充実していて、あらかじめメモしてきたものに加え、その本のある書棚に行けば、その近辺にも見逃せないものがあったりして、とてもいい収穫だった。わざわざ行った果以があった。ちなみに今回の本から早速、返却は市立図書館でできる仕組みでの貸し出し処理をしてもらったので、今後こちらまで足を運ぶ機会はそうそうないだろうとは思う。
 図書館のあとは、昼ごはんを食べるために公園へと向かう。悩んだ末に選んだのは、松江の中心地から少し東側にある、楽山公園という所。遊具がないというのは織り込み済みだったが、緑豊かな遊歩道があります、といった感じで紹介されていたので、それならばいい景観で弁当を食べるようなスポットもあるだろうと思ったのだった。ところが、である。駐車場に車を停め、こちらがたぶん公園エリアということだよなあ、というほうへ足を進めてみると、あまり整備されていない感じの、饐えた臭いのする池と、ひたすら生い茂るうす暗い林ばかりで、とても食事ができるような感じではなかった。もちろん子ども連れなど誰もいない。奥に野球場があり、少し覗いたら草野球をやっていたが、それも完全に選手ばかりで、周辺で選手の家族がピクニック気分で和気あいあい、ということも一切なく、なんだか非常にエンタメ性のない、必要最低限の、こう言っては何だが、非常に松江らしい要素の横溢した公園であった。仕方なく駐車場のほうへ戻り、仕方ないから車で食べようかねえ、などと話していたが、駐車場の脇あたりは、それでもいちおう野原のようになっていて、座るための場所などもあったので、そこで食べることにした。車を降りて、公園に繰り出す前には、目に入らなかった場所。でも実はそこがこの公園のピークであったという。ロケーションとしてはそんな感じだったが、それでも外でごはんを食べるという目的は果たせた。この予定に合わせて昨日の晩のメニューとした唐揚げの残りも含め、おいしく食べた。たとえこんなおかしな場所でも、外で食べるごはんはおいしい。
 そのあとは松江イオン。生地はさすがに買わなかった。ゲームセンターに行って、ポルガは音ゲーをし、ファルマンとピイガはクレーンで遊んでいた。珍しくふたりとも景品をゲットすることができ、特にファルマンはドーパミンをドバドバ出している感じでおそろしかった。おやつのミスドを買って帰る。ミスドはおらが町にだってあるけれど。
 帰りは高速道路。4時前には家にたどり着くことができた。久々に一家の予定の合った休日の外出として、十全であったような、もうちょっと高みを目指せたような、この微妙な感じこそ、まさに松江といった感じだな、という1日であった。

8月から9月へと

 怒濤の8月が終わった。
 暑くて、パリ五輪で(これは実はほとんど印象にない)、南海トラフ地震注意で、横浜への自家用車帰省で、大社高校フィーバーで、風邪で、そして台風10号。なんかそんな、わりと盛りだくさんの8月であった。
 ずいぶん久しぶりの風邪は、咳や痰がしつこく長引いたが、ここ2日あたりでようやくほぼ完治したのではないかと思う。8月最終日で土曜日だった昨日は、去りゆく8月への挽歌として、午後からプールへと繰り出した。新しく半年会員となった8月だったが、これまで行って水の中に浸るたびに、「体おもっ!」と、水泳という運動への向かなさを痛感していたわけだけど(もちろん水泳に限らないが)、労働後ではない、さらには翌日も休みであるという、末日にしてようやく巡ってきた万全の態勢に、途中襲ってきた、800くらいで手を打っておこうかという悪魔の囁きを強い精神力で振り払い、なんとか1キロを泳ぎ切った。達成感もあって、気持ちがよかった。おかげで8月もいい顔で逝ったと思う。
 これはあくまで中国地方の話になるが、この昼過ぎまでまだぐずついていた空模様は、プールから出たあとの夕方あたりから、完全に台風一過の様相となった。今回の台風10号は、冒頭にも書いたように、このクドいまでに要素が多かった8月の掉尾を飾るのにふさわしい、もはや変態的なアクションで、日本全体を翻弄した。ここまで日本人の誰にとっても他人事でない動きをする台風は珍しいに違いない。その中にあって、中国地方の、それも山陰側というのは、どちらかと言えば被害が軽微だったほうなのだろう。最初に上陸した九州はもちろんだが、東海方面がひどいようで、今月まさに縁を持った、津であるとか、豊川であるとか、あのあたりもだいぶ激しかったようだ。南海トラフ地震注意に怯えながら彼の地を渡ったのは、わずか半月前のことだ。あのときも台風7号から若干の睨みを受けたけれど、もしもあのときに今回のような台風が来ていたらと思うとゾッとする。さすがに心が折れていたろうと思う。日本って過酷な環境だな。
 子どもたちの夏休みは数日前、8月最終週の半ばに終わったのだけれど、金曜日は台風のために休校となり、早々の3連休となった。しかしもはや休みに慣れ切った子どもたちには、3連休なんぞわざわざ喜ぶ対象には足り得ない様子である。驕っているな。ちなみに今回、始業式における校長の話で、「120%大社高校の話がなされる」という予想を打ち立てていたのだが、ポルガの通う中学校では的中したものの、ピイガの小学校の校長は一切しなかったそうで、ずいぶんひねくれてるな、と思った。けっこう改革派の人らしいので、こんなときも逆張りしてくるようである。
 台風を経て、月も代わり、季節はひとつ先へ進むのかと思いきや、なんのことはない、台風一過にかこつけて、このあと夏の陽気はしばらく続くようである。やはり20日までは耐えるしかないのか。
 9月が始まり、今日は車検に行ってきた。軽のほう。2年前に頼んだ所にあまりいい印象を持たなかったので、別の所に行ったら、こちらはずいぶんよかった。きれいだったし、人の感じもよかったし、なにより安く済んだ。車検が安く済むというのは、あまり積極的にあれもこれも治療をしようとはしない歯医者みたいなもので、実際にいいことなのかどうなのかは判らないが、少なくとも目先の家計的にはもちろんいい。ここでガクンとテンションが下がるんだろうなあと予期していた車検が意外とリーズナブルに終わったので、得をした気持ちになった。悪くない幕開け。なんてったって誕生月だ。なるべく気分よく過したい。
 誕生日プレゼントでなにをもらうか、考え始めているが、案が浮かばない。欲しいものが思い浮かばないということは、満ち足りていることか。ちがう、となんとなく否定したい気持ちはあるが、まあ実のところ、案外そうなんだろうとも思う。今年も生地になるのかな。

2024年夏の自家用車横浜帰省 6日目最終日

 いよいよ夏の帰省も最終日である。目が覚めたとき、とうとう地震から逃げ切ったな、と思った。実際、先週の木曜日から1週間ということで始まった注意期間は、この前夜に終了していたのだった。ああよかった。
 今日は豊川から島根まで、ひたすら長い移動。でもそうは言ってもそれだけなので、10時まで桃源郷をじっくり味わうことにする。朝風呂にももちろん行った。ただしサウナはせず。サウナはどうしてもしたあとで怠くなってしまうので、運転に差支えがあるだろうと判断してやめた。風呂に浸かってのストレッチが気持ちよかった。
 ゲームセンターに行ったり、漫画を読んだり、チェックアウトまでしっかり堪能し、後ろ髪を引かれながらホテルをあとにした。すぐにでもまた行きたいくらい快適な空間だった。実はこれで宿泊代は往路の津のホテルより安いのだ。たまんねえな、常宿にしようかな、と思った。
 ホテル近くの地元スーパーに寄り道し、食料やおやつを買い込んで、いざ最後の移動へと突入した。走り始めは、近付く台風7号の影響であろう、不穏な雲や強風があったが、なにしろ西へ西へ、台風とはどんどん離れてゆくわけで、三重に入ったあたりですっかり平常に戻った。どうせなら行きとは別のサービスエリアに行こうということで、滋賀の土山サービスエリアや、岡山の勝央サービスエリアなどに寄った。島根の実家へのおみやげとして、昨日沼津で富士山モチーフのチョコを買っていて、今日は追加として琵琶湖モチーフの焼き菓子なんかを買った。富士山と琵琶湖のみやげが同時にあるってなんかすごいな、でもわが家は今回まさにそういうことをしたんだよな、と思った(横浜の実家へは、蒜山・宝塚・浜松で買ったみやげを渡した)。
 中国道に入ってからは、明らかに車の数は少なくなり、この日は一切の渋滞にまみえず、18時前には無事にわが家へとたどり着くことができた。これなら大丈夫。次回からは行きも帰りも豊川だな、と思った。ちなみにもしものときのためにファルマンにフリードの運転を練習させていたわけだが、結局はいちども代わらなかった。代わってもらった場合、助手席で余計に疲れることになるのは目に見えていたからだ。まあ得てして、運転手というのは、酔わないし、逆に疲れなかったりするものだ。
 そんな今夏の横浜帰省だった。初めて自分の運転する車で、ここまで本州を横断したので、とても愉しい経験だった。これまであまり馴染みのなかった滋賀・三重・愛知・静岡あたりの県が、とても身近に思えるようになった。途中でも書いたが、京都だってそう遠くないことを知ったし、京都のジャンクションでは福井などの北陸方面に向かう案内もあった。そっちだって行こうと思えば行けるのだ。というわけで今回の横浜行きの感想としては、「高速道路がおもしろかった」ということになる。次回もおそらくこのやり方で行くことになるだろう。成功してよかった。

2024年夏の自家用車横浜帰省 1日目

 横浜帰省から無事に戻った。
 南海トラフ地震注意に怯えつつ、さらには台風7号に追い立てられながら、しかし結果的には何事もなく、住まいへと戻ってくることができたのだった。本当によかった。
 移動日のホテル宿泊も含めれば5泊6日にも及ぶ日々を、これから綴っていく。ちなみに車だったので、ノートパソコンも持っていったのだが、結局いちども起動させなかった。毎日日記を書いておけば楽だったろうにな。
 出発は8月11日であった。発生から1週間が経過し、注意報も解除された今となっては、結果論として過剰な反応ということになってしまうが、降って湧いた南海トラフ地震注意に、出発前の2日間はだいぶ悩んだ。移動は長く、そしてその道程はだいぶ南海トラフの警戒地域である。わざわざこのタイミングで、南海トラフの話題は普段、はっきり言って他人事である山陰の人間が、ノコノコそっちへ出ていく。これで本当に被災したら目も当てられない。宿泊先が実家だけならまだいいが、行きは三重県、帰りは愛知県の、それぞれなんの土地勘も縁故もない地方のホテルに泊まるのである。もしもその夜に地震が起ったら――? とまあ、不安は大きかったのだが、実際に取り止める踏ん切りもつかなかったので、決行した。
 行きの宿泊先は三重県と書いた。三重県は津市である。津は、スムーズに島根から横浜を目指すのであれば、少し寄り道になる位置にある。ではなぜ津かと言えば、今回のこの帰省には、伊勢参りというオプションも付けていたからだ。せっかく車でこのあたりを通るのだから、いつか行きたいと思っていた伊勢神宮観光も兼ねようではないかと。三重県の南方にある伊勢はだいぶ遠いが、早朝に出発し、昼あたりに着いて、半日ほど伊勢神宮を巡り、そして夜に津のホテルに入る、という算段を立てていた。しかしこの予定は、ポルガの部活動の影響(あまり誰も行けると思っていなかった上の大会に進出してしまったのだ)により、急遽中止することになった。11日の午前に部活が入ってしまったのだ。残念は残念だったが、この旅程の初日に、早朝に起きて炎天下で伊勢参りというのは、やったらけっこうハードだったかもな、とも思う。
 というわけで昼過ぎ、ポルガを学校で拾っての出発となった。伊勢参りがなくなったことで、この日は津まで行ってホテルにたどり着ければそれでいい。渋滞がなければいいな、と思いながら長い旅路が始まった。車内では、このために作ったプレイリストをひたすら流した。横浜帰省用として、2ヶ月ほど前から、ひとり10曲、計40曲というプレイリストを、12個作っていたのだ(ポルガやピイガは意気揚々とやっていたが、僕とファルマンは120曲を選出するのに大いに苦労した)。1つで大体2時間あまりとなるそれを、順番に再生し、最後に家に戻ってきたときは、ナンバー10の途中だった。自分が聴きたいと思って入れた曲と、家族の選んだ聴いたことのない曲が流れるので、飽きずに道中ずっと愉しめた。日々の運転でもだが、音楽のサブスクはだいぶ車中のQOLを上げてくれていることだな、と改めて思った。
 道は、岡山(倉敷)との行き来では、広島県を通る、しまなみ街道を使って尾道まで出るルートだが、検索したところ今回のような場合はそっちではなく、しまなみ街道ができるまでは使っていた、鳥取県を通って蒜山や津山など岡山県の北部に出て、そこから兵庫県へと進んでゆくルートのほうが早いということで、久しぶりにそっちの道を走った。途中、蒜山高原や宝塚北のサービスエリアで休憩した。宝塚には手塚治虫コーナーがあったので、寄ってよかった。兵庫県を越えると大阪府で、さらには京都府、そして滋賀県も少し掠める。ちなみに大阪と京都は、イメージしていたような風景ではぜんぜんなかった。そういうものだな。島根だってほとんどの地域は神の国でもなんでもない。それにしても京都だ。「京都市街」みたいな表示のインターもあり、ここを降りたら京都観光ができてしまうのかー、と思った。宿泊先さえ確保できれば、片道4時間ちょっとくらいで、京都旅行ってできるんだな。今回の経験を通して、これまでなんとなく畏敬の対象で遠かった京都が、存外そうでもないのだということを知った。そのうちやれたらいい。そして滋賀を抜けたらそこはもう三重県である。この道程において、大阪や京都あたりの渋滞が不安だったが、そこはぜんぜん問題なくて、でもなぜか唯一、滋賀から三重までの間の、具体的にどのあたりだったかもう忘れたが、トンネルが連続する山道のあたりで、何十分間かの渋滞に巻き込まれた。まあそのくらいで済んだのはよかったと思うべきか。
 ちなみにこの道中で、島根県代表である大社高校の、甲子園1試合目が行なわれており、ここというのはファルマンの上の妹とその夫の出身校であり(妹のほうが2つ上で、高校時代は面識がなかったという)、さらにはパピロウヌーボでおなじみのプロ角マキコこと江角氏の出身校でもあるため、わりと身近に感じているのだった。しかし初戦の相手が、春の選抜の準優勝校である兵庫の報徳学園ということで、これは無理だろう、まあ甲子園に行けてよかったよね、などと思っていたら、勝ったのでとても驚いた。試合状況はファルマンが助手席でちょいちょいチェックする形で確認していたのだが、試合が終わってしばらくしてから、そう言えばラジオで聴けたんだな、と気づいた。
 そうして無事に津に到着。ホテルは市の中心地にあって、街と道の感じが、なんとなく岡山を彷彿とさせた。ホテルに入る前にガソリンを満タンにし、あと地元のスーパーで夕飯を買い込む。事前にわざわざ調べさえした地元のスーパーは、しかし期待していたような愉しさのない、いまいちな感じだった。ちなみに酒は買わない。事前の宣言通り、ホテルでは飲まないのだ。5時間近い運転ののちに! 飲まない! 南海トラフ地震注意だから! だいぶん忸怩たる思いを抱えながら、酒をカゴに入れることなくレジを通した。
 ホテルはごく普通のビジネスホテルで、トリプルの部屋があれば、小学生添い寝無料とかで1部屋で済んだのだが、うまいこといかず、ツインの部屋を2つ取ることになり、その部屋割りをどうするかで少し悩んだ。結果として、寝つきがいい組(僕とピイガ)と、寝つきがクソ組(ファルマンとポルガ)で分かれることにした。これはとてもよかったと思う。部屋でごはんを食べたあとで、性分としてどうしても甘いものが食べたくなって、ホテル近くのコンビニまで買いに行くことにした。ポケモンGOをするポルガを誘い、ふたりで夜の津を歩く。コンビニは通りを1本入った、住宅街の中にあった。そもそも伊勢神宮に行くつもりで取った、だから今となってはぜんぜん泊まる謂れのない津に、なぜか一家4人で来ていて、ひと晩泊まるのだと、そして今はその津の中でも、絶対に地元住民しか使わないようなコンビニに娘と歩いて来て、プリンを買うのだと、そういうことを思うと、なんだかとても不思議な気持ちになった。津! 津て! 俺の人生に、津で過す一夜があるだなんて! 部屋に戻り、プリンを食べ、大浴場(サウナはなく、なんの面白味もない浴場だった)で風呂を済ませたあとは、僕もピイガも眠気が来たので、ピイガは21時台に、僕も22時台に、早々に寝た。向こうの部屋のことは知らない。ファルマンは「時計を見たら2時だった」などと言っていたような気がする。エアコンの設定が難しかったこともあり、僕もぐっすりとはいかず、浅い眠りの中で地震のことなどを思って途中で起きたりしたが、そのとき見た時計の時刻が2時台だったように思う。幸い地震は起らなかった。
 とりあえずこれが初日の動き。パピロウ名物、数日間に及ぶ出来事の、序盤はかなりしっかり書き込むが、後半はたぶん流し気味になるやつ。2日目に続く。

ファルマンの運転とふたつの耳すま

 ポルガの部活がない土曜日だったので、普段より多少色を付けたお出掛けをしたいと考えた結果、ゴールデンユートピアおおちへと繰り出すことにした。去年行ったときはウォータースライダーが貸し切りだったのだよな、いつ頃だったろう、今よりももうちょっと夏の気配が遠い、5月下旬くらいのことだったかしら、などと思いながら自分の日記をあたったら、6月10日のことだった。虎舞竜の「ロード」並みに、ちょうど1年前なのだった。ちなみにその日の日記も、「土曜日はポルガの部活がなかったので、」という書き出しで始まっていて、なんか人の営みというものは、田んぼに水が張られると蛙の合唱が始まるというのと同じくらい、実はシステマティックなのかもしれないと思った。
 目的地までは、途中に無料の高速道路も含んだ1時間弱の道のりなのだけど、今回はこの運転をファルマンにしてもらうことにした。わが家には車が2台あるわけだが、普段ファルマンは専ら軽ばかりを使っていて、フリードを前に運転したのは、鳥取旅行の帰りに本当に少しだけ運転を代わったという、数年前のそれが唯一なのだった。しかし今後、ファルマンがフリードを運転する必要に迫られる場面もあるやもしれないので、どこかで練習をしておきたいね、ということを前から少し話していた。それを今回、実行することにした次第である。先日ドライブレコーダーを設置したことも、この練習をするにあたっての援助となった(ただし逆にとんでもない過失が記録される恐れもあるわけだが)。
 結果的にこの首尾はどうだったかと言えば、ひたすら軽だったとは言え、やはり当時から2年以上の経験を積んだことで、鳥取旅行の帰りのときほどどうしようもない感じではなくなっていて、最初こそ「これセンターラインはみ出してない?」みたいな、車体感覚が掴めていないがゆえの恐怖はあったが、それもしばらく運転していたら整った。高速道路では、軽にはない自動運転機能を作動させる、その作動のための操作を実習する予定だったが、「まずハンドルの右にあるそのボタン」とこちらが言っても、「ハンドルなんか見られん」と、前方から一瞬も目を逸らさないので(正しいことではあるのだけど)、結局機能を作動させることはできなかった。あと高速の出口では、普通に反対車線に出そうになったので、とてもおそろしかった。「曲がった先に車線がふたつあると、自分が走るのが右か左か分からなくなる」と言っていて、なんでだ、日本からいちども出たことがないくせになんでだよ、と思った。とまあスリリングな要素はあるのだけれど、とりあえずいざとなればファルマンもフリードを運転できないことはない、ということが確認できたのはよかった。
 到着したゴールデンユートピアおおちは、相変わらずの非日常空間で、ウォータースライダーも貸し切りでこそなかったが、家族が数組だったので、順番待ちで並ぶということもせず、あのグループがやっているときはこっちは普通のプールで遊び、空いたら次の時間帯はわれわれがひとしきり占有する、みたいな感じで、ストレスなく平和に遊ぶことができた。やっぱりわざわざ行く価値のある、なかなかいい施設なのだった。
 帰りは僕が運転した。ファルマンが行きの運転でグロッキーだったというのもあるが、助手席というのはとにかく退屈なものだということを、久しぶりに長い時間自分が運転しない車に乗っていて感じたのだった。だからまあ本当に、いざってときだな。
 帰宅後はプールあとの気怠さもあって、各自ぬるぬると過した。夜になって、近ごろ週末のテレビがぜんぜんおもしろいものをやっていないので、もういっそのこと映画を観ようという話になり、そうなってくるとわれわれの場合どうしたってジブリで、じゃあジブリのなにを観ようかという議論の結果、「耳をすませば」ということになった。人生何度目か知れない「耳をすませば」。観始める前は、実は少し怖かった。もしも「耳をすませば」を観て、ぜんぜん思春期のキャラクターにときめけなくなっていたらどうしよう、と思ったのだ。しかし杞憂だった。ぜんぜん無理することなく、ときめけた。自分の子どもが中学生になってもなんの問題もなくときめけるのならば、もう一生大丈夫なのかもしれない、と安心した。願わくは死の床でもこの映画を観て、ときめきにとどめを刺されて、キュン肺停止のキュン不全で昇天したいものだと思った。
 そんな感動の夜だったので、翌日の今日、昨日の余韻が残っているうちに、2年前に上映された実写版の「耳をすませば」を観てみようじゃないか、ということになった。上映当時から存在はもちろん気になっていて、機会があれば観たいと思っていた。それが先ごろからプライムビデオに追加され、そして土曜日にジブリ版を観たとなっては、この日曜日に観る以外ない。というわけでおやつのあと、晩ごはんまでの時間帯で、ファルマンと観た。感想は、なんとも言い難い。純然たる疑問として、どうして作ったの? ということを思った。いろんな意味で、どういう意図で作られることになった映画なのか、さっぱり分からなかった。今後のジブリ版との付き合いのため、この観賞はなかったことにしようと思った。
 そんな感じの週末だった。土曜日の夕方から降り始めた雨は、今日一日ずるずると降ったり止んだりを繰り返していて、これはあれだな、梅雨だな、と思った。

ゆる週

 ピイガが今週、初めての宿泊行事、すなわち人生で初めて家族と離れて眠るというイベントに行って、無事に帰ってきた。なのでピイガのいない晩、わが家は夫婦と思春期真っ盛りの娘という3人で、まるで火が消えたようだった。ファルマンが、ピイガへの恋しさを訴える独白ばかりが、残りのふたりに完全に無視され、むなしく唱えられ続けた夜だった。
 行事でどんなことをしたのかは知らないが、疲労感もあり、さらには筋肉痛だとも言うので、この週末は天気こそよかったものの、ポルガもまた土日両日ともに部活だということもあり、特に大きな外出はせずのんびりと過すことにした。
 なにより車検という用件もあった。このたびフリードが初めての車検を迎え、この週末に1泊2日で作業してもらう算段になっていた。土曜日の午前中に車を店へ持っていき、代車で帰宅する。ちなみに代車はフィットだった。
 午後は夕方近くになって、ひとりプールへと繰り出す。今週はなんとなく気が乗らず、平日にいちども行かなかったのだった。行ったら行ったで気分はいいのだが、どうも今年の5月というのは総じてテンションの上がらない月間であった。来月からはすぱっと切り替えたいものだと思う。
 晩ごはんは、ミートドリアと、手羽先を揚げたもの。土曜恒例の朝市で、新鮮そうなアジが売られていたが、どうも魚の気分ではなかった。そして思案の末に繰り出した洋風のメニューは、なかなかよかった。やっぱり週末はパーティーメニューっぽいものがいいよな。
 ちなみにこの週末から、ファルマンの両親は青森に旅行に行っているらしい。ファルマンは、青森に行くなら斜陽館に行くべきだとおすすめをし、両親は娘の提案を受け入れたそうなのだが、今になってファルマンは、「両親は別に太宰ファンでもないのに、果たして行って愉しめるだろうか」と不安を抱いていた。しかし、まああの人たち(主に母)のことだから、行ったら行ったで自分がこれまでも熱心なファンだったかのように愉しめるに違いない、と自分で自分を安心させていた。たしかにそうだろうと僕も思う。若い頃は、浅くミーハーなそういった性分のことを、軽く見るところがあったけれど、実はその能力は、人生を愉しむ上で、とてもすばらしいものなのではないかと感じるようになってきた。この話の流れでファルマンと、いつか行きたい場所、食べたいものはあるかという話になって、僕はしばらく思案したのだけど、特に何も挙げることができなかった。結局、いわゆる「推し」というものがなにもないので、外の世界に強い魅力を感じることがないのだ。でもそれって、とても生きづらい生き方なんじゃないのか。回復アイテムを拒むモードでゲームをクリアしようとしているんじゃないのか、無意味に。特にこうやって、テンションの上がらない5月を過したりしていると、ことさらにそんなことを思う。
 翌日、車検が終わったフリードを回収する。車検代はやはりデデーン、という金額。もっとも今回はドライブレコーダーの取り付けを依頼したことで(品物はネットで買った)、その工賃も含まれているので余計に高いのである。ドライブレコーダーは、車を買ったときも、特に必要ないかな、と思って取り付けをしなかったのだけど、最近になって、別にヒヤリハットがあったというわけではないが、やっぱりあったほうが安心か、ということになって設置することにした。ネットでそれなりの商品を選び、取り付け作業をどうしたものかと考え、ネットで情報を見ると「がんばれば自分でできる」などと書いてあるが、決してできない(特にリアカメラは無理だ)ことを僕は知っているので、どこかしらのプロに頼むしかないなあと思っていたのだが、折よく車検というタイミングだったので、じゃあもうあちらさんに一緒にお願いしてしまうか、ということになったのだった。というわけで帰ってきたフリードには、ドライブレコーダーのモニターが設置されていた。プロの手によるので、もちろん配線なんかもすっきりしてなんの問題もない。いろんな意味で安心だ。
 それから午後は、本当に外出することなく、僕はいったいなにをして過しただろう、特になにをしたということもなく、ゆるゆるしてしまった。よろしくないな。でもよろしくないという自覚が持てているので、まあ良しとするか。どうだ、この力業の前向きさは。
 晩ごはんはハンバーグにし、付け合わせも彩りよく作ることができて、わりと満足感が強かった。明日からは天候が荒れるらしい。ぼちぼち風も強くなってきた。眠りが浅くなったら嫌だなと思いつつ、これから寝るまで愉しく過そうと思う。

要点を押さえたGW後半

 GWの後半が終わろうとしている。つまり今年のGWが終わろうとしている。寂寞である。
 初日の5月3日は、次女一家がこの前日の晩に移動して、既に実家に来ていたので、午前中から出向いた。春休み以来なので、1ヶ月ぶりでしかない。とは言え次女の第二子は、この間に1歳児から2歳児へという、年齢が2倍になるという大いなる躍進を遂げたのだった。すごいなあ、生まれたばかりの頃というのは。
 人が多かったので、昼ごはんの準備は買って出ることにした。材料はもちろん、ホットプレートまで持ち込んで、ソース焼きそばを作る。4玉を3回やった。
 食べたあとは、なぜだか出雲大社に行こうという話になって、僕の車と次女の夫の車の2台に分かれて出発した。地元民がGWに出雲大社に行くなんてものすごく馬鹿げた話だが、山陰では滅多にないような晴天だったので、出掛けないというのも阿呆らしく、出雲大社はともかく稲佐の浜を歩いたらさぞ気持ちがいいだろうと思った。なるべく混まない道から行こうと考え、大鳥居をくぐってご縁横丁を進む正面ルートではなく、裏側の稲佐の浜のほうから入るコースを選んだのだが、熟慮の果以むなしく、ひどく混んでいて、駐車場に入るまでだいぶ時間が掛かった。いざ駐車場に入る直前まで来たら、交差点の向こう側の、正面ルートから来る車はそこまででもないように見え、もしかしたら最近急に言われ始めた、「稲佐の浜の砂を持って出雲大社の砂と交換するのが正式な参拝法」という、これまで地元民は聞いたことのなかった言い伝えのせいで、今はむしろこっちの道のほうが混むのかもしれない、と思った。ちなみに道々の車は、全国津々浦々のナンバーで、島根や出雲はむしろ少数派だった。それはそうだ。散歩なのか参拝なのか、というような感じで境内を巡り、帰った。渋滞で時間と体力を喰ったこともあり、もう稲佐の浜はいいか、となった。僕的にはむしろそっちがメインだったのだけどな。
 実家に帰還後は、僕とファルマンだけがいったん自宅に戻り、夕方になってまた出発する。晩ごはんは鮨ということになり、ネットで注文したそれを店で受け取ったあと、実家へ再び赴いた。そして一同で食べた。1日、きちんと一族で過したな、県外に住む娘一家も帰省してきたのだし、GWに1日くらいこういう日はあるべきだな、というような日だった。
 翌日、5月4日は、次女一家は向こうの両親とともに泊りがけで広島にプロ野球を観に行く(これはこの一家の恒例行事のようだ)ということで、実家の面々とは絡まず、ゆるゆると過す。ポルガが午前中部活だったので、午後から道の駅キララ多伎へと出向き、昨日の稲佐の浜の雪辱で、海に足を浸したりして遊んだ。3月下旬に来た際は、春先の、まだ冷たい日本海であったが、今回は気候がよかったこともあり、裸足では砂浜が熱いほどだった。海開きはもちろん先で、まだシャワーも稼働していないのに、がっつり海に入って遊んでいる家族なんかもいて、こういう輩って毎年いるよな、と思った。気持ちは分かったけれど。
 晩ごはんは豆アジの唐揚げと、ミネストローネ。前晩の鮨しかり、自分が食事を担当する大型連休期間は、みそ汁が登場しないことが多く、気付けば野菜不足になっていたりするので、2日にわたって使えるような分量でミネストローネを作る。おいしかった。
 食後、せっかくGWだし、ということで久しぶりにトランプを持ち出し、大貧民をした。ちなみにだが、このGWを通し、わが家はとうとういちども誰もswitchを起動させなかったのだった。なんだかすっかりわが家のゲーム熱は下がったな。要するに、あまりゲーマー気質の人間たちではないのかもしれない。各自他にやりたいことがあるのなら、それに越したことはない。
 僕は合間の時間などはどう過していたかと言えば、そこまでバリバリやっていたわけではないが、今年も母の日にリクエストを受けたエプロンを作ったりなどしていた。プールは、会員が4月末で切れてしまい、なにも混んでいるであろうGWに行かなくてもなあという思いから、次の申し込みを先延ばしにしているため、行けていない。サウナもまた、いちどくらい行くかなとも思っていたのだが、結局行かなかった。
 それでは家でひたすら暇を持て余すGWだったかと言えば別にそんなこともなく、なんだかんだでちょこまかと動いた。3日目となる5日は、ポルガの部活もなかったので、午前中から松江へと繰り出した。目的は、ひとえに扱いの悪さによるものだろう、ポルガのスマホの不調を直してもらうためで、せっかく松江に行くのだからということで、なんかしらのイベントはやっていないものかと調べたのだが、意外とめぼしいものは見つからず、わりと純粋に、イオン松江にだけ行って帰った。スマホは店員さんが操作したら、わりとすぐによくなった。これはどうも、ちょっとした設定操作でなんとかなる、「わざわざ来なくてもよかった案件」のようだな、と感じたが、店員さんがやけに感じのいい人で、横溢する「わざわざ来なくてよかった案件」の香りを、ふわっと煙に巻くような感じの説明で、「そんなことなかったですよ案件」にしようとしてくれている様子だったので、こちらもそれに乗っかり、「来てよかった案件」として処理することにした。すばらしい大人たちの処世術だな、と思った。
 そのあと、せっかくだからということで、松江のブックオフに立ち寄る。初めて入った店。しかし近ごろブックオフって、本当に買いたいと思えるものがなく、そしてそれはブックオフではなく、100%僕のほうに原因があるので、かつて愉しめた場所が愉しめなくなったという種類の、いかにも中年的なアンニュイさに襲われるのだった。そしてこの精神の流れは、いつも入店してから思い出すのだ。入店する前は、過去のイメージから、いつもわりと意気揚々としている。ちなみに買わなかったけれど、二次元ドリーム文庫や美少女文庫が、110円の棚にずらーっと並んでいたので驚いた。この現象こそが、僕のブックオフとの距離を象徴しているな、と思った。かつてこれらのレーベルの文庫は、需要によるものだろう、よほど汚れているとかでない限り、滅多なことでは110円の棚には行かなかったのだ。400円とかしたのだ。それが今ではほとんどが110円になってしまった。そして在庫処分のように110円の棚に多く並ぶのは最後の輝きで、そのあとはもはやブックオフというフィールドからいなくなってゆくんだろう。哀しい。並んでいるものには、人生の途中で泣く泣く手離したようなものがわりとあって、ここでまた手元に置いておこうかな、ラストチャンスかもしれないな、などとも思ったのだが、娘たちに隠れてレジを通すのが、不可能ではないだろうが億劫だな、と考えてよした。自分も、ラノベ系文庫エロ小説も、すっかりフェーズが変わってしまったのだな、と切なくなった。娘たちは、漫画や児童書を何冊か買っていた。それでいい。それでいいんだ。
 帰宅した午後は、おやつに買って帰った柏餅を食べ、あとの時間は各自やりたいことをして過した。晩ごはんは、ミネストローネと、スーパーで買った味付きの焼くだけの豚肉だったのだけど、こちらがあまりおいしくなくて残念だった。
 夜は、この前の晩から2日がかりで、金曜ロードショーで放送した「すずめの戸締まり」をファルマンと観終えた。作品の世界観を理解してもらうための説明なんて、いつの間にかもう一切しなくていいことになったのか、と思った。そうだったのか。いつからだよ。
 かくして今日、6日がGWの最終日。ファルマンと子どもたちは午前、兵庫に戻る次女一家の見送りのため実家へ。広島みやげとして、もみじまんじゅうをもらって帰ってきた。僕はエプロンをとりあえず完成させた。今日はもうどこへも行かず、明日からの平日に向けて体制を整えようと思う。
 今年のGWは、遠出こそしなかったが、「渋滞」(出雲大社)、「親戚の集い」、「海遊び」、「高速道路移動」(松江)と、要点だけはやけに押さえた日々だった。というわけで、まあ悪くなかったんじゃないかと思う。ひどい疲労感とかもないし。さあ、ここから夏までは、わりとストイックな日々だな。次女一家もさすがに夏休みまでは現れまい。せいぜい気丈に暮そうと思う。

異世界転生したGW前半

 前半と後半にきぱっと分断されている今年のGWの、前半を終える。
 初日の土曜日は、土曜日なので僕はいつものように、午前中は買い出しに勤しんだ。ちなみに4月の食費も、まあなんとか予算内に収まりそうである。担当している食費のやりくりは、気を抜いたらすかさずオーバーしてしまうような、絶妙な設定になっているため、もう少し余裕があればいいのにと常に思いつつ、なんだかんだで愉しんでいる面もある気がする。
 帰宅して、昼ごはんまでにはまだ余裕があったので、ひとりプールへと繰り出す。ピイガは、混んでいるだろうから、という理由で付いてこなかったのだが、行ってみたら意外と空いていた。世の中、4月はまだプールの機運ではないのかもしれない。
 この日の午後は、どこへ出掛けるということもなく、家で過した。筋トレをしたり、子どもたちの新しいキャスケットを作ったりなど。おやつに白玉を作り、アイスとあんことともに食べる。そして晩ごはんは餃子。ちなみに白玉作りにも、餃子包みにも、もちろんピイガは参画した。そのさまを見て、小学5年生はまだまだ懐っこいものだな、と思ったが、しかしこれはひとえにキャラクターによるものだろう。ポルガはこれよりももっと幼い頃から、食べるものを一緒に作ったりなどまるでしなかった。あいつは将来、どういう食生活で生きてゆくのだろうか。たぶんファルマンの大学時代のような感じになるのだろう。チョコチップスナックと、吉野家と、アセロラドリンクで食いつなぎ、徹夜でネットをし、明け方に寝て、口中に口内炎を作って生きてゆくんだろう。
 2日目は予報どおりに天候に恵まれたので、レジャーデイにする。ポルガは午前中が部活だったため、終了時間めがけて学校まで迎えに行って、そのまま出発する。本当は公園などで食べたかったが、おにぎりを車内で食べた。それでもおいしかったし、テンションが上がった。家族で、車で出掛けて、弁当を食べるの、やっぱり好きだな。車内ではこの日のためにまた、ひとり5曲ずつという約定で作ったプレイリストを流す。僕は最近とてもハマっている歌手から選び、なにしろとてもいい歌なので、家族の心にもさぞ響くことだろうと思ったのだが、全員からポカーンとされたのでショックだった。「山奥のサナトリウムで唄われているような歌」とファルマンに言われ、やっぱり趣味が合わない、と思った。
 レジャーの目的地は、とうとうやってきた、ドラゴンメイズである。雲南市の奥のほうにある、なかなかディープなスポット。目玉は巨大迷路で、存在は前から知っていたのだが、なんとなく機会に恵まれず、ようやく初めての来訪となった。冬は閉鎖するし、真夏は厳しいので、GWというのはこの施設の最も繁盛する時機であろうと推察され、行ってみてあまりにも混んでいるようなら予定を変更し、鬼の舌震にでも行こうかと話していたのだが、もちろんそれなりに賑わってはいたものの、幸いそこまでではなかったため、予定通りに入場した。迷路は選ぶコースによってチェックポイントの数が異なるとのことで、せっかくなのでいちばん多いコースを選んだ。
 このコース選びの説明を受ける段階、もとい駐車場から歩き始めた瞬間からなのだが、いま思い返しても、あれは夢の中の世界だったのではないかと思うような、なんと言えばいいのか、話の通じなさというか、噛み合わなさというか、独特の感性で作り上げられた異常な空気感が横溢していて、とにかく濃厚な体験をした。迷路の要所要所に貼られたポスターには、モチーフが謎のオリジナルキャラクターが描かれ、そいつのセリフの意味がいちいち分からない。また迷路内には、建築基準法や消防法はどうなっているのだろうというような建屋があって、令和の日本とはとても思えなかった。増田こうすけの漫画の中に入り込んだのかと思った。でも総合的な感想としては、「とてつもなく愉しかった」ということになる。そんな不思議でエネルギッシュな施設だった。すべてひっくるめて、こんな体験を家族でできてマジでよかった、と思った。大当たりのGWレジャーだった。
 しかしこの日は気温もかなり高かったので、1時間以上も迷路を歩き回り、だいぶヘトヘトになった。車に戻り、近隣のお店に行って、スポーツドリンクとアイスを買って、全員でむさぼるように食べた。こういうときのアイスの美味しさったらない。そして帰宅後、まだ明るかったがファルマンとすぐにビールを飲んだ。こんなときはビールを飲まなければバチが当たる。疲労とほろ酔いで気怠くなり、とてもいい気持ちだった。
 明けて前半最終日の今日は、ポルガが部活がなかったので、午前中に、GWの特別イベントをやっているという出雲弥生の森博物館へと赴いた。こちらもまあまあ賑わっていた。王墓のボランティアガイドをやっているというのでお願いし、説明を受けながら四隅突出型古墳のエリアを歩いた。回転率などという概念は存在しないようで、とても優雅に、小一時間もかけて案内してくれた。なかなか興味深い話もあって、愉しめた。なにしろ行政が運営する、子ども向けに親しみやすくしているとは言えアカデミックな施設なので、整然とした世界であり、昨日のドラゴンメイズとの落差がすごかった。わが家は今年、ジェットコースターのようなGWを過した、と思った。
 午後は家でのんびりと過した。明日からしばしの平日。そしてGWの後半となる。こちらには次女の一家がまた実家にやってくる予定で、でもどういう日程で来るのか定かでなく、予定が立てづらいというか、もっともそれがなくても、特に計画などはない。ドラゴンメイズもわりと急に決めた感じなので、後半も流動的に、それなりに愉しめればいいなと思う。

1年ぶり岡山 後半

 次なる目的地はイオン倉敷である。
 せっかくの岡山なのに特にしたいことが浮かばないと書いたが、1年前の成功体験により、イオン倉敷のパンドラハウスでニット生地を買いあさるというのは、岡山に来た以上は外せない用件なのだった。イオンならばピイガがしたいというガチャのコーナーもあるし、なにより数時間をやり過ごすのにイオンほどの最適解は他にないだろう。
 しかしカーナビの目的地をイオン倉敷に設定したところ、所用時間48分と表示され、かなりびっくりする。そうなのだ、もうすっかり現在暮しているスモールシティ(もとい店のあるエリアがそこしかない)の感覚に染まってしまっていたけれど、要所要所に目的地となるスポットが存在するこちらの世界は、ひとつひとつの移動にわりと時間を必要とするのだった。しかも人の絶対数の多さからか、いちいち道が混む。そうだったそうだった、と車を走らせながら当時の感覚を思い出した。ちなみに交通事情に関連した事柄として、岡山と言えばウインカーを出さないことで有名だけど、久しぶりに走ったら本当にそうだった。そういう話って、取り沙汰される、すなわちネタにされるようになったら、それはもう過去の話で、今はもうさすがにそんなことない、というのがよくあるパターンだと思うが、岡山のウインカーエピソードはバリバリの現役だった。片側3車線ある国道2号線で、左右の車線から中央の車線への車線変更がウインカーなしで平然となされるさまを目の当たりにし、ここは修羅の国だろうかと思った。
 それでも幸いアクシデントなく、しかし実際に50分くらいかかってイオン倉敷に到着する。懐かしい。在住時代はよく来たものだ。いろいろ見て回りたい気持ちを抑え、とりあえず空腹を満たすためにフードコートへと向かう。フードコートはとても混んでいた。たぶんそれが人口密度そのものを示しているのだろうが、島根のそれに比べてテーブルの間がとても狭く、田舎者はとてもどぎまぎした。ピイガなど終始周囲に厳しい視線を向けながらうどんを啜っていた。そして食べたものは美味しくなかった。マックに逃げようかなとも思ったのだが、なんとなくそれ以外の、ごはん系の店のものを選んだ結果、大失敗だった。あまりこんなことを言うのもよくないと思うが、やっぱり大企業の提供する食べ物のほうが、コスパ的に絶対にいい。人生何度目か知れない学習をした。
 食事でテンションが下がったものの、気を取り直し、モール内を見て回る。変わっている店も少なくなかったが、建物の造りはもちろん同じなので、ちゃんと懐かしく思えた。あと島根に較べて、客層が明白に都会っぽいと感じた。実際におしゃれなのかどうなのかはよく分からないが、かなり奇抜と感じる恰好をした人がけっこういて、ああこれが新幹線で大都市と繋がっている文化圏というものか、ということを思った。ピイガは目的のガチャコーナーで、スーパーマリオの腕時計のガチャを回し、赤いキノコのデザインのものをゲットしていた。回すガチャ、堅実ないいセレクトだな、と思った。ピイガはクレーンゲームを好まず、よく吟味して納得した上で、回すガチャを選ぶ。(姉と違って)安心感がある。
 そのあと、待望のパンドラハウスへとたどり着き、ニットはぎれのコーナーを見る。期待をこれでもかと高めていて、そうやって高める一方で、どうせ現実はこれには応えられんだろうと冷めている部分もあった。ところがパンドラハウスはきちんと応えてくれたのだった。1年前とはまるで異なる品揃えで、多彩なラインナップが並んでいて、夢のようだった。別の場所に立ち寄っていて、少し遅れてやってきたファルマンとピイガが、売り場を手ぶらで眺めている僕に向かい、「どうだった?」と訊ねてきたので、「まあこんなもんかな、って感じ」と答えたあと、商品棚の空いている一角にまとめておいた、購入するロール状のはぎれを、両手でむんずと抱えて見せると、ふたりは「えっ」と驚いていた。「それ、棚じゃなかったの?」と。そのくらい買った。レジでは店員に「お仕事されてる方ですか?」と訊ねられたので、「趣味です」と答えた。続けて、「このお店のニットは本当にいいですね、いいものがたくさん手に入ってとても嬉しいです」と伝えておいた。4月のこづかいはだいぶえぐられたが、わざわざ来た果以があった。ホクホクした。GWだと近すぎるが、またポルガは夏にでも友達と遊べばいいと思う。
 そのあとはサーティーワンアイスを食べたり、イオンスタイルでトップバリュの鈴カステラを大量購入したりして、イオンモールをしっかりと堪能した。そして元の駅に戻るのにもまた時間が掛かるので、余裕を持ってこのあたりで出発することに。
 ふたたび戻ったかつての地元では、まだポルガが帰り着くまでに少し時間があったので、当時毎日のように行っていたスーパーに立ち寄る。立ち寄ると言うか、これも予定に織り込み済みで、生鮮品のための保冷バッグも家から持ってきていた。しかし分かっていたことだが、今日の物価高になる以前の、4年以上前の安売りスーパーは、もう幻影の中にしかないわけで、わざわざ岡山で買って帰らなくてもいいかな、と思うような、島根に対してわずかな価格差しかなかったが、でもせっかくだから、ということで肉などを多少買った。イオンで鈴カステラを、スーパーでわずかな価格差の肉を買う僕を見て、ファルマンは「あなたって本当にブレないよね」と、あまり感心した感じではない様子で言った。それはたしかにそうだと思う一方で、久しぶりの岡山で本当になんの目的も持たず、実際にやってきても結局なんにもしたり買ったりしなかったお前も大概だと思うけどな、とも思った。
 しばらくしてポルガが駅に戻ってきたので無事に回収する。友達との久しぶりの邂逅はとても愉しかったそうだ。午前中はメダルゲームで遊び、昼ごはんにはピザを食べ、プリクラを撮り、スタバでフラペチーノを飲んだという。なんだかいろいろ初体験を経たようで、とてもよかったんじゃないかと思う。「プリクラ見せろよー、あのいまどきの目がおっきくなる変なやつかよー」とせがんだが、あえなく拒まれた。ウザい父親をやってしまった。
 そうして島根へと帰った。帰りの車中、ずっとではないが、子どもたちは寝ていた。ポルガが車で寝るのは珍しい。よほど昂揚したのだろう。連れていってよかった。

1年ぶり岡山 前半

 6日土曜日、岡山へと繰り出したのだった。
 去年の3月以来、かの地を離れてから2度目の来岡である。今回の目的も、前回と同じく、ポルガが小学校時代の友達と遊ぶため。ポルガのことをやけに肯定してくれる例の友達は、中学生にスマホはまだ早いという方針の家の子だったはずだが、やはり昨今の時勢的にそれは無理だったようで、夏あたりにスマホをゲットし、すぐにポルガとLINEでつながり、それ以降は頻繁にやりとりをしていたようで、そこで春休みに会って遊ぼうという流れになったのだった。小学4年生の3学期という微妙なタイミングで転校させることになってしまったポルガには、親として若干の申し訳なさがあり、こうして岡山時代の友達と強いつながりを保っていることは、救いであるような、逆に申し訳なさをいつまでも掘り返す要素であるような、複雑な思いを抱く。しかしそれはそれとして、ポルガのそのつながりがなくなったら、その他の3人はもはや岡山になんの接点もなくなってしまっているため、行く機会がまるでないことになってしまい、それはさすがに寂しい気もするので、こうしてポルガの交遊をきっかけに岡山に行けるのはこちらとしてもありがたい。ふだん島根からまったく出ないので、山陽の岡山に遊びに行くとなると、それなりに心が躍る。
 しかも今回は、親同伴で美観地区を回った前回と異なり、最寄りの駅で向こうの友達と落ち合ったあとは、子どもたちだけで電車に乗って岡山駅に出て、イオン岡山で半日ほど遊び、再び駅に戻ってくるまでの間、われわれ3人は完全に別行動という計画になっていたため、その岡山での自由な半日をどう過そうかというワクワク感があった。
 それでだいぶ前からいろいろ思いを巡らせていたのだけど、いざ実際に行くとなると、実はどうしてもここに行きたいという場所はなにも思い浮かばず、そのことに少しショックを受けたりもした。6年半も暮したのに、どうして再び訪ねたい場所が特にないのか。もしかして自分はとてもつまらない人間なんじゃないのかと思った。結局あまりプランは定まらないまま、当日の朝を迎えた。
 9時半くらいに集合場所の駅に着いて、10時くらいからイオン岡山で遊ぶためには、島根を6時半くらいに出発する必要がある。6時前に起きて、身だしなみだけ整えて、すぐに車に乗り込んだ。朝ごはんは車内だ。高速道路を使っての大規模なお出掛けは、去年11月の東広島以来で、先週ノーマルタイヤに履き替えたこともあり、冬を乗り越えたのだな、という思いがこみ上げた。折しも当初の予想から1週遅れて、この週末が桜の満開に当たり、道中そこかしこで見事に咲いているのを見かけた。今回のために作成した、ひとり25曲、約6時間のプレイリストは耳新しい曲が多く、心地がよかった。結局お出掛けというのは、目的地うんぬんよりも、この移動時間こそが愉しいのだよな、などと改めて思った。
 道にトラブルもなく、ほぼ予定通り、9時半過ぎに集合場所である駅に到着する。友達は今も住まう、かつてわれわれ一家も住んでいた街の最寄り駅であり、とても懐かしい。去年の3月も美観地区での時間のあと、勝手知ったる安心感からこの地のパーキングに車を置いて、翌日からの横浜行きへと旅立ったわけだが、その際は帰りも含めてわりと慌ただしかったため、そこまで落ち着いて眺める余裕がなかった。しかし今回、無事に友達と落ち合ったポルガが電車に乗って岡山へと出発したあとは、6時間近く自由ということで、3人で少し往時の生活エリアを見て回った。頻繁に利用していたドラッグストアやスーパー、なにより当時の住まい。驚いたことに、ピイガは当時の住まいのことを覚えていなかった。ピイガは生後2ヶ月からそこで暮し始め、7歳になる直前まで過していたというのに。まあ僕もその年齢の頃の記憶なんてほとんどないけれども。
 そうしてしばし居住地の思い出巡りをしたあと、今度は僕が通勤で使っていた道を少し走ることに。これはもちろんノスタルジックから来た行為なのだけど、ひとつだけ言い訳として、この通勤の途中に、当時いつも利用していたガソリンスタンドがあり、そこが滅法ガソリン価格が安かったので、せっかくだからそこで給油をしようと考えたのだった。
 道は懐かしかった。6年半勤めたので、優に千回以上走った道だ。当時は軽だったのであまり感じなかったが、けっこう裏道っぽい道を使っていたので、こんなに狭い道だったのか、などと思った。目的としたガソリンスタンドは、期待を裏切らず安かった。実は前の週に岡山に行っていた三女から、岡山のガソリン価格は島根に較べてだいぶ安いと聞いていたが、本当だった。どれほど違うかと言えば、リッターあたり20円近く違う。ちょっと違い過ぎないか。ここまで違うと、岡山で安く給油できた嬉しさよりも、日頃のガソリン代へのつらみのほうが大きくなる。知らないほうがよかったかもしれない。前からこんなに違ったろうか。山陰は離島なのだろうか。
 ガソリンスタンドをゴールとして、来た道を戻る感じで、次の目的地へと向かうことにした。ここまで来たからには当時の職場のほうへも行ってしまおうかな、とも少し思ったが、さすがによした。職場の近くの公園には、オオキンケイギクが群生するスポットがあったため、シーズンだったら行けたかもしれない。しかし時期にはまだ1ヶ月半ほど早いため、さすがに大義名分がなく、訪ねるのはあまりに感傷が過ぎると思った。
 後半に続けることにする。

夜リフト体験

 土曜日、わが家にしてはとても珍しく、夜に出掛ける。三瓶山リフトにおいて、オリオン座流星群を観測するため、夜間の特別操業があるとのことで、それはいい思い出になりそうだということで、出向くことにしたのだった。
 家を出たのが18時過ぎ。もうこの時点でだいぶ薄暗かったし、走り始めてすぐに猛スピードで日は完全に沈んだ。さらには、家から三瓶山方面に向かうとなると、その道程はほぼほぼ山中と言ってもよく、なんだかとてつもない暗さだった。他の車もほとんどなく、人類はわが家だけを残して滅亡したのではないかと思った瞬間が多々あった。
 出発前にホームページで中止にはなっていないことを確認していたが、雲が多く、時おり小雨が降るという、天体観測にはとても悪条件だったせいか、本当にリフト乗り場の直前まで催し物がなされている気配が一切なかったため、なんだかハラハラした。夜の山に、リフトのレーンに取り付けられているのだろう点々とした灯りを目にし、そして駐車場にそれなりにわが家以外の人類の車が停まっているのを見て、ようやく安心した。
 おそらく流星群の観測は無理だろうと既に諦めていたが、もとより僕自身としては、そちらよりも夜のリフトという体験のほうに比重を置いていたので、あまり支障なかった。チケットを購い、乗車する。もちろん待ち時間とかそういう次元の世界線ではない。
 リフトはふたり乗りで、話し合いののち、僕とポルガ、ファルマンとピイガという組み合わせで乗ることにした。リフトに乗ったのは、僕は鳥取砂丘以来だ。ファルマンと子どもたちは、実はちょうど1年くらい前、まさにこのリフトに、義両親とともに乗ったらしい。「けっこう怖いよ。あなた無理なんじゃない?」と、ファルマンから高所恐怖症の性質を揶揄され、貶められたのだけど、乗ってみたら別にぜんぜん大丈夫そうだった。リフトは、たしかに高度をどんどん上げていくけれど、なにぶん山の傾斜に寄り添っているので、地面は常に2メートルほど下にあり、これなら落下したところで死ぬわけではないからへっちゃらだな、と思った。それを隣に座るポルガに伝えたら、「じゃあ後ろを見てみなよ」と言うので背後に目をやったら、駐車場の灯りは思っていたよりも低い場所にあり、少しだけゾワッとしたけれど、それでも取り乱すほどではなかった。しかしながらリフトの終盤、最高地点付近になると急に傾斜が激しくなって、このときだけは地面との間隔がだいぶ空いたため、許容範囲を超えた。この傾斜の激しさはリフトのワイヤーの限度を超えているので、ある瞬間にぶちっと切れてしまうに違いない、と思った。そのため頂点まで到達し、降りたときには、左に避けてすぐ、しばらくうずくまった。なんだかんだでやっぱ怖えよ、と思った。うずくまる僕の姿を見て、ひとつ後ろのリフトでやってきたファルマンは驚いていた。
 それから、地面を踏みしめる喜びを感じながら、リフトの乗降場からさらに山頂を目指す。山頂にある展望台みたいなエリアまでは階段が整備され、足元にも道しるべとなる灯りが灯されているのだった。展望台エリアに辿り着くと、なにしろ暗いので全貌は掴めなかったけれど、たぶん20人くらいの人がいて、流星群を観るために待機しているようだった。しかし雲はだいぶ厚く、流星群に限らず、ロケーション的には満天の星空が見えて然るべきだというのに、それさえほとんど見えない。なにより月さえ隠れてしまっていては、流星群など夢のまた夢のように思われた。これはもう登る前から覚悟していたので、そのさまを目の当たりにするやいなや、寒さもあり、早々に下山することにした。
 ふたたびリフト乗降場へと戻り、今度は下りのリフトに乗る。これが、これがもう、思い出しただけでも体が強張るほどにおそろしかった。地面が常に寄り添った登りに対し、下りのそれは地面から遠く離れ、視界は絶望的な中空であり、体感的には完全に浮遊であった。あとからファルマンに訊ねたところ、これでも暗くてよく見えない分、日中よりは怖くないのだそうで、じゃあ僕は冗談じゃなく、日中にこれに乗っていたら気絶していたかもしれないと思った。数メートルの間隔があるファルマンたちのリフトまで、僕の奇声は届いたらしい。体に変な力が入り、腰が痛くなった。どうしても、どうしても巨根過ぎるせいで、こうなってしまう。こんなことなら巨根でなければよかったとは決して思わないが、それでもこのときばかりは神の意図が恨めしくもなる。先週の日御碕は経験則から回避したため、高所の恐怖を味わったのは久々で、ちょっと喉元を過ぎかけていた感があったけれど、やっぱり飛行機なんて絶対にあり得ないな、と再認識した。そんなリフト体験だった。
 リフトの恐怖はひどかったが、夜の人類滅亡ドライブも含めて、家族の懐かしい思い出のひとつになったんじゃないかと思う。行けてよかった。ちなみに晩ごはんは、帰ったらすぐに食べられるよう、事前におでんを拵えていて、これがとてもよかった。寒くて暗くて高くて怖かったリフトも、帰ったらおでんを温めて食べ、まずビールを飲んで、そして次に熱燗を飲むのだと思い、なんとか耐えられた。無事に帰宅し、実現したそれは、果たして至福であった。愉しい夜だった。

自覚を持ってレジャー

 土曜日はポルガの部活がなかったので、レジャーに繰り出した。部活という要素を除いても、そろそろ、休日に一家でお出掛けというのが、それを当たり前のようにする時代というものが、終焉に近づいてきているのを感じ(子どもが嫌がり始めているわけではないのだけど)、チャンスがある限りはなるべくやっておこうと思うのだった。
 今回の目的地は大田市方面。大田市ってこれまであまり攻略してこなかった。前にも書いたかもしれないが、大田市って、岡山県で言えば総社市みたいな存在だな、と思う(ちなみに松江市が岡山市で、出雲市が倉敷市、雲南市が玉野市にそれぞれ対応する。これは僕の中でだいぶうまいこと言ってる感があるのだけど、いかんせん共感できる人間の数が限られるのが残念なところだ)。総社市、たしかに6年間でほとんど行かなかったもんな。
 大田市と言えば世界遺産である石見銀山なのだけど、石見銀山は家族連れが行ってもあまり愉しくないらしいので、それよりはもうちょっとエンターテインメント性がありそうな、仁摩サンドミュージアムに行った。少女漫画「砂時計」でおなじみの、砂の博物館である。漫画はあんまりちゃんと読んだことはないが、連載が2003年から06年ということで、大学時代、書店でバイトをしていた時期であり、当時わりと売れていたので、印象に残っている(この時期、「僕等がいた」もあって、ベツコミは盛り上がっていた)。1年にいちど引っ繰り返すという1年計の砂時計が世界最大のものとして有名で、ギネスの証明書も展示されていた。ちなみに3人は初めての来訪だったが、ファルマンは子どもの頃に来たことがあるという。そして職場でもここの話になったことがあるのだが、ファルマンも含め、行った人間は押し並べて、「そこまでつまらなくもないけど、まあ1回行けばいいかな」という感想を口にする。実際に行った結果、僕もまったく同じ感想を持った。万人に均一の感想を抱かせるって、ある意味すごいことのような気がする。
 入場券を購入すると、イラストに合わせて剥離紙が細かくカットされたシール用紙が渡され、それを持って所定のコーナーに行くと、さまざまな色の付けられた砂が用意されており、剥離紙を適宜剥がし、そこへ砂を振りかけて接着し、彩色していく、という企画があり、われわれ一家もそれぞれ作成した。
 

 左上から時計回りに、ファルマン、ピイガ、僕、ポルガである。わりと個性というかセンスが出る。ファルマンの素朴さ、ピイガの健気さ、僕の洗練、そしてポルガの混沌。これも含め、まあ予期していたよりはいくらか愉しめた。
 ちなみに博物館のすぐそば、同じ敷地内と言ってもいいような場所には公園があり、例のごとくわが家以外だれもいなかったのだが、ここにあるローラー滑り台は全長121mあり、地味に島根県で最も長いらしい。ポルガは3回、ピイガは2回、僕は1回、ファルマンは0回滑った。長いだけあり、登るのが大変だった。
 レジャーはこれでおしまいかと思いきや、そうではない。実はサンドミュージアムは今回のレジャーのメインではない。ついでなのである。車は大田市をさらに進み、突き抜け、美郷町へと突入する。目的地は、「ゴールデンユートピアおおち」という施設。ここは、昔ながらの保養地的なものなのか、宿泊施設に、テニスコートやレストラン、そしてプールにサウナに大浴場(温泉ではない)が備わっているという場所で、宿泊客でなくてもプールや浴場を利用できるというので、前々からなんとも気になっていたのだった。しかし存在はしているようだが、評判などの情報はあまり得られず、果たしてわざわざかなり長い運転をして行く価値があるのか、不安でなかなか行く決意ができずにいた。今回行くことにしたのは、まあ一家のお出かけの骨子というのは、要するに車での移動なんだよな、ということを思ったからで、目的地がいまひとつでも、一家でのドライブと思えばそれでいいじゃないかと、そう考えるようになり、ようやく決心がついたのだった。それで行った。
 行った結果、これが大成功だった。プールもサウナもほぼ貸し切りで、ウォータースライダーもあるのだが、子どもは完全にうちの子しかいなかったため、これも待ち時間0でやりたい放題と来ては、もはや上質なリゾート空間であった。普通はこの空間を得ようと思ったら、相当に高い金額を払わなければならないだろう。つまり島根県の山奥まで行くということは、相当に高い金額を払うことと同等の負荷である、と言えるかもしれない。僕と子どもたちは、それぞれ思う存分にプールを堪能した。去年の夏、とうとういちどもプールに行かず、1年以上ぶりのプールとなったファルマンは、ひたすら水の中に立ち、ピイガの世話をしていた。途中でさすがに申し訳ないような気がして、「ピイガの世話を代わろうか」と提案したら、「代わったところで私にはプールですることがない」との返事だった。でも1日の終わりに「愉しかった」とは言っていたので、嫌でしょうがなかったわけではないだろうと思う。
 そんなわけでとてもいいレジャーとなった1日だった。ゴールデンユートピアおおち、すごく良かったが、なにぶん遠いので、再び行く日があるかどうかは分からない。田舎の山の中の、ちょっと施設全体に異空間味のある、貸し切りのリゾートのようなプール体験、まだ行った翌日だというのに、早くも遠い日の思い出めいていて、まるで幼少期の記憶のようだ。なんだか不思議な体験だったな。これだからレジャーはいいな。

岡山旅行&横浜帰省記 7 完結

 江ノ電はひどく混んでいた。今回乗った電車の中で、断トツだった。いったいこれがGWにはどうなってしまうのか、とまた思った。予定通り、由比ヶ浜駅で下車。由比ヶ浜駅というくらいだから、降りたらすぐに砂浜の風景が広がるのかと思っていたが、意外とそんなことはなかった。どうも人の流れ的にこちらが海らしい、という方向へ、住宅街の中をしばらく歩いて、ようやく着いた。この道の途中や、あるいは沿岸にコンビニのひとつもあるだろう、そこで食べ物の追加や、そしてノンアルコールビールを買おうと画策していたのだが、意外とひとつもなかった。仕方ないので先ほど調達したもので我慢することにした。箱を開けてみたら稲荷ずしは思っていたよりもボリュームがあったので、食べ物の分量的には問題なかった。ノンアルビールはだいぶ恨めしかった。食べていたら、上空をトンビの大群が旋回し始め、子どもが怖がる。それを憂えたファルマンが、持っていたビニール袋を頭上に突き上げ、変なステップを踏みながら振り回すという、トンビを追い払っているのか人を追い払っているのか判らない謎の動きをしたのでとてもおもしろかった。
 食べ終わったあとは、長谷の方面に向け、砂浜を歩く。わが家は、日本海や瀬戸内海には馴染みがあるけれど、太平洋とはほとんど接触がない。一応みなとみらいでも目にはしているのだが、あれはあまり海という感じがしない。歩いて分かったが、日本海と太平洋の大きな違いとして、太平洋の砂浜には、ハングル文字のプラごみがない。
 長谷駅までは歩いたらけっこうあった。そして長谷駅から、いわゆる鎌倉の大仏のある高徳院までも、けっこう距離があるのだった。しかもゆるやかな上り坂。ファルマンとふたりで来たときも同じ道を歩いたはずだが、まったく記憶にない。こんなにけっこう行くまでに苦労したんだったっけ、大仏様ちょっと奥に移動してない? などと思った。
 高徳院に着き、大仏に相対する。おー、という感想。写真とかテレビで見たことあるやつー、と思った。バカな感想だな。僕とファルマンとポルガの3人は、つい最近「ブッダ」を読んだばかりなので、特別な感慨を持てばいいだろうに、あまりそんなことはなかった。大仏の内部も入れたので入った。たぶんこれは初めてじゃないかと思う。内部が特別どうこうということはなかったが、あの鎌倉の大仏の中に入ったという事実がおもしろいと思う。
 鶴岡八幡宮、小町通り、由比ヶ浜、鎌倉の大仏という、王道ルートをこなし、これにて鎌倉観光は終了。これから長谷駅まで歩いてそこからまたあの激混みの江ノ電かー、とテンションが下がっていたら、高徳院を出てすぐの所にバス停があり、鎌倉駅まで行ってくれるというので飛び乗った。座ることもでき、とても楽だった。
 帰りの電車で母と話をしていて、由比ヶ浜の話題になり、母が「波の音って本当にうるさくて嫌」と言ったのが印象的だった。ああ、この人は息子一家と鎌倉に来て、由比ヶ浜を見て、そしてしみじみと、「波の音がうるさい」ということを思うんだな、ブレないな、と思った。母がこれからもずっとこうやって、老人的なみすぼらしさを見せないでくれたらいいと思った。
 帰りがけにスーパーに寄り、夕飯の買い出し。メニューをどうするか問われたので、焼き鳥やシュウマイや煮豚や枝豆など、おつまみっぽいものをこまごまと作ろうと提案した。帰宅すると既に甥は実家にいた。それから叔父と姪を車で迎えに行き、夕餉を始める。陽射しを浴び、よく歩いたあとの焼き鳥とビールが、どこまでもおいしかった。途中で姉と、今晩は義兄もやってきて、全員集合となる。全員が集合したので、3年ぶりに全員での写真を撮った。見較べてはないが、3年分子どもたちが大きくなっているだろう。それ以外はあんまり見た目の変化はないだろう。
 翌日は最終日。なんとこの日も予定が入っている。新幹線は午後2時新横浜発なので、午前中だけなのだが、ここが今回の帰省で唯一の、いとこで遊べるチャンスなので、姉と事前に協議した結果、つくし野のアスレチック施設に行くことにしたのだった。しかしここまで岡山・上野・鎌倉と動き回り、さらには夕方からは岡山から島根までの運転が待っている身としては、今日はもういいんじゃないか、姉の家の大きなテレビでWBCの準決勝を観る、というのでいいんじゃないかと、やんわりと提案したのだけど、アスレチックにテンションを上げる子どもたちにそんな声が届くはずもなかった。というわけで朝からアスレチックへ。姉によると、ここには自分が子どものころにも来たことがあるそうなのだが、まったく覚えがなかった。園内を巡っているうちに痛烈に思い出す瞬間があるかもしれないと期待していたが、結局最後まで一切の思い出がなかった。子どもたちは普通の公園にはないレベルの設備に、躍動していた。こいつらはもう、こどもの国じゃなくてこっちなんだな、もとい数年前から実はそうだったんだな、と見ていて思った。そして子どもたちをアスレチックで遊ばせながら、大人たちと言えば、やはり誰もが明らかにWBCの試合状況をチェックしているのだった。大抵の大人は、家でWBCを観たいに決まっているのだ。それでも子どもとアスレチックに行く約束をしてしまったから逃れることができなかったのだ。試合は敗色濃厚の様相を呈し、諦めムードの中、われわれのタイムリミットは迫り、アスレチックを後にする。その施設から出て駐車場の車まで歩いている途中で、周囲からワーッという叫び声が響き、慌てて車に飛び乗ってラジオを付けると、村上のサヨナラタイムリーで日本が勝っていた。タイミングが特徴的だったので、なかなか印象深い記憶になったと思う。
 そのあとはいったん帰宅し、少し急いで昼ごはんを食べ、1時ごろに実家をあとにする。濃厚であっという間の2日間だった。
 そのあとは新横浜で新幹線に乗り、5時半ごろに岡山に到着。岡山から再びかつての居住地の街へと移動し、3日間、見知らぬ街に置いていかれていた愛車に乗り込んだ。ここから3時間の運転である。この街に住んでいたらここで行程はおしまいなわけで、楽だなと思うが、でもやっぱり、これは前向きな発言として、ここに住んでいた頃よりも、今の島根県での暮しのほうが好きだな、3時間余計に掛かっても島根の暮しがいいな、というふうに思ったので、自分のことながら安心した。3時間は、ポルガのプレイリストを聴きながら、愉しく運転した。今回は本当にギチギチのスケジュールだったのだが、無事にすべてをやり遂げることができ、よかった。帰省して数ヶ月は、「さすがに顔を出さないとなあ」という懸念から解放されるのがいい。GWはたくさんのんびりしようと思う。

日曜松江父

 日曜日、家族で松江に行った。
 松江にはなにしろ、ニットはぎれのおもしろいのが売っているパンドラハウスがあるので、常日頃からチャンスがあれば行きたいと思って暮している。今回はそれを含めていろいろな目的がいい具合に集まったので、行くことに相成った。いざ行ってみれば、松江はまあ決して近くはないのだが、そこまでとんでもない遠出ということもなく、ほどほどの距離なのだった。思えば島根での暮しは、お店が立ち並ぶエリアというものが基本的に1ヶ所に凝縮されているため、買い物にそこまで移動時間を要さない。これはとても便利でありがたいことだが、岡山時代はそうではなかった。当時住んでいた場所は、岡山市と倉敷市に点在する市街の、どこにも出やすい立地だと、住んでいた当時は思っていたが、どこにも出やすいというのは、裏を返せばどこに行くにも一定の移動時間を要するということで、けっこう40分くらいザラに使って、大きい100均ならあっち、イオンならあっち、なんてことをしていた。その頃のことを思えば、今はすっかり体が鈍ってしまっているけれど、1時間かかるわけではない松江へも、そう身構えずに行けばいいのだと思った。
 家族で行くことにした目的の筆頭は、ポルガのスマホの契約である。われわれ夫婦が契約しているイオンモバイルが、松江イオンにしかないため、松江に出向く必要があった。なにぶん春から中学生なので、まあ現代の一般的な落しどころだろう、このタイミングで持たせることにしたのだった。この時期こういう層は多いだろうと思い、お店が混んでいるのではないかと危ぶんでいたが、幸いここは島根県のため、まったく問題なかった。番号札さえなかった。スマホ本体は、ネットで買ったほうが安いのかもしれなかったが、まあお店で買ったらいろいろ事がスムーズに運ぶだろうと思い、店で買うことにした。それでラインナップを見せてもらったら、僕がいま使っているものとまったく一緒の機種が、僕がネットで買ったときと同じ値段で販売されていたので、なんだか拍子抜けした。さらに言えば、これは望外の喜びだったのだが、店で本体を買って契約をした特典として、WAONを何千ポイントかくれるそうなので、なんだかとてもリーズナブルに契約をすることができた。新しくスマホを持ち、電話番号も得るということが、こんなに簡潔にできてしまうのか、と思った。って言うか中学生でいきなりスマホって、という思いも、どうしたってある。僕は高校生になったとき、やっとシティフォン(都会専用携帯電話)だった。まあそんなこと言い出したら、高校生が携帯電話を持つことがあり得なかった時代だってあるわけで、きりがないけれど。でもスマホということは、カメラも、音楽プレーヤーも、既に集約されているわけで、そうか、現代の子は我々が選択を悩まされたそれらのことには、一切煩わされないのだな、と思った。ちょうど読み返していた「おもひでぶぉろろぉぉん」で、当時使っていたPanasonicのSDプレーヤーの話をしていたので、それが余計に感慨深かった。
 契約後の待ち時間は、ポルガは本屋へ、ファルマンとピイガは施設内をブラブラ、僕は待ちに待ったパンドラハウスへと向かう。去年の7月以来の来店。もうそんなに経ったのか。それで収獲はどうだったかというと、まあちょっと期待を高め過ぎたかな、という感じだった。もっとも時期的に、起毛のような、厚めの生地が多かった。僕の目的はもちろんショーツ用の生地なので、それでは適さない。それでも何枚かは買った。本当はもっとわんさか買うつもりで、財布に多めにお金を入れてきていた。だから少し残念だ。また暖かい季節になったら買いに来ようと思う。
 スマホを受け取ったあとは、所用があったため松江駅にも少しだけ寄って、帰った。帰り道の途中で量販店に立ち寄り、食料品などもろもろ買い込む。この際にポルガのスマホ用のマイクロSDも買った。32ギガ。マイクロで、32ギガなどという。2005年当時のSDウォークマンで使用していたSDの容量が、512メガだった。いや、まあ本当に、これについて言い出したら、じゃあカセットテープしかなかった時代はどうなんだ、という話になるから意味がないのだけど、それにしても、うーむ。
 そしてこれに関連した話にもなるのだが、ちょっと久しぶりに小一時間ほどのドライブをしたことで、現状の車内音楽が非常によろしくないということが判明した(本当はだいぶ前から判明していたが、いよいよ耐えられなくなった)のだった。これまではパソコンにデータとして持っている音楽をSDにコピーして、それを車載オーディオに差し込んで流していたのだけど、ろくに増やさないので、心底飽き飽きしていた。それで僕は、ゲオに行くしかないなー、と思っていたのだけど、ファルマンが、「定額制の音楽聴き放題サービスに加入しよう。ポルガもスマホを持ったのだから、ファミリープランでお得だ」と言い出し、えっ、なにそれ、それって俺たちとは縁のない世界の話なんじゃないの、と半信半疑だったのだけど、帰宅して、ファルマンがサービスを選んで契約してくれ、使ってみたところ、僕の聴くようなポピュラーな音楽は例外なく聴けて、ダウンロードもし放題で、なんだこれ、と思った。これまで猜疑心から近付かずにいたけれど、なるほど世の中こういうことになっていたのか。CDとか、ゲオとか、もうすっかりそういう時代じゃないんだな。かつて、メインの1曲と、どうでもいいカップリング曲と、メインの曲のオリジナルカラオケの3つだけで1000円していたのに。今は月額1500円ほどでありとあらゆる曲を手に入れ放題だと。信じられない。
 子どもの、32ギガのマイクロSDを入れたスマホ、無限の夢があるような、逆に全然ないような。とにかく隔世の感があると思った。そんな日曜日の父親だった。

頼家気分

 今日は松江で行なわれる催しに子どもを連れていかねばならなくて、でも都合の悪いことに僕はこの土曜日が会社カレンダー的に出勤だったので、事情を話したところ義父母がレジャーがてら連れてってくれることになった。
 なったのだったが、わりと直前になって、やっぱり仕事はお休みということになった(土曜日はなんだかんだでこうなることがある)。そうなると、にわかに僕も松江行きの目が出てきた。しかしながら、子どもを催しに連れていくのが当初の目的であったものが、ファルマンによると義父母はもうだいぶ孫との松江行きを張り切っているらしかったので、いまさら「やっぱりいいです」と言えようはずもなく、だったら僕も飛び込みで参加というのはどうだろうと思ったが、残念ながら義父の車は5人乗りなのである。僕が乗る余地はない。僕のフリードならば6人乗りだが、なんかどうも、「俺の車で妻と娘と孫娘を乗せて松江行きだぜ」と意気込んでいるだろう義父に、僕も参加するんで、6人になるんで、僕が運転しますから、僕の車で行きましょう、ということを伝えたら、義父は拒絶するわけにもいかず、「……うん」と哀しそうに返事をして、そして助手席でずっとちょっと愁いを帯びた表情を浮かべ続けるのではないかという気がして、そんなことに思いを巡らせた結果、これはあれだな、俺は源頼家だな、あのまま死んでいれば丸く収まったものを、にわかに息を吹き返したりしたからややこしくなってしまったということだな、という結論に至り、結局どうしたかと言えば、ファルマンとの協議の末、今日の僕の仕事が休みになったことは、義父母には秘匿することにした。ちなみになんで僕は松江に行きたがっているのかと言えば、本当にただ一点、松江イオンのパンドラハウスでニット生地を買いたいから、というだけの理由であり、それに対して義父は、せっかく孫と松江に行くのだからと、いろいろ立ち寄るスポットを挙げているそうなので、本当に頼家と一緒、にわかに息を吹き返したりしないほうが全員しあわせなのだった。
 というわけで午前の、義父母が車でわが家に迎えに来る予定時刻の少し前に、アリバイ作り的な感じで、僕はフリードに乗り込み、街に出た。おろち湯ったり館という考えも、当然ちらりと脳裏をかすめたのだけれど、昨晩にプールに行ったのと、前回から間が詰まりすぎているのと、なにより12月から2階が閉鎖されているのとで、どうも意欲が湧かず、本当に義父母によるファルマンたちのピックアップの間をやり過ごすためだけの、日常的な買い出しに終始した。帰宅後は、ひとり買って帰ったブロック肉で煮豚を作り、昼ごはんはうどんを作り、食べ、そのあとはショーツを作ったり、HIITをしたり、なんかまあ、そんな感じで過した。なんとなく地に足がつかない、時間を潰すために過しているような、そんな過し方になってしまった。たぶんそれは、義父母に対し、僕がこの日中に家にいるのが秘匿事項だからで、まったく善良な人柄だなと我ながら思うが、そのうっすらとした後ろめたさによる作用だろうと思った。ファルマンたちは夕方に帰ってきた。愉しかったそうで、なによりだと思った。僕が闖入していれば、そうはならなかったに違いないと思った。

山陽福山

 ようやく台風が来なかった3連休、しかし後半は天気がぐずつくとのことなので、初日の土曜日に、かねてより行こうと思っていた福山市立動物園へと繰り出した。これまでに、2014年9月と、2019年2月の2回行ったことがある。しかしその2回は、どちらも倉敷からだった。倉敷から福山は、1時間かからない。そして倉敷と島根がだいたい3時間なので、つまり今の住まいから福山市立動物園に行こうとすると、2時間ちょいかかる。2時間ちょいと言えばずいぶんなお出掛けだが、3連休だし、なにより遠出したい欲があった。実は山陽に移動することそのものが目的だったのかもしれない。実際、道が懐かしかった。広島市に行った際、三次までは同じ道を使ったが、そこから先は本当に久しぶりに走った。島根に再移住をしてぼちぼち2年になろうとするが、ここまで岡山にまるで行かないようになるとは思っていなかった。
 尾道北のインターで降りて、あとは地道。動物園は山の中にあり、倉敷から来たときとは、なるほど反対の道(以前までは東から西の道、今は西から東の道)から自分たちがたどり着いたので、なんとなくおもしろいものだと思った。
 福山市立動物園には大型遊具のある公園が併設されていて、子連れにとってこの公園をどう扱うか、動物園の前に遊ばせるか、あとに遊ばせるか、毎回わりと悩ましいところで、わが家は1回目は先に遊ばせ、しかしその結果、公園でお腹がいっぱいになってしまった反省を生かし、2回目はあとということにしたが、動物を観ながらも公園のことばかり気にするのでこれも失敗で、結局のところ正解はない(動物園の横に公園なんてないのが正解)ようなので、今回は子どもの希望に合わせ、先に遊びたいと言うので遊ばせることにした。それはいいのだが、この公園に関して今回、この公園ってこんなに小さかったっけ、ということを強く感じた。こじんまり、というほどではないにせよ、そこまで大規模な公園でもない。なんだか意外だった。もっと大きいような気がしていた。ポルガもそう感じたようで、子どもならば、それだけ自分たちが小さかったってことだよ、となるのだが、僕は2014年の初来訪の頃から大人だったではないか。強いて言うなら、当時よりちょっとだけ筋肉がついた。そのせいだろうか。筋肉がついたことによって、僕は世界のすべてが以前よりも些細なものに見えるようになったのだろうか。
 公園でひとしきり遊んだあと、動物園に入る。3度目なので、配置はだいたい記憶している。相変わらず、必要最低限の要素がぎゅっと凝縮された動物園だ。ものすごく見応えがあるわけではないが、ズーラシアのことなどを思えば、これでいいんだよな、という気もするのだった。
 動物園を出たあとは、福山市街へと向かう。今回は動物園に加え、福山城もコースに組み込んでいた。組み込んでいたのだが、天候のことなどもあって、前日の夜に行くことを最終決定し、福山城のホームページを見たら、城内の見学はコロナ対策として予約制で、前日の午後3時までに申し込まなければいけないとのことで、時間切れだった。それでも当日枠もあるということなので行ってみたのだが、一切の慈悲もなく「本日の受け付けは終了しました」というお知らせが掲示されており、城の外観を眺めながら恨めしい気持ちになった。広島城がぜんぜんそんなことしてないのに福山城がこんな制限をするのかよ、と若干の憎々しい気持ちが禁じ得なかった。下の広場には、「中入れないんだって」「ダメなんだって」などと語り合う人々が多くいて、こんなに無碍に客を拒むだなんて、殿様商売だなー、などとうまいことを思ったりした。
 これで帰宅ではまだない。最後にサファ福山というショッピングセンターへと立ち寄る。前日の検索によって、ここにはファルマンが倉敷時代にこよなく愛していた(家のものすごく近所にあった)セイムスというドラッグストアがあり、さらには僕が倉敷時代にわりと愛していたエブリイというスーパーがあることを知り、どちらも山陰にはないので、せっかく山陽に出てきたのだから行くしかないとなったのだった。それぞれで微妙にテンションを上げながら買い物をし、さらには同じ敷地内にあった西海岸という古着屋(これは倉敷時代にも馴染みがなかった)にも行ってみて、先日ユニクロで買えなかった子どもたちの服を何枚か買った。わりとよさそうなものが手に入り、行ってよかったと思った。
 そんな福山行きだった。城はまったく残念で、なんかもう今後またわざわざ福山という街に赴く機会はあまりないんじゃないかという気もするので、縁がなかったのだな、と思う。次の山陽行きは、いよいよ倉敷だろう。ポルガと未だに手紙などでのやりとりを続けてくれているダイアナと、久々の再会をさせてやりたい。僕も当時の近所のスーパーなどを巡ったりしたい。そのうちできればなあ。

フリードの1年点検とたこ焼き

 フリードの1年点検を行なう。もう1年が経ったのだ(正確に言うとまだ11ヶ月くらいなのだが、ちょうどオイル交換のタイミングになったので早々にやってもらった)。フリードは最初こそ軽自動車からの変化で違和感があったが、今ではすっかり気に入っている。車体カラーの黒も、納期的にそれしかちょうどいいのがなかったから渋々の黒だったが、今はもう「黒のもんだな」という気持ちになっている。なにしろ滞在時間が長い(すなわち通勤時間が長い)ので、居心地はどんどんよくなるに決まっているのだった。
 フリードがやってきて1年になんなんとするということは、ファルマンが免許を取得してからも1年が経つということだ。ということは初心者マークを外してもいいということになるが、どうやらファルマンにその気はまるでないようだ。たったいま検索をしたら、初心者マークは1年以内に着けないで運転すると違反だが、1年以上経って着けていても別に違反ではないらしい。じゃあ着けていればいいと思う。客観的に、ファルマンの運転の様を見ていて、心の底からそう思う。ファルマンは子どもを病院に連れていった際、診療の前に付き添いの親も含めての体温検査を求められたが、運転の緊張によるヒートアップのためにとんでもない高温をはじき出してしまい、院内に不穏な空気を漂わせたことがあるため、次からは病院に行くときは額にひえピタを貼っていくことにしている、というエピソードがあり、それを先日の横浜で披露したらとてもウケた。まだそんな塩梅なので、初心者マークは決して外せない。
 午前中にホンダに車を持っていき、代車で帰り、夕方に作業完了の連絡を受けるまでは、家でのんびりと過した。子どもたちは昨日、2回目の新型コロナワクチンの接種を行ない、5歳から11歳までが受ける子ども用のそれなので、ポルガにとっては負担は小さいようだが、ピイガにはけっこう来るらしく(今年も学校では1年生に間違えられたようだし)、しかも昨日から微妙に風邪気味ということもあり(病院でそのことは伝えたが、医師曰く「ぜんぜん関係ないから大丈夫」とのことだった)、今日は不調そうだった。昼はうどんにした。裁縫は、母の日の宿題を終えたので、久々に自分のビキニショーツに掛かることができ、癒された。ショーツ縫ってると、やけに癒される。健全な趣味だな。
 車を回収したあとは、晩ごはん。晩ごはんは、たこ焼きの予定を前から立てていて、ピイガもそれなりに回復していたので、実行した。ただし食卓を一緒に囲むのは僕は止すことにして、しかしたこ焼きを焼く役目は僕なので、どうしたかと言えば、IHクッキングヒーターからたこ焼きの鉄板、材料一式を部屋に持ち込み、工業用ミシンの横のスペースでせっせとたこ焼きを焼いて、焼き上がったらリビングに届ける、という方式にした。なんだかおもしろかった。工業用ミシンのテーブルでパソコンを使う人間はたぶんそれなりに存在するが、たこ焼きを焼いた人類はさすがに僕が初ではなかろうかと思った。たこ焼きはおいしかった。ちなみに今回、ウインナーやうずら、もちたらこ、チーズちくわなど、いつもの具たちにがんばってもらい、とうとうタコを使わなかった。以前から、具の中でタコがいちばん、値段が高いのに人気が低いということが判明していて、それでもたこ焼きという名称を用いる義理からたこは必須としていたのだけど、今回はいよいよ、別にいらないや、となったのだった。まさかたこ社長も、自分の興した会社を追われる羽目になるとは思っていなかったろう。手巻きずしも、刺身はほんの少しでよくて、たらこマヨとか、アボカドとか、納豆とか、卵焼きとか、そんなもののほうが、むしろおいしかったりする。舌がどんどん安くなっているのだろうか。
 そんな休日だった。なんだかあっという間だった。