食べ物賛歌

 今週は土曜日までが労働だったので、1日だけの休みで、なるべく多くのストレスを解消しなければならない。ストレスを効率的に解消しなければならない焦燥感で、ストレスが溜まるほどの熱情である。
 まず、昨晩は夜更かしをした。たっぷりの豚肉と長ネギをキムチ味で炒めたものを、袋麵を使って作った油そばの上に乗せ、さらには生卵を落とした、とても背徳的な、しかしたまらなく美味しいものを食べながら、9%のチューハイを飲んだ。至福であった。
 朝は当然、寝坊をした。9時前まで寝た。とはいえ寝就いたのが2時前なので、ものすごく長く寝たというわけではない。どうやら僕は、どれほど遅く寝ても、このくらいの時間までが寝る限界らしい(10時とかまで寝続けることはどうしてもできない)ので、夜更かしも2時までが限度のようだ。それよりも遅く起きていると、下手すると休日なのに睡眠時間が6時間を切ってしまい、ウィークデイよりも疲弊したりする。
 朝は適当なもので済ませ、昼ごはんにホットケーキを焼いた。ホットケーキのような、ただ単に幸福な食べ物を、無神経にパクパク食べたい心持ちだったのだ。午前中に買い物に出て、バナナや、生クリーム、チョコソース、ハチミツなどを買い揃え、本当にちゃんとハッピーな気持ちになれるよう、文字通りのお膳立てをした。そうして並々ならぬ気合を入れて焼き、これでもかとホイップクリーム等もろもろを盛ったホットケーキは、口に入れると、入れた瞬間に、直截的な快楽があった。奥ゆかしさなど一片もない、西海岸のブロンド美女のような、激しい悦びである。存分に甘やかされ、癒されるのを感じた。
 午後はまた買い出しに出て、晩ごはんは手巻きずし。これは週のはじめから計画していて、海苔やひきわり納豆、たらこなど、日々の買い物の中で着々と準備を進めていた。当日の今日は刺身を買って、満を持しての手巻きずしと相成った。これもまた、美味しさの破壊力が強い食べ物で、いつものことながら刺身というより、卵焼きとアボカドとたらこマヨみたいな組み合わせが、困ってしまうほどに美味しいのだった。
 昼のホットケーキも、晩の手巻きずしも、どこまでも僕の僕による僕のためのメニュー編成であったが、どちらも子どもたちへの訴求力が強く、喜んでいる様子だったので、そういう意味でも精神的によかった。
 食べ物にしか興味のない、人生の喜びがない人のような日記になってしまった。まあ短い時間で癒しを求めようと思ったら、自然とそういうことになる。真理であろう。
 このあとは残った刺身をつまみながら、日本酒を飲み、「どうする家康」だ。ストレスはだいぶ上手に放散できたのではないかと思う。いい休日だった。

春近週末

 天候に恵まれた週末だった。
 陽がよく出て、それなりに暖かい。とは言え外遊びができるほどではさすがにない。思案の結果、家からはそこそこ離れた位置にある、一畑薬師という寺に行くことにした。なぜそこかと言えば、ここは別名「目の薬師」ということで、眼病関係にご利益がある(とされる)寺だからである。実は先週あたり、ファルマンが眼科に掛かっていた。そこまで大したことではなかったのだが、ファルマンのことなので、症状や、もらった薬について、さんざん語られたのだった。騒ぎ立てられた、と言ってもいい。それは本当にそう大した病状ではなく、もらった薬をやっとけばそのうち治らあな、というものなのだが、自分の中の、ちょっとした遠出なんかしたい心持ちと、妻の眼病を心配して目の薬師に連れていってやる、という外聞きの良さなどを勘案し、じゃあ一畑薬師に行こうじゃないか、と計画したのだった。素晴らしいプランニングであると言える。
 一畑薬師は地図上では山の上にあり、これまで山の上に位置する神社仏閣や公園などに行こうとして、何度か大変な思いをしてきたので、だいぶ警戒する気持ちがあったのだが、ストリートビューを見るとそこまでではなさそうだった。実際、本当に寺のすぐ近くまでは道にセンターラインもあり、また擦れ違う車もなかったので、平穏にたどり着けた。
 高い場所にある宗教施設というものは、やっぱり独特の清廉な空気感があった。隣にコンビニとかがある環境とは、それは違って当然だろう。ただし周囲にそういった商業施設がない代わりというわけでもないだろうが、寺はそれなりに商魂が逞しい感じがあった。賽銭はペイペイに対応し、これだけ払えばこれが提供されます的な特典も境内のあちこちに案内されていた。
 寺の名物のひとつとして、千段を超えるという階段があり、車でずいぶん登ってきたのに、ここからそんな階段がさらにあるのかと思いきや、さすがにそんなことはなく、階段は徒歩で本堂に行こうとしたら登る必要があるものらしかった。こちらとしてはそれをするつもりで来ていたので、階段の下に駐車場があればそこに停めたのだが、ナビや道路標識に従って車を走らせれば、山の上に着いてしまう仕組みのようだった。仕方なく、お参りを済ませたのち、わざわざ無駄に降り、そして登るということをした。階段の最後のほうは、あまりにも住宅街の感じになり、気まずかったので、本当に最後(最初)までは行けていないが、それでもかなりの距離、かなりの段数を降り、そして降りた以上は、なにしろ車は上に停めているわけで、登る必要があり、登った。


 鳥取砂丘と同じで、子どもたちはすいすいと先へ進んだが、親はそういうわけにはいかず、ファルマンは「目が、良くなる、代わりに、膝が、死ぬ」と息も絶え絶えに唱えていた。来週は膝にご利益のある施設に行く必要があるかもしれない。
 境内に戻ったあとは、ポルガの御朱印帳に記帳をしてもらったり、せっかくなのでと実家へのおみやげを買ったりした。この際、出雲市のプレミアム入浴券がもらえて、テンションがぶち上がる。企画の存在は知っていて、市内の入浴施設の利用料が500円引きになるというこの券が、欲しいなあと思いつつ、道の駅やそば店、レンタカーなどを利用するともらえるということで、そんなところになかなか行かないもんなあと諦めかけていたところへ、まったく予期していなかった買い物での進呈だったので、本当に嬉しかった。思わずレジ担当の、社務所の職員さんに向かって、「僕はこれがとても欲しかったのでとても嬉しいです」と伝えてしまった。「あ、はあ、そうですか」と少し戸惑われた。
 そのあと実家に立ち寄り、おみやげを渡す。なにぶん眼科に掛かった妻を案じて一畑薬師に行った、という外聞きの良さが、行くにあたっての大きなモチベーションになっているので、こうして実家にわざわざアピールするのは必須である。さらにはそのおかげでプレミアム入浴券が手に入ったのだから、さすがは仏教、因果応報と言うか、効果覿面である。
 帰宅して、夜はプレミアム入浴券をどこで使うかを思案した。おろち湯ったり館は雲南市なので使えない。ならば「ゆらり」がお気に入りだが、今日の一畑薬師が「ゆらり」のもう少し先くらいの場所で、2日連続そこまでの遠出をするのもさすがに億劫だ(ひとりだったら確実に帰りに立ち寄っていた)。うーむ、とせせこましく平和な思案に暮れた。
 明けて今日、午前中にひとりで、出雲市駅すぐの「らんぷの湯」へと繰り出す。プレミアム入浴券は、有効期限が3月末までと言いつつ、利用可能施設全体で利用者が1万人に達した時点でキャンペーン終了、そしてホームページを見たら現時点で6000人を突破ということだったので、うかうかしてたら無駄になってしまうと危機感を抱き、早々に使うことにしたのだった。「らんぷの湯」は、行きやすい場所にありながら、これまでいちども行ったことがなかった。駅前にあるので、あまり伸び伸びした作りの施設ではどうせないだろう、島根でわざわざそんな入浴施設に行かんでもいいだろう、と敬遠していた。でもそんな期待できない施設だからこそ、こういう券を利用でもしないといつまでも行かないだろうと考え、この選択となった。行った結果、印象はどうだったかと言うと、まあ想像通りだった。500円引きであれば文句を言う筋合いでもないな、という感じ。でもだからこそ、本当にいい券の利用法だったと思う。
 帰宅したら、ファルマンとピイガが作っていたチョコクッキーが、黒焦げになり、ピイガがキレていた。ファルマンは「別にこれでいいじゃん」と、適当に選り分け、僕の分を皿に、義父の分をタッパーに入れて、この件を終わらせようとしていたが、ピイガはどうしても納得がいかないらしく、午後になって改めて材料などを買いに出ることになった。そもそも、僕の分はまだいいが、義父に贈るのがタッパーというのはさすがにひどいのではないかと思う。タッパーに入った黒焦げのチョコクッキー。それで済まそうとする娘。人の心がないのだろうか。というわけで、100円ショップでギフトボックスや焼き型を、スーパーで板チョコやココアパウダーなどを買い、帰宅後に今度はガトーショコラを作っていた。こちらはなんとか形になり、やれやれとなった。ちなみに人の心がないと言えば、ポルガはこの間、見事なまでにノータッチである。それでいて、食べるほうにはしっかり参加した。直径12センチほどの型で作ったガトーショコラ、半分は僕で、半分は義父に行くわけだが、僕のそれは4等分され4人で食べたので、僕がもらったのはガトーショコラ3口分くらいのものだ。うん、まあ、そういうものだよな。別にいいんだけどさ。
 晩ごはんは、土曜日がチャーシューメンと餃子、日曜日がチキンステーキとポテトとブロッコリーのミートソースグラタン。どちらもおいしくできた。まあまあ暖かく、なにより天気が良かったため、いい気分で過せた週末だった。春は近い。

年月 おもひでぶぉろろぉぉん・2

 母が誕生日ということで、電話で祝意を述べた。つい忘れがちな親の年齢だが、母とピイガはちょうど60年(十干十二支で言うとふたりとも甲午となる)離れている、という便利な手掛かりによって、とても覚えやすくなった。そんなわけで母は69歳である。いいなあ、69歳。憧れの69歳。自分が69歳になったとき、69という数字を無邪気に喜べる69歳であればいいと思う。
 そして同時に、cozy rippleが19周年を迎える。このふたつの事柄が同日であるということに思いを馳せるたびに、20歳の俺は母の50歳の誕生日の日、家には帰らず、ファルマンのアパートに泊まり込んでホームページを作っていたんだなあ、ということを思う。だからなんだ、という話なのだけど。その頃は姉ももういなく、祖母もまだ横浜には来ておらず、ふたり暮しだったので、家にいたところで特になにもしなかったに違いないけれど。
 19周年で特別になにか企画があるわけではないが、先日からあちこちのブログで宣言している通り、1年後の20周年に向けて過去の日記の読み返し作業、その名も「おもひでぶぉろろぉぉん」を始めている。というわけで最近は21歳当時の自分の日記を読んでいて、面映ゆかったり、愛しかったり、憎らしかったり、いろいろと感情を揺さぶられている。
 その「おもひでぶぉろろぉぉん」だが、日記を読み返しての雑感をこうして綴ったり、世相も絡めた自分史を作成したりという、当座のプランはあるものの、最終的にどういうゴールを迎えるつもりなのかは、実はまだあまり定まっていない。ひとつ構想していることはあって、とりあえずはそれを念頭に入れつつ、粛々と作業をしていこうと考えている。
 そしてその読み返し作業をしていくにあたり、ちょっとでも心の琴線に触れた部分、すなわち当世の言葉で言うと「いいね」と感じた部分を、せっかくだから選り抜いて集積していくことにした。『おもひでぶぉろろぉぉん特設サイト ~フレーズで振り返る20年の歩み~』というのがその選り抜きの集積場の名前で、ここに本当にハードル低く、「いいね」ボタンを押すほどの感覚で、過去の記事からコピーした文節を置いてゆく。ここには当時の記事タイトルも、どのブログに書いたものなのかも、明記しない。ただ綴った文章を淡々と置いてゆく。タイトルは日付。カテゴリは記事公開時の僕の年齢。付す情報はそれのみ。まだ4ヶ月分ほどしかできていないが、溜まっていけば、なんかしらの効果は発生してくるのではないか。淡々とした流れが、やがて怒涛になるのではないかと期待している。