サン(レン)キュークリスマス

 貴い3連休。天皇誕生日を軸とするこの連休は、その来歴からも、下々の民の暮しの中でのありがたさからも、本当に貴いと思う。この3連休のおかげで、クリスマスと、年末年始の準備が、グンと進んだ。来年からはなくなってしまうけれど、昭和の日のように近年中に復活させるべきだと切に思う。
 クリスマスと年末年始の準備が進んだと言いつつ、僕が今回の3連休の中でいちばん正面から取り組んだことと言えば、やっぱり干支4コマである。おかげで「2018犬」を無事に完走させることができた。年始にやらないのは当然のこととして、しかし初夏のあたりから「やらなきゃなあ」という憂いを持ち続けていたので、そこから解放されたすがすがしさはひとしおである。年末までそうやってあがいた結果として、来年の干支を登場させて漫才にするというウルトラCを思いついたので、ずっと気に病みながらも尻に火がつかない限り決して本腰を入れて取り組まずにいる、というスタンスを貫いた果以があったのではないかと思う。こうして反省を一切しないため、この人間性はいつまでも継続するのである。ちなみに漫画内でも言及したが、2019年分のそれはさすがに、もう話もほとんどできているので、2019年に入ったらすぐに公開できると思う。そして2019年の干支漫画を年頭に早々に完了させることができたのなら、その次の「干支漫画をやらなければならない」まで、2019年1月から2020年12月という、約2年間もの月日が僕には与えられることになる。それが嬉しい。別に誰が期待しているということもないのだから、そんなに気重ならばやめればいいという話なのだが、多分ほかならぬ僕自身が期待しているということなのだろう。少なくとも、これは2010年の寅年から始めたので、2021年の丑年まではやろうと思っている。
 あと3連休中の出来事としては、本放送から1週間ほど遅れて、「西郷どん」を最終回まで観終えた。なんとか年内に観終えることができてよかった。途中、二度の島流しの時期あたりで猛烈に視聴の意欲がダレて、何週間か飛んだのだけど、そのあと復活して、それなりの感慨を持って最終回に臨むことができた。西郷隆盛って、幕末が舞台の大河ドラマには絶対に出てきて、そしてずいぶんな権力を持っていて、わりと謎の感じがあり、だからそれが主人公である今年の話にはけっこう期待していた。それで1年間観終えた結果、やっぱり西郷隆盛が途中からなんであんなにグングンと偉い感じになったのか、あまりよく分からなかった。体と声が大きいからかなー、などと思った。バカな子の感想だな。でも全体的におもしろかった。「ちょいもす」とか「じゃっどん」とか「んにゃも」とか、この1年間はファルマンと僕の間で微妙に鹿児島弁が流行った。
 前半の2日間はそんな風にのんびりと過した。金土日の3晩とも、夜更かしをして、そして酒を飲んだ。年末年始も、夜更かしをして、酒を飲むのだと思う。冬場に夜更かしをして酒を飲むとなると、どうしても卓上にカップ麺とかが登場してくるため(あの美味しさ、幸福感ったらなんなのだ)、これはどうしたって太るよな、と思う。太ったら太ったで、僕にも西郷隆盛のような人望が生じればいいのだが、たぶんきっと熊吉のほうだと思う。ただ太ってるだけの人になるのだと思う。
 最終日の今日はクリスマスイブで、日中から夕餉の準備に邁進した。ポテトサラダを作り、手羽元に味を付け、そして子どもたちとともにケーキを作った。子どもたちはテンションが高めで、と言うよりも「3連休」じゃなく、もう金曜日に終業式を済ませた子どもたちは実は冬休みに突入しており、そのため終始ハイなのであり、せっかくのクリスマス準備なのに精神が持たず、うんざりする一幕もあった。「音量!」という注意を3連休の中で何度もした。音量の設定が、一定時間ですぐに最大に戻ってしまうというエラーが発生しているのだった。ケーキはクリスマスのわが家の定番である、6号の上に5号のスポンジを乗せた2段重ねの豪華版で、去年はこれを半分以上捨てることになったんだよなあ……、と去年の悪夢を思い出した。去年は、振り返ってみれば日中の時点でファルマンがだいぶグロッキーだったが、今年は幸いそんなこともなく(もっともインフルエンザではないが、今年は12月に入ってから家族内でまあまあの体調不良がずっと続いていた)、無事に手羽元は揚げ上がり、チルドのピザは焼き上がり、それらは全員で「おいしい」「おいしい」と胃に収めることができた。本当によかった。食事のあとは子どもたちのクリスマスソングの歌唱とめちゃくちゃなダンスがあり、それからケーキを食べた。美味しい。でもさすがに2段なので、子どもたちは食べきれてなかった。ファルマンも「さすがに多いね」と弱音を吐いていた。僕だけがサクッと食べた。ショートケーキ美味しい。しみじみと美味しい。「苺とクリームとスポンジっていうのは、マグロと酢飯よりも美味しいかもしれないね」とファルマンに言ったら、理解ができなかったのか眉間に皺を寄せていた。思わず口に出たのだが、たしかによく解らない発言だと思う。
 さてこのあとは、例のあれだ。僕のブログの読者の9割は小学生なので、あまり精細には言えないけれど、クリスマスイブの親には、子どもが寝ついたあとに、ちょっとひとつ役割があるんでね、それをもうちょっとしたらやってやる必要があるのですわ。
 そして明朝は出勤なので、たぶん枕元に届いたプレゼント(いったいいつの間に届くのだろう?)に対するリアクションは見られない。去年はそう言っていたら、朝ファルマンの具合があまりにも悪くて病院に行くことになり、とりあえず午前休にして、だから子どもたちがプレゼントで遊ぶさまをしっかりと眺めることができて、そしてそのあと怒涛のパンデミックへと突入したのだった。だから、サンタさんからのプレゼントのリアクションは、父親は見られないくらいがちょうどいいんだと思う。我ながらすごく深みのある言葉。戦地帰りは言葉の重みが違う。

すしプリそば

 年末年始用の本を借りに、図書館へと繰り出した。毎年のことながら、年末年始にそんなに本を読むのかよ、という話なのだが、それでも借りずにはおれないのだった。帰省の際の新幹線でも、子どもと一緒ではろくに読めないだろう。
 ところで新幹線で読書と言えば、今年はもうちょっと頻発する予定だった出張が、下半期はほとんど立ち消えになってしまったのだった。移動時間の長さから、読書だけでは心許なくさえあり、プライムビデオ目的にアマゾンのプライム会員にさえなったのに、なってからいちども出張に出ていないため、配送料無料のほうでしか活用できていない。いったい僕はいつになったら「64」を観られるのだろう。まさか帰省の新幹線では観られまい。両親のタブレットというタブレットは、子どもたちに占領され続けるに違いないのだった。
 図書館のあとは、ニトリで買い物をしたり、回転ずし店で昼ごはんをしたりする。もっとも毎度のことだが、店内ではほぼ食べない。朝ごはんをそれほどしっかり食べていなかったので、お腹は空いているのだが、すしを口に入れるたびに、ビールなり日本酒なりのアルコールが追いかけてこない寂しさばかりが募るので、子どもたちが食べている横で、座席に用意されている折り詰めのパックに、工場のそういう係の人かのように、せっせとすしを詰める作業に邁進する。そしてあん肝をはじめとした、僕好みの、魚臭の強いパックが完成し、うきうきした気持ちで店を後にした。
 帰宅後は、ゲオで借りたプリキュアの映画を娘たちと観ながら、すしと熱燗でのんびりと過す。いい午後だ。しかし冬で油断していて、朝からあまり水分を摂っていなかったため、日本酒がかなり効いた。プリキュアが最後の決め台詞として、「友達になるのって難しいことだけど……」みたいなことを言い出したので、「おっ」と身を乗り出し、そのあとなんと言うのか期待したところ、「仲間を信じれば絶対にできるよ!」的なことを言ったので、憤りの気持ちが湧いた。「フットサルを趣味にして友達をたくさん作るためには、友達からフットサルに誘われなければならない」とおなじ、ゼロの人間のことは完全に頭にない人たちの論法のやつだ、と思った。
 晩ごはんは温かいそばとだし巻き卵。相変わらず週末は麺なのである。温かいそばって、やっぱワイは西の人間やから、あんまりようせえへんのやけど、やってみると意外と旨いねんやな。ツユの中から、うどんが出てくるような気持ちで、細いそばが出てくると、ほお、という新鮮さがある。しかし4時過ぎくらいまでゆっくりとすしを食べていたので、そばも食べたらお腹がパンパンになってしまった。
 そんな食いしん坊な休日だった。今年は残り半月。録画の消化が追いついていないので観られないが、今日で「西郷どん」は最終回らしい。年末だなあ。

丸眼鏡とすき焼き

 ショッピングモールに出る。確たる目的があった。眼鏡である。「まんぷく」やら「ハリーポッター」やらで高まっている丸眼鏡欲求がこのたびとうとう抑えきれなくなり、買うことにしたのだった。
 モール内には2軒の眼鏡屋が入っていて、最初に有望視していたほうの店を覗く。まあこれかな、というものが見つかるものの、なんとなくレジに運ぶまでの勢いがつかず、もう一軒も見てみることにする。これが大成功だった。はじめのほうの店で見ていた丸眼鏡は、振り返ってみればラウンド型寄りのボストン型といった感じで、そこまで丸眼鏡丸眼鏡していなかった。丸眼鏡を買うのだ、と強い意欲を持って買いに来たのだから、本当にちゃんと丸い眼鏡を僕は欲していたのだった。それが2軒目にはあった。もう正円である。まん丸である。子どもが絵で描くような眼鏡。その現実バージョン。フレームは細目で、色は金。つまり、かなり振り切れている眼鏡である。僕はどこまでも群衆の一部でしかない一般人だけど、あまり群衆の一部でしかない一般人は日常的にかけたりしないタイプの眼鏡であると思う。でも僕は最近キャスケットかぶってバトン回したりしていて、怖いものがどんどんなくなってきたので、そんな振り切った眼鏡を、僕が探し求めていた丸眼鏡ってこういうことだと、喜んで選択した。店内で装着してファルマンに「これどうかな?」と見せたとき、思いきり顔をしかめられたが、そんな妻の反応にもめげずに意志を貫いた。しかもそのお値段たるや、1軒目の、「まあこれかな」に対して、なんと半額だったのである。心にビビビッと来て、半額。こんな嬉しいことがあるか。とてもいい買い物をした。今日買いに行ってよかった。出会い物ってこういうことだな、と思った。
 眼鏡の完成を待つ間に、モール内のうどん屋で昼ごはん。乱高下していた気温がここ2日でまたがくんと下がっており、あたたかいうどんがとてもおいしかった。今年の、公園で弁当を食べるシーズンももう完全に終了したな。何回かできてよかった。
 眼鏡を受け取って帰宅。ほくほくした気持ちで鏡を何度も眺める。我ながらとても胡散臭く、気持ちが悪い。そしてそこがいい。ニヤニヤしてしまう。ファルマンは顔を見合わせるたびに、「まるっ!」「まっる!」「まりーわ!」と悪態をついてくる。それどころか、「その眼鏡、丸すぎて人を殴りたくさせるから気をつけな」などと言ってくる。「的に見えるから」などと言う。そんな発想をするのは戦闘民族かゴリラだけだと思う。
 午後はまた溜まっていた「西郷どん」を2話ほど観たり、僕だけ近所のスーパーに買い物に行ったりした。スーパーでは晩ごはんの材料のほか、クリスマス用と、1月4日のピイガ用に、スポンジとクリームをもう買う。もう賞味期限が大丈夫だったから。ピイガの誕生日のそれは、年明けに買おうとすると店になくて困るので、クリスマス用に売り出しているときに買っておかなければならないのだった。
 晩ごはんはすき焼き。おいしい。砂糖と醤油と卵って、もう最強だろうと思う。ビールの後、日本酒。すき焼きで日本酒って、永遠に続けられる気がする。でもさすがに糖分過多かしら、などと無粋なことも思う。しかしうっとりするほどおいしい。冬、こたつで家族と囲むすき焼き、日本酒。そしてジョン・レノンばりの丸眼鏡。今日はそんな日。

カラオケとお好み焼き

 カラオケに行く。前回からそこまで間が空いていないが、前回は部屋が超絶に狭かったため、カラオケに行って得られたはずのなにかが得られていないと言うか、とにかくなんとなくフラストレーションが溜まっていたのだった。それで今回はいつものお店に行って、のびのびと唄った。もうきっと東京ではカラオケに行けない身体になってしまった。
 唄ったものは順番に、以下の通りである。
 1曲目、「センチメンタル」(岩崎宏美)。有線で流れるこの歌を、前々からいいと思っていたが、誰のなんという歌なのか、なかなか特定できずにいた。それがつい先日になってやっと判り、そしてその作詞者と言えばやっぱり阿久悠なのだった。もう僕はどんなにジタバタしても、結局は阿久悠の掌の上にいるのだな、としみじみと思う。
 2曲目、「潮騒のメロディー」(高田みづえ)。先日の「硝子坂」に続いて、マイブーム中の高田みづえである。本当は「火の鳥」を唄いたかったのだが、カラオケに入っていなかった。すごく残念だ。いつか入ればいい。これから新たに入るなんてことは絶対にない。
 3曲目、「プラネタリウム」(大塚愛)。これは時事選曲。RIP SLYMEで僕に唄える曲はないだろうと最初から諦めて、大塚愛で考えた結果、「さくらんぼ」ではなく歌詞の内容的もこちらだろうな、と思って唄った。要するに悪ふざけである。
 4曲目、「瞳」(aiko)。前回「ボーイフレンド」を唄ったように、aikoにいま少し興味が出ていて、CDなんかも聴いている。aikoの歌が頻繁に世間で流れていた当時、まるでなんにも感じずにいたけれど、ちゃんと聴いてみると意外とおもしろいと思った。
 5曲目、「Let it go」(松たか子)。いつもポルガが唄うので遠慮していたが、今回久々に熱唱してみた。気持ちがよかった。
 6曲目、「365日の紙飛行機」(AKB48)。近ごろ有線で、AKBじゃない誰かが唄っているのが流れて、いい歌だと思って唄った。ちなみにそのカバーを唄っていたのはToshlなのだった。「チキンライス」のカバーも同時に気になっていたが、それも同じくToshlだった。へええ、と思った。
 7曲目、「ぴったりしたいX'mas!」(プッチモニ)。これは吉澤ひとみの有罪が確定したからではなくて、この1曲前にファルマンが「いつかのメリークリスマス」を唄ったので、ああそうか12月のクリスマスソングか、と考えて、考えて考えて考えた末に思い浮かんだのがこれだった。「クリスマスソングで考えてそれなんだ?」とファルマンに驚愕された。自分でもびっくりだ。
 8曲目、「誰が為に」(成田賢)。これは追悼歌唱。そして今回唯一の男性の歌。唄うのは2度目だが、音程が低くて声が出なかった。
 9曲目、「さよならの向う側」(山口百恵)。マイクに着けるためのリボン飾りを作る、という趣味を数か月前に立ち上げて、ときどき実際に作ったりしているのだが、2回連続でカラオケに持っていくのを忘れている。この歌を唄うときなんかは本当にあったほうがいいな、と悔しく思った。歌唱そのものはとても気持ちがよかった。途中に1分間にも及ぶ間奏があり、この1分間をうまく使えれば場を相当に盛り上げることができる気がする。研究しようと思う。
 以上。前回の雪辱という意欲もあり、今回はとても成功したカラオケだった。よかった。
 帰宅後は近所のスーパーに行ったり、オーブンで焼き芋を作っておやつに食べたり、のんびりと過す。Mー1の敗者復活戦を少しだけ観て、普段はそんなことしないのだが、dボタンで投票なんかしたりする。金属バットが決勝に行ってくれたらいいなー。6時半からの本放送は、子どもと一緒に観られるはずもないので(子どもはネタ中も普通にでかい声でしゃべる)録画して、このあとファルマンと早送り交じりに観る予定。それまでヤフーとかは一切見ない予定。
 晩ごはんはお好み焼き。先週の3連休が終わった翌日の月曜日に、あろうことか、俺はお好み焼きがとても食べたかったじゃないかよ、と思い至り、それから悶々とウィークデイを過ごしたのだった。そしてようやく食べることができた。おいしくて満足した。いい休日だった。

3連休

 連休はがっつりと休んだ。
 初日は少し気張って、片道1時間以上かかる先にある大型公園に繰り出そうと目論むが、準備中にポルガの精神が爆発して、靴下を穿くだの穿かないだのという、死ぬほどどうでもいいことで出発が遅れ、車内でもずっとブスッとしていて、そんなんならじゃあもう今日は中止にするよ、いま謝ったら許してあげるよ、というやりとりを10回以上繰り返すも、とうとう最後まで謝らなかったので、家から20分くらいのところで本当に引き返すことになった。午前中はそんなことで潰れてしまい、心底うんざりした。
 家に帰ってから、とばっちりで公園を逃したピイガを連れて、近所の公園にふたりで行く。先週の公園には、雲梯はあったが鉄棒はなく、こちらには雲梯はないけれど鉄棒があるので、この日は思う存分に鉄棒をするところを見た。それにしても鉄棒に嵌まっているという話を聞いて、鉄棒に嵌まるってどういうことやねん、と感じていたけれど、それは僕が鉄棒でできることがあまりにも少なく、鉄棒という器具になんの発展性も見出せなかったからなのだと、ピイガの遊ぶさまを見ていて分かった。鉄棒って、遊べる子はこんなに愉しそうに遊べるものなのか、と感心した。鉄棒は低・中・高と並んでいて、中の時点でピイガの身長よりもだいぶ高いのだが、ピイガは片手を高く持ち上げてジャンプをし、指先でなんとか棒を掴むと、そこからグイと自分の体全体を持ち上げ、足を引っ掛け、背よりも高い鉄棒でグルグルと回転するのだった。マジですごいと思った。なるほどあれならば鉄棒は愉しい遊具になるだろうな。
 帰宅してから午後は、パピロウヌーボのことをやったり、夕飯の下拵えをしたり、まだ消化しきれていない「西郷どん」を観たり、だらだらと過した。夕飯は、煮豚を作ったのでラーメンと、チルドの餃子。「まんぷく」を観ている影響で、ラーメン欲求が高まって困る。なんだかNHKのドラマばかり観ているな。
 夜はたっぷり夜更かしし、零時過ぎにパピロウヌーボを無事にアップする。やー、今年も無事に終わった。これはハロウィンとか秋祭りとかと同じ、パピロウというブログ農家の収穫祭みたいなものだな、と思う。だから無事に執り行なえることがとてもめでたい。
 2時台に寝て、9時台に起きる。ファルマンは「私はこれが理想の生活のリズムだ」と言う。たしかになあ、という気もするが、しかしそれは普段、零時前に寝て6時台に起きる暮しをしているから、そこからの逸脱としての価値が出て充足感があるんであって、普段からずっと2時ー9時で暮していたら、それはそれで規則になって、喜びは伴わなくなり、予定のない日は4時ー11時を有難がるようになるのではないかとも思う。
 なんてことを言いつつ、実はこの日の午前、僕には予定があるのだった。とは言え「午前」というざっくりした予定なので、目覚ましはセットしなかった。予定とはインフルエンザの予防接種である。去年の悪夢を経て、今年のわが家は全員がきちんと予防接種を受けることにしていて、まだなのは僕だけなのだった。というわけで予約していた近所のクリニックへ。予約と言っても、この日に受けに行くのでワクチンを確保しといてくれ、という感じの予約なので、けっこう順番を待たされた。土曜日に予防接種を受ける必要のある勤め人以外にも、普通に風邪が流行っているようだった。タブレットは持ってきていたが、本は持っておらず、タブレットでの時間潰しというものに慣れていないので、見たいインターネットのページも思い浮かばず、退屈した。そうしてずいぶん待って、いざ呼ばれたら一瞬の出来事だった。典型的な病院あるある話である。
 その帰りにスーパーで天ぷらを買い、昼ごはんは天ざる。休日は普段の鬱憤を晴らすために、献立が偏執的なまでに麺類中心になる。おいしかった。
 午後から車でちょっと出掛け、図書館に行ったり、瀬戸内海をバックに年賀状用の写真を撮ったりする。まあまあいいものが撮れたので、この日の写真で決まりそうだ。晩ごはんは、子どもたちには肉野菜炒め、大人には豚キムチを作る。ずっと切望し続けているキムチ鍋には、いつまでも到達できないのだけど、豚キムチは、こうして自分で料理をするときに、手間だけど子どもたちと分けて作ることでなんとか実現することができた。おいしい。豚バラとキムチはひたすらおいしい。ビールがぐいぐい進んだ。
 翌日の今日は、子どもたちが縫いものをしたいというので、エプロンを作ることにする。子どもたちの体に合わせて型紙を作り、裁断をして、袖もなければ前身頃と背身頃の縫い合わせもないエプロンというのは、それでほとんど行程がおしまい、という感じはあるのだけど、ポケットを縫い付ける工程を子どもたちにも手伝わせた。ポルガはもうひとりでそれなりにやるのだけど、ピイガはもちろんできるはずもなく、しかし私もやりたいという意欲だけはあるので、仕方なく一緒に椅子に座り、フットスイッチを踏むことだけをやらせた。なので僕は、4歳児の踏むフットスイッチに合わせて布を動かし縫うという、とても緊張感のあるシチュエーションで作業をすることとなった。それでもなんとか無事に完成する。これも近日中、「nw」にアップしようと思う。
 貴景勝の優勝を見たあと、炒飯と中華スープの夕食。煮豚たっぷりの炒飯がとてもおいしかった。炒飯は溜まっていた冷凍ごはんで作ったため、この3日間を僕は、いちど3合の米を炊いたきりで乗り切った。そのくらい麺ばかりを食べた。
 晩ごはんのあとはトランプをしたりして、平和に過ごした。初日の午前にあんなことがあって、どうなることかと危ぶんだが、尻上がりにいい具合になった3連休だった。いい具合に癒された。

晩秋公園

 のんびりと図書館と公園に繰り出す。11月の過ごしやすい気候だった。
 図書館では小説を何冊か借りる。この半月ほど、自分の1年間の日記を読み返す必要があったこともあり、本を本当にまるで読まずにいたら、さすがに暮しが味気なく物足りない気がしてきたので、読書欲が高まった。それで吟味して借りた。心が充足するような読書ができればいいと思う。
 公園では遊具でひとしきり遊ばせる。ポルガは相変わらずアスレチック系の遊具に目がないのだが、ピイガは近ごろになって、鉄棒と雲梯に嵌まっている。セレクトが質実剛健でかっこいい。今日の公園で初めてピイガが雲梯をするところを見たが、それはもうスイスイと、端から端までを腕の力だけで伝って進んでいたので、びっくりした。子どもは体が軽い、とは言うものの、僕なんかは子どもの頃だってあんなものはいちどもできたことがない。両手でぶら下がるだけで精一杯で、一瞬片手になって次の棒へ進んでいくなどという行為は、自分とは完全に別世界の話だと思っていた。それなのに娘はできる。ポルガはこれまで雲梯なんて見向きもしなかったが、ピイガがあまりにも愉しそうにやるので触発されたか挑戦してみた結果、こちらもわりとできていた。信じられない。ここは完全にファルマンの遺伝子だ。研究所のゴリラと生殖した果以があった。
 そのあとはがらんどうのような広場にレジャーシートを広げ、昼ごはんを食べた。持ってきたのは炊飯器に残っていたごはんで作ったおにぎり4つきりで、これだけだともちろん足りなくて、家に帰ったあとに半端な軽食を取る必要が出てくるなあと思っていたところへ、園の端の木立の向こう側にコンビニの看板を見つけ、色めき立つ。そしてサンドイッチやフライドチキンを買い足し、ちゃんと昼ごはんにすることできた。たまに食べるコンビニのジャンキーなフライドチキンはおいしい。外で食べるからなおさらおいしい。
 腹ごしらえを済ませたあとは、写真撮影タイム。僕はやっぱりLINEの画像を自分がバトンを華麗に回している姿にしたいという欲望があり、ファルマンに撮影してもらう。そして子どもたちに関しては、もうそろそろ来年の年賀状のそれを撮らなければならない時期になってきたため(11月中盤あたりから、運営ブログの企画、クリスマス、正月、そして子どもらの誕生日と、こなさなければならない事項がいろいろ出てくる)、それを目論んで写真をたくさん撮った。結果として、前者はなかなかいい写真が撮れて、それはもう背景画像に設定した。後者は、まあこれでも悪くはないかなー、というものはあったのだが、もう少し粘ってみようということで、その画像で早速年賀状のデザイン作成を始める、ということにはならなかった。ちなみに夏の終わりあたりに作ったポンチョを着せていたので、今日撮影した後ろ姿の写真で、そのうち「nw」に記事を書こうとは思う。
 帰宅後は撮った写真をパソコンに取り込んでみんなで眺めて笑ったりして、ゆるゆると過す。そう言えば今日は午後に酒を飲んだり昼寝をしたりしなかったな。
 晩ごはんは鍋ラーメン。どうもここ2回くらいの鍋ラーメンはあっさりしていてコクがないという不満があったので、コクを出すにはどうすればいいかと考え、ちくわをたくさん入れてみる。その結果かどうかは分からないが、満足いく出来になり、感動しながら食べた。家族であたたかいものを囲んで食べるのは嬉しい。

大改造

 疲労困憊である。断行したのである。わが家の大々的な模様替え、もとい改造をである。もはや模様替えなどというゆるやかな表現ではふさわしくないほどの大事業、聖域なき改革だった。これによりこの住まいでのわが家の暮らしは、第2部へと転換したと言っていい。
 なんてったって2段ベッドである。これを導入するにあたり、これまでひとつの部屋に3つ並べていたベッドが、ひとつでよくなった。そうしてベッドがふたつなくなった部屋に、僕とファルマンの机を持ってきた。ここはこれから僕とファルマンの部屋になるのだ。かくして僕とファルマンの机(すなわちパソコン)は、普通に横に並ぶことになった。向かい合わせ、背中合わせ、角突き合わせ、これまでいろいろなフォーメーションを取ってきたが、横並びはというのは実は初めてである。互いの画面が簡単に視界に入るのが、なんとなくまだ慣れない。これじゃあ自由奔放に本能の赴くままのページは開けないじゃないか、と思う。いっそパーテーションで仕切ろうかとさえちょっと思う。しかし部屋の状態そのものはとても快適だ。なにしろこの部屋には子どものものが一切ない。折り紙作品がセロテープであちこちに貼られたり、レゴが落ちていたり、そんなことがまるでないのだ。それだけのことで部屋というのはとても快適になる。もちろんまだ完全に整ったとは言い難く、これからさらにどんどん心地よくしていこうと思う。そうだ、自分の家というのは、そして部屋というのは、居心地がよくて心が安らぐものだったのだな。この数年、そのことをちょっと忘れていた。
 僕とファルマンの机が立ち去り、これまで家族4人の机が結集していた、通称「机部屋」が、今後は子どもたちの部屋ということになる。それで親の机があった場所に2段ベッドを配置、ということなら話は簡単だったのだけど、エアコンの位置の事情などからそうはいかず(上段で寝るポルガに風があまりにも至近距離で当たってしまう)、そのため一念発起して、その反対側の壁をほぼ塞ぐようにして聳える2台の本棚を、動かすことにする。これが本当にもう、重労働だった。もちろんそのままでは動くはずもなく、ぎちぎちに詰まった本を、いちど全て取り出す。空っぽになってようやくなんとか動かせる重さになり、想定の位置に移したあとは、また取り出した本を入れ直さなければならない。この作業でくたくたになった。
 ここまでが終わって、土曜日の、夕方だった。もちろん翌日の日曜日もあるのだが、もうベッドを解体してしまっているので、子どもたちの寝床は作らなければならず、「こ、このヘロヘロの体で、これから2段ベッドを組み立てるだと……?」となった。最奥にいるボスと戦うためにダンジョンを突き進んだら、ボスのもとにたどり着いたときにはもはやボロボロ、みたいな状態。それでもやるっきゃないのでがんばった。とは言え、物が大きいし箱の数も多いので怖気づいたが、それでも説明書通りに作ればいいのだから、話せばわかる相手だった。それより本棚の移動のほうがよほど大変だった。
 かくして2段ベッドが完成する。おおー、となった。ファルマン家にはあったらしいが、僕の家にはなかったので、2段ベッドというものに馴染みがない。家に2段ベッドがあるというのはこういう感じか、と思った。2段でなくしたあとも長く使えるようにと、奮発してけっこういいものを選んだので、見栄えがいい。子どもたちももちろん大喜びだった(組立作業中も、何度注意しても乱入してきた)。
 当夜は、子どもたちは無事に寝られるだろうか、初日に躓くと尾を引きそうだな、と危ぶんだが、子どもたちにも模様替えの手伝いでそれなりに疲労があったのか、無事に寝た。朝方に目を覚ましたピイガが少し泣いただけで済んだ。
 日曜日は、本棚を移動したりベッドを作ったりという大々的な作業ではない、しかし諸々の必要な作業をひたすらやった。これは達成感がないし、地味にすごく疲れる。ファルマンは引っ越し狂なのでこういう作業は得意であり、バリバリとやってくれたが、僕はだいぶ引け腰で、子どもを連れてスーパーに行ったり、料理をしたり、ブックオフに本を売りに行ったりして、それなりにサボった。適材適所ですね。
 そんなこんなで、とても疲れた週末だったが、無事に大事業が成った。よかったよかった。

週末

 ようやく新しいパソコンが整う。ああパソコンいい。Windowsの世代が変わったので、それでどうしたって違和感というのはあるけれど、それでもやっぱりパソコンはいい。タブレットでもインターネットはできるし、文章作成もできるのだけど、どうにも没入できない感じがあった。パソコンが扉だとすれば、タブレットは窓のようなイメージ。窓からでも中は覗き見ることができるし、言葉をかけることもできるし、ちょっとした物なら受け渡しすることもできる。でもそれって正式じゃない。ちゃんと玄関から入ってないから、お互いに雑な感じの応対になる。急いでいるときなど、むしろそっちのほうがいい場合も当然ある。ただ情報を得るためなら、それでいいのだ。でもきちんとなにかをしたいのなら、タブレットやスマホではなかなかできない。どうにか発信しようとあがいたところで、それは140文字程度に収束されるだろうと思う。
 先週の土曜日は午後から公園に遊びに行った。気候がすばらしい。いま貪欲に公園に繰り出さなくてどうする、という気候である。思う存分に子どもを遊ばせた。この「思う存分」は、あくまでこちら側の思う存分であり、子ども(特にポルガ)は常に「そろそろ帰るよ」と声をかけると渋るのだった。あちら側の思う存分とは、力尽きて倒れるまでなのだろうと思う。
 夕飯は天ぷらとうどん。ザルではなくツユのうどんで、海老やら舞茸やら人参と玉ねぎのかき揚げやらは、そこに突っ込んでもいいし、塩をかけて食べてもいい、という感じで食べた。おいしかった。ツユと言えば、母が先日、焼いたクッキーやパンを送ると予告してきたので、「それならば一緒ににんべんのつゆの素を送ってくれ」と頼み、西日本ではなかなか手に入らないそれを送ってもらったのだった。それで1リットルボトルのそれを、晩酌でザルそばをするときなど、チビチビと使っている。懐かしい味でおいしい、ような気がする(いざ味わってみたら、そこまで敏感な舌の持ち主でもなかった)。でもこれは貴重なので、家族でこうしてうどんを食べるときなんかには使わない。こっちのスーパーで売っている普通のめんつゆを使う。めんつゆは開封してから長くもつものでもないので、たぶん僕はこれを、ケチるあまり最後ダメにするのだろうな、という予感がしている。
 そのあと21時頃になって、三女がやってくる。三女は翌日に岡山で行なわれる友達の結婚式に参加するため、姉一家の家に前泊しにきたのだった。姉一家すげえ便利だな、とも思うが、三女ならば姉一家が岡山にいなくても、いくらでも他の友達クーポンを持っているのだろうという気もする。それにしたって、まるでサークル活動かのように、結婚式に頻繁に参加することだと思う。あの一団のそれというのは、俳句結社の句会のような感覚なのかもしれない。
 三女にもうどんと天ぷらを出して、日本シリーズの最終戦を眺める。結局ソフトバンクが勝利。第1戦と第2戦で、これは去年までの「パ・リーグに勝てる気がまるでしない感じ」がないぞ、いけるかもしれないぞ、と思ったのだが、やっぱり勝てなかった。セ・リーグで圧倒的に強かった広島が歯が立たないのだから、来年以降もセ・リーグが勝てるイメージが湧かない。
 翌日は三女を式場近くの美容院に送ったあと、わが家はカラオケへと繰り出した。今回はいつもと違う店に行ったら、部屋の狭さにびっくりした。もっともいつも行く店の部屋が異様に広いのである。子どもは踊り、僕もバトンを回せる。それくらい広いのだ。あれが普通のように思ってしまっていたため、今回久しぶりに「通常のカラオケの部屋」を体験して、ちょっとショックを受けてしまった。そこはかとない関係性の男女グループで行けば、あの閉塞感がプラスに作用するのかもしれないが、ファミリーにとっては手狭なだけだった。やっぱり今後はいつもの店に行こう。
 唄ったのは、以下の通り。
 「テルーの唄」(手嶌葵)は、1曲目としてはよろしくなかったし、それに前回の歌唱でもう旨味はぜんぶ味わい尽くしたのだな、と思った。メンツが違えばまた成立するのだろうが、「カラオケで「テルーの唄」を歌うおもしろさ」はもう発生せず、場をぼんやりとさせてしまっただけだった。
 2曲目は「ALIVE」(SPEED)。我ながら、俺はSPEEDを唄うのかよ、と思う。もちろん世代的にはドンピシャなのだが、唄おうとするかよ、三十代半ばになって逆に、ということを思う。途中のセリフ部分「愛は生きてる ずっとこの思いは胸に息づいてる ALIVE」を、「愛は生きてる 女の子のいちばんの性感帯は頭の中にある ALIVE」とする、というのを、カーオーディオで曲を聴きながらずっと目論んでいて、実際に妻と娘とのカラオケにおいて実行した。
 3曲目は「硝子坂」(高田みづえ)。4曲目は「COLORS」(宇多田ヒカル)。5曲目は「ボーイフレンド」(aiko)。
 我ながら選曲がよく分からない。どうなりたいのか。そのあとは唄ったことのある歌や、会ったことのない三女の友達に捧げる「てんとう虫のサンバ」なんかを唄った。まさか三女の友達(新婦)も、こんな風に知らない年長者に結婚を祝われているとは夢にも思うまい。
 午後は家でのんびり。ミネストローネを作るべく野菜を刻みながら、溜まった「西郷どん」を少し観たりした。そのあと昼寝もして、起きてからミネストローネや炊き込みご飯んの夕飯。
 まあそんな感じの週末だった。なんとも散漫な日記になった。ブランクが空いて、まだブログにチューニングがちゃんと合ってない感じがある。ちょっとずつ調整したい。なにしろもう11月に入っている。11月に入ったということは、恒例行事の準備をし始めなければならない。

暮しの動き

 我が家でまた大規模な模様替えが断行されようとしている。子どもがいると、その息もつかせぬ成長に合わせて、ずいぶんこまめに模様替えの必要が出るものだとしみじみ思う。
 台所と居間という共有スペース以外のふたつの部屋を、これまで「ベッド部屋」「机部屋」と分けて暮していたのだけど、これをこのたび「親部屋」「子ども部屋」とすることになった。それにあたり子ども部屋に2段ベッドを設置することとなり、そうなるとこれまでベッド部屋にあった3台のベッドは、これまでファルマンとピイガで使っていて、今後は当初の状態に立ち戻り、ファルマンと僕で使うこととなるダブルベッドひとつしか必要なくなる。というより、他のふたつのベッドを処分しなければ、いま机部屋にある僕とファルマンの机が持ってこられない。というわけでまず、僕のベッドが撤去されることになった。しかしベッドともなると粗大ゴミで出すのも大変だし、なによりまだ使えるしなあ、と逡巡していたところへ、次女一家から「じゃあもらうよ」という申し出があり、配送料をあちらが持つ形で譲ることができた。よかった。
 かくして現在、もうベッド部屋に僕の寝床はない。プロペ家の一家川の字寝の時期は、ここで終了したのだった。そのことに少しだけ感慨がある。
 それで、では僕はいまどういう形で寝ているのかと言えば、居間に布団を敷いて寝ている。居間は畳なので、寝心地にはなんの問題もない。それどころか、子どもが横に寝ていないせいか、これまでよりも眠りの質がよかったりする。僕はファルマンほど、スペースを子どもらに侵攻される睡眠妨害を受けているわけではないが、それでもやっぱり子どもというのは、寝ながら動き回るせいか、空間を静めない作用があるのだと思う。模様替えが成ったら、夫婦ふたりで、じっと動かず、石のように深く眠りたい。
 ちなみに「hophophop」に書いたが、実はいま、僕はパソコンもノックダウンし、そしてまだ次のものが手に入っていないため、この記事も、居間の座卓でタブレットで作成しているのである。つまりベッド部屋のベッド、机部屋のパソコンが、まったくの偶然なのだが同時に手元からなくなってしまい、なんだかまるで身辺整理をしているかのように、ふたつの部屋から僕という存在そのものが消え失せている。そしてひたすら居間にいる。居間で、ごはんを食べ、テレビを観て、インターネットして、そして寝ている。居間だけで暮しのすべてが完結しているのだった。やってみるとこれが悪くない。1Rの快適さみたいなものを、プチ体験している。
 模様替えの実行は2段ベッドの到着を待ってなので11月の中旬くらいになりそうで、それまではこの状態が続く。パソコンのほうはもうちょっと早めにケリをつけようと思っている。タブレットでまあまあのことができてしまい、「パソコンって要るかな?」みたいなことを書いたが、でもまあやっぱりぜんぜん不便だ。なるべく早急に改善しようと思う。

あきふゆへ

 買い物に出る。出がけは肌寒いような気がして薄手のコートを羽織ったが、車内で陽射しを浴びていたら途端に暑く、コートを脱ぎ、さらには弱く冷房まで入れた。10月って結局こう。それで油断してたら、11月からマジの寒さがやってくるのだ。
 ショッピングモールで、雑多にいろいろと見て回る。
 書店では、近ごろポルガが英語に興味を持ちはじめているらしいので、それならポルガに指導をしつつ、僕自身も英語を学べたらいいなあと夢物語のようなことを願って、いい教本はないかとじっくりと吟味した。そもそも新刊書店で本を眺めたのが久しぶりだったが、しかもコーナーは語学。高校生以来だと思う。買いはしなかったが、まあこういうことだよな、というジャンルは見出せた。
 それから手芸屋では、papapokkeのネームを作るための生地を買う。これまで白いシーチングに消しゴムはんこを捺していたのだけど、インクの乗りや、洗濯したあとの感じが微妙だったので、しっかり目が詰まってパリッとした生地を求めていた。それでいろいろな生地を触って、これなんかいいのではないかと、キャラコを50センチほど買ってみた。300円ほど。安い。これで具合がよかったら万々歳だな。
 眼鏡屋も覗く。数ヶ月前に僕が見立てて買ったファルマンの丸眼鏡が、やっぱりどうにも羨ましくて、さらには録画して観ている「まんぷく」の長谷川博己がかっこいいので、欲求が高まっているのだった。丸眼鏡って、少しの逸脱ですぐに「狙いすぎ」「さすがに寒い」みたいな空気を放ちはじめるので、冷静な頭でしっかりと精査しなければならないと思う。店頭でいくつか掛けてみて、それなりにしっくり来るものもあった。なにぶん眼鏡は消耗品なので、そのうち買うことになるだろうと思う。
 それから子ども服売り場で、子どもたちの秋冬用のキャスケットを買う。これまで春夏用の揃いのキャスケットはあったのだが、秋冬用はなくて、求めていた。ネットで買おうかと思っていたが、あまり期待していなかった店頭をチェックしたら、ネットでは出会えなかった「これぞ」というデザインのものがちょうど見つかり、喜び勇んで買った。しかもカープ優勝記念でとても安くなっていた。嬉しい。ちなみに赤い帽子ではない。
 そんな買い物を終えたあとは、とんかつ屋に寄って、昼ごはんにかつ丼を食べる。お店のかつ丼が食べたい気持ちが溜まっていて、とうとう満を持して実行できた次第である。おいしかった。かつ丼はおいしい。かつ丼はいま、僕の中で餃子と双璧を成す好物になっている。
 午後は家でのんびりと過した。トースターで時間をかけて焼き芋を作ったり、その間に夕飯のおでんの下茹でをしたり、それからもちろん昼寝をしたり。陽射しを浴びてかつ丼を食べたので、ちょっと体力が持たなかった。僕の体力のなさ、そしてそこからの昼寝は、一種の芸のようになってきている感がある。ファンがついていてもおかしくない。
 そんなわけで夕飯は今シーズン初のおでん。言うまでもなくおいしい。汁がとことんうまい。汁と、酒と、あと種3つくらいあれば、もうひと晩それでいける感じがある。おでんは相変わらずすぐにお腹いっぱいになるのだった。それは分かっているくせに、どうしてもあれもこれもと買い求めて、鍋いっぱいに作ってしまう。さらにはうどんなんか入れてしまうので、いよいよ種が減らない。もちろん大幅に残る。明日の夕飯もおでんだ。

マスカット白昼夢

 公園に繰り出す。今日はマスカットスタジアムの公園へと出向いた。前にもいちどだけ行ったことがあって、過去の日記をあたったら、去年の9月のことだった。だからなんだろう。過去の日記をあたったら、過去の俺ちゃんと書いてたんだぜ、ということをただ言いたかったのかもしれない。
 駐車場に行ったら、通常の所ではなく、大きいイベントが開催されるときにだけ開放されるのだろうグラウンドみたいな所に誘導された。その誘導をしているのが、見るからに十代の、見るからに野球部員たちで、行なわれているイベント内容がひと目で判った。誘導員役の生徒たちは、旗を持たされていて、そしてそのことにご満悦らしく、ブンッと風を切る音を立てて、すごく愉しそうに誘導してくれた。眩しかった。ああ、運動部の若者は健全そう……、と思った。文化部とか、部活に所属してない若者って、ほら、コンピュータを使って悪質な犯罪とかするんでしょ? 怖いわよねー。
 公園は相変わらず池の具合がすごかった。公園と言うかアスレチックか。垂れ下がる縄の下部に木製のブロックがついていて、それを飛び移りながら進むやつとか、踏み外せば途端に池に落ちる。保護ネットとかも本当にないのである。いまどきすごい。風雲たけし城のような時代性を感じる。ポルガはがっつり、ピイガもそれなりに堪能していた。可動部分の中間が池になっているターザンロープも健在で、ポルガはひとりでやってくれるからいいのだが、ピイガもやりたいと言い出し、しかしさすがにひとりでやらせるわけにもいかないので、僕が抱きかかえて跳ぶことになった。前回の訪問時はやらなかったので、初体験である。やってみると、間が地面じゃなくて池でも、跳んでいる限りそれほど関係ないはずなのに、やっぱり迫力がぜんぜん違った。なんていうんだろう、サバイバル感? しかも子どもを腹に抱き込んでいるため、余計に「命をかけてこの子を……!」みたいな気持ちが盛り上がった。ちなみに池の水深はたぶん10センチほどである。
 公園でひとしきり遊んだあとは、持ってきたお弁当を食べる場所を探す。探すと言うか、それは当然スタジアムの中でしょう! と思って入場口を目指して歩いたが、ゲートの所に「入場料 大人500円」とあって断念した。ちゃんと試合を観る気持ちで来ていたらそれはむしろ安いのだが、なにしろ弁当を食べるついでに試合の雰囲気を味わえたらいいねくらいの感じだったので、それならよそうとなった。来年はちゃんと「観戦」をしに来よう。夏の予選は暑くて観られないが、春とか秋ならいいな。弁当は結局スタジアム周りのベンチで食べた。
 野球の試合が行なわれている球場の中からは、ずっと応援団の応援の音が聴こえていた。野球部ってどうして他の部活の生徒に応援されるんだろう、という疑問はあったが、先ほどの駐車場の健全野球部員たちを思えば、当然じゃないか、という感じもした。スタジアムの外には、次の試合の学校の生徒たちなのか、学生たちが集っていて、そしてその子たちもまたとても健全であるらしく、なんでもないファミリーである我々にまで、すれ違いざまに「こんにちは」と口々に挨拶をしてきて、じょ、女子高生が挨拶してくれてるぞ……? と恍惚とした気持ちになった。おじさん、お礼として、君たちのプリーツスカートの丈を詰めてあげようかな、おじさん前にそういう所で働いてたからできるんだよ、本当にやったことあるんだよ、と言いたくなった。「見過ぎ」とファルマンに窘められた。
 さらに歩いていたら、そのあとはなんとチアリーディング部の集団も現れ、その子たちはチアリーダーの服を着ていたし、手にポンポンを持っていたし、その子たちも挨拶をしてきたしで、いよいようっとりした。「回春」の二文字が心に浮かび、自分の中の何かが甦ってくるような気がした。もっとも甦るもなにも、男子校の帰宅部だった僕の高校時代に、あんな存在との邂逅は一切なかった。だから耐性がなかった。イチコロだった。HPが8くらいしかないところへ、870くらいのダメージを受けたような感じがあった。高い声で叫び出したい秋の午後だった。ちょうど肩にはトワリングバトンを担いでいたので、それを颯爽と廻して見せたら、この子たちはどんな反応をしてくれるだろうと思った。きっとすぐに事案になって、ファルマンの携帯電話に警報メールが届くに違いなかった。
 それで、そこからさらに駐車場に向かって歩いていたら、挙句の果てには、スタジアムの軒先の屋根のあるスペースで、模造刀を持ってゆっくりとポーズを取り、それを先生らしき人に指導されている人たちというのを発見し、「あ、あれは太極剣ではないか!」と仰天した。
 女子高生と、チアリーディング部と、太極剣の集団……? あれ? これって、もしかしてもしかすると、俺の見た夢じゃないか? と思った。俺の見たかったもの、触れたかったものが、こんなにいっぺんにギュッと連なって現れることって普通ある? なんなの? 今日のこの空間、なんなの? と思った。最後にはトランプ大統領と、クチバシ・ヒットくんの着ぐるみでも現れるんじゃないかと思ったが、さすがにそこまではなかった。でも十分すごかった。マスカットスタジアム、侮りがたし。また行こうと思う。

秋カラ誕

 久しぶりにカラオケに行く。9月はまたなんだかんだとバタバタしていて、これが初めてのカラオケで、実際いつぶりだろうかと過去の記事を探ったら、なんと7月の終わり以来だった。に、2ヶ月……? 久しぶりのカラオケだという認識はあったが、そこまで間が空いているとは思っていなかったので、いま本当にびっくりしている。俺の8月は一体どこへ行ったんだ。表面がぬめぬめしたもので覆われた流線型の8月は、僕の手の中に一切とどまることなく、一瞬ですり抜けていったんじゃないか。そもそも夏なんてあったのか。7月初頭の豪雨から、台風や地震、そしてなにより連日の猛暑など、異様に災害の多かったこの夏は、世界全体に規定以上の圧が掛けられていたのかもしれない。だとすれば、それをなんとか生き抜き、いま秋を迎えたここに存在しているだけで、褒められるべきなのかもしれない。それ以上のなにかを求められても困る。
 唄ったものは以下の通り。
 1曲目、「喝采」(ちあきなおみ)。カラオケの導入として、あまり激しい歌はまだ気持ちや喉が出来上がっていないし、かと言ってしっとりし過ぎた歌だと場があたたまらないので、それなりに悩む。悩んだ結果がこれだった。悪くない選曲だったと思う。ちあきなおみも、作詞者の吉田旺もよく知らないのだが、唄っているとちあきなおみの気持ちになり、吉田先生に感謝して唄いたくなる歌だと思う。
 2曲目、「テルーの唄」(手嶌葵)。こんなん朗々と唄ってみたらおもしろいんじゃないかな、と思って唄った。唄を選ぶとき、自分が唄いたいと同時に、常に場の反応のことを考えている。こんな僕がどうして「友だち0人、9月20日」なのかと思う。実際に唄ってみて、なかなかよかった。友達とカラオケに行って、友達たちが「U.S.A」とか「さよならエレジー」とか唄う中、こんなんを唄いたい。そんなことを夢見る。果てしない夢だ。実際は家族としか来ない。その家族、その妻は、僕のこれのあとでなにか呼応するものがあったのか、「もののけ姫」を唄っていた。僕が「テルーの唄」を唄うのはギャグだけど、ファルマンのそれはギャグなのかどうなのか分かりづらく、やっぱり本物は違うな、と思った。ちなみに「ゲド戦記」はいまだに観たことがなく、間奏中に主人公のモノマネをしようと思うのだが、「ゲド!」とか「ゲドがテルーを!」とかと叫ぶだけしかできない。バカにしてる。
 3曲目、「Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~」(モーニング娘。)。まあこれは完全な悪ふざけだ。いわゆる時事ネタ。「恋は時に急発進で 恋は時に急ブレーキ!」という歌詞が心に刺さった。不謹慎だと思います。
 4曲目、「月光」(鬼塚ちひろ)。この曲は、これまでのカラオケでファルマンがたまに唄い、そのたびに「うわあ……」という気持ちにさせられてきたので、僕も会得して、友達とのカラオケの席でみんなを「うわあ……」とさせようと夢見、数日前から車中で練習していた。そして唄った。でもやってみたらファルマンの唄ったときのようなあの空気はぜんぜん出せなかった。「あなたって結局、基本的に明るいんだよ」とファルマンに評された。たしかに僕には不愉快に冷たい壁に弱さを許すという発想はない。ちょっとなに言っているのかわかんない。
 というわけで5曲目に「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)、さらには6曲目は「気まぐれロマンティック」(いきものがかり)と、明るい曲を続ける。こっちか。俺が輝けるのはこっちか。果たしてそうだろうか。明るい暗いは相対的なものだろう。そりゃあファルマンのような人とカラオケをするとなったら、僕のようにその相手は自然と明るい歌担当にならざるを得ないが、その人が本当に華やかな面々とカラオケに行ったら、本当に明るい人たちの明るい歌に気圧され、みるみる化けの皮が剥がれて意気消沈するはめになるのではないだろうか。じゃあ一体どうすればいいのか。ノイローゼになりそうだ。0人の友達のことを考え過ぎて、頭がおかしくなりそうだ。
 7曲目、「愛をこめて花束を」(Superfly)。これはもはや持ち歌のようになった。キャンプで唄えなかった雪辱も込めて、気持ちよく唄う。
 ラスト8曲目、「トリセツ」(西野カナ)。そう言えばカラオケで唄ったことない、と思ってなんとなく唄った。いまいちだった。熱唱して気持ちいいというタイプの曲ではないし、ギャグとしても思った以上に中途半端だった。これは家族カラオケで試しておいてよかった。友達とのカラオケのときは、たとえその中に結婚直前みたいな奴がいたとしても避けようと思う。もちろん結婚の先輩として相談には乗るけどさ!
 以上である。こうして振り返ってみると、すべて女性の歌だ。一方でファルマンはGLAYやイエモンやT.M.Revolution、そしてB'z なんかを唄っていた。案外そういうものなのか。普通そういうものではないのか。分からない。0×0の夫婦にはなにも分からない。
 カラオケのあとは図書館やスーパーなどに寄って帰る。午後はのんびりと過した。カラオケでは、ワンオーダー制のルームメニューで、食べたような、あんまり食べてないような、微妙なお腹の具合だったので、おやつのような時間にカップラーメンを食べた。それとビール。休日の午後、変な時間に食べるカップ麺とビール。愉悦のひとときだった。
 晩には僕の誕生日の祝いが開催される。今年もまた子どもたちが大いに張り切って祝ってくれた。ポルガは今年も「ぱぴろうずかん」をくれて、ピイガは最近ハマっているというスズランテープで作った三つ編みの飾りをくれる。ちなみに家族からの誕生日プレゼントとしては、ブルートゥースのイヤフォンをリクエストしていて、これはもう数日前に、自分で製品を指定して、自分で発注して、届いて、今日まで我慢することなんてできずに、既に使用している。ありがとう! 誕生日ケーキは、僕の希望した、バナナが中央にまるごと入ったチョコレートのロールケーキを、ファルマンが子どもたちと作ってくれた。とてもおいしかった。そんな誕生日。夏の終わりの実感もあり、毎年自分の誕生日はしみじみと嬉しい。これで僕も28歳か。そろそろ30代の足音が聞こえてきたな……。

久々出張

 ちょっと久しぶりに出張に出ていた。
 夏の2ヶ月間にそれがなかったのは、クラクラするような暑さの中、倒れずに日々を生きるだけで精一杯だったので、とても好都合だったと思う。出張先はいつもと同じで、当地はもうわりと秋の気配があった。もしも夏に行った場合、そりゃあこちらよりいくらか涼しかったのだろうが、滞在中いくらか涼しくても、移動でヘトヘトになっていただろうからやっぱりないに越したことはなかった。そしてこのたび、Tシャツ以外の上衣というものを本当に久しぶりに着た(もっとも台風21号の影響により、滞在中の気候の触れ幅は大きかった)。
 移動時間は相変わらず長く、毎回対策を練て、毎回少しずつレベルが上がっている感はあるのだが、それでもまだ十全ではない。そもそも長時間移動の時間の過し方に十全なんてないのかもしれない。キーボードとか、本とか、いろいろジタバタするけれど、結局あまり集中ができないので、あっという間に時間が過ぎるということにはならない。今回、帰りの便でとなりの席に座った女性は、スマホで洋画を観ていて、ああなるほどなあと思ったりした。映画って普段の生活でまったく観ないので、いい機会かもしれない。次回以降はそれも考えてみよう。
 行きの車中では、初めて売店でゆで玉子を買ってみた。車内でビールを飲むにあたり、そのあてとして、乾き物だと侘しいし、かと言って弁当やおにぎりは重いなあ、という中年男性の気持ちに、味付きゆで玉子(2個入り)はぴたりと寄り添うのだった。そうか、板東英二はこういうことだったのか、と大人(おっさん)の階段をひとつ昇ったような気がした。ゆで玉子とビールという潔い簡易テーブルの風景が、新幹線巧者っぽくていいと思った。板東氏に敬意を表して、これからは僕もゆで卵のことを「うでたまご」と言おうと思う。
 帰りの車中ではもちろん東京駅で崎陽軒のシウマイ弁当を買った。おいしかったが、6月からの3ヶ月で、憧憬を抱きすぎたような気もする。これは、崎陽軒はなにも悪くない。ちょうどこの3ヶ月の間に値上げもあったらしいが、それでもなにも悪くない。僕が高めすぎた。十二分においしかった。
 ところで僕は缶ビールを缶のまま飲むことに対し、平均以上の拒否感をもって生きてきて、以前職場で執り行われたBBQの際も、ひとりだけ家からグラスを持参するほどだったのだけど、長距離移動スキルのアップにより、その弱点は完全に克服された。缶から直接、1時間ほどかけて飲むビールも、意外といいものだ。コップから金色を眺めつつゴクゴク飲むそれと、缶からこまめにグビ、グビ、と飲むそれは、まったく別の飲み物で、新幹線の車内で飲むのには後者が適しているのだった。見聞が広がったなあと思う。
 出張先での話としては、いつも利用するビジネスホテルは、その最寄り駅や、当地での仕事先よりも北にあり、当地の人との晩ごはん兼飲みを済ませたあと、甘いものが食べたくなってよく買いに出るローソンは、ホテルよりもさらに250メートルほど北にある。だから僕のこれまでの人生の、最北限地点は、あのローソンだ。大福やプリンを買いながら、いつもそんなことを思う。あのローソンより先へは、僕は一歩も北へ出たことがない。いつも行くのが夜で、ローソンばかりが明るいような地帯なので、暗闇の向こうの「ローソンよりも北」は僕にとってかなり印象的なものになっている。
 当地の空気をまとったまま、さらに新幹線の車内が涼しいこともあり、帰りはパーカーを着たまま最後まで過した。おそらく岡山駅において、僕は五指に入る厚着だったろうと思う。家では子どもたちがまだギリギリで起きていたので、3日ぶりの再会を喜んで抱きしめようとした。そうしたら「暑っ!」と言われ振りほどかれた。相変わらずこちらは真夏日とか言っている。もう9月だっぺよ。

週末日記

 平穏な週末を過す。相変わらず暑さが続いているため、公園で遊ぶことができない。しかしそんな中、10日ほど前、我々はキャンプをしたんだな、と今でもふとした瞬間に思い出す。フラッシュバックである。キャンプのダメージは、フィジカルにもメンタルにも尾を引くのだった。
 土曜日は家からちょっと離れた、でも普段行く所よりもちょっと大きい手芸屋に遠征する。同じチェーン店のため、値段は一緒で、選択肢が多いのだから、少し億劫でも常にこっちに来たらいい、と思った。もっともそんなことを言ったら、義理の妹一家が暮らす兵庫県の、神戸のユザワヤの風景を思い出し、逆に切ない気持ちになったりもするのだけど。お買い得の生地と、針やスタンプ台などを買う。夏向きの薄い生地が安くなっていた。
 そのあとはショッピングセンターに立ち寄り、こまごまと必要なものを買う。ショッピングセンターの近くには、いい時期にはよく遊びに来る大型の公園があるのだが、駐車場から店舗までのわずかな道のりでとろけそうになる有様なので、帰りにその横を通りがかっても、子どもたちもさすがに「遊びたい」などとは言わない。とにかく一刻も早く最高気温が30℃を下回ってほしい。
 出発が遅かったので、帰宅したら3時を過ぎていた。朝ごはん兼昼ごはんのブランチならぬ、昼ごはん兼おやつみたいなパンを食べ、夜までもたす。晩ごはんは、8月終盤のうだる熱気に対して、南蛮漬けという回答が自然と導き出された。鰯や鯵の小さくていっぱい入ってるやつはないかとスーパーで探し求めたところ、鯖というちょっとだけ意外なポイントをついて、そういうパックが売っていたので、初めて鯖で作ってみた。なんの問題もない感じでおいしかった。
 夜、電動歯ブラシをアマゾンで注文する。せっかく歯医者通いをして、口内を大体いい具合にしてもらうので、この機に心を入れ替えようと目論んで、歯科医に「やっぱり電動歯ブラシっていいんですか」と訊ねたところ、「そりゃあいいよ。どんな安物でも手でやるよりよっぽどいいよ」という答えが返ってきたので、こうしちゃいられない、と慌てて注文をしたのだった。持ち運びもしやすいやつにしたので、基本的にいつも持ち歩き、こまめに歯を磨く人間になろうと思っている。僕はそっち側の人間に成り上がるのだというぎらぎらした欲望がある。
 明けて今日は、午前中は特に外出の予定がなかったので、先日のワンピース以来、ちょっと熱量が高まっている子どもの服づくりを行なう。ちなみにワンピースはしっかり完成し、帰省に持っていったりもして、こちらに戻って来てからも何度か着せているのだが、いかんせん屋外で遊ぶ機会がないので、ワンピース姿のいい写真というのが取れず、「nw」に投稿できずにいる。今度はだいぶ季節先取りなのだが、ちょっといいウールの生地が家にあったのでそれを使いたく、フード付きのポンチョに取り組んでいる。裁断までは昨晩の時点で済んだので、今日からは縫い始めた。まあまあ進むが、不意に子どもらが近づいてきてアイロンが危なかったり、昼ごはんの支度をするために2台のミシンとアイロン一式と裁縫道具を片づけなければならなかったりで、妻と子どもたちが帰省中のときほど効率よくはいかない。幸い、ウールのポンチョが必要になるのは当分先である。
 昼ごはんは買ってきた助六寿司とざるそば。そうめんもざるうどんも具がないと寂しいが、ざるそばならいい。ざるそばって言ったって、スーパーで売っている乾麺なので、そば粉よりも小麦粉のほうが多かったりするものなのだが、それでもざるそばならネギさえあれば成立する感じがある。
 そして今日は我が家にしては珍しく、昼ごはんを食べてから午後に外出をする。目的地は図書館とスーパー。その帰りに、車検に車を出す。前回の車検からもう2年が経ったのだった。今日の夕方に出して、明日の退勤後に受け取る算段。なので頼んだお店から自宅まで、15分ほどだけ家族で代車に乗って帰った。台車は古い車で、子どもたちはいつもと違う感じに少しはしゃいでいた。明日はもういつもの車で僕は家に帰ってくる。
 ところでこの夏の予定として、親知らずの抜歯と、キャンプと、車検というのが、なんとなく心に引っ掛かる事項としてずっとあったのだけど、これにてそのすべてが終わったことになる。なのですっきりした。
 晩ごはんは、職場の人に夏休みのおみやげとして徳島ラーメンのセット(3食入り)をもらっていたため、それを調理して食べた。濃い味でおいしかった。今日は午後からのお出掛けで、普段の午前のお出掛けとは一段違う熱気にあてられたのか、夫婦でやけにビールを欲する気持ちが高まり、グビグビと飲んだ。猛烈においしかった。

島根キャンプ帰省

 帰省を終える。もといキャンプを終える。僕にとって3泊4日の今回の島根帰省は、キャンプ帰省だったと言っていい。中心にキャンプという嵐があることで、時空に乱れが生じ、帰省全体の輪郭が歪んだような、そんな帰省となった。疲れた。
 キャンプは12、13日の1泊2日で行なわれた。参加したのは、義父母、われわれ長女一家、次女一家(30歳の夫と3歳の娘)、三女、そして数ヶ月前から新しく飼い始めたビーグル犬という大所帯。奥出雲の山中にあるキャンプ場まで、実家から40分ほど車を走らせた。その道程では、山の形に添うようにくねくねと、下町の路地裏くらいの幅しかないような道が続き、気を張った。その前日に岡山から島根への移動をしたこともあり、なんか車を運転しすぎている、僕の中の一定の期間中における運転許容時間を超過している、と到着前に早くもうんざりした。子どもたち(主にポルガ)はひと月以上も前から続くキャンプハイが依然として続いていたが、僕はしおりが完成した時点である程度もう満足していたので、これから自分が実際にその渦中の人となり、暑さや作業など様々な厄介事にまみえなければならないことなどを憂い、既にキャンプローに陥っていた。
 キャンプ場に到着したのは午前11時頃。コテージへのチェックインは午後3時から。「……へ?」というような4時間の開きがそこにはあった。主催者である義父は明らかに張り切り過ぎていたのだった。炎天下のキャンプ場で過さなければならない4時間というものには、絶望的な迫力があった。仕方なく、とりあえず木陰に陣を取り、そこで昼ごはんとして、買ってきたコンビニの冷麺などを食べた。屋根のある居住空間にありつけず、川べりの木陰でコンビニ飯を喰らう情景は、想像していたキャンプだホイ!的な陽気なイメージとはだいぶ乖離していて、むしろ世知辛さみたいなものが滲み出ていたように思えた。そしてとにかく暑い。この夏の正午の炎天下に、木陰程度で立ち向かえるはずがないのである。汗がダラダラと溢れ出て、「……さ、3時までこの状態で、そのあと夜はバーベキュー(とかの作業もろもろ)、だと……?」と戦慄した。食後は堪らず川の中に入る。ズボンの裾をまくり、ふくらはぎ程度までしか浸からなかったが、川の中は陸上よりはだいぶ涼しかった。しかし川で過すと言っても限界があった。なんとなく水の流れに乗って下流に進む以外、特にすることがない。時間はあまり潰れず、その時点でまだコテージが開くまで2時間近くあった。このままでは熱中症になる、と長女や次女が危惧を訴えると、義父は「熱中症もキャンプの醍醐味だ」と、やけくそなのかなんなのか判らない、どうしようもない発言をして、ちょうど時期的なこともあり、73年前の無茶な時代に思いが飛んだ。それで自衛策として、われわれ2家族はそれぞれ車内に避難し、エアコンで体をクールダウンさせた。これはとてもいい判断だったろうと今でも思う。そうしていよいよ3時まであと30分ほど、という頃合で、天候が急変する。ゲリラ豪雨である。まずは雷鳴が轟き、次の瞬間には激しい雨が降り始めた。豪雨は別にいいけれど、屋外で遭遇する雷鳴の恐怖と言ったらなかった。だってピカッとなってゴロゴロゴロ、となるわけだけど、次のピカッの瞬間にはもう自分は焼け焦げているかもしれないのだ。身を竦ませながら、木陰に広げたレジャーシートや簡易テントを片づけ、車へと避難した。本当に久しぶりにあんな恐怖感を味わった。
 そして車内に避難したまま、待望の3時を迎えた。ちょうどそのタイミングで雨雲は過ぎ去り、コテージへと移動した。コテージは、事前に想像していたほどは現代的な造りではなく、ベッドもなければテレビもなく、Wi-Fiもなかった。「そうか……」とも思ったが、チェックインまで川っぺりでひたすら待った身としては、屋根があってエアコンがあるだけでいいではないか、という謙虚な思いも湧いた。まさかこの感情がキャンプの効用だというのだろうか。だとしたらお節介もいいところだ。それから僕はしばらく寝た。それは寝る。4時間も屋外で過し、最後は雷鳴に怯えたりもしたのだ。寝ないはずがあるか。ちなみに寝たのは幼児らも含めて僕だけだったらしい。いつもそのパターン。板の間に布団という質の悪い寝心地だったが、それでも寝たらある程度楽になった。
 そのあとはバーベキューが始まり、火起こしとか食材を串に刺して焼くとかのくだりは、僕以外のふたりの男が自然とやってくれる感じだったので、僕は特にすることがなく、なんとなくタブレットでキャンプソングを流し、ちょっと唄ったりもして過した。キャンプで男がするとされる作業で僕にできることは本当にないので(だってキャンプもバーベキューもしたことないんだから)、唄う以外にどうしようもなかった。食べものが焼き上がり始めて、いちどは全員が集ってさあ食べようという感じになるが、辺りが暗くなってくると、虻が炎の明かりに引き寄せられるのかたくさんやってきて、子どもやその母親たちは悲鳴をあげてコテージへと逃げていった。「虻もキャンプの醍醐味だ」とは言わなかったが、元ワンゲルの義父母は「この程度で……」と呆れていて、なんか今回のキャンプ、暑さとか虻とか、終始こんな感じだな……、こんな齟齬ばかりの集団行動、誰得なんだろう……、と不可思議な気持ちになった。肉とビールはおいしかった。別に炭で焼いたから特においしいということはなかったろうと思うが、焼いてタレをつけた牛肉はとりあえずおいしかった。コテージの女性たちへ焼けたものを届けに行く際、バーベキュー場に戻ってくるたびにひとつボケる、というのを僕だけが勝手に始めて、頭に大きな葉っぱを飾ったり、Tシャツを裏返して着たりして現れ、そんなことをする僕が僕は好きだなあとしみじみと思った。
 キャンプの夜はそんな風にして終わった。あれっ、フォークダンスは? という話だが、けっこう狭い面積にそれなりのキャンプ客がいて、コテージ以外にもテント滞在のグループなんかもあり、ぜんぜんフォークダンスができる雰囲気ではなかったのだった。まあ若干そんな予感はあった。マイムマイムの踊り方研究は、それ自体が愉しかったので、別に実際に踊れなくても残念さはない。フォークダンス以外にも出し物大会みたいのが開催されるという怪情報もあり、それならば僕はいまこそトワリングバトンを披露する、かと思いきや、背中のバトン入れからバトンを取り出したまではよかったが、BGMとして流しはじめたSuperFlyの「愛をこめて花束を」のオリジナルカラオケバージョンに合わせて、バトンは一切回さず、持ったまま、ただフルコーラス大熱唱する、というコントをしようと練習していたのだけど、それももちろん開催されず、それは少し哀しかった。
 翌朝は塩むすびと味噌汁というメニューで、全員でひとつのコテージの居間に集まり、全員でそのメニューを囲んで朝ごはんにする、という図が想像しただけで嫌だったので、僕だけひとりで勝手に食べ、義母の不興を買う。ちなみに塩むすびはファルマンの手によってなされたので、その点は気にせず僕は口にすることができた。しかし宿舎的な、自分の好みでセレクトしたりできない、こういう食事を、全員で囲んで食べるというのは、僕はどうしてもできないのだった。ファルマンからも「そのくらい我慢すればいいのに」となじられたが、譲れない一線というのは人それぞれある。
 2日目もなんなら川で遊べばいいね、なんてことを序盤では言っていたが、昨日という一日を経て、夜は板の間に布団で寝て、そんな気力が残っているはずもなく、この日はなにもせず、ほうほうのてい、と言ってもいい度合でキャンプ場を後にした。僕にとって今生、最初で最後のキャンプは、こうして終了した。
 そのあとふたたび実家に帰り、1泊した。したのだが、特になにもしなかった。キャンプから帰ったあとの昼ごはんにそうめんが出され(しかもファルマン家のそうめんは本当に素麺で、ほとんど具が供されない)、ちょっと驚き、3口ほど啜って「ごちそうさま! ちょっと俺ガソリン入れたりしてくんね!」と言って、ひとり出掛け、車にガソリンを入れついでに牛丼屋でネギ玉牛丼を食べた。自分にもガソリンを入れる形なのだった。おいしかった。そのあと帰ったら、義父と次女の夫と三女はバッティングセンターに行くというので、朝ごはんが塩むすびで、昼ごはんがそうめんで、そしてなんでこの人たちは運動ができるんだろう、と本当に不思議に思った。もしかして食べた物以外のエネルギー機構で動いているんじゃないのか、と疑った。僕はそれから買ってきたスナック菓子をつまみつつ、「ほろよい」を飲みつつ、次女が持ってきたというスーパーファミコンミニで遊んだ。したかったのはこういうことだよ、と思った。
 大体そんな帰省だった。うん。まあ誰にとっても大変な帰省だったね。うん。

夏のひとり暮し開始

 昨日からファルマンと子どもたちが島根に帰省したのだった。午後に義父母が車で迎えに来て、「寂しくなるよー」と棒読みで言いながら見送った。
 しかし寂しくなる、というのは決して嘘ではなく、自分以外に誰もいない家は、まあ寂しいと言えばもちろん寂しいのだ。けど、「じゃあパパが寂しくないように帰省しないね」などと言われたら、いやいやいや! そんな気遣いはいいから気の済むまで帰省してきなさい! と慌てて弁明したくなるような、そういう寂しさということである。たぶんこんな自分勝手な心の間隙を埋めてくれるのが、友達なのだと思う。友達ってそういうガバガバな感情を受け止めてくれる便利な存在だよね。寂しさを紛らわすために久しぶりにあいつらに声をかけてROUND1にでも繰り出そうかな、などと考えた。
 でも友達なんていないので、ひとり家に取り残された半日は、午前中に手芸屋に行って買ってきた生地で、計画通りに子どもたちのワンピース作りをした。裁断する場所、アイロンする場所、ミシンをする場所が、ひとりだと気ままに取れて、作業がスムーズだ。さらにはごはんのときも寝るときも、広げたそれらを片付けなくていいのがとても楽。おかげで半日でそれなりに進んだ。
 晩ごはんはハヤシライスを作った。作って置いていってくれたわけではない。午前中のスーパーで牛肉がお買い得だったので、これでハヤシライスを作れば日曜の夕飯、月曜日の弁当と夕飯がそれで済むな、と計算したのである。洗い物が少ないのもいい。裁縫道具を広げた机の隅っこで、もそもそと食べた。ひとりで摂る食事は味気ない、ということもなく、ただ物理的に味が薄くて味気なかった(あとで鍋のほうにルーを少し足した)。食後にはキウイを食べた。ひとりでの食生活で野菜が不足するのは目に見えていたので、こういうのでビタミンを摂ろう、と購入した。そのキウイも、半分にだけ切って、その場でスプーンで掬って喰う。とにかくビタミンが目当ての、実に質実剛健な摂取なのだった。
 就寝の際はエアコンの調整に難儀した。いつも28℃設定でも朝方は寒くなるので、今日は人間もひとりなのだし29℃だな、としてみたら、途中で汗だくになった。寝苦しくて目が覚めてよかった。ひとり暮しの怖さは、目が覚めない怖さだ。そのため毎朝、ファルマンに生存報告のLINEを送ることにした。
 ファルマンたちは向こうで、実家のリビングで新しく飼い始めた犬との接し方に苦戦しているらしい。最近になって気がついたけど、僕の家族はファルマンを筆頭に、あんまり実際の生き物が好きではないのだと思う。キャラクターは好きなのだけど、キャラクターが好きな分だけ、本物の動物は苦手なものなのかもしれない。それでちょっと苦慮しているらしい。実家の面々はやんちゃな仔犬に対して押し並べてデレデレであるらしく、優先順位も高く、その温度差が悩ましいという。なんだか実家っぽいな、と思う。

歯医者へ

 労働後、歯医者に行く。岡山に来てすぐに通った家の近くの医院ではなく、仕事終わりに行ける、会社近くの所である。会社の近辺に住む地元民の同僚相手にリサーチをし、選んだ。同僚らによるプレゼンで決め手になったのは、「私はここで親知らずを、スポーンと簡単に抜いてもらった」という体験者による証言で、それはいい、となってすぐに予約の連絡を入れた。しかしそれからさらに話を聞いてみれば、結局のところ親知らずを抜くのが楽かどうかは、その人の親知らずの生え方次第であるようで、その証言者の場合はとても素直な生え方だったらしい。その証言者の配偶者はと言えば、親知らずの脚がねじれるようになっていて、それはもう歯茎を切開しての阿鼻叫喚があったという。なんだよ騙された、とげんなりしていたら、証言者はさらに、「簡単に抜いてもらったと言っても、それでも痛いし血は出るんだ」と、フォローでもなんでもないことを言って、つじつまを合せていた。それで話のつじつまが合ったことになるのか、よく判らない。
 それで実際に行ってみて、どうだったかと言えば、予約の連絡の際に、親知らずが痛むのでどうにかしてほしい、ということは言ってあったのだけど、僕の口内を見ての歯医者さんの第一声が「歯石がすごい」で、ああまただ、と思った。僕はいつだってそう言われる。言われるたびに哀しくなる。歯石とか歯垢って、なんか本格的に不潔な感じがある。足が臭いとか、フケがすごいとか、それもまあ嫌だけど、粘り気がある分、それらよりもさらに一段、しゃれにならない、マジな不潔感がある。「不潔にもいろいろあるけど、本当にいちばん不潔な人っていうのは、口の中が汚い人のことよね」と、僕の心の中の心ない婦人が、そんなことを言う。本当に心がない。こんな不潔な口をしている男にも、妻がいるのだ。その妻がかわいそうじゃないか。いや、僕の口が不潔だと妻にどんな不利益があるのか、というのは、ファーストキスもまだ未経験のウブな僕なので、よう知らんけども。
 親知らずももちろん虫歯なのだが(とても当たり前の感じで)、それよりもまずは歯石だ、ということで、初日から歯石の除去が施された。歯石で歯周病で歯茎がひどいことになってるよ、などと言われながら、チュルチュルと微妙な痛みが続く、あの作業がなされた。精神的にも肉体的にもつらかった。前の歯医者では「水分を多く取れ」と言われ、それなりに心掛けているつもりだったのだが、それでも溜まる歯石。これはもはや体質なのだろうな。不潔体質。
 そのあとレントゲンを撮る。件の親知らずは、「まあ虫歯だし、噛み合ってる歯があるわけでもないし、抜いたほうがいいだろうね」ということで、次回あたりに抜く流れになりそうだ。ふたりでレントゲン写真を眺めながら、「こ、この親知らずは、抜きやすいタイプの親知らずですか?」と訊ねたところ、「うん。それは大丈夫そう」という答えが返ってきて、これは歯石や親知らず以外にも、細かいほうぼうの虫歯を指摘されたりして、予想はしていたがショックの大きかった今回の診察の中で、唯一の福音だった。痛いは痛いけど、抜きやすいは抜きやすいのだ。よかった。まじめに誠実に生きてきたかいがあった。徳の量で考えれば親知らずが痛むはずもないし、虫歯ができるはずもないし、歯石が溜まるはずもないのだけど、徳に見合うだけの見返りをガツガツと求めたりしないところもまた、僕の徳なのだと思う。死後にでも再評価の機運が高まればそれでいい。
 そんなわけでこれからしばらく歯医者通いが始まる。これからは心を入れ替えて、会社で弁当を食べた後も歯を磨くし、治療後半年しての検診にも必ず行こうと思う。真人間になりたい。そして食後に歯を磨かない同僚たちを不潔人間だと見下してやりたい。

カラオケと焼き肉

 外遊びができない酷暑なのでカラオケに行く。別にそんな言い訳は必要ないのだが、いちおう言ってみた。唄ったのものを順番に挙げて、雑記も併せて書く。
 1曲目、「カントリーロード」(本名陽子)は、もちろん昨今の「耳をすませば」ブームによるセレクト。しかしこの歌、最初がアカペラから始まるので、まだ歌を唄うモードになっていない1曲目に選ぶのはちょっと間違いだった。ぜんぜん音が取れなかった。メロディが始まってからはまあまあ唄えた。途中でハッと思い至り、マイクを置いて、手のひらを体の前で合わす感じで、聖司の工房で唄う雫風に唄うことにした。そうしたらピイガがいち早くそれに気付き、こちらに駆け寄ってきて、マイクを僕の口に向けてくれた。かわいいし気が利く。この子は将来モテる。
 2曲目、「好‐じょし‐」(坂口有望)は、これも最近のブーム、TikTokでその存在を知り、それなりの回数を聴いたので、唄ってみることにした。僕がこれを唄った次にファルマンが予約していた歌が菅田将暉の「さよならエレジー」で、なんだかセレクトが高校生のカラオケみたいだな……、と甘酸っぱい気持ちになった。小室世代の我々も、なんとか現代の流れに取り残されまいと、ジタバタしているのだ。ちなみに性別が逆だけど。
 3曲目、「狙いうち」(山本リンダ)。この歌の冒頭の男声コーラスによる「ヘイ! ヘイ!」の部分が好きで、そこを聴くために曲を聴いたりする。実際に歌を唄ってみたら、思った以上に唄いやすく、さすがは阿久悠だと思った。ウララの部分をノリよく唄えるか不安だったが、問題なかった。
 4曲目、「マイムマイム」(イスラエル民謡)。カラオケにこれが入っているのは、酔っ払いが狭いカラオケルームで踊る余興をするためだろうか。僕はきちんと歌唱する。シャッテンマイ、ベッサソン、ミーマイネーハーイェーシューワ、と繰り返し唄った。ちょっとステップも踏んだ。
 5曲目、「愛をこめて花束を」(superfly)。最近またこれを聴き込んで、車内で唄い込んでいる。そのため前回よりもちゃんと声が出て、歌詞には出ないシャウトの部分とかも再現できるようになってきた。しかし唄ったあとの疲労感はやはりすごい。
 6曲目、「未知という名の船に乗り」(合唱曲)。ちょっと前に存在に気付き、感動した合唱曲。阿久悠作詞、小林亜星作曲。歌はとてもいいのだが、小学生用なので音が高い。「ちょっと疑問もー」のあたりなど、本当にきつかった。
 7曲目、「はなまるぴっぴはよいこだけ」(A応P)は、なぜかいまさら唄ってみた。いつもの、アニメそのものに思い入れはないけど唄ってみるパターン。趣味を同じくする仲間と盛り上がって唄ったらたぶんとても愉しいんだろうなあ、という気持ちになった。家族の反応ポカーン。
 8曲目は「夏祭り」(whiteberry)。前回のファルマンの歌唱がよかったので、今回は僕が唄わせてもらった。しかし前回のそれほどの感慨は湧き上がらなかった。この歌って、6、7年にいちど聴いて、その瞬間にグワッと心を揺さぶられて、そしてまた6、7年後に聴くべき、そんな歌のような気がする。
 9曲目は「手を繋いで歩こうか」(欅坂46)。このいかにもアイドルっぽい曲が、邪道なのかもしれないが欅坂の中で僕はいちばん好きだ。ユーチューブでライブ映像などを見て、振り付けを少し覚えていたので、踊りながら唄った。ファルマンがファンの男性役をやってくれた。
 最後の10曲目は、悩んだ末に「君は薔薇より美しい」(布施明)を選んだ。やっぱりこれは唄っておくか、という感じで。しかしこの頃にはもう喉がずいぶんと疲弊していたので、ディナーショーでさんざん客イジリをしながら唄う布施明、という設定で、ファルマンを客のおばさん役にして唄った。もう持ち歌すぎて、歌詞を見ないで唄えるので、そんなコントだってできるのだ。
 そんな全10曲歌唱。愉しかった。カラオケは愉しいなあ。なんだってそうかもしれないが、回数を重ねれば重ねるほどできることが増えるので、ますます愉しくなる。もはや巧者になりつつある気がする。著しく家族としか行かないのだけど。
 カラオケのあとは、図書館に行ったり、ショッピングセンターに行って8月の島根帰省のおみやげを買ったり、スーパーで食料品の買い物をしたりして帰る。
 晩ごはんは、ここらでひとつスタミナをつけとこうぜ、ということで、焼き肉にする。その下拵えをしながら、焼き肉のタレがないことに気付き、もう買いに出るのも面倒くさかったので、ネットを見てそれっぽいものを自作することにした。玉ねぎをすりおろしたりして。結果、まあまあ成立しないこともないものができあがったが、自作したから余計においしい、ということはまるでなかった。先日、夕飯がハンバーグだった際、おろしのタレが冷蔵庫になかったため、大根おろしをわざわざ作り、それとポン酢で食べたのだが、食べてみて分かったのは、わざわざ家庭で大根をすりおろすよりも、出来合いのおろしのタレのほうがよっぽどおいしい、ということだ。なんかたぶん、オイシクナルヤーツが多量に入っているからおいしいのだと思うのだけど、おいしくなるのならオイシクナルヤーツを入れれば別にぜんぜんいいと思っているので、こういうのはちゃんと商品として売っているもののほうが、自作のものよりも絶対的に優れているのだ。それを解った上で、それでもわざわざ買いに行くのが面倒だったので、自作した。タレに関してはそんな感じだったが、それでもやっぱり焼き肉はおいしかった。焼き肉の肉感は、焼き肉でしか得られないもので、その得られるものの中には、おいしさ以外に、効用方面で、多分にプラシーボ効果が含まれていると思う。焼き肉を食べたのだから俺はいま元気でなければ理屈としておかしい、などと思う。

酷暑3連休

 3連休だった。毎日35℃超えの、すさまじく暑い3連休なのだった。
 初日は午前中にポルガのスイミングスクールがあり、送りついでに見学した。しかしポルガはもう習い始めて数ヶ月が経過するというのに、一向に上達する気配がなく、見ていてもなんにもおもしろくない。しかも観覧席では、習っている子の弟や妹の幼児らがやかましく、プールという建物の設計ゆえにその声や音は反響して増幅し、とてもその場にいられなくなってしまった。最近とみに大きい音が苦手になってきていて、家でも仕事場でも常に着けられるタイプの耳栓の購入を考えているほどだ。またひとつ、僕の友達作りへの障害が生まれようとしている。
 帰宅して昼ごはんを済ませた後、ショッピングモールに出向いた。半月ほど前、出発してからやっぱり行かないことにしたショッピングモールだったが、今回はいよいよ機が熟した感じがあった。まず覗いたのはおもちゃ屋。これから始まる夏休みに向けて、子どもたちに与えるいい玩具はないかと店内をさまよった。店員に、「子どもたちだけで遊べて、夏休みじゅう飽きないで、喧嘩にもならないで、うるさくなくて、目が悪くならないで、知恵もつくおもちゃはないですか」と訊ねたくなった。もちろんそんなものは見つからず(いちど2000ピースくらいあるジグソーパズルを買いかけるが、寸でのところで嫌な予感が発動して取りやめた)、結果的にアイロンビーズというものに初めて手を出してみた。あの昔からある、粗いドット絵みたいなのを作るあれである。あまりにもドットが粗く、完成したものを見ても、なにをかたどったものであるか容易には判らず、受け手の想像力を暴力的なまでに求めてくるそれは、これまで「やる価値がないもの」として無視し続けてきたのだけど、藁にもすがる気持ちで試してみることにした。なるべく飽きられずに長く持てばいいと思う。もちろん間違いなく家じゅうにあの細かい輪っかのビーズが転がることになるのだろうが、レゴほど踏んだときのダメージは大きくないだろうと思う。そのあと300円ショップに行き、浮き輪などを買う。大人でも使えるきちんとしたサイズなのに300円。昔はこれを2000円とか3000円で売っていたのだから、そりゃあ世の中の景気は良かったわけだな、としみじみと思った。あとそのレジのとき、僕の前に並んだ客が、商品をひとつ出して、トレーに100円玉3つと10円玉ひとつを置いたので、ちょっとびっくりした。これが100円玉3つのみであれば、300円を税込と勘違いしたのだなと理解できるが、310円である。それは消費税3%の計算ではないか。もしかしてこの人タイムトラベラーか、と思った。それからユニクロにも立ち寄って、ずっと欲しいと思っていた「ベルサイユのばら」のTシャツを2枚買う。基本的にレディースなのだが、首が広いとか肩がしゃなんとなっているということはなく、男でも特に問題はなさそうな型だったので、買うことにした。しかも最初1500円だったものが、世間ウケしなかったようでもう500円になっている。500円って安売りカジュアルウェアショップの謎のTシャツよりも安いじゃないか。臙脂の、オスカルの軍服を模したデザインのものと、黒の「ベルサイユのばら」ロゴのものを買った。職場へはどうだろうな。後者は普通に着るが、前者はさすがにちょっと厳しいかな。最期に生鮮食品のスーパーに入って、夕飯の買い物。あっさりとネギトロ丼にしようとマグロのサクを買ったが、油断していて氷をもらい忘れ、屋外駐車場に停めていたサウナのような車に乗ってから「これはまずいぞ」となった。マグロのためにも自分たちのためにも冷房を全開にするが、いくら空気を冷まそうとしても陽射しが照りつけるのでぜんぜん涼しくならない。帰宅までは30分あまりも掛かるのである。これはさすがにまずいと判断を下し、途中にあったスーパーに駆け込んで、追加の刺身を買って氷をもらう。そして悲鳴を上げるマグロのサクもそこへ入れた。今にも熱射病で倒れそうになっていたマグロのサクが、なんとか意識を取り戻すイメージが見えた気がした。
 そんなわけで晩ごはんはネギトロ丼。大人のにはスライスした玉ねぎも使い、さっぱりとおいしく食べた。おいしかった。
 2日目はなんとプールに行った。去年にも一家で行った所。これまで子どもたちが、学校やら幼稚園やらスイミングスクールで「プール」と言うのを、家と会社とスーパーにしか行かない日々を過しながらとても恨めしく思っていた。その恨みをようやく晴らす時が来た。時が来たと言っても、もちろん一家で行ったのである。だから子どもの世話をしながらのプールである。じゃあこれは恨みを晴らしたことになったのかと問われると、いまいち確信が持てなくなる。これでひとりでナイトプールとかに繰り出していたら、迷いなくそうだと答えられるのだけど。直射日光を浴びながらのプールは、まあ気持ちよくはあったが、とは言え1時間が限界だった。ポルガは昨日スクールでも目の当たりにしたが、やっぱりぜんぜん泳げるようになっていなくて、月謝を払って通わせるのが、ほとほと嫌になった。たぶんこれは教室が悪いというより、ポルガが人の話を本当に聞かないのが原因だろうと思う。他人に指導をされて、できないことができるようになってゆく、という体験を味わわせるために教室に通わせている面もあるのだが、どうも性格的にその部分が壊滅的にできないらしい。これは今後に向けても本当に不安の募る部分である。夏が来ての約1年ぶりの水泳は、そんなわけでちょっと暗澹たる気持ちになって終了した。
 帰宅後に昼ごはん。スーパーに立ち寄って天ぷらを買ったので、天ざる。茹であがった麺を流水で冷やそうとするが、青いほうを捻っても、蛇口から出てくるのがわりとぬるめのお湯なのでどうしようもない。氷をいくら作っても追いつかない。
 そのあとは昼寝。35℃超えの屋外プールで泳いだあと、昼寝をしないなんてことがあるだろうか。あるらしい。わが家では、する派しない派が1対3の比率になった。こっちがマイノリティなのだった。信じられない。ひとりで倒れるように寝た。
 起きてから夕飯の準備。夕飯は餃子。3連休ではあるが皮から作ることはしない。それでも十分に美味しい。ホーム餃子はまず餃子というだけで基本的なポイントが高く、皮を手作りすることはそこからさらに点数を伸ばそうとする行為だが、しかしやったところでもうそこまで伸び代があるわけでもないと気付いた。それよりもインターバル短めに餃子を作ったほうが、トータルの幸福度数は高いと思う。
 夜は今日が初回の連続ドラマ「この世界の片隅に」を観た。広島が舞台の話で、ファルマンと方言の話になる。僕が「広島と岡山の方言の区別がつかない」と言ったら、ファルマンが「ぜんぜん違う!」と言って両者の違いを解説してくれるのだが、その解説が出雲弁でなされるものだから、いよいよ頭が混乱した。港北ニュータウンっ子にはレベルが高すぎた。
 そのあとはロシアワールドカップの決勝戦。フランス対クロアチア。なんとなく観ておくべきだろうと思ってチャンネルを合わせるが、かと言ってサッカーの試合を90分観続ける技能はない。途中で録画していた「西郷どん」を挟む。「西郷どん」は2度目の島流しが終わって、ここからようやく本格的な明治維新が始まっていくぞ、というところ。ほぼ半年が終了したタイミングなわけだが、じゃあ俺が観るのはここからでよかったんじゃないかな、と思った。「西郷どん」が終わってサッカーに戻したら、点数がやけにサクサク入り、結果的に4対2でフランスが優勝していた。そうか、と思った。
 3日目はもう特にすること、行く場所もなく、家でのんびりと過した。本当に特になんにもしなかった。休みは2日でいいのかもしれない。午前中に近所のスーパーで少し買い物をし、昼ごはんは炒飯と、昨日の餃子の残りでワンタンを作り、スープにした。
 明日からは僕はもちろん労働で、そして子どもたちはぽぽぽ、とフザけた登校をした後、もう夏休みに突入だ。40日あまりの連休だ。こいつらこれから40日間も家に居続けるのか、と思うと、ファルマンの悲観に同情の念が湧く。くじけず生き抜いてほしい。

大雨週末

 雨がすごかった。岡山に来て以来、こんなに強い雨が降り続いたことはない、と思っていたら、誰も経験したことのないようなレベルの雨なのだった。幸い、住んでいる場所や職場のあたりにはそれほどの被害は出ていない。しかし近ごろちょっと縁遠かった災害というものが、久しぶりに接近してきて、ああそうだ、災害というのはこういう感触のものなのだ、ということを思い出した。精神的にも物質的にも、備えを怠らないようにしたいと思う。
 そんな状況だったので、土曜日は外出できるはずもなく、ひたすら家で過した。そして休日にひたすら家で過すとなると、子どもたちが例の如くあまりにもうるさく、頭が疲弊した。途中で雨が小降りになったので、夕飯の買い物のため近所のスーパーにだけ車で行った。パンが届いていない以外、商品は普通に並んでいた。大嵐が来ると、海産物は変わらずあるのに、パンは来ないのか、とちょっと不思議な気持ちになった。晩ごはんは小さい鰯がたくさん入ったパックが安かったので、それを中心に野菜やきのこなどと、天ぷらにした。おいしかった。
 一夜明けて今日は、もうほとんど雨はやんでいたが、天候が戻ったがゆえにテレビ局のヘリコプターが飛びはじめたようで、倉敷市真備町の浸水の様子などが映し出され、それを見てびっくりしたらしい関東の人間たちから安否を訊ねる連絡が来たりした。
 さすがに2日連続で家に閉じこもっているわけにもいかないので、今日は図書館に出掛けた。次の人の予約が入り、返却しなければならない延滞の本というのがあり、昨日図書館職員から電話が掛かってきて、「なる早で返してほしいけどこんな状況だから無理はせんといて」みたいなことを言われたのだった。良心的な連絡だなあと感心した。それで、ルート的に無理はなさそうだったので、行くことにした。
 果たして道には問題がなかった。しかし道中、先ごろ植えたばかりの田んぼの稲が、水位が上がったせいで浮かび上がり、散乱してしまっている田んぼというのがずいぶんあり、痛ましい気持ちになった。今年もこれから農作物が高くなるのだろう。しかし仕方ないことだな、と思った。
 図書館の帰りに、ケーキ屋に寄ってケーキを買う。こんなときに何であるが、本日7月8日は、僕とファルマンが付き合い始めた記念日なのだった。今年でそれは何年になるのだっけと計算したら、僕が19歳、ファルマンが20歳のことだったので、15年前である。すなわち今年で15周年なのだった。ファルマンとは15年よりもよほど長く一緒にいるような気持ちになっているので、まだ15年? みたいな印象になるが、自分が19歳であったあの大学2年生の夏から15年の歳月が経過したのだと考えると、もう15年か……、という気持ちになる。ちなみに今年は交際開始15周年であると同時に、8月には結婚10周年というのが控えている。節目の年を意識しやすいという合理的な狙いでこういうことになっているのだろうか。もちろんそんなことはない。
 午後は家で過し、やはり子どもがうるさかった。子どもは本当にうるさい。休日の家にいる時間のほとんどは、子どものうるささのことだけを考えている。
 晩ごはんは手羽元に味を付けてグリルで焼いたもの。近ごろ味付けに青じそとか酢とか、そういうものを多く駆使するようになった。分かりやすい加齢だ。あと茄子のソテーに野菜スープ。夕食後にケーキを食べた。誕生日とかではないので、ひとつの大きなものではなく、4人が店で好き好きに選んだものを食べる。僕はフルーツの入ったミルクレープにした。おいしかった。ポルガに、「このケーキってどういう意味のケーキか分かる?」と訊ねたら、チョコレートケーキをばくばく食べながら、「分かんない」という答えが返ってきた。結婚記念日ならまだしも、親の交際開始記念日なんか知らんわな。
 そんな週末だった。まあ大雨で、被害ではないが、影響を受けた週末だった。

君がいた夏は遠い夢の中

 また10時まで寝てしまう。ぐいぐい寝ることだ。ファルマンから、「私の睡眠時間に合わせたらあなたには足りないんだよ」と言われるが、特に合わせているつもりはない。自分の中での最低ラインが6時間だと認識していて(実はそれだと短いようなのだが)、その時刻に寝に行く僕に、むしろファルマンが合わせている形だと思う。なぜファルマンはそんなに寝なくても大丈夫なのか。そしてなぜ老人は短い睡眠時間で大丈夫なのか。それは視野の広さと密接な関係があるのではないかと睨んでいる。睡眠は、活動時に得た情報を処理するための時間だと聞いたことがある。だとすればファルマンや老人のように、活動時の視野が狭くて情報量が少ないと、処理しなければならないものが少ないから睡眠が短くても済むのではないだろうか。これまで睡眠時間が短くて済むファルマンのことを、それだけ生きている時間が長いということだから羨ましい、10年単位とかで考えれば、そのうちの4年あまりを僕が睡眠に費やすところを、ファルマンは3年くらいで済む、つまり同じ10年を生きても、僕は6年、ファルマンは7年を生きるということではないか、という風に考えて忸怩たる気持ちになっていたけれど、人間の場合、生きるというのはただ生命活動をしていればいいというわけではなく、得た情報に対して反応し思考するところに意味があるわけだがら、そう考えるとちょっと悔しさは減る。そこまで伴侶と老人を貶めて、ようやく溜飲を下げる休日の朝。爽やか!
 寝室から居間に行ったら、寝起きの目に陽射しが眩しかった。ピーカンなのだった。今年、出張などでなんとなく春から初夏にかけて慌ただしさがあり、いい季節におにぎりを持って公園へ、みたいなことができなかったので、いまさらながらそういうことをしたいと希っているのだが、あまりにもいまさらで、無情にも今日から7月なのだった。7月か。7月1日だというのに、もう夏に飽き飽きしている。Tシャツに飽き飽きしている。世間の流行りにはわりと疎いくせに、夏に対する嫌気だけ、やけに先取りしている。気持ちはもう9月中旬あたりにある。
 午前中はファルマンに仕事があったので、近所の公民館やスーパーに子どもたちと行く。もちろん車である。車内ではフォークダンスの曲をかける。フォークダンスは子どもたちの嗜好に合ったようで、向こうから「かけてくれ」と乞うてくるほどである。「マイムマイム」がかかると僕がヘブライ語で熱唱するのがおもしろいのかもしれない。シャッテンマイベッサソンヒイアイネイワメシュワ。
 昼前にファルマンの仕事がひと段落したので、全員で出掛ける。もちろん車である。ちょっと遠方のショッピングモールに行くつもりだったが、もう午後で混んでそうだったのと、ファルマンにまた夕方からも仕事が来そうなこと、さらにはショッピングモールで特にこれという目的がなかったこともあり、取りやめ、そこまで遠くない位置にあるスーパーマーケットやドラッグストアで必要なものを買って帰った。栄養ドリンクと、炭酸水と、アイスコーヒーを、それぞれ箱で買う。いかにも夏らしい買い物。液体ばかりで夏バテになりがちなところを、栄養ドリンクでなんとかしようとする感じ。
 昼ごはんは買ってきたタコ焼き。7月2日は半夏生で、タコを食べるのがいいとされるが、どういう由来があるのかと言えば、この時期に植えられた稲の苗が、タコの足のように根をきちんと張るように、という理由なのだそうで、どんな理由だったら満足だったかと言われたら別に具体案もないのだが、それにしたって、そんな理由かよ感があると思った。まあ世の中そんなんばっかりだけど。
 午後は夕飯の下拵えをしつつ、子どもたちと人生ゲームをした。人生ゲーム、買ったときに覚悟はしていたが、やるとなるとすごく面倒くさい。なぜ貴重な休日にこんなことをしなければならないのか。いろいろ払ったりしなければならない状況は、現実の人生でいくらでも味わっているのに、なぜゲームでも味わわなければならないのか、と思う(そして現実に給料日以外の「もらう」マスは皆無である)。人生ゲームを集中してやっても仕方ないので、にわかにまた熱が高まっている「耳をすませば」のDVDを観ながらやった。相変わらず、僕が今回の人生で経験できなかった種類の物語だった。しかし「耳をすませば」が公開されたのはたぶん僕が中学1年生のときであり、だからそのとき僕は雫や聖司や杉村よりも年下だったのだ。それからあれよあれよという間に月日が過ぎて、自分の子どもと人生ゲームをしながら、何十度目か判らない観賞をして、何十度目か判らないあの気持ちになった。なるほどなあ。人生ゲームとはよく言ったものだなあ、と思った。あと杉村の名ゼリフ「わっかんねーよ!」は、本物を聴いてみたらぜんぜんそんな口調じゃなくて、ちょっと情けない風に「分かんないよ」と言っていた。おかしいな。またこの現象か。化かされていたのは俺たちだったんじゃないのか。
 晩ごはんはシューマイ。シューマイは刻むのが玉ねぎだけで、餃子よりもはるかに作るのが簡単なのに、餃子ほど家での調理がメジャーではないため、「へええ。シューマイ作ったの!」みたいな反応を得られて(ファルマンは毎回そんな反応をする)、コスパがいいと思う。もちろんとてもおいしかった。あとスーパーで厚切りのハムと卵が安かったので、夕飯だけど堂々とハムエッグとか出してみよう、と考え、出した。シューマイにハムエッグで、なんか微妙に肉過多な献立になったが、悪くなかった。もちろんちゃんとキャベツの千切りも添えたよ。
 そんな7月のはじまり。ここから夏か。嘘だろ。もう終盤であれよ。

授業参観模様替

 土曜日、ピイガの幼稚園の休日参観に出る。運動会には行ったが、教室での振る舞いを見るのは初めて。ポルガと違い、先生の話をよく聞き、けなげに行動していて、偉いなあと思った。いちど親子で一緒に行動する場面で、僕がピイガの近くから離れてしまったとき、知らない大人がたくさんいるのに僕がいないという状況に恐怖を覚えたのか、泣き出してしまい、戻ってきて慰めていたら、それを見た先生から驚かれた。ピイガは幼稚園ではよほど鉄の女で通っているらしかった。休日参観ということで、僕と同じく父親もけっこう来ていた。だがそこから何かが生まれるということはもちろん一切なかった。職場で、毎日のように顔を合わせる、同じ職種の人とも友達になれないのに、ただこの1年それぞれの子どもがクラスメイトになったというだけの、得体の知れない男性と、交流が生じるはずがないのだった。しかし職場でも子ども関係でも友達ができないのだとすれば、本当に一体これから、友達というのはどういう巡り合せで出来得るのだろうか。まったく謎だ。思春期の少女が、成長した自分を想像して、いまの自分が全く知らない大人の男の人と裸になってベッドでそういうことをすることになる、そこまでのストーリーや自分自身の気持ちがまるで想像つかないのと同じくらい、想像がつかない。もう夢見る少女じゃいられない。
 午後はミシンをして過し、晩ごはんは鶏もも肉とレバーの丼物を作る。錦糸玉子たっぷりでおいしかったが、レバーはあまり子どもに評判がよくなかった。あと豚汁ととうもろこし。今回は産地を見た。徳島県産だった。
 明けて日曜日は、起きたらなんと10時だった。今週はどうも全体的に寝るのが遅くなってしまい、土曜日も参観のためにそれほど寝坊ができなかったので、「気の済むまで寝させてくれ」とファルマンに頼み、思う存分に寝させてもらったのだった。これまで遅くても9時台だったので、10時の大台到達には驚いた。でも快適な眠りで、生きる活力が湧いた。顔も若返ったろうと思う。ファルマンからも、僕の寝姿を見て、「あなたは普段からもっと睡眠を摂りなさいよ」と窘められた。フードファイターの気持ちのいい食べっぷりのように、回復が見て取れるようなむさぼるような睡眠だったらしい。たしかに日々の睡眠は僕にとってちょっと短い。僕は6時間前後だとどうも足りないようで、7時間前後あるといい具合になる。しかし平日必ず7時間程度寝ようとすると、ちょっと家に帰ってごはんを食べてからの自分の時間が短すぎるのだよな……。
 たっぷり寝て調子がよく、しかし公園に繰り出せるほど気温が温和ではなかったので、今日はちょっと前から話に出ていた、部屋の模様替えを決行することにした。もう1年以上前になるが、子ども部屋として使っていた部屋が、どうにも効果的に使えていなかったので、その部屋に親のパソコンデスクも持ち込み、部屋の中央に家族4人のデスクが2対2で向かい合って置かれる、デスク部屋とでも言うような状態の部屋を作っていた。今回それをまた見直し、やはり机はそれぞれ壁を向いて置こうじゃないかということになり、それに付随して廊下に置いてあった棚にまで影響が波及し、久々になかなかに大規模な模様替えとなった。
 昼時になり、しかしその時間帯が模様替え途中特有の混沌のピークであり、カップ麺でさえ食べるのが困難だということで、珍しく外に食べに出るということをした。わりとヒートアップしていたので、いい気分転換になった。
 帰宅してからまた作業を続け、くたくたになりつつ、なんとか完了する。想定通り、なかなか部屋をすっきりさせることに成功し、達成感があった。達成感ハイで、もう夕方だったのにフットワーク軽く、売却処分とした本をブックオフに売りに行くことまでした。いまちょうど読書熱が下がっているということもあり、一般小説をまたずいぶんと売る。一般小説の実物を持っている意味というのは、本当にぜんぜんない気がしてきた。今後もう増えることはまずないだろうな。
 晩ごはんはその帰りにスーパーで買った、味付けの焼くだけの肉。今日はもうとにかく模様替えの一日だった。今回の変更で、これまで互いのパソコンの背を突き合せるようにして机が向かい合っていた僕とファルマンは、かつてふたり暮らしの時代からずっとそうであったように、椅子と椅子とが向かい合せで、パソコンのディスプレイ同士は向かい合うという、その状態にまた戻った。いまその状態でブログを書いているわけだが、やっぱりこれがいい。画面に見せたいものがあるとき気軽に見せることができるし、あと振り返られたら画面を見られる緊張感から、僕もあんまり不穏なものはそうそう気軽に見ないようになる。これまではその緊張感から完全に解放されていて、緊張感から解放されると人は駄目になるということを実践で学んだ。だからこれでいい。

フォークダンス父の日

 午前中に車を出し、図書館へ行く。しかし本はあまり借りない。いま、僕の中で読書の熱がだいぶ下がっている。特に小説。人気のある話題の小説とか、そりゃあ読んだらおもしろいんだろうけど、おもしろいからなんだよ、という気持ち。たまにこんな気分がやってくる。周期的なものだと思う。それでこれまで本を読んでいた時間で、トランプのサインの練習をしたり、フォークダンスの音楽を聴いたりしている。本を借りない代わりに、またフォークダンスのCDを何枚も借りた。もう合計でアルバムを10枚近く借りた。ちょっとした第一人者になろうとしている。踊ったことはほぼないが、なんでも訊いてほしい。ポルガはもちろん何冊も借りていた。今回、星新一なんていいんじゃない、と両親で話して、借りさせてみた。読むかどうか判らないが、読んだ場合の反応が愉しみだ。
 そのあとは回転ずしで昼ごはん。ちょっと久しぶり。父の日ということも微妙に関係しているが、しかしこの時期のお鮨というのはどうしたって冬ほどおいしくない。梅雨明け前にして、早くもTシャツ一枚で衣服が完了することに飽きはじめているし、夏はパッパと終わればいいと思う。
 午後はのんびり。子どもたちから父の日のプレゼントをもらう。


 左がピイガからで、クラフト紙の既製の紙袋に、イラストが描かれ、ハートのメッセージカードに「ありがとう」の文字。中にはイラストのほか、折り紙の飛行機などが入っていた。右のトートバッグがポルガで、フェルトをヒットくんの形にカットして、顔を刺繍し、そして貼り付けたもの。


 作る際、ファルマンが見本として刺繍の実演をしてみせたそうで、それが黄色のヒットくんの顔である。それ以外の顔はポルガが自分でやったという。さすがお母さんは上手! すばらしい出来ですね! ちょっと子どもの手によるものとクオリティが違いすぎるんじゃないですか。
 まあとにかく嬉しい。父の日バンザイ。毎日が父の日ならいいのに。
 晩ごはんはポテトサラダと、手羽先を味付けてグリルで焼いたもの。おいしかった。

梅雨入りカラオケ週末

 カラオケに行く。2週連続の運動会が終わり、出張を済ませ、梅雨に入り、平穏な日々に戻った感がある。というわけでカラオケだ。唄ったのは順番に、「わかれうた」(中島みゆき)、「光合成希望」(西野七瀬)、「十七の夏」(桜田淳子)、「手紙~拝啓 十五の君へ~」(アンジェラ・アキ)、「デビルマンのうた」(十田敬三)、「情熱の嵐」(西城秀樹)、「キャンプだホイ」(マイク真木)、「さくらんぼ」(大塚愛)、「ラムのラブソング」(松谷祐子)という全9曲。いつものことながら、混沌としているような、僕としての一本筋が通っているような、よく判らないラインナップになった。西城秀樹は追悼歌唱。「デビルマンのうた」はアニメには思い入れがないけどCDで聴いたら愉しいので唄ってみたシリーズ。「キャンプだホイ」については後日、改めて歌唱の理由を説明する。カラオケでは毎回、なんとなく採点モードにしていて、1曲唄うごとに点数が出て、なんかしらの寸評が出るのだけど、今回はその文言がやけにおもしろかった。たぶん言い回しのバリエーションが追加されたんだと思う。「あなたの歌は言霊。宇宙にまで届きます」などと、妙にスピリチュアルなことを言ってくるので、ちょっと心配になった。担当者がちょっとそっち方面に傾いているのではないか。あと今回は、ファルマンが「これまであまり唄ってこなかった人の歌を唄おう」というコンセプトのもと、19やホワイトベリー、シャ乱Qなど、同世代特有のポイントを突いた選曲をしてきて、とても愉しかった。特にホワイトベリー(もちろん歌は「夏祭り」である)は、特技であるモノマネをしながらの歌唱であり、妻の芸達者ぶりに舌を巻いた。さらには中島みゆきの「地上の星」もモノマネ歌唱をしていたのだが、その最中に店員が注文の品を持ってやってきて(フードメニューを注文してから店員が持ってくるまでの歌唱には、誰が唄っているときに店員がやってくるかという、ロシアンルーレットのようなハラハラ感がある)、しかし強靭な精神力でやり続ける、という一幕もあり、俺の妻はすごい、と思った。
 カラオケのあとは図書館に行ったり、100均に行ったりといういつもの感じ。
 帰宅して、カラオケで微妙に食べたけど夜までは持たない腹具合だったので、昼食兼おやつみたいな感じで、ホットケーキを焼いて食べる。苺とアイスクリームを乗せて、蜂蜜まで掛けて食べた。食べる前には、ホットケーキを食べる際の作法である写真の撮影をし、心の中のインスタグラムに更新した。ホットケーキは食べるたびに、「何年振りか」と思う。そのくらいのペースで、1枚をペロリと食べるくらいでちょうどいい食べものだと思う。
 晩ごはんはお好み焼き。今日はホットプレートデイとなった。そばのモダン焼きで、豚と、海老チーズの2種類を作る。とてもおいしかった。
 明けて今日は、近場の買い物へ。冷凍食品を中心にたくさん買う。野菜が安くて嬉しい。半年前には200円もしたニラが、60円ほどで売ってたりする。ニラ以外も全体的にそんな感じだ。半年前と今と、そんなに世の中の情勢は違うだろうか。いまいちピンと来ない。半年前の大地は、そんなにもズタボロだったのか。あと今年初のとうもろこしを買った。そう言えば産地を確認しなかったが、九州だろうな。これからだんだん産地が北上してゆくのだろう。
 午後は家でのんびりと過す。のんびりと言うか、家族4人とも、特になんにもしなかった。
 晩ごはんは醤油ラーメンと炒飯。豚肩ロースのブロックで煮豚を作ったので、どちらにもたっぷりとそれを使う。おいしい。とうもろこしも食べた。ポルガが、「今年はとうもろこしがもう食べづらくない」と喜んでいた。思えば去年は前歯が整っていなかったのだった。なんだか俳句や短歌になりそうな風景だが、あいにくそういうテーマでポエムを作る思考回路はないのだった。

連続運動会

 先週に引き続き、今週はピイガの幼稚園の運動会が執り行なわれたのだった。2週連続で運動会に接したのなんて、人生で間違いなく初めてだと思う。
 とてつもない規模でシステマティックに進行する小学校に対し、幼稚園のそれはだいぶアットホームなので、わざわざ観に来る甲斐があるということなのか、あるいはたまたま都合がよかったのか、義父母も島根からやってきた。梅雨入り宣言こそまだだが、週の半ばに微妙なグズつきなんかもあり、多少の不安があったが、蓋を開けてみれば必要以上の快晴で、陽射しでじりじりと肌が焼けた。
 僕は入園式以来となる幼稚園だったので、ピイガが集団の中で活動している姿というものを、これまで見たことがなかった。それを今回、初めて見た。ピイガは最初の入場行進の際、ひとりだけひときわ小さく、そしてなぜかひとりだけポケットに手を入れて現れた。その登場はなかなか様になっていて嬉しくなった。そのあとかけっこやダンスなど、プログラムが進行する。ダンスはとてもかわいらしかった。座るべきタイミングでピイガだけが悪びれる様子もなく立ち続ける、という場面があり、立て続けにシャッターを押した。なんかピイガは、いつだってやけに堂々としているのだった。
 ポルガは小学生参加競技がないことにご立腹だったが(ポルガが幼稚園のときはあったのだ)、同じ立場の、幼稚園に通う弟妹の応援に連れ出された小学校の同級生というのがけっこういたようで、気を取り直してその子たちと遊んでいた。子ども同士で遊んでくれるなら相手しなくてよくてよかったわ、と安心したが、どうしても目に入ってしまう、ポルガとよその子たちとの遊びは、ポルガだけがあまりにもあからさまに浮いていて、ちょっとショックを受けた。なんとなく浮いているんだろうなあという予測はあったのだが、実際に目の当たりにしたら衝撃的なレベルだった。集団が、みんなでひとつのことに夢中になっているときに、ひとりだけぜんぜん別のことをするのだ。ひとしきり遊んだ後、帰ってきたポルガはひとりの少年を指してこう言ったという。「あの子は嫌い。だって「みんなで遊ぼう」って言ってくるから」。すばらしいじゃないか、と思った。
 また小学校のそれと違い、こちらには父母参加競技というものがある。ファルマンが何度目とも知れぬぎっくり首を、よりにもよってこのタイミングでやらかしたので、僕が出場した。まずは玉入れ。玉入れなんて何年ぶり、いや何十年ぶりだろうか。落ちている玉を拾って、高い場所にある篭めがけて投げる。よく考えてみたら、なんとどうでもよい競技だろう。よくこんな行為が2018年まで生き残ったものだ。それでもたぶん2つくらい入れることができたと思う。僕のそんな活躍もあり、所属しているチームが勝ちを収めた。買ったチームはバンザイをしてください、と言われたので、他の人々が3回バンザイを繰り返す間、ずっと手を大きく上げ続けた。バンザイって、写真のことを考えたら、手を上げ下げせず、ずっと大きく上げている状態を保持するのが正しい。とにかく出場したからにはいい具合に写真に納めてほしくって、入場から退場まで妻や義父母のカメラに向かい、カメラ目線とピースを出し続けていたのだった。その一方でサングラスは掛け続けていたのだけど。そのあと、子どもと一緒に行なう競技というのにも参加し、ここでもカメラをすごく意識した。せっかく大人が一緒にやるのだから、子どもはあまり意識してくれないシャッターチャンスを、ここぞとばかりに提供しなければいけないと思い、ピイガともども、すごくカメラのほうを向いてやる。「もういいから。競技、競技!」とファルマンがジェスチャーで訴えるほど撮らせてやった。競技そのものは、まあのんびりと、これもあんまり急ぐとピントが合わなくなるので、悠々と歩いた。幼稚園の運動会は勝ち負けとかあまり関係ないからいい。性に合う。
 そんな感じの運動会だった。全体的に牧歌的で、愉しかったが、とにかく太陽光がすさまじく、えげつないほどに疲弊した。そのあと2時間くらい、気を失うように寝た。しかし子どもたちは帰宅後、風呂場で水浴びをして遊んだという。意味が分からない。ふたりとも、集団でなんとなく浮くところには共感を覚えるが、無尽蔵の体力に関しては辟易する。後者はファルマンに似て、前者は僕とファルマンに似たんだと思う。

梅雨入り前

 ポルガの小学校の運動会が開催される。風は涼しく、陽射しもそれほどでもなく、なかなかの運動会日和だった。よかった。相変わらず場所取りとかの熱情はないので、開会式あたりの時間に合わせて、ファルマンとピイガと3人でのろのろと学校に向かった。ポルガの通っている小学校は相変わらず生徒数がとても多いので、生徒ひとりひとりの見せ場なんてほぼない。その中で、なんとかダンスをする我が子を見つけ、それなりに撮影した。
 去年にも書いたが、やっぱりビジネスライクで、情感とかの入り込む隙のない、工場生産のような運動会だと思った。別に悪い意味ではなく、なにしろ生徒が多いので、そうなるよりほかないのだ。その中でも特に情感ないエピソードとして、校庭には生徒のための座席を置くスペースがとても取れないため、出番でない学年の生徒はその間どうしているのかと言うと、自分の教室に帰り、ビデオカメラで撮影された運動会の様子をモニターで見守るのだという。これでは色対抗の気概が生まれるはずもない。運動会そのものは、入念にリハーサルを重ねての整然とした全体主義的なものでありながら、全体主義すぎる全体に対して注げない個々人の感情は自分の中で処理するしかないため、結果的に生徒たちの思考としては個人主義へと傾くのではないかと思った。ならばむしろいいことだとも思う。
 あとプログラム冒頭の応援合戦において、応援団による寸劇みたいなものが繰り広げられるのだが、ここでは毎年そのときの流行りの芸人のパロディが行なわれ、去年はたしかサンシャイン池崎とブルゾンちえみだったのが、今年はそこまでちゃんと流行っている感じの芸人はいないので果たしてどうなるのかな、と思っていたら、結果は千鳥とフースーヤだった。千鳥は、ああなるほどな、と思うと同時に、って言うか千鳥って方言の口調がそのままネタになっているみたいなところがあるから、家風によっては本当にあのままの感じで喋る岡山の子が千鳥をやっても効果が薄いよな、と思った。もう一方のフースーヤは、ちょっと意外ではあったが、言われてみればたしかに、という感じもした。フースーヤは僕もすごく好きなのだが、そうか、考えてみたら小学生レベルなのだな。
 そして運動会は、1、2年生は午前で終了する。だからどっちの色が勝ったかは、振り替え休日の月曜を経て、火曜日まで判らない。そして火曜日になって結果が判ったところで、いまさらもうどうでもよいし、そもそもはじめから生徒たちに自分の組の色の意識もそうあるまい。なんだか本当に、各々が各々なりに運動会という日を過して愉しめばよいのだ、という放任が心地よい。
 午後はひとり車に乗って、手芸屋に行ったりユニクロに行ったりした。ユニクロでは新発売のドラえもんのTシャツを買う。村上隆のやつじゃなく、原作の絵のやつ。子どもたちの分もお揃いで購入した。最近アニメとかイラストのTシャツばかり着ている。Tシャツって、シュッとしたデザインとか、イケてるグラフィックとか、そういうんじゃなくて、キャラクターのものだよな、という境地に達したのだった。ただし「ネタTシャツ」とか「おもしろTシャツ」みたいなものとはしっかり線を引いておかねばならない。そのギリギリの攻防がTシャツの情趣であると思う。
 晩ごはんは、残り物がけっこうあったので、細々としたおかずをいろいろと並べた。あさりの酒蒸しを作り、おいしかった。他の個体はぜんぜんそんなことなかったのに、ファルマンが最初に口に入れたひとつにだけ異様に砂が残っていたらしく、じゃりじゃりと音を立てて噛んでいて、おもしろかった。「いつもこうだに……」と本人は哀しそうにしていた。全体的に砂が残っていたのなら僕のミスだが、そんなことはなかったので、本人が白状するように、ファルマンの運命によるものなのだろう。特殊能力と言ってもいいかもしれない。
 明けて今日は、のんびりと過す。ファルマンに仕事があったので、午前中に近所の公園へ、子どもたちと自転車で遊びに行った。バトンをするつもりだったが、それほど広くない公園に、珍しくそれなりの数の子どもたちがいたため、ちょっとキャスケットサングラスのおじさんがバトントワリングの練習をするのは躊躇われ、担いでいっただけで終わった。ちなみに今日の僕のスタイルは、バトン入れを右肩から左脇に掛け、タブレット入れを左肩から右脇に掛け、ダブルハンドメイドのクロス掛け状態であり、なんだか愉快な気持ちになった。これが既製品ならば、「これ大丈夫かな?」となるかもしれないが、ハンドメイドならば、誰にも文句は言わせねえぞ、みたいな自信が持てていい。
 昼ごはんは焼きそば。午後になり、スーパーに買い出しへ。わんさかとまとめ買いする。
 帰宅して、夕飯の準備をしながら、夏場所の千秋楽を眺める。大関に昇進する栃の心が躍動するも、どっこい横綱の鶴竜が盤石の相撲で優勝を阻むという、図式としてとてもきれいな場所だったと思う。あの幽霊部員みたいだった鶴竜がここへ来て連続優勝とは驚きだ。
 晩ごはんは、冷凍庫に、もう普通に料理してもおいしく食べられなそうな挽肉の塊がふたつあったので、いくつかの野菜とともにトマト煮にする。それと海老とアボカドのサラダ(サラダの定義ってなんだろう)。サラダには、ちょっと前に買って感動した、玉ねぎのお酢ベースのドレッシングを掛けて食べた。お酢と玉ねぎって、最近になってやけに体がおいしく感じるようになった二者であり、それがタッグを組んでいるのだから、もう脳天を突き抜けるようなおいしさだ。とんかつなどを美味しく食べる一方で、これまでソースやマヨネーズを掛けていたキャベツの千切りには、先日からこれを掛けてあっさり食べるようになった。少しずつ、そうやって変わってきている。

宇野港フェスティバルとオオキンケイギク

 日曜日は宇野港フェスティバルというものに遊びに行った。実は去年にも行った。去年は日記にどう書いただろうと確認したら、まるっきり書いていなかった。日記熱が低かったのだな。
 去年は陽射しがジリジリと照りつけ、大いにつらかった思い出があるのだが、今年は金曜日に降った雨のおかげで空気が冷えていて、とても過しやすかった。去年は矢も盾もたまらず屋台でかき氷を買ったけれど、今年はぜんぜんそんなことにはならなかった。店の売り上げもずいぶん違っただろうと思う。
 先日の総社の祭りに続いて、この祭りでもステージでバトントワリングの演技があった。行なっていたのは別の団体である。岡山にはけっこうな数のバトントワリング団体があるようだ。これが一般的なことなのか、岡山はわりとバトン熱が高い地域なのかは定かではない。
 演技は見応えがあった。いま思えば総社のステージには屋根があったので、だいぶ動きが制約されていたのかもしれない。今回のステージには屋根がなく、そのためバトンも飛ばし放題で、迫力があった。競技に足を突っ込んでいる立場として、研究する心もあり、全体のダンスを眺めるのではなく、ひとりの演者に注目して、特にバトン回しの指使いの部分を食い入るように注視した。その結果、なんか指で回すとかそういうんじゃなく、バトンはもうひとりでに回っているように見えた。すなわち、手首とかが神経レベルで微細な動きをして、きわめて小さな動きと力で、バトンの勘所のみを押さえ、華麗にクルクルと回しているのだった。す、すごい……、と思った。僕のバトン回しは、実に愚直に、バトンを回す手の動きをしてバトンを回しているのだけど、熟練者はバトンを、ただ持っているだけのようにして回すのだ。あれかっこいいなあ。あれできるようになりたい。近ごろバトンを飛ばす練習とかに入っていたけれど、まだまだ早かったかもしれない。もっと基礎練に励むべきだし、なによりその「バトンを回すともなく回す」基礎ができあがれば、それはもう明確に、「バトンをそれなりに器用に回す一般人」とは一線を画すことになるので、だからとにかくそこを重点的に努めようと思った。お祭りのバトンのステージで、こんなにも真摯にバトンへの思いを新たにした34歳の男がいたのだった。
 そのあとは、アトラクションでアクアボールというのをやっていて、ポルガは去年の夏くらいから、水上を巨大なボールの中に入って遊ぶこれを、ずっとやりたいと言っていて、いつかどこかでやらせてあげたいな、ということを思っていたので、待ち時間はそれなりにあったが、やらせてあげることにした。対象は3歳からだったので、ピイガも一緒に入ろうと思えば入れたのだけど、予想の通りピイガは「やらない」ということで、代わりに列に並んでいる時間でヨーヨー釣りなどをさせてあげた。そうして数十分待ち、ようやく順番が来て、ポルガがボールの中に入る。ボールの中に空気が充填され、水上に放たれたポルガは、なかなかに躍動していた。1年間の思いの丈を存分に発散させた3分間だったのではないかと思う。よかったよかった。
 それから屋台で焼きそばやらたこ焼きやら買って、テントで食べた。車なのでもちろんビールは飲めない。もっともビールが飲みたくなるような気候でもなかったし、そもそもこういう場でのビールはあまり好きではないので別にいいのだけど。
 そんな感じでなかなかに堪能できたお祭りだった。
 そのあと立ち寄った公園で、オオキンケイギクが群生していたので、中に入って写真を撮った。オオキンケイギクのいいところは、見栄えが良くてフォトジェニックで、しかも群生地に立ち入ってガンガン踏みつけても、なんてったって駆除対象の特定外来生物なので誰にも怒られない、というところだ。
 そんな、今から立ち入るぞ、という場面の写真。右手でピイガを抱えている。
 

 わざわざ珍しく写真をアップしたのは、オオキンケイギクのきらびやかさもあるけれど、先日作って「nw」にアップしたタブレット入れの、実際に使用している様を見せびらかしたかったから、というのもある。なかなかに気に入っているのである。しかしこうして見るとピイガの足がタブレットを入れているポケットに接近していて、いまさらながらおそろしい。
 そんな風にアクティブに過し、3時くらいにようやく帰宅。もちろん僕だけ寝る。1時間半ほども寝た。

日常乞食

 週末は平穏をテーマに過した。5月に入ってからの10日間ほど、やけにワタワタとしていたため、日常らしい日常を過そうじゃないかとなった。
 土曜日は、GWの前半に注文したファルマンの眼鏡をお店に取りに行った。1週間での仕上がりだったので、実は先週末あたりには出来ていたのだが、ワタワタのために遅くなった。新しい眼鏡は黄色くて大きくて丸い。僕の趣味だ。これは妻をかわいくする目的というよりも、僕がいまこの店で注文するとしたらこれだろうな、というセレクトである。もちろん目の悪さの質が違うため、共有することはできない。しかしもしもいま僕が使っている眼鏡が、ホームランボールとかで破損したらば、僕も同じフレームで注文するだろう。眼鏡がお揃いなんて、とても仲良しの夫婦のようだが、なんのことはない、一方に好みの強い主張があり、一方にそれが著しくないだけである。
 そのあとは公園に赴く。2年前くらいにいちどだけ行ったことのある公園で、園内に水深5センチもない小川が流れていて、足を浸して遊べるので、この時期にちょうどよいと思って行った。小川へは、ポルガは喜んで入り、ピイガは怖がって入らなかった。大人で入っている人はなぜかひとりもいなかったが、我慢できずに僕も靴下を脱いでズボンの裾をまくって入った。水温は思ったよりも低く、気持ちがよかった。他に遊具で遊んだり、もちろん僕はバトンを廻したり。
 帰宅して昼ごはん。焼きそば。
 午後になり、もういちどお出掛け。こんどは買い物。子どもたちの水泳用のタオルや、居間の蛍光灯なんかを買う。蛍光灯は、チカチカし出したわけではまだなかったのだけど、どう見ても明るさが落ちている感があり、もういっそ換えようじゃないかとなった。しかもこれまで昼光色だったのを、ファミリーがごはんを食べる空間なのだから、ということで、オレンジ色の電球色にした。家に帰って付け換えてみたら、雰囲気ががらりと変わり、とてもいいと思った。成功だ。
 そのあとは餃子作りに勤しむ。日常らしい日常と考えたとき、やっぱりスローフード的な発想があり、手数の掛かる料理をしようじゃないかと思ったのだった。もちろん純粋に餃子が食べたかったというのもある。ちなみにスローフードと言いつつも、皮は出来合いのもの。皮はやっぱりハードルが高い。その億劫ハードルはよほどの場面でなければ跳び越えられない。
 出来合いの皮でも十分においしい。これで出来合いの皮が、餡への情熱を台無しにするほど不味ければ状況も変わってくるのだが、別にぜんぜんおいしいのだ。そうしてホーム餃子を、家族でホットプレートを囲み、オレンジ色の光の中で食べた。日常メーターが上昇するのを感じた。
 翌日は雨がちらつく中、図書館へ。前回、GWに向けて家族で思いきり借りたら、ワタワタするばかりで読書はぜんぜん捗らず、たくさんの本を未読のまま返すことになった。なので今回は返却がメインで、それほど借りるまい、と思っていたのだが、気付けば結局、みんなで抱えなければならないほどの量をみんなで抱えていた。まあ図書館ってそういうものだよな。
 帰宅して、昼ごはんはみそラーメンと餃子。
 午後は家でのんびりと過す。僕はミネストローネの調理に勤しみ、野菜をとにかく刻んだ。昨日の餃子でもキャベツを刻んだし、とにかくそういうことをしたかったんだな、と思う。もちろん作業だけが目的ではなく、ワタワタした日々特有の野菜不足感があったので、それを挽回するためのミネストローネ、という意図もあった。10種類以上の材料を抱き込み、鍋いっぱいに作る。夕ごはんに食べたら、もちろんとてもおいしかった。
 そんなわけで、躍起になって、というレベルで日常を過した。その甲斐あって、平穏な日常への飢えが解消した。なんでもない日ばん(ず)ざい(ん)!

GW後半の後半

 こどもの日。GWは明日まであるが、1日を休息日とするため、ファルマンと子どもたちは今日に岡山に帰る。ポルガは朝に姉一家から返却された。姉一家は本日、こどもの国だという。こどもの日にこどもの国。さぞ混んでいることだろうと思うが、混雑なんてこちらで生きる人間にとっては大前提みたいなものなんだと思う。ポルガを送り届けてくれた玄関でお別れする。次に会うのはたぶん年末年始。
 新幹線は14時台の便なのでのんびり。こどもの国ではないが我々も公園とかに行くか、と思うが、ポルガがいつもの感じで若干グロッキー気味なのと、子どもたちに公園を持ちかけたら「行かない。Wii fitする」と即答されたのとで、実現せず。家で過ごす。子どもたちは自宅にゲーム機がない子特有の感じで、よそへ行ったときのゲームへの執着がすごい。まあそれくらいの距離感がいいんじゃないか、という気も実際する。
 焼きそばの昼ごはんを食べたあと、新横浜に向けて出発する。もちろん僕は新横浜までついていくので、母に一家であざみ野まで送ってもらった。
 新横浜では、明日に岡山で落ち合うというファルマンの両親や祖父への横浜みやげを買ったり、別れを惜しんだりする。それから、当初は改札前までのつもりだったが、改札内への入場料が140円だというので入ることにし、ホームまで行った。そしてやってきた新幹線に、妻と娘だけが乗り込み、僕は窓から見える家族に手を振った。とても珍しく、面映ゆい経験だった。
 見送りを終えたあとは、タブレットを駆使し、近くにある手芸屋を検索したところ、ペペの中にトーカイがあったのでそこへ行き、必要としていたものを買う。ひとりで、新横浜で、タブレットで店の位置を調べ、買い物をした、と思った。普通の人にとってはなんでもない行動のような気もするが、なんとなく感慨深かった。
 それから再び市営地下鉄に乗り込みあざみ野へ、とは実はならなくて、今回の日程が決まったときに、これは千載一遇のチャンスだと決行することにした「思い出散歩」をするため、ひとつ前の中川駅で下車する。そして、通っていた中学校、通っていた小学校、幼児期から小学校卒業まで住んでいたコーポ、ラジオ体操をしていた寺、よく遊んでいた公園、「友達ん家」がたくさんあった住宅街、そして通っていた幼稚園などを巡って歩いた。歩いてみたら、これが徒歩で1時間かからない位置関係にあるのだった。地元意識というものが稀薄な僕だけど、この一帯というのは僕にとって紛うことない地元なのだな、と歩いてみて判った。3歳くらいから15歳まで、僕は大体このあたりで生きていたのだ。人生中の悲喜こもごものほとんどがこのあたりで行なわれたのだ。当時と変わった場所もあれば変わっていない場所もあり、とても愉しく、した甲斐のある散歩だった。
 とは言え快晴のポカポカ陽気の下での徘徊である。汗だくになり、大いに疲弊した。実家に帰って、すぐにシャワーを浴びる。そして着ていたものを、帽子を含めてすべて洗濯してもらう。実家に3泊した後の出張3泊、というのが、荷造りをするにあたり大いに頭を混乱させたのだけど、なんのことはない、着替えは3日分きりでよかったのである。キャリーケースの中はすべて清潔、という状態にすることができた。実家は便利だ。
 妻と子どもが帰ったため、実家は祖母と母と叔父と僕という、なにも華やぐ部分のない、壊滅的に陰鬱なメンバーとなり、そうなると晩ごはんも煮物とかになった。まあ煮物とかになるよな、と思った。
 夜、姉にLINEで、思い出散歩で撮影した写真を何枚か送る。姉ももちろん共通の思い出を有しているので、いい反応だった。LINEによって実に姉と語らいやすくなった。こういう距離感の相手にはLINEは有効なのだなー、と思った。
 翌日はGW最終日にして、出張前の移動日である。移動そのものは、東京駅から夕方に発車する便に乗ればいいため、時間はたっぷりあった。午前中から都内に繰り出し、地方都市では満たされないあれやこれやをしよう、という野望もあるにはあったが、地方都市では満たされないあれやこれやってなんやねん、という気持ちもあり、実際さほど浮かばず、調布にあるという武者小路実篤記念館に少し興味があり、そこへ行って、そのあと新宿の大きな手芸屋に行くというコースを考えたりもしたが、昨日の新横浜で手芸グッズは手に入ってしまったので(新宿への思いを断ち切るためにわざとそうした面もある)、荷物が重たいこともあり、まあ別にいいか、となる。それでも本当に東京駅に直行だと、あまりにも自分がつまらない人間であるように思えたので、池袋にだけ出てみることにした。叔父は午前中に広島に向けて帰り、僕は祖母と母と3人で天ざるの昼食を済ませたのち、出発する。山手線は使わず、渋谷から副都心線で池袋へ。2012年に島根に移り住んで以降、練馬に行くときとかに通過したことはあったかもしれないが、降り立ったのは初めて、つまり6年ぶりの帰還だった。かつてはこの駅舎の中で働いてさえいたのだよな、と地下のコンコースを懐かしく思いながら歩いた。そして歩いていたら知っている顔があったのでとても驚いた。かつて、まさにこの駅で働いていた時代に同僚だった、ひとつかふたつ年上の男性だった。彼はいろんな店舗に配属したのち、また元の店に戻ってきていたのだった。しかしこうして気まぐれで歩いていた駅の中ですれ違うなんてミラクルと言っていいだろう。6年ぶりの再会に、お互い大いに盛り上がり、1時間あまりたっぷりと話し込んだ。なんとなくサンシャインのほうにでも行ってみるかなー、くらいに考えていたので、それよりもとても有意義に時間を過ごせた。そして、たぶん普通の流れならLINEを交換するところなのだろうが、そうはせず「またいつか」と言って別れた。
 それから丸ノ内線で東京へ。新幹線の時間まではまだ少し余裕があり、改札を通る前に地上に出て東京駅周辺の街並みでも眺めようかなー、などとも思うが、キャリーケースを引いていることもあり、よす。よしてよかった。「新幹線のりば」という改札を通ったはずなのに、新幹線乗り場にはなかなかたどり着かず、改札の中にひとつの街があるかのように道は続き、ぜんぜん時間に余裕がなくなったのだった。東京こわい。あまつさえ、先ほどたしかに「新幹線のりば」という改札を通ったはずなのに、その中にもういちど「新幹線のりば」という改札があり、頭がくらくらした。近くにいた駅員に、俺はこれをもうさっきいちど通したのだけどここも通るのか回収されてしまわないのか、と訊ねたら、その質問を田舎者に1日2万回くらいされるのか、駅員は「だいじょぶでーす」と無感情で答え、そうしてなんとか2度に渡る改札通過を経て、乗り場にたどり着くことができたのだった。
 そこで今年の僕のGWは終わったような感じ。今も自宅じゃないので、なんとなくそれが続いているような感じもあるが、なんだか不思議な日々だった。

GW後半の前半

 3日の午前に帰省した。2日は天候が荒れて、ポルガの遠足が中止になったのだけど、3日もそれが引き続いていて、最寄り駅に行ってみたら在来線が遅延していて、新幹線の発車時刻に対してどぎまぎした。GWの、ひと月前の予約開始時にやっと取ったチケット、指定席を失ったらつらすぎる。結局なんとか間に合い、事なきを得た。
 新横浜で下車後、いつものようにあざみ野駅まで母に迎えに来てもらい、実家にたどり着く。昼ごはんは家で食べた。家には祖母と叔父もいた。
 今回の帰省は2泊3日であり、なるべく堪能しようと考えていたが、いざ来てみたら、移動日の午後にアグレッシブにどこかへ出掛ける気にもならず、結局だらだらと、なにをするでもなく過ごした。途中で僕とファルマンだけで出て、電器屋に赴き、母の日のプレゼントとして実家用の無線LANの装置を買った。これまで実家にはそれがなく、母自体はそこまで必要としている感じはなかったのだけど、なにしろファルマンも僕もタブレットを持つようになったので、母の日にかこつけて購入し、設置した次第である。これにより実家でパソコンに頼らずともネットが自由にできることになった。1年間で5日ほどだけ便利になった。よかった。
 夕方になり、義兄と姪と甥がやってくる。正月から5ヶ月しか経っていないので、さすがの子どもたちでもそれほどの変化はない。姉は、なんと安室奈美恵のコンサートに行っているとのことだった。それまでそうでもなかったくせに、引退発表以降、急にファンになったそうである。姉らしいことだ。晩ごはんはド定番の手巻き寿司。それなりの人数が食べる献立として、とにかくそれが楽なんだと思う。もちろんおいしかった。
 次の日は、今回の帰省のメインイベントとして、祖母の卒寿の祝いをする。僕の出張によって夏ではなくGWの帰省にすると母に伝えたら、今年は祖母の卒寿の祝いをする計画があり、お盆は祖母は山梨に居がちなのでGWならば逆にちょうどいい、という話になり、それで本来ならばさすがにGWには顔を出さない叔父も召喚されて、一族で集まって祝うことになったのである。これにあたり、姉とプレゼントのことを話し合うともなく話していて、でも祖母にはもう物欲などあまりなくて(当然だろうとも思う)、なににするかまったく思い浮かばず、準備しないまま当日を迎えた。それで結果的に、豪華な花束ということになった。物を欲しがらない人へのプレゼントとして、花束の救いったらない。この世に花束というものがあってよかった。
 お祝いは港北ニュータウンの、ちょっとリッチな中華料理屋で行なわれた。ちなみにランチである。個室で、円卓で、回転台で、おお、と思った。とてもちゃんとした、お祝いらしいお祝いの席なのだった。料理はもちろん美味しく、祖母も喜んでいた。それはそうだ。卒寿の祝いを、子と、孫と、ひ孫にしてもらったら、それは嬉しかろうよ。
 お祝いを終えて帰宅したあとは、子どもたちがNintendo switchなどをするのを眺めながら、のんびりとした。もちろん僕は眠りもした。ちなみに言えば昨日だって夕方に寝た。日中に行動をして、帰宅後に夕飯まで時間があれば、僕はまず寝る。寝ないと持たない。昼が豪華な中華で、まだそれほどお腹がすいていなかったので、晩ごはんはつけ汁に多少の肉や野菜を入れた素麺を提案し、採用される。それをまた一族で食べた。無事に卒寿が祝えてよかった、という1日だった。夜はポルガが姉一家の家にお泊まりした。

GW前半

 GWである。まずは3連休である。晴天である。
 初日の昨日は、とりあえずカラオケに行った。好天を謳っておきながらカラオケか、という話だが、天候とカラオケの機運は関係ないのだから仕方ない。唄ったのは、「宙船」(TOKIO)、「やさしさに包まれたなら」(松任谷由美)、「草原のマルコ」(大杉久美子)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)、「薔薇は美しく散る」(鈴木宏子)、「Ob-La-Di, Ob-La-Da」(ビートルズ)、「民衆の歌」(ミュージカル「レ・ミゼラブル」より)、「誰がために」(成田賢)、「流動体について」(小沢健二)、「魔法のマコちゃん」(堀江美都子)、「君は薔薇より美しい」(布施明)という11曲。けっこう唄ったな。「宙船」は小室哲哉に続く時勢シリーズで、もちろん山口メンバーの事件を受けての歌唱。歌詞がやけに突き刺さった。「母を訪ねて三千里」「ベルサイユの薔薇」「魔法のマコちゃん」は、前回も唄った「サイボーグ009」と同じで、それぞれアニメにはなんの感慨もないのだが、借りたCDでテーマソングを聴き、気に入ったので唄った。特に「魔法のマコちゃん」は、歌の朗々とした雰囲気と最期のセリフのギャップがおもしろく、友達グループでのカラオケで唄ったらば相当にウケるのではないか、今度やってみよう、と思った。あ、間違えた。来世やってみよう。「Ob-La-Di, Ob-La-Da」では、今回とうとうカラオケにバトンを持ち込んだので、左手でマイクを持って唄いながら、右手でバトンを回すという芸当に挑戦してみた。難しかったが愉しかった。これも来世で友達相手に披露したいと思う。
 カラオケのあとは図書館といういつものコースを経て、それから公園へ。以前にいちどだけ行ったことのある公園で、瀬戸内海らしさがよく出ていて愉しい場所。GWでいい天気なのだから、やっぱり公園に行かないわけにはいかない。堪能する。ピイガが、ファルマンにシロツメクサでブレスレットを作ってもらい、喜んでいた。ピイガはそういうものを与えると、「うふ」という感じの表情になり、写真撮影を求めてくるので、女の子だ、と思う。ファルマンも、「初めてシロツメクサで娘が喜んでくれた……」と感慨深げだった。その間、ポルガはちょっと大きめの岩にひたすらよじ登っていた。ピイガが激しく女の子らしいせいもあるのか、このところのポルガの男子っぽさには磨きが掛かっているような気がする。そのあと100均でこまごまと買い物をし、スーパーに寄って帰った。
 帰宅がもう4時になんなんとする時刻だったので、これは昼寝をする時間がないなあと思ったが、それでもやっぱり辛抱たまらなくなったので、30分ほど寝た。短時間でも合間合間で寝ることができる。芸能人になればよかったかもしれない。
 芸能人なので、晩ごはんは焼き肉にする。GWということで、スーパーもそういうメニュー提案が目立った。目立ったのでまんまとカルビ肉を手に取ったのだった。そして家族でホットプレートを囲み、食べた。焼いた牛肉にタレを付けたものは、もちろんおいしい。でも椎茸や玉ねぎも、それに勝るとも劣らないほどにおいしい。子どもの頃、椎茸ってあんまり食べなかったな。おいしいと全く思わなかった。味がせず、ぐにゅりと嫌な感触がするものだと捉えていた。どういうことだろう。舌のどこかが途中で開いたのだろうか。脳細胞がひたすら死滅してゆく人生において、舌の細胞は鋭敏化してゆくのだろうか。なぜだろう。
 2日目の今日は、事前に子どもたちに、「GWにどこか行きたい場所はあるか」ということを訊ねたら、「おはなばたけ!」という答えが返ってきて、まあウチの子は行きたい場所を訊ねたらお花畑と答えるのか、とちょっと感動したので、それならばとネットで検索をし、総社でれんげ祭りというのが開かれるという情報を発見したので、そこへ行くことにした。総社は岡山の左上、倉敷の真上あたりの市で、そう離れてもいないのだが、これまでいちども改めて訪れたことがなかった。そういう意味でもいい機会だった。移動所要時間が読めなかったことと、なんとなく張り切ったこともあり、祭りが始まる前の9時台に会場に着いてしまう。ステージはまだ無人で、テントやブースなどでは関係者が集合し、ミーティングのようなことをしていた。仕方ないので周辺をブラブラする。備中国分寺という、五重塔が有名な寺院の周辺が会場なので、その五重塔を眺めたりした。肝心の花はどうしたのかと言えば、れんげ畑なんかはどこらへんなのだろうな、とさまよっていたら、すれ違った地元民っぽい人たちが、「今年はれんげがぜんぜん咲いてなくて残念だけど」と会話をしているのが聴こえてしまい、マジか、となった。お花畑という希望において、れんげというだけでそもそも若干の地味さがあったというのに、しかもそれが咲いていないと来たもんだ。残念としか言いようがない。それでも祭りそのものは、段ボール迷路で遊んだり、綿菓子やかき氷を食べたりと、それなりに堪能できた。さらにはステージではバトントワリングの演目があり、もちろんそれは下調べ済みで、研究のためにぜひ観たいと思っていたので、観られてよかった。中学生から高校生くらいの少女たちによるバトンの演技は、体が軽そう、という一言に尽きた。バトンを指先で回すこと自体は、僕も彼女たちにそれほど引けを取らないのではないかと思うが、飛び跳ねたり回ったりという、その動きがどうしたってできない、昨日のカラオケで「Ob-La-Di, Ob-La-Da」を唄いながらのそれを、ファルマンが動画で撮ってくれたのだが、それのズベッとした感じと言ったらなかったわけで、あの躍動感が僕には決定的に欠けているのだな、と強い陽射しを浴びながら思った。しかしそれは一体、今後どうすれば身に付くというのか。そして身に付ける必要があるというのか。そんな課題も見つかりつつ、祭り会場を後にする。早く来て、早く帰った一家だった。
 そのあとはアリオ倉敷へ。このところ大規模なリニューアルをしたらしく、けっこう変わっていた。そしてここもGWということで、いろいろとイベントをしていた。アリオと三井アウトレットの間の広場で、一方ではヒッピーやフェスっぽい文化のイベント(テントなんか建てていた)、もう一方ではジャンプのアニメの声優によるトークショーなどが行なわれていて、なかなかに混沌としていた。まあ混沌としているということは、活気があるということに違いあるまい。どちらの文化にも縁のない我が家は、ファルマンの新しい眼鏡を作ったり、このたびのリニューアルで新たにオープンした手芸屋で買い物をしたりして、粛々と用件を済ませた。あ、あともちろん日本最西端のコージーコーナーのシュークリームも買う。
 そして帰った。今日は昨日よりも早い、2時ごろの帰宅だったので、しっかりと昼寝する。陽射しをたくさん浴びたあとのしっかりとした昼寝の心地よさ。起きたら、僕以外の3人は平然と起きて暮していたので、いつものことながら、なんかびっくりした。体力オバケか、と思う。
 晩ごはんは、焼き肉をしたあとの常として、肉や野菜が半端に余ったものがあったので、それを細かく刻み、そばめしにした。さらにそれを玉子焼きで包み、オムそばめし。祭りの会場でビールが飲めない(飲みたいなー、と思わなくもないのだが、ああいうところのビールってそんなにキンキンに冷えていないので、飲んだところでおいしさはそれほど得られず、だるさだけが残るのは解っているのだが、それでも欲求はかき立てられる)悔しさを一気に晴らす、ソース味が絶妙なトスを上げての、強烈なスマッシュのようなビールだった。とてもおいしかった。
 このように2日間、それなりに活動的だったので、明日はのんびりと過す予定。ハンドメイドをしたり、人生ゲームをしたりするつもり。

とてつもなきのんびり

 9時過ぎまで寝る。休日の遅寝って、「人生の喜び」で野球チームを編成するとしたら、どの時代でも必ずスタメンに名を連ねると思う。打順は5番か6番あたり。派手さはないけれど、チームの屋台骨であり、逆にそいつ自身がチームそのものである、と言ってもいいほどの価値がある。また4月なので本当にいい。まだ寒いときがあるので、しっかり目の羽毛布団が出ていて、それを気温に合わせて、体をしっかり覆ったり、脚だけ出したり、腹にしか掛けなかったりして、快適さが自由自在。ペナントレースが始まったばかりの休日の遅寝の調子の良さ(ただし夏場に差し掛かると一気に崩れる)。
 先週のタブレット狂騒から一転、今週はなんの外出予定もない。ピイガが幼稚園の1週目を終えたばかりということもあり、静かに過すことにした。
 午前中に、僕と子どもたちだけで、自転車でお出掛け。近所のドラッグストアや、公民館などへ行く。ドラッグストアではボディーソープを買った。自分用の、男性用のボディーソープ。これまでは乾燥の季節ということで、保湿系のものをみんなで使っていたのだけど、気温が上がってきて、そういうわけにもいかなくなってきた。そして僕はひとり、男の脂を落とすぜ的なものを使うということになると、自然と娘たちと風呂を共にするのが億劫になってきて、こうして父親というのはひとり女家族から分断されていくのだな、と思った。
 昼ごはんは今年初の冷やし中華。きゅうりがばら売りされていれば、ファルマンらのために1本だけ買って載せてやったのだけど、3本くらい入った袋でしか売ってなく、それだとサラダの習慣のないわが家では絶対に腐らせ、野菜室の中に濁った液体が垂れるので、全員しゃきしゃき感のない冷やし中華になった。それ以外の具も、冷やし中華というメニューがその場での発案だったので、肉方面は刻んだハムだったりして、ちょっとぼんやりとした仕上がりになった。今度はきちんと、鶏ささみをほぐしたものとか、あるいは煮豚とか、そういうのでおいしく作りたい。
 午後はハンドメイド。ピイガの幼稚園の真っ白の座布団カバーを、デコる。もちろん入園前にやって、持って行っていたのだけど、家にあったちょっと古いアイロン接着のフェルト飾りを着けたら、もうだいぶ粘着が弱まっていたらしく、あえなく外れたとのことで、改めて作業をしたのだった。かわいらしく仕上がり、満足。ちなみにヒットくんの影も形もない。ピイガはヒットくんに対してそれほどの執着はない。愛着はそれなりにあるんだろうが、姉のごとき執着、愛執みたいなものはない。この段落で、接着、粘着、執着、愛着という熟語を使った。だからなんだという話だけど。
 おやつは焼き芋。細身のさつまいもをオーブントースターに入れ、低温でじっくりと焼く。結局これが、既製のプリンやケーキなどより、いちばん子どもの反応がいい気がする。親としても与えていて安心感がある。
 そのあともハンドメイド。今度も座布団カバーなのだが、こちらは自宅用。春休みの島根帰省の際、実家の大掃除で出た不要品のひとつに座布団があり、わが家にはそれがなくて微妙に困っていたので(でもわざわざ買うのもなんだし)、もらって帰ったのだった。そもそもはおばあさんが購ったものらしく、けっこういい物なんだと思う。ちゃんと厚みがある座布団だ。そのカバーを作った。作ったと言っても、1辺はワなので、もう2辺をガーと縫い、ひっくり返して、袋状になったところへ座布団を入れ、口の部分は本当になんの処理もせず、長めに取った布を内側に折り込むだけという、とても手抜き仕様。四角くて平たいもののカバーって、逆にそれよりも簡単に作れる形状のものなんてないだろ、というくらいに単純で簡単。「nw」に更新するほどのものでもない。
 晩ごはんは、チルドのピザを店で見かけ、子どもたちが食べたいと言うので買い、ピザを中心にしたメニュー……、としばらく考えた結果、ぜんぜんいい案が浮かばず、いっそピザのことは無視してしまおうということで、あとは炊き込みご飯と豚汁を作った。それとピザ。両チームが呼応することはまるでなかったけど、邪魔もせず、まあ別にいいんじゃない、という感じの口の中になった。
 そんな感じの休日だった。

タブレット生活はじまる

 タブレットが届く。同時に、プラスチックの透明ケースと、保護フィルム、そしてキーボードも届く(もちろん抜かりなく、タブレットのミニUSBの挿し口を普通のUSBの挿し口に変換するものも買った)。これによって僕のタブレット生活が開始した。


 あと脚のあるタブレット台も注文したのだけど、それはまだ到着していない。そのため前に100均で買った、ただ立てるだけの器具をいまは使用している。
 キーボードは、届いてから気付いたが、箱に「Windows用」と書いてあって、うわあ大丈夫かな、と危ぶんだが、なんということもなく使えた。ワードはもちろん、ブログの編集画面や、LINEでも使えた(ただし送信ボタンだけは画面上のものを押さなければならない)。よかった。試しに画面上のキーボードも使ってみたが、慣れていないということももちろんあるのだろうが、やっぱり不快感が強く、キーボードを買ったのは正解だったとしみじみと思った。
 ファルマンはこのスタイルを見て、「お願いだからノートパソコン買って~」と、ザ・パンチのノーパンチ松尾みたいな感じでツッコんできた。いや、大抵のノートパソコンはキーボードが平たくてきちんと押せないので、その点でもこのスタイルのほうがよほど優れていると思う。とにかく押してへこむキーボードでなければならない。ちゃんと厚みがなくてはならない。だから店頭でじっくり吟味し、これぞというものを選んだ。これでもテンキーはさすがにいらないな、と思い、その分コンパクトなものを選択しているのである。ごらんの通りタブレットよりもキーボードのほうがはるかに大きいのだが、でもそれは当然だと思う。キーボードはふたつの手のひらよりも大きくないといけないのだから。
 初めてのタブレットだというのに、キーボードの話ばかりしてしまう。中身に関しては、画像のきれいさとか、容量とか、速度とか、そういうのは特に問題ないのだけど、やっぱりどうしたってパソコンではなくスマホの仲間なわけで、デスクトップにプログラムがあってウィンドウを開く、というのとは仕組みそのものがちょっと違う感じがあり、その部分にまだ頭が追いつかない。要するにアプリというものの概念が、僕はまだ理解できていないのだと思う。また指で直感操作する簡便さ、と言うけれど、マウスがあって、左のクリックと右のクリックがあるという、そっちのほうがよほど簡便じゃないか、と思う。マウス愛しい。こういうことを言うとまたファルマンがノーパンチ松尾になるので、ここらへんでよすけれども。
 まあしかし、やっぱり便利だと思う。自由に持ち運べて、いい感じのカメラが付いてて、ネットに繋がってるということは、なんか生活の中で「これはいい」と思ったものを、すぐ写真に撮って、すぐウェブ上に記録できるということじゃないか。なにそれ便利じゃん。気軽じゃん。すごいじゃん。

この週

 日記を書く間が空いた。6日も空いた。拡散後、これは初めてのことである。出発前夜に「BYAPEN」に書いたが、出張的なことをしていた。そのせいである。
 出張そのものは3泊4日で、水曜日の夜には家に帰ったのだけど、そうそうすぐに日記を書けるわけではない。ツイッターじゃねんだから。しかし出張はこれからも散発する様子なので、とうとう僕もまたタブレットの購入へと心が傾いている。ファルマンと同じで、決してスマホにはしないが、ポータブルパソコン的な意味合いで、タブレットがあるといいじゃないか、となった。今回、3泊4日の出張にあたり、荷物の中に本を3冊入れていったのだが、行きの車中で2冊と1冊の8割(短編小説集のあと残り1話)までを読み終えてしまい、けっこう困ったのだった。もちろんタブレットで小説を読むわけではないが、タブレットがあれば文章を作成したり、なんかいろいろできるようなので、あると断然いいと思った。さらに言えば、出張先で交流を持った目上の人から、「LINEはやっているのか」ということを問われ、僕を除いた集いのメンバーでグループLINEというのが組まれたようなので、そういう点からも必要性が生じた。ファルマンも幼稚園での保護者間の伝達手段としてLINEを始めなければならない状況になり、タブレットを持ったわけで、僕はそれを傍らで眺めながら安寧とした気分でこれまでいたのだけど、とうとう僕の所へもその風は吹いてきたのだった。というわけで、タブレットを持ち、LINEを始めることについては、もうあきらめがついた。しかし先ほども言った通り、あくまでポータブルパソコンとして、必要に迫られて、足を踏み入れるのである。その注釈によって一体なにが救われるというのか、と思われるかもしれないが、この切々とした言い訳によって、ようやく守られる一閃の矜持というものがあるのである。解ってほしい。
 そう言えば日曜日の午後に移動をし、夜に当地へ着いて、その夜中に島根県で震度5強の地震が起り、岡山でも震度4を記録したのだった。遠く離れた地にいた僕は、もちろんそんなことなどつゆ知らず、朝までぐっすりと眠っていたわけだけど、ファルマンはさぞや心細かったことだろうと思う。なにもとてつもなく珍しく出張なんかした日の夜に揺れなくたっていいだろう。あまりのタイミングに、東日本大震災の際、あのときの大相撲の三月場所というのは度重なる不祥事によって開催中止になっていたわけだが、それに関して「力士が四股で大地を踏まなかったから地震が起ったのだ」ということを誰だったかが発言し、それはもう大いにバッシングされた、というエピソードを思い出した。そのくらいのタイミングだった。
 そんなこんなありつつ、本日金曜日は、ピイガの入園式だった。労働を半休にし、もちろん参加する(今週は木曜日しかまともに職場に行かなかった)。3年前はポルガの入園式に、1歳のピイガを抱っこしていったわけだが、今回は3人きりである。天気はよく、気温もほどほどで、行動しやすい日柄だった。これまで体験入園を何度も経た甲斐があり、ピイガは1年前からは考えられないほど入園に対して前向きになり、今日という日をとても愉しみにしていた。やっぱり1月生まれということもあり、年中からの入園でちょうどよかったね、と夫婦で語り合った。式は、主に年少児が阿鼻叫喚の有様で、(こ、これの世話をする仕事だと……?)と幼稚園の先生のことを畏怖する気持ちが湧いた。うちの娘はお利口にしていた。3年前、ひとりで壇上に立ったり、教室では車座に椅子が並ぶ中で唐突に中央の空間にダイブしたりした、不思議な子どもがいて、入園式と言えばその印象が強いのだけど、次女はそんなことしなかったので安心した。もっともピイガがそんなことしなかったことに安心する気持ちよりも、他のどの幼児もそんなことはしなかったわけで、翻って長女の人間性への不安が募った。しかしそれはそれとして、無事に入園である。週明け、月曜日から幼稚園児としての生活が始まる。つまりわが家から、家にずっといる小さい子がいなくなるのである。これまで7年間、それが続いていたので、なんかこれってすごいことのような気がする。僕はそこまででもないが、ファルマンの感慨はひとしおだろうと思う。掛かりっきりの子育てはこれでひと段落なわけで、いたわるべきなのかもしれない。おつかれさまでした。

ファルマン35歳

 4月3日はファルマンの誕生日ということで、お祝いをする。ど平日である。そのため誕生日パーティーながら、料理やケーキは本人にやってもらうほかなかった。長らく冷凍庫の中で眠っていた手羽元があったので、それで唐揚げ的なことをすればいいんじゃないかなー、とぼんやり考えていたのだが、ぼんやりすぎて意思を伝えるのをすっかり忘れていて、月曜日に煮物で使われた。大根と一緒に醤油味で炊かれた。結果的に誕生日の夕餉のメニューは、ハヤシライスになった。誕生日、っぽい、のかな、まあ、どことなく。
 子どもたちは大いに張り切っていた。労働を終えて電話を掛けたら、「帰ってきたら台本を渡すからね!」とポルガに言われた。だ、台本……? となるが、帰宅したら本当に渡された。

  (ポルガ) おたんじょうびおめでとう!
  (みんな) おめでとう!
  (ピイガ) プレゼントをわたします みなさんじゅんびをしましょう!
  (みんな) はいっ(じゅんび)
   (パパ) ケーキのとうじょうです。(はくしゅ)
  (ポルガ) クラッカーようい! (パーン)
  (ピイガ) おかあさん ろうそくをふきけしてください。
   (パパ) そしてまえにでてください!
  (ポルガ) (せきばらい)きょうからなんさい?
(おかあさん) 35さい!
  (ピイガ) ではケーキをたべます!
   (パパ) おいしくつくりました!
                                  おわり

 これを、ポルガ、ピイガ、そして僕用に、3部わざわざ手書きで紙に記し、各自に配布していた。ポルガのさすがさが出たな、と思った。
 ハヤシライスを食べたあと、ケーキを出し、台本通りの寸劇をして(なぜか比較的長セリフのピイガが進行を滞らせる一幕はあった)、歌を唄い、クラッカーを鳴らし、ケーキを食べた。
 つい最近、1週間をひとりで過したから、なお強く思うのだと思うが、これ以上のものはないと思う。ポルガの挙動に対して若干の狂気じみたものを感じつつも、親の誕生日を子どもたちが張り切って祝ってくれるという、それ以上のものなんてない。
 かくしてファルマンは35歳。節目だし、四捨五入で言えば分岐点でもあるので、けっこう感慨深いかと思いきや、意外とそうでもないな。年齢って体重と一緒で、数字の多寡は問題ではなくて、大事なのはその組成の質なのだよな、と最近になって思うようになった。こんなことを思うようになったということは、もう若くなくなったということに違いない。いやそんなことはない。俺は四捨五入したら30歳、ファルマンは40歳だもの。少なくとも俺はまだまだ若い。9月20日までの約半年、これをすごく言い続けようと思っている。

迎え花見

 無事に妻子が帰ってくる。と言うか迎えに行った。前回、すなわち去年の夏の帰省のときと同じ、あっちは島根から、こっちは岡山から、それぞれ車を出して、やまなみ街道内の道の駅で落ち合うパターンを取る。前回は世羅だったが、今回はもうひとつこちら寄りで、御調(みつぎ)となった。御調はもう尾道市内ということで、本当に近いものだった。御調にした理由は、タイミング的にどうしたって花見をしないわけにはいかなかったので、桜のある所を検索して、そうなった。道の駅に併設された公園に桜並木があるとのことだった。
 到着したのは僕のほうが早く、道の駅も、公園も、桜並木も、想像以上にこじんまりとしていて、これは失敗したかな、と思った。しかし結果的には、義父が足を痛めていたりして、あまりに広大な場所では困ったろうということで、コンパクトさが吉と出た。人もそんなにいなかったし。
 1週間ぶりに妻子の姿を見て、とてもホッとした。別に外見的に変化があったわけではなく、出発前の姿そのままで、ひとりのときだって脳裏に思い浮かべることはできたわけだが、でもやっぱり実体というのはそういうVRとはぜんぜん別物なのだった。ひとつ前の記事でも書いたが、今回はそのことをやけに痛感した。文章や画像というのは、本物の代替にはなり得ない。それは本物と接して得られる感情とは、まったく別の感情に作用するものなのだと悟った。
 こじんまりとした桜並木の、それでもいちばんよさげなスポットにレジャーシートを敷き、花見の態勢を整える。こちらは向こうよりも1時間ほど短い道程であり、朝に余裕があったので、焼きそばと炒飯を作って持ってきたのだった。縁日で使われるようなプラスチックの使い捨てケースをわざわざ買って、それぞれ6パックほど仕立てた。食べものを詰めたパックに輪ゴムを掛け、重ねた姿は、途端に売り物感が出て、それぞれ1パック350円くらいで売れそうだな、と思った。それを折り畳みテーブルの上に並べ、義父母や、車に一緒に乗ってきた三女らと囲んで食べた。そしてこれも家から冷やして持ってきたオールフリーを飲んだ。おいしかったし、暖かかったし、桜はきれいだったしで、希求していたものが充足した感じがした。張り切って準備してよかった。
 食べたあとは、これもちゃんと準備してきたバドミントンセットや縄跳び、ボールなどでしばし遊ぶ。もちろんバトンも披露した。ほどほどに「おー」という感触は得られたが、「ちょっと廻させて」と言って手に取った三女が、それなりにクルクルと廻しやがり、なんか基本的に運動神経のいい快活なタイプの人間って、急に与えられた棒を器用に扱ってみせる向きがあるよな、と思った。そういうタイプの人間じゃないこちらが、数ヶ月かけて到達した階梯に、さらりと行ってしまう感じ。もっともこちらが「たった数ヶ月」しかバトンの練習をしていないのに対して、向こうはもう20年以上、運動神経のいい快活なタイプの人間を続けているわけで、重ねた年月で言えばあっちのほうがよほど長いのだとも言える。
 そんな風にして花見と公園遊びを満足いくまで堪能し、解散となる。互いの車の、載せてきた荷物を交換し(こちらからもファルマンのこれまで使っていた椅子を引き取ってもらえることになったので載せてきていた)、そしてファルマンと子どもたちは車を乗り換えた。
 帰宅したのは3時ごろ。僕としては本当に、ドライブがてら花見もするか、くらいの感覚で、とても楽だったし愉しかった。子どもたちが舞い戻って来て、家は再び喧しく、そしてあっという間に散らかったが、あまりにも静かなのってぜんぜん良くなく、気持ちが沈むばかりで、そのことに気づいた週の後半からはずっとテレビを点けっぱなしにして過したりしていたので、うんざり感などはぜんぜんない。いまのところはまだぜんぜんない。

春のひとり暮し

 普段の生活の喧しさにうんざりし、夏や春にこうして妻子が1週間帰省するとなると、それはもう小躍りしながら「いってらっしゃい♪」みたいな気持ちになるのだけど、いざひとりでの暮しの中に身を置いてみれば、ひたすらに寂しさが募り、延々とウェブアルバムを眺めたりしてしまう。喰い貯め、寝貯めができないように、家族との触れ合いによる充足感みたいなものもまた、貯めることなどできないらしい。と言うか、人間の生理において貯められるものなんて果たしてあるのだろうか。若干の脂肪くらいのものではないのか。脳がいくらか大きいところで、そこは結局のところ他の動物と一緒なのだと思った。
 食事は、初日にごはんを2合炊いて、お弁当にも使ったが余らせてしまい、次は1合半にしたが、それでも余らせたので、なんかもう嫌になり、その2回以外は炊いていない。そして蕎麦やスパゲッティを食べた。あと職場のおばさんに「ほうれん草はいるか」と訊ねられたので、ここぞとばかりに「いま妻子がいないもんで……」とアピールをしたら、そのやりとりの2日後にちらしずしをくれた。薄味で、醤油をかけて食べたが、おいしかった。「今週ろくに野菜を食べてなかったから、根菜がたくさん入っててありがたかったです」と次の日にお礼を言った。おばさんのポイントをいたずらに稼ぐ。一種の親孝行みたいな行為だな。
 帰宅して、子どもに惑わされない分、悠々と過せるような気がしていたが、ごはんの準備や後片付けなど、普段はやらずに済んでいることもだいぶあるのだと悟った。そんなことはこんな機会にまみえなくても悟っておくべきだと思いますけども。
 また、帰宅しても家に誰もいない寂しさから、労働が終わったあと、ほぼ車のなくなった会社の駐車場で、居残りのバトン練習をしたりもした。最近になり、とうとうバトンをちょっと投げる段階に入りかけていて、そうなるとどうしたって広い屋外でやる必要があるのだった。夕暮れ時、陽がぼつぼつ沈むような時間帯に、バトンを何度も落としながら練習を繰り返していると、「ひたむきに努力している感」がやけにあり、バトンというのはなにしろ自己演出の行為なので、なんかよかった。一緒に帰るのを待つ幼なじみが傍らにいないのが不思議だと思った。
 妻子は向こうで日々ひっちゃかめっちゃかに過しているようだ。このたび義父の勤務地が家の近くになり、その帰還引っ越しが何日か前に執り行なわれたのだが、それがとても大変だったらしい。まあ大変じゃない引っ越しなんてあり得ないわけだが、なにぶん「思い出乞食」と称されるあの実家への荷物の運搬であるので、その大変さと言ったらやっぱりそれはもう相当のものだった模様である。かくしてファルマン家は、次女、三女、そして父と、半年の間に3度もの引っ越しがなされ、ファルマンはそのすべてで手助けをし、そしてもう4年も引っ越しをしていない自分に対して若干の忸怩たる思いを抱いているのだった。ファルマン家5名のこれまでの引っ越しをすべてなかったことにしたら、労働力を含めて、たぶん三千万円くらい返ってくるだろうと思う。
 この1週間は、まあそんな暮しをしていた。もうひとり暮しは当分いい。うるさいくらいで暮しはちょうどいい。たぶん子どもが帰ってきて3日くらいまではそう思うだろうと思う。

ちょっと間延びした週末の話

 岡山の桜はまだ咲かない。花見もできないので、特に予定のない週末だった。
 土曜日は午前中に買い物に出た。ポルガが遠足などの行事のときに使うリュックサックを買うためで、最初に車で15分くらいのお店に行ったがいい物がなく、そこからさらに20分くらい掛かるショッピングモールでようやく出会った。ターコイズブルーに赤と白の入った、好きな感じの色合いのもので、普通に大人用である。ジュニア用のリュックは、ギャルっぽいものか、そうでなければダサいものしかなく、まるで買う気が起きなかった。ポルガは希望として「ポケットが多いもの」ということしか言わず、その条件に適うだけの、形も色もひどいだろそれは、みたいなものを「これにする」と手に取るので、お前はマジか、と思った。ポルガってどうやらそういう子らしい。ただしその条件を満たしさえすれば、ひとつのものに固執もしないので、こっちにしときなさい、と別の物に差し替えるのが容易であり、それは助かる。要するに男子っぽい。ピイガはこうはいかないだろうな。ランドセルもピイガはきっとピンクなんだろうな、と早くも観念している。
 予定よりも遠出になったので、帰宅が昼よりもだいぶ遅くなり、お店で弁当類を買って帰った。僕はかつ丼。そしてビール。スーパーの、出来合いの、ご飯に汁が滲みたかつ丼って、やけにおいしい。上級の鰻重の美点として、「鰻とご飯が一体となり両者の区別が判然としない状態」というのがあるらしいが、スーパーのかつ丼ってある意味でその域に達しているような気がする。
 午後はファルマンが副鼻腔炎の診療でひとり耳鼻科へと出掛けたため、僕も子どもとともに散歩に出る。近所の桜並木を歩いた。つぼみの尖端が小さく開いてはいるけれど開花ではない、という段階。春の陽気が気持ちよかった。帰宅して昼寝。昼にビールを飲んで、そのあと散歩をして、寝ないはずがあろうか。幸福感に包まれながら1時間あまり寝る。
 晩ごはんはミートソーススパゲティ。レトルトのものに、肉やきのこなど少しだけ加えた、手抜きメニュー。昼のかつ丼がわりといつまでも腹の中に残り、きちんとしたごはんを食べる気が起きなかった。それは昼の弁当にかつ丼を選んだ僕個人の事情だったが、家庭の食事のメニューというのは往々にして作り手の個人的な事情によって差配されるのである。
 明けて今日は、午前中に僕だけ図書館に行き、その帰りに買い物など、こまごまと用事を済ます。昼ごはんは最近の定番の焼きそば。そしてビール。なんかここへ来てビールがやけにおいしい。周期的にやってくる、ビールやけにおいしい期に入っている。
 午後は昨日と同じく子どもたちと散歩に出た。今日はきちんとバトンを担ぎ、公園まで出た。公園は普段ほとんどよその人とかち合ったことがない場所だったのだが、さすがにこの季節の日曜日の午後ともなるとそれなりに他の家族がいて、そばに我が子がいるとは言え、バトンを回すのが少し躊躇われた。いくら子どもを連れているからと言って、キャスケットにサングラスの父親がいきなり手製の布袋からバトンを取り出して廻し始めたら、僕だったらちょっと身構えると思う。おや、と思うと思う。でもせっかく担いできたので、子どもたちと追いかけっこをしつつ、手ではクルクルとバトンを廻した。カムフラージュのために「子どもたちと遊びつつ」という形を取ったわけだが、余計に異様になったかもしれない。
 帰宅して昼寝。昼にビールを飲んで、そのあと散歩してバトンを廻して、寝ないはずがあろうか。幸福感に包まれながら、2時間あまりも寝る。
 晩ごはんは、鯵の開きと、煮物と、味噌汁。実は明日に勤め先で健康診断があるため、いまさらなんの意味があるのかという感じだが、今晩だけはアルコールを控えることにし、そのために、酒をそんなに飲みたくならない献立にしたのだった。どこまでも作り手の個人的な事情。
 ちなみに明日は健康診断なんかをしつつ、勤務を終えて帰宅したら、家には誰もいない予定となっている。明日、ポルガが修了式で、そのあと3人は島根へ、春休み恒例の1週間ほどの帰省へと出発するのである。なんで修了式が明日やねん、金曜でよかったやん、金曜日に終わってたらこの週末に車で島根に行って僕も1泊だけして帰ってくるいつものパターンができたやん、という話なのだが、嫌がらせのように修了式は明日なのである。だから今回は公共交通機関で移動することになった。しかも来週の僕は土曜日が休みではないため、今回は本当に僕は島根へ顔を出せない。まったくもって残念な日程なのだった。

歯痛春分

 起きたら歯が痛い。実は昨晩から痛かった。でも寝れば治まっているかと思ったのだ。そうしたら朝から痛かったものだから、気持ちが沈んだ。歯医者かー、歯医者通いの日々かー、とすっかり気が重くなった。そう言えば、当日にこの「おこめとおふろ」の記事を書いておきながら完全に書き忘れたのだけど、4日前の3月17日で、岡山の今の住まいに移ってきて丸4年が経過したことになるのだが、前回の歯医者通いはこちらに来てわりとすぐのことだったので、前回の治療から3年あまり、もったことになる。3年か。まあそんなもんかな、そろそろ次の治療時かな、などと思う。しかしそうやって落ち込んで何十分か経ったときに、いや待てよ、と思う。そう言えば何ヶ月か前にもこの痛みはあったのだ。そして前回のとき、やはり僕は歯医者通いの諦念をしばし抱き、だがそこで起死回生のひらめきにたどり着いたではないか。すなわち、これは虫歯の痛みではなく、親知らずが騒いでおるのだと。それで奥歯の一帯が鈍痛を訴えるのだと。虫歯ならば歯医者に行って治療してもらう以外、よくなる筋道はないけれど、親知らずはそうではない。親知らずは、たまにこうして蜂起し擾乱するけれど、じっと耐え忍んでいたら収束する。逆に歯医者に行って親知らずの痛みを訴えたら、「じゃあ抜きましょう」などと言われ、大ごとになってしまう。抜くやつなんかするもんか。配偶者の二度に渡るそれにより、こちとら恐怖心だけはこれでもかと掻き立てられているのである。だからこれはイブを服んで嵐が過ぎ去るのを待つのが正解。氷河期を乗り切った小動物がごとく、粛々とそのときが来るのを待とうと思う。
 春分の日だけど雨なので、今日は買い物デーとする。午前中に近所のショッピングモールに行き、細かい買い物をした。ダイソーのキーホルダー売り場で、おでんの食品サンプルのシリーズを見つけ、去年に寿司のシリーズは何点か買ったのだけど、おでんは初めて見たので色めき立つ。大根、ちくわ、こんにゃく、ロールキャベツと、何種類かあったが、その中で最も心を惹かれた玉子をひとつだけ買った。茹で玉子は実寸大と言ってよく、つまりキーホルダーとしてはわりと大きい部類だと思う。重みもしっかりしていて、本物よりも多少重くさえあるかもしれない。おでん種の設定なので、表面はほんのり茶色に染まっていて、しかしそれだけである。一部がカットされて中の黄身が見えるとか、そういう細工も一切なく、質実剛健に実寸大の玉子。異様である。お店で、おでんの食品サンプルシリーズとして、大根やこんにゃくの隣に並んでいるから成立するのであって、これ単体ではなんなのかさっぱり判らないだろうと思う。そこがいいと思った。そして帰宅してからバトン入れに付けた。手作りのあの袋だけでも他人に戸惑われるのに、そこへ来て正体不明の巨大なキーホルダー。訊ねれば「おでんの玉子です」という答えが返ってくる。うん。いいじゃないか。友達ができそうじゃないか。
 それから衣料品の店に寄って、トレパンを1本買う。ランニングシューズを買ったものの、ウエストポーチがなければ遠くに走っていけない、ということを前に書いたが、ファルマンが押入れの奥から、若い時分に使っていたというものを取り出してき(やがっ)て、解決してしまい、しかしウエアに関して、上はなんでもいいけど、下はチノパンやスラックスというわけにもいかないので、なんかしらを買わないといけないな、そうでないとジョギングなんかできないな、と考えていた。そしてそれももう購ってしまったのだった。さらにはダイソーで反射素材のタスキも買ったため、なんかもう、走れない物理的な理由がとうとうなくなってしまった。こう物理的な方面が次々に陥落してしまった以上、頼るべきは精神的な方面だ。そっちは任せとけよ。
 帰宅して、午後はのんびりと過す。ポルガは夕方から、祝日も関係なく毎週水曜日のスイミングに出掛けた。晩ごはんは、雛祭りのときのちらし寿司の素が残っていたので、それでちらし寿司にする。あと鰯の天ぷら。天ぷらは、失敗が続いたのでしばらく敬遠していたが、鰯がおいしそうで、ちらし寿司のサイドメニューにぴったりだと思ったので一念発起した。そうしたらおいしかった。天ぷらは、メインを天ぷらとして、エビやら舞茸やら芋やらかき揚げやら、ということを目論むと失敗するが、こうして単品を気軽に揚げるのならいいんじゃないかと思った。

佳日

 午前中にカラオケへ。日記を見れば1月18日以来で、2ヶ月近くぶり。思えばあそこらへんからここまで、インフルエンザや咳など、ダラダラと体調不良が続いていた。それらがいちおうの(ファルマンはいまだに副鼻腔炎の薬を服んでいる)解決を見て、ようやくカラオケに行けた。
 唄ったのは順番に、「ゲッターロボ!」(ささきいさお)、「手を繋いで帰ろうか」(欅坂46)、「おジャ魔女カーニバル!!」(MAHO堂)、「誰がために」(成田賢)、「愛をこめて花束を」(Superfly)、「民衆の歌」(ミュージカル「レ・ミゼラブル」より)、「なごり雪」(イルカ)、「ボルテスVの歌」(堀江美都子)、「君は薔薇より美しい」(布施明)というラインナップ。方向性が見えない選曲だと我ながら思う。「おジャ魔女カーニバル!!」と「誰がために」は最近になってきちんと聴き、これはいい歌だと思った。そしてそのどちらも作品そのものにはまるで触れたことがない。歌しか知らない。それなのにカラオケのディスプレイには実際のアニメ映像が出てきてくれて、しかしアニメそのものにはなんの思い入れもないので、なんか恐縮した。「愛をこめて花束を」は後半息切れした。「なごり雪」は季節的な選曲。そして最後の2曲はもはや持ち歌と言ってもよく、とにかく気持ちがよかった。
 カラオケは持ち込みOKの場所なので、事前にマクドナルドに寄って、今日から始まったドラえもんのハッピーセットを買ってから行った。そしてワンオーダーの店なので、仕方なくチョコレートパフェを頼んだ。ハッピーセットでカラオケでパフェ。お前ら夢のようじゃないかよ、と子どもたちに対して思ったが、子どもたちがそのことを実感していたとは思えない。まあ子どもがそんなことを噛み締めても気持ち悪いか。もちろん純粋に愉しんではいた。
 そのあとはいつもの流れで図書館を済ませた後、公園にも立ち寄る。ここのベンチでおにぎりを食べて、それから鳥にパンをやったりした。鳥はいつものパターンで、やっているうちにどんどん増えた。基本的にカモにやろうと投げるのだが、投げているとハトもやってきて、さらにはよく見ればスズメもやってきていた。しかしふてぶてしいハトに較べ、スズメは「いや、お前ら、人間のくれるものにありつこうと思って寄ってきたんじゃないのかよ」とツッコみたくなるくらいに警戒心が強く、スズメにも少しくれてやるかと体の向きをスズメ側に向けたら、もうそれだけで数羽が驚いて飛び去ってしまい、「コ、コミュ障……」と思った。
 それから車の整備工場に寄って、エンジンオイルとエレメントの交換をしてもらう。ずっとしてもらわなければと思いつつ、ずっと、本当にずっとサボっていたのだが、先週の洗車や芳香剤設置などで勢いがつき、いよいよやってもらうことにした。もちろん何千円か掛かったわけだが、いざやってもらったら簡単なことであり、これからはもうちょっとサボらずに(と言うかきちんと規定のキロ数に達したときに)やってもらおうと思った。そこからの帰り道、もちろん走りそのもので実感する部分なんかはないけれど、なんとなく気持ちが違った。
 帰宅後はのんびりと過す。晩ごはんを餃子にしたので、その下拵えなどする。前回の調理から、すっかりキャベツ派から白菜派に鞍替えしたので、今回も白菜を使用する。白菜のほうがきちんと水分が絞れて、締まったいい餡ができる気がするのだ。今回は大人も子ども区別せず、全体の餡にキムチを刻んで入れた。このくらいなら辛くなどなく、旨みに寄与するだけだろ、と判断した。あと隠し味に粉チーズなんかも入れた。
 出来上がった餃子は、もちろんとてもおいしかった。僕の作る餃子はいよいよおいしい。餃子と焼きそばとビールのお店を出そうかな。そのくらいおいしい。ビールをグビグビ飲む。飲むビールを、先日から糖質オフのものに変えた。なんか30代半ばになり、そんなことをしてみた。
 そんな感じの休日だった。カラオケ、図書館、公園、オイル交換、餃子。充実していた。

7年目の春の暮し

 土曜日は図書館のついでに公園へと赴く。風がわりと冷たかった。バトンのほか、今回は縄跳びまで持参するが、子ども用のを目一杯に伸ばした長さでもやはり短く、ろくに跳べなかった。ランニングシューズに続き、専用の跳び縄が欲しくなった。ところでランニングは、もうそろそろ始めたっていいくらいの時期のように思えなくもないわけだが、巷のジョガーを見てみると、ウエストポーチや小型のメッセンジャーバッグを着けて走っていることに気がつき、そう言えば携帯電話や財布など、外出時の必需品はそうやって持つしかないのだなと思い至り、僕はそんなものを持っていないぞ、となって、走り出すのを躊躇っている。ファルマンから、「あんたは携帯電話や財布が必要になるほど長い時間どうせ走らないだろう」と呆れられているが、そういう姿勢がよくない。携帯電話や財布を万全に整えてこそ、心ゆくまでのランニングができるんだろうに、と思う。なので次はウエストポーチだな、と思っている。公園は短めに切り上げた。
 図書館に寄って本を借りたあと、家の近所のホームセンターに立ち寄り、ファルマンの仕事用の椅子を買う。これまで使っていた椅子が、いちおうリラックスチェアではあるのだけど、リラックスチェアの中では下等なもので、腰痛や背中痛がこのところひどいということで、新調することにしたのだった。もう平日に下見して、買うものは決めていたので、話が早かった。後部座席を最大限に後ろにやって、子どもたちの足元に大きな段ボールをデデンと乗せて帰る。
 午後になり、このところ咳に続いて頭痛までもがひどかったファルマンが、いよいよ観念して病院に行くことにしたので、子どもにはDVDを見せ、その間に椅子の組み立てをする。ファルマンはこのところ実に体調が整わない様子で、とうとう頭痛を理由に病院に行ったので、大ごとになったらどないしようとドキドキしたが、行ったのは耳鼻科であり、診断結果は本人の予想通りの副鼻腔炎だったとのことで、ひと安心する。副鼻腔炎と言えば2年ほど前の年末年始のことが思い出される。インフルエンザやその後の咳および痰で、炎症を起したパターンらしい。まあ原因がはっきりしたならよかった。
 晩ごはんは新じゃがを使ってのフライドポテトと、手羽元の竜田揚げ。とにかくカリカリの揚がり具合がよくて、卵などもちろん纏わせず、小麦粉も使わず、片栗粉だけで硬派に揚げる。その結果、もはやカリカリを超えてガリガリな仕上がりとなり、満足いく出来となった。ビールがおいしくて感動した。ビールというものはまったく年中おいしいものだな(秋あたりに少しだけ落ち着くけど)。
 翌日の今日は、ポルガが先日のスイミングで、水着と帽子をプールに忘れてきたので、それの回収ついでに、ちょっとした買い物と、ガソリンスタンドで洗車をする。洗車はだいぶ前からする必要を感じていたのだが、なにぶん寒くて、洗車後の拭き取り作業とかのことを考えると億劫で、ここまでずれ込んだ。というわけで数ヶ月ぶりの洗車。相変わらず愉しい。家族で車に乗っていて体験するわけで、サファリパークにも通じるアミューズメントであるように思う。ピイガは本気で怖がり、隣のポルガにしがみついていた。まああの巨大ブラシが近づいてくる感じは、たしかになかなかに迫力がある。洗車後は家族総出で拭き取りをし、掃除機で車内のゴミを吸った。車内の汚れもまた、車体の汚れに負けず劣らず凄まじいものがあり、時間制の掃除機に2回お金を入れて、丹念にやる。結果、とてもすっきりした。洗車の爽快感って、取りとめがなさすぎる家の掃除と違って、あの完結した空間をピカピカにすれば得られるわけで、世のおじさんたちが休日にそれをするのも気持ちが解るな、と思った。思ったところでまた数ヶ月きっとしないのだけど。
 帰宅して、昼ごはんは焼きそば。うまく作れるようになった焼きそばに、目下とてもハマっていて、平日の晩酌にも作ったりしている。寝る前の焼きそばビール(orハイボール)って、なんだかとても不健康な感じがあり、控えようとは思うのだが、それにしたって最近の僕の作る焼きそばはやけにおいしいのである。こんなおいしい焼きそばはいまだかつて、実家でも、縁日でも、スーパーでも、お店でも、食べたことがない。だから仕方がないじゃあないか、という気持ちもある。晩酌での1玉ではない、4玉を使っての製作もものともせず、今日もおいしくできた。コツは、とにかく水分を嫌うこと。だからキャベツやもやしは入れない。野菜は、ニンジンだけいちおう入れたが、なくても別にいい。麺と肉だけでいい。野菜は他の食事で摂ればいい。
 午後は、午前の洗車で勢いがつき、同じく長らくの懸念であった、寝室の大々的な掃除をする。ファルマンとふたりがかりでマットを持ち上げ、ベッドそのものを動かし、壁とベッドの隙間に落ちたゴミや埃を掃除機で吸ったり雑巾で拭いたりという、大掃除レベルの掃除である。思えばファルマンの事務員時代の同僚が、「大掃除を寒い時期にやる必要はない。あったかくなってからやったほうがいい」ということを言ったらしいが、今日はそれを地で行く感じになった。本体だけになったベッドをずらして隙間を露出させると、思わず「うひゃあ」と叫んでしまうような、体に悪そうな有様がそこには存在していて、それを掃除するのは、車に負けず劣らずの達成感があった。このところ続いていた咳がすべてこれのせいであるわけもないが、でもマジでこの掃除によって咳はこれから劇的に治っていくんじゃないかな、と思わせるほどだった。やって本当によかった。
 2時46分になり、黙祷。7年。もう岡山での生活がすっかり板についてきたこともあり、7年前は自分たちが練馬にいたのだな、と思うと、やけに不思議な気持ちになる。大昔の人と違って、現代の我々は「その日暮らし」ではないけれど、かと言ってそこまで大きく違うわけでもないな、と思う。人生をまじめに計画することはもちろん大事だけど、ひとりひとりの計画は、世界のうねりによって、まったく予期していなかった形になることが多々ある。これはいわゆるひとつの、典型的な運命論者の考え方だろう。震災を経て運命論者。我ながらとても分かりやすいな。
 そのあとひとり散歩に出掛け(ジョギングにあらず)、夕飯の材料や、車内の芳香剤などを買う。車がきれいになったついでに、芳香剤まで新調した。すっかりいい気分だが、そんな風にして誰を乗せるのかと言えば、お菓子をバリボリとこぼしながら喰う子どもたちだ。
 晩ごはんは寄せ鍋。お店で鍋スープの数々を吟味したが、どれもしっくり来ず、今日の僕が食べたいのはそういう、商品になるようなコクの効いたやつじゃなくて、あっさりと煮たものをポン酢に付けて食べる感じのやつだと喝破して、鍋スープを買うつもりだった代金でレモン果汁を買った。そうして醤油と酢とレモン汁で、かなりすっぱい付けダレを作り、薄い昆布だしで煮た具材をそこに付けて食べた。これがとてもおいしかった。ファルマンと、思えば我々が子どもの頃の鍋と言えば、こういうものだったよね、と言い合った。なんかいつからか、スープという商品が出てきて、それを選んで何鍋にするか、みたいな感じになっていたが、化かされていたのかもしれない。そうそう、こうゆうのだよ、こうゆうのでいい、こうゆうのがいいんだよ、とちょっと感動しながら食べた。

飛び出せスプリング

 3月だ! 最高気温15度あたりだ! ということで公園に繰り出す。こちとらガツガツしているのだ。
 行ったことのない公園に行く。山の上にある公園。「山の上にある公園」というものが、車で20分圏内くらいに、わりと複数箇所ある。こういう公園って、公園およびそのそばの駐車スペースに辿り着くまでに、「ほ、本当にここを車で登るの? た、対向車が来たらどうするの?」という道を走る必要があり、島根で初めてその洗礼を受けたときは恐怖のあまり引き付けを起しそうになったが、それも経験を重ねて少し慣れた。とは言え今日のところもなかなかだった。
 そうして苦労してたどり着いた公園は、その億劫さゆえか基本的に閑散としていて、遊びやすい。ここでいう「遊びやすい」は、本当にほぼ貸し切り状態のことを指していて、こちらで「賑わっている」レベルの公園であっても、都会の子からすれば「今日は空いてる」くらいの感じだろうと思う。そんなわけでほぼ貸し切りの公園で、思うままに遊んだ。遊具はそれほどでもなかったが、風光明媚で、木のトンネルのようになっている道があったりして、3月上旬の軽やかな時候に、ちょっとしたピクニックのごとく愉しめる、いい公園だった。子どもたちも鬱憤が溜まっていたようで、公園に行くと言ったら、ボールやらシャボン玉やらフリスビーやらバドミントンやら、なんかいろいろ持ってきていた。かく言う僕もバトンを背負っていき、回した。家族の、僕がバトンを回してもなんの反応もしなさ、もはやちょっとシュールでおもしろい。一家の父が、平均台みたいな遊具を渡りながら、トワリングバトンをクルクル回してんだよ! めっちゃおもしろいじゃん! なんで無視なの! と思った。広い面積の公園の途中に、グラウンドのような場所があり、もちろんここも貸し切りだったので、走ることにした。見慣れない文字がこの日記に現れた。でも間違いじゃない。走ったのだ。先日とうとうランニングシューズを購入し、今日はそれを履いてきていたため、気持ちが乗っていた。グラウンドの端の柵を指さし、「あそこに行って柵にタッチして帰ってくる競争をしよう」と家長として提案し、自分の走る意欲の高まりに家族を巻き込んだ。そして走った。柵までは5、60メートルくらいだったろうか。もちろん勝った。それは勝つだろ、と思っていたら、ファルマンはだいぶ悔しがっていた。「全盛期なら絶対に負けなかった。やっぱり子どもを産んだからだ」などとブツブツ言っていた。僕は純粋に勝利に気を良くした。久しぶりに全速力で走った爽快感もあった。走り終え、ベンチに座り、そして再び立ち上がったときの腿の違和感には驚いたが、それでも気分は良かった。それから東屋で、買ってきたおにぎりを食べ(メインの昼食というわけではないが、公園でおにぎりを食べる、という行為をしたかったのだ)、公園をあとにした。とても愉しかった。
 そのあとはスーパーに立ち寄り、財布の中身が潤沢な月初のテンションでまとめ買いをする。ほうれん草やネギ、ニラらへんの値段が落ち着いた。キャベツと大根がいまだ高い。店先のプレハブのような店で売っていたたこ焼きを買って帰る。
 帰宅して、たこ焼きや、簡単に作った焼き飯などで、改めて昼食とする。ハイボールを飲む。春先の運動後のたこ焼きハイボール。格別にうまく、クラクラするほどだった。そのあと、当然中の当然の帰結として、昼寝。運動してハイボール飲んで寝ないはずがない。昼寝はいい。メロメロする。
 夕方に起きて、夕飯の準備。夕飯は桃の節句ということでちらしずし。もちろん即席の具入りのものを使って作るのであり、とても簡単。上にサーモンや甘エビなどを醤油漬けにしたものを散らした。味はもちろんおいしい。サーモンも甘エビも、具の蓮根や椎茸もおいしいが、ファルマンと夫婦で口を揃えて言うことに、「酢飯がおいしい」。酢飯がおいしいということは、要するに酢がおいしいのである。酢うまい。本当に酢のおかげで咀嚼がはかどる。酢ありがたい。

インフルB型とピョンチャン閉幕

 先週末にポルガがインフルエンザB型を発症し、そのため日曜日は隔離の意味合いも含め、ピイガとふたりで外に出た。しかし半日そんなことをしたところで焼け石に水で、あえなく今週の半ばに、リレンザ効果でだいたい回復したポルガとバトンタッチで、ピイガが発症した。だから、ポルガは金曜日にやっと解禁されて登校したのだけど、その日までは、体調がよくなって元気を持て余すポルガと、体調不良の不快感に泣き叫ぶピイガの世話で、ファルマンはそれはもうてんてこ舞いの日々だった。そして、夜中にも喉の痛みや熱による寝苦しさを容赦なく訴える子どもたちの世話で、ファルマンの体力は削られ、その結果、当然の帰結としてファルマンも具合を悪くする。もはや病院に行く気も起らず、そのためインフルエンザなのかどうなのかも不明だが、この期間の有様を目の当たりにしていた立場からすれば、それはそうだろうと思った。兆候が出るや否や、素早くリレンザを摂取したので、そもそもB型ということもあり、いまはもう大丈夫になったようだ。ちなみに僕はおかげさまで、ファルマンが厳重に子どもを統制し、食事も寝室も別にして、発症中の子どもたちとほぼ触れ合わないという対策を取ったため、発症の気配はない。もちろんまだ油断はできないけど。しかし今年の冬はインフルエンザの当たり年だった。世間的にインフルエンザの当たり年と言われる年でも、家族がまったく発症しないこともあるわけで、そういう意味で今年はわが家にとって正真正銘の当たり年だった。
 そんな状況だったので、今週はポルガとふたりでの外出となった。図書館へ行って、溜まっていた本を大量に返し、また大量に借りた。ピイガがいると、ピイガはまだ図書館であまり長く静かにできないので、今回はじっくり選ぶことができた。それから店でうどんを食べた。ポルガは最近、うどんを親から分けてもらうのではなく、自分用に1玉頼めるようになったのが、とても嬉しそうだ。
 帰宅して、晩ごはんとしてミネストローネを作った。思えばA型からの快癒のタイミングでも作ったような気がする。ファルマンに食べたいものを訊ねたら、「野菜が多くて、お腹に優しいもの……」ということだったので、どうしたってミネストローネということになる。おいしかった。
 明けて今日は、完全に外出せず、わりとひたすらに通園グッズの作製に勤しんだ。それで無事に終わったかと言えばそんなこともなく、歯ブラシ入れと、着替え入れと、あとランチョンマットの洗い替え2枚という成果。ひたすらに勤しんだと言ったが、実際はYouTubeを流しながらだらだらやったのだった。でもこれで残りは手提げと上履き入れのみ。それも裁断は済んだので、もうすぐだ。もうすぐでようやくハンドメイドブログのこけら落しの記事が完成する。
 晩ごはんは鳥肉とゆで卵の煮物と、ほうれんそうとコーンのバター炒め。食事も今はひとり自分のパソコンデスクで食べているので、ちょっと侘びしい。早く娘たちに競ってビールを注いでもらう日々が戻ってきてほしい(来週の水曜日くらいの予定)。
 夜はピョンチャンオリンピックの閉会式。中国の偉い人はどんなコスプレで現れるんだろうと期待していたら、普通にVTRでスーツ姿で語っていて残念だった。それにしてもオリンピック、韓国の次が日本で、その次が中国なのか。なんだかそれって、東アジアの人間ながら、白ける。もっと遠くでやってほしい。

この世ちゃん

 前に「BYAPEN」にも書いた話なのだけど、「カードキャプターさくら クリアカード編」が、なんか観ていると猛烈にどうしようもない気持ちになる。破壊力が強すぎる。夜に、晩酌をしながら録画したものを眺めていると、特になんでもない日常のシーンとかで、「ぶふぁあっ!」と変な声が出てしまう。それはいわゆるオタクの発する奇声とは異なるもので、そもそも僕はオタクではないし、桜の姿に我を忘れるほど興奮しているわけでもない。むしろ心は冷めているとさえ言える。それなのに、たまに悶え声のようなものが口から発せられてしまう。興奮しているわけではないが、感は極まっているのだ。あまりにもエロい状態になると、抽送したり手で擦ったりしなくても、なんなら勃起という状態を経ずに射精してしまうことがある、と聞いたことがあるが(実体験はもちろんない)、それに近いかもしれない。例え話がそっちに行ってしまうと、なんか余計に話が胡散臭くなるけれど。
 つまりそれだけ思い入れの強い作品だったんだね、と言われればそんな気もしてくるが、しかしやっぱりそれだけが理由でもないだろうとも思う。今回の「クリアカード編」では、前作から歳月が少しだけ経過し、桜たちが中学1年生になっているのだが、ここに大きな理由がある気がする。いくら17年ぶりの邂逅だからと言って、単なる再放送であれば「ああ懐かしいなあ」くらいの感想だろうし、「ゲゲゲの鬼太郎」や「ルパン三世」のようにかつて観ていた作品がリニューアルされて始まっても、「ふうん」くらいにしか思わない。ポイントは、「17、8年ぶり」に、「作品世界ではひとつだけ年度が進んで」続きが描かれた、というところだと思う。だって17、8年前、僕は高校生だったのだ。高校生として小6の桜と相対していたのだ。それだのに今回、中1になった桜と、僕は34歳の二児の父として向かい合わなければいけないのだ。この時空の歪みにクラクラする。心の処理が追いつかなくなる。俺と桜、一体どっちが正しいんだ、と懊悩し、自分の現在地が揺らぐ気さえする。その結果、「ぶふぁあっ!」となる。
 その一方で、中学1年生になった桜の姿を穏やかな目で眺め、「あの桜がもう中学生か……」と感慨にふける気持ちもある。僕の場合、桜は初めて知ったときから年下の女の子だった。そういう意味ではダメージは少ない気がする。職場の、20代半ばの女の子に、カードキャプターさくらが好きな子がいて、当時は小学校低学年だったはずで、彼女にここらへんの感慨について相談したら、「やめてください」と話をぶった切られた。悪いことをした。
 子どもの散らかしたおもちゃに囲まれながら、日本酒を飲みつつ、「桜が、中学生に……」と呟いていたら、いつの間にか隣に来ていたファルマンに、「なにそのこの世一どうでもいい感慨」と呆れられた。妻は「この世一」とよく言う。なんだ「この世一」って表現。

ちょこっとだけやで

 バレンタインデーということで娘たちからチョコレートをもらう。ガーナチョコを溶かし、ハートの型で固め、上にカラフルな細かいチョコレートを散らしたもの。それだのにやけにおいしく感じられたのは、なにかその、気持ち的な、形而上的な、特別な成分が入っていたからやもしれない。ハートの型は、シリコン製のものを購入していて(購入する際にはなにに使うものか、まるでピンと来なかったよね)、ということはこれからは毎年あの型のチョコレートが画一的に贈呈されるのであろうか。されるのであろう。それに対して思うところがあるのか。決してない。毎年固定の型で成形されるガーナチョコレートは、それってもう一種の工場みたいなものだと言える。だからそれに対して思うところがあるというのか。もちろんない。あるわけがない。だってそれには、なにかその、気持ち的な、形而上的な、特別な成分が、毎年それぞれの度合で含有されるのだから、そうして贈られるチョコレートは、毎年ぜんぜん味わいが変わってきて、毎年とても新鮮な気持ちで僕は喜ぶのだと思う。そう思う。それに対しては思う。思うところがないことなどない。深くそう思います。
 ちなみにファルマンからは、「あなたどうせ私が選んだチョコレートだと不満があるでしょ」と言って現金をもらったので、そのお金でチョココとかウィスキー(ハイボール用)とかを買った。さすが結婚9年超、交際開始から14年超ともなると、わかってらっしゃる。「あなたは付き合いはじめの最初のバレンタインの、手作りのトリュフチョコに、それはもう白けたリアクションをしたのだ」と、いったいいつの話を蒸し返すのだという話をまた蒸し返された。僕はプロペ天使、プロペテン師を自称するほどに嘘をつくのが得意なのだけど、しかし人をしあわせにしたり安心させたりする嘘に関してだけはからっきしで、そこだけはとてつもなく正直になってしまうのだった。でもそのくらいの弱点がないとかわいげがないので、それのことはウィークポイントではなくチャームポイントだと解釈している。そしてチョココはおいしい。チョココの、憂いのない、平原のようなおいしさ。
 ちなみに職場でもぽつぽつともらう。習慣のある人と習慣のない人は固定で、いつもくれる人が今年もくれた。友チョコということでもないのだろうが、バレンタインにかこつけて、大袋的なお菓子からひとつずつを、男女問わず配っている人もいて、ブラックサンダーとかハートチョコレート(不二家)とかだと「あざーす」という感じで、ホワイトデーのことも気にせず気楽にもらえるのだけど、これがチョコパイとなると、チョコパイに対してはなんかしらの返礼が必要なのではないかという気にさせられる。そこに境界線みたいなものがある。と言うより、価格とかそういう問題じゃなく、チョコパイというお菓子の威風はいつだって境界線の向こう側にあるのだと思う。チョコパイはロッテだし、なんか実際に北朝鮮とチョコパイの話題というのもあったしで、だとするとこの境界線というワードも、ピョンチャンオリンピック開催中の折、期せずしてなかなか生々しいものに思えてくる。
 まあ、とにかく、ハッピーバレンタイン! まちがえた、ハッピーヴァレンタイン!

オリンピックとおでん

 金曜日の夜はピョンチャンオリンピックの開会式を家族で眺めた。なんだかんだでオリンピックは、開会式くらい、こうしてきちんと家族で観て、そしてそのことを日記に書いておくと、あとから振り返ったときに「ああ懐かしい」ポイントが高いので、その目的のために記しておく。本当は日本の入場あたりで子どもはおしまいにしたかったのだが、ポルガが最後まで観ると言い張り、聖火が点灯した22時過ぎまで観続けた。付き合わされたピイガはつらそうだった。
 観た感想としては、イ・スンヨプが懐かしかった。あと最近のこういうのって映像をたくさん使うので、テレビを観ている分には、スタジアムの中継と映像がいいように差配されて届けられるからいいのだが、観客席で観ている人たちはVTRパートのときは一体どうしているんだろうと思った。東京ではもっと生身でやってほしい。ブラジルではサンバ、韓国ではブレイクダンスみたいのをしていたが、日本ではどんなことをやるんだろう。風の盆とかソーラン節とかがいいなあ。
 その翌日からは3連休ということでワクワク感があったが、初日からあいにくの雨で、仕方なく車で20分ほどの場所にある公共の屋内施設に遊びに行った。公共のそういう施設にありがちな、「遊びながら学ぼう」的な装置がたくさんあり、それなりに愉しめる。行くのは2度目。プラネタリウムもあり、プラネタリウムならばあんまり興味がないので観ないのだが、プラネタリウムのシアターを使っての全天周映画というのをやっていたので、観てみた。なんか恐竜の話だった。映像が前方だけでなくそのまま円形になっている天井のほうまで続くので、画面に入っているような迫力があった。椅子が動いたり3Dだったりするわけではないので、いまどきの豪奢なテーマパークに慣れているような人種ならば、ちゃんちゃらおかしい子供だましのレベルなのだろうが、慣れないので十分だった。十分すぎた。恐竜の視点そのまま、みたいなカメラワークの映像がけっこうあり、それが空を飛んだりもするので、地面が流れて浮遊する感覚に「ムリムリムリ!」となった。さいきん飛行機にすっかりご無沙汰なので、ちょっと喉元の熱さを忘れかけていたのだが、この映像によって飛行機の恐怖を想起し、「なんなら飛行機という移動手段もありだね」みたいなことを思ってしまう心をきつく諌めた。仮想体験としていい効果だった。
 午後は家でダラダラと過した。子どもがやっぱりうるさい。うるさいし物を散らかすし言うことを聞かない。夜には心底うんざりし、これが3連休の初日だなんてことがあるかよ、と軽く絶望した。
 今日は天気が回復したわりに、どこへも出掛けず、だいたいを家で過した。午前中に人生ゲームをする。3連休を迎える前からポルガに参加を乞われ過ぎていて、もはやする前から辟易としていたのだが、実際にやってみたらそれなりに愉しく、さすが人生ゲームだと思った。結果は、ポルガと僕で競ったが僕が勝ち、ファルマンピイガのチームだけが所持金マイナスでボロ負けした。
 それから子どもたちと自転車で近所のスーパーへ。前に自転車をこいだのはいつだろうか。秋くらいだろうか。風が冷たく、寒かった。早く公園に行ける気候になってくれれば、連休の過し方も算段がつきやすいのだけど、まだなかなか遠い。
 昼ごはんは焼きそば。これまで僕は蒸す際に水を入れ過ぎていて、麺がぬめっとなってしまう傾向があったのだけど、今回はそれをしっかりと自戒し、水を少なくしたら、麺にきちんと歯ごたえの残る、気概のある端正な仕上がりとなり、満足感があった。
 午後は、女性陣は雛飾りを出す作業をし、僕はピイガの通園グッズ作り。まずはウォーミングアップということで、作りやすいところとして、ランチョンマットを作る。ポルガの際は中表で縫って返す方式だったが、今回はパイピング仕立てにする。いい具合に仕上がった。非常にゆっくりとしたペースで(そもそもネーム作りにこれまで10日ほどかけていた)、今日の完成品はこれきりなのだが、いちど始めたらそこまで時間はかからないと思う。なんと入園まではまだ2ヶ月近くあるのだ。余裕である。むしろいまもう始めていることが僕としては奇蹟だ。
 晩ごはんはおでん。車でスーパーに行っていたらおでんにはならなかった気がするが、自転車で寒風に晒されたので、これはおでんっきゃないだろう、となった。おでんは、スーパーで小分けに売っている練り物のパックを、あれもこれもと買い過ぎてしまい、家でいざ調理してみて量におののくということが多々あるので、今回はとても自制した。それでも大鍋にたっぷり出来上がる。味は言わずもがなでおいしい。寄せ鍋とかは、本当は不要で、でも慣習で居座っているような存在がいたりするが、おでんにはそういうのが一切ない。全員いい。そこがすばらしいと思う。日本酒を飲み飲み、しあわせな気持ちになる。
 そして明日も休みか。持て余すな。どう過したものか。

友達のいない夫婦と経済

 起きたらファルマンが、「あなたにたくさん友達がいる夢を見た」と言ってくる。ちょっと斬新なパターン。僕が僕の夢の中で、友達に囲まれてハッピーでいるところをアラームに起され、「なんだ夢かあ……」じゃない。僕の夢友達は、僕本人じゃなく、ファルマンの頭の中の僕の所へ、間違えて行ってしまったらしい。相変わらずドジな奴ら! しかしそのあと、「それでたくさんのお友達を家に連れてきて、そうしたら私もわりと社交的で、明るく相手をしてた……」とファルマンは続けて言ったので、実際には絶対にそんなにファルマンは朗らかに対応できないに決まっていて、そんな自分になりたいのかどうかは知らないが(たぶん別に思っていないが)、やっぱりそれは「なんだ夢かあ……」の一種だったのだな、と思った。どちらにせよ哀しい夫婦の日曜日の目覚め。子どもは先に起き、ふたりで過していてくれたので、たっぷりと寝られた。
 準備をして、午前中のうちに買い物に出かける。ファルマンの眼鏡の新調が主目的でのショッピングセンター行きだったが、残念ながら「これぞ」というものには出会えなかったようで、今回も購入には至らなかった。正月に僕が買ったときにお店にあったやつが、いま思えばすごくよかった、あれを買えばよかった、私は注文してもレンズが取り寄せになるから横浜で買うのは尻込みしたが、郵送とか方法はいくらでもあったのだから買うべきだった、ということをこのひと月ずっと言うのだが、もう二度と巡り会えないだろうそれが、イメージの中でだいぶん美化されているのだと思う。厄介な人だ。以前、ちょいちょい買い物をした服屋を覗くが、トレンドが様変わりしていて、ぜんぜん趣味のものがなくなっていて、ショックを受ける。なんか、平面的な、素人が作ったみたいな、のぺっとした服ばかりだった。なんだろうかあれは。しかし、あんなもん誰が着んねん、と思って街の人を見たら、わりとみんなそんな服ばかり着ていてハッとするパターン。流行ってすごい。ほんとツーブロックとか、猫も杓子もしててびっくりする。かりあげくんじゃねえかあんなもん。
 というわけでSCでの買い物はとても不発。そのあと手芸屋に立ち寄り、ピイガの幼稚園の諸々の袋類を作るための生地を選ぶ。ポルガが黄色だったのに対し、ピイガは絶対にピンク。ピイガは、「女の子=ピンク」という図式がピタッと嵌まるタイプで、ああ女の子ってこういうことなんだな、女の子って本当にピンクでお姫様なんだな、と感心すると同時に、あれ? 女の子を育てるのはふたり目のはずだぞ? ひとり目のあれはなんだったんだ? 妖精的な、性別とかそういうんじゃない生きものだったのかな、と思う。ちなみに弁当箱などの持ち物のキャラクターは、ポルガがドラえもんで、ピイガがマイメロディ。これが端的にふたりの人格を象徴している。生地は、いいものに出会えた。薄ピンクをベースに、ウサギをはじめとした動物や、リボンやお城やハートやキャンディやカップケーキなどのイラストが細かく描き込まれた、とても「らしい」もの。よかった。これはいい。本当にピイガにぴったり。かわいく作ってやろうと思う。
 帰宅後はのんびりと過す。先日ZOZOで買った帽子が、サイズ「FREE」だったのに入らない、という悲劇が起り(ファルマンに引き受けてもらった)、「大きいサイズ」という注釈入りの帽子を新たに注文したりした。ウェブで見る帽子にはいろいろな種類があるが、「大きいサイズ」という制約を入れると途端に選択肢が狭まり、ああこれが4Lとかの服を着る人の気持ちなのか、と思った。わりと哀しいものだ。見識が広がった。そうか、僕の頭は、「FREE」として売られている帽子が、普通に入らないのか。道理で頭脳明晰なわけだと思った。
 晩ごはんはサーモンのお刺身に、ポテトサラダ。あと昨日の残りのホワイトシチューを汁物のような感じで並べた。スーパーでキャベツが安ければ、餃子を作ろうかという色気があった。しかし安くなかったのでやめたのだった。ニラはだいぶ落ち着いたが、キャベツはまだらしい。もっともキャベツが高いのは「やだなあ、もう」程度なのだが、冬場に白菜が異常に高いのって、もう自分が買うとか買わないとかじゃなく、お前それでいいのか、と言いたくなる。お前はキャベツと違って冬場に照準を絞ってコンディションを整えればいいのに、それができないって、お前はダメな子なのか、と思う。冬に白菜がこうだと、鍋業界全体が今年は冷え込んだことだろう。思えば今年はほとんど鍋をしていない。

プロペ家の2018年の冬

 冬の休日のレジャーとして、カラオケに行く。本当に家族とばかり過す。
 唄ったのは、「マルス2015年」(スチーブン・トート)、「I'm proud」(華原朋美)、「バレッタ」(乃木坂46)、「センチメンタル・ジャーニー」(松本伊代)、「BE TOGETHER」(鈴木亜美)、「学園天国」(フィンガー5)、「Can't Stop Fallin' in Love」(globe)、「SWEET 19 BLUES」(安室奈美恵)、「I BELIEVE」(華原朋美)というラインナップ。どういうことかと言えば、もちろん小室哲哉引退記念である。華原朋美とか、果たして唄い切れるのかと不安だったが、それなりになんとかなった。朗々と気持ちよく唄える昭和ソングもいいけれど、ふだん絶対に出さないような高い声を精いっぱい出して唄うのもまた別の気持ちよさがあって、これぞカラオケの醍醐味だな、と思った。今後もうちょっと聴き込み、「I'm proud」とか持ち歌にできたらいい。あと唄ってみて初めて気づいたが、「BE TOGETHER」は、唄い手の歌唱力を勘案してのことだろうが、ちゃんと唄う部分というのが、歌の中にほとんどないのだった。タイトルの「BE TOGETHER」はコーラスの人が言ってくれて、本人はそのあとに「今夜は~」とか「朝まで~」とかちょっと言うだけ。気づいてなかった。唄っていてぜんぜん愉しくなかった。小室さすがだな。今回はファルマンも小室を何曲か唄い、globeの際には互いにマーク・パンサー担当を請け負う、ということをした。ファルマンは「DEPARTURES」だったので僕はわりと楽だったのだが、僕の「Can't Stop Fallin' in Love」はマーク・パンサーパートがわりと長く、迷惑をかけた。ファルマンは、ポルガが「モアナと伝説の海」の歌を唄う際は、夏木マリ演じるタラおばあちゃんのパートを課されたり、芸達者ゆえに大変そうだ。子どもたちもディズニーソングや童謡を愉しそうに唄っていた。普段があまりにも放埓な大声なので、マイクを持って音楽に合わせて唄おうとすると、むしろ声が小さくなるという現象が起きていた。家でもマイクを持たせようかな。そう言えばドラえもんの道具に、大きな声ほど小さく聞こえるようになるマイクというのがあって、ジャイアンにリサイタルの際に使わせていたな。
 カラオケのあとは図書館といういつものパターン。先週に図書館に行きそびれたので、子どもたちの読む本が欠乏していたのだが、実は昨日も行った別の図書館と合わせ、たんまり補充することができた。一家で、図書館をふたつ巡ると、なんか合計で100冊くらい仕入れる。考えてみたらずいぶんな量だと思う。駐車場で、雪まじりの小雨に降られた。岡山南部なので積もりはしないが、今年は何度も雪が舞った。きちんと寒い冬だった。
 午後は家でのんびりと過した。子どもらがふたりで遊んでくれて、両親はダラダラとパソコンなど、なんてことが、だんだん頻度が高く実現するようになってきた。素晴らしいことだ。晩ごはんはチルドの餃子と中華スープ。スープに手作りの煮豚を刻んで入れたら、とても美味しかった。キムチの素とごはんを入れて啜ったら、世界一おいしい感じがした。いい休日だった。

ポルガ7歳

 1月22日はポルガの誕生日ということで、その前日の日曜日、21日にお祝いをした。
 この日に対して並々ならぬ思いを抱いていたのは、もちろん祝われる側のポルガで、それ自体は真っ当なことであるような気がするが、しかしその思いがあまりにも強く、祝う側の人間を疲弊させた。哀しいことである。でも考えてみたら難しいものだと思う。だってクリスマスとかじゃなくて、年にいちど、自分だけが主役の誕生日なのだ。それはどこまでも盛大に祝われたいに決まっている。しかし往々にして、祝う側はそこまでの熱情を持ってその日に臨まない。もちろん親なので、娘の誕生日をめでたく思う気持ちは大きいし、ポルガ本人にも喜んでもらいたいと思っているが、その気持ちの強さはどうしたって本人のそれには敵わない。ここに悲劇がある。これは、特に子ども時代において、誰もが共通して通過することなのだろうか。少なくともポルガの両親である僕とファルマンは、どちらも子ども時代の自分の誕生日に、「誕生日だからってなんでも許されるわけじゃない」と親から叱られた経験がある。そんな両親から生まれた子どもが、自分の誕生日祝いの日に、度を超えないはずがない。なんかもう、ポルガは一日中バチバチとしたものを放電していて、周囲の人間はそれにすっかりあてられた。
 そもそも僕は体調があまりよくなかった。胃か腸か判らないが、なにか慣れない不快感があった。吐き気も下痢もないのだが、なんか体内の消化器系が調子を崩しているな、という感じ。しかし昼ごはんは回転鮨屋に行くという約束があったので、予定の変更などできようもなく、赴く。行ったら行ったで僕もだんだん調子がよくなり(外気に触れたのもよかったのかもしれない)、それなりに鮨をぱくついた。もっとも最近は家族で回転鮨屋に行っても、僕だけ店ではろくに食べず、持ち帰りの算段ばかりしている。やっぱりどうしたって鮨にはアルコールが必要なのだった。
 家に帰って、ケーキ作りを始める。今年もヒットくんの形をしたドーム型である。消化器系の不快感は依然として不定期に訪れ、ケーキと体調不良という組み合わせに昨年末の情景が想起され、ぞっとした。
 ケーキの目処がついたところで、プレゼントの贈呈をする。祝いの席で贈らないのは、今年のプレゼントが「人生ゲーム」だからだ。とうとうわが家にも人生ゲームがやってきた。またこういう小物が多い系のおもちゃが増えたか、という諦観も抱きつつ、早速プレイしてみることに。僕もファルマンももちろん子ども時代に家にあって、やっていたので、デザインの変わらないお札とかに色めき立った。ゲームそのものもさすがに愉しかった。ちなみに結果は、僕とピイガの合同チームが1位、ファルマンが2位、本日の主役がビリだった。接待しないのな。
 夕方になり、たこ焼きを始める。これも去年から変わらず、ポルガの誕生日祝いのメニューは、ポルガの大好物(と本人がするところの)たこ焼きなのである。ところでポルガが頻繁に所望するため、誕生日と言わず年に何度か作るけれど、回数を重ねれば重ねるほど、たこ焼きなんてそんなに食べたいもんじゃねえな、という気持ちが高まってきている。これまで紅しょうが、えびせん、だし汁と、さまざまな工夫をして愉しもうと努力してきたが、やっぱりいよいよそんなに食べたくない。重たいばかりで、そこまでおいしいものではないと思う。
 一陣目が焼き上がったところで、引っ越しが間近に迫る三女がやってくる。先週の引っ越し手伝いの際に誘い、本当に来てくれたのだった。三女はこの前夜、職場の同僚たちが開いてくれたという送別会だったそうで、そのときにもらったというスヌーピーのパーカーを着ていた。たぶん三女は今回の職場で2年程度しか働いていないのだが、それだのに送別会が開催されたということに、ずしりとしたショックを受けた。僕は今の職場で働いて、この春で丸4年になるけれど、それでもたとえ辞めたところで送別会など開かれないと思う。この差は一体なんだろうと思った。火の属性のキャラクターが火の近くに行くとその火の勢いが増すという現象のように、三女や義兄の身体からはなんかしらの人付き合いを強める成分が出ていて、それが周囲の人々を友好的な心情にするのではないかと思った。だとすれば彼らはなんと尊い人間だろうか。そして僕からはその真逆の成分が出ている。仮に僕が三女の職場に就職し、三女が僕の職場に入っていたら、僕の職場の人々は三女の送別会を開き、三女の職場の人々は僕の送別会などしない(僕に限らず、送別会とかそういうのをしないタイプの職場になる)のだろうと思う。僕の身体からは、人付き合いの火を消す成分が出ている。なんか中二病みたいな感じになった。みんな俺の周りから離れろっ!
 たこ焼きを食べ、ケーキを食べ、娘たちがテンション高く踊ったり唄ったりするさまを眺めていて、いよいよ意識が保ちづらくなる。ここでギブアップ。ファルマンと子どもたちが風呂に入ったタイミングで、お客さんの相手も放棄し、ベッドで仮眠することに。40分ほど寝て、ほどほどに回復する。こうも疲弊したのは、なんとなく身体の具合がよくなかったせいももちろんあるが、とにかく子どもがうるさいのが原因だろうと思う。うるさいというのは、生意気だとか口数が多いとか、そういうことじゃなく、単純に音量が大きいのだ。ふたりとも。体育館の端にいる人に話しかけるような音量で、すぐ耳元で喋るのだ。あれにやられる。平日は接触時間の少なさに救われているそれが、休日ではそうもいかず、そしてヘトヘトになる。なんだか本当に疲れた。夜はブログも書かず、漫画を読みながら鮨をつまみ、酒を飲んだ。鮨がおいしく食べられるのだから消化器系の不調も大したことない。
 全体的にうんざり感が横溢する文章になってしまったが、ポルガの7歳祝いである。それは本当にめでたい。めでたいんだが、もうちょっと落ち着いてほしい。まだか。まだだわな。

梱包ハイ

 これまで岡山でひとりで暮していたファルマンの下の妹(三女)が、このたび島根の実家に帰還することとなり、今日はその引っ越し準備の手伝いに赴いた。
 三女の住まいは我が家から車で30分ほど、鉄道で言えば5駅の距離にあり、今となってはもっと密に絡んでもよかったような気もするが、ほどほどに近くに住んでいたらそれはそれであまり接触しないものらしく、3年あまりの三女の岡山生活の中で、向こうの住まいにお邪魔したのは今日を入れて5回程度だった。
 以前、我々が島根、三女が香川に住んでいた時期にも、三女の香川県内での引っ越し作業というものを手伝ったことがあり、その際は本当に引っ越しが決行されるタイミングで、その前日の大詰めの作業から行なったのだった。そのときは、前日でありながらあまりの「日常の生活が送れてる」具合に頭がクラクラし、なんとか間に合わせるためにくたくたになったものだが、今回に関しては実際の引っ越しの2週間あまりも前での手伝いのため、気が楽だった。しかしかつて前日にあんな有様を見せた三女は、もしかしたら2週間前の段階で段ボールの手配さえできていないのではないかと危惧したが、さすがにそんなことはなく、玄関を入ってすぐの廊下に、パンダのキャラクターが印刷された段ボールの束が鎮座していた(受け取った状態で鎮座しているだけではあった)。
 というわけで梱包を始める。ファルマンが張り切っていた。ファルマンは現在の我々の住まいで、実家以来ずいぶん久しぶりにひとつ所に2年以上住んだ、というほどの引っ越しジャンキーであり、近ごろなど悪い虫が騒ぎ出し、引っ越し欲求が高まっていたところだったので、この梱包作業でいくらかはその衝動が収まってくれたのではないかと思う。
 僕は立場上、あまりプライベートな小物を梱包していく作業はどうなんだという気がしたので、動きあぐね、三女になにをすればいいか訊ねたところ、押入れに入れてある冬用タイヤを駐車場に降ろすだとか、ソファーを集積場まで運ぶとか、力仕事を求められたので、そんなことってあるのか、まだこの世に僕に力仕事を頼む人間が生き残っていたのか、と思った。でもがんばってやった。やったあとは予想通りそれだけで疲弊し、あとはほとんどコタツに入ってテレビを観たり、三女の住まいに来るのはきっとこれが最後になるので(引っ越しは平日に行なわれるため参加しない)、思い出として写真を撮ったり、作業において邪魔でしかない子どもたちを連れ出して近所の公園に遊びに行ったり(粉雪が舞うほどに寒かった)、そんな風にして過した。
 その間にファルマンはバカスカと段ボールを作っていた。引っ越しまではまだ2週間もあるのに、家にあるほとんどのタオルを箱に詰めてしまうくらい、見境をなくしていた。引っ越し梱包ハイ。普段の生活で、ファルマンほどの面倒くさがりはいないと僕は常々感じているのだが、こういうときのパッションを希釈して日常生活のほうに回すことはできないのだろうかと思う。まあできるはずもないのだけど。
 昼過ぎから夕方まで滞在し、そんなわけでそれなりに働いた。もっとも話を聞けば、なんのことはない、引っ越しまで2週間あまりあるのに対し、三女のこちらでの勤めはあと数日で終わるのだそうで(いいなあ!)、本人がいくらでも作業できるのである。まあそうなったらそうなったで意外と作業は遅々としてと進まない(というよりも直前までやる気にならない)、というのも自明の理なので、こうして梱包ハイの長姉一家が訪れ、まだわりと必要だったものまで箱に詰められるくらいの嵐に見舞われたのは、三女にとってよかったに違いない、と勝手に結論づけた。慣れない力仕事をして大いに疲れた。