週末

 ようやく新しいパソコンが整う。ああパソコンいい。Windowsの世代が変わったので、それでどうしたって違和感というのはあるけれど、それでもやっぱりパソコンはいい。タブレットでもインターネットはできるし、文章作成もできるのだけど、どうにも没入できない感じがあった。パソコンが扉だとすれば、タブレットは窓のようなイメージ。窓からでも中は覗き見ることができるし、言葉をかけることもできるし、ちょっとした物なら受け渡しすることもできる。でもそれって正式じゃない。ちゃんと玄関から入ってないから、お互いに雑な感じの応対になる。急いでいるときなど、むしろそっちのほうがいい場合も当然ある。ただ情報を得るためなら、それでいいのだ。でもきちんとなにかをしたいのなら、タブレットやスマホではなかなかできない。どうにか発信しようとあがいたところで、それは140文字程度に収束されるだろうと思う。
 先週の土曜日は午後から公園に遊びに行った。気候がすばらしい。いま貪欲に公園に繰り出さなくてどうする、という気候である。思う存分に子どもを遊ばせた。この「思う存分」は、あくまでこちら側の思う存分であり、子ども(特にポルガ)は常に「そろそろ帰るよ」と声をかけると渋るのだった。あちら側の思う存分とは、力尽きて倒れるまでなのだろうと思う。
 夕飯は天ぷらとうどん。ザルではなくツユのうどんで、海老やら舞茸やら人参と玉ねぎのかき揚げやらは、そこに突っ込んでもいいし、塩をかけて食べてもいい、という感じで食べた。おいしかった。ツユと言えば、母が先日、焼いたクッキーやパンを送ると予告してきたので、「それならば一緒ににんべんのつゆの素を送ってくれ」と頼み、西日本ではなかなか手に入らないそれを送ってもらったのだった。それで1リットルボトルのそれを、晩酌でザルそばをするときなど、チビチビと使っている。懐かしい味でおいしい、ような気がする(いざ味わってみたら、そこまで敏感な舌の持ち主でもなかった)。でもこれは貴重なので、家族でこうしてうどんを食べるときなんかには使わない。こっちのスーパーで売っている普通のめんつゆを使う。めんつゆは開封してから長くもつものでもないので、たぶん僕はこれを、ケチるあまり最後ダメにするのだろうな、という予感がしている。
 そのあと21時頃になって、三女がやってくる。三女は翌日に岡山で行なわれる友達の結婚式に参加するため、姉一家の家に前泊しにきたのだった。姉一家すげえ便利だな、とも思うが、三女ならば姉一家が岡山にいなくても、いくらでも他の友達クーポンを持っているのだろうという気もする。それにしたって、まるでサークル活動かのように、結婚式に頻繁に参加することだと思う。あの一団のそれというのは、俳句結社の句会のような感覚なのかもしれない。
 三女にもうどんと天ぷらを出して、日本シリーズの最終戦を眺める。結局ソフトバンクが勝利。第1戦と第2戦で、これは去年までの「パ・リーグに勝てる気がまるでしない感じ」がないぞ、いけるかもしれないぞ、と思ったのだが、やっぱり勝てなかった。セ・リーグで圧倒的に強かった広島が歯が立たないのだから、来年以降もセ・リーグが勝てるイメージが湧かない。
 翌日は三女を式場近くの美容院に送ったあと、わが家はカラオケへと繰り出した。今回はいつもと違う店に行ったら、部屋の狭さにびっくりした。もっともいつも行く店の部屋が異様に広いのである。子どもは踊り、僕もバトンを回せる。それくらい広いのだ。あれが普通のように思ってしまっていたため、今回久しぶりに「通常のカラオケの部屋」を体験して、ちょっとショックを受けてしまった。そこはかとない関係性の男女グループで行けば、あの閉塞感がプラスに作用するのかもしれないが、ファミリーにとっては手狭なだけだった。やっぱり今後はいつもの店に行こう。
 唄ったのは、以下の通り。
 「テルーの唄」(手嶌葵)は、1曲目としてはよろしくなかったし、それに前回の歌唱でもう旨味はぜんぶ味わい尽くしたのだな、と思った。メンツが違えばまた成立するのだろうが、「カラオケで「テルーの唄」を歌うおもしろさ」はもう発生せず、場をぼんやりとさせてしまっただけだった。
 2曲目は「ALIVE」(SPEED)。我ながら、俺はSPEEDを唄うのかよ、と思う。もちろん世代的にはドンピシャなのだが、唄おうとするかよ、三十代半ばになって逆に、ということを思う。途中のセリフ部分「愛は生きてる ずっとこの思いは胸に息づいてる ALIVE」を、「愛は生きてる 女の子のいちばんの性感帯は頭の中にある ALIVE」とする、というのを、カーオーディオで曲を聴きながらずっと目論んでいて、実際に妻と娘とのカラオケにおいて実行した。
 3曲目は「硝子坂」(高田みづえ)。4曲目は「COLORS」(宇多田ヒカル)。5曲目は「ボーイフレンド」(aiko)。
 我ながら選曲がよく分からない。どうなりたいのか。そのあとは唄ったことのある歌や、会ったことのない三女の友達に捧げる「てんとう虫のサンバ」なんかを唄った。まさか三女の友達(新婦)も、こんな風に知らない年長者に結婚を祝われているとは夢にも思うまい。
 午後は家でのんびり。ミネストローネを作るべく野菜を刻みながら、溜まった「西郷どん」を少し観たりした。そのあと昼寝もして、起きてからミネストローネや炊き込みご飯んの夕飯。
 まあそんな感じの週末だった。なんとも散漫な日記になった。ブランクが空いて、まだブログにチューニングがちゃんと合ってない感じがある。ちょっとずつ調整したい。なにしろもう11月に入っている。11月に入ったということは、恒例行事の準備をし始めなければならない。