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真夏のエアコン気絶と初秋の模様替え


 実は今年の夏、僕とファルマンが使っている部屋のエアコンが、音を上げていた。
 それは故障した、ではなく、あくまで音を上げた、という感じで、基本的には動くのである。そして動くときは、涼しい空気を出してくれるのである。しかし西向きに窓があり、室外機もまた西向きに設置されているわれわれの部屋のエアコンは、たぶん一日でいちばん温度が高まった状態になるのだろう、14時半から17時半くらいの時間帯、異常を知らせる赤色点滅を表示し、稼働を止めるのだった。それはまさに「もう無理!」とギブアップしている感じで、見方によってはなかなか親しみを感じる人間性であると言えた。
 とは言え室内で過す人間には堪ったものではない。僕がその時間帯に部屋にいるのは週末だけなのでそこまで問題ではないが、なにしろファルマンである。家からはもちろん、部屋からも極限まで出ないことで知られるファルマンだ。すぐに「これはまずい」ということになり、最低限の仕事道具一式を持ち出して、ピイガの部屋へと避難した。もちろん修理の依頼は試みたのだが、時期が時期だけに、だいぶ先になるという返事だったそうである。
 そんなわけでこの夏、ファルマンはずっとピイガの部屋で仕事をしていた。ピイガというのは甘えん坊なので、もちろんそれを拒むはずもなく、むしろ喜んでいた。なんなら寝るのもこの部屋ですればいいのになどと、末っ子らしい、いじましいことまで言うのだった。
 そんなふうにして夏が過ぎ、9月に入って、暑さもまだまだ継続しつつ、しかしさすがにピークは過ぎたようで、そのことをどこでいちばん強く感じるかと言えば、われわれの部屋のエアコンが例の時間帯にも音を上げなくなった、という点によってであり、とりあえずなんとか今年の夏は乗り切ったのだった。エアコンの修理は、先日いまさら「行けますよ」という連絡が来たのだが、真夏のあの時間帯以外は普通に動くのだし、まあ様子を見るか、ということでお断りした。
 それで、じゃあぼちぼちファルマンもこっちの部屋に戻ってくるのかな、と思いきや、ピイガは「戻らないでほしい」と望むし、ファルマン的にもリビングに近いピイガの部屋のほうが仕事をするにあたって都合がいいなどという事情があるようで、エアコンの気絶がきっかけの期間限定の避難のはずだったが、いっそピイガの部屋の一角を正式な仕事場ということにする、ということになり、この1ヶ月あまりで物置と化していたデスクなど、本格的にごっそりと移動することになった。そしてそうなると、その分のスペースが当然ながら空くので、こちらの部屋でも模様替えが発生することとなり、今週末はこの作業に勤しんだ。
 結果としては、これまでファルマンと共有だった部屋が、僕だけのものになった形で、とても寂しい。ああ寂しい。本当に寂しい。でも寂しさにばかり目を向けていてもしょうがないので、ミシンやパソコンなどをのびのび、すげえ機能的な感じに配置し、なるべく部屋が快適になるようにした。これまで週末、ファルマンに仕事があるとき、せっかくの休日なのにミシンができない、などという事態がままあったが、今後はそんな問題からも解放される。なんだか寂しい。心にぽっかりと穴が開いたようだ。
 ちなみに、冗談めかして述べているが、ファルマンが自分の身の回りのものをどんどん部屋から持ち出していくさまは、ある日ごっそりと父のものが家からなくなっていたという経験を持つ母子家庭出身者からすると、微妙にトラウマが刺激される部分があった、ということはここに明記しておく。それだのに気丈に、寂しさのことをわざとおちゃらけて表現するところに、僕の尊さがあるとしみじみ思う。
 もちろん夫婦の寝室としての機能は継続している。仕事はあっち、寝るのはこっちと、ファルマンの部屋はふたつに跨ったのである。これもある種のノマドワーカーか。「ピイガが思春期になって部屋から追い出されたら戻ってくるけん」とファルマンは言う。果たしてそんな日は来るだろうか。ピイガに限ってそんなことにはならないような気がする。いや、寂しいからいつでもこっちはウェルカムだけどもね。

GW2025の記録

  GWの4日間を、まあまあ満足のいく出来で終えようとしている。その記録をしてゆく。
 初日、5月3日は、このGWで唯一と言っていい、予定していた計画として、米子へと繰り出す。米子市美術館で開催中の、さくらももこ展が目当てである。わが家では現在、主にピイガが、「ちびまる子ちゃん」から入り、「コジコジ」にドハマりして、さくらももこワールドにどっぷりと浸っているのだった。また米子というのが、普段よりちょっとだけ大掛かりなGWの外出先として、非常に適当な位置関係であり、実に都合がよかった。しかも、次女一家の長女(ピイガと1学年違い)も同じく「ちびまる子ちゃん」が好きなので、それではこの日に、兵庫からまたこちらに帰省してくる次女一家と、あちらとしては通り道である米子で落ち合って一緒に観賞しようという、見事な計画を春休みの際に立てていたのだった。
 というわけで、昼まで部活だったポルガを学校で拾い、昼過ぎから米子に向けて出発する。ちなみに計画を話したところ三女も行くということになり、同乗していた。さくらももこはすごい。女子は35年前くらいからずっとさくらももこが好きだな。車内音楽は、この日専用のプレイリストを作り、子どもやファルマンがめいめい好きな曲を入れる中、僕だけは律儀に、アニメ「ちびまる子ちゃん」の歴代主題歌などを入れていたのだが、残念ながら行きではほとんど掛からなかった。ちなみに「ちびまる子ちゃん」だけでは、ひとりの持ち数である10曲に達しなかったため、「ドラゴンボール」の主題歌も入れた。これはなぜかと言えば、同じく米子にある天満屋というデパートで、ちょうどドラゴンボールのポップアップストアが開催されていたからだ。僕が熱烈な「ドラゴンボール」ファンであれば、女どもがさくらももこ展に行っている間、俺は「ドラゴンボール」のほうへ、という、まるで30年前の男子と女子のような図式になっておもしろかったろう。もちろん天満屋へは行かなかったし、さらに言えば「ドラゴンボール」の曲も行きではほとんど掛からなかった。僕の入れた曲は、行きでは「MajiでKoiする5秒前」しか掛からなかったんじゃなかったか。
 目的地には13時半くらいに着いた。次女一家は兵庫からなので、正確な時刻での待ち合わせなどはもちろん不可能で、先に着いたほうが美術館の中で鑑賞しながら待ってればいいよね、という感じだったのだが、運の悪いことにこの日の高速道路は事故が重なり、通行止めになる区間などもあって、この時点で次女一家はまだ岡山県という有様だった。これはだいぶ待つことになりそうだねえ、などと話しながら、家族と三女を美術館前で降ろした。降ろして、僕はひとりで次の目的地へと向かった。もちろんドラゴンボールショップではない。どこかと言えば、僕の日記をきちんと読んでいる人はすぐピンと来ると思う。
 そう、ラピスパだ。3月の鳥取遠征の際、少しだけ色気を出したけど、疲労から行くのを断念した、サウナ温浴施設。「ラピスパは長い人生、いつか行く機会がある気がする」と3月の際に書いたが、意外と早くその機会は巡ってきた。もっとも同市内と言っても、米子市美術館からラピスパは片道で20分ほど掛かるので、往復で40分かー、という気持ちも多少あったが、今度こそ行かないとまた後悔が尾を引きそうだな、と思い決行した。
 というわけで、ようやくのラピスパ初来訪となった。ちょうど、どちらかと言えばこっちがいいなあと思っていたガーデン風呂が男風呂の周期だったのもよかった。GWということで大混雑だったら嫌だなあと思っていたが、さすがは山陰、ほどほどの混み具合で、なんら問題なかった。名物のバレルサウナは、熱の感じがどうこうというより、室内がかなり暗くて、そのことに驚いた。言われてみればサウナってあんまり明るい意味ないよな、と思った。外気浴は、やや冷たい風が気持ちよかった。コールマンのインフィニティチェアが、とてもいい座り心地で感動した。ちなみにラピスパにはプールもあり、もちろん水着も持参していたので入ったのだけど、直線ではなく、円の中を歩いてジェットを体に当てたりする、健康増進目的みたいなプールで、さらにはファミリーもそれなりにいたので、プールとしての喜びはまるで得られず、早々に退散した。幸い、この2日前からプールには困っていないので、ガツガツしていないのだった。
 満足いくまでサウナを堪能し、それまでもちょくちょく連絡がないか確認はしていたのだが、ぼちぼちそちらへ戻ろうと思うよとファルマンに連絡したところ、向こうも美術館観賞を終わろうとしているが、次女一家は未だ来ていないということだった。そのあと4人を再び美術館前で拾ったあと、待機ついでに天満屋のドラゴンボールショップならぬ、高島屋で開催中の「うまいもの博」なんかを覗いたりもしたのだけど(島根にはもはや存在しない「百貨店」というものの雰囲気を本当に久しぶりに味わった)、この日の高速道路は本当に厄日だったようで、次女一家のさくらももこ展行きは断念され、米子での合流は成らぬまま、それぞれ実家を目指すこととなった。なんだかんだで、実家にはほぼ同じくらいのタイミングでたどり着いた。次女一家は、米子に13時台に着けるよう午前中に出発しての、夕方のゴールである。おつかれさま、としか言いようがない。さくらももこ展のグッズショップで買ったおみやげだけ渡し、この日はほぼ挨拶だけして、われわれは自宅に帰った。
 翌日は、GW中の唯一のイベントが終わったので、いとこと遊びたがる子どもたちを実家にうっちゃって、これからの3日間は家でのんびり、やりたいと思っていたことをひたすらやろうと目論んでいたのだが、サービス精神なのか責任感なのか、我ながらよく分からない心の運びなのだが、気がついたら午前中に買い出しに出て、昼には実家のホットプレートでパンケーキを焼いていた。ほのかにしか甘みのついていない粉を使用し、パニーニのような感じで、キャベツとソーセージを乗せて包んで食う感じにしたものをまず全員分作って昼ごはんとし、残った粉を長方形のプレートのように焼いて、熱を取ったところで、チョコペンで、つい先日3歳になった次女の次女への祝いの言葉を記し、さらにはホイップクリームやカラフルなチョコスプレーでデコレーションしたものを作った。冷静に考えると、なんで義理の伯父が急にそんなことをするんだろうという話だが、もはや性分としか言いようがないのだった。ちなみに僕とファルマンはそのケーキ的なものは食べず、昼ごはんを済ませたあとは早々に帰った。帰ったあとは、とても静かな自宅で、裁縫をして過した。母の日に、また手作りのものを送ろうとしていて、その作業である。まあまあ進む。夕方に娘たちを迎えに行った。
 翌日こそはのんびりしようとも思ったのだが、空がとても晴れ渡っていて、このまま子どもたちをただ実家に連れていったら、昨日の午後のように、ひたすら室内でグダグダワアワアと過すのだなと思うと、せっかくのGWの、それも子どもの日だというのに、あまりにも不憫であろうと、またひとりで勝手に気を揉んで、海に行くことを企画してしまう。なんかひとり、やけにジタバタしているような気がする。誘ったら誘ったで実家の面々も応じ、義父の車と2台に分かれて、キララの海岸へと向かった。GWの海は、泳ぐにはさすがにまだ温度が低いけれど(海開きももちろんまだ先だ)、足を浸すのには十分なあたたかさで、僕は(実は持っている)バミューダパンツ型の水着をハーフパンツとして穿いてここまで来ていたので、わりとぐんぐん海の中を突き進み、腰くらいまで入水し、海の感じを堪能した。海は波があってやっぱり愉しいな。子どもたちも着替えを持ってきていたので、ハーフパンツが水浸しになるまで海に入っていた。そして他の大人たちは砂浜からわれわれのことを眺めていた。どうも昨日、いやおとといから、GWを思う存分に堪能しようと、ひとりで躍起になっている。生き急いでいるのだろうか。海での遊びを終え、昼ごはんは義父母の奢りでマック。海で遊んでマックだなんて、なかなかいいこどもの日になったじゃないか、と満足した。
 そのあとはまた子どもだけ実家に残し、夕方まで自宅で過すパターン。この日は、これもGWにやりたいと思っていた、部屋の模様替えをした。模様替え、一時期は趣味なのかな、というくらい頻繁に行なっていたが、今回はだいぶ間が空いた。やったのは僕とファルマンの部屋の、タンスと工業用ミシンの入れ替えがメイン。これまで、パソコンが置いてあるテーブルの、すぐ背面にタンスがあり、僕のイスのせいでタンスが開けづらいというストレスがあったのだが、ならばタンスと工業用ミシンの場所を入れ替えれば、タンスは開けやすくなるし、僕は前を向けばパソコン、後ろを向けばミシンという、逆にどうしてこれまでその形にしていなかったのか、というくらいいい形になるのではないかと、少し前から構想していて、今回GWに一念発起してその作業を行なったのだった。ついでに生地の整理などもして、結果的にとてもいい形を作れた。本当にやってよかった。これまでパソコン用のイスとミシン用のイスという、僕のためにふたつのイスが部屋にあったのだが、これがひとつでよくなった。ファルマンのお下がりで使っていた、図体のやたらでかいオフィスチェアは、粗大ごみで棄てることにした。というわけでいま座っているのは折りたたみの簡素なイスなのだが、簡素は簡素で別にいいのだけど、これを360度回転するスツールにしたら、本当にくるっと身を翻すだけでパソコンとミシンが行き来できるようになって最高だな、などと考えている。やって達成感はあったが、午前中の海遊びもあり、いかんせん疲れた一日だった。
 翌日、最終日の今日は、次女一家は兵庫へと帰還するわけだが、これを見送ろうと考えると、予定していた時刻がどんどんずれ込んで、結局半日以上を棒に振るという事態になるので(春休みの際それをやってしまったのだった)、午前中はショッピングセンターに行ったり図書館に行ったりという用件をこなし、その帰り、昼前くらいに実家に顔を出し、見送れるなら見送るし、まだ出発しないようなら昼ごはんの前に退散しようという作戦を立てた。大きなダイソーにも行って、昨日の模様替えで必要性が出てきたケースなど、多数調達する。以前500円だったはずのケースが700円になっていて、どうしても必要だったので4つ買ったが、だいぶテンションが下がった。朝に聞いた出発予定時刻は11時とのことで、しかし次女一家のことだから11時に出発ということはあるまいと見込み、われわれの実家への到着が11時ちょうどになったのだが、そのとき次女たちはどんな状況だったかと言えば、なんかまだショッピングモールに買い物に行っている最中とのことで、じゃあ逆になんでいっつも実現できるはずのない出発予定時刻を伝えるんだよ、と軽く憤りを覚えた。子どもたちは家で留守番をしていたので、子どもたちはいとこらと最後の交流ができ、正午になっても帰ってこなかったので、当初の予定通りわれわれはそこで自宅に帰った。あとから聞いた話によると、それから数十分後に帰ってきた次女たちは、そのあと実家の面々と近所のファミレスに昼ごはんを食べに行き、それから出発したという。なんで! なんでショッピングモールで! 車の中で食べられるような! 適当なものを! 買って帰らないのか! 返す返すも、意地でも見送るために待とうだなどと考えなくてよかった。次に来るのは夏休み。まあまあ間が空くな、と思ったが、それってもう2ヶ月半後くらいのことなのだな。
 午後からは、GW最終日を、こうして日記など書いたりしつつ、それなりにのんびりと過した。母の日の手作り品は、まあまあ進んではいるけれど、もう今週の日曜日である母の日に、配達日数も含めて間に合うか、と言われれば難しそうだ。まあ当日にこだわりはないので別にいい。夕方、「買い物に行ってくるわ」と家族に伝え、こそっとプールへと繰り出す。昨日やおとといは混んだのかもしれないが、最終日の夕方ともなれば穏やかなものであった。明日からは日常。GWが終わると、しばらく真っ当な暦となる。泳いでストレスを解消しながら、なるべく心地よく暮していこうと思う。

夏の模様替え

 子どもらの夏休みが始まって、ファルマンは大変そうだ。それはそうだと思う。週末だけでも大変なものが、毎日いるのだ。それが40日余り続くのだ。考えるとぞっとする。
 放置しようと思えばできる。もう小6と小3なのだ。ずっと構ってやる必要などない。しかし子どもというものは、放っとくと本当に時間を無為にするので(まるで時間が無限にあるかのように)、少しは律してやらねばならない。学期中よりも高めることは望まないにしても、新学期にへべれけの頭で臨むわけにはいかないので、日々、勉学の時間は取る必要がある。ところがこの勉学というものが、近ごろあまりにもスムーズにいかないのだった。ポルガは「小学校の問題なんて勉強しなくてもちょろいぜ」というスタンスで不真面目、ピイガは勉強が大嫌いなので机に向かわされている間は終始不機嫌、という次第で、そんなふたりが隣り合って勉強をするとどういうことになるかと言えば、悪い比重はだいぶピイガに偏っているのだが、ピイガは自分が勉強をしたくないがゆえに、姉にもちょっかいを出しまくり、そして神経質な姉はまんまと勉強が手につかなくなり、そんなふがいない娘たちをファルマンが怒鳴るので、子どもたちが勉強中のわが家のリビングは、阿鼻叫喚の様相を呈すのだった。
 これから40日続く夏休み、早いうちに手を打たねばならないということで、少し前からポルガにせがまれていた、子どもたちの部屋を離す、という模様替えを、実行することにした。子どもたちにはこれまでもふたつの部屋を与えていて、でもそれはふたつの学習机や学用品のある勉強部屋(といいつつ机の上はいつも散らかっているのでリビングでやる)と、ふたつのベッドが並ぶ寝室、という分け方で使っていた。それをこのたび、ポルガの部屋とピイガの部屋というふうに分けることにしたのだ。はじめはそのつもりだった。しかしながら、甘え気質のピイガは、ひとり部屋なんかいらないということになり、じゃあピイガとファルマンというふたりの部屋を作って、僕もまたひとりで独立した部屋を使うというのはどうか、という話も出たのだが、紆余曲折の話し合いの末に、ピイガの机をわれわれ夫婦の部屋に持ってくる代わりに、われわれの部屋から寝室の機能は取っ払い、3人の机(とミシンとトレーニングベンチ)部屋と、3人の寝るための部屋、という分け方をすることになった。こうして書くとなんかおかしいな。結局ポルガだけが、きちんとひとり部屋を手に入れている。まあ年頃だから仕方ないのか。僕としては、トレーニングベンチが、これまで布団の上げ下げのたびにいちいち場所を移動させねばならなかったのが、スペースができたことによって固定できるようになったので、まあ微妙によくなったかな、という感じだ。
 昼ごはんのあとの勉強時間を経て、「もう模様替えするっきゃねえな」という決意をしたのが、日曜日の午後4時になんなんとするタイミングで、取り掛かりとしてはあまりにも遅かった。しかし1週延びたら被害もさらに大きくなると考え、全員でがんばった。作業はふたつの子ども部屋の家具を入れ替えるだけでは済まず、子ども部屋にあった巨大本棚をリビングに移したり、それに付随してテレビ台を撤去したりと、かなり大がかりなものになった。子どもと一緒に暮らしていると、本当によく模様替えをすることになる。子どもというのは脈動しているのだな、としみじみと思う。
 そんなわけで日曜日の後半にヘロヘロになってしまったが、なんとか作業は完了した。ちなみに本日月曜日、それぞれの机でやらせた勉強は、とてもスムーズに行なわれたとのことだ。机の上が散らからず、いつまでもその状態が続けばいいと思う。目下の問題は、「ひとり部屋」という概念をいまいち理解しないピイガが、とても頻繁にポルガの部屋に押し入ろうとすることだ。勝手に入ってポルガに怒られるので、ノックをするのだと教えたらノックをするようになったが、その結果「いま来ないで」という返事が返ってくると、キレてやっぱり押し入るのであまり意味がない。

さよなら2021

 仕事はなんとか28日に納まり、おとといから休みに入っている。12月はずいぶん働いた。なのでまとまった休みがとても嬉しいのだった。
 休み初日は午前中に、年末年始の食糧品の買い出しを行なった。12月の食費は、クリスマスというイベントを経ながらも(苺が高いのなんのって)、日々の弛まぬ努力によって、なんとかかんとか余裕を持って終われそうな情勢となり、それで気が大きくなって、今年最後の買い物は、これからの数日間、食べ物関係で困ることが一切ないよう、「迷ったら買う」をコンセプトとし、がしがしとカゴに物を入れていったら、結果的にあったはずの「余裕」はすべて吐き出され、非常にスリリングな数字となった。まあ本当に、これで今年の買い物は終了の予定だから、それでいいのだけど(ただし1月には2度の誕生日祝いが待ち受けている)。
 午後は、子どもたちを実家に預かってもらい、ファルマンはまだ納まらぬ仕事(在宅ワーカーというのは、出勤せずに仕事ができる分、いつまででも仕事ができてしまうのだった)に邁進し、僕は筋トレとハンドメイドをして過した。ゆとりのある時間の中で、思うままに筋トレとハンドメイドをするという過し方は、バタバタだった12月において、強く希っていたことだったので、精神がぐいんぐいんと癒されていくのを感じた。
 晩ごはんは、鮭ときのこのホイル焼きと、お買い得の甘えびの刺身。甘えびって、たまに殻付きで、舟にどっさり乗ってやけに安い、みたいなものが店頭に並ぶが、普段は工場加工品という感じの、殻が剥かれて均一な大きさのそれが平たく整然と並んでいる、しかもやけに高いのしかなくて、どういう流通経緯によってそうなっているのか、よく分からない。自分で殻を剥いて(もちろん食卓で各自が剥くのではなく、事前に僕が全て剥くのである)食べる甘えびは、ねっとりと甘く、とてもおいしかった。頭部などは、なんかうまくやるとおいしいダシとかが出るんだよな、と思いつつ、ノウハウがないので捨てた。捨てたというか、今年のごみの収集はもう終了していて、次はだいぶ先になってしまうため、えびの殻はヤバいということで、袋に入れて冷凍庫に入れた。「去年今年貫く棒の如きもの」という虚子の句があるが、棒の如きものとは、甘えびの頭だったのかもしれない。
 夜には、ファルマンに髪のブリーチをお願いして、やってもらった。1ヶ月半くらい前にも実はやっていて、しかしそのときはとても穏当なブリーチ剤を使ったため、光に当てると茶色いね、というくらいにしか茶色くならず、ファルマンは「そのくらいがいいよ」と諭してきたのだが、やっぱり充足がいかず、今度は激しいほうの商品を買って、(しぶしぶと)やってもらった。その結果、金とはいかなかったが、だいぶ明るい茶色になった。やっぱりなんだかんだで、髪が明るいほうが気持ちが上向くのだった。これからまた数日で色味が変わってくるので、それから判断するが、もしかするとここへ、今度は脱色ではなく色を入れるかもしれない。
 昨日は、ファルマンは引き続き仕事だったため、基本的に家で過した。こんなときにしかできないということで、かねてより「試してみたいね」と口にしていた、リビングのテーブルを座卓と入れ替える、という事業を、ひとりで行なった。これまで使っていなかった座卓は外の物置にあり、それを持って上がり、これまで使っていたダイニングテーブルを解体して、今度は外の物置に持って降りるという工程であり、けっこう大変だった。その結果、想像していたよりもいい具合になった。これまでメインテーブルと、ソファーに対するローテーブルという、ふたつがリビングにあったのが、座卓がそのふたつを兼用するようになったため、部屋が広くすっきりとした印象になった。また戻すのは大変だし、よほどの問題がない限り、しばらくはこれでいこうと思う。
 それ以外の時間は、料理をしたり、やはりハンドメイドをしたりした。のんびり、余裕である。休みが1日しかないと思って、もっと詰め込んで作業をすれば、もちろん作業はもっと進むのだが、休みがけっこうあるとなると、どうしても間延びする。でもそれでいいのだ、その余裕がいいのだ、と思う。それと、2021年、丑年が終わるということで、12月に入ったあたりから、今年でいよいよひと回りとなる干支4コマの牛編のことに、生活の端々で思いを馳せ、やらなければなあ、やらなければなあと懊悩し、オムライスにも、ピイガがクリスマスにもらったホワイトボードにも牛の絵を描くほど、12月下旬にここまで、来年ではなく今年の干支に縛られてる人間が他にいるだろうか、というくらいの状態だったが、しかし(言い訳に過ぎないが)12月は予想以上に忙しく、とうとう1話も投稿しないままここまで来てしまって、それでも29日から休みなのだから、3日あればできるな、などと考えていたのだが、まるでやる気配を見せない自分に、30日の昼過ぎあたりに、「あ、こいつもう、今年の投稿はすっぱりあきらめたな」ということを察し、そう察したら、パーッと視界が開けて、すっきりと解放された気持ちになった。やりきったら、それはもちろんすっきりしたことだろうが、やらないことにしても、それはそれですっきりするのだな、と思った。まあ牛だけに、牛歩作戦ということで、旧正月までにゆっくり投稿しようと思う。
 大みそかの今日は、子どもたちがまた実家に行くというので、それを送りついでに、僕はおろち湯ったり館に行った。送りついでといっても、実家へは車で5分ほどだが、湯ったり館へはそこから30分弱かかるので、ただやっぱりどうしても行きたかっただけの話だ。サウナに行ったらプールのことを想うし、プールに行ったらサウナのことを想ってしまうので、そうなるとどうしたって湯ったり館しかない、ということになる。起きたら雪が舞っていたので、雲南のほうはどうかな、と思ったが、まあ大丈夫だった。2021年の心残りを残さないための湯ったり館は、プールは空いていてとてもよく、たっぷり30分間、20メートル弱くらいのコースを50往復くらいして、しっかり堪能した。大みそかに泳いだのって、人生で初めてかもしれない。一方サウナはけっこう混んでいたため、外気の寒さもあって温度が低く、ちょっと微妙だった。もちろん時期的に2階も閉鎖されているし、そういう意味では残念だったが、でもまあ、行って後悔はない。やっぱり湯ったり館はいい。
 このあとは子どもが帰ってきて、紅白などを観ながら、晩ごはんや年越しそばを食べるだけだ。今年の行動も、日記も、これでおしまい。1月4日に引っ越してきた2021年の島根生活も、いやまったく自分でも信じられないくらいの紆余曲折を経ながらも、なんとかこうして、わりとゆったり、平穏な年末を家族で迎えることができていて、料理を一手に引き受け、さらにはリビングで裁断などしているので、子どもたちと一緒にいる時間も長く、しみじみと幸福を感じている。来年もいい年になりますように。

あたらいす

 子どもたちは年の瀬、クリスマスにプレゼントをもらうのに、その子どもを養うために1年間あくせく勤労した大人にプレゼントがないなんておかしいのではないか、という大義名分のもと、要するにファルマンにも僕にも欲しいものがあったからなのだが、それぞれ欲しいものを買った。欲しいものといっても、ファルマンが買ったのは高級キーボードなので、仕事道具だし、純然たる経費案件である。ちなみに使い心地はやはりとてもいいらしい。ならばよかった。
 僕は、僕は欲しいものが常にたくさんあるので、その中で今回はどれを選ぼうかという話なのだが、自分会議の結果、トレーニングベンチを選択した。いつかは欲しいと思っていたが、これまではスペース的な問題から我慢していた。それが秋の模様替えで部屋が広くなったことで置ける算段がついたため、とうとう買うことができたのだった。置ける算段といっても、トレーニングベンチがトレーニングベンチとして常に部屋の一部に鎮座するわけではない。そこまでのスペースはない。じゃあ折り畳み式か、といえばそういうわけでもない。僕はこれを、これまで使っていた椅子の代わりとして買った。だから筋トレをするときは部屋の中央までえいこら引きずって移動して使用し、それ以外のときはミシンおよびパソコンデスクの前に、文字通りベンチのように置く、というわけである。
 イメージしていただけただろうか。写真を撮って載せようかとも思ったが、自室なのでさすがによすことにしたため、想像をしてほしい。工業用ミシンの台部分まで含めた横幅が120センチあり、かなり長く、そのため左のスペースにパソコンを置けて、こうして使っているわけだが、その僕がいま何に座っているかといえば、横幅150センチあるトレーニングベンチなのである。背もたれはインクラインからデクラインまでできるように角度が変えられ、バックエクステンション(背筋)をするための突出したシートまで装備する、吟味に吟味を重ねて選んだ本格トレーニングベンチ。全体的に黒光りして、なかなかの迫力である。世の中に、家に工業用ミシンがあって、そのテーブルのスペースにパソコンを置いて、その椅子がトレーニングベンチの人って、どれくらいいるだろう。フルーツバスケットでその条件を出したら、僕とあと何人が立ち上がってくれるだろう。
 デスクに向かう際は、ベンチを横に使っているため、背もたれがないということになる。これは果たしてどうなのかな、とも思ったが、ファルマンと違ってそこまでパソコンで長時間の作業をするわけでもないので問題ない。これまでは座り心地の良い、6980円くらいで買った、2980円くらいの最低限のああいうのより、いわゆるちょっといいデスクチェアを使っていたのだが、僕もファルマンもそんなような椅子で(ファルマンは僕のものよりひと回り大きい重役クラスのものだが)、そして部屋の角を挟んで僕は北に、ファルマンは西に、それぞれ壁に向かって座っていたため、するとどういうことが起るかといえば、互いの背もたれが干渉し合うという、プチストレス事態に陥っていたのだけど、今回のトレーニングベンチの導入によってこの問題が解消した。これ以外の解決方法もいくらでもある問題だったが、意外な解決方法が待っていたものだと思う。
 さあ、夏に向けて、冬はせっせと、筋トレして、裁縫しよう。

高橋一生分

 とても時間のかかった机周りの整理が終わり、部屋全体の模様替えの効果も含めて、環境がとてもよくなった。なんてったって、ものがどこにあるのか、自分で把握できているのがいい。これまではそれができていなかった。ダイソーのプラスチックケースに物を詰め、そのケースが壁に土嚢のように積まれていた。なにか必要なものを探し出して、使い、あったケースに戻せばいいものを、手近なケースに適当に入れるものだから、はじめはあったはずのケースごとのテーマは霧散し、やがて混沌とした世界が形成された。混沌は創造を生むかと思いきや、意外とそんなことはなく、むしろ停滞をもたらした。これはとても示唆的な出来事であると思った。真の創造は、整然とした規律のもとでのみ生まれる、とはいわないが、整然とした規律のもとでは、ものの配置が分かりやすくて作業がしやすい、というのは真理である。
 整理をしていて、僕がなにか新しいことをはじめようと思ったとき、すぐにノートやメモ帳を買ってくるのを、ファルマンが「紙なんか一生分ある」とすかさず窘めてくるのを、これまで、なんでそういう意地悪をいうかなあ、と流していたのだけど、ノート類をひとところにまとめた結果、なるほど一生分ある、と納得した。ただし、使っていないノートの余白は一生分あるけれど、それでもやっぱり、新しいことを始めようと思ったら、新品のノートを買ってしまうのだよな。そう考えると、あれはなにかを書くためのノートを買っているのではなく、気合を入れるための儀式のようなものなのかもしれない。
 またそれに関連することかもしれないが、ホッチキスの芯、ダブルクリップ、ゼムクリップ、ガチャ玉と、紙をまとめる系の道具も、異様なまでにあった。異様なまでにあるくせに、ここで挙げたもののうち、この半年間で使ったものといえば、ゼムクリップをなにかの折にふたつくらい使ったかもしれない、というくらいのもので、紙が一生分だとしたら、紙をまとめる系の道具は、ざっと七生分くらいありそうだと思った。しかし今生においてこんなにもペーパーレスが進んだのだから、生まれ変わりが宇宙の時系列に沿うのだとすれば、このあとの転生後の生涯では、ますます紙をまとめる機会は減りそうで、そう考えて大量のホッチキスの芯やゼムクリップを眺めていると、思わず火の鳥に思いを馳せてしまう。これはもはやそういうスケールの話だ。茜丸がもう永遠に人に生まれ変わることはないように、僕だってどうだか分からない。来世に消費を期待しても仕方ないので、ならばいっそのこと、この大量のホッチキスの芯、ダブルクリップ、ゼムクリップ、ガチャ玉で、立体的な火の鳥を造形してみてはどうかと思った。せっかく机周りの整理をして、作業しやすくなって、そんなことをするのかよ。

とてもよい週末だった

 土曜日の午前、出雲大社に行く。前回が2月16日なので、なんだかんだで8ヶ月ぶりということになる。久しぶりに行ってみたら、わが家から出雲大社は、思っていたよりもだいぶ近かった。近いのだからもっと頻繁に行けばいいとも思うが、気づけばやっぱり、次に行くのは8ヶ月後くらいなんだよな。ああ、でもさすがに1月か2月中に新年のお詣りに行くか。
 ちなみに今回の参拝は、なんとなくぼちぼち顔を出しておくかというふわっとした理由ではなくて、ピイガの7歳のお詣りという明確な目的があった。もっとも7歳のお詣りといっても、きちんと代金を払って祈祷してもらうというようなことはせず、一応ピイガにはそれなりによそ行きの、普段は着ないワンピースを着せたが、それ以外はなんら特別なことはしない、いつも通りの参拝なのだった。
 天気のよい神在月の土曜日とあって、出雲大社は賑わっていた。なにぶん出雲は観光地なので、県外から人が来て活気があるのはいいことだ。1年半にも及ぶ年季が明けて、日本人全体がシャバに戻ってきたような解放感があるなあと思う。賽銭箱の前に行列ができていて、それはすごく久しぶりに目にする情景だった。方々の神様にお詣りをし、前回と同じく財布の中の小銭は駆逐された。でもしょうがない。なにしろいまは日本中の八百万の神様がここに集結しているのだから、その全てに作用があるのだとしたら、コスパとしては申し分ない。たかだか合計で700円くらいの賽銭でそんな考え方をするような奴には、たぶん神様はいいようにしてくれないだろうけれど。
 今回もおみくじを引いた。前回、「人に交はるには、和譲・恭敬・忠恕を旨とすべし。仮にも驕慢の態をなすべからず」という、身につまされるありがたい言葉をいただき、この8ヶ月それが実行できたかといえばそんなことはなく、それだから相変わらず人とうまく交はれずにおる。今回の訓は、「誠心を尽くして神に祈りを深めて依頼し、自己の過信の力に依頼するなかれ」ということで、残念ながら前回ほど刺さるフレーズではなかった。ちなみに文面のバリエーションがどれくらいあるのか知らないが、ともに引いたポルガもまったく同じ文面で、親子で過信を窘められた格好となった。
 参拝のあとは、ファルマンの両親が7歳のお祝いってわけでもないけど、という感じで昼を奢ってくれるというので、実家に赴き、出前のそばをいただく。10月下旬の、晴れた、しかし山陰の屋外は、暖かいような寒いような実に微妙な感じで、参拝客の格好も、Tシャツ姿の猛者もいればダウンを着込んでいる人もいて、というように本当にまちまちで、それなりの服を着ていたわれわれ一家も、やはりなんとなく体が冷えていたような感があったので、温かい麺がおいしかった。
 そのあとは買い物の用事があり、親が子どもたちを見ていてくれるというので、置いてファルマンと出た。主な目的は100均で、いま僕は机周りの整理に燃えており、そのためのケースなどを大量購入した。買い物を終え、買って帰ったハロウィン仕様のミスタードーナツをみんなで食べて、実家をあとにする。
 そうして帰宅し、それでこの日はおしまい、ではない。なんとこのあと、家族でおろち湯ったり館に行く、ということをした。なにぶん明日も休みだと思うと、土曜日はどこまでも目一杯に愉しんでやろうという執念が湧き、常にプールに行きたがっている子どもたちとともに、なんとかファルマンを説得し、実現にこぎつけたのだった。偏愛するおろち湯ったり館だが、実は家族を連れていくのは初めてである。父親がやけに話をする「おろち湯ったり館」なるものに、ようやく本当に行くことができた、という感慨が子どもたちにあったのかどうかは知らない。土曜日の夜ということで、むちゃくちゃ混んでいるだろうか、プールなんか大賑わいだろうか、と不安だったが、蓋を開けてみたら貸し切りだった。島根のいつものやつ。泳がないファルマンは寒いので、ひとり温泉のほうに行ってもらい、子どもたちとしばし泳いで遊ぶ。そして所定の時刻にファルマンに迎えに来てもらい、子どもたちは女湯へ、僕は男湯へと分かれた。温泉のほうもそこまで混んでいなかった。家族と一緒なので、今回はサウナをする時間はない。純粋に温泉だけを堪能する。サウナで体を温めていない状態での2階の露天風呂は、さすがに少し寒かった。雪のよく降る雲南市にあるここは、冬季になると2階は閉鎖される。たぶんもうすぐだ。1階の屋内浴場で体をしっかり温め、出た。出る時間は打ち合わせていなかったため、すごく待たせたり、すごく待ったりが不安だったが、ちょうどよかったようだった。
 帰宅後は、白菜とベーコンの鍋にサッポロ一番塩ラーメンを入れて、手製の鍋ラーメンというか、とにかく体の温まる、おいしくてしょうがないものを作り、おいしくてしょうがなかった。なかなかハードなスケジュールをこなした日の、明日も休みの、味の濃い鍋での、日本酒。疲れもあり、もう朦朧となるくらいの酩酊とまどろみ。やっぱり鍋は幸福感が強いな。冬はしこたまやろう、と思った。
 食後は、なんとなく11時頃までは起きていたけれど、やはり疲労と酔いでなにをするということもなく、少しだけ机周りの整理をしたほかは、ほぼ何もせずに寝た。
 8時間ほどたっぷり寝て、布団は気持ちよく、体はすっかり健やかで、いい朝を迎えた。
 午前中は机周りの整理、昼に焼きそばを作って食べたあとは、食料品の買い物に出て、午後はまたひたすら机周りの整理をした。なぜそんなにも机周りの整理をしているのかといえば、先日ファルマンと僕の部屋の模様替えをして、物の配置が大きく変わったからで、これを機に、溢れ返ってぜんぜん管理できなくなっていた資材を、使わないものは捨て、使うものは使いやすいようにしようと、本腰を入れて作業をしたのだった。合計で8時間くらい費やしたんじゃないだろうか。今日の夕方でようやく一応の完結を迎えた。時間をかけただけあって、非常に快適になったと思う。これで作業効率もアップすることだろう。いい気持ちで新しい週を迎えられそうで嬉しい。
 晩ごはんは揚げワンタンの甘酢がけ。初めて作ったが、とてもおいしくできた。餃子もシュウマイもワンタンも、どうも僕はやけにそこらへんの料理に適性がある気がしてならない。僕の作るそれらは、お店でも食べたことがないくらいおいしい。
 そんな週末だった。とてもよい週末だった。

夏に打ち勝つ模様替え

 それ以外にほとんどいうことがないのだが、暑すぎる。人生は、なにかをするには短すぎるし、なにもしないには長すぎる、という、誰にとっても絶望的などうしようもない言葉があるけれど、それでいうならこの夏は、なにかをするには暑すぎるし、なにもしないにも暑すぎる。とにもかくにも暑い。
 しかしこのままではあまりにも無駄に日々が過ぎ去ってしまう、どうにかここで一念発起し、夏に対して一矢報いてやろうではないかと夫婦で話し合った結果、模様替えを決行した。もはやプロペ家名物といってもいい、模様替え。聖家族とはよくいったもので、完成しないという完成された芸術としての、我々はプロペダ・ファミリアなのかもしれない。
 今回の模様替えの大きなトピックスとしては、僕とファルマンのパソコン机が、別々の部屋になったことだ。一緒に暮しはじめてからこれまで、このふたつは、背中合わせ、向き合い、横並びと、いろいろな配置を変遷しながらも、常に同じ部屋に在った。それが今回、とうとう別れたのである。別れた、という表現をあえて使い、不穏な空気をにおわせてみたが、もちろん夫婦関係がどうにかなったわけではない。もし本当にそうだとしたらこんなことをわざわざ書くわけがない。じゃあどういう事情か、といえば、これまでパソコン机をふたつ置いていた夫婦の寝室が実は狭くて不便だったとか、エアコンの冷風とベッドの配置がよろしくないとか、寝室のスペースに余裕ができたらクローゼットの中に置いているプリンタ複合機を外の世界に引っ張り出すことができて使いやすくなるとかの、ワールドワイドウェブに記しても仕方ない、生活の中の細々とした事情である。とはいえそれらの理由は、別に最近になって発生したものではない。この形になってからずっとあった問題だった。しかしそれはこれまでずっと黙殺され続け、そしてこのたび突如として改善された。なぜか。それは約1ヶ月半前にわが家にやってきた、工業用ミシンが関係している。あのタイミングで手に入れるしかなかった工業用ミシンは、居間に半ば強引に設置し、それ以来居間の一角は僕のハンドメイドスペースの様相を呈していたわけだが、ならばもういっそのことパソコンもこっちに持ってきて、完全に僕のエリアにしてしまえばいいのではないか。平時にただパソコン机を居間に持ってくる選択肢はなかったが、強制的な工業用ミシンの来襲によって、にわかに機運が高まった。そんなわけで、「工業用ミシンがやってきた」という「nw」に投稿した記事内の写真では、オーバーロックミシンを置いているスペース、ここにパソコンを置くことにした。オーバーロックミシンは、直線ミシンの横にあったらすごく便利だ、ということを記したが、あの当時は無職になってすぐで張り切っていて、子どものブラウスなどを盛んに作っていたのでたしかに便利だったが、最近は衣類はひと段落してヒットくん人形とか小物を中心に作っているため、オーバーロックミシンは実は使っていなかった。実際、服作りをコンスタントに行なうわけではない限り、オーバーロックミシンがすぐに使える状態にあるメリットはそこまでない。というわけでそれは棚に仕舞い、代わりにパソコンを置いた。工業用ミシンのでかいテーブルはなんと便利なのだろう。ミシンのすぐ横にパソコンがあり、マウスを少し大きく動かせば、マウスがミシンの押さえにぶつかってしまうような環境。こじんまりとしているが、足りている。むしろこのコンパクトさが愛しい。そしてファルマンはファルマンで、部屋から僕のパソコン机一式がなくなったのだから、もちろん部屋に余裕ができ、これまでは椅子を満足に引くことさえできないような状態だったのだが(椅子がでかすぎるのだ、という説もある)、それも改善された。だからお互いにとってよかったに違いない。
 あとちなみに、今回のパソコン別離移動が実行に移されたのは、なんだかんだでパソコンの比重が下がっているのも要因だと思う。ふたりとも、毎晩1時間半くらいかけて、とりあえずブログの記事をアップする、というような暮しをしていた頃だったら、その別離はあまりにも別離すぎて、やらなかったと思う。現在はブログの更新頻度がそこまでじゃなくなったし、それぞれタブレットでインターネットもだいぶするようになったので、パソコン=居場所じゃなくなった。そういう時代の趨勢も影響していると思う。
 しかしとにかく気分転換になった。パソコンの配置が変わるとリフレッシュして愉しい。ベッドの向きも変わったので、それも今晩から新鮮だろうと思う。勝ちたい。夏に勝ちたい。勝たないまでも、ちょっとでも軍勢を押し返してやりたいじゃないか。

週末日記ブログの様相

 土曜日は公園に繰り出す。平日に雨が降り、桜がまあまあ散ってしまい、やっぱり先週が今年の花見のピークだったんだなあと思ったが、今週も意地のように決行した。とは言え今週は花見メインではなく、公園の近くにある図書館やショッピングセンターのほうを主目的として、桜の名所としての下調べなんかは一切せず、「まあ桜の木がぜんぜんないってことはないだろ」くらいの気持ちだった。そして実際に行ってみたら、「まあ桜の木がぜんぜんないってことはなかったな」くらいの桜の木具合で、それもわりと葉っぱが出てきていて、そのためほとんど花見ではなく、単なるいい気候の外ごはんといった風情になった。まあそれでもぜんぜんいい。先週は家で作ったおにぎりだったが、今週は近所の店で買った総菜パンを食べた。これもよかった。あと今回の公園では、先週は持っていくのを忘れてしまった(結果的に山の勾配でそれどころではなかった)バトンをちゃんと持っていき、ひとしきり回した。水泳で目下にわかに運動熱、筋トレ熱が高まっているのだが、クロールとバトンは、腕力と肩甲骨の柔らかさが大事という点で相乗効果が望めるのではないかと睨んでいる。俺は世界初の水中バトントワラーになろうかな。食後に公園でしばし遊んだ後、主目的である図書館やショッピングセンターを済ませて帰った。
 夜にファルマンに髪の世話をしてもらう。伸びて、もさくなっていた襟足を切ってもらい、そのあとヘアカラーをやってもらう。今回はけっこう間が空いた。今年初めてじゃないか。もう内側はすっかり黒くなっていた。このままイジらず黒へ戻すか、あるいはやはり染めるか、長らく方向性が決まらずにいたのだった。もちろん希望としてはいつだって染めたいのである。しかし抜け毛が多いように思えたり、生え際が後退したように思えたり、またいつものようにそんな強迫観念にさいなまれて、踏ん切りがつかずにいた。しかし生え際はよく見たら後退してなかったし(おでこがぎょっとするほど広いのは子どもの頃からであり、本人なのだからいい加減に慣れればいいものを、頭髪に関する悲観主義から頻繁にぎょっとしてしまう)、抜け毛もよく見れば茶色いのが抜けているだけで、要するにそれは前回や前々回など、だいぶ前に染めた頃からある古い毛が寿命で抜けているだけだろうと捉え、いよいよ染めるほうへ舵を切ったのだった。使った薬剤はいつもの明るいベージュ。手を出したことのないアッシュ系を試してみようかとも思ったが、やはりなんとなくキャラに合わないような気がしてやめた。外側の茶色い部分と内側の黒い部分で、すごく明るい茶色とそんなに明るくない茶色のツートンのようになってしまわないかと不安だったが、わが家の専属美容師がいいようにしてくれた。よかった。いざやってみたら、そのままの黒髪より、ちょっと染料とか施したほうが、もしかしたら髪の表面が荒れているということなのかもしれないが、全体的にペタリとせずふわっとなって、ボリュームが出る感じがあったりもする。次は憶病にならず然るべきタイミングでやろうと思う。
 明けて今日は雨模様。先週ピイガとプールに行き、次の「パパとプール権」はポルガに移行していたわけだが、「それは次に行くときはポルガと行くというだけの話で、別に今週と決まったわけではない、毎週どちらかとプールに行くわけではない」ということを、さんざん伝えていたのだけど、いざ週末になってみたらポルガはプールに行く気満々になっていて、仕方なく「宿題を済ませたら」という条件で行くことになった。どうも言い聞かせながら、「毎週どちらかとプールに行くわけではない」の部分が伝わってない感があったが、やっぱりぜんぜん伝わっていなかった。でも普通ならグダグダと時間を空費する宿題をパッと済ませたので、午前中に連れて行ってやった。ポルガはこれまでビート板を持ってただバタ足で泳ぐだけだったが、きちんと腕を回してのクロールの練習を始め、息継ぎもほどほどにできるようになった。十全に呼吸ができているわけではないようで、息継ぎ2回分くらいの距離を泳いだら限界が来てしまうが、曲がりなりにもクロールの形で10メートルほどは泳げるようになった。いいんじゃないかと思う。ポルガとのプールは、ピイガとのプールよりは、完全に気が抜けないわけではないので、合間で僕もそれなりに泳げた。次は権利がピイガに移動する。しかし毎週どちらかとプールに行くわけではない。
 帰宅して昼ごはんは、今年初の冷やし中華。その年初めての冷やし中華は、店先で麺が売られているのを見て、見切り発車で実行してしまい、そうして適当に作る冷やし中華はあんまり美味しくなく、その年の冷やし中華への印象が悪いものになってしまう、ということが多々あるが、今年はきちんと準備をしてこけら落しができた。冷やし中華の肉気としてはハムがメジャーだけど、ハムが肉気を担う冷やし中華なんて実は美味しくないと思う。麺となじまないし。煮豚とか、鶏ささみをほぐして調味したやつとか、そういうのじゃないと駄目だ。あと卵を温泉卵にしていた時期が僕の中にもあったけれど、卵はやっぱり錦糸卵のほうがいいという結論に至った。そして錦糸卵はちゃんとプールに行く前に作って、冷蔵庫で冷やしていたのだ。だからとても美味しくできた。よかった。もっとも冷やし中華についてそんなこだわりを語っておきながら、僕の皿にはキュウリが入らないので、たぶん一般的にはダメなんだと思う。
 午後は部屋の模様替え。トルネコの不思議なダンジョンか、というくらいに繰り返される模様替え。内容を精細に語っても仕方ないが、今回は子どもたちの学習机をああして、本棚をああして、タンスをああした。本棚とタンスをああするのはなかなかの大事業だったが、おかげでだいぶいい具合になった。プロペ家の配置はいよいよ完成に近づいたと思う。そう言いながらまたすぐに「模様替えをした」って言うような気もする。

大改造

 疲労困憊である。断行したのである。わが家の大々的な模様替え、もとい改造をである。もはや模様替えなどというゆるやかな表現ではふさわしくないほどの大事業、聖域なき改革だった。これによりこの住まいでのわが家の暮らしは、第2部へと転換したと言っていい。
 なんてったって2段ベッドである。これを導入するにあたり、これまでひとつの部屋に3つ並べていたベッドが、ひとつでよくなった。そうしてベッドがふたつなくなった部屋に、僕とファルマンの机を持ってきた。ここはこれから僕とファルマンの部屋になるのだ。かくして僕とファルマンの机(すなわちパソコン)は、普通に横に並ぶことになった。向かい合わせ、背中合わせ、角突き合わせ、これまでいろいろなフォーメーションを取ってきたが、横並びはというのは実は初めてである。互いの画面が簡単に視界に入るのが、なんとなくまだ慣れない。これじゃあ自由奔放に本能の赴くままのページは開けないじゃないか、と思う。いっそパーテーションで仕切ろうかとさえちょっと思う。しかし部屋の状態そのものはとても快適だ。なにしろこの部屋には子どものものが一切ない。折り紙作品がセロテープであちこちに貼られたり、レゴが落ちていたり、そんなことがまるでないのだ。それだけのことで部屋というのはとても快適になる。もちろんまだ完全に整ったとは言い難く、これからさらにどんどん心地よくしていこうと思う。そうだ、自分の家というのは、そして部屋というのは、居心地がよくて心が安らぐものだったのだな。この数年、そのことをちょっと忘れていた。
 僕とファルマンの机が立ち去り、これまで家族4人の机が結集していた、通称「机部屋」が、今後は子どもたちの部屋ということになる。それで親の机があった場所に2段ベッドを配置、ということなら話は簡単だったのだけど、エアコンの位置の事情などからそうはいかず(上段で寝るポルガに風があまりにも至近距離で当たってしまう)、そのため一念発起して、その反対側の壁をほぼ塞ぐようにして聳える2台の本棚を、動かすことにする。これが本当にもう、重労働だった。もちろんそのままでは動くはずもなく、ぎちぎちに詰まった本を、いちど全て取り出す。空っぽになってようやくなんとか動かせる重さになり、想定の位置に移したあとは、また取り出した本を入れ直さなければならない。この作業でくたくたになった。
 ここまでが終わって、土曜日の、夕方だった。もちろん翌日の日曜日もあるのだが、もうベッドを解体してしまっているので、子どもたちの寝床は作らなければならず、「こ、このヘロヘロの体で、これから2段ベッドを組み立てるだと……?」となった。最奥にいるボスと戦うためにダンジョンを突き進んだら、ボスのもとにたどり着いたときにはもはやボロボロ、みたいな状態。それでもやるっきゃないのでがんばった。とは言え、物が大きいし箱の数も多いので怖気づいたが、それでも説明書通りに作ればいいのだから、話せばわかる相手だった。それより本棚の移動のほうがよほど大変だった。
 かくして2段ベッドが完成する。おおー、となった。ファルマン家にはあったらしいが、僕の家にはなかったので、2段ベッドというものに馴染みがない。家に2段ベッドがあるというのはこういう感じか、と思った。2段でなくしたあとも長く使えるようにと、奮発してけっこういいものを選んだので、見栄えがいい。子どもたちももちろん大喜びだった(組立作業中も、何度注意しても乱入してきた)。
 当夜は、子どもたちは無事に寝られるだろうか、初日に躓くと尾を引きそうだな、と危ぶんだが、子どもたちにも模様替えの手伝いでそれなりに疲労があったのか、無事に寝た。朝方に目を覚ましたピイガが少し泣いただけで済んだ。
 日曜日は、本棚を移動したりベッドを作ったりという大々的な作業ではない、しかし諸々の必要な作業をひたすらやった。これは達成感がないし、地味にすごく疲れる。ファルマンは引っ越し狂なのでこういう作業は得意であり、バリバリとやってくれたが、僕はだいぶ引け腰で、子どもを連れてスーパーに行ったり、料理をしたり、ブックオフに本を売りに行ったりして、それなりにサボった。適材適所ですね。
 そんなこんなで、とても疲れた週末だったが、無事に大事業が成った。よかったよかった。

暮しの動き

 我が家でまた大規模な模様替えが断行されようとしている。子どもがいると、その息もつかせぬ成長に合わせて、ずいぶんこまめに模様替えの必要が出るものだとしみじみ思う。
 台所と居間という共有スペース以外のふたつの部屋を、これまで「ベッド部屋」「机部屋」と分けて暮していたのだけど、これをこのたび「親部屋」「子ども部屋」とすることになった。それにあたり子ども部屋に2段ベッドを設置することとなり、そうなるとこれまでベッド部屋にあった3台のベッドは、これまでファルマンとピイガで使っていて、今後は当初の状態に立ち戻り、ファルマンと僕で使うこととなるダブルベッドひとつしか必要なくなる。というより、他のふたつのベッドを処分しなければ、いま机部屋にある僕とファルマンの机が持ってこられない。というわけでまず、僕のベッドが撤去されることになった。しかしベッドともなると粗大ゴミで出すのも大変だし、なによりまだ使えるしなあ、と逡巡していたところへ、次女一家から「じゃあもらうよ」という申し出があり、配送料をあちらが持つ形で譲ることができた。よかった。
 かくして現在、もうベッド部屋に僕の寝床はない。プロペ家の一家川の字寝の時期は、ここで終了したのだった。そのことに少しだけ感慨がある。
 それで、では僕はいまどういう形で寝ているのかと言えば、居間に布団を敷いて寝ている。居間は畳なので、寝心地にはなんの問題もない。それどころか、子どもが横に寝ていないせいか、これまでよりも眠りの質がよかったりする。僕はファルマンほど、スペースを子どもらに侵攻される睡眠妨害を受けているわけではないが、それでもやっぱり子どもというのは、寝ながら動き回るせいか、空間を静めない作用があるのだと思う。模様替えが成ったら、夫婦ふたりで、じっと動かず、石のように深く眠りたい。
 ちなみに「hophophop」に書いたが、実はいま、僕はパソコンもノックダウンし、そしてまだ次のものが手に入っていないため、この記事も、居間の座卓でタブレットで作成しているのである。つまりベッド部屋のベッド、机部屋のパソコンが、まったくの偶然なのだが同時に手元からなくなってしまい、なんだかまるで身辺整理をしているかのように、ふたつの部屋から僕という存在そのものが消え失せている。そしてひたすら居間にいる。居間で、ごはんを食べ、テレビを観て、インターネットして、そして寝ている。居間だけで暮しのすべてが完結しているのだった。やってみるとこれが悪くない。1Rの快適さみたいなものを、プチ体験している。
 模様替えの実行は2段ベッドの到着を待ってなので11月の中旬くらいになりそうで、それまではこの状態が続く。パソコンのほうはもうちょっと早めにケリをつけようと思っている。タブレットでまあまあのことができてしまい、「パソコンって要るかな?」みたいなことを書いたが、でもまあやっぱりぜんぜん不便だ。なるべく早急に改善しようと思う。

授業参観模様替

 土曜日、ピイガの幼稚園の休日参観に出る。運動会には行ったが、教室での振る舞いを見るのは初めて。ポルガと違い、先生の話をよく聞き、けなげに行動していて、偉いなあと思った。いちど親子で一緒に行動する場面で、僕がピイガの近くから離れてしまったとき、知らない大人がたくさんいるのに僕がいないという状況に恐怖を覚えたのか、泣き出してしまい、戻ってきて慰めていたら、それを見た先生から驚かれた。ピイガは幼稚園ではよほど鉄の女で通っているらしかった。休日参観ということで、僕と同じく父親もけっこう来ていた。だがそこから何かが生まれるということはもちろん一切なかった。職場で、毎日のように顔を合わせる、同じ職種の人とも友達になれないのに、ただこの1年それぞれの子どもがクラスメイトになったというだけの、得体の知れない男性と、交流が生じるはずがないのだった。しかし職場でも子ども関係でも友達ができないのだとすれば、本当に一体これから、友達というのはどういう巡り合せで出来得るのだろうか。まったく謎だ。思春期の少女が、成長した自分を想像して、いまの自分が全く知らない大人の男の人と裸になってベッドでそういうことをすることになる、そこまでのストーリーや自分自身の気持ちがまるで想像つかないのと同じくらい、想像がつかない。もう夢見る少女じゃいられない。
 午後はミシンをして過し、晩ごはんは鶏もも肉とレバーの丼物を作る。錦糸玉子たっぷりでおいしかったが、レバーはあまり子どもに評判がよくなかった。あと豚汁ととうもろこし。今回は産地を見た。徳島県産だった。
 明けて日曜日は、起きたらなんと10時だった。今週はどうも全体的に寝るのが遅くなってしまい、土曜日も参観のためにそれほど寝坊ができなかったので、「気の済むまで寝させてくれ」とファルマンに頼み、思う存分に寝させてもらったのだった。これまで遅くても9時台だったので、10時の大台到達には驚いた。でも快適な眠りで、生きる活力が湧いた。顔も若返ったろうと思う。ファルマンからも、僕の寝姿を見て、「あなたは普段からもっと睡眠を摂りなさいよ」と窘められた。フードファイターの気持ちのいい食べっぷりのように、回復が見て取れるようなむさぼるような睡眠だったらしい。たしかに日々の睡眠は僕にとってちょっと短い。僕は6時間前後だとどうも足りないようで、7時間前後あるといい具合になる。しかし平日必ず7時間程度寝ようとすると、ちょっと家に帰ってごはんを食べてからの自分の時間が短すぎるのだよな……。
 たっぷり寝て調子がよく、しかし公園に繰り出せるほど気温が温和ではなかったので、今日はちょっと前から話に出ていた、部屋の模様替えを決行することにした。もう1年以上前になるが、子ども部屋として使っていた部屋が、どうにも効果的に使えていなかったので、その部屋に親のパソコンデスクも持ち込み、部屋の中央に家族4人のデスクが2対2で向かい合って置かれる、デスク部屋とでも言うような状態の部屋を作っていた。今回それをまた見直し、やはり机はそれぞれ壁を向いて置こうじゃないかということになり、それに付随して廊下に置いてあった棚にまで影響が波及し、久々になかなかに大規模な模様替えとなった。
 昼時になり、しかしその時間帯が模様替え途中特有の混沌のピークであり、カップ麺でさえ食べるのが困難だということで、珍しく外に食べに出るということをした。わりとヒートアップしていたので、いい気分転換になった。
 帰宅してからまた作業を続け、くたくたになりつつ、なんとか完了する。想定通り、なかなか部屋をすっきりさせることに成功し、達成感があった。達成感ハイで、もう夕方だったのにフットワーク軽く、売却処分とした本をブックオフに売りに行くことまでした。いまちょうど読書熱が下がっているということもあり、一般小説をまたずいぶんと売る。一般小説の実物を持っている意味というのは、本当にぜんぜんない気がしてきた。今後もう増えることはまずないだろうな。
 晩ごはんはその帰りにスーパーで買った、味付けの焼くだけの肉。今日はもうとにかく模様替えの一日だった。今回の変更で、これまで互いのパソコンの背を突き合せるようにして机が向かい合っていた僕とファルマンは、かつてふたり暮らしの時代からずっとそうであったように、椅子と椅子とが向かい合せで、パソコンのディスプレイ同士は向かい合うという、その状態にまた戻った。いまその状態でブログを書いているわけだが、やっぱりこれがいい。画面に見せたいものがあるとき気軽に見せることができるし、あと振り返られたら画面を見られる緊張感から、僕もあんまり不穏なものはそうそう気軽に見ないようになる。これまではその緊張感から完全に解放されていて、緊張感から解放されると人は駄目になるということを実践で学んだ。だからこれでいい。