週末雑記

 土曜日の午前、ファルマンの眼鏡を作りにショッピングモールに行く。夫婦で眼鏡をかけているので、「眼鏡を作る」という行事が暮しの中でまあまあの頻度で発生することだと思う。少なくとも「友達と遊ぶ」よりもはるかに頻発する。じゃあもう眼鏡は友達なのかもしれない。友達は眼鏡なのかもしれない。いいとこ眼鏡で友達のいいところを見つけてみよう!
 ファルマンが見え方の検査をしている間は、子どもたちと広場で遊んだりして時間を潰した。僕が運転免許の更新をしていた際、免許センターの中庭のちょっとした段差で延々と遊んでいた子どもたちは、相変わらずそれなりのアップダウンさえあればいつまでも大興奮で遊び続けるのだった。バカなのだろうか。
 遠視であるファルマンの眼鏡は、いつものことながら僕のそれのように当日には完成しない。後日配送で届くらしい。今回は久しぶりに濃い色の太いフレームのものにしていた。僕の丸眼鏡の色違いがあったので、それはどうかと提案したのだが却下された。あのまん丸の眼鏡は、ひとりでもわりと異様な感じがあるのに、夫婦でそれだといよいよ誰からも朗らかに話しかけてもらえなくなるだろうな、そんなの最高だな、と思ったのだけど。
 帰りに回転ずし屋に寄って昼ごはん。今回は僕も珍しく店舗できちんと食べた。行ったのはいま話題のくら寿司であり、ビッくらポンのために皿をこなす必要があったからだ。問題になった動画は観ていないのだが、報道を耳にして、そう言えばくら寿司ってビッくらポンとかあって子どもが喜びそうだな、と思い、岡山に来てから初めてくらいに久しぶりに行ってみたのだった。あの一件で客足がどうなったのかは知らないが、少なくとも僕は報道でくら寿司に意識がいって、行くことにした。そういうパターンもある。ビッくらポンはいちどだけ当たった。モニターで当たりか外れかのアニメが流れている間の、子どもたちの心奪われ具合がおもしろかった。初めて動く絵を見た森の生き物か、と思った。
 夕方になり、予約を入れていた、車のオイルとエレメントの交換にひとりで出向く。去年に車検に出したところなので、特典価格でとても安かった。安かったのはよかったが、車関連のこういう代金って、なんでこう明朗会計じゃないんだろうと忌々しく思った。人脈とか友人からの情報とか昔からのよしみとか、そういうの本当に嫌だわー。そういうの本当に嫌だけど、一切の特典を放棄して、払わずに済む金額を払うのはもっと嫌なので、車人生が続く限りこの気持ちは続いてゆくのだ。そういうことを考えだすと、なにも持ちたくない、という極端な思考に陥る。
 帰宅したら子どもたちからピンク色の箱を渡される。14日(木)に家族が何もくれなかったので、肩が腰のあたりに落ちるくらい落ち込んでいたのだけど、今日にチョコレートのカップケーキを焼いて、バレンタインデーとして寄越してくれたのだった(もちろん本当は事前に伝えられていた)。箱の中にはカップケーキが5つ入っていた。もう夕方だったので、「ありがとう。晩ごはんのあとにデザートとしていただくね!」と言いながら、ひとつを掴んで齧りついた。これは僕の持ちギャグであり、プレゼントをもらった際に、「開けていい?」と聞きながら、同時に手はもう迷いなく包装を破っている、というのもよくやる。そんな父親のギャグに対し、子どもたちはもはやノーリアクションだった。「いや、食べてる食べてる(笑)」みたいの一切なし。切ない。涙がちょちょぎれて、このカップケーキ、砂糖と間違えて塩を入れちゃったんじゃないのか、と思った。
 翌日の今日は、例の温水プールに家族で行く。家族は2週間ぶり、僕は4日ぶりくらい。子どもたちの世話をしつつ、合間でファルマンに断り、レーンで泳がせてもらう。平日のひとりのときほどではないが、それなりに泳いだ。しかしいかんせん子どもたちがふたりとも女なので、家族で行くプールはどうしたってファルマンへの負担が大きい。しかもファルマンは泳ぎが得意じゃないので、プール遊びに対してぜんぜん心が躍っていないのだ。更衣室で着替え終わり、ロビーで合流したときのファルマンの真顔を見るにつけ、家族での温水プールは2、3ヶ月にいちどくらいでいいな、と思った。
 午後は昼寝をすることなく、夕飯の餃子づくりに勤しんだ。休日の午後はそんな風に過すより他ない。なんてったって子どもたちがうるさいのだから。子どもたちは2日に渡って、ずっとうるさかった。毎週末まったく同じことを思うが、子どもたちはうるさい。うるさいと注意して、13秒くらいうるさくなくなるのだが、そのあとまたすぐにうるさくなる。音と、動きと、存在感、そのすべてがうるさい。子どもってすごい生き物だとしみじみ思う。餃子はもちろんおいしかった。食べ過ぎた。ふたつくらい多く食べ過ぎた。
 まあそんな週末だった。

3連休の最終日は雪

 3連休最終日。特になんの予定もなかった。ファルマンとのんびりと起きて、子どもたちは既に起きてアニメなどを観ていて、朝食用のパンをオーブンにセットしたあと、なんの気なしにカーテンを開けたら、雪景色が広がっていたのでとても驚いた。昨晩観た予報で、朝方に雪のマークは出ていたのだけど、どうせ標高の高い一部の地域だろうと重く受け止めていなかった。そうしたら普通に5センチくらい積もっていた。
 慌てて朝の準備を済ませ、たくさん着込み、子どもたちとともに外に飛び出る。今年はこれまで、いちども積もっていないのはもちろん、雪が舞うことさえなかったので、急な5センチの積雪は本当に驚きだった。出雲で暮していないピイガは、そもそもこれまで雪でちゃんと遊ぶということをしたことがなく、させてやりたいものだと時おり夫婦で語り合っていて、しかし雪がきちんと積もっている場所へは、そんな装備を持たないわが家の車では行くことができないので、いつまでも実現せずにいた。それが今回、積雪5センチほどながら、とりあえず体験させることができたので僥倖だった。5センチの積雪は、北の人間に言わせれば積もってないようなものかもしれないが、雪に慣れていない人間からするとなかなかのものである。雪玉を作って投げたり、30センチほどの高さの雪だるまを作ったりなんてことは悠々とできた。たぶん本格的に雪が積もっている場所に行ったとしても、8歳児と5歳児とともにやることと言えば、これにあとは橇滑りが加わるくらいものだろうと思う。ならば雪遊びの情趣の6、7割くらいはこれで賄えたのではないかと思った。僕自身も久しぶりの雪遊びにはそれなりに心が躍ったが、それ以上に今日が祝日であった安堵に心がいっぱいになった。雪は5センチの積雪だけをもたらしたのち、我々が遊びはじめたころには既に降り止んでいた。なので午後にはいい具合に溶けてしまうことだろう。なんの予定もなかった祝日に雪が少し積もって子どもと遊べ、そして明日の出勤にはなんの問題ももたらさなそう。これほどタチのいい雪があるかよ、と思った。思考がどこまでも大人のそれで、我ながら哀しくなるけれど、5センチの積雪で心の底からはしゃげる35歳が正しいはずもないので仕方がない。
 ひとしきり遊んだのち、帰宅。体が冷えた。昼ごはんはラーメン。午後はエアコンを効かせた部屋でのんびりと過した。3連休中日の昨日は家族で図書館に行って、これでもかと本を仕入れてきていたので、その本を読んだりした。
 4時くらいになり、夕飯の買い物ついでに、雪の様子をうかがう。期待通り、雪はだいたいが溶けていた。作った雪だるまは残っていたが、それも最初より撫で肩になっていて、頭部が落下するのも時間の問題のように見えた。
 晩ごはんは、ファルマンがとても珍しく食べたいものをリクエストしてきたので、それにしたがって海老のチリソースを作る。作ると言っても、海老のチリソースをちゃんと作るのはあまりにもコストパフォーマンスが悪そうだったので、クックドゥの力を借りて調理した。めったに食べない食べ物なので、新鮮味があっておいしかった。しかし子どもたちは「からい」と言って食べつけず、仕方ないので替わりのたんぱく質として魚肉ソーセージをかじらせた。
 そんなような3連休の最終日だった。基本的にのんびり過し、時間が間延びしたような日々だった。今日、福山市立動物園のことを思い出すと、それがたった2日前のことだとは思えない。もっとだいぶ前のことのように思える。ということはよほど充実した3連休だったのか、と言われると別にそんな感じもなく、ちょっと不思議な感覚がある。知らぬ間に高速の宇宙船にでも乗っていたのかもしれない。

福山市立動物園へ

 3連休初日。ちょっと遠出をしたい欲が募っていたので、いろいろと考えた末に、福山市立動物園を選択する。山陽道をちょっとだけ使った。片道2時間も3時間も運転するほどのパッションはない。見事なまでに、「ちょっと遠出をしたい欲」が満ち足りた。目的地が動物園というのは、公園を提案するとファルマンが「阿呆か」「2月に阿呆か」と言ってくるので、その落しどころを探った結果である。
 福山市立動物園は、前にもいちど行った。確認したら、2014年の9月のことで、約4年半ぶりということになる。季節のせいか、今回はそのときよりもはるかに人の数が少なかった。しかも出発時は微妙な霧雨まで降っていたのだ。天気予報で、雨は昼前には止むと出ていたので、まあ大丈夫だろうという見込みで決行したのである。果たして到着した頃には雨は止んだ。だが福山市立動物園名物(なのだろうか)の、園の前にある大型遊具は、滑り台が雨で濡れていて思う存分には遊べなかった。遊べなくていい。前回はここでポルガの遊びをひとしきりやらせた結果(ピイガはまだ生後8ヶ月だったのだ)、親は残暑の熱気で入園する前にうんざりしたのだった。今回は今回でじっとしていると寒さに耐えかねたので、子らの最低限の気を済ませる程度に遊ばせたのち、無理やりに切り上げさせた。9月でも2月でもなく、素直に5月あたりに来れば事は穏便に済むだろうに、なかなかにままならないものである。
 園内ももちろん空いていた。上野とかじゃあるまいし、もしかしたら最盛期でもそんなことにはならないんじゃないかという気もするが、幾重もの人だかりでなかなか目当ての動物の姿が拝めない、なんてことは一切なかった。基本的に1檻に1グループで鑑賞する、次のグループが来たら前のグループはやんわり別の檻へと移動する、みたいな暗黙の了解が出来上がるほどに、優雅な人口密度の低さだった。
 動物は、ペンギンを皮切りに、シマウマ、象、ライオンと続いた。成人から500円を取るだけの、こじんまりとした市立の動物園は、敷地面積も大きくなく、動物のラインナップも要所のみがギュッと詰っていて、ありがたいと思った。これはいま、2016年の真夏に行ったズーラシアのことを頭に思い浮かべながら記した。あれは本当につらかった。ライオンの次の間には虎がいて、ライオンはじっとしていたのだが、虎はやけに動き回っていて、見応えがあった。こちらが顔を近づけている、ガラスだかプラスチックだかのボードに、ほとんどぶつからんばかりに近付いてくる瞬間というのがあって、日常ではまるで味わえない、弱肉強食という、生き物の根源的なプレッシャーを感じ、背筋のあたりがヒヤッとなった。しかし虎というのは凄まじくかっこいい動物だな、と改めて思った。自分がいのしし年であることがまた悔しくなった。そのあと入った爬虫類館では、ニシキヘビ的な巨大な蛇がいたので、ハリーポッターごっこをする。原作を読んだばかりのポルガやファルマンは当然のようにハリー役をやりたがったため、僕がダドリー役を買って出た。わがままなデブの外国人の子どもになりきり、ガラスを叩く(真似をする)。その傍らでファルマンたちはシャアシャア言っていた。もちろん周りに他の客は一切いないのだった。ピイガはこの場ではなんの反応もしていなかったが、次の小動物コーナーでうさぎを見つけると、「うさぎかわいー」と言ってカメラを構えるこちらを振り返った。うさぎがかわいいと言いながらうさぎをろくに観ない女子のやつだ、と思った。それから「今日のピイガはうさぎの髪型なんだよ」と言ってツインテールの片方を持ち上げてみせた。どうしてファルマンと僕から、こんな典型的な女子らしい女子が生まれてきたのだろうと思いながらシャッターを切った。そして最後にキリンを見る。上野や神戸に較べて、福山のキリンは距離が近い。しかも高い金網もなく、1メートル強ほどの高さの柵があるだけなのである。そして餌場が柵のすぐ向うに設置されているため、それを食べるために首を伸ばしてくるキリンの頭が、本当に目の前まで来る。キリンの頭部は、いつも4メートルとかの高みにあるし、なにより体や首に目が行くため、それほど大きい印象がなかったが、眼前にやってくると想像以上に大きいのだった。ボストンバッグくらいあった。
 園を出たあとは、出てすぐの所にある池でスワンボートを営業していて、そこももちろん閑散としていて、すぐに乗れそうだったので、一家で乗った。子どもたちは間違いなく初めての経験だし、さらに言えば親の我々だって乗ったことがあったかどうか思い出せなかった。ペダルを漕いで進み、池の中央らへんに行ったとき急に、マジか、という気持ちになった。これが文字通りの「寄る辺ない気持ち」なのだな、と思った。一家で、池の中央でプカプカと浮かんでいる状態は、なんだか現実味がなくて不思議だった。
 そんな感じで堪能した福山市立動物園だった。園内を歩いているときはそこまで感じなかったが、やはり体は芯まで冷えた。途中のコンビニでおにぎりを買って、昼ごはんとして食べながら帰った。注文しようとした肉まんが出来上がっていないと断られ、ショックだった。帰り道ではまた雨が降り始めた瞬間というのがあり、園内では一切降られることがなかったため、とても運がよかったと思った。

プールと節分

 この2週間、月の巡りや体調不良によって先延ばしになっていた温水プールへ、ようやく行くことができた。商売っ気のない所で、これまでその存在に気づかず、まったく利用してこなかったが、実は便利な場所にあるので、いい所ならいいなと期待していた。そうしたらかなりよかった。基本的にレジャーではなくトレーニング用なのだが、いちおう幼児向けプールなんかも併設されていて(土曜日なのに貸し切り!)、家族で愉しめた。ポルガはいちおう僕と一緒に25メートルプールに入り、ビート板を使ってそれなりに泳いでいた。あまりにも成長が遅すぎ、業を煮やして辞めてしまったスイミングだが、まあ曲がりなりにも1年余り通ったことで、まったくの手つかずではない状態くらいにまでは至ったようだ(1年かけてそこかよ、という感じはあるけれど)。僕は25メートルを、何度か往復した。最初の1回目で背中がピキッとなって、これはまずいのではないかと危ぶんだが、そこから回数を重ねれば重ねるほど、逆に体が楽になった。泳ぐのって気持ちいいし愉しいし、しかもこれでいい運動になるというのだからいいこと尽くめだ。かつてランニング習慣を目論んで、ぜんぜん定着しなかったことがあったが、僕はスイミングだったんだな。さらに素晴らしいことにこの施設は夜までやってるので、なんなら平日の労働後に立ち寄ってもいい。マジでそんなことを始めてしまうかもしれない。
 帰宅後はもちろん寝る。水泳のあと寝ないなんて、水泳に対する冒涜ではないのか。1時間ほど、スカッと寝た。平日、労働後に水泳なんてしたら、僕は家に帰って晩ごはんを食べてビールを飲んで、そして9時ごろに普通に就寝することになる気がする。あまりにも健康的すぎやしないか。
 翌日は特に遠出の用件もなく、ファルマンに仕事もあったので、子どもらと近所の公園に行く。それぞれ先月新調した自転車に乗り、僕はその面倒を見る役。僕もファルマンの子乗せ自転車に乗ろうかと思ったが、ファルマンに「それは無理だ」と止められた。実際にふたりの自転車に乗るさまを目の当りにしたら、ぜんぜん無理だった。公園にたどり着くまで気を張って、なんだか疲れた。公園では久しぶりにバトンを大いに回した。最近は昼休みも寒いため、1月はほとんどバトンを回せていなかったのだった。しかし冬のバトンは服が邪魔であまりスムーズに回せない。小手先でできることだけをひたすらやった。
 午後は巻きずしの準備として、戻した干し椎茸を煮たり、海老を煮たり、卵を焼いたりする。節分なので恵方巻なわけだが、指定の方角を向いたり、切らずにかぶりついたりするわけではない。ただ巻きずしというメニューだけ献立として採用した次第である。巻きずしは前にも作ろうとしたことがあり、巻きすなどは家に揃っていた。しかしこれまでの作は成功したとは言い難く、「うまいこといかない料理」として僕の中に区分されていた。今回はその雪辱として、作り方をきちんと学習し、指示を忠実に守って作った。そうしたらわりとうまくできた。細巻きはもちろんのこと、太巻きもしっかりとごはんで中央の具を囲むことができて、味も良かった。これならお客さんがきたときのおもてなしでも出せそうだと思った。太巻き寿司は華やかでありながら、あらかじめ作っておいて、常温で出すことができるので、便利だと思う。なんでお客さんが来たときのおもてなしって言ったんだろう。そんなこと言わなければいいのに。
 巻きずしの夕飯のあとは、豆まきをした。豆は、大豆のあれではもちろんなく、テトラパックの甘納豆でもなく、今年はとうとうピーナッツや胡椒豆といった小袋がたくさん入った、おつまみアソートになった。どこまでも行事のあとの実利を希求した結果である。スーパーでもらった鬼のお面を家族で代わる代わるに着けて、その者に向かっておつまみの小袋を投げた。ピイガが幼稚園で、節分ということで鬼にまつわる本を読んでみましょうと言われ、おすすめの本として推挙されていたのが「泣いた赤鬼」とかだったそうで、「泣いた赤鬼」を読んだ上で、鬼に向かって「鬼は外」と豆を投げる行事をさせるのは、いったいどういうサイコパス的な発想なのだろうと思った。投げ終わったあと、子どもたちはあまり釈然としない顔で、それほどしょっぱくなさそうな、ピーナッツの袋を選んで食べていた。まあ釈然としないわな。もっとも煎った大豆もなかなかのものだけどな。仕方ないので来年は甘納豆も用意してやろうと思う。