2020年の7月が終わる

 2020年の7月が終わる。コロナがぜんぜん流行らなかったパラレルワールドでは、オリンピックの中日といったところで、いま大いに盛り上がっている。競泳は正直ちょっと物足りない結果だったが、柔道は自国開催ということで奮起し見事な成績を収めた。7人制ラグビーはやっぱり見ていておもしろかったし、フェンシングも予想外の健闘を見せた。野球やサッカーの予選は番狂わせが連発しているし、陸上はこれからが本番。大会後半に行なわれるスポーツクライミングもとても愉しみで、大会はこれからまだまだボルテージを上げてゆく。しかしそれにしても開会式の演出はすばらしかった。リオデジャネイロ大会の閉会式でのパフォーマンスから期待を高めていたが、それをはるかに凌駕する圧倒的な感動だった。いやあ、僕は日本という国が、なんだかとても誇らしくなっちゃったな。だけど実際は、僕がいるほうの世界では、コロナが流行ってしまっていて、夏はいったん収まるだろうっていわれてたのに、ここへ来て感染者数はどんどん増えて、それなのに国はGoToトラベルキャンペーンだっつって、もうひっちゃかめっちゃかになっている。ところで今月の金曜ロードショーでは、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」を1・2・3と3週連続で放送していたので、録画をして、この1週間くらいでファルマンと3本一気に観たのだけど、このタイミングでこの映画をやるというのは、ここで僕がいっているような、「コロナが流行らなくて東京オリンピックが華々しく開催されている世界」と、「コロナが流行ってひっちゃかめっちゃかになっている世界」の、落差みたいなものに思いを馳せさせるという狙いがあるのだろうか。2でディストピアを作り上げていたビフのモデルはトランプだというし、なんだか本当に、「ドクゥ!」と縋りつきたくなる。こんな、こんな荒廃した、疲弊した、殺伐とした世界が、僕らの思っていた2020年の日本の夏のはずないじゃないか。ドクゥ! 東京の聖火の写真がこのままじゃ消えちゃうよ! マジで消えちゃう! もうだいぶ消えてる。お兄さんとお姉さんは既にすっかり消えた。マーティンも薄くなってきていて、ギターが思うように弾けない。
 それはそれとして、個人的なことをいえば、無職として過した1ヶ月間の終了である。この1ヶ月、僕の行ないはどのようだったかと総括すると、それほどだらけたわけでもなく、かといってなにかが劇的に進展したということもなく、まあ順当に経過した1ヶ月間だったんじゃないかな、と思う。特別ハッピーなこともなかったし、特別落ち込むようなこともなかった。要するに平穏ということで、じゃあだいぶハッピー寄りなのではないかとも思う。職務時代、そこまでストレスを抱いていたつもりもなかったが、なんとなく鏡に映る自分の顔に、翳りがなくなり少し若返ったような印象を受ける。浮世離れということかもしれない。
 今年はやけに区切りがよく、梅雨も月末にようやく明けたし、子どもたちも本日が終業式で明日から1ヶ月弱の夏休みだ。明日からの1ヶ月間は、どんなものになるだろう。たぶん子どもが小学校に通っていた今月ほどは、平穏じゃないだろうと思う。それに、すさまじく暑いのも間違いない。精神も、肉体も、病まないようにしよう。

2020年、無職の夏

 実は7月1日から無職している。
 ただし自己都合ではなく会社都合である(ここが大事)。
 会社からその伝達があったのはもうだいぶ前、1月の終わり頃のことだ。なので今般よく取り沙汰されるコロナ倒産ではない。失業保険の申請に行ったハローワークでも、「やっぱりコロナですか」と行く窓口ごとに訊ねられた。時勢的にはそれ以外考えられないような状況だが、でもそうじゃない。まあ末端には計り知れないいろんな事情があるのだろうが、たぶん直接的な要因は昨冬の、というかここ数年ずっとの暖冬だろうと思う。これまで勤めていた縫製工場では、紳士物の防寒着を生産していたのである。縫製業なんてただでさえ先細りなのに、その取扱品がこの温暖化の世の中で防寒着だなんて、もはやファンタジーの一種だな、とこんなことになる前から感じてはいた。逆にそれがどうしてこれまで持っていたかといえば、工場が大きなアパレル会社の子会社だったからにほかならず、このたびとうとうそこから「面倒見きれん」と匙を投げられた格好なのだった。閉鎖が告げられてから実際の終了まで5ヶ月もの猶予があった(今冬の受注分を生産しなければならないという事情もあった)のも、ひとえにそのおかげであり、それはこのご時世でとても恵まれていることだと思う。
 そんなわけでこの約5ヶ月は僕にとって、コロナ禍と迫りくる失業が同時に発生していて、なかなかに心が落ち着かない日々だった。もっともコロナショックで勤めている会社がどうにかなってしまうかも、という不安からは完全に解放されていて、その点は気が楽だった。ちょうどこの2月3月あたりに「100日後に死ぬワニ」が流行っていて、それに関する言葉の中に、「100日後に死ぬワニは、100日後まで絶対に死なないワニだ」というものがあり、これには状況的に大いに感じ入るところがあった。
 ただしコロナショックがわれわれ工員になんの影響も与えなかったといえばもちろんそんなはずもなく、どうも上の人たちの思惑的には、当初は工場の身売りを画策していたようで、そしてそれはたぶんコロナ前の世の中であれば、おそらく成ったようなのである。2月3月の時点では、まだそういう前提でものが話されていた。それがだんだん「あれ?」という感じにグラデーションで変化していって、コロナによる経済衰退は加速し、工場閉鎖のタイムリミットは迫り、あれよあれよと、そのままGWが明けた。このあたりで関係者はみんな諦観したと思う。僕もそうだった。しかし僕の諦観はたぶん他の人とは少し違っていて、工場が新体制で再スタートすることになったら、引き続き同じ場所に勤め続けるか、それともこれまでの会社が提示した会社都合の退職を選ぶか、そのどちらかでかなり迷うだろうなあと思っていたので、その迷いの余地がなくなったことに清々とした。きっぱり諦めがついてよかった。縫製業は、やりたくてやったので岡山に来てからの日々に後悔はないが、まあ実際そろそろ辞め時だったと思う。衣料品は売れなくなる一方で、ミシンの性能は向上し、縫製工という技術職はその存在意義がどんどんなくなってきているように思えた。少なくとも「国内の縫製工場」という、ファストファッションの大量生産でもなければ高級テーラーでもない中途半端な立ち位置は、いちばん成立しづらいだろうと思う。本当に、ぜんぜん黒字じゃないのになぜか工場が稼働し続けている、これまでがファンタジーだったのだ。
 これまでそんなファンタジックな存在を抱え続けてきた親会社は、それなりにしっかりとした会社なので、工場閉鎖に関してもずいぶん紳士的だった。1月の終わりにその伝達がなされたあと、2月中には退職にあたっての補償などが提示された。その後、何度も言うようにコロナショックで、百貨店およびそれ以外の店舗も閉店を余儀なくされ、親会社の経営状況もなかなかに厳しくなったようだが、条件面に変更はなかった。ありがたい話である。ちなみに親会社は遠方にあるため、次の仕事の斡旋はほとんどなかったのだが、それは縫製工に見切りをつけている身としては問題なかった(などと言いつつ職探しをした結果、縫製工に戻るしかなかったら切ないな)。
 かくして6月末で退職となった。実は6月のはじめくらいから、もう縫製作業はぜんぜんしていなくて、最後の3週間くらいはずっと工場の片付けをしていた。何十年も、常時何十人もが働いていた工場なので、たまに大掃除などはしていたものの、蓄積されたものは非常に多く、それを最終的には空っぽにするのだから、大作業だった。加えてこれは縫製工場の閉鎖に工員として立ち会うという貴重な経験の副産物として、売れない、返せない、引き取ってもらえない、捨てるしかない道具や資材は、最終的に持ってけドロボー状態になったので、実にいろいろと持ち帰らせてもらった。糸もテープ類も、ひとりハンドメイドで使う限りは一生持つんじゃないかというほどの量である。とても嬉しい。
 そんなわけで今は、ハローワークや市役所の手続きはもちろん離職票が手に入った当日に早々に済ませたので、さしあたってすることもなく、のんびりと過している。冒頭でも触れたように、なんといっても会社都合退職である。これまで自己都合退職の経験はあるが、会社都合は初めてで(人生にそう何度もあっては困る)、そのふたつはこうも扱いが違うものか、と感動している。失業保険の給付はすぐに始まるし、その期間もとても長い。とはいえ収入としてはもちろんだいぶ目減りする失業中、経験上とても厄介なのが年金と健康保険の支払いだが、これも会社都合の失業の場合は優遇措置がある。ありがたい。会社都合退職、病みつきになりそうだ(危険な思想)。
 もちろん妻子がいるので、そうそう悠長に構えているわけでもない。いちおう職探しも始めている。2月3月のあたりでは漠然と、今度はデスクワークがいいなあと思っていたのだが、緊急事態宣言の日々で世の中のデスクワーカーたちがリモートワークをするさまを見て、家でパソコンでちょちょいっとできる仕事ってなんだよ、と、どうやら隠し持っていたらしい技術職の矜持のようなものが刺激されて、方針を変えた。まあこんなご時世なので、どうしたって選択肢は限られる。決まらないときは決まらないし、決まるときは決まる。会社都合退職のゆとりはあるので、後悔しない選択ができたらいい。
 それにしたってのんびりだ。子どもたちは学校だし、ファルマンも緊急事態宣言中はさっぱりだった仕事が戻ってきているしで、ひとり、やたら自由である。それでも貧乏性なので、料理などの家事をしたり、裁縫をしたり、プールへ行ったりと、漫然と時間だけが過ぎてゆく、なんてことにはならないよう努めている。なにしろ会社都合退職なので、同僚たちも同時にみんなこの状態になっていて、おそらくみんな暇にしているんだと思う。だいぶ前、唐突に平日に休みがあったとき、結局なんにも事は起らなかったが、「この日に一緒に遊べるのは会社の同僚だけだ」と思い、ちょっとジタバタしたりしたけれど、今回はそれのスペシャル版で、互いに時間があり余っているだろう元同僚とは遊びやすいだろう、ということを思う。思うけれど、思うだけだ。新しい生活様式というのが都合のいい言い訳となったが、果たしてこんな時世でなければ工場閉鎖にあたってお別れ飲み会とかがあっただろうか。なかっただろう、という気も普通にする。結局のところ、あまり和気藹々とした職場ではなかったのだと思う。
 そんなわけで、退職や現在の状況について、わりと赤裸々に書いた。近ごろはそこまで暮しに根差したことを書くわけではないが、それでもこのことを書かないと、なんとなくブログのどんな記事も書きづらい感じがあったので、書いておくことにした。再就職が決まったときに、「決まった!」なんてことはたぶん書かないと思う。この日々がいつまで続くのか(あまり短すぎても損をしたような気になるだろうが、長引くと恐怖感が増してくるだろうとも思う)は分からないが、とりあえずもうすぐ屋外プールがオープンするし、夏をエンジョイできたらいいなあと思う。思えば東京で書店員を辞めたのは8年前の7月だった。辞めるとき、島根でロンドンオリンピックをたくさん観るのかなあ、と思ったのを覚えている。結果的にそこまで観なかったけど。期せずして今回の失業もオリンピックイヤーとなった。自国開催ということもあり、今回こそたくさん観られたらいいなあと思う。
 最後、コロナショックとかにさんざん触れておきながら、東京オリンピック延期というニュースだけがすっぽり抜け落ちている人、という最近お気に入りのギャグで話を終わらせてみた次第である。