2022年総括

 おろち湯ったり館へは行かなかった。去年の当該の日記を読み返したら、僕はプールで泳いだことに主に感動していて、サウナはけっこう混んでいて微妙だったということを書いていて、そうか去年の俺は冬期間のプールというものに飢えていて、だから刺さったのだなと判ったため、行くのは止すことにしたのだった。というわけでこうして最後の記事を書いている。
 そんなわけで、今年のプールの最後は今週の火曜日、27日ということになった。寒くてさすがに行く気が起きないと嘆いていたプールだったが、集計してみれば今月も7回行っていて、実は他の月とあまり遜色がない。ちなみに6月からの7ヶ月間の合計は59回で、なかなかに通ったことだと思う。これはもう堂々と、運動習慣や趣味として挙げていいレベルだろう。
 寒くなってからはさっぱりだ、という思いを抱いていた事柄はもうひとつあって、それはプールに行った日と同じく記録している射精の回数なのだが、しかしこちらもまた、集計してみれば実はそんなこともなく、驚いている。夏は内外で半裸のような格好で生活を送り、ちんこがすごく身近な存在に思え、言葉がなくても、あえて伝えようとしなくても、深い部分で感応し合っているという、僕とちんこはまるで三苫と田中のような関係性にあったが、それが寒さのせいで厚着をするようになったことで、少し離れてしまったように感じていた。ところが記録によると、11月12月の射精回数はと言えば合計……回にもなるのに対し、ちんことの蜜月のように感じていた8月9月の合計の射精回数はわずか……回で、まったく意外な結果なのだった。どうやら、ちんことの親密度と射精回数というのは、比例関係にあるわけではないようだ。これは貴重な経験則である。そんなわけで、この記録の習慣は始めてよかった(始めるのが遅くて悔しいくらいだ)。来年ももちろん引き続き行なっていく所存である。
 あとプールにもちんこにも通じる話なのだが、今年と言えばなんといってもショーツ作りに勤しんだ年だった。2022年はショーツ元年と言ってもいい。どれくらい作ったろうかと、普段はそこまで整然と管理できていないショーツ群を、整理してみた。溢れるたびにセリアで買い足すケースに、1列5枚、2列の10枚が入る。それがこうなる。


 洗濯中のものや、たったいま自分が穿いている分や、どこか別の引き出しに迷い込んでしまっているものもあるが、ケース13個、すなわち130枚は、少なくともある。なんかびっくりする。折り鶴や、ヒット君人形や、布マスクのときもそうだったけど、僕はどうも、いちどハマって作り始めたら、やけに数を作ることだ。これはもう習性だな。
 10月から、ジョニファー・ロビンに穿かせた画像とともに作ったものを1枚ずつ紹介していくインスタグラムを始め、これからの今年の残り約90日間で毎日更新することも可能、弾は十分にある、ということを書いた。弾は斯様に十分にあり、なおも増え続けているのだが、インスタグラムの更新のほうが滞り気味になってしまっている。大晦日にして、現状まだ53枚目までしか紹介していない。これは来年以降また励んでいこうと思う。
 あと画像の右下にあるのは水着である。ショーツ作りが趣味で、水泳が趣味なので、当然の帰結として、じゃあ水着も作ろうかという思考になる。ちなみに水着はさすがにボックス型である。こちらは現時点で17枚。そんなにあってどうするんだよ。
 ブログ投稿のほうは少しだけ湿りがちで、毎月2桁投稿という目標は、3月以外はクリアしたのだが、それにしたってブログが十分に書けない、書く時間がないよ、と思っていたのだが、こうして1年間の自分の行ないを振り返ってみれば、プールに60回行って、ショーツを130枚、水着を17枚作っていたら、それはまあブログを書く時間は削られるよな、と納得した。なんか仕事とか家事とかで時間を奪われすぎているような気がしていた。誤解だ。
 そんなこんなで今年が終わる。まあここまで述べてきたように、なかなか精力的な1年だったのではないかと思う。個人的に、そこまで哀しい出来事はなかった。なによりである。嬉しい出来事はなにがあっただろうと振り返ったとき、やはりいちばんに思い出されるのは、プールの男子更衣室で小学生ふたり組に、ちんこの大きさを驚嘆されたことだ。あれは本当に嬉しかった。日々のふとした瞬間に思い出すたびに、濃厚な幸福感が全身を包み込むというくらい嬉しい思い出で、結果的に、今年いちばん嬉しかった出来事となった。あの出来事があったから、2022年はいい年だったと自信を持って言える。来年もいい年になるといい。いい年になるかどうかは、本人の日々の心掛けとちんこ次第だろう。
 よいお年を。

2022年の瀬の瀬の瀬

 昨日から休みに入っている。1月4日までなので、ちょうど1週間ということになる。1週間か、まあそんなもんか、と平然と受け止めている自分がいて、その一方で、社会人になって何度かあった、サービス業だったためにGWにもお盆にも年末年始にもろくな連休がなかった怨みではらわたが煮えくり返っている自分もまた、まだ自分の中にはちゃんといる(なるほど怨みというものは人間の感情の中で最も風化しづらいものなのかもしれない)ので、1週間という休みをそう受け止めた自分に対し、強い怒りを覚える部分もある。精神が分裂し、当時の僕が実体化したら、その僕は今の僕の頬を力の限りにぶっ叩くと思う。叩かれた頬の痛みも、叩いた手の痛みも、どちらも僕の痛みだ。1週間の休みは当たり前のものではぜんぜんない。そのことをゆめゆめ忘れず、これからも生きていこうと思う。これが人生経験を積んだことによる含蓄というものか。
 連休初日の昨日は、午前中はひとりで買い出しに出た。残り3日間の献立をシミュレーションし、必要なものを買い込んだ。去年はこの買い出しの際、もう少し食費の財布に余裕があって、「買おうかどうか迷ったものは買う」のスタンスで、カート山盛りに食材を購った覚えがあるが、今年はそこまでの気兼ねのない買い出しはできなかった。物価は1年前に較べて本当に高まった。それでもなんとか算段をつけ、正月の餅も含め、買い揃えた。物価高は本当に嫌になるが、それでも一応は暮しは成り立っているのだから、よしとするべきだろう。
 午後は、同じく今日から旦那が休みに入った兵庫の次女一家が、朝に向こうを出発し、昼過ぎにこちらに到着したというので、子どもを連れて顔を出した。夏以来の再会。4月末日生まれの姪2は、生後8ヶ月となり、夏は寝そべっているだけのものだったのが、たどたどしく、すぐにバランスを崩しがちだったが、座ることができるようになっていた。よいなあ。8ヶ月の赤ん坊、細い目でずっと見ていられる。あとピイガより8ヶ月ほどあとに生まれ、学年がひとつ違う姪1は、コミュニケーション能力が低いのは相変わらずだったが、ピイガより少しだけ背が高くなっていた。抜かされたかー。これはもう、たぶん生涯そうだろうな。向こうの父親の身長は、訊ねたことはないが、まあ170は余裕でありそうだ。
 晩ごはんはベーコンときのことほうれん草のパスタと、グリルチキン。ミートソースとかカルボナーラではない、油で炒めた感じのパスタが食べたい気分だった。ビールが進んだ。食費のやりくりのつましさを語った舌の根も乾かぬうちに言うのも何だが、クリスマスからこっち、買い物のたびにアルコール類をせっせと仕入れ、年末年始の連休にアルコールが足りなくて困るということがないよう対策しているのだった。なにぶん年末年始のアルコールというのはね、1年でいちばん許されるアルコールですからね。後悔のないよう存分に摂取するべきだと思いますよ。ええ。夜もテレビを眺めながら、こちらは今日ようやく年内の仕事が納まったファルマンと、のんびりたっぷり飲んだ。12月は健康診断に備えて酒を控えたため、こうした晩酌もほとんど催さなかったのだが、そうするとやっぱりどうも日々が味気ないように思え、下戸の人はそれはそれで100%の有意義な人生であろうが、なにぶんほら、酒飲みというのはアルコールで脳が委縮しているがゆえに、もうアルコールなしでは十全に味わえないようになってしまっているので、満たされないものを感じていた。その意趣返しと、年末年始の発散が相俟って、もうどうしたって酒は必要不可欠なのだった。
 明けて今日は、かねてより年末年始の連休にでも行ければいいね、と話していた、アイススケートに繰り出す。ゴビウスやグリーンパークのすぐそば、すなわち宍道湖のほとりにある、湖遊館というスケートリンクの施設である。去年から行こうという話は出ていたのだが、なんだかんだで機を逃し、このたびもだいぶ、行きたいとは思ってたけどいざ実際に行くとなったら途端に億劫だぜ状態に陥ったのだが、それでもなんとか気力を奮い立たせて行った。アイススケートは、2015年年末の帰省(岡山在住時代のこの年は、なんと年末に横浜、年始に島根というダブル帰省を行なった年である)の際のこどもの国以来、7年ぶり。7年ぶりなので、子どもたちにとっては実質初体験のようなものだ。ままならない未体験の行為に対するアプローチが、それぞれキャラクターが立っていておもしろかった。靴を履いて誰よりも先にリンクに足を踏み入れたのはピイガで、その場で見事に転倒した。世の中、テレビで観るアイススケートは、フィギュアにせよスピード競技にせよ、とてもうまく滑れる人ばかりが映し出されるので、滑るのが難しいというイメージがピイガの中にまるでなかったらしかった。そして最初の派手な転倒によって自らの誤解を悟る、ということもなく、ピイガはいつまでも自信満々に進み続け、そして転び続けた。自信がすごすぎて、現実でぜんぜんうまく滑れていないことなど、ピイガの中では些末事のようだった。すごい現象だな。一方でポルガは慎重派で、壁の手すりに掴まりながら、そろりそろりと足を進めていた。やがてだんだんとコツが分かってきたのか、壁から手を離す場面も増えたのだが、しかしそのコツというのはあくまでポルガの中のコツであって、その滑り方は、右足は固定したまま左足だけを動かすという異様なもので、前傾することなくすらりと伸ばされた上半身は終始不動で、トレーニング器具のスカイウォークのようだった。自分以外の人間のやっている様を完全に見ずに、独力で独自の方法を編み出し飄飄としている感じが、実にポルガらしいと思った。斯様にタイプは違うが、しかしふたりに共通しているのは、絶対に自分が正しいと確信していることだ。こいつらの自己肯定感の鋼っぷりは、一体どうしたことなのかと、今日のアイススケートに取り組むさまを見て、改めて不思議に思った。ファルマンと僕は、7年前と同じく、そこそこ滑れた。アイススケートは、いちど滑れるようになると、ずっと滑れるのだな。しかし明日はふたりとも筋肉痛だろう。ヒラメ筋のあたりが特にやばい気がする。
 晩ごはんは唐揚げをメインに、フライド長芋、マカロニサラダ、白菜のクリーム煮という献立。マカロニサラダは明日の大みそかにもダラダラ食べられるよう、たっぷりと作った。スポーツレジャーをした日の、揚げ物とビールが、陶酔するほどおいしかった。それにしてもクリスマスあたりから脂質がとんでもないことになっている気がする。そこへさらに、正月になれば餅が加わってくる。いやはや年末年始はかくもおそろしい。
 今年の日記はこれが最後だろうか。明日も書けたら書くが、最後になる可能性も十分ある。日中、妻子はまた実家に行くというので、ひとりで作業をしたり筋トレをしたり日記を書いたりしたい気もする一方、1年前と同じくおろち湯ったり館に繰り出しちゃう? という誘惑もあったりする。まあいいようにしよう。せいぜい愉しく有意義に過しますよ。明日も、来年以降も。

クリスマス 2022

 今年のクリスマスは、24日が土曜、25日が日曜日ということで、動きやすかった。いろんな業態の人がいるので一概には言えないが、それでも人類全体の幸福の総量は、そうじゃない年に較べ、高いのではないかと思う。もっとも金曜日あたりから襲い掛かってきたクリスマス寒波によって、北陸や東北ほどではないにせよ、山陰の交通網もかなりの影響を受け、岡山に行こうとしていた義両親も、広島に行こうとしていた義妹も、それぞれあえなく計画を取り止めていた。山陰の冬は本当に、空は荒れるし、中国山地越えは過酷だしで、とてもカジュアルに閉ざされることだと改めて痛感した。
 われわれ一家は、もちろんはじめからそんな大掛かりな予定などは組んでおらず、実家が予定では無人になるはずだったので、犬の世話を依頼されていたのだが、それも上記の理由により免除となったため、割合と平穏に過すことができた。唯一ポルガが、24日は例の科学クラブみたいな教室に午前も午後も行くということで、その送り迎えをし、午前と午後の間には家族で回転すし屋に行ったり、そのついでにもろもろの買い出しをしたりした。
 夕餉のメニューは、ミートソースグラタン、フライドチキン、スモークサーモン、テリーヌ、コーンスープ。そしてビール。なかなかに脂質たっぷりのメニューで、さらにこのあと、今年は珍しくケーキ屋で予約し購った、ブッシュドノエルを食べた。返す返すも、健康診断がクリスマスの前でよかったと思う。気兼ねなくおいしく食べ、飲み、しあわせな聖夜だった。
 ここで娘たちの描いたクリスマスポスターを載せておく。
 まずピイガ。
 

 平和である。「クリスマスになった! やったー!」というコピーの、素直さがいい。結局うれしいときは「やったー!」に勝るものはないな、と心が洗われるようだ。
 続いてポルガ。
  

 ここでアップしている画像としては、2枚をほぼ同サイズにしているが、実際はピイガのそれがA4であるのに対し、ポルガはA4を4枚貼り合わせているので、A2判ということになる。単純にでかいし、そして見ての通りの描き込み量なので、なかなかに圧倒される。しかも少年少女たちは吹き出しでなにを言っているのかと言えば、「ドッペルゲンガー」であったり、「パラレルワールド」であったり、「月夜でないよ、銀河だから光るんだよ」であったり、「りんぴょうとうしゃかいちんれつざいぜん」であったりと、めいめいにわけの分からないことを言っているので、眺めているとだんだん頭がぐわんぐわんしてくる。要するにこれは、ポルガの頭の中そのものなのだな、と思った。
 それから夜が更け、自分たちが寝る直前、子どもたちが完全に寝ているのを確かめ、フォッフォッフォする。このブログの読者で、もしかしたらまだ真実を知らない人がいるかもしれないので濁すが、忍び足で部屋に入り、つつがなく例の行為をした。
 翌朝、ピイガが満面の笑みでわれわれの寝室にやってきて、「トランポリンがあった!」と報告してくる。今年のピイガのサンタさんからのクリスマスプレゼントは、トランポリンなのだった。見に行くと、ベッドの脇、部屋の中央に、ドドンと円形のトランポリンが鎮座していた。「わあ、すごいすごい!」とリアクションをしたが、実はそれを置いたのは6時間前の僕なんですよね。実はサンタって本当はいなくて、親がやってますからね。それからポルガも部屋から出てきて、「全集じゃなかった……」と少し口を尖らせながら言った。ポルガは「藤子・F・不二雄大全集」を所望していたが、届いたのはてんとう虫コミックス版の「ドラえもん」全45巻(+0巻)だったので、少し肩透かしを喰らったらしい。阿呆か、と思う。大全集は119巻あり、総額は22万円くらいになる。値段も置き場所も現実的じゃないし、なにより声を大にして言いたいが、全部がおもしろいわけじゃない。それよりてんとう虫コミックス版のドラえもん全巻のほうが、読みやすいし、いいと思う。あと金額的なことを言わせてもらえば、これだってだいぶするんだからな。期待していたものと違って最初は不満げだったポルガだったが、しばらくすると気を取り直し、怒涛の勢いで読み始めていた。そしてピイガはひたすらトランポリンで跳ねていた。そんなクリスマスの朝だった。
 日中は、トランポリンの衝撃を吸収するためのマットや、ドラえもんを収納するための本棚を買いに出た。サンタは、品物を届けるだけ届けて、そういったアフターケアに関しては無頓着なのだった。おかげで親は思わぬ出費を強いられた。さらに言えば、繰り返しになるがサンタって実はいなく、トランポリンもドラえもん全巻もわれわれが購っているので、なんかもうただひたすらの出費である。子どもはずるいな。
 それにしてもポルガあたり、そろそろサンタの正体について真相にたどり着いてもぜんぜんいい頃だと思うのに、一向にその気配がない。ピイガと一緒に、「トランポリンなんて大きいもの、どうやってソリに載せてたんだろう?」などと語り合っている。本当だろうか。初潮が来たり、国の歴史や公民について学んだりする一方で、サンタの存在を無垢に信じるなどということが、果たしてあるものだろうか。しかしポルガの性格上、サンタが本当はいない(親がやってる)と確信したら、ピイガへの配慮など一切なく、そのことを普通に口に出すに違いないと思うので、じゃあやっぱり信じてるのかなあ、とも思う。まあ大人だって、それぞれのバイアスで世界を見ているわけだから、子どもだけが歪ということでもないわけだけども。
 かくしてクリスマスも終わり、子どもたちは今週末で2学期が修了していて、僕もあと数日で仕事納めとなる。あとはもうオートメーションのように、「年末年始」がやってくる。ちなみに今年のようにクリスマスが土日だと、大みそかと元日もまた土日になる、ということを知った。なぜかこれまであまり意識したことがなかった。クリスマスイブと大みそかは、いつだってちょうど1週間離れているのだ。だからどうした、と言われると困るけれど。

師走の昨日と今日

 1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、などという言い回しがあるけれど、そんなことを言うなら12月ってすごくないか。それら3つの月が、それでも一時は自分と一緒にあるのに対し、12月って、もはや横目に通り過ぎるのを見る、くらいの感じだと思う。邂逅してない。流れる怒涛の中、少しだけ垣間見えるくらい。そんな関係性だ。
 昨日18日は、世の中で「M-1グランプリ」と「鎌倉殿の13人」の最終回が被ってしまってどうしよう、ということが論議されている夜だった。しかしテレビ朝日系列が映らない島根に住む俺には関係のない話だと、秋口からの「M-1」の情報を目にするたび、ケッ、といじけていた。ところが直前に、今年の「M-1」はTVerでライブ中継するということを知り、無事にリアルタイム視聴することができた。よかった。
 子どもたちがいては漫才など聞けないので、部屋でひとり、晩ごはんまで持ち込んで、去年の恨みもあり、本腰を入れて観た。結果、大会そのものの盛り上がりはそこまででもないように感じたけれど、優勝したウエストランドはたしかによかった。現実ではなかなかそういうわけにはいかないからこそ、テレビはじゃんじゃん悪口系の笑いをやっていけばいいと思う。無理だろうけど。
 そのあと、録画していた「鎌倉殿」の最終回をファルマンとともに観る。テレビばかり観ていた夜だった。最終回なので、なんだか最初から最後までずっと寂しかった。大河ドラマの最終回は、そのまま主人公の死期なので、いつも寂しい。また義時の死に方の寂しさったらなかった。でもこのドラマがあったおかげで、1年間とてもおもしろかった。
 「M-1」が終わり、大河ドラマが終わり、なんかもう、ちょっとすれ違っただけの12月は、その姿さえ視界から消え、ぼんやりとした輪郭しか残っていないかのようだ。ちなみにこの晩、深夜1時ごろからは、ワールドカップの決勝戦も行なわれていた。アルゼンチン対フランスは、アルゼンチンが勝利し、大会最優秀ゴールキーパーの賞を受賞したアルゼンチンのエミリアーノ・マルティネスは、受け取ったゴールデングローブのトロフィー(実物大の黄金の手の形)をその場で股間に当て、勃起チンポ的なジョークをかましたそうだ。よかった。そういうの、本当にいいことだと思う。国とか、スポーツマン精神とか、リスペクトとか、そういうのを超越した、真の歓びが伝わってくる。中東で行なわれたノンアルコールの大会で、最後の最後にそれがあったということに、勇気をもらった気がした。あとどうしてもこれが言いたい。これがほんとのアルゼンチンってね!
 翌日の今日は、相変わらずの寒波で、窓の外は雪景色だった。それでも労働中は暑くなり、先週は水曜日にワクチンを接種した影響でろくにプールに行けなかったので、今日こそは行くぞと思いながら仕事をしたのだけど、退勤して会社から一歩出た瞬間に、本当にろうそくの火が消えるかのように、フッと意欲をかき消された。会社の玄関から駐車場の車までの50歩くらいで途端に手がかじかむような、容赦のない寒風。プール……、だと? と、先ほどまでの自分の正気を疑いたくなった。行ったら行ったで、プール内も水も冷たくないし、泳いだあとは熱いシャワーを浴びるしで、決して自殺行為というわけではないのだけど、とにかくこの寒さの中、プールに足を運ぶということのモチベーションがもたない。さすがに無理だった。週の半ばは少し寒波が収まるようなので、そこで行ければいいかな、と思う。
 脈絡のない、雑然とした日記になったが、だいたいそんな師走の昨日と今日を過した。

頼家気分

 今日は松江で行なわれる催しに子どもを連れていかねばならなくて、でも都合の悪いことに僕はこの土曜日が会社カレンダー的に出勤だったので、事情を話したところ義父母がレジャーがてら連れてってくれることになった。
 なったのだったが、わりと直前になって、やっぱり仕事はお休みということになった(土曜日はなんだかんだでこうなることがある)。そうなると、にわかに僕も松江行きの目が出てきた。しかしながら、子どもを催しに連れていくのが当初の目的であったものが、ファルマンによると義父母はもうだいぶ孫との松江行きを張り切っているらしかったので、いまさら「やっぱりいいです」と言えようはずもなく、だったら僕も飛び込みで参加というのはどうだろうと思ったが、残念ながら義父の車は5人乗りなのである。僕が乗る余地はない。僕のフリードならば6人乗りだが、なんかどうも、「俺の車で妻と娘と孫娘を乗せて松江行きだぜ」と意気込んでいるだろう義父に、僕も参加するんで、6人になるんで、僕が運転しますから、僕の車で行きましょう、ということを伝えたら、義父は拒絶するわけにもいかず、「……うん」と哀しそうに返事をして、そして助手席でずっとちょっと愁いを帯びた表情を浮かべ続けるのではないかという気がして、そんなことに思いを巡らせた結果、これはあれだな、俺は源頼家だな、あのまま死んでいれば丸く収まったものを、にわかに息を吹き返したりしたからややこしくなってしまったということだな、という結論に至り、結局どうしたかと言えば、ファルマンとの協議の末、今日の僕の仕事が休みになったことは、義父母には秘匿することにした。ちなみになんで僕は松江に行きたがっているのかと言えば、本当にただ一点、松江イオンのパンドラハウスでニット生地を買いたいから、というだけの理由であり、それに対して義父は、せっかく孫と松江に行くのだからと、いろいろ立ち寄るスポットを挙げているそうなので、本当に頼家と一緒、にわかに息を吹き返したりしないほうが全員しあわせなのだった。
 というわけで午前の、義父母が車でわが家に迎えに来る予定時刻の少し前に、アリバイ作り的な感じで、僕はフリードに乗り込み、街に出た。おろち湯ったり館という考えも、当然ちらりと脳裏をかすめたのだけれど、昨晩にプールに行ったのと、前回から間が詰まりすぎているのと、なにより12月から2階が閉鎖されているのとで、どうも意欲が湧かず、本当に義父母によるファルマンたちのピックアップの間をやり過ごすためだけの、日常的な買い出しに終始した。帰宅後は、ひとり買って帰ったブロック肉で煮豚を作り、昼ごはんはうどんを作り、食べ、そのあとはショーツを作ったり、HIITをしたり、なんかまあ、そんな感じで過した。なんとなく地に足がつかない、時間を潰すために過しているような、そんな過し方になってしまった。たぶんそれは、義父母に対し、僕がこの日中に家にいるのが秘匿事項だからで、まったく善良な人柄だなと我ながら思うが、そのうっすらとした後ろめたさによる作用だろうと思った。ファルマンたちは夕方に帰ってきた。愉しかったそうで、なによりだと思った。僕が闖入していれば、そうはならなかったに違いないと思った。

この1週間ほど

 「cozy ripple名言・流行語大賞」と「パピロウヌーボ」を無事に投稿することができた。去年は心身の調子が整わず中止にしてしまったので、今年はそれができた、ということがなにより嬉しい。実際、なかなかの労力である。趣味でブログをやっておいて労力もなにもないだろという話だが、この10日間くらいはそれにかかりきりだったのだ。そこから解放された歓びもまた、全身を優しく包み込んでいる。なによりどちらもとてもおもしろいものに仕上がったという達成感もある。
 この1週間ほどのことをざっと記録しておく。
 先週の日曜日は午後から義両親が子どもを連れ出してくれるというので、ここぞとばかりに、ファルマンと僕は夫婦水入らずでしっぽり、なんてことを本当に実行していたらこんなふうにエピソードを開陳することはしない。現実は、ファルマンは(言うまでもなく)家で過し、僕は意気揚々と、おろち湯ったり館へと繰り出したのだった。この10日ほどは上記のふたつの企画にかかりきりで大変だった、とホザいた舌の根も乾かぬうちに、こんな白状をするというパターン。しかし雲南市にあるおろち湯ったり館は、12月に入ると2階の露天が閉鎖されてしまうので、この11月の最終日曜日は、それを享受する最後のチャンスだったのだ。しかもこの日は月にいちどの薬草湯(今月はどくだみ)ということで、いよいよ久しぶりに行くっきゃなかった。いつぶりの来訪かと言えば、なんと今年初で、去年の大みそか以来である。島根への再移住を決めた際、あのおろち湯ったり館に、車で30分弱で行ける場所で暮すんだな、足繫く通おう、と心に誓ったのに、現実はこの体たらくである。なんだかおろち湯ったり館にも、当時の自分にも、不義理な気がする。それで11ヶ月ぶりの湯ったり館はどうだったかと言えば、これが、本っっ当によかった。やっぱりおろち湯ったり館は夢のような場所だな、という思いを新たにした。プールがあり、サウナがあり、開放的な露天があるのだ。行くたびに高確率で、これ以上に僕の欲求を充足させる施設は他にないな、ということを思う。もう露天は閉鎖されてしまったし、なにより本格的な冬になれば、雲南市のほうへは、道のコンディション的になるべくなら車を走らせたくないので、またしばらく間が空くが、来春以降は今年よりも努めてアグレッシブに訪れようと思った。
 この日の晩は、19時からというゴールデンタイムに、ワールドカップ予選リーグ第2戦のコスタリカ戦が行なわれるということで、当然それを観ながらの晩ごはんということになり、ならばダラダラ食べられるメニューにしようと、たこ焼きにした。これはとてもいい趣向で、日曜日の19時というとても恵まれたタイミングでの試合の、勝てば十中八九決勝トーナメントに出場できるという状況で、しかもドイツに勝ったんだからコスタリカには勝てるんだろうと国民の大多数が信じてやまない、この幸福な夕餉において、たこ焼きは最適なメニューだったと思う。たこ焼きは美味しかった。試合は阿鼻叫喚だった(主にファルマンが)。対戦相手的にも、日程的にも、いちばんいいお膳立てがなされた、この試合がこんなことになるかよ、という感じだった。そのあと寝る前に見た「鎌倉殿」では実朝と公暁も死んで、いろいろ暗く、なんだかとてもダウナーな晩となった。
 第3戦、スペイン戦は、平日の朝4時から開始で、しかも相手はスペインということで、あまり身が入らなかったが、それでもなぜか自然と5時半前あたりに目が覚め、スマホで速報を見たら2対1で日本がリードしていたので、慌ててリビングに行ってテレビを点けた。そして試合終了を見届けた。開催前、コスタリカにはなんとしてでも勝って勝ち点3をゲットし、残りの2試合のどちらかを引き分けにできたらもしかしたら、なんて予想がなされていたのが、結果的には正反対のような結果となり、奇想天外だと思った。アラームが鳴るまで15分ほどあったので布団に戻ると、ファルマンがうごめいていたので「日本がスペインに勝ったよ」と教えたら、しばらくの沈黙ののち、「うぇーっ!」と叫んだ。ちなみにこのとき起き抜けにおかしな動きをしたらしいファルマンは、腰を悪くして、今も背中に湿布を貼っている。サッカーにそこまで興味がないくせに、挙動だけは熱狂的なサポーターなのだよな。
 あとこの期間の日々で特筆すべきこととしては、ちょうど12月に入ったあたりから気温がガクンと下がり、わが家も石油ストーブが稼働しはじめ、いよいよ本格的な冬に入った感がある。そしてまだ体や体制が整っていないせいもあるのだろうが、寒さがとても身に沁みている。筋トレは、厚着でするものではないので、なかなか取り掛かる気力が湧かない。筋トレ自体は、やっていてそう体が温まるものでもないし。冬はどうしても委縮することだ。せいぜい挫けずに明るい気持ちを持って日々を過そうと思う。

免許の更新を行なう(記録)

 実は今年は5年にいちどの免許の更新年なのであった。というわけで10月あたりにその手続きをしていた。宍道湖のほとり、出雲と松江のちょうど中間あたりにある免許センターに行けば一発なのだが、免許センターあるあるで、免許センターのほうになんのついでの用事もなく、せっかくの土曜日の休みをそれに費やすのは抵抗があったため、とある平日に外出の申請をして、職場の近くの警察署に行って手続きをした。なにぶん優良ドライバーなので、警察署でいいのである。10月の上旬にそれをして、このたびようやく新しい免許証が届いたというので、昼休みに受け取りに行った。5年ぶりのゴールド復帰であり、喜ばしい。顔写真は、今回こそこれまでの経験と対策によって史上最高の出来だろうと思っていたのだが、見てみたら「うーん、まあ……」という出来だった。まあそんなもんだよな。
 今回、職場のある街の、とてもマイナーな警察署で手続きをして思ったのだが、歴代の免許の更新をどこでしたかって、人生の変遷そのもので、けっこうおもしろいのではないだろうか。人生で、数年おきに必ず訪れる行事なんて、免許の更新くらいのものだろう。
 僕の場合、18歳で神奈川県で免許を取り、3年後(21歳)の更新も神奈川県、次の3年後(24歳)の更新は、住まいとしては練馬に住んでいたが、結婚するまで住民票は移していなかったため、たぶん神奈川県だったのではないか(記録がないので確かではないし、結婚が24歳の8月8日のことなので、そういう意味でも微妙だ)。それから5年後(29歳)は、第一次島根移住の時期であり、島根で行なっている。次の5年後(34歳)は、岡山だ。家族と免許センターに行ったので覚えている。そして今回が、ふたたびの島根。我ながら、なんだかウロウロしてるな。最初から最後まで、ずっと変わらない人もたくさんいるだろうに。
 完全な未来予知などできようはずもないが、その人が人生において、どこで免許の更新をするかだけが分かる能力、というのがあったらおもしろい。最初の2回が3年おきで、あとは5年おきだから、70過ぎで返納するとして、18歳で免許を取った人は、だいたい12回くらい免許の更新をすることになる。だからその能力者が18歳の僕を視たら、「お前のこれからの免許の更新場所は、神奈川・神奈川・島根・岡山・島根……」と来て、そこまででも十分に衝撃的なのだが、そこから「……滋賀・高知・栃木……」などと続き、そして「奈良・奈良・リオデジャネイロ・奈良!」と言われたら、とても驚くだろうと思う。途中も大概だけど、俺は還暦を過ぎたあたりでブラジルに住む時期があるらしい、そしてやっぱり奈良に戻るらしい、一体どんな人生なのだろう、と。
 18歳の浜っ子の僕からはあまりにも予想もつかない場所で、39歳の免許更新を行なったので、人生って奇異だな、と感じて、そんな想像をした。

4連休だった

 にわかに舞い込んだ4連休は、実に4連休らしい濃度で、過ぎていった。
 土曜日の午前は、一家でインフルエンザウイルスのワクチンの接種に行った。ワクチンの接種は、どれを選択しどれを選択しないか、人それぞれ、家庭それぞれの理念に拠っていて、現代なかなかセンシティブな話題であると思う。わが家は、夫婦ともども新型コロナウイルスワクチンの4回目は様子を見ていて、子どもに関しても3回目はしないで済んだらいいな、と考えている、という状況だ。まあ理念というほどのものではない。日々、第8波の気配などという話題を見るにつけ、揺らいでもいる。インフルエンザに関しては、もう健康診断みたいなもので、1年にいちど、やらないとどこか居心地悪いので、みたいな感じでやっている。
 インフルエンザウイルスのワクチンは、新型コロナと違い、重い副反応のようなものはない。ないので、打ったあとちょっと遠出してレジャーにでも繰り出そうかという目論見もあったのだが、折からのうっすらとした体調不良と、加えて残念なことに大気もあまり安定しない様子だったので取りやめ、家でおとなしく過すことにした。
 となったら当然、僕としては裁縫と筋トレに勤しもうと思い、意気込んだのだが、裁縫に関しては問題なかったものの、筋トレに関してはさすがに注射したほうの腕に疼痛があり、ままならなかった。こんなことなら昨日もっとちゃんとやっておけばよかったな、と後悔した。というわけでこの連休は、わりとひたすら裁縫をしていた。やりたいと思ってはいたが、平日や短い休みではなかなか取り掛かる気力が湧かないようなことが、できた。よかった。行程で、心を無にしてひたすら縫うだけの場面で、傍らのパソコンで映像でも観ようと思い、いろいろ吟味した結果、消去法によって数年ぶりの「かもめ食堂」に落ち着いたのだが、「かもめ食堂」を観ながら裁縫をしている姿を見たファルマンに、「けっ! 素敵生活かよ!」と悪態をつかれた。
 素敵生活ついでに、夜は皮を手作りした餃子にした。素敵生活どころか、皮を買う費用を惜しんだ結果の手作りである。小麦粉だって安くはないが、とは言え皮を買うほどは高くない。僕は大きい餃子が好きで、しかし大判の餃子の皮というのは、15枚で150円くらいしたりするのだ。だからそれを50個くらい拵えようと思ったら、皮だけで500円を超えたりする。それが嫌で、せっかく時間のある休日なのだからと、ずいぶん久しぶりに皮から作った。最近はピザも作るので、強力粉は常備しているのだ(「素敵生活かよ!」)。結果的に、手作りの皮の餃子は満足いく美味しさだったが、しかし労力のことを思えば、500円で皮を買うのもぜんぜんありだなあ、とも思った。得てしてそういうもんだな。
 夜は、せっかくだからジブリ映画でも観ようじゃないかという話がファルマンとの間に立ち上がり、なににするか協議した結果、「天空の城ラピュタ」になった。いいセレクトだったと思う。ツイッターが大盛り上がりする金曜ロードショーでは観ないため、前回の鑑賞からはだいぶ間が空いていた。そのためとても新鮮な気持ちで観ることができた。感想としては、ゲボが出そうなくらいおもしろかった。なんかもう、圧倒的だな。刷り込みもあるんだろうが、もうこれが「おもしろいアニメ映画」として、正答のように定まってしまっている感がある。つい最近オープンしたジブリパークは、アミューズメントみたいなものはないようだが、ドーラ一家に追われる機関車をテーマにしたジェットコースターがあったらおもしろかったんじゃないかと思った。そして走ったあと、橋桁がどんどん崩れていくのだ。
 明けて最終日の今日は、古代出雲歴史博物館で子ども向けの催し物をしているというので、今日もずっと家というのもなんだからと、せっかくなので行ってみた。しかし歴博は出雲大社のすぐ近くにあり、出雲大社はいま、実はこれが正式である旧暦の神在月が始まったところで、ものすごい混雑だった。日本各地のご当地ナンバーで大渋滞となり、駐車場に入るまでにだいぶ時間を要した。地元民なので出雲大社に行く心積もりはなく、だいぶとばっちりを受けた形だ。歴博は、実は僕は初めてだったのだが、館内を巡った結果、渋いな、という感想を抱いた。そして主目的である子ども向けの催し物は、かなりこじんまりとしていた。結果として、行くのに大いに苦労したほどの実入りがあったかと言えば、正直なかったが、まあ秋の空がきれいだったので、連休最終日のコンパクトな外出として、悪くなかったということにしよう、と思った。
 晩ごはんはすき焼き。先週、実家から牛肉をいただいたのである。なかなかおいしかった。日本酒も進んだ。食べたあと、風呂に入り、先日図書館でもらった「Tarzan」を眺める。ここ数日読んでいる号では、糖質の摂取を控えようという特集をしている。すき焼きを食べて日本酒を飲んだあとにこれを読むというのも情趣があるなあ、と思った。
 そんな4連休だった。まあまあやりたいことがやれ、気持ちもリフレッシュした、いい日々だったと思う。作ったものや、暮し以外のことも、明日からの日々で書いていきたい。

堪能中

 11月に入っている。それで10月について少し振り返ってみると、わりと充実して過せたように感じる。ここで言う充実とはなにかと言えば、それは結局のところ、射精の回数になってくると思う。射精の回数が多いということは、意欲が漲っているということで、生きているのが愉しく、日々が充実しているということを意味する。意味し過ぎてしまって、前にも書いたが、じゃあ老いて勃起という武器が失われたら、老病死の哀しみからどうやって自分を守ればいいのか見当もつかないほどなのだが、とりあえず現時点では喫緊の事態とはなっていないので、それについては対策を先送りにしている状況だ。政府と同じですね(切れ味の鋭い政治批判)。
 気温のアップダウンが激しく、なかなか油断できない気候が続く中、わが家の季節の変わり目のいつものパターンで、まずポルガが微妙に体調を崩し、それを他の人間がもらう流れが、この数日ふんわりと巻き起っている。ふんわりと表現したのは、どうもそれが決定的ではないからで、喉であったり洟であったり、それぞれうっすらと不具合はあるのだが、寝込むほどではぜんぜんなく、学校も行っているが、しかし本調子かと言われたら決してそうではない、みたいな状態なのだ。それが僕以外の3人に蔓延している。僕はやけになんともない。下半身も全身も元気だな。
 3日(木)は文化の日で祝日で、本日金曜日が平日、そして土日、というのが今週の世間一般の流れなのだが、なんか僕は会社の方針で金曜日もお休みということになり、ぽっかりと4連休を得ている。4連休! 今年のGWは3連休が2回だったので、単独ではGWにも打ち勝つほどの連休である。なんてったって平日の休みというのがポイントが高い。思わずはしゃいでしまって、やりたいと思っていてなかなかできずにいたことを、3日からいろいろやり出して、その結果10月からずっと続いていたインスタグラムの投稿が、途絶えてしまったほどだ。時間がたっぷりあると、逆に日々のルーティンが崩れてしまったりする。
 今朝は、子どもたちはもちろん学校なので、僕は布団の中で、子どもたちが準備して出発するのを聞いていた。子どもたちが登校なのに自分は出勤しないというのが、かなり久しぶりで、ちょっと無職時代や、不規則な出勤体制だった時期などのことを思い出してしまい、ぬくぬくと幸福感に浸るどころか、ほろ苦い気持ちになった。犬ドッグはトラウマだらけなのだ。午前中は昨晩からの作業の続きをし、昼にファルマンとふたりでうどんの昼ごはんを食べたあと、平日の休みとあらばそれをするしかあるまいよとばかりに、四季荘へと繰り出した。四季荘は、土日は熱波師が来てイベントが催されたりするようで、人も多いだろうし、なによりそういうフェスっぽい感じが好きではないので、行く気にならないが、平日ならば平穏に愉しめるだろうと考えた。行ってみて、実際どうだったかと言えば、思ったより人がいた。平日の日中でこれなのだから、週末はどうなるというのか、と思った。サウナ的には、まあこんなもんかな、という感じだった。最初に行ったときは設備に感動したが、そのインパクトが薄れてしまうと、やはりどうしたって週末のイベントであるとか、ヘビーユーザーたちの内輪受け感などが鼻について、居心地の悪さを覚えてしまう。それと、どうもやっぱり僕は、サウナそのものにそこまでの価値を見出せていないのだとも思った。
 夕方に帰宅して、晩ごはんを作ったり、作業をしたり。やりたいことがやれていて、愉しい。

そしてパピロウは11月へ

 パピロウあるある。10月や11月はcozy ripple新語・流行語大賞のために過去の日記を読み返しているので、回顧したり、当時の状況と今の状況を較べたりしがち。
 今年は近所のスーパーで、カマスが阿呆みたいな安値で叩き売りにならなかったな、去年ほど豊漁じゃなかったんだな、と半月前くらいに残念がったのだが、そのあと去年の日記を読み返していたら、去年その買い物をしたのは10月下旬のことで、なんだこれからか、と安心した矢先、図ったかのようにスーパーの店頭には、去年に匹敵する阿呆みたいな値段のカマスが並ぶようになり、大喜びで購った。本当に安いのだ。最近やけに高いシシャモと、1尾あたりの値段が同じくらい。信じられないコスパである。
 去年と同じ事柄として、今日は多伎町の図書館のリサイクル市と、町民文化祭へと赴いた。そして去年と同じく、僕は「Tarzan」のバックナンバーを、ポルガは「るるぶ」を無事にゲットする。狙っていた号が手に入ったので本当に嬉しい。文化祭を冷やかしたあとは、屋外の駐車場で行なわれていた、特殊車両の展示イベントにも顔を出す。去年、高所作業車に乗って、恐怖体験をしたイベントである。今年も高所作業車は来ていて、もちろん僕は(ちんこが大きいこともあり)乗るつもりはなく、ファルマンに「今年は君が子どもたちと乗ったらどうだ」と提案したのだが、「やだよ」と無碍に断られた。その代わりに今年は、除雪作業車であったり、河川パトロールカーといった車に、子どもたちとともに乗り込んだ。なかなか愉しかった。多伎のこのイベントはいいなあ。来年も行こう。
 今日はそれで終わりではない。そこから一路、出雲ドームへ。これも去年と同じイベント、産業博が執り行われているのだ。去年は、産業博は今年と同じ10月最終週、多伎町のほうが11月の第1週と、ばらけていたのだが、今年は同日開催で、僕が今週は土曜日まで労働だったこともあり、なかなか忙しい立ち回りをするはめになった。
 産業博は、多伎町の文化祭よりもだいぶイベントの規模が大きく、人出があった。人出があると言ってもたかが知れてるのだが、しかしこういうのって、行列慣れした都会ならば整然と並ぶところを、ふだん行列などほとんどしない地方民は、並ぶとも並ばないともなく、ほんのり窓口のあたりに群がりがちで、そのぐじゃっとした感じがどうも僕は苦手なのだった。しかし子どもたちはそれなりに愉しんだようなのでよしとした。
 それから買い出しもして帰ったので、帰宅はだいぶ遅くなった。慌ただしく焼きそばを作り、昼ごはんとした。午後はようやく筋トレや裁縫ののんびり時間。来週は休みが多いので、たっぷりこういう時間が取れたらいいと思う。ところで筋トレはトレーニングベンチを使って行ない、裁縫はショーツ作りだったのだが、1年前は、トレーニングベンチはまだ持っていなかったし、ショーツも1枚も作ったことがなかった。ジョニファー・ロビンももちろんいない。今の暮しから考えると、にわかに信じられない。お正月がちょっと前の出来事のように感じられたりして、1年はとんでもなく早いと思う一方で、1年でけっこう変化したことは多いな、と驚いたりもする。「トレーニングベンチもなく、ショーツも作らず、1年前の俺はなにをしてたんだろう」とファルマンに訊ねたら、「なんやかんやしてたよ」という答えが返ってきた。そうだろうな。なんやかんや、してたな。
 晩ごはんはピザ。前に作ったときからだいぶ間が空いたな、と思ったが、前回は9月中旬なので、実はそうでもない。今回もおいしくできた。年末年始、義妹一家なども実家に来たとき、ふるまえたららいいな。賞賛されたいな。
 日本シリーズが終わる。3戦目までの段階で、間違いなく今年もヤクルトだと思っていたので、まさかの展開だった。去年、今年と同じくヤクルト対オリックスだった日本シリーズの開幕戦を、鳥取旅行の宿泊先のオーシャン(の部屋とサウナ)で観たことは、とても思い出に残っている。1週間ほど前の、今年のシリーズ初戦の際、あれから1年かー、などと思ったのだが、実は去年というのはコロナやオリンピックの関係でペナントレースが延び、今年よりも1ヶ月ほど遅れて進行していたのだった。だから実は、11ヶ月前である。そして冒頭でも述べたように、大賞の関係で僕は11月に1年間を区切りがちなので、だとすれば去年の11月から今日までという1年間で、僕は2回、日本シリーズを観たということになる。対戦チームが一緒なので、いっそう不思議な感じだ。去年と今年は、淡く同じで、淡く異なる。なにもかもが、だいたいそんな具合で、移り変わってゆくのだな。

秋ガニ

 秋の心地よい季節である。今日は爽やかというには少し暑いほどだったが、でもよく晴れた。小さな地方都市でも、ここぞとばかりにいろいろな催し物が開かれていた。そのひとつに、実家から誘いが来て、ファルマンと娘たちは出掛けて行った。僕は今週が土曜日も仕事だったこともあり、誘うとも誘わないともない自由参加の感じだったので、行かないという選択をした。というわけで午前中は家でひとりでのんびりと過した。家でひとりで過すという時間が、僕には本当になくて、もしかすると今日の午前のこれは、正月以来ではないかと思った。というわけで前夜からワクワクしていたのだけど、いざその時を迎えてみれば、やったことと言えば筋トレと、生地の裁断と、まあ多少いつもより堂々と勃起したりすることくらいで、そこまで堪能できた実感はなかった。もっとも、どうすれば十全なのかは自分でもよく分からない。
 昼過ぎになり、ファルマンから帰宅がどのくらいになるか、昼ごはんをどうする感じか、メッセージが届く。その中に、「ピイガがくじ引きで1等のズワイカニを当てた」という文言があり、目を見開いた。なかなかのパワーワードである。カニにもいろいろなカニがあり、山陰ということもあるのか、そこらへんのスーパーで、それなりの大きさのカニが意外な安価で売られていることもあるが、しかし逆に言えば、そんなカニに驕っている地域のくじ引きで1等賞品とされるカニである。いったいどんなものがやってくるのか、ドキドキしながら帰宅を待った。
 しばらくして帰ってきたピイガは、カニの箱を抱えていた。箱である。なんかギフト用の、きちんとした箱だった。見ると巨大で生々しいカニの脚が、ごそっと入っていた。それでも今日の買い物のスポンサーである実家と山分けした結果だという。たいへんいやらしい話であるが、箱の画像をアプリケーションを用いて検索したところ、なかなかの販売価格で取引される品物だった。ピイガは前々から、くじ運がいいとされてきたが、いよいよ今回のことで確信へと変わった。ハロウィンジャンボ買わなきゃ!
 冷凍庫にはとても入らないので、今晩食べることにした。というわけで夕飯のメニューはカニ鍋となった。まさか今晩、わが家の献立がカニ鍋になると、誰が予想しただろう。人生っておもしろいな。ちゃんとした値段のするカニは、なるほど水っぽくなくておいしかった。子どもたちはきちんとカニを食べるのは初めてだったろう。おいしくて大興奮、というほどのリアクションでもなかったが、それなりに食べていた。親はほぐすのに必死だった。カニの殻、めっちゃ固い。おいしい代わりにめっちゃ固くて、苦労と美味しさがきちんと比例する食べ物だな、と思った。カニ鍋ののち、雑炊。日本酒と合わせ、至福の時間だった。至福の時間だったが、個人で買った場合の値段と照らし合わせて、値段ほどの幸福は得られないなあ、とも思った。金額が、一食で得られる最大の幸福量に見合う数字を、どうしたって超えてしまっているのだ。こういうのを、舌が安いというのだろう。でも自分で支払ったんじゃなくラッキーで手に入れたものなので、なんの憂いもない。幸せでした。

山陽福山

 ようやく台風が来なかった3連休、しかし後半は天気がぐずつくとのことなので、初日の土曜日に、かねてより行こうと思っていた福山市立動物園へと繰り出した。これまでに、2014年9月と、2019年2月の2回行ったことがある。しかしその2回は、どちらも倉敷からだった。倉敷から福山は、1時間かからない。そして倉敷と島根がだいたい3時間なので、つまり今の住まいから福山市立動物園に行こうとすると、2時間ちょいかかる。2時間ちょいと言えばずいぶんなお出掛けだが、3連休だし、なにより遠出したい欲があった。実は山陽に移動することそのものが目的だったのかもしれない。実際、道が懐かしかった。広島市に行った際、三次までは同じ道を使ったが、そこから先は本当に久しぶりに走った。島根に再移住をしてぼちぼち2年になろうとするが、ここまで岡山にまるで行かないようになるとは思っていなかった。
 尾道北のインターで降りて、あとは地道。動物園は山の中にあり、倉敷から来たときとは、なるほど反対の道(以前までは東から西の道、今は西から東の道)から自分たちがたどり着いたので、なんとなくおもしろいものだと思った。
 福山市立動物園には大型遊具のある公園が併設されていて、子連れにとってこの公園をどう扱うか、動物園の前に遊ばせるか、あとに遊ばせるか、毎回わりと悩ましいところで、わが家は1回目は先に遊ばせ、しかしその結果、公園でお腹がいっぱいになってしまった反省を生かし、2回目はあとということにしたが、動物を観ながらも公園のことばかり気にするのでこれも失敗で、結局のところ正解はない(動物園の横に公園なんてないのが正解)ようなので、今回は子どもの希望に合わせ、先に遊びたいと言うので遊ばせることにした。それはいいのだが、この公園に関して今回、この公園ってこんなに小さかったっけ、ということを強く感じた。こじんまり、というほどではないにせよ、そこまで大規模な公園でもない。なんだか意外だった。もっと大きいような気がしていた。ポルガもそう感じたようで、子どもならば、それだけ自分たちが小さかったってことだよ、となるのだが、僕は2014年の初来訪の頃から大人だったではないか。強いて言うなら、当時よりちょっとだけ筋肉がついた。そのせいだろうか。筋肉がついたことによって、僕は世界のすべてが以前よりも些細なものに見えるようになったのだろうか。
 公園でひとしきり遊んだあと、動物園に入る。3度目なので、配置はだいたい記憶している。相変わらず、必要最低限の要素がぎゅっと凝縮された動物園だ。ものすごく見応えがあるわけではないが、ズーラシアのことなどを思えば、これでいいんだよな、という気もするのだった。
 動物園を出たあとは、福山市街へと向かう。今回は動物園に加え、福山城もコースに組み込んでいた。組み込んでいたのだが、天候のことなどもあって、前日の夜に行くことを最終決定し、福山城のホームページを見たら、城内の見学はコロナ対策として予約制で、前日の午後3時までに申し込まなければいけないとのことで、時間切れだった。それでも当日枠もあるということなので行ってみたのだが、一切の慈悲もなく「本日の受け付けは終了しました」というお知らせが掲示されており、城の外観を眺めながら恨めしい気持ちになった。広島城がぜんぜんそんなことしてないのに福山城がこんな制限をするのかよ、と若干の憎々しい気持ちが禁じ得なかった。下の広場には、「中入れないんだって」「ダメなんだって」などと語り合う人々が多くいて、こんなに無碍に客を拒むだなんて、殿様商売だなー、などとうまいことを思ったりした。
 これで帰宅ではまだない。最後にサファ福山というショッピングセンターへと立ち寄る。前日の検索によって、ここにはファルマンが倉敷時代にこよなく愛していた(家のものすごく近所にあった)セイムスというドラッグストアがあり、さらには僕が倉敷時代にわりと愛していたエブリイというスーパーがあることを知り、どちらも山陰にはないので、せっかく山陽に出てきたのだから行くしかないとなったのだった。それぞれで微妙にテンションを上げながら買い物をし、さらには同じ敷地内にあった西海岸という古着屋(これは倉敷時代にも馴染みがなかった)にも行ってみて、先日ユニクロで買えなかった子どもたちの服を何枚か買った。わりとよさそうなものが手に入り、行ってよかったと思った。
 そんな福山行きだった。城はまったく残念で、なんかもう今後またわざわざ福山という街に赴く機会はあまりないんじゃないかという気もするので、縁がなかったのだな、と思う。次の山陽行きは、いよいよ倉敷だろう。ポルガと未だに手紙などでのやりとりを続けてくれているダイアナと、久々の再会をさせてやりたい。僕も当時の近所のスーパーなどを巡ったりしたい。そのうちできればなあ。

終盤に入りました

 10月に入る。9月は早かった。8月が終わり、前のめりで区切ろうとした夏が、しかし日中を中心に意外と何度も顔を出し、二度の3連休と台風が訪れ、そして誕生日を迎え、夏と秋、平日と休日、平穏と怒涛、38歳と39歳が、入り交じり、なにも確定しないあわいの中を、漂うように、過すともなく過していた。なんだかそんな9月だった。プールは7回。射精は非公開。
 衣替えはまだなのだが、しかし子どもの秋冬服を調達しようじゃないかと、日曜日はユニクロに赴いた。ポルガはなんならもう子ども服ではなく大人用のSサイズでも十分いけるね、なんて話しながら、ユニクロに行けば服はなんとかなるだろうという期待を持って行ったのだが、店に並んでいるもののあまりのつまらなさに衝撃を受けた。ユニクロって、前からあんなにも、機能性だけの、ほとんど人民服のような、つまらない衣類ばっかりだったっけ。それでいて値段もそう安くないし、なんで当世これほどの存在になっているのか、今の姿からは説明がつかないと思った。
 帰宅後、午後はハンドメイド。9月さんざん作ったショーツではさすがにない。ピイガに頼まれたペンケースの、試作をした。この夏、みどごTシャツをさんざん着倒したピイガは、生来の性格と、加えて時期的なものもあるのか、他人と被らないものに重きを置いているようで、そこへちょうど、ハンドメイドが趣味の、工業用ミシンを保持している父親がいるため(いるからこそかもしれない)、新しいペンケースも当然の帰結として、手作りを所望するのだった。というか、そもそもこれまでも、minneに出品したボックスポーチを使っていた。ちなみに試作と言ったのは、ボックスポーチのような、簡単なものではなく、ちょっとややこしい機構のものだからで、首尾はどうだったかと言えば、まあまあうまくできた。なので次は本番用の生地で作る。作ったら「nw」で紹介しようと思う。「試作はうまくできたから、まあ年内には完成させるよ」と言ったらキーキー怒っていた。
 10月に入ったら始めると宣言していたインスタグラムを、約束通りとうとう始めた。ブログとは勝手が大きく違い、戸惑うことばかりである。今日まで3日、連続投稿している。年内は連続を継続させたいと思っている。
 今年が残り3ヶ月になったのだな。

後半3連休

 変な3連休だった。
 まずネットが使えなかった。住んでいる集合住宅のネット回線が、連休前から突然ダウンし、想像していたよりもだいぶ長い期間に渡り、復旧しなかった。これは全国規模で展開する管理会社全体の話だったようで、ネット依存症のファルマンが、禁断症状を発症させながら、スマホのモバイルデータ通信で必死に情報を収集したところによると、界隈ではかなりてんやわんやだったらしい。わが家もファルマンを中心に、もといファルマンばかりがブラックホール並みの比重となり時空が歪みそうなほどに、てんやわんやだった。僕はそこまででもなかったが、今回のダウンの原因がスプラトゥーンのフェスのせいらしい(真実かどうかは定かではない)という話を耳にしたときは、はらわたが煮えくり返った。結局通信は3連休最終日、日曜日の午後に復旧した。もう少しでファルマンは、家賃に含まれているそれではなく、個別の回線を契約するところだった。実際その午前中、店まで行ったのだ。行って、「ネットで手続きしてください」と断られ、すごすごと退散していた。危ないところだった。
 ネットが使えないという状況は、とてつもなく不便というわけではないが(本当にやりたいならスマホである程度はできる)、なんとなく落ち着かないというか、居心地の悪い感じがあった。キャンプの何が嫌って冷蔵庫がないのが僕は嫌なのだ、ということを前に言ったが、電気ガス水道ほどではないけれど、ネットが使えないという状況は、そのくらいの、ちょっと積極的に拒みたい感じの嫌さがあった。
 ネットが十分に使えない状況で、台風が来ていた。これについてはテレビでも情報を収集することはできたわけだが、しかしそれもまた、ネットほど手に取るようには把握できない感じがあり、そうかネットというのは本当に情報を得やすい、万能感を得やすいツールなのだな、と思った。日本列島を、どのくらいの雲を伴った台風が、どのようなスピードで、どのようなコースで進むのか、いつでも知れるって、すごいことだな。今回はそれがなかったため、なんとなく台風との関係が他人行儀だった。コースもまた、先週のそれに較べだいぶ東寄りで、実際ほとんど影響はなかった。
 結果的に影響はなかったのだが、それにしたってFNS歌謡祭のように、2週連続で展開された3連休に、やはり2週連続で律儀に台風をけしかけることはないだろう。ご多分に漏れずわが家も、夏場を越え、ぼちぼちレジャーでも、という気概になっていたというのに、結局どちらの連休においてもままならなかった。まさかこんなことになるとは思っていなかった。目論んでいたレジャーというのが、山陽方面に出るものだったので、大気が不安定な状況で中国山地を越える気にはならなかった。
 そのため連休は、ほぼいつもの週末のように、近場で過した。唯一土曜日に、出雲大社周辺でイベントが開催されていたので、そこには少し顔を出した。13年前に結婚式のあとの披露宴というかそれぞれの親戚を集めての食事会みたいなものを開催した旅館が、イベントに合わせて一般公開、とチラシに書いてあったため、主にそれを目的として赴いたのだが、いざ旅館に行ってみたら、ほとんどの範囲は公開されておらず、そしてあまり歓迎されている感じもなく、わりと来てもしょうがなかったなあと思った。自分たちはかつでここで結婚披露宴をしたのだということを打ち明けたら少しは扱いが変わるだろうかとも思ったが、夫婦ともどもそういうキャラではない。早々に外に出た。
 というわけで連休のうち大体は家にいた。家でなにをしていたかと言えば、やはりショーツを作っていた。ちょっと自分でもびっくりするのだが、先週の3連休と併せて、今回のシルバーウィークにおいて、最終的に数えたら、35枚作っていた。裁断していた35枚を無事に作り終えたところで、さすがに今は少し冷静になっている。そろそろショーツ以外のものを作ってもいい頃合いだと思う。
 そんな感じの3連休だった。どんな感じだ、と思う。連休中、ネットが繋がっていれば、たぶん途中でいちどくらいはブログを書いたろう。そうすればこれほど散漫なふわっとした日記にならなかったかもしれない。しかしそれがなかったから、ショーツが35枚できたのだ、とも思う。禍福は糾える縄の如し、人間万事塞翁が馬。シルバーウィークが終わってしまい、平日が始まった。9月下旬というのは、なにぶんpurope★papiroの誕生日があるものだから、連休が多く、世間的にも浮ついた感じがあるが、今はそれが過ぎ去って、寂寥感が胸いっぱいに溢れている。秋ですね。

39歳

 誕生日を迎える。39歳になった。サンキュー!
 本日は平日なので、昨日、敬老の日の19日にお祝いをしてもらった。毎年のように書いているが、誕生日が敬老の日と極めて近いというのは、生涯をかけて仕掛けるギャグのようだな、と思う。クリスマスと誕生日が近い子どものように、長生きできた場合の将来は、お祝いがひとまとめにされるに違いない。などと思いきや、われわれが年寄りになる頃には、年寄りを敬う習慣は完全に駆逐されていて、敬老の日なんてなくなっているかもしれない。なにぶんMD世代なので、そんな可能性もある。
 敬老の日なので、この日に届くように注文した品物が、横浜の祖母のもとに無事に届いたようで、日中にお礼の電話があった。贈ったのは入浴剤。毎年あげるものが浮かばず、困った末に敬老の日ギフトの特設ページから佃煮のセットや和菓子のセットみたいなものを、仕方なく選んだりしていたが、今年は頭にパッと入浴剤のことが浮かんだので楽だった。これはすごくいい閃きだったな、と我ながら思っていたが、電話口の祖母の口ぶりも本当に喜んでくれている様子だったので安堵した。ただし「下手な食べ物なんかよりすごくいい!」という一言は余計だった。どうした、ここ数年、下手な食べ物を贈ってこられでもしたのかよ。
 誕生日のお祝いだが、折しも猛烈な台風が九州から中国地方に直撃というタイミングで、気候も気圧も優れず、「世界も祝福してくれてる!」みたいな感動は一切ない日だった。出掛けることさえままならず、午前中に僕だけササっと買い出しに行った以外は、ずっと家で過した。家でなにをしていたかと言えば、ひたすらにショーツ作りに勤しんでいた。ショーツ作りって、今年に入ってから始めた趣味なのに、ショーツ作りをしていなかった時代の自分が休日をどう過していたのか、もう思い出せなくなりつつある。それくらい、この日に限らず、3連休を通して暇さえあればやっていた。hophophopに書いたが、初日にはピザを焼くということをしてみたのだけど、材料を機械に入れて作動スタートし、機械が生地をこねてくれている間も、ショーツ作りの作業をしていた。ああ俺は今、パンを作りながら、同時にパンツも作るという、稀有なことをしているな、と思った。「パン作ってる」と「パンツ喰ってる」のジョークがあるけれど、その世界観にだいぶ肉薄したのだった。
 晩ごはんのメニューは手巻きずし。これまでいちおう盛り合わせみたいなものを買っていたのだが、今回からネギトロとサーモンのそれぞれパックだけを買うことにした。それでなんの問題もなかった。ハマチとか貝とか、結局みんなあんまり食べないんだよな。

 
 子どもが恒例の誕生日ポスターを描いてくれた。こちらがピイガ。かわいい。左上から時計回りに、ファルマン・僕・ピイガ・ポルガ・ヒット君・ヒット君・ヒット君・クチバシ・モジャジャ・オオクチアホキリン・ひっとこちゃん・メロヘロ・バネリン・カンガルー(夏休みにピイガが僕に世話をされながらフェルトで作った)・みどご(ピイガの大好きな緑色のゴリラ)である。盛りだくさんで素晴らしい。
 
 
 こちらはポルガ。「これ……なに? 誰たち?」と訊ねたら、「ポルガがいま書いているお話の登場人物だよ」という答えが返ってきて、え、あ、そうなんだ、と思った。「うまいでしょ」と賞賛の言葉を乞うてきたので、「え、その、誕生日おめでとう的なメッセージは?」と思わず問いかけてしまった。すると「ないよ」と平然と答える。相変わらずすごいな。思春期で素直に父親におめでとうって言えない、とかじゃない。本当にただ自分が描きたいものを描いたのだ。やー、さすがだ。
 ごはんのあとはデザート。イチゴがまるでない時期につき、毎年微妙に困る僕の誕生日ケーキ。冷蔵庫にぶどう(シャインマスカット)はお裾分けされたものがけっこうあるのだが、ぶどうのケーキは素人には難しいだろう。かと言って今年はチョコレートケーキも気が乗らなかった。それでどうしたかと言えば、だいぶ思い切った。白玉クリームぜんざいにした。斬新な切り口だろう。誕生日ケーキって、甘いものであれば代替できるのかと言えば、そういうことでもない気もするのだが、でも今年はそうした。しかし悪くなかった。生まれて初めて白玉を作ったファルマンが、茹で上がった白玉を湯から取り上げて直接皿に盛ろうとしていたので衝撃を受けたが、ちゃんと冷やさせ、あんことアイスクリームをたっぷり添えて、食べた。おいしかった。
 誕生日プレゼントは、いろいろ考えた末に、今後必要になる予定の棚をもらおうと思ったのだが、少々お値段が張るのと、現状はまだ必要ないのとで、年末あたりに、去年トレーニングベンチを買った、「今年一年がんばった自分へのご褒美」と合算して手に入れられればいいかな、ということで保留とした。虎視眈々としていることだな。
 そんな39歳の誕生日の祝いだった。当日の今日は台風一過で、今日こそ世界は祝福してくれるかと思ったが、朝から風雨を浴びた車は汚く、下手に気温が下がったせいか職場の空調はうまく回らず空気は淀んでいて、さらには3連休で生活のリズムを崩した体は重く、なんだかあまり具合の良くない日だった。でもたぶん今日が底で、これから364日、調子は上がっていく一方だと思う。母から「三十代最後の一年を愉しんで」とメッセージが届いたが、三十代を惜しむもなにも、自分の中でまだ自分が三十代であることを処理できていないと言うか、受け入れられていない。なので今年は、自分が三十代であるという事実を受け入れるための1年間としよう。1年かけて、とろ火でじっくりと、自分にそのことを理解させられたらいいと思う。無理に決まってっけどな! へへん!

秋が来る

 8月が終わった。夏が過ぎ去ったのだった。7月と8月って、やっぱり大野と杉山みたいな感じがあり、あちらの気が向いて、にわかに仲間に入れられたりすると、そこから見える風景は華やかで、気持ちが昂揚したりもするのだけど、それでも結局は柄じゃないので、またあちらの気が向いて見放されると、なんともいえない寂しさと同時に、一方で結構ほっとしたりもする。7月と8月っていつもそんな感じだ。
 7月、夏本番なのに体力的な問題から意外とプールに行けない、という悩みがあったが(能天気な悩みだ)、7月末あたりに、行ったときに800メートルとか1000メートルとか泳ごうとするからいけないんだと喝破して、300メートルから400メートルくらい泳いで終わりにするスタイルにしたら、途端に行きやすく、そして生きやすくなった。やっぱり泳ぐと精神的に救われる部分があるので、こまめに行ったほうが心が健康なのだ。
 年間会員になったことで、元が取れるかどうかを意識するようになり、その検証のために、実はプールに行った日は記録を取るようにしている。5月からやっている。それによると7月は7回にとどまったが、8月は12回も行った。今後もこの調子を継続したい。
 記録はカレンダー書式のノートに書き込んでいるのだが、プールに行った日に印をするだけでは何だなと思い、長く記録を継続したら価値が出てきそうな事柄として、射精した日にもその符号を記入している。それによると、と7月と8月のそれぞれの射精回数を発表しそうになったが、これは秘匿しておく。
 しかしこれを付け始めて思うのは、14歳の頃からやっておけばよかった、ということだ。初めては14歳だった。そこから今までの射精が全て記録として残っていたら、とても愉しかったろうと思う。なにぶん約四半世紀ともなれば立派なデータである。例えば9月20日から翌年9月19日まで、すなわち年齢ごとの射精回数が最も多かったのは何歳なのか(意外と30代ではないか)。あるいは四半世紀で最も平均射精回数が多いのは何月なのか(5月ではないか、という気がする)。そしてなにより総数を算出し、感慨深くなりたい。さらにはその総数に、一度に放出される精子が2億個だとして、それを掛け算して、その天文学的な数字にくらくらしたい。したかった。後悔だ。もしもタイムマシンがあれば、14歳の、のび太の射精前夜に行って、射精の記録を取ることと、それとついでに、女の子も実はエッチなんだよ、ということを伝えてやりたい。ただしそれを伝えた場合、射精の回数は大きく変動することとなり、歴史は大きく変わって、家族写真から兄さんの足が消えてしまうことになるだろう。
 話が横道に逸れた。夏が終わった話をしている。9月はなんてったって誕生月である。我ながらいい季節に生まれたものだと思う。品がある。ちょうどいいポジションにいる月だ。東京にいた頃は、9月19日までが夏で、俺の誕生日からが秋だな、ということを体感から思っていたが、島根はやっぱりそれより夏は短く、8月限りできっぱり終わったというか、実は8月の終わり頃は既にちょっと怪しかったように思う。じきに普通に肌寒くなる。肌寒くなってきたら、冬用タイヤみたいな話になって、そして気付けば年末年始になるような気がする。しかし年末年始は、わりと最近のことではなかったか。
 話に取り留めがなくなってしまった。1週間もブログを書かないでいると、なんとなく地に足がつかない文章になる。身体が鈍るとか、筋肉が衰えるとか、大げさに言うと、そういうことだ。年齢によるものか、そういうことをしみじみと思う。昨日、自分はあまりにも表情筋を動かしていないのではないかという思いに囚われ、顔の筋肉が弱って、肉が支えられなくって老けるという仕組みの哀しさに打ちひしがれ、なんとかそれから長く逃げ回りたいものだと思い、頬を思いきり持ち上げてみたりした。そういうことを、心がけてやることに、39歳になる秋の哀愁がある。14歳から、四半世紀になるのか。

家族松江

 土曜日、松江に行った。なんだかんだで松江には行くものだな。
 今回の目的は、レジャーと言えばレジャーで、この夏、県立美術館ではチームラボによる体験展示みたいなことをやっていて、普通なら松江ということもあってわざわざ行こうとはしなかっただろうが、ポルガが地元新聞の懸賞に応募して入場券を当てたことにより、じゃあせっかくだから行くかということになった。入場券が当たったと言っても小学生1枚分のことであり、小学生がひとりで行くはずもないので、小学生に1枚タダでくれてやったら、もれなく付き添いの大人が自腹で入場券を購入してついてくるわけで、この当選は幸運でもなんでもなく、ただの商法なのではないか、という気も大いにするのだった。
 コロナ対策なのか、もともとそういう方式なのかは知らないが、時間指定の予約制で、われわれはこの日の午前にその申し込みをした。お盆はわが家的にも松江的にもバタバタしそうだと判断し、避けた次第である。
 出発時の天候は曇りで、今にも雨が降り出しそうだった。それくらいでちょうどよかった。それが夏におけるお出掛け日和の天気だ。南側を走った宍道湖は、曇天の下くすんでいた。それが山陰の湖のあるべき姿だろうと思った。
 美術館には、予約の時間の30分前くらいに到着した。チームラボの企画展以外にも、常設の部分も鑑賞すればいいわけで、このくらいの時間でちょうどいいのだろうと思った。そうしてファルマンと子どもたちをエントランスで降ろした。
 そうなのだ。僕は行かなかったのだ。僕が行ってもしょうがないだろうことは明らかで、付き添いの大人はファルマンがいればそれでいいだろうと思った。それよりも僕はイオン松江に行って生地を見たりしてるほうがよほどよかった。というわけでひとりイオン松江へと向かった。前回の松江行きの際にも来て、少し買って帰ったが、パンドラハウスのはぎれのワゴン販売は、けっこう侮れないのだ。ネットでは見かけないようなニット生地が多々あり、ホクホクした気持ちで購入した。僕の今の、ニット生地を買い集めるこの感じって、ブックオフ巡りが本当に愉しかった時期のそれと、だいぶ似ているような気がする。今回の夏休みのセールも、ブックオフにはいちども足を運ばなかった。どうやら趣味が完全に移行したらしい。目的の買い物を終えたあとはフードコートで過した。そこでは新語・流行語大賞のために自分の日記を読み返していた。ちょうど1年前くらいの日記で、ファルマンの免許試験のために僕は松江に来ていて、「ゆーゆ」に行ったりしていた。
 昼時になったあたりでうどんを注文して食べ、やがてファルマンからそろそろ退館するという連絡が来たので、計画していた通り、家族のためのマクドナルドを注文して受け取り、ふたたび美術館へと向かった。我ながら実にいい段取りなのだった。
 無事に回収したファルマンと子どもたちによると、チームラボの展示はなかなか愉しめたらしい。それならよかった。岡山で味わった、体の不思議展のときのような哀しい思いをせずに済んだのだな。あれは本当にひどかった。
 家族とマクドナルドを乗せた車は、そのまま次の目的地へと向かう。松江城である。せっかくの家族での松江なので、こちらにも立ち寄ることにしたのだった。マクドナルドはその足元の広場のような所で食べることにした。しかしちょうどいいベンチがあって、いざ食べ始めたところで、これまでぎりぎりのところで耐えていた雨が、いよいよ降り始める。仕方がなかった。今にも雨が降るような厚い雲がかかっていなければ、そもそも外でごはんを食べることなど叶わない時節である。それでも小雨だったのでなんとか食べ切ることができたのだから、運がよかったと言うべきだろう。
 そうして腹ごしらえを済ませ、松江城に登る。ポルガが赤ん坊の頃にいちどだけ来て、しかしベビーカーを携えながら登ることはとてもできず、広場を少し歩いただけで帰って以来なので、実質初めてである。子どもが御朱印・御城印を集め始めたことで、にわかに城や神社に行くようになったことだ。にわかに行くようになったが、知識も興味もわりと乏しいため、感想を訊ねられても困る。「階段が急だった」「雨混じりの曇天の日であんなに暑かったのだから、晴れた日だったら死んでたんじゃないかと思う」くらいしかない。御城印を無事に購入し、記念撮影をして、城を後にした。
 そのあとは松江行きのいつもの立ち寄りポイントとして、スーパーのディオに行き、買い物をして帰った。結局のところ、美術館と城に目的があった家族と、生地とスーパーに目的があった僕の、双方の欲求が合致しての松江行きだったと言える。しかし1週間あった夏休みには、本当にレジャーらしいことをなにもしなかったので、少しはそれっぽいことができてよかった。この日は陽射しこそなかったが、それでも気温は高く、湿度の高さもじんわりとした疲労をもたらしたようで、帰宅後は家族全員、なかなかグロッキーだった。やはりレジャーというものは、10月あたりから始めるべきなのだなと思った。

夏休み序盤

 夏休みを過している。休みが7日間もあると、余裕をぶっこいて間延びしてしまうのが必定だが、今回は決してそんなことにならぬよう、自覚を持って、土曜日も出勤で1日しか休みがない週の日曜日みたいな気持ちで、それを7回繰り返すのだ、そういう密度の濃い1週間を過すのだ、と意気込んでいるのだが、2日目が終わろうとしている今、それがままなっているかというと、うーん、という感じだ。休みの日というのは、どうしたって間延びする。これがこの話の救いになるのかどうかは微妙だが、思えば日曜日しか休みがない週の日曜日だって、間延びしていたじゃないか。7日間あるから、というのは実は関係ない。ただ焦燥感があって、それが緊張感と誤認され、密度が濃かったような気がしていただけだ。そういう意味では、目標そのものは、達成できているといえる。達成できるもなにも、要するに休日の自然体だったのだ。平日にできないことをやらなきゃやらなきゃ、と齷齪しつつも、そう一心不乱にはできず、WEB漫画を読んだり、時間のかかる料理に手を出してしまったりする、僕の。
 前の記事でも書いたが、なにぶん熱中症警戒アラートなんかが発令されている情勢なので、外遊びは完全に選択肢から除外され、そうなってくると子連れで愉しめるスポットというのはかなり限られてくる。初日はまあ、プールだった。実際プールっきゃないのだ。子ども二人を連れ、3人で行った。2日目はどうしたかといえば、これもまたプールだった。ただしこれは僕ひとり。昨日のプールがピイガの世話で自由でなかった分、思う存分に泳いだ。つまり2日連続で、今のところパーフェクトなので、こうなったら7日間毎日行ってやろうかな、とも思うが、別にそれはやろうと思えば普通にできるし、したところでどうってことないので、目標にするほどのことではない。普段、2日おきだったり3日おきだったりで僕がプールに行くと、必ず来ている人というのはいて、たぶんあの人たちは本当に毎日泳いでいるのだと思う。
 そういえば夏休みにしたいこととして、ジョニファー・ロビン活動があった。これまで作り溜めたショーツをジョニファーに穿かせ、写真を撮って投稿するということを、1日じっくり腰を据えてやれたらいいな、と思っていて、そこに照準を合わせ、実はいろいろ仕入れていたのだ。具体的に言うと、紙粘土と、リングライト付きの三脚と、さらにはカメラ機能が優秀なスマホを買った。紙粘土を何に使ったのかは、別記事で述べることにするとして、そうなのだ、スマホを買ったのだ。大きさだけを求めた10インチ超えのタブレットは、やはりカメラをはじめとした諸々の機能の低さ、及び、なによりも「大きすぎる」という理由により、耐えられなくなってしまった。これにより環境が整ったので、明日から本格的に撮影をして、投稿していけたらいいと思っている。これができたら、分かりやすい夏休みの成果だな、と思う。

夏と家族

 8月に入ったところで、兵庫住まいのファルマンの上の妹たちが実家に帰省してきた。妹たち、というのは、妹と、その長女(7歳)と、その次女(0歳)の3人である。同じくこちらの出身である夫とともに一家でやってきて、夫はその週末だけをこちらで過し、今はまたひとり兵庫にいる。またお盆あたりに、本人の帰省と家族の回収を兼ねてやってくるという算段だ。
 実家に行けばいとこがいるということで、わが家の妻と娘たちもまた、このところは実家によく行っているようだ。なにぶん時間を持て余しがちな夏休みなので、子ども同士、いとこ同士で時間を潰してくれるのなら万々歳だろう。実際どの程度うまくいっているのかはあずかり知らないけれど。
 3年ぶりの行動制限のない夏といいつつ、スカッとした気持ちで出掛けるには、新型コロナの話題はいまだ生々しいし、なによりも暑さで十分に行動は制限されていると思う。熱中症警戒アラートなどといって、不要な外出は避けるよう呼びかけられている。我々は3年前から、なるべく出掛けないよう呼びかけられ続けている気がする。
 そもそも乳児がいては、レジャー施設になどなかなか繰り出せるものではないし、なにより乳幼児用のチャイルドシートを車から降ろし忘れるというミスをしたのだそうで、道交法的に出掛けることができないという状況らしい。ちなみに少し前まで実家の物置に投げられていた、わが家でお役御免となったチャイルドシートは、昨今たびたび発起され実行される断捨離活動によって、あえなく処分されたそうだ。そのくらい、次女のところはひとりっ子で打ち止めだと、誰もが思っていた。
 先週末、4月末に生まれたばかりのその姪に、僕も初対面を果たした。生後3ヶ月の赤ん坊は、ああこんなんだったか、ピイガなんていまだに乳幼児みたいな感覚があったけれど、やはりリアル乳児の小ささというのは半端ないな、ということを思った。まだ人見知りも出ないような月齢ではあるが、わりと愛想のいい子なんじゃないかという評があり、僕が抱っこしたときも平然としていて、あやすように揺らしてやると微笑みさえしたので、感動した。「俺の抱っこによって、生まれて初めて笑った?」と妹に訊ねたら、「ううん、そんなことない」と即答された。
 まだ分かったものではないが、人当たりがよさそうな次女に対し、長女の人見知りは相変わらずで、僕はもちろん、ファルマンも、さらには祖母である義母にさえ、7歳の長女はあまり心を開かないらしい。次女を抱っこし、用が済んだので帰ろうというとき、(赤ん坊である妹にばかりかまけて上の子を無視する形になってはいけないな)と考え、あえて「〇〇ちゃん、じゃあね、またね」と声を掛けたら、一瞬びくりと反応したあと、義理の伯父に声を掛けられたことなどなかったこととしてやり過ごそうと判断したのか、完全に無視された。こうでなければ、子どもら3人でどこかへ連れ出してやるなんて案も出てくるのだが、長女は母親と離れようとしないし、母親には乳児がいて、そしてチャイルドシートがないので、やはり外出は詰んでいる。まあ重ねて言うが、暑さ的にも詰んでいるのだけど。
 こんな暑い盛りにしたっけか、と毎年けっこう驚くのだが、8月8日は結婚記念日だった。080808の並びを意識したため、この日付になったのだ。そういう、便乗というか、そういうの、ダサいよ、などと感じていた時期もあったような気がするが、こうして年月を重ねてみると、記憶のしやすさというただ一点において、とても素晴らしい日付であるとしみじみと思う。今年で14年。ファルマンのスマホのgoogleの機能で、データ内にあるその日付の歴代の写真がアーカイブとして表示される、というのがあり、5年前だとか、2年前だとか、子どもたちが幼児だったころの写真などが出てきて、よく愉しく眺めるのだが、この日のいちばん古い画像は、14年前、2008年8月8日の、婚姻届を提出したあと練馬区役所の前で撮影したツーショット写真であった。練馬区役所前で、ポルガ前で、震災前で、ピイガ前で、新型コロナ前だ。遠い。なんという遠さだろう。クラクラする。当日はケーキを買って帰り、みんなで食べた。直接関係ない子どもたちが、切り分けたケーキの大きいカットを求めてせめぎあいする様が、愛しいと思ったので、なにはともあれいい14年だったのだろうと思った。
 明日から僕も夏休みに入る。けっこう長い。丸1週間ある。さすがにどこかへ出掛けたい、高速道路とか使うような、そういうお出掛けをしたい、と思うが、公園が選択肢に入れられないので、いまだなにも当てが見つかっていない。さてどうしよう。

フルーツさん一家

 キウイの8個パックが安かったので買った。キウイはたまに買う。家族全員、誰もそこまで好物なわけではないが、たまに気が向く。冷蔵庫にあっても、子どもたちもせがむということはないが、剥いて出してやると食べる。とは言えヨーグルトやプリンのほうが反応がいい。そんな意欲なので、8個パックを買うと、最後のほうは持て余し、ダメにしてしまうこともある。
 そんなタイミングで、実家からマンゴーがやってきた。実家というのはどちらの実家かといえば、複合的であり、僕の実家からファルマンの実家にお中元として贈られたものが、お裾分けとしてわが家にやってきたという次第である。なぜか数年前からこの物品はマンゴーで定着している。おそらく母は思考を停止させているのだろうと思う。マンゴーはキウイよりも足が早そうなので、優先して食べた。下品な味がした。本当に、マンゴーの甘さというのは、下品としか言いようのない甘さだと思う。「気持ち悪い」に片足突っ込んでる美味しさの甘さだ。ファルマンとふたり、義務のように死んだ目で食べた。子どもたちは食べない。
 マンゴーを処理してやれやれと思っていたら、今度は祖母から桃が届いた。これははじめからわが家宛てに、シーズンに毎年来るものだ。とても立派な山梨の桃である。買うとそれなりに高いだろうと思う。段ボールに12個あったか。ファルマンの実家に少し託そうと思ったが、シーズンのさがとして、向こうも桃は充実しているらしい。ならば職場の人とかにお裾分けしようか、と一瞬思うが、これは岡山時代からいつも同じ現象が起きているのだが、お裾分けをすると、向こうがお返しをしなければならなくなるということに思いを馳せるにつけ、渡せなくなるのだった。これは、気を遣わせるのが申し訳ないという気持ちと、あととても神経質っぽい発言になるのだが、自分が桃をあげようとしておきながら、身内ならばまだしも、僕は他人の家に置いてあった食べ物をもらっても食べたくないので、そういう意味でやはりこの、お裾分けをしたりお返しをしたりというのは、止そうと思うのだった。しかし、だとすれば桃の12個というのは、あまりにも多すぎる。桃は美味しいが、1年に夫婦で2個か3個くらいでいい。マンゴーのように、できれば食べずに済ませたいというほどではないが、なければないでいいし、自分から買うことは絶対にない。結局その程度の好きさしかない。夫婦で、といったのは、子どもたちは食べないからだ。なんでだよ! 食べろよ! と思う。子どもたちはやはりヨーグルトやプリンを食べるのだ。子どもたちが整然とした、工業製品のようなヨーグルトやプリンを食べる横で、両親ばかりがせっせと熟れた桃を食むはめになる。また桃というのが、色味がエグく、生々しくて、だいぶ野性味がある食べ物なので、それが子どもたちにはまだなく、われわれには溜まってしまっている、生命体としてのグジョグジョしたものの象徴のように思われ、処理のように食べながら、なんとなく気が滅入るのだった。本当に、あの大箱での地方発送という文化は、ちょっと時代遅れなんじゃないだろうか。直接そうやって送らなくても、今やスーパーで全国の旬のものが売られているではないか。少量パックで。食べたければそれを買えばいい話で、このように大ぶりの桃を12個も送られても困惑のほうが大きい。夏なので外に出してもおけず、冷蔵庫のスペースは大きく圧迫された。
 そんな折に、義父が鳥取に行ったということで、大栄スイカを買って帰り、わが家にもその一部がやってきた。直径から察するにとても巨大な玉の、4分の1。野菜室は桃で支配されていたため、スイカは冷蔵庫の1段を占領することとなった。普段ほとんどフルーツを食べないわが家だのに、軽い気持ちで買ってしまったキウイが呼び水になったのか、にわかにフルーツ王国のようになってしまった。スイカは、切って食べたら、スイカらしい甘みがあり、スイカらしい甘みだなあと思った。2センチくらいの厚みに切ったものを、夫婦で2、3切れずつ食べたか。そのくらいでよかった。1年間でそれくらいでよかった。しかしそれはもらった分の3分の1にもならない消費だった。夫婦で、といったのは、やはり子どもたちは食べないからだ。もはや憤る気持ちさえ起きない。現代の子どもはスイカを喜ばない、というのは、もう何年か前に自分でスイカを買って帰った経験から知っていた。そのため義父が買って帰った気持ちは痛いほど解る。我々には、「夏の子どもがスイカを喜ばないはずがない」という固定観念がある。夏の子どもと、スイカと、食べ終えたスイカの皮をカブトムシに与えるのは、セットだと思っているだろう。しかしそれはもう現代には通用しないのだ。現代っ子には、スイカもカブトムシもぜんぜん魅力的じゃないのだ。
 12個の桃を送ってきた祖母も、巨大な大栄スイカを買って帰った義父も、それは世代的な行動だった。そしてそれを完膚なきまでに無碍にする子どもたちも、世代的であると思った。我々はその間に挟まれ、やはりMD世代だ。MOMOとDAIEIスイカをせっせと処理しなければならない世代だ。ちょっと無理があるな。
 結局最初に買ったキウイはどうなったかといえば、実はまだ、野菜室の二階に居るのです。

大暑仕様の俺2022

 ただ暑かったり蒸し暑かったりした、過酷な1週間だった。今年もそうだったが、よく6月あたりに、やけに気温の上がる日があって、そういうとき、「いまはまだ体が暑さに慣れていないので十分にお気を付けください」などとアナウンスされるが、その理論でいうなら、今週で僕の体は夏仕様、暑さ仕様に移行したと思う。今週はそういう週だったと思う。その移行というのは、スイッチのようにパッと切り替わるのではなく、数日かけてじわじわと進むらしい。だからその間は、平穏仕様でもない、夏仕様でもない、不確定なシュレディンガー仕様の僕であり、そのため今週はなんとなくふわふわしていた。そんななので日記も書けようはずがなかった。
 先週の日曜日に行なった模様替えもまた、今週のふわふわの一因となったとも思う。引越しをしたわけではなく、寝る部屋が変わっただけとはいえ、どうしたって定着した安心感というのはなかった。あと、元々が子どもたちの部屋で、いまも日中はピイガが準自室のような感じで使っているということを思うと、どうしても夫婦で間借りしているような、そんな気持ちがどこかにあったのだと思う。5日ほどそうやって寝てみたのち、土曜日からはとうとう、僕だけ元の夫婦の部屋に布団を持ち帰り、ひとりで寝させてもらうことにした。なにぶんほら、僕は寝るとき全裸だという事情もあり、あまり子どもと同じ空間で寝るのはよくないのではないかという懸念もあったので、これで無事に解決である。ファルマンもそのうち、ピイガがひとりで寝ることさえ受容すれば、晴れてあの部屋はピイガのひとり部屋となり、今はこちらに来ているピイガの学習机が向こうに舞い戻り、そして僕とファルマンはふたたび夫婦の部屋で布団を並べて寝ることになるだろうと思う。つまりこの状態もまた、子どもの成長途上における過渡期、移行期だということだ。要するに今週は、それが重なっていた。
 日記に書きたいことはいろいろある。ジョニファー・ロビンについて、買ったということの報告のようなことだけ書き、そのあとはなんの発信もしていない。しかし買っただけで満足してぜんぜん活用できていないのかといえばそんなこともなく、いまも部屋に一角に堂々と鎮座(正確には腿の途中からの状態で立っている)するジョニファーの姿は、何度見てもほれぼれし、癒される。はじめ「気持ち悪い」といっていたファルマンも、2日ほどですっかり慣れていた。
 ジョニファーはショーツをはじめとするハンドメイド作品のモデル目的で購入し、実際に日々作っているショーツを穿かせて写真に撮ったりもしているのだが、それらもなかなか記事にするに至らない。手持ちのタブレットのカメラ機能では、いまどきネットに上げるような画質の写真は到底撮れず、一眼レフを持ち出すことになるのだが、そうなるとパソコンに取り込むのが億劫だったりして、ちょっと悩みがあまりにも時代遅れなのだが、そういう事情によりなかなかアップがままならない。
 10インチのタブレットはいよいよ無理が高まっている気もしてきていて、もう素直にスマホにしようかなという思いが頭をよぎったりもする。そこそこ高画質の写真が撮れるスマホで、ショーツを穿かせたジョニファーを気軽に撮影し、そのショーツについての寸評を添えてインスタグラムにアップしていけば、とても簡潔なんじゃないのか。みんなはとっくにそうなっているんじゃないのか。僕だけがどうしてまだここにいるんだ、と思う。その一方で、ポルガが来年中学生になったら、スマホを持つようになるのだから、そのときキャリアも含めて一新したらいいのではないかという目論見もあり、目下動けずにいる。
 ちなみにポルガは、「スマホではなくタブレットがいい」といっていて、さらには「文章がちゃんと書けるような、なんならキーボード付きのようなものがいい」とさえいう。今日も買い物に行ったダイソーで原稿用紙を500枚も買っていた。あいつは俺なのだろうか。
 そんなこんなで7月は終わる。ファルマンは日々、夏休みの子どもたちに翻弄され、大変そうだ。僕は夏の疲労でプールにしばらく行けずにいたが、今週の半ばに発起して久しぶりに行き、行ったときにがんばって1000メートルとか泳ぐんじゃなく、300メートルくらい、ほどよくリフレッシュできる程度に泳いだら素早く切り上げ、ほとんど家に帰ってお風呂に入らなくてもよくするためのシャワー目的みたいな感じで利用すればいいのだと喝破して、それからは連日のように行っている。これが非常にいい。これが会員の利用法だ、と思う。
 書きたいこと、書くべきことは他にもある。しかしいかんせん夏である。へたばらないよう、そのことだけに注意して、日々を過していこうと思う。

夏の模様替え

 子どもらの夏休みが始まって、ファルマンは大変そうだ。それはそうだと思う。週末だけでも大変なものが、毎日いるのだ。それが40日余り続くのだ。考えるとぞっとする。
 放置しようと思えばできる。もう小6と小3なのだ。ずっと構ってやる必要などない。しかし子どもというものは、放っとくと本当に時間を無為にするので(まるで時間が無限にあるかのように)、少しは律してやらねばならない。学期中よりも高めることは望まないにしても、新学期にへべれけの頭で臨むわけにはいかないので、日々、勉学の時間は取る必要がある。ところがこの勉学というものが、近ごろあまりにもスムーズにいかないのだった。ポルガは「小学校の問題なんて勉強しなくてもちょろいぜ」というスタンスで不真面目、ピイガは勉強が大嫌いなので机に向かわされている間は終始不機嫌、という次第で、そんなふたりが隣り合って勉強をするとどういうことになるかと言えば、悪い比重はだいぶピイガに偏っているのだが、ピイガは自分が勉強をしたくないがゆえに、姉にもちょっかいを出しまくり、そして神経質な姉はまんまと勉強が手につかなくなり、そんなふがいない娘たちをファルマンが怒鳴るので、子どもたちが勉強中のわが家のリビングは、阿鼻叫喚の様相を呈すのだった。
 これから40日続く夏休み、早いうちに手を打たねばならないということで、少し前からポルガにせがまれていた、子どもたちの部屋を離す、という模様替えを、実行することにした。子どもたちにはこれまでもふたつの部屋を与えていて、でもそれはふたつの学習机や学用品のある勉強部屋(といいつつ机の上はいつも散らかっているのでリビングでやる)と、ふたつのベッドが並ぶ寝室、という分け方で使っていた。それをこのたび、ポルガの部屋とピイガの部屋というふうに分けることにしたのだ。はじめはそのつもりだった。しかしながら、甘え気質のピイガは、ひとり部屋なんかいらないということになり、じゃあピイガとファルマンというふたりの部屋を作って、僕もまたひとりで独立した部屋を使うというのはどうか、という話も出たのだが、紆余曲折の話し合いの末に、ピイガの机をわれわれ夫婦の部屋に持ってくる代わりに、われわれの部屋から寝室の機能は取っ払い、3人の机(とミシンとトレーニングベンチ)部屋と、3人の寝るための部屋、という分け方をすることになった。こうして書くとなんかおかしいな。結局ポルガだけが、きちんとひとり部屋を手に入れている。まあ年頃だから仕方ないのか。僕としては、トレーニングベンチが、これまで布団の上げ下げのたびにいちいち場所を移動させねばならなかったのが、スペースができたことによって固定できるようになったので、まあ微妙によくなったかな、という感じだ。
 昼ごはんのあとの勉強時間を経て、「もう模様替えするっきゃねえな」という決意をしたのが、日曜日の午後4時になんなんとするタイミングで、取り掛かりとしてはあまりにも遅かった。しかし1週延びたら被害もさらに大きくなると考え、全員でがんばった。作業はふたつの子ども部屋の家具を入れ替えるだけでは済まず、子ども部屋にあった巨大本棚をリビングに移したり、それに付随してテレビ台を撤去したりと、かなり大がかりなものになった。子どもと一緒に暮らしていると、本当によく模様替えをすることになる。子どもというのは脈動しているのだな、としみじみと思う。
 そんなわけで日曜日の後半にヘロヘロになってしまったが、なんとか作業は完了した。ちなみに本日月曜日、それぞれの机でやらせた勉強は、とてもスムーズに行なわれたとのことだ。机の上が散らからず、いつまでもその状態が続けばいいと思う。目下の問題は、「ひとり部屋」という概念をいまいち理解しないピイガが、とても頻繁にポルガの部屋に押し入ろうとすることだ。勝手に入ってポルガに怒られるので、ノックをするのだと教えたらノックをするようになったが、その結果「いま来ないで」という返事が返ってくると、キレてやっぱり押し入るのであまり意味がない。

父とお釜の3連休

 せっかくの3連休だったが、天候不順と、島根県の異様な感染拡大によって、遠方に繰り出す気概はまるで湧かず、3日とも近場の買い物だけで、あとはひたすら家族で家で過した。そういえばプールにぐらい行けばよかった気もするが、それさえしなかった。
 休日を家族でのんべんだらりと過すのは、幸福なことに違いないのだけど、それはある程度客観的に、ものの道理として、これはなにより幸せなことだよ、いつか娘たちが巣立ったあとに思い出したら、この日々はとても輝いて見えることだろうよ、と自分に言い聞かせるように思っている感も実はあって、その日その日の刹那的な、主観的な直情としては、「ああ、子ども、朝から晩までうるさいし手が掛かる……」が、心の大半を占める。ポルガとピイガ、年齢も違えば性格も違い、片方が引く場面では必ずもう片方が我を張り、その逆も然りで、ふたりの織り成すわがまま二重奏には息継ぎのための休符がまるでない。結果として、朝から晩まで絶え間なく厄介だ。
 もちろん愛しいのだ。娘たちは愛しい。それはしみじみと思う。しかし愛しく思うことと、一緒にいて愉しいということは同義ではない。これはやはり異性というのもあるだろう。ファルマンは、「子どもたちの世話、疲れる……。夏休みが怖い……」ということを口にするが、それでも見ているとわりと一緒に話したり遊んだりして、笑っている。その輪に入れない僕は、ひとりで部屋にこもり、筋トレや裁縫に没頭することとなる。家庭内での口数は、4人の中で圧倒的に少ないと思う。これはまるで、妻や娘たちとうまく喋れず家庭内で所在なさげな父親のそれだが、いざその立場になってみたら、僕は決してそういうことではないし、これまでそういうふうに、世間も僕も捉えてきたその父親の姿というのも、実はそういうことではなかったのだと気づく。うまく喋れず所在なさげというより、父親は、家族の女たちのトークに、なんの面白味も感じないのだ。だからそこに入れなくても、なにも寂しくない。いい意味で、勝手にやっていればいいと思う。女どもで勝手にやり、愉しいのであれば、父親としてはそれで万々歳だ。重ねて言うが、愛しくはあるのだ。なるべく愉しく生きてほしいともちろん思っている。ただ自分は別にそこに参加しなくてもいい。
 3連休中は、すべての食事を担当した。冷凍庫の中が、半端なもので飽和状態になっていたので、それの消化が今回のテーマだった。その目標はまあまあ達成できたんじゃないかと思う。それと、ごはんを炊かないというのも、週末はいつもなんとなく心がけていて(特別な理念があるわけではないが)、1日や2日であれば容易いものの、3日ともなるとさすがにどうだろうと思っていたが、なんとか炊かずに完走した。もちろん外食や、テイクアウトなどもしていない。うまくやった。わが家の炊飯器も3連休であった。
 縫製は、GWに母に頼まれたシャツワンピのことをやった。本番用の生地はすでに買ってあるのだが、試作として別の布でいちど作ってみようということで、作った。そのうちnwにアップするだろうが、なかなかいい具合に出来上がった(これはファルマン用)ので、本番用のそれも今日の夕方に裁った。裁って、芯を貼って、ロックを掛けるところは掛けたので、ここから先は平日の夜にもコツコツ進めやすい。もう7割くらい終わったようなもんだ。
 とまあ、3日間にしては内容が薄いが、出歩けないのだからしょうがない。なかなか贅沢に時間を使った、なによりの3連休だった。

松江と俺

 労働の用件で松江へと繰り出した。松江行きはいつだって若干身構えるというのに、今回は平日の、普通の出勤的な時間に行かねばならなかったので、さらにハラハラした。特に県庁あたりの、車線の多い、それなのに混雑しがちなあの辺りだ。それでもなんとか目的地に着き、パーキングに車を停め、行先の建物に向かって少し歩いたところ、本当にしみじみと、俺はもうこういう、ビルとかが建ち並ぶ、飲み屋がたくさんある、活動的な街で生きるのは、すごく無理だな、ということを思った。あのお前が松江ごときでそんなことを思うのかよ、という話だが、そういう話なのだ。もう人間が変わったのだ。ああいう、情報量の多い、バリバリやっている人がたくさんいる、激しい街には、すっかり気圧されてしまう側の人間になった。普段の職場があるのは本当に田舎で、そしてそれはすごく喜ばしいことなんだな、ということを思った。用件そのものは、一日仕事ではあるものの、淡々と済まされる事務的なもので、どちらかといえば気楽なものだったが、なんとなく悔いを改められたというか、戒められたような気持ちになった。恵まれた日常を漫然と受け流すのではなく、日々きちんと感謝の思いを嚙み締めなければいけない、などと殊勝なことを思ったりした。それくらい繁華街(何度も言うが松江である)に対して拒否感があった。我ながらその感想に驚いた。
 用件は16時頃に終わり、そこでもう解放という流れだったので、滅多に来ない松江を堪能しようじゃないかと、事前にあれこれとプランを考えていた。考えていたのだが、いざ行ってみたら街に気圧されて心が弱ったため、意欲が失せていた。それでイオン松江にだけ行って、パンドラハウスでワゴンセールになっていたニット生地のはぎれを何点か買い、それでもう松江をあとにすることにした。街に怯え、はぎれを買って癒されようとするって、やっていることがもう、小鳥のようではないか。なんと僕はか弱い生き物になったのか。
 宍道湖のほとりを走り、松江から離れるにつれ、徐々に心は平穏になっていった。たぶん免許センターのあたりが境界線になっている。免許センターからあっちは、心がざわつく。広島ではこんなことにはならなかった。旅行者は気楽だ。松江は、なんなら生活圏だから、こういう思いを抱くのだろうと思う。
 帰り道の途中の平田で、久しぶりに「ゆらり」に立ち寄った。これはあらかじめ計画していた。松江で抱いた心細さから、もういっそ早く家に帰りたいという気持ちもあったが、近ごろはプールばかりでサウナにぜんぜん行っておらず、たまにはのんびりとサウナ温泉をしたいなあという思いは、日常の中にあった。それで今回の計画に入れていた。その気持ちを掻き立て、たぶん行かずに帰ったら後悔するぞと自らを叱咤し、ようやく寄ることができた。ゆらりにはスタンプカードがあり、それによると前回の来訪は去年の8月。ほぼほぼ1年も前である。結果として行ってよかったかどうかで言えば、まあよかった。入館したのは18時前で、まだかなり陽があり気温も高かったため、外気浴がままならないかなあと危ぶんだが、わりとなんとかなった。去年の6月の、これも松江に行った日の「ゆ~ゆ」の二の舞にはならずに済んだ。サウナ内のテレビでは、1回目のときだけギリギリで大相撲をやっていた。思えば夕方ってあまり来ないので、サウナで相撲を見たのは初めてかもしれない。野球もいいが、相撲も実にサウナ向きのものだなあと思った。3セットし、いい具合にすっきりし、温泉にもじっくり浸かって、堪能した。そこまで頻繁に行くものでもないと思うが、サウナもたまに行くとやっぱりいいもんだな、と思った。松江で受けたダメージが回復し、纏わりついていたものが取り払われた気がした。
 そんな今回の松江行きだった。松江に行ったときのことはきちんと書く。前から意識してそうしてきたが、松江はどうも、なにか僕の心をざわつかせるところがあるようだ。なんでだろう。倉敷市民時代、岡山に対してこんな思いはなかった。不思議。

週末

 7月に入る。夏だし、1年の後半スタートという思いもある。そうか、正月から、もう半年が過ぎたのか。正月は遠い昔のような気もするし、ついこないだのような気もする。人生はこれの百五十回くらいの積み重ねか。
 相も変わらず、ひたすら家族で週末を過す。そういう宗派のご家庭なのかしら、というくらい、家族以外の人間と交流を持たない。正解はただ友達がいないだけだ。
 土曜日の午前中は、買い物に出た。買うものリストには、洗顔せっけん、ボディーソープ、歯磨き粉、ハンドソープ、洗濯洗剤、食器洗剤とあって、ここまで家のシャボン系物品が同時に買い替えのタイミングを迎えるのって、ちょっとした奇蹟ではないかと思った。
 午後は、しばらく家の用事を済ませたあと、子どもたちを連れてプールに繰り出す。時期になったので海水浴もありなのではないかという思いが少しだけ浮かんだが、行っているプールがまあまあのレジャー要素のあるプールということもあり、果たして海ってプールよりも愉しいのか? という疑念が頭をもたげてしまい、いざとなるとなかなか足が向かない。シャワーとか、脱衣所とか、砂とか、陽射しとか、そういったいろいろな面倒ポイントのことを思うと、海水浴とはだいぶハードルの高いレジャーであると思う。せっかくだから7月中にいちどは行きたい気もするが、プールにさえ行かないファルマンが賛同するとも思えない。まあ実際、プールでいいかもしれない。この日のプールも愉しんだ。ピイガの世話があるので個人的なスイミングはできないが、年会員なので心にゆとりがある。半月ほど前の週末に来たときにも人が増えたな、と思ったが、今回はますます増えていた。男女混合のグループで来ているらしい中学生集団がいて、男子のテンションの高さが異様だった。迷惑といえば迷惑だったが、でも解るよ、と思った。テンション上がらいでか。
 帰宅して、晩ごはん。鶏肉の天ぷらを揚げて、天ざるにして食べる。おいしい。
 プールに行かなかったファルマンは、マイナポイントのことをせっせとやっていたらしかった。手続きをすると、ひとりあたり15000ポイントゲットらしい。なんだそれ、と思う。とりあえず嬉しい。僕はポイントの振込先をペイペイにしてもらった。そして次の日の朝、起きたらペイペイの残高が15000増えていた。速い。こういう機敏さはペイペイのいいところだな。ちょうど欲しいと思っていたものがあったので、買わせてもらうことにした。
 昨日が買い物やプールでバタバタしたので、日曜日は外出せずに家でしたいことをして過ごそうと考えていた。考えていたのだが、10時あたりになんの前触れもなく停電が起ったため、出掛けざるを得なくなる。停電なんていつぶりだろう。原因は今もってよく分からない。スマホで電力会社のページを確認すると、なるほど居住地のエリアが停電情報の欄に載っていた。なにぶんエアコンがなければ熱中症になってしまうような気候である。たまらず車に乗り込んだ。冷蔵庫のことは心配だったが、そこまで長引かない限り大丈夫だろう、とにかくドアを開けて今ある冷気を逃さないことだ、と思った。
 イオンに行った。停電による暑さを逃れてイオン。実に一般庶民的な行動パターンだな。それでしばらく書店やおもちゃ売り場を冷やかしていたら、やがて停電情報の範囲はどんどん狭まっていき、最終的にはすっかり消失した。すなわち復旧したらしかった。なのでついでに食料品の買い物を済ませ、帰宅した。電気は無事に正常になっていた。
 昼ごはんを済ませ、午後は縫い物と筋トレをして過した。最近またバトン熱が高まっているのだけど、バトンを回すのにふさわしくない季節だ。うまくいかない。
 晩ごはんはアクアパッツァ。イオンで「アクアパッツァ用」として魚介類の盛り合わせが売っていたので、いいなあと思って購ったのだった。作ってみたら、実によかった。サーモン、いか、えび、ムール貝に、ブロッコリー、ナス、プチトマト、しめじを加え、仕立てる。そんなんおいしいに決まってるじゃん。これも停電のおかげだね、なんて言いながら喜んで食べた。この最中、ファルマンがアクアパッツァのことをどうしても覚えられない、ということが判明し、僕とポルガでいじりまくった。ファルマンのこういうところが大好物なところを、ポルガはしっかり受け継いだ。どうもファルマンは、今日初めて知ったこの料理を、前半部と後半部に分かれた言葉で、水産物っぽいニュアンスが含まれていた、とぼんやり認識したようで、「おいしいねえ、マリントッツォ」と言ったのだった。食卓に衝撃が走った。これもまたしっかり記憶できていない横文字としての「マリトッツォ」(わが家は結局いちども食べなかった)の影響を色濃く受け、そこに無理やり海の要素を入れてきたらしく、間違え方に技巧が光る。意図的にこんなボケはできない。さすがだ。そのあと「アクアパッツァだよ!」とみんなから突っ込まれ、「ああ、ああ。アクアパッツァね。もう分かった」と言うので、3分くらいした後に「この料理ってなんて名前だっけ?」と訊ねたら、「マリン……トッツォ?」という答えだったので、これはちょっと引いた。だいぶ笑えるレベルを超えてきた。
 まあそんな、家族でのんびりと過した週末だった。夜はいつものように鎌倉殿をファルマンと晩酌しながら眺めた。その際に「晩ごはんおいしかったね。なんだっけ?」と訊ねたところ、「……アクアテッシュ?」という答えだった。どうやらファルマンの言語中枢に「パッツァ」は存在し得ないようだ。不憫。

蛍見

 こんど蛍を見に行こうと義父母から誘いを受けており、それが先週の土曜日の晩に実行されたのだった。俺を抜いた5人で、義父の車で行けばいいんじゃないかとも思ったが、フリードで6人で行くというのが既定路線となっていて、抗いようがなかった。もっともフリードで6人乗車でどこかへ行くというのが、購入して1年になるが、初めてのことで(納車されてすぐに義父母を乗せて実家の周りを1周したことはある)、そういう意味ではいい機会だった。いざというときは3列目のシートが現れるフリードの、わが家の「いざ」のなさたるや。
 それにしても蛍なんてこの大都会島根に存在するのか、いったいどれほど車を走らせなければならないのか、と危ぶんだが、助手席の義父に案内された道は、僕が日々通勤に使っている道で、そのだいぶ序盤、自宅から10分くらいのあたり(山の中)に、それまでまるで認識していなかった脇道があり、そこを1分ほど、あまりの暗さ、道の狭さ、静けさにおののきながら登ると、「ここだ」と、なんとなく駐車スペースっぽくなっている場所があり、そこに車を停めて、外に出た。山なので、海抜としては上がっているはずなのだが、(深い……)と思った。真っ暗闇、鬱蒼とした木々、そして謎の祠。あまりにも深い、ディープスポットであった。
 実を言うと、僕は以前にも蛍を見たことがある。子どもの頃だ。自然の中で蛍を見た、見に行った、という思い出だけはあるが、それが家からどのくらい離れたどういう場所だったのかはまるで分からない。でもきっと、横浜市内か、せいぜい川崎市くらいだろうと思う。さすがに自宅から10分ということはないだろうが、横浜や川崎にだって山はあり、清流もある。意外と田舎だから、というわけではない。自然というのは強くしぶといので、山も清流もない、完全なコンクリートジャングルなどという世界は、作ろうと思ったって作れないのだ。最近しみじみそんなふうに思う。とは言えやっぱり横浜界隈のことなので、その蛍が見られるスポットには、人がたくさんいた。自分もその一員となり、大勢の人々とともに、蛍が明滅するのを眺めた。もうそれはだいたい30年前の出来事だ。
 それに対して、30年後の島根の蛍スポットには、われわれ6人以外、誰もいなかった。山の中を走る車の音も聞こえない。あるのはせせらぎの音だけである。蛍という虫は、飛ぶとき、羽ばたく音がまるでしないものらしい。漆黒の中を、ふわ、ふわ、と熱を持たない光が幻想的に浮かんでは消えた。数はそれほど多くなかった。その頼りない少なさが、ますます闇を濃くしているような気がした。
 そんな30年ぶりの蛍との邂逅だった。蛍はきれいな水のある所にしか棲息しない、などと言われるが、逆に言えばきれいな水のある場所にはわりと全国的に棲息するわけで、そんなに儚い昆虫ではないのだろうな、と思った。

疲れるスイミング指導と稲佐の浜で壊れたスマホといい刺身の手巻きずし

 ポルガが市でやっている工作教室のようなものに参加していて、それが開催される土曜日で、かつ僕の労働が休みのときは、僕がピイガを連れてプールに行く、というのが、今回から施行されることとなったわが家の恒例のパターンで、今週はそれの初回であった。というわけでピイガとふたり、プールに行く。もちろん会員になっているいつものプールである。実は昨晩、金曜日の退勤後にも僕は行っていたので、15時間くらいしか間が空いていない。大みそかから5月まで泳がずにいたことを思えば、とんでもない間の詰まり方である。ピイガは、去年の10月24日に家族でおろち湯ったり館に行った記録があるので、泳ぐのはこれ以来だろう。果たして今年の夏は、学校でプール授業はあるのだろうか。だいぶ怪しい。せいぜいこうして、ポルガも含め、練習のために連れてきてやろうと思う。半年以上ぶりのプールで、ピイガは初めのうちは戸惑い、体の動きが見事にバラバラだったが、ぴたりと横について矯正し、1時間半ほどやって、まあまあ整った。顔を水につけるのができないとかではないので、体の動きさえ身に付けばそのうちいい具合に泳げるようになるだろう。
 子どもとの午前中のプールは気持ちがよく、夜は夜でファルマンとHIITをして(なんだかいやらしい行為の隠語のようだが、YouTube動画に従いながらの純然たるエクササイズである)、実に健康的に過した1日だったのだけど、少しオーバーワークだったのか、次の日に疲労が残った。水の中での指導って、自分でクロールで泳ぐのとはぜんぜん別の力が入るらしい。
 残っていたのだが、好天の日曜日だったので、外出しないのももったいない気がし、子どもは公園をせがんだがそれは回避し、稲佐の浜なんかに行ってみる。地元民はあまり、「よし、稲佐の浜に行こう」と言って稲佐の浜に行ったりしないので、ずいぶん久しぶりだった。


 引き潮のタイミングだったようで、あの巨岩はすっかり陸上にあり、間近で見ることができた。季節もいいのか、岩の上の草むらに花も咲いていて、本当にとてもよかった。稲佐の浜って、前に来たときはもっと、荒々しくて素っ気なくて武骨な感じがあった気がするが、観光地化に力が注がれたようで、周囲の整備も進められていて、どうやらいい具合に仕立て上げられているらしかった。いいことだと思う。実際に人出もそれなりにあった。僕と子どもたちは、海に足を浸しもした。海の水はまだ冷たかった。日中は夏日になってそれなりに汗ばんだりもするが、まだ朝晩はだいぶ涼しいものな。
 そんな、来てよかった大満足の稲佐の浜だったのだが、ここでアクシデントが。ファルマンがスマホや一眼レフでの撮影中、スマホを地面に落下させてしまい、そこからスマホがうんともすんともいわなくなってしまったのだった。でも充電がちょうどなくなっただけかもしれないから充電しよう、とか、カードをいちど抜き差ししてみよう、とか、帰宅後にもいろいろ試すが、それでも一切の反応がない。ファルマンがスマホを落とすところを、僕は波打ち際から見ていたが、ぽとり、という感じで、そこまで強く落ちた様子はなかった。ファルマンの使っていたスマホは、僕が1年ちょっと前に、スマホをポケットに入れて持ち歩いていなければならない環境になったため、買って使っていたもののお下がりで、その当時になんども、走った際に尻ポケットからスマホが放り出される、なんてことがあったので、そんな程度で壊れるはずはないと思った。だとしたら原因は砂だろうか。稲佐の浜の砂は見るからに細かかった。さらには落としたあとに拾い上げたら、元々のものなのか、整備工事によるものなのか、その場所の砂には砂鉄がだいぶ含まれるようで、スマホにはカバー越しに砂がびっしりとくっついていた。めっちゃ細かい磁力交じりの砂。なるほどいかにもスマホによくなさそうだ。だとしてもいちど落としただけで瞬殺とは。たまたまだろうか。落としただけでスマホが壊れるのなら、稲佐の浜の観光地化に暗雲が立ち込める。ファルマンのスマホは、そもそもが安物の僕のお下がりだから諦めがついた。これが10万円くらいするような最新のものだったら目も当てられない。
 ともかく急いで新しいものを調達せねばならず、ネットも見たが、これというものは見出せず、仕方なく午後ふたたび車を出し、家電量販店へ。しかし家電量販店というのは、SIMフリーのスマホ本体だけの販売なんてことはしていないそうで、諦めかけ、ネットで注文したらあさってには届くかねえ、などと話していたが、ふと思いついて中古屋に行ったらわりと新しいものがお手頃な値段で売っていたので、ええやん、となって買って帰った。まあ本当に、そもそもがお下がりだったから、壊れても「まあしょうがないか」となったが、普通に考えればひどい話である。ともあれファルマンのスマホは、これまでよりちょっとスペックがよくなって、刷新された。
 帰宅後は、そもそも昨日からの疲労があったのに加え、浜辺で陽射しを浴びたのも効いたのか、いよいよぐったりしたので、最近にしては珍しく、昼寝をした。窓を開け、5月の16時の風を感じながらの昼寝は、こういう気持ちよさを感じるために生きているのかもしれない、と思うほどに心地よかった。
 晩ごはんは手巻きずし。GWに実家でもやったが、たらこやアボカドなど、にわかに周囲の材料がいい具合に調達できたため、外堀を埋められるようにして機運が高まった。刺身はいつもの、近所のスーパーの日曜日に出す盛り合わせだったのだが、なんか今日はこのラインナップの質がやけによくて、マグロなんか明らかに中トロで、サーモンも水っぽくなく、だいぶ祝福されていた。そうして家族で囲む手巻きずしは、やはりとてもおいしく、しあわせを感じた。手巻きずしの多幸感は、なんか突き抜けていると思う。たらこマヨや玉子焼きは途中で売り切れ、刺身は予想通り余った。日曜日の夜の晩酌の肴が豪華だと嬉しい。このあと「鎌倉殿の13人」を観ながら、いい刺身で酒を飲むのだ。

フリードの1年点検とたこ焼き

 フリードの1年点検を行なう。もう1年が経ったのだ(正確に言うとまだ11ヶ月くらいなのだが、ちょうどオイル交換のタイミングになったので早々にやってもらった)。フリードは最初こそ軽自動車からの変化で違和感があったが、今ではすっかり気に入っている。車体カラーの黒も、納期的にそれしかちょうどいいのがなかったから渋々の黒だったが、今はもう「黒のもんだな」という気持ちになっている。なにしろ滞在時間が長い(すなわち通勤時間が長い)ので、居心地はどんどんよくなるに決まっているのだった。
 フリードがやってきて1年になんなんとするということは、ファルマンが免許を取得してからも1年が経つということだ。ということは初心者マークを外してもいいということになるが、どうやらファルマンにその気はまるでないようだ。たったいま検索をしたら、初心者マークは1年以内に着けないで運転すると違反だが、1年以上経って着けていても別に違反ではないらしい。じゃあ着けていればいいと思う。客観的に、ファルマンの運転の様を見ていて、心の底からそう思う。ファルマンは子どもを病院に連れていった際、診療の前に付き添いの親も含めての体温検査を求められたが、運転の緊張によるヒートアップのためにとんでもない高温をはじき出してしまい、院内に不穏な空気を漂わせたことがあるため、次からは病院に行くときは額にひえピタを貼っていくことにしている、というエピソードがあり、それを先日の横浜で披露したらとてもウケた。まだそんな塩梅なので、初心者マークは決して外せない。
 午前中にホンダに車を持っていき、代車で帰り、夕方に作業完了の連絡を受けるまでは、家でのんびりと過した。子どもたちは昨日、2回目の新型コロナワクチンの接種を行ない、5歳から11歳までが受ける子ども用のそれなので、ポルガにとっては負担は小さいようだが、ピイガにはけっこう来るらしく(今年も学校では1年生に間違えられたようだし)、しかも昨日から微妙に風邪気味ということもあり(病院でそのことは伝えたが、医師曰く「ぜんぜん関係ないから大丈夫」とのことだった)、今日は不調そうだった。昼はうどんにした。裁縫は、母の日の宿題を終えたので、久々に自分のビキニショーツに掛かることができ、癒された。ショーツ縫ってると、やけに癒される。健全な趣味だな。
 車を回収したあとは、晩ごはん。晩ごはんは、たこ焼きの予定を前から立てていて、ピイガもそれなりに回復していたので、実行した。ただし食卓を一緒に囲むのは僕は止すことにして、しかしたこ焼きを焼く役目は僕なので、どうしたかと言えば、IHクッキングヒーターからたこ焼きの鉄板、材料一式を部屋に持ち込み、工業用ミシンの横のスペースでせっせとたこ焼きを焼いて、焼き上がったらリビングに届ける、という方式にした。なんだかおもしろかった。工業用ミシンのテーブルでパソコンを使う人間はたぶんそれなりに存在するが、たこ焼きを焼いた人類はさすがに僕が初ではなかろうかと思った。たこ焼きはおいしかった。ちなみに今回、ウインナーやうずら、もちたらこ、チーズちくわなど、いつもの具たちにがんばってもらい、とうとうタコを使わなかった。以前から、具の中でタコがいちばん、値段が高いのに人気が低いということが判明していて、それでもたこ焼きという名称を用いる義理からたこは必須としていたのだけど、今回はいよいよ、別にいらないや、となったのだった。まさかたこ社長も、自分の興した会社を追われる羽目になるとは思っていなかったろう。手巻きずしも、刺身はほんの少しでよくて、たらこマヨとか、アボカドとか、納豆とか、卵焼きとか、そんなもののほうが、むしろおいしかったりする。舌がどんどん安くなっているのだろうか。
 そんな休日だった。なんだかあっという間だった。

2年4ヶ月ぶり帰省

 帰省なり旅行なりの外泊を伴うイベントの際、事前にその日取りをウェブ上に晒さない、というライフハックがあり、自意識過剰だよなと思いつつ、今回もそれを実行した。今回は事前に、「3日間しかないので飛行機で帰省するはめになった」という日記を書いたが、4月29日~5月1日の前半3連休か、5月3日~5日の後半3連休か、どちらで帰省するのかはあえて書かなかった。そして今回の場合、実際に帰省をしたのは後半3連休のほうだったわけだが、だとすれば自宅でのんびり過した前半3連休に平常の日記を投稿してしまったら、すなわち僕が帰省するのは後半3連休だということが消去法で判明してしまうため、それを避けるためにこの期間の日記の投稿も自重したのだった。切なくて怖い。ほとんど誰にも読まれていないブログのくせに、この危機意識の高さが切なくて怖い。
 というわけで5月3日~5日、一家で横浜の実家に帰ってきた。一家での帰省は2020年の1月以来(単独帰省は2020年11月に行なっている)なので、実に2年4ヶ月ぶりである。帰省した1月の下旬あたりから新型コロナの災禍が始まっているので、この2年4ヶ月は、そのまま人類が新型コロナに翻弄されていた2年4ヶ月である。コロナ禍になって半年後くらい、最初の盆休みのあたり、「コロナが明けたらまた会おう」みたいなキャッチフレーズで帰省の自粛が呼びかけられたが、このたびこうして帰省できたということは、コロナというものは「明けた」といっていいのだろうか。どうも蓋を開けてみたら、これは明ける明けないという尺度のものではないようでもある。人によっては明けているし、地域によっては明けている。裏を返せば、いつまでも明けない人もいるのだと思う。ちなみに島根県から東京や横浜に行く今回の帰省について、僕は職場で誰にも伝えていないし、子どもたちにも「極力いわないように」と言い含めた。まだまだそういう情勢だったりもする。
 3日の朝の飛行機に乗る。事前視察を行なった出雲空港へはつつがなく到着し、飛行機へと乗り込んだ。後悔することが前もって分かっていた飛行機は、やっぱり動いた瞬間に大いに後悔した。あの勢い。そして飛び立ってすぐの、斜めになっている間がつらい。規定の高みまで上りきり、安定飛行しているときはまだいいが、あの斜めになっているとき、すなわちシートベルト着用のサインが点いているときというのは、たぶんだいぶ、こちらが思っているよりもはるかに、安全が保障されていないんだろうと思う。あのときなにもなかったらめっけもん、くらいの感じだと思う。そのくらいのスリルを感じる。実際、今回もそれの際にそこそこ揺れた。飛行機が揺れるたびに、揺れるってどういうことだよ、と思う。なにぶんこちらは、飛行機が飛べているのはタイトロープ的なバランスでぎりぎり実現しているものと捉えているので、揺らぎなく飛んでくれないと困るというか、揺らいだ状態で浮かんでいられるはずがないと固く信じているのだ。だから揺らいだ瞬間、鉄の重みで一気に地上に叩きつけられるに違いないと思ってしまう。そのため少し揺れるたびに、後ろの座席から背もたれの間を通して伸ばしてもらったファルマンの手を、ぐっと握りしめた。力が入りすぎて、ファルマンは痛がるし、僕も筋肉痛になった。それでもなんとか、飛行機は無事に羽田空港に到着した。時間にすると1時間15分ほど。速い。飛行機はやっぱりびっくりするくらい速かった。もっともこれだけ怖いのだから、そのくらいのメリットがないと困る。
 羽田空港からはたまプラーザ行きのリムジンバスに乗る。空港周辺の埋め立て地的なエリアを通り、川崎の工業地帯を通り、やがて北山田などの見覚えのあるエリアに入って、1時間ほどで着いた。たまプラーザには母が迎えに来てくれた。久々の再会である。
 家では祖母が待っていた。祖母はぼちぼち94歳になるらしいが、相変わらず元気のようだ。2年4ヶ月の間にポルガは祖母の身長を超えていた。
 しばらくしたら姉一家がやってきた。なにぶん2年4か月ぶりなので、今回は帰省の日取りを打ち合わせし、姉一家もキャンプなどの予定を立てずに待ち受けてくれたのだった。ちなみに僕ひとりの11月の帰省の際にも、姉一家とは顔を合わせなかったので、家族と同じ月日ぶりである。ただし甥(小4)はこの3日間、所属しているサッカークラブの合宿だそうで、今回は会えずじまいとなり、2年4ヶ月はさらに更新されるのだった。その代わり姪(中2)は2泊3日の間、がっつりと娘たちと絡んでくれた。中2になったというのに姪は相変わらず快活で、義兄の遺伝子を強く感じた。なんで中2なのに鬱屈としたものがまるでなさそうなんだろう。自信家とか傲岸不遜とも違う、あの正常さはなんなのだ。ファルマンは「陽キャ」といっていて、まあつまりその一言なんだろうな、としみじみと思った。ポルガは、たぶん年長者と話す機会があまりないこともあるのだろうが、2歳年上の従姉に相変わらずぞっこんで、横浜滞在中ずっと、既存の家族3人に対して冷たかった。そういうところだ。2歳年上の従姉に憧れながら、ポルガにあの快活さの片鱗も見出されないのは、そうやって相対的に家族の扱いがぞんざいになる、そのあたりの性根に原因があるのだと思う(そしてそれはこの両親の子である以上、どうしようもないことなんだよ)。
 それからは近所を少し散歩したり、姉一家が持ってきたモルックをしたり、スーパーに買い物に行ったり、のんびりと過した。今回は2泊3日で、2年4ヶ月ぶりで、コロナも完全に終焉したわけではない、などのもろもろの事情を鑑みて、どこかに行くような予定は一切立てなかったので、半日で早くも時間を持て余し始めたこんな過し方で、しかし合っているのだった。今回はこれでいいのだ。
 晩ごはんは定番の手巻き寿司。それなりに豪華で、実は準備が楽なので、こういうときは手巻き寿司一択だ。叔父もやってきて(もとい叔父は車を運転できないので姉が迎えに行くのだが)、にぎやかに食べた。甥が残念だったが、まあしょうがない。
 2日目は唯一の丸一日動ける日であり、予定は立てないといいつつ、さすがにずっと家でダラダラしているわけにもいかないので、出掛けることにした。目的地はこれも定番の、こどもの国。手巻きずしもこどもの国も、馬鹿のひとつ覚えのように繰り返すことだと思うが、毎回置かれる状況が一緒なので、結論が同じになるのは仕方がないことだ。いちおう、鎌倉はどうだろうということも検討したのだが、準備不足だったし、さすがにハードすぎる気もしたので却下された。こどもの国は大盛況だった。いつぞやテレビで観た、こどもの国はこんな人出です、の中継映像に出ていた、バラックのようにびっしり連なるテントの風景を目の当たりにした。ありとあらゆる設備が順番待ちで、島根の公園の尊さを思い知った。もちろん子どもはそれでも十分に愉しんだだろうが。しかし陽射しがなかなか強く、弁当も持ってきていなかったので、3時間ほどの滞在で、昼前に退園した。
 午後は姪のswitchで、子ども3人と僕の4人プレイで桃鉄をした。なにぶん時間がたっぷりあるので、5年設定でじっくりやる。3年くらいだと運の要素が大きいが、5年になると地力がものをいう。無事に子どもたちに大差をつけて優勝した。だてに大学生の頃、コンピュータとのふたりプレイで99年間やっていない。ゲーム自体はリニューアルされ、マス目も増えているとはいえ、経験値が違う。気分がよかった。
 晩ごはんは餃子。これもかなり定番だな。僕が作る餃子よりも野菜の比重が高く、軽やかに食べられた。ちなみにこの途中で、ホットプレートにつないでいた延長コードの線が焼き切れるという、あわや大惨事な出来事があった。延長コードの劣化が原因だったようで、昔の人間は物持ちがいいが、よすぎるのも考え物で、ちょうど機械類が老朽化したときに、持ち主も年を取っていて、その組み合わせはきわめて恐ろしいと思った。大ごとにならなくてよかった。
 最終日は、昼前くらいに家を出ればいいので、それまではのんびり。姪が朝からやってきたので、ファルマンと子どもたちを連れて散歩ついでに、柏餅を買いに行く。子どもの日なんだから子どもに柏餅を喰わさねば、という使命感に駆られたのだが、姪からは「なんで急に柏餅なの?」と不思議がられた。その家々で、親から子に与えられる情報、伝えられる常識は異なる。そういえば義兄はいつか、「となりのトトロ」を観たことがいちどもないと言っていた。どうもやっぱり人種がぜんぜん違うな、と思った。早めの昼ごはんの焼きそばを食べたあと、母と祖母とともに7人で柏餅を食べた。
 これで今回の帰省は終了である。玄関先で祖母と姪と別れの挨拶をする。祖母の「次はいつだ」という問いかけに、年末年始はやはり気候的に帰るのは難しそうで、だとしたら1年後とかになるかなあと頭の中では思いつつ、明確な返答は避けた。姪やポルガは、「夏休み!」と勝手に話を進めていたが、3ヶ月後は嫌だよ。それはよそうよ。
 おとといと同じく母にたまプラーザ駅まで送ってもらい、そこからバスで羽田空港へ。行きでは空港に着いてすぐに来たバスに飛び乗ったが、帰りは時間に余裕を持って空港にやってきたこともあり、空港の中でしばらく過す。ファルマンの実家へのおみやげを買ったり、行きの飛行機で耳に不調を来したピイガのために飛行機専用の耳栓を買ったりした。あと展望デッキにも出た。羽田空港の展望デッキは、出雲空港と違い、次から次へと飛行機が飛び立つのでおもしろかった。
 帰りの飛行機は、行きよりは揺れなかったが、それでもやっぱり飛んでいるのでどうしたって恐ろしかった。行きは隣がポルガだったので自重したが、帰りはピイガだったので、エロ小説を読んで気を紛らわそうと思った。しかし読んで、それなりに淫らな気持ちになっても、やはり飛行機に乗って高度何千メートルの位置にいるのだという事実が邪魔をするのか、勃起には至らず、もどかしい感触があった。パイプカットした状態ってこんな感じかな、などと思ったが、あれは精子が出ないだけで勃起はするってことだから違うかもしれない、とも思った。かくして飛行機は無事に出雲空港に着陸した。行きも帰りも飛行機は無事に離陸し、着陸した。それゆえにこうしていま日記を書けている。ありがたいことである。
 3日の朝に出発して、5日の夕方に帰ってきたのだから、自宅はたったの2日ぶりということになる。そう考えると非常に大したことないように思えるが、それでも十分に自宅への恋しさは募った。やっぱり自宅は愛しいな、と思った。
 そしてこの夜は、次の日がそれぞれ出勤と登校ということもあり、そしてなにより痛烈な疲労感により、家族全員、22時くらいに寝た。いくら飛行機が1時間ちょいといっても、移動による疲労感というのは、時間よりも距離による作用のほうが大きいように思う。深く寝た。実家の寝具は、畳に布団で、マットがないので固いのだ。あれでだいぶ腰がやられる。自宅の寝床は心地よいなあと思った。
 そんなわけで、無事に2年4ヶ月ぶりの帰省が成った。正月に帰る予定を連絡しておきながら中止した負い目などもあったので、実行できてよかった。心懸かりが取れた。これで当分は行かないでいいだろう。当分は遠出したくない。

出雲空港視察

 図書館に行くついでに、出雲空港まで行ってみる。直前に迫った空の旅の、シミュレーションである。飛行機に乗るにあたり、事前に空港に行って心の準備をしておくって、まるで大昔の人のようだなと我ながら思う。
 前回ここを、すなわち飛行機を利用したのは、いつのことだったか。岡山県民だった時代は、いちども飛行機の世話にならずに済んだ。そもそもピイガは生まれてからまだ飛行機に乗ったことがないと考えると、少なくとも8年以上前だ。こんなときは過去のブログを検索すればよい。その結果、2013年の4月であることが判明した。2012年の夏に第一次島根移住生活が始まり、晩秋から春まで酒蔵に勤め、その年季が明けたところで3人で横浜に帰省、というとき(ちなみにこの1ヶ月後の5月に、ピイガを妊娠していることが判明する)。この際、横浜にはなんと5日間も滞在していて、それならば陸路で移動すればよかったんじゃないかと思うが、当時ポルガは2歳3ヶ月であり、7時間あまりの移動は厳しいと判断したのだろう(7時間なんていつでも誰でも厳しいが)。
 よって飛行機は9年ぶりということになる。9年も経つと、前回の搭乗の思い出はほとんど残っておらず、ただ「飛行機=怖い」という、いたずらな恐怖心ばかりが募ってしまう。今回はそれをいくらかでも払拭するために、空港と飛行機を目の当たりにしておくことにしたのだった。今回の出発はわりと朝早くの便で、慌ただしくなりそうなので、駐車場や搭乗口を確認しておくという、実際的な目的ももちろんあった。
 9年ぶりの出雲空港は、行く前に思い出せたわけではないが、行ったら「こうだった、こうだった」の連続で、びっくりするくらいなにも変わっていなかった。商業施設でも、公共施設でも、9年も経てばなんだかんだでいろいろ変化するものだと思うが、そういうのが一切なかった。考えてみたら、牧歌的なダイヤで飛行機が発着する地方空港って、流行りも廃りもなく、ただひたすらに悠然と機能をこなすだけなので、本っ当になんっにも変わる必要がないのだ。ここまで長年なんにも変わらない場所というのも珍しいのではないかと思った。僕はこれまで10回もここを利用したことがないと思うが、それなのに郷愁に駆られた。移り変わりの激しい世の中で、ここの時は止まっているように思えた。ロビーを9年前の我々が歩いていても不思議ではなかった。
 3階の展望デッキに出ると、飛行機が停まっていた。我々が乗る羽田行きではなく、それよりもひと回り小さい機体の大阪行きだったが、20分後くらいに出発するというので、待って離陸の瞬間を見学することにした。滑走路を眺めると、出雲空港は本当に広々とした場所に、のっぺりと存在していて、周囲に高い建物など一切なく、たぶんパイロットにとってはとても操縦しやすい空港であるに違いない、と思った(冬は気候が荒れるので別だが)。それをファルマンに言ったら、「でも鳥が突っ込んでくるかもよ」などという言葉が返ってきたので、頭に来た。出雲空港は宍道湖のほとりにあり、そして宍道湖の水鳥はラムサール条約によって丁重に守られているのだ。そういうことを思い出させるんじゃないよ。
 タラップや牽引車から引き離された飛行機は、やがて自力で動き始める。飛行機の巨大な機体を支えるにしては、3つの車輪はあまりにも矮小のような気がして、特に先端のひとつには過度な力がかかってしまっているのではないか、と見ていて思った。なにしろ着陸の時、あれはまず地面に着く所だろう。そのわりに頼りなくないか、とやきもきする。動き始めた飛行機は、滑走路の端までやってくると、くるりと旋回する。羽田空港などだと、この動き始めから、「滑走路に入る順番待ち」の時間が長かったりして、ハラハラの時間が長引いて精神が削られたりするが、出雲空港ではそんなことはない。周囲からのプレッシャーもなく、パイロットも平静な気持ちで運転ができるに違いないと思う。旋回してから再び動き出すと、それはもう離陸のための走行であり、轟音とともにすぐに猛スピードとなり、機体は進む。そして右から左へ、展望デッキの我々の前を通り過ぎたと思ったら、ス、と、フワ、と飛行機は空中に持ち上がって、そのまま斜めに飛んでいった。やはり見れば見るほど、このス、フワ、の瞬間が分からない。すごい勢いなのは分かる。分かるが、なぜ上に行くのか。翼をはためかせているのならまだしも、そのままの形で上がるのだ。どういう理屈なのか。やっぱり嘘なんじゃないのか、と思う。
 実際に見たことで、心構えができたのかどうなのか、自分でもよく分からなかった。これまでの恐怖心とは少し違う心理になったような気はした。ではどんな心理かと言えば、釈然としない気持ちだ。飛行機が飛ぶのは、見れば見るほど納得がいかない。納得がいかないまま、数日後には機上の人となる。まあ、世の中は、納得のいかないことばかりだけどさ。

 ここで巻末付録として、8年前に飛行機に乗った際の記事を引用しておく。
 まずは行き(「USP」2013年4月8日)。
 搭乗口の待機場所のガラス越しに、これから乗る飛行機が見えて、操縦席のパイロットが、子どもたちが手を振るのに応えて手を振っていて、(いいパイロットさんのようだ)と感じると同時に、(しかし伏線ではないのか)とも思った。普段はパイロットの実存なんて気にするものではないのだ。それが今回に限って存在を主張してきたことに、自分たちは「あのパイロット」によってひどい目に遭わされることになるのではないか、と思った。飛行機に乗る前ってなにもかもが伏線のような気がしてくる。
 そして乗った9ヶ月ぶりの飛行機は、相変わらずおそろしかった。今回思ったのは、そのタイミングしかないのは分かるけれど、あの僕がいちばん嫌いな、離陸の時の、車輪がそろそろと動き出して、滑走路まで移動し、飛行機が本気を出し、ボバーッと前方に向けて突進を始めるあの瞬間、あの瞬間に、モニターで緊急の際の対応についてやるのはいかがなものか、ということだ。離陸してからでは遅いので、本当にあの時しかないんだろうけど、でもやっぱりちょっと悪意がある気がしてならない。さらされている状況だけで十分にエマージェンシーなのに、そこへエマージェンシーな映像が画面に展開されるのだから、心拍数は一気に上昇し、取り乱し、もうダメだ、という気分になる。
 飛び立つ瞬間、僕の体は左斜め前方の虚空に向けて引き攣りつつ伸びていたという。「なんだったの、あのポーズ?」とあとからファルマンに訊かれたが、僕がああしないと離陸がままならなかったのだ、と正直に答えたところで信じてもらえないだろうから、「ははは……」と力なく笑うにとどめた。離陸して、シートベルト着用のランプが消えてからも油断はできず、高度が増していることを思えば危険性が増していることは間違いなく、少しの揺れに、すわ「これまでの航空史上で確認されたことのないレベルの突風」か、そもそも天気予報があれほど当たらないのにどうして航路の気流が問題ないかどうか分かるというのか、と絶望的な気持ちになるが、顔を見上げるとCAさんたちが何事もなかったように飲み物を配っているし、乗客の誰もパニックを起こしていないので、仕方なくそのたびに平静を装う。飛行機は斯様に敏感な人間ばかりが損をする乗り物だ。高度何千メートルという状況にあって危機感を抱かないなんて、動物としての正常な感覚が鈍磨してしまっているんだと思う。そんな中でポルガの無邪気さが切なかった。自分はなんという不憫な状況下に大事な娘を置いてしまっているのか、と思った。親のエゴで。
 ちなみに9ヶ月前とは較べものにならない2歳児のやかましさを、飛行機に乗る前は危惧していたのだけど、乗ってみたら飛行機は割とずっとゴーッとうるさくて、2歳児が少々わめこうが周りに音が響くようなことはなかったのだった。よかった。かくして飛行機は無事に羽田空港に着陸した。着陸した瞬間、ああ、僕の人生はもうちょっと継続するのだ、と思った。帰りにも乗るので、あと5日は継続するほうのパターンだ。その5日間をせいぜい悔いの残らないように生きよう、と思った。
 続いて帰り(「USP」2013年4月12日)。
 そして飛行機に乗り込む。行きの飛行機よりも大きい機体のようで、「大きい機体は揺れが少ないよ」とファルマンが甘い囁きをする。それでもやっぱり走り出し、ディスプレイで非常時の身の振り方を伝え出し、やがて体が上斜めに向かう不自然な状態になると、後悔した。飛行機が飛ぶといっつも後悔する。飛ぶ前は、せっかく地に足がついていて、死の危険とは縁のない状態だったのに、みすみす落ちたら死ぬ状態に身を置いてしまった、という後悔だ。置かなければ済む話だったのに、なんで置いてしまったんだ、といつも失敗した気持ちになる。こんなことを思ってしまうのは、基本的に乗客は座っているだけで、気持ちに余裕があるからで、恐怖はこの余裕につけ込んでくるのだ。なにか他のことに集中しようと、吉祥寺のブックオフで買ったグルメ雑誌の、駅弁特集のページを必死になって眺め、「ごはんに刻んだ胡桃が混ぜ込んであり意外な食感が愉しめる」などと書いてあるのを、ごはんに胡桃はどうなんだろう、と思ったりするのだけど、それで救われるのは全体の1割くらいで、やはりまだまだ余裕があってしまい、恐怖を感じることができてしまう。それで思ったのだけど、こんな僕みたいな人間のために、株主総会における総会屋のような感じで、そちら側の人を雇って乗せ、飛行機に乗っている間、その人が僕のことをさんざん怒鳴りつけていればいいんじゃないだろうか。そんな事態に陥れば、飛行機の恐怖感がだいぶ薄れる気がする。だけど到着後、心底くたくただろうな。あるいは気絶させ屋(しめ技の達人とか)ということになるけれど、しかし死の恐怖を味わいたいわけではないが、いざ飛行機が墜落するとなったとき、意識がなく眠ったまま死ぬというのはやはり嫌なので、やはり怒り屋のほうがいい気がする。怒り屋。だめだこりゃ。こんなくだらないジョークを言ってしまうのも仕方ないくらいに、山陰の飛行機って本当に怖いのだ。今回も中国地方に入り、高度を下げるため厚い雲を抜けようとするあたりで、ファルマンでも「わあっ」と声を上げてしまうほどの揺れがあったのだ。本当に信じられない。山陰地方信じられない。山で隔てられているせいで陸路が不便なくせに、空路もこんなんで、一体なにを考えているの、と思う。山陰地方がまるごと天の岩戸なのかもしれないね。しれないよ。
 それでもこうしてこのことをブログに書けているということは、飛行機はなんとか無事に着陸したのである。たぶん、いつか「飛行機が嫌だった話」が書けず終いのときが来るのだろうな、と思う。 
 

 

広島旅行2022浅春 ~39歳の目覚め~

 日付が変わってファルマンの誕生日になった、その1時間後あたり、ファルマンは物音で目を覚ましたという。それは隣室から聞こえてきているようで、はじめはなんなのか判らなかったが、繰り返される一定のリズムの正体に、ファルマンはやがて思い至ったという。そしてリズムは次第にペースを上げ、やがてフィニッシュを迎えたそうだ。ファルマン、39歳になって最初に起った出来事がこれ。これからの1年間を暗示しているのだろうか。
 そのめっちゃおもしろい事態の間、ぐっすり眠っていた僕は、いつものように6時過ぎに目を覚まし、家族を起こさぬよう準備をして、朝風呂に向かった。気持ちがよかった。とてもいい目覚めだった。ドーミーインを心ゆくまで堪能した。
 チェックアウト後は、ビル街の中を車で進み、広島城へとやってきた。そっち方面は本当に詳しくないので、広島に城があるなんてこれまで知らなかった。ならばなぜ来たかと言えば、ポルガが、今年の初詣から御朱印帳を始めたことで神社や城に興味を持ち始めたため、広島城で御城印をもらう(買う)というイベントが旅行に組み込まれたのだった。ちなみにもちろん昨日の厳島神社でも御朱印を書いてもらっていた。
 案内された少し遠い市営駐車場に車を停め、歩いていくと、広島城のお膝元には、広島護国神社という神社があり、桜がちょうど満開の晴れた大安の日曜日ということもあって、お宮参りやら祈祷やらの人々でとても賑わっていた。なんならあとでこちらでも御朱印をもらおうと話しながら、まずは広島城へと入城する。中は5階建てくらいで、当時の文化や道具などが紹介される、博物館のようになっていた。最上階の天守閣では、建物の外側に設置された通路で360度を見渡すことができ、なかなかいい景色だった(もっと高い建物が周りにあったけど)。昨日行った宮島も見えた。城を出たあとで、やはり護国神社にも立ち寄り、参拝したり、御朱印をもらったりした。つまり今回の広島旅行で、ポルガは新たに3枚分をゲットしたのだった。御朱印帳、なるほどコレクター心というか、スタンプラリー心というか、そういったところを刺激されてなかなか愉しそうだ。ただ旅行するより、旅行先のそういうのを目的にすると、より面白みが増すだろうと思う。
 広島城からは、歩いて次の目的地、原爆ドームや平和記念公園のエリアへと向かう。幸いなことに、このあたりは徒歩圏内なのである。ちょっと歩いて、大きな道を渡ると、すぐ目の前に原爆ドームがあった。たぶん子どもの頃も見て、修学旅行では確実に見て、そのためおそらく3回目になると思うが、やはり迫力があり、そこだけ空気の質が違っているような気がした。世界遺産であり、有名スポットだが、観光地と無邪気に言うわけにもいかず、子どもらを前に立たせて写真というのもどこか違う気がして、ふむー、と粛々とした気持ちでしばし眺め、先に進んだ。先には平和記念公園があって、花見客でとても賑わっている様子だった。平和記念公園って8月15日の式典でしか見ないので、いつもあんなふうな、かしこまった空間なのかと思っていたが、街の中にある公園として、明るく利用されているようで、なんだかホッとした。なにしろ平和を記念する公園である。平和ならば平和に使えばいいのだ。いま世の中が平和なのかと言えば、あまりそんなこともないけれども。
 園内では大勢の人が、ベンチに座ったり芝生に腰を下ろしたりして、酒を飲んだり食事をしたりしていたので、わが家もここで昼ごはんを食べることにした。公園からの脇道にセブンイレブンが見えたので、お弁当でも買おうかと歩みを進めたところ、松屋の袋を提げている人とすれ違い、松屋があるのか! と色めき立ち、松屋に方針転換した。広島まで来てなぜ松屋、という話だが、実は島根県どころの話ではなく、山陰地方には松屋がないのだ。そのため松屋は十分に、旅先でしか味わえないグルメの要件を満たすのだった。セブンイレブンの向かいには、広島風お好み焼きの店が行列を作っていたが、そんなものには目もくれず、松屋を探し求めて歩く。セブンイレブンの奥には、予想外の商店街が続いていた。阿佐ヶ谷パールセンターを連想するような、この商店街の感じが、やっぱり都会なのだと思った。いろいろな店があり、歩いているだけでおもしろかった。そしてしばらく進んだところで無事に松屋を発見し、牛めし弁当などを買い込む。嬉しい。ほくほくした気持ちで平和記念公園へと戻り、花壇の前のブロックに場所を確保して、食べた。おいしかった。松屋は、一時期(書店員時代だ)あまりにも食べ過ぎて食べられなくなった時期があったが、たぶん僕は牛丼3大チェーンの中で、本当は松屋がいちばん好きなのだ。数年ぶりに食べて、そのことを再認識した。でも山陰にはないのだ。もしかするとそれもまた美味しさの一助になっているのかもしれないとも思う。松屋はおいしく、春の陽気がぽかぽかと暖かく(昨日は実はわりと寒かった)、桜は満開で、とても心地よい時間だった。4月3日はいつもわりと桜が満開で、ファルマンは柄にもなく溌溂として朗らかな、とてもいい時期に生まれたものだと、毎年思う。印象深い39歳の誕生日になったのではないかと思う。
 腹ごしらえをしたあとで、平和記念公園の平和記念公園たる部分を見て回る。原爆ドームほどのピリピリした感じはないにせよ、やはりここもまた、それなりに粛々と受け止めた。原爆資料館へは、入らなかった。修学旅行の代替として来ているので、行くべきなのかもしれなかったが、しかしながらここは、家族と離れ離れの状況で見るべきものなんじゃないかという気もした。原爆資料館を見て、家に帰ったら、原爆資料館を一緒に見たわけではない家族がいるから救われるという、ここはそういう場所だと思った。だから一家で入るわけにはいかなかった。ピイガが修学旅行をする頃には、さすがに県外に行けるだろうから、ピイガはその時に見ることになるのではないかと思う。
 広島旅行の行程はこれでおしまい。宮島、広島城、原爆ドーム、平和記念公園と、とてもオーソドックスに広島の要所を拾った1泊2日であった。大成功と言っていいのではないかと思う。家族旅行はやっぱり愉しいな。しかし鳥取と広島をやってしまったので、次の目的地の当てがない。車で行けて、1泊2日の範囲がいいなと思うが、岡山に行ってもしょうがないし、山口はどうも食指が動かない。いっそ移動を少しがんばって福岡か? いよいよ九州バージン喪失か? とも思うが、福岡はやろうと思うといろいろ大変そうだとも思う。まあどちらにせよしばらく先だ。11月の鳥取は、秋からのレジャーの集大成だったが、今回の広島は、いわばレジャー時期の幕開けを告げる鐘だ。これからは公園やプールや海など、近隣の大自然を堪能しようと思う。

広島旅行2022浅春 ~日本シリーズとたけしと開幕と三谷幸喜~

 広島市街は都会だった。さすがは中国地方最大だと思った。ビル街のような風景を、とても久しぶりに見た気がした。島根でいちばん栄えているのはどうしたって松江ということになるが、松江にビル街はない。おらの県にはビル街がないのだ。そして中心部のビル街から少し抜けると、島根ではとても見かけないような大規模のマンション群もあり、人口の多さ、すなわち力強さを痛感した。横浜市の中学生時代、広島に来てもそんなことはまるで感じなかった。ビルに気圧されたりなんて全然しなかった。それはそうだろう。逆に、20代前半に初めて島根に来たとき、その田舎っぷりに大きなショックを受けたものだ。隔世の感があるな。
 ホテルはドーミーインの、去年の11月にできたという、新しいほう。泊まる場所は、前回の鳥取もだったが、「サウナイキタイ」から探すスタイルで、オーシャンのような愉しそうな場所はなかったけれど、ドーミーインならまず間違いなかった。なんてったってコスパだ。おとなひとりの宿泊料が安い上に、子どもの添い寝は無料とのことで、とても安く上がった。半月前でこのプランが取れたのは、この週末に広島でカープの試合がなかったことも関係しているんだろうと思う。建物も部屋も新しくきれいで、とてもよかった。
 晩ごはんを食べる前に、お風呂を済ませることにする。お風呂は14階にある。14階のお風呂で、露天もあるというので、どんな光景だろうと期待していたが、大都会広島には14階よりも高い建物がたくさんあるため、そこまで開放的な作りであるはずもなかった。オーシャンの、2階のテラスから無人の海に向かって外気浴、というほうが異常なのだ。18時になったばかりくらいの大浴場は人が少なく、快適だった。女風呂のファルマンたちに至っては貸し切りだったそうで、なにぶん子どもたちはちょこまかと動いていつもハラハラさせられるので、他者に気兼ねしなくてよかったのはとてもよかったという。オーシャンでは、入浴後ファルマンは不機嫌になっていたため、それがなかったのはありがたかった。サウナにも少しだけ入り、コンパクトに1セットこなしたが、空腹もあり、家族との兼ね合いもあり、本格的に入るのはまた夜にすることとして、素早く上がる。打ち合わせをしたわけではなかったが、ちょうど同じようなタイミングで出てきたので、みんなでサービスのアイスをもらって部屋に戻った。
 部屋で夕飯のスシローを食べる。一応ビジネスホテルなので大きいテーブルがあるわけではなく、少々食べづらかったが、鮨なのでなんとかなった。おいしかった。冷蔵庫で冷やしておいたアサヒのジョッキ生が、涙が出るほどにおいしかった。お風呂に入って、鮨を喰って、ビールを飲んで、家族がいて、すぐ横にはベッドがあって、くっつけたふたつのベッドで今晩は旅先で4人で寝るのだと思うと、寝不足と疲労によってすぐに襲ってきた酩酊感と眠気もあり、ふわふわと夢心地のような幸福感があった。
 鮨だけでだいぶお腹がいっぱいになったが、ドーミーインと言えば夜鳴きそばということで、時間になるのを待って、食べにいく。もちろん人数分はもらわない。そんなに喰えない。だけどおいしかった。話には聞いていたが、ドーミーインは本当に至れり尽くせりだな、と思った。
 それから子どもたちは就寝するので、僕はひとりで大浴場に向かった。ここで本格的にサウナを堪能するつもりだったが、いかんせん満腹感やら疲労感やら眠気やらで、もたなかった。行くだけ行ったが、今回もさっきと同じくらいの小上がりで終えた。人は、夕方よりは多少増えていたが、それでもそんなに多くなかった。オーシャンは大賑わいだったな、とあの日のことを思い出した。あの晩は、日本シリーズ、ヤクルト対オリックスの初戦で、狭くないサウナに、詰めるように大勢で入り、試合を眺めたのだった。懐かしい。愉しかった。あれからちょうど1週間後の土曜日に、ヤクルトが4勝目を挙げ、シリーズは終了した。そしてその試合が長引いたことで、「ニュース7Days」の放送開始が大幅に遅れ、それがきっかけとなってビートたけしが体力の減退を理由に番組を降りることとなり、そして今年のペナントレースが始まって1週間後のこの日の夜が、たけしに代わって三谷幸喜が新キャスターとなった新体制の放送初日なのだった。そのあたりのことが妙に印象深かったので、こうしてここに書き残しておいた。三谷幸喜は、思っていたよりも当たり障りなくやっていた。生のニュース番組でボケたりジョークを言ったりするのは難しいだろうな。
 風呂から出て、部屋に戻ったあとは、すぐに寝た。日付が変わればファルマンの誕生日だが、そこまで起きていられるはずもなかった。子どもたちもわりとすぐに寝た。シングルサイズのベッドふたつだが、合体させたら4人で寝てもそう狭く感じなかった。全体的に、細目で小さ目な4人なのだ。深く寝た。
 つづく。

広島旅行2022浅春 ~ファルマン38歳最後の叫び~

 宮島から本州に戻ったあと、ホテルに直行するにはまだわりと時間があった。たぶんそうなるだろうと思いつつ、しかし宮島に予想外に長居する可能性もなくはなかったので、この間の計画はふんわりとしていた。眼鏡を新調したいという思いがずっと燻っていて、しかしながら島根で見る店ではこれぞというものに出会えず、今の眼鏡を作った倉敷のアウトレットのゾフにいつか行く日までは耐えるしかないか、と思っているのだが、もしやと思って事前に検索したところ、広島市街から少しだけ外れた所にある、イオンが経営するというジ・アウトレットという施設に、ゾフが入っているのを発見し、ワンチャンそこへ行くのもありなんじゃないかと目論んでいたのだが、いざ家族旅行に身を置いてみると、自分の眼鏡のためだけに、妻子はたぶんまるで魅力を感じないだろうアウトレットモール行きを断行するのは、間違いなくいい結果をもたらさないと判断し、あきらめた。あきらめて、かなりホテルまでの通り道といってもいい立地なので、おそらく時間が余った場合はここに立ち寄るのが現実的だろうと考えていた、マリーナホップという商業施設に赴いた。海沿いの、埋め立て地に作られた施設で、どうも正直あまり盛り上がっていないらしく(2025年に解体予定だそう)、入っている店もあまり聞いたことがない、縁のないものばかりなのだが、ここの一角にマリホサーカスと銘打って、小さい子向けのミニ遊園地があるというので、それ目的で参った次第である。1回300円くらいで、すべての冠にミニがつくような、ジェットコースターやバイキング、ディズニーランドで言うところの空飛ぶダンボみたいな乗り物に乗れて、なにぶん遊園地のない島根県の子どもたちなので、これでも目にした瞬間、十分にワクワクした様子だった。子どもたちは、急流すべりという、流れる水の上を進む乗り物と、あとファルマンと3人でジェットコースターに乗った。


 ファルマンは3人の貸し切りだったジェットコースターで大きな悲鳴を上げていた。たぶん大の大人が悲鳴を上げるようなジェットコースターでは決してないのだが、そんなジェットコースターでさえ断固として乗るのを拒んだ僕がそれについてとやかく言う筋合いもない。ちょうど前回の鳥取の、子どもの国のゴーカートを踏襲するような動きとなり、いい具合に愉しんで時間を調整することができた。
 それから車はちゃんと都会の広島市街の中心部へと突入し、スーパーに寄り道して(駐車券があった!)酒など買い込み、さらにはこれも前回と同じ、夕食としてのスシローの、予約しておいたものを受け取って、ホテルへと無事に到着した。土地勘のまったくない広島において、それなりに入念な準備をして、うまく立ち回ったものだと思う。もっと家族から褒められてもいいと思うので、ここで僕自身が褒めておく。
 つづく。

広島旅行2022浅春 ~宮島のログポース~

 唐揚げの匂いに反応したのかなんなのか、鹿たちの食いつきたるや、とんでもなかった。宮島の鹿には食べ物を与えてはならず、鹿せんべいのようなものも販売していなくて、ということはどこかできちんと餌が与えられているはずで、そっちの心配がないからこの鹿たちはこんなにも超然とした面持ちで、悠然と人ごみの中を闊歩しているのだろうと思っていたのだが、お弁当を広げる様子を見せるやいなや、顔は相変わらずの超然顔のまま、わらわらと湧き立つように無数の鹿が姿を現し、われわれ一家の座るベンチを取り囲んだのだった。本当に囲まれたので、囲まれた図というものを写真に撮ることはできなかった。公園内にいた他の人たちが、鹿が群がる様子をおもしろがってスマホを構えていたので、「宮島の鹿に取り囲まれてる一家がいたんだがwww」としてネットにアップされているかもしれない。
 もちろんお弁当はとても食べられるはずもなく、早々に避難する。登ってきたのとは別の口から、傾斜になっている公園を下ってゆくと、要所要所にベンチや東屋が設置されていたので、近くに鹿がいないのを確認して、「ここならいいだろう」と腰を下ろし、お弁当を広げた。すると、ぬ、と、本当に空気中の粒が結合して発生するかのように鹿が音もなく現れ、たまらず退散、ということをさらに2回繰り返した。鹿、がつがつした素振りは一切見せないが、飄飄と執拗だった。飄飄と執拗。これを鹿のキャッチコピーとしよう。
 仕方なく公園での食事はあきらめ、厳島神社に向かって歩いた道に再び出て、海に向かって備えられたベンチを確保し、そこで食べた。ここにも鹿はいたが、なにぶん人が多いので、こちらに殺到してくるということはなかった。自然の中だと鹿が強すぎた。
 腹ごしらえをしたあとは、おみやげを物色する。子どもたちはばあば(義母)から、広島で好きなものを買ってね、という小遣いを受け取っていた。いろいろな店を眺め、ポルガは厳島神社の鳥居の形をしたお守り、ピイガは鹿のかわいらしい置き物を買っていた。僕はなんといってももみじまんじゅうだ。もみじまんじゅう、叔父が出張で横浜の家に来るたびに手みやげで持ってきたので、小学生の頃はよく食べていた。僕があんこに関し、極度のこしあん派であるのは、たぶんもみじまんじゅうの影響だろうと思う。とにかくこしあんのもみじまんじゅうが好きだった。ところがある時期から、もみじまんじゅうの中身にバリエーションが生まれ、叔父はそのアソートセットのようなものを持ってくるようになり、それにはつぶあんだのチョコレートだの、食指が動かないものが多く入り、その分こしあんが少なくなっていたため、忸怩たる思いを抱いた。さらにそのあと、もはやもみじまんじゅうでさえない、桐葉菓というものを持ってくるようになり、いよいよ僕ともみじまんじゅうの縁は遠のいたのだった。しかしながら、とうとう宮島にやってきたのである。懐かしのもみじまんじゅうを、思う存分に自由に買えばいいのだ。というわけで、こしあんだけの時代、叔父がよく持ってきてくれた、やまだ屋で、1個ずつで売っているのを、こしあんを中心に、熟考の末に選んで買った。抹茶や、期間限定の桜もち風というのも買った。


 しかし買って、帰りのフェリーに乗ったあたりで、(あれ、もしかして、桐葉菓がやまだ屋なだけで、俺が子どもの頃にいちばん好きで食べてたメーカーって、にしき堂じゃなかったっけ……)ということが頭をよぎった。やまだ屋のそれが、記憶のそれとパッケージがぜんぜん違うのは分かっていたが、しかしそれは時代によるものだろうと解釈していた。しかし思えば思うほど、やまだ屋じゃなくてにしき堂のような気がしてくるのだった。そのあとインターネットでちゃんと調べたところ、やまだ屋でもにしき堂でもなく、藤い屋だった。なんじゃそりゃ。もっとちゃんと下調べしてから臨めばよかったな。とはいえやまだ屋のももちろんおいしかったし、別に藤い屋の味を覚えているわけでもない。というか、たぶんほとんどのもみじまんじゅう、そう味に違いはない。そもそも味にそうそう違いの出るような菓子ではない。
 まあそんな宮島探訪であった。とにかく鹿がおもしろい島だった。うさぎの大久野島、鹿の宮島と、広島の島はキャラが立ってるな。ワンピースみたいだな、と思う。
 つづく。

広島旅行2022浅春 ~鹿~

 実は今回の広島旅行を計画するまで、宮島のことをあまり把握していなかった。本当に海に浮かんでいるほうの島ではなく、児島とか水島とか、それこそ広島とかの、かつては島だったのかもしれないけど今はもう本州の一部みたいな、そういう類の地名かと思っていた。厳島神社が海上にあるというのは知っていたのだけど、つまり広島市の浅瀬にあるのだろうと勝手に解釈していた。ガイドブックを見たらしっかりと島だったので驚いた。
 フェリーで近づくと、島はだいぶ大きかった。大久野島より大きいのはもちろん、直島よりも実は大きいのだ。ちなみに宮島というのは通称で、お宮、すなわち厳島神社があるから宮島と呼ばれるだけで、正式には厳島だという。そして厳島神社の印象がとにかく強いものだから、神の島的な、文字通り厳かな、閉鎖的な空間のようなイメージが浮かびがちだが、島内には小中学校もあり、水族館もあり、商店街もあり、とにかくなんだか一筋縄ではいかない島なのだった。
 船着き場から出て、右に向かう。左方面は普通の町ゾーンのようだった。歩いて少しすると、海のそばに平清盛の像が建っていた。厳島神社と言えば平清盛。さも詳しい人のように言ってみたが、もちろんそれも今回ガイドブックで知った。「鎌倉殿の13人」では、先々週あたりに病死していて意外だった。なんか昔の読み物では、平清盛は義経の進撃に顔を真っ赤にして怒る、みたいな場面があったような気がするが、記憶違いだろうか。とりあえず娘らを隣に立たせて写真を撮った。
 それからさらに進むと、厳島神社までの道はひたすら観光地の賑わいで、みやげ物屋やら屋台やら人力車やらの風景が広がる。その喧騒の中に、ひょいと鹿がいた。宮島には鹿がいるということは当然ガイドブックで読んでいたが、本当にこんなにもひょいといるのかとびっくりした。そして鹿は、がやがやとした人間界のざわめきなど完全に遠い世界の出来事であるかのように、やけにきれいな無表情で、超然と歩いていた。厳島は言うほど厳かな島ではないな、と思っていたのが、この鹿の登場によって覆された。やっぱりすごい島なのかもしれない、と思った。
 数頭の鹿とすれ違いながらさらに進むと、右手の海上に例の鳥居が見えてきた。あの有名なやつである。実はフェリーからも見えた。しかし鳥居はいま、と言っても数年も前から改修工事中で、灰色の覆いが掛けられているのだった。まあそれは残念は残念なのだろうが、改修工事の終了時期は未定とのことで、待ってもいられないので仕方がなかった。
 入場料を払って入った厳島神社は、まあまあさらっと通り過ぎた。神社って、本尊みたいなものがあるわけではないので、いざ行ってみると結構さらっと終わる。とはいえ世界遺産である。世界遺産。世界遺産だからってとんでもなく見応えがわるわけではない。ちなみに潮の満ち引きによって、厳島神社のエリアから完全に水が干上がるタイミングもあるそうで、そうなるとたぶんさらに見どころはなくなる。幸いこの日の満潮は午前10時半で、その1時間後くらいだったので、まあまあいいタイミングだったろう。


 神社を見終えたあとは、お腹が空いたのでお弁当タイムにする。今回もちゃんと早起きして拵えてきた。さてどこで食べようかと地図を探り、弥山という山の頂上まで行くつもりはないが、その中腹、もとい麓らへんにある公園で食べようじゃないかと、みやげ物屋の商店街を抜け、坂を上り、目的地に到着する。宮島と言えばなんといってももみじで、だから紅葉の季節が1年のピークなのだろうが、公園には満開の桜が咲き誇っていて、なかなかどうして、宮島で桜というのもオツじゃないか、と思った。いい具合のベンチもあり、それではここで昼ごはんをいただくことにしようと、荷解きを始めたそのときである。


 ぬ、と厳かに現れたのだった。
 つづく。

広島旅行2022浅春 ~トラウマと思い出と深層心理~ 

 去年11月の鳥取旅行の成功に味を占め、また旅行をしてきた。今回の目的地は広島である。
 鳥取の次は広島だな、ということは前回の旅行が終わってすぐの頃から考えていて、しかし春から6年生となるポルガが、5月だか6月だかに修学旅行で広島に行くらしいので、それとあまり時期的に近すぎるのもちょっとなあ、などと逡巡していたところへ、このたびの第6波によって、修学旅行の行先はあえなく県内に変更されたため、なんの障害もなく広島への家族旅行が決行された。日取りは最初、4月の後半あたりで考えていたが、各人の予定であったり、GWとの兼ね合いであったりの理由からだいぶ早まり、4月2日3日となった。ホテルの予約を取る作業をしたのが3月中旬のことだったので、決めてから本番までが本当に早かった。
 でも結果として、これはとてもいい日取りだった。子どもたちが春休み中なので疲労に関して気兼ねをしなくていいし、なにより2日目がファルマンの誕生日である。誕生日に旅行をしているなんて、なかなかやろうと思ってできることではない。
 天候は、1週間前の週間予報では、広島に雨マークがあって戦々恐々としたが、2日前くらいになると掻き消え、心配なくなった。逆のパターンも往々にしてあるが、1週間前の週間予報って本当に意味がないな。目安にさえならない。
 土曜日は朝早くに出発する。張り切るあまり、僕もポルガも早く起きすぎて、ファルマンを怒らせた。愉しみなことがあると、どうしても早く目が覚めてしまう。その点ファルマンはすごい。どんなイベントが待ち受けていようと、「自分は朝が弱いのだ、朝はなるべくなら起きたくないのだ」というスタンスを崩さない。貫いているな、とも思うが、もしかするとこの人はこの世のなんにもそれほど愉しみじゃないのかもしれない、そういう人なのかもしれない、とも思う。
 道のりは、三次までは、岡山との行き来と同じやまなみ街道で、そこからざっくり言うと、右下(南東)に行けば尾道福山岡山方面で、左下(南西)に行けば広島方面である。これまではひたすら右下方面、すなわち尾道線にばかり進んでいたわけだが(それももうだいぶ久しいが)、しかし左下方面が未知の領域かと言うと実は違って、2019年の夏に僕は、義父母と義弟と4人でカープの試合観戦という行為をしており、義父の運転であったが広島へ行くこの道は使ったことがあった。今回運転をしていて、サービスエリアなどを目にし、そのときの記憶がよみがえってきて、トラウマを刺激された。あの日は本当につらかったな。僕の今生の野球観戦が終了した日。あの日の思い出を上書きするために、広島でたくさんいい思い出を作ろうと思った。
 最初の目的地は宮島である。ちなみに僕はこれまで、たぶん4回広島(市街)に来たことがあって、最初は子どもの頃、母と姉と3人で、叔父を訪ねついでに家族旅行、次は中学の修学旅行、そしてその次があの野球観戦で、宮島に関しては、修学旅行では来なかったし、子どもの頃の家族旅行に関しては、来たという記憶だけはあるが、自分が何歳くらいの頃でどんな場所を巡ったのかはさっぱり覚えていないため、行ったことがあるかどうか定かでない。なんなら母に訊ねればいいではないかという話なのだが、この旅行の数日前、向こうから簡素なLINEが来た折に、「こんど広島に行くけれども、そちらの面々は、見てきてほしい場所や買ってきてほしいものなどあるか」と、問いかけたところ、あまりにも見事に既読スルーされたので、もういいやとなった。ちなみにわが家は、僕が生まれる前、まだ姉しかいなかった時代、父の赴任先が広島だったので2年くらい居住していたり、叔父はなんといっても大学時代からおととしくらいまで、40年くらい広島で生活をしていたし、祖母も一時期まで叔父の面倒を見に(なのかなんなのかよく分からないが)1年のうちの何ヶ月かは広島で暮らす、みたいな感じだったので、広島とは実はだいぶ縁深いのだ。そのことを思い、親切心から問いかけてやったのに、本当に見事な既読スルーであった。
 というわけで、初めてなのか2度目なのかは不明だが、宮島である。事前の下調べ通り、宮島口駅近くの駐車場に車を停めて、フェリー乗り場まで歩いた。世界遺産である厳島神社を擁する宮島だが、宮島口駅近くには立派なボートレース場が鎮座していて、わりと殺伐としていた。そこまで長くないこの道中で、歩きたばこのおっさんと、ふたりも擦れ違った。ただでさえ喫煙に厳しいご時世の上にコロナ禍で、近ごろはいよいよ歩きたばこになんて遭遇せずに暮しているので、とてもびっくりした。
 フェリーはふたつの会社が、少し時間をずらして、頻繁に行き来しているようで、待ち時間も混雑もなく、スムーズだった。フェリーは、やはり瀬戸内海の、直島に行ったときと、大久野島に行ったときにも乗って、それ以来で、果たしてそれらはどっちが先でどっちが後だったっけ、と迷ったが、直島が2014年8月大久野島が2017年3月と、迷うのがおかしいくらい時期が離れていた。前者なんて、ピイガがまだ生後7ヶ月ということではないか。なぜ迷ったのか。やはり深層心理で、ピイガのことをずっと1歳児くらいで扱っているからかもしれない。


 まさか柵から体がはみ出されるはずもないのだが、船がかき混ぜる水面がおもしろいのか、真下を覗き込もうとするピイガの様子に、少しヒヤヒヤした。そういえば。いまこうして書いていて思い出した。子どもの頃の記憶で、乗っている船の進行によって泡立つ水面を眺め、母親に「洗剤を使っているの?」と訊ね、「洗剤なんて使うわけないでしょう」と笑われたことがあった。あれってもしかして、もしかしてもしかして、宮島行のフェリーか? じゃあ訊ねろよ、という話なのだが、まあ訊ねない。でもそんな気がしてきた。他に僕が船に乗る機会があったかな、と思うし。
 ちなみに船上は寒かった。地熱がない上に、実際この日はかなり冷え込んだのだ。われわれ3人もわりと肌寒く感じたほどだったので、ファルマンは凍えていた。別にこの旅行の要旨がファルマンのバースデイ接待というわけではないが、起床の不愉快に加えて寒さまで加わり、うっすらと暗雲が立ち込めながら、船は一路宮島へと向かうのだった。
 つづく。

3回目接種の春週末

 金曜日、職場の一斉のやつで、新型コロナウイルスワクチンの3回目接種を受ける。1回目2回目とそこまで症状が出なかったので気楽に捉えていたのだが、先週のファルマンが「3回目がいちばんタチが悪かった」などというものだから、そこから少し身構えた。それで結果はどうだったかというと、なるほど僕も3回目がいちばんよくなかった。ファルマンのような熱や頭痛こそなかったものの、倦怠感と、注射を打ったほうの左半身に、筋肉痛という言葉の範疇からはちょっと逸脱するような痺れが出た。そしてこの痺れは、日曜日の夜になった今でも、それなりに残っている。もちろん日常生活や仕事に支障を来すほどのものではないのだけど、ストレスを感じる。まったく嫌なものだ。
 そんなわけで土曜日は、家でグダグダと過した。ちょうど天気も大荒れで、出掛けようのない日だった。午後には昼寝もした。昼寝、思えば数年前まで、休みの日は昼ごはん時にビールを飲んだりして、そしてしばし昼寝、というのをわりとよくしていたが、最近はめっきりやらなくなったな、と久しぶりに昼寝の態勢に入りながら思った。昼にビールを飲んで寝るのって、自堕落といえば自堕落だけど、しかしその一方で、逆に体力があるからそんなことができていたんじゃないか、とも思った。昼寝から目覚めると、その前に解熱鎮痛剤を服んだこともあり、寝る前よりもだいぶすっきりしていた。
 晩ごはんはお好み焼きにした。この時点で、冷蔵庫の上に置いてあるホットプレートを取り出すことができるほど、ワクチンの副反応は遠のいていた。もちろんヘラでお好み焼きをひっくり返すのも無事に行なうことができた。お好み焼きはおいしかった。
 翌日の今日は、春の嵐のあと、台風一過のように空気が澄んで、陽射しがまぶしいほどに好天だったので、これは出掛けなければダメだろうと思い、公園に繰り出した。初めて行った公園で、遊具の規模はそこまでではなかったが、散歩に適していて、この時期に訪れるのにぴったりだと思った。梅やこぶしがよく咲き、桜のつぼみがだいぶ膨らんでいた。陽射しを浴びながらアップダウンの道を往ったため、冬季でどうしたって萎えた体に、きっぱりとした気持ちのよい疲労感が現れた。あまりにも春なのだった。
 午後は家で家族でのんびりした。子どもたちは春休みに入っていて、明日からもこんなような日々である。うらやましい。しかし金曜日の一斉接種には大いに意義があって、あの接種翌日の感じで出勤だったらすごく嫌だったけど、もう体はだいたい平常に戻ったので、まあ僕は明日からの平日をちゃんとこなそうと思う。晩ごはんは、鶏むね肉と錦糸卵の丼と、ブロッコリーとゆで卵のサラダ。ボディービルダーのような献立。もっともこの週末は、いうまでもなく筋トレを行なえていない。今晩、このあとちょっとくらいしようかな。ともかく3回目接種もなんとか無事に終わったので、大手を振って活動的に、これからのいい時期を愉しんでいこうと思う。

まとまりのない3連休

 3連休だった。
 正月に帰れなかった代わりに、実はこの3連休で横浜に帰省する、という計画があった。しかし事前に母に打診したところ、ここは都合が悪いということで実現しなかった。しなくてよかった。年度末に近いこの時期、子どもたちの学校もあと1週間だけあって、ちょっと体力的に横浜帰省は厳しかったろうと思う。
 帰省しなくなったので、ファルマンは3連休前日の金曜日に、3度目のコロナワクチンを受けた。ちなみに僕は今回は職場の一斉ので受けることにしたため、別々となった。1回目も2回目も、ファルマンはまあまあの熱を出したので、今回も覚悟はしていたが、やはり翌日の3連休初日はつらそうだった。今回は高熱よりも頭痛が強かったとのこと。聞いただけでつらそう。「でも、ワクチンでこんなにつらいのだから、実際に罹ったらもっとつらいんだろう」とファルマンは言っていて、しかし一方でオミクロンは概して無症状や軽症とも言うし、つくづく人間と新型コロナの関係性というのは、丸2年が経過してもぜんぜん確定しないな、と思った。
 ファルマンが臥せっていたこの日、義父母が子どもたちを連れ出してくれるというので、すわ、おろち湯ったり館チャンスではないかと一瞬色めき立つが、「そうすれば世話をしやすいでしょう」と義母に牽制され、どうもこれはファルマンをひとり置いて湯ったり館に行ったら顰蹙を買うやつだな、と思って自重した。ワクチンの副反応でのダウンって、病気ではないので、看病というわけではないし、寄り添ってやる必要があるのかどうか、すごく微妙なところだと思う。
 結局ファルマンは丸一日つらそうにしていた。次の日になると、さすがにだいぶ波は過ぎ去ったようで、どうしたって体調を崩したダメージは残っている様子だったが、それでも普通に起き上がって過した。
 この日の午後は、義母が通っているパッチワーク教室の発表会があり、義母も主催側として雑務をしているというので、そこへわが家と、あと相乗りを希望してきた三女も連れ、顔を出した。普段の話を聞くに、マダムたちの憩いの場であるらしいパッチワーク教室の、その発表会は、教室生マダムの、知人の非教室生マダムが、ネズミ算式に結集する、純度の高い濃厚なマダム空間だった。われわれ5人はだいぶ異質で、場の平均年齢を下げていた。パッチワーク作品は、大きかった。大きいなあ、という感想以外、センスや技術みたいなものは、門外漢なので判断しようがなかった。
 会場をあとにして、実家に三女と子どもたちを置いたあと、僕とファルマンだけで買い出しに出直す。この際にパソコンを買う。さらりと書いた。これまで使っていたパソコンが、どうにもこうにも重たくなり、また1年半前くらいにそれを買った際は、「もう俺、パソコンで創作ってんでもねーし!」と、いま思えばなんとなくやさぐれていたのか、ワードも入っていない安物を買ったのだけど、それが真綿で首を絞めるように、じわじわと不自由さから来るストレスをもたらすので、それを長年、壊れるまでいやいや使い続けるよりも、早い段階で見切りをつけ、やっぱりそれなりにちゃんとしたパソコンを買おうということになったのだった。これまで使っていたものは、壊れていないので、中身をまっさらにしてリビングパソコンとして余生を送らせることとした。新しいパソコンは、どういうものにするかいろいろ悩んだが、結局生まれて初めてのノートパソコンになった。ノートパソコンってみなさん知ってますか。パソコンなのに、持ち運べるんですよ。そんなのめっちゃ便利じゃないですか。ちなみにいまどきはノートパソコンとタブレットのあいのこのような、シュッとしたものもたくさん出ていて、むしろそちらのほうが主流のような感じもあったのだが、たぶんその簡略さ、その便利さは、僕よりも若い世代の人にとっての快適さなのであって、きっと僕はあくまでパソコンの、その持ち運びができるものとしてのノートパソコンという形が、便利さの頂点だろうなあと考え、選んだ。嬉しい。新しいパソコンそのものも嬉しいし、これまでは工業用ミシンの左のテーブルスペースに、デスクトップパソコンとキーボードが設置されていて、どちらの作業をするときにも滞りがあったものが、いまもノートパソコンは基本的に同じ位置にあるにはあるが、やっぱりこれまでに較べてぜんぜんすっきりしている。ましてや、よほど本格的にミシンをするときには、ノートパソコンは動かせばいいわけだし。だからつまり、とてもいい環境になった。
 3日目は概ね家で過した。この3連休は、全般的に天候がよくなく、肌寒かった。ファルマンが本調子でなかったので、ちょうどよかったけれども。午後になり、僕と子どもだけで、近所を僕はジョギング、子どもたちはサイクリングをする。ジョギング習慣はそれなりに板についたが、ぼちぼちプールも再開できるので、これから頻度は減るだろう。プール、前回が大みそかの湯ったり館なので、もう80日も泳いでいないことになる。渇望している。ジョギングのあとは、趣味のビキニショーツ作りに励んだ。近頃はすっかりインナーの自作が趣味の人になっている。いろいろな柄の生地で作るのが愉しい。
 そんな感じの、わりと茫洋とした、まとまりのない3連休だった。

春車

 髪がようやく、そこまで無理やりな感じではなく、結べるようになってきた。さらには気温もこのところぐんぐん上がっているので、ぼちぼち対外的にも「結んでいるほうが自然」みたいな空気が出てくると思う。そうやって伸ばし、結んで、ゴールは一体どこなのか。特に決めているわけでもないが、イメージとしては、女子弓道部の主将のようなポニーテールができるくらいまで伸ばせたらいいなと思っている。
 気温が上昇し、灯油は買い置きした分が果たして使いきれるだろうかと危ぶむほどで、そして今日は冬用タイヤからノーマルタイヤへの交換作業をした。春である。これはすなわち車の衣替えなので、あまりに明確な季節の移行行事である。そもそも冬用タイヤにしたのがいつのことだったか、と思い過去の日記を振り返ったが、どうも書いていないようだった。11月20日の鳥取旅行の際はまだノーマルだったろうと思うので、11月の終わりか12月のはじめくらいのことだったろう。だとすれば冬用タイヤ期間というのは3ヶ月半くらいか。まあそんなもんだろうな、と思う。季節って、春や秋が、夏と冬に押されて、なんとなく短いような先入観があるが(異常気象が前のめりに取り沙汰され過ぎるせいもある)、冷静にカウントしてみると、けっこうなんだかんだで12ヶ月を平等に分け合っているものだ。
 タイヤの交換は、実家で行なう。なにしろタイヤそのものが、実家の倉庫に置かせてもらっているのだ。MRワゴンは自前でやり、FREEDは、義父が自車も含めて依頼し来てもらう業者に頼む。軽自動車のタイヤ交換は、去年から年に2回のペースで行なっているため、僕もファルマンも、まあまあ会得してきた。しかし工程が把握できていても、倉庫からタイヤを出し、車まで運び、交換をして、再びタイヤを倉庫に戻すという作業は、やっぱり普通に疲れた。併せて義母の軽自動車のタイヤも、こちらは義父が中心となって交換し、さらには義父と僕のタイヤも業者の作業のために外に出しておいたりと、とにかくタイヤ三昧だった。思えば倉庫には、上記の4台分に加えて、三女のそれもあるので、常に20本ものタイヤが置かれているのだ。そして着用しているタイヤと、保管しているタイヤで、5人で合計40本のタイヤを所持しているのだと考えると、やけに多いことにように思う。タイヤ40本!
 実家ではイタリア料理店のテイクアウトのピザを、昼ごはんにいただく。おいしかったが、チェーンのデリバリーピザの、たぶんものすごく邪道な、あれやこれやを乗せたものに慣れている身(というほど頼んだこともないが、人生中で本格ピザよりはよほど多く食べている)からすると、端正だな……、という印象だった。食べやすく、おいしく、正しいが、はっきりいって物足りなかった。それでいて、正しいからか、わりといい値段を取るのだ(払ってないが)。餃子と一緒で、ピザは自分で作るものだな、と思った。あと、ピザを食べるにあたり、義父が冷蔵庫の奥から取り出してきたタバスコは、男子小学生の絵具を洗うバケツの水みたいな色をしていたので、「いるだろ?」と促されたが断った。あれはいったいいつから冷蔵庫にあるのだろう。どうもだいぶ前にも、なんの料理のときだったかはもう覚えていないが、タバスコを掛けるようなものを実家でいただいた際、同じやりとりをしたような気がする。あのときのタバスコと、今日のタバスコは、たぶん同一タバスコだろう。もしかしたら義父は、もうタバスコの正しい色を忘れてしまっているのかもしれない。
 タイヤ交換のあとは洗車もした。黄砂の時期に入っていることや、明日から雨だということは理解した上で、それでもこのタイヤ交換のタイミングで、冬の間の汚れを洗い流しておこう、今日という日はもう、車の世話に終始した日ということでいいじゃないか、という気概で行なう。するまではいつもあまりにも億劫なのだが、やったらやったでまあまあ気持ちがいい。ファルマンが車内に掃除機もかけてくれたので、車内環境もよくなったろう。嬉しい。
 2月は28日間なので、2月と3月の、日付と曜日の組み合わせは一緒になる。2月13日、バレンタインデーとして、ファルマンと子どもたちの手によるチョコレートのカップケーキを持っていき、ムーミンのチョコレートをもらったので、今日は僕の作ったカステラを持っていった。このために木曜日の夜に焼いて、冷蔵庫で寝かせていたのだ。最近の僕のカステラは、ふわふわ感も甘みも削ぎ落し、本当にただの、たんぱく質と糖質を取るための携行食めいてきていて、ホワイトデーの意味合いを込めつつのお持たせとしてはあまりにも無骨なのだが、そんなことは気にしない。8切れ持っていき、他の人は1切れ、僕だけ2切れ食べた。

2月旗日

 やけに雪が降ることだよ。さいわい生活圏では、そこまでのドカ雪というわけではないのだけど、それでもなんだか2月は、降らない日より、雪が舞ったり積もったりしている日のほうが多かったような気がする。そのくらいには降った。降っている。2月って冬といいつつ実質春だよな、ということを前に書いて、それは2月を生きる僕のスローガンみたいなもので、大いに希望的観測が含まれているのだけど、しかしこのような過酷な寒さに晒されながらも、それでもやはり、冬って本当は1月でほとんど終わってんだよね、と思う。先日ファルマンが、「googleの表示してくれた2年前の同日のもの」といって、笠岡の菜の花畑に行っていた写真を見せてきて、山陽と山陰の違いをまざまざと思い知らされたのだけど、それでもやっぱり、日本海側にあっても、2月の、それも下旬ともなれば、もう冬なんてその残滓もなく完全に消え去っている。窓の外では雪が舞っているけれど、春にだって雪が降ることはある。これはそういう雪だと思う。こういうことをいっていると、ファルマンから、「そうやって油断をするから風邪を引くのだ」と断罪される。
 天皇誕生日で休みだった。週の真ん中での休みはよかったが(逆にリズムが崩れてじわじわ疲れるという説もあるが)、それでもかつての天皇誕生日の日取りの良さを知っている身、これまでの半生の大部である30余年ですっかり沁みついてしまっている身からすると、この日取りは弱いと思う。もっとも前までが強すぎた。12月23日って、祝日になるにあたって、最強の日取りだったのではないだろうか。年末の、クリスマス直前の、いろいろ忙しい、いろいろ整えたい、いろいろ準備したいタイミングで、ここに1日ぽっかりと休みがあることが、どれほど有用であったか。思い返すと、30余年の平成時代の思い出が一緒によみがえり、寂寥感に襲われる。
 目下コロナ禍の令和である。島根県の蔓延防止措置は解除されたが、雪交じりの天候も相俟って、やはりまだレジャーに繰り出す気概は湧かず、家でのんびりと過した。やはりこの冬、switchは買ってよかったと思う。子どもたちは日々、宿題や明日の準備や部屋の片づけをしたら、という条件をこなし、せっせと攻略に勤しみ、先日とうとうスーパーマリオは、無事に1周目のクリアを達成し、いまはスターコインの取りこぼしや、隠し面の出現など、やり込み要素に励んでいる。買ったソフトも正解だった。やっぱりマリオのものだな。
 晩ごはんは、ファルマンのリクエストにより春巻を作った。おいしかった。皮が10枚単位で売っていて、4人で10本というわけにはいかないから20だよな、と思って買ったのだけど、いざ巻いてみたら、春巻はイメージよりもサイズが大きく、なんなら10でもよかったかもな、と思いつつ、それでも僕とポルガは4本食べた(ファルマンとピイガは2本)。まあまあ油っこかったので、胃もたれが心配だったが、なんとか事なきを得た。まだ胃の働きは大丈夫なようだ。それにしてもおいしかった。餃子にしろ焼売にしろ春巻にしろ、どうもこういった包む系の調理に、僕はやけに適性があるらしい。異様に旨い。よそでこんなにおいしいのを食べたことがない。実家で母が作ったものを、おいしいと思って食べていたが、自分で作ってみたら自分のもののほうがさらにおいしかった。才能だな。

春先3連休

 嬉しい3連休。なにが嬉しいって、済まさなければならない用件はもちろんのこと、レジャーの予定もなく、レジャーは、公園系は寒くて行けるはずがないし、蔓延防止等重点措置が発令されているため屋内施設も営業をしていなかったり、していたとしてもやっぱりこのタイミングで行かなくてもいいよな、と思ったりで詰んでおり、つまり「特になにもすることがない3連休」だったのだ。それのなんと贅沢なことか。
 初日の午前中は買い物に出た。食糧品を中心にいろいろ仕入れたあと、昼ごはんとしてマクドナルドを買って帰った。マックはいまハッピーセットがムーミンで、ぼやぼやしているうちに気づけば第2弾になってしまっていたのだが、それを大人も含めて4つ(本気でほしいおもちゃのときだけ、大人もハッピーセットを注文するのが発動する)、買って帰った。買って帰ったと簡単に言ったが、3連休初日の祝日、そして第2弾の初日、さらには正午過ぎという時刻もあり、買うまではなかなか苦労した。待ちながら、「島根でこんなに盛況しているのだから、東京ではとんでもないことになっているんじゃないか」なんてことを夫婦で話していたら(しかしよく考えたら東京は店舗数が多いから逆にこんなことにはならない気もする)、ポルガが「行列が伸びて山をふたつくらい越えるかもしれないね」と言ってきたので爆笑した。ジョークじゃない。マジである。実は練馬生まれのくせに、長年の田舎暮らしによって、とうとうそんな世界観になってしまった。リアル「俺ら東京さ行ぐだ」状態。将来は銀座に山を買うのかもしれない。ハッピーセットは、3種類がひとつずつと、ムーミンママの砂時計が被った。3種の中ではムーミンママの砂時計がいちばん当たりだと思うので、大成功だった。
 午後は縫製をしたり、筋トレをしたりという、いつもの過し方。おやつのあと、僕とファルマンでswitchをやった。子どもたちは、1日に許されたゲーム時間を、休日はいつも朝に使ってしまうため、見るだけ。わが家唯一のソフトである2次元のスーパーマリオは、ファミコンの「スーパーマリオブラザーズ3」の経験値が通用するため、子どもたちから「パパは上手」という認定をされており、気分がいい。ずっとこういう、親世代が最新技術についていけない、みたいにならないゲームだけしていたい。
 晩ごはんは肉たっぷりのつけ汁で食べるざるうどんと、厚焼き玉子とアボカドのタラマヨサラダ。後者は、1週間前に手巻きずしをした際、厚焼き玉子とタラマヨで巻いたものが、刺身よりもむしろおいしく、感動したため、じゃあもういっそその中身みたいなサラダ(サラダというか和え物?)を作ってしまえばいいんじゃないか、と思って作った。結果、まあまあおいしかったが、でもここに、海苔と、酢飯と、わさび醤油が加わったらもっとおいしいんだろうな、とも思った。こういう、組み合わさった物の中心部が好きで、その中心部だけがたくさん集合したものがあれば夢のようだと思い、しかし実際に手に入れてみたら、案外そこまで愉しめなくて、周りがあるからこそ高いレベルで成立するんだな、と思うことって、いま具体的な例はひとつも思い浮かばないけれど、人生の中で多々ある。
 翌日は、天気が良かったので、朝からひとり、ジョギングに出た。実は10日ほど前から、2、3日おきのペースでジョギングを始めた。プールの代替としての有酸素運動である。いつもは夕食後、食休みをしてから夜に走っているのだけど(8時台なのに人とまったくすれ違わない)、休日だから朝だ。朝陽の下、ジョギング。帰宅後のシャワーを含め、とても気持ちがよかった。人とまったくすれ違わなかった。山をふたつくらい越えた先にしか人はいないのかもしれない。
 この日は、この特にしなければならないことのない3連休の中で唯一と言ってもいい、やったほうがいいこと、やってしまいたいことの、知人のためのズボン作りをした。依頼を受けて3週間あまり、当初思っていたよりもかなり難儀し、あぐねていたのだけど、ようやく作り上げる見当がついたので、このまとまった休日のうちに仕上げてしまいたかった。結果、無事に完成することができた。なぜズボン作りでそんなにあぐねたのか、その模様は後日「nw」に記録しようと思う。
 昼ごはんは、納豆と卵の混ぜそば。大人はネギを、これでもかとたっぷりかけ、つるつるさっぱり、おいしく食べた。僕が料理を担当する週末は、やけにごはんを炊かない。
 午後、あまりにも天気が良くて、もったくなく感じ、しかし公園は、子どもは遊ぶので体があったまるだろうが、待機する大人はひたすら寒いのでやはり行くわけにはいかず、考えた末に海を見に行くことにした。砂浜には、同じような選択肢の中、同じような思考をしたらしき人たちが、そこそこいた。海は、1月のそれとは明らかに変わっていて、どこからどう見ても「春の海」だった。やっぱり2月は、冬だけど冬じゃなく、言わば「冬(春)」みたいな冬だな、ということを思った。子どもたちは砂でめいめいに遊び、大人はそれを眺めたり、写真に撮ったり、海を見てたそがれたり、思い思いに過ごした。来ている人たちの中には、海に足を浸している剛の者もいたが、それをする気にはならなかった。7月になったら泳ぎにこようと思った。
 晩ごはんはハンバーグ。さすがにごはんを炊いた。付け合せで、先日スーパーで買った、いかにも春先らしい、ピンポン玉よりもひと回りからふた回り小さいような、メークインを、もちろん皮のまま、丸ごと揚げた。これがとてもおいしかった。こうしてみると、とても春を感じ取った1日だったようだ。
 最終日の今日は、この3週間わりと頭を重くしていたズボンの件が落着した解放感から、ひたすらしたいことをして過した。天候は昨日から一転、山陰の冬らしい「降るともなく降り続ける雨模様」のやつで、これからはこういうせめぎ合いが延々と続くのだろう。
 昼ごはんは、昨日のハンバーグの残りで作ったハンバーガーと、午前中に作ったトマトソースをたっぷり塗ったピザトーストという、目新しい感じのメニュー。あと昨晩のそれがとてもおいしかったので、またひと口メークインを揚げた。そう考えると、初日のマック、2日目のハンバーグの付け合せ、そしてこれと、3日連続でフライドポテトを食べたのだな。だからなに、ということはないけれど。
 午後は、ファルマンと子どもたちが午前中に焼いたチョコのカップケーキを持って、実家へ。1日早いバレンタインデーである。向こうからも、ムーミンのかわいい缶箱に入ったチョコレートをもらう。缶箱が嬉しい。中身を食べきったら、こまごましたものを入れる箱にしようと思う。おやつとして、持ってきたカップケーキを一同で食べる。予想通りの、見た目通りの味。なにぶん、僕の母にいつぞや教えられたレシピで作ったものなので、本当によく知った味なのだった。実に淡々と済まされたバレンタインデーであった。
 晩ごはんは、ぶり大根とスパゲティサラダ。最近、寒さもあってビールやチューハイを飲まない代わりに、日本酒の酒量が増えていて、あまりよろしくないなあと思うのだが、ぶり大根はあまりにも日本酒向きの味で、夕飯時は飲まずに済ませたのだけど、たぶんこのあと、録画した「鎌倉殿の13人」をファルマンと観ながら、どうしたって残りのぶり大根と熱燗、ということになる。もうこれはしょうがない。人生の快楽だからしょうがない。
 というわけで3連休は、斯様にとてものんびり、いい具合に過した。観ている「THIS IS US」のシーズン5の中で、「忘れたくないのは、子どもたちが子どもだった頃の、なんでもない土曜日の記憶」みたいな台詞があって、それは本当にそうだろうな、としみじみと思ったのだった。子どもと一緒に過ごす休日は、毎日終盤になると、主にピイガのうるささなどに辟易し、うんざりしてしまうのだけど、今がとても貴重な時間だということは、その乍中にありながら、理解している。理解はしているが、やはり夜にはもうたくさん、となる。このあたりの心情と、記事序盤の厚焼き玉子とタラマヨの話は、かすかに繋がる気もする。