秋が来る

 8月が終わった。夏が過ぎ去ったのだった。7月と8月って、やっぱり大野と杉山みたいな感じがあり、あちらの気が向いて、にわかに仲間に入れられたりすると、そこから見える風景は華やかで、気持ちが昂揚したりもするのだけど、それでも結局は柄じゃないので、またあちらの気が向いて見放されると、なんともいえない寂しさと同時に、一方で結構ほっとしたりもする。7月と8月っていつもそんな感じだ。
 7月、夏本番なのに体力的な問題から意外とプールに行けない、という悩みがあったが(能天気な悩みだ)、7月末あたりに、行ったときに800メートルとか1000メートルとか泳ごうとするからいけないんだと喝破して、300メートルから400メートルくらい泳いで終わりにするスタイルにしたら、途端に行きやすく、そして生きやすくなった。やっぱり泳ぐと精神的に救われる部分があるので、こまめに行ったほうが心が健康なのだ。
 年間会員になったことで、元が取れるかどうかを意識するようになり、その検証のために、実はプールに行った日は記録を取るようにしている。5月からやっている。それによると7月は7回にとどまったが、8月は12回も行った。今後もこの調子を継続したい。
 記録はカレンダー書式のノートに書き込んでいるのだが、プールに行った日に印をするだけでは何だなと思い、長く記録を継続したら価値が出てきそうな事柄として、射精した日にもその符号を記入している。それによると、と7月と8月のそれぞれの射精回数を発表しそうになったが、これは秘匿しておく。
 しかしこれを付け始めて思うのは、14歳の頃からやっておけばよかった、ということだ。初めては14歳だった。そこから今までの射精が全て記録として残っていたら、とても愉しかったろうと思う。なにぶん約四半世紀ともなれば立派なデータである。例えば9月20日から翌年9月19日まで、すなわち年齢ごとの射精回数が最も多かったのは何歳なのか(意外と30代ではないか)。あるいは四半世紀で最も平均射精回数が多いのは何月なのか(5月ではないか、という気がする)。そしてなにより総数を算出し、感慨深くなりたい。さらにはその総数に、一度に放出される精子が2億個だとして、それを掛け算して、その天文学的な数字にくらくらしたい。したかった。後悔だ。もしもタイムマシンがあれば、14歳の、のび太の射精前夜に行って、射精の記録を取ることと、それとついでに、女の子も実はエッチなんだよ、ということを伝えてやりたい。ただしそれを伝えた場合、射精の回数は大きく変動することとなり、歴史は大きく変わって、家族写真から兄さんの足が消えてしまうことになるだろう。
 話が横道に逸れた。夏が終わった話をしている。9月はなんてったって誕生月である。我ながらいい季節に生まれたものだと思う。品がある。ちょうどいいポジションにいる月だ。東京にいた頃は、9月19日までが夏で、俺の誕生日からが秋だな、ということを体感から思っていたが、島根はやっぱりそれより夏は短く、8月限りできっぱり終わったというか、実は8月の終わり頃は既にちょっと怪しかったように思う。じきに普通に肌寒くなる。肌寒くなってきたら、冬用タイヤみたいな話になって、そして気付けば年末年始になるような気がする。しかし年末年始は、わりと最近のことではなかったか。
 話に取り留めがなくなってしまった。1週間もブログを書かないでいると、なんとなく地に足がつかない文章になる。身体が鈍るとか、筋肉が衰えるとか、大げさに言うと、そういうことだ。年齢によるものか、そういうことをしみじみと思う。昨日、自分はあまりにも表情筋を動かしていないのではないかという思いに囚われ、顔の筋肉が弱って、肉が支えられなくって老けるという仕組みの哀しさに打ちひしがれ、なんとかそれから長く逃げ回りたいものだと思い、頬を思いきり持ち上げてみたりした。そういうことを、心がけてやることに、39歳になる秋の哀愁がある。14歳から、四半世紀になるのか。