鳥取旅行2021晩秋 ~山陰らしく生きてゆく~

 よく寝る。ホテル特有の空気の乾燥は、濡らしたバスタオルを干していたので免れた。
 朝ごはんをもしゃもしゃと食べ、出発の準備をする。チェックアウトの前に、昨日はもう暗かったのでできなかった、ホテル周りの散歩などをした。温泉施設はバリをイメージしていて、中庭なんかもかなり凝っていたので、そこで写真も撮りたかったのだが、残念ながら門が閉まっていて、立ち入ることができなかった。10時オープンというのが、返す返すも恨めしかった。ホテルの宿泊客限定で朝風呂とかやってくれたらいいのになあ。海のほうの道にも出て、昨晩外気浴をしたテラスを眺めたりする。思い切り海に面しているので、海岸にいる人からは見放題なのではないかと思っていたが、そこは一応立ち入り禁止のようになっているらしかった。とはいえやっぱりかなり開けっぴろげなような感じもあり、つまりなんというかこれは、やっぱり僕のような、裸でオープンな場にいる快感を得たい輩の欲求を満たす狙いがあるのではないかな、という気もした。
 2日目の今日は、鳥取において鳥取砂丘という大目的を済ませたあと、そのあとなにをするか正直だいぶ悩んだ結果、ガイドブックに小さく紹介されていた、「むきばんだ史跡公園」なる施設へと向かった。これは弥生時代にこの地にあったという集落を再現した(ゴルフ場を作ろうと思ったら出てきてしまったらしい)公園で、当時の住居も原寸大で建てられていて、しかもだいぶ山の中にあるため、もう風景的にはマジで当時と変わらないんじゃないか、みたいなタイムスリップ感を得ることができた。


 ここの散策中、どこからやってきたのか、ファルマンの顔に尺取虫が1匹取りつき、どうもマスクの上にいたらしいそれが、マスクから眼鏡へと身を伸ばして移ろうとした際、ようやくファルマンの視界に、蠢くそれの姿が入ったようで、ファルマンは飛び上がっておののき、眼鏡とマスクを取って振り払い、そのあと泣いていた。虫で泣かされる女子の泣き方で泣いていた。この公園で、この場面がいちばんおもしろかった。
 それから帰路に入るが、昨日みたいに最短ルートではなく、北西方面に進み、鳥取県の尻尾みたいになっている部分、境港のほうを攻める。道中では冠雪したばかりの大山の姿を拝むこともでき、たっぷり鳥取を堪能した鳥取旅行なのだった。
 境港では、まず夢みなとタワーに立ち寄る。「境港のランドマークタワー」を謳う夢みなとタワーは、それと同時に「日本一低いタワー」(高さ43メートル)でもあって、しかし鳥取には他にあまり高い建物がないので、展望室からはとてもいい見晴らしが愉しめるという、なんかもう自虐なのかなんなのかもはやよく分からない、山陰テイスト溢れるスポットだった。建物の中までは行ったが、やっぱり普通に低すぎて、お金を払って展望室に上がる気にはなれず、地上の施設を冷やかして終わった。お膝元には境港さかなセンターという、魚介類が中心のみやげ物屋街があり、この時期の鳥取といえばやっぱり松葉がにで、生け簀の中には生きたそれがうじゃうじゃしていた。先ほど尺取虫を超至近距離から見て泣いた、虫が大嫌いな女は、「私はちょっと見れない」といって目を背けていた。まあ生きているカニって、普通にわりと気持ち悪いよな。
 それから境港といえば、やっぱりどうしたって水木しげるということになり、いわゆる水木しげるロードにも赴いた。車を置いて、ゲゲゲの鬼太郎を中心とした水木しげる関連のグッズを売る店々が軒を連ねる通りを歩く。まあまあ人通りもあり、賑わっていた。客層は、ほとんど我が家と同じようなファミリー層で、そしてどの家族もだいたい、親世代はまあまあゲゲゲの鬼太郎になじみがないわけでもなく、ああ鬼太郎だなあ、有名だなあ、くらいの感じだが、その子ども世代となると、やっぱりどうしたって、ポケモンやすみっこぐらしに勝てるはずもなく、親に連れてこられたが、なんか絵怖くてかわいくないし、なにをどう愉しめばいいのかぜんぜん分からない、みたいな顔をしていて、もちろんうちの娘たちもそんな感じで、これで親に熱情があれば、それでも子どもにその熱が伝播して盛り上がったりもするのだろうが、なにぶん親もまた、まあせっかく境港に来たんだから水木しげるロードに行ってみようかねえ、他に行く場所もなさげだしねえ、くらいのテンションなので、結局かなりどっちらけな感じだった。水木しげるか。水木しげるねえ。好きな人はすごく好きなんだろうなあとは思うのだけど、うーん。
 後半ちょっとぼんやりしてしまったが、鳥取県はこれでおしまい。島根県へと舞い戻る。鳥取県から島根県へは、江島大橋を使う。かの有名な「ベタ踏み坂」であり、これを渡るというのも、今回の旅行計画の中で、ちょっと愉しみにしていたイベントだった。ところが実際に渡ってみると、「へ?」というもので、どうもこれもまた夢みなとタワーと一緒で、周りに建物がないからやけにそれだけが聳え立っているように見える現象によって、とてつもない急勾配に見えるだけで、実際はそうでもないというのが真相らしい。なんか山陰、すごいな。思えば錦織圭も、あの独特のプレイスタイルは、島根県においては幼少期、それでも敵なしだったから矯正されることなく貫き通すことができた、という話があるし、なんというか分母の小ささ、較べる対象の少なさが、いい方向に作用すると、独自の路線でいいものが確立できるという、なんか教育にも通ずるような、この旅行で山陰両県をたっぷりと味わって、そんなことに思いを馳せた。
 松江からの道は、途中で入れ替わり、ファルマンの運転で帰った。せっかくの遠距離移動なのだから、いざというときのためのフリードの運転練習をしたい、という話があって、しかし往路でなんかあるとあまりにも哀しいので、復路まで待ってもらったのだった。復路ならばまあ、最悪死んでもいいしな、と思いながらハンドルを委ねた。幸いなことに、夕方に西に向かう道のりのため、西日が眩しくて目が開けられないと恐ろしい文句をいいながらも、無事に家に帰り着き、こうして日記もきちんと書き切ることができた。
 とまあ、こんなような1泊2日の鳥取旅行だった。初めての家族旅行だったわけだが、とてもよかった。旅行って愉しいもんだな、家族の思い出ができて嬉しいもんだな、なんてことを思った。途中でも記したが、週が明けてから、山陰には一気に冬がやってきた。10月から駆け抜けたレジャーの日々も、今回の旅行を集大成として、ひとまずおしまいだ。これからは基本、閉じこもって暮す。そういう季節になる。それはそれでいい。

鳥取旅行2021晩秋 ~おすしとおふろ~

 鳥取砂丘こどもの国で遊び終えたあとは、本日の宿泊先に向かう。米子である。無理すれば日帰りできないこともない鳥取砂丘を、あえて1泊2日の旅行にして、宿泊先をどこにするかといえば、もうだいぶ自宅に近い、米子なのだった。グーグルマップで検索すると、自宅から米子までは1時間ちょいである。思っていたより近い。帰ろうと思えばぜんぜん帰れる。でもそういうことじゃない。なぜなら旅行なのだから。
 そもそも白状するならば、僕にとって今回の旅行は、鳥取砂丘はサブ目的であって、メインは宿泊、それも温泉およびサウナなのだった。泊まったのはオーシャンというビジネスホテルで、ビジネスホテルといっても今どきの、家族や仲間で泊まれる部屋もある、そういうホテルである。そしてこの同じ敷地内に日帰り温泉オーシャンという、スパ施設として普通に一般向けに営業している、もちろん同系列の施設があり、宿泊客はそこの入浴チケットがもらえる。すなわち風呂に入って、サウナに入って、ビール飲んで、飯を食べて、寝る。そういうことができる。それがしたいというのが起点となり、今回の旅行計画が始まったのだ。
 ホテルには16時半ごろに到着した。案内された部屋は、ホテルにふたつある特別室のひとつで、ビジネスホテルという感じはまるでなかった。しかも旅行日記の冒頭で後述すると書いたキャンペーン、その名もWeLove山陰キャンペーンにより、宿泊料金は通常の半額となり、ふたりは子ども料金とはいえ、4人で11000円というのは、あまりにも破格なのだった。
 このあとすぐに温泉に行ければよかったのだが、晩ごはんとして用意周到に数日前からweb予約しておいたスシローを受け取りに行ったり、スーパーでビールや朝ごはんを買い込んだり、僕だけそんな用事を済ます。知らない街の、知らないチェーンのスーパーが、旅情を掻き立て、おもしろかった。見たことのないプリンを見つけ、思わず買ったりした。
 部屋に戻ったあと、ようやく温泉へ。日が短いので、17時半くらいでもうすっかり暗くなってしまった。外気浴的に、これはかなり残念だった。さいきんサウナについてこのブログで告白したとおり、僕はサウナに、外で裸になる快感を求めている部分が大いにあるので、あたりが暗くなってしまったらあんまり意味がない。温泉は翌日にも入る権利があるのだが、温泉がオープンするのは10時なので、それを待つつもりはなかった。つまり明るいオーシャンには入り損ねた。せっかく男湯が2階の海風呂で、テラスから目の前の海に向かって裸でデッキチェアに座って休憩できるという、貴重な経験ができる機会だったのに。
 そこだけは残念だったが、まあ温泉もサウナも愉しめた。土曜日の夜なので、まあまあ混んでいた。とはいえ数年前の横浜のスーパー銭湯ほどのことはない。あれはいま思えば、「ギャグマンガ日和」のあの話くらいの人口密度だった気がする。月明りしかなかった(温泉に入る前、家族で赤い月を見た)ものの、目的のデッキチェアは堪能できたし。ちなみにサウナ内のテレビでは、今日開幕の日本シリーズ、ヤクルト対オリックスが放映されていて、それもまた特別な夜の印象を強くさせた。
 約束していた時間に部屋に戻ると、はしゃぐ子どもたちの世話が大変だったことと空腹で、ファルマンの機嫌が悪くなっていたため、すぐに鮨にする。砂丘で遊んで、温泉に入って、家族で鮨を囲み、ビールを飲みながら日本シリーズを眺める。なんだこれ、しあわせかよ、と思う。これ以上があまり浮かばない。
 だらだらと鮨を喰い、子どもたちが寝る時間となり、しかし興奮してあまり寝そうになく、「部屋を暗くして寝かしつけるからお風呂行きなよ」とファルマンがいってくれ、2度目の温泉に入りにいく。駐車場を突っ切り、徒歩1分半。いいなあ。22時前だが、まだまだ人は多い。むしろ夕方よりも多かったかもしれない。日本シリーズはまだ続いていた。9回裏、ここを抑えたらヤクルトの勝ち、というところで、サウナ室の座った位置が、あまりにも熱の高い場所だったため、どうせこのまま決まりだろうと、見届けずにたまらず出る。そして水風呂と外気浴をして、十数分後にふたたびサウナ室に戻ったら、オリックスが逆転サヨナラ勝利していた。そのときサウナ室は盛り上がったろうかな。
 2回目の入浴を堪能し、部屋に戻る。子どもたちは寝ていた。大人だってクタクタだ。鮨の残りを食べきり、眠りに就いた。
 つづく。

鳥取旅行2021晩秋 ~ラクダとリフトとカートに乗って~

 いまこの鳥取旅行の日記を、帰宅翌々日、勤労感謝の日に書いているわけだが、部屋の窓からはサッシを動かすほどの風の音が絶え間なく聞こえ続け、午前中には買い物に出たのだが、雪が混じるのではないかと思うほど冷たく細かい雨が降っていた。明確に山陰の冬が到来した。「週間予報がずれて日曜日の雨が免れた」と前の記事で書いたが、それどころの話じゃない。本当にぎりっぎりの秋だったのだ。この気候があと5日早く襲来していたら、鳥取砂丘も相当にどうしようもないことになっていたと思う。幸運だった。
 

 砂まみれになって思う存分に遊んだあとは、入口のほうに戻り、ラクダに乗ることにした。書くとさらっとしたことのようだが、馬の背を登って海のほうまで来ているので、そう楽なことではない。馬の背を降りて、また馬の背ほどではないが坂を登らなければならないのだ。つら……、と思わず口に出た。砂しかない見晴らしのいい世界で、ずっと向こうの上り坂を人々が這いつくばるように進んでいるのが見える。思わず「道化師のソネット」が頭に浮かび、われわれはそれぞれの高さの山を登る山びとのようだ、とやはり精神世界的なことを思った。鳥取砂丘はとにかくそういう場所だった。
 それでもなんとかラクダのもとに辿り着き、子ども二人を乗せて、あたりをぐるっとひと回り(3分ほど)、2600円也、というのが適性なのかどうなのか、ラクダを飼育したことがないのでよく分からないが、なんてったって観光なので、払う。ファルマンも子どもの頃にこの地で乗っているので(もう7代くらい前のラクダに)、わが家でラクダに乗ったことがないのは僕だけになった。もしも神の気まぐれで、そういう括りで人類が選定されることがあったら、一家で僕だけが排除され、妻と子どもたちは、確実にイスラムの比率が高い、残された人類と生きていくことだろう。


 乗る前に「ラクダのこぶの感触を教えてくれ」と頼んでおいたのだが、ピイガいわく「かたかった」そうだ。そうなんだ。
 ラクダのあとはリフトに乗る。リフトは、半月前の三瓶山において、ちょうどリフトが休止中で乗りっぱぐれた(翌週から稼働再開)という経緯があり、それが鳥取砂丘にはある、ということを事前の下調べで知ったため、その雪辱として乗るために乗るような心意気で乗ったのだが、いま思えば別にぜんぜん乗る必要なかった。砂丘に対し、もっといい位置関係で伸びるリフトを想像していたのだが、実際はあまり意義が感じられないような代物で、どっちらけな気持ちになった。
 最後にみやげ物屋で、実家やポルガの岡山時代の友達へのおみやげを買う。繰り返しになるが、鳥取は、島根にとっても岡山にとっても隣県なのだけども。ちなみに買ったのは砂丘の砂の入ったボールペンで、実に無意味でみやげ物らしいみやげ物だと思う。
 砂丘を堪能したあとは、車で数分の場所にある「チュウブ鳥取砂丘こどもの国」という施設に移動する。広場あり、アスレチックあり、変形自転車ありという、横浜のこどもの国と同じような施設。でも横浜のそれに較べると規模はだいぶ小さく、面積でどれくらいの差があるだろうかと検索をした結果、面積は分からなかったが、「こどもの国」は横浜のあそこを示すのであって、それ以外のこどもの国は、この「鳥取砂丘こどもの国」のように、各地の地名を冠するようになっている、ということを知った。ためになったし、ああ俺は正統なこどもの国が御用達だったのだな、と誇らしい気持ちになった。
 ここの広場で、まずは弁当を食べる。家からちゃんと作って持ってきていたのだ。そしてあわよくば鳥取砂丘で食べられないものかと、馬の背を登るときだってレジャーシートとともに提げていたのだが、しかしそういう感じではなかった(当世流行りのテントなんかも一切なかった。あの雰囲気を守るためにはそのほうがいいと思う)ため、ようやくここで食べることができた。おいしかった。食べたあとは子どもたちはアスレチックで遊び、ゴーカートでデッドヒートを繰り広げた。


 両親は下半身に明らかな、根深い、数日続くことが確実視される疲労を感じ、要所要所でひたすらベンチを見つけ、座った。こどもの国で、大人はひたすら座るのだ。
 つづく。

鳥取旅行2021晩秋 ~地獄と天国の砂丘~

 旅行する。1泊2日の家族旅行である。帰省以外の、家族水入らずの旅行は、実はこれが初めてだ。
 目的地は鳥取砂丘。鳥取砂丘って中国地方に縁などなかった時代から気になるスポットだったが、岡山からも島根からも、近くて遠く、日帰りもできないことはないのだが、なんとなく踏ん切りがつかない距離感で、これまでずっと行けずにいた。それが今回、子どもも大きくなったし、車も長距離移動がしやすいものになったし、レジャー欲の高まりもあるし、後述するがキャンペーン特典もあったりで、いよいよ機が熟した感、今しかない感が極まり、ようやく念願が果たせた次第である。
 土曜日の朝に家を出発する。子どもたちも今回のイベントをとても愉しみにし、この1週間はせっせとオリジナルのしおりを作ったりしていた。誰の影響であろうか。天候は、1週間前には日曜日に雨マークがついていて戦々恐々としたが、当日が近づくにつれて、週間予報としては珍しいことに予報が後ろにずれて、土日はなんとか持ちそうな情勢になった。子どもたちがてるてる坊主を作った成果かもしれない。2021年でも子どもはてるてる坊主を作る。
 行きは高速道路を使い、一路鳥取砂丘を目指す。鳥取砂丘は、島根県と同様に横に長い鳥取県の右端にあるため、その道程はまさに横断である。ちなみに考えてみたら、そもそも僕は鳥取県に足を踏み入れるのが、特急やくもに乗って通り過ぎるのをノーカウントとしたら、実は今回が初めてのことなのだった。岡山にしろ島根にしろ、長らく鳥取県は僕にとって隣県であり続けているというのに、意外とそんなものだ。
 途中、大山の近くの道の駅で休憩を取った。もっとも雲が多く、大山の名を謳う休憩スポットでありながら、大山の姿を拝むことはできなかった。それから羽合であったり、青山剛昌記念館であったり、ほうここがあの、みたいな土地を通り過ぎて、11時頃に砂丘へと辿り着いた。憧れの地というと大袈裟すぎるが、鳥取砂丘という場所に自分の身が在るというのが、なんとなく不思議な心地がした。やはり全国的な観光地なだけはあって、おみやげ屋が林立し、大型バスが乗り入れ、それなりに大勢の人がいた。
 駐車場から少し歩き、人の流れに沿って階段を上がると、その先が砂丘だった。鳥取砂丘鳥取砂丘というけれど、少しイメージを膨らませ過ぎているのではないかという疑いがあり、広大に見える写真とかも、賃貸物件の画像のように、そういうふうに写るよう撮っているだけではないかと、わざわざ何時間もかけて行った自分ががっかりするはめに陥らないよう、心に予防線を張っていたのだが、ぜんぜんそんな心配はなく、砂丘はちゃんとすごかった。砂と傾斜しかない、あまりにも広い空間は、現世とはまるで違う世界だった。


 写真中央手前にいるのがポルガとピイガだが、そんなことよりも注目すべきなのは、奥にある通称「馬の背」と呼ばれる盛り上がりである。豆粒のような人々が登っているが、この坂の角度たるや、とんでもないのだ。45度を軽く超えている、と書こうとして、いちおう検索をかけておくか、と思って検索したら、鳥取県の公式ページの紹介文に、「最大傾斜が32度」とあった。おかしいな。たまたまこの日だけ異常な風が吹いた結果、ありえない傾斜になっていたのではないだろうか。体感として55度くらいあった。
 体感と書いたのは、われわれも頑張って登ったからだ。子どもたちはすいすいと登ったが、僕とファルマンは決死の思いだった。登り始める前から、これはつらいだろう、中腹あたりで、行くも地獄戻るも地獄みたいな事態になるだろうと予期していて、写真右方にあり、ヤラセのようにひとり登ってくれている、もう少しなだらかなコースから行こうかとも思ったが、しかしせっかく鳥取砂丘まではるばる来たのだからと一念発起して挑戦し、果して中腹あたりで「これは地獄だ」「ここは地獄」「地獄ってこういうことなんだ」と嘆き合いながら、それでもなんとか登り切った。人工物がないこともあり、鳥取砂丘は精神世界めいた雰囲気があるため、全編を通して天国のようでもあったし、地獄のようでもあった。人生観が変わったとまではいわないが、文明社会で生活している限りはあまり感じない、一個の人間としての生きることと死ぬことに、少し思いを馳せさせられた。ファルマンは「地獄に落ちたくないから善行をして生きていこうと思った」といっていた。それほどの体験だった。


 登った先には日本海が広がり、砂の具合もよく、人口密度も下がり、ご褒美としてフォトジェニックな風景が広がる。左からポルガ、僕、ピイガ。なんとなく芸術作品のような写真になった。こういうのがいくらでも撮れる。子どもたちは、このあとまた車に乗るんだからもう少し気にしろよ、といいたくなるくらい、砂まみれになって遊んでいた。
 つづく。

サウナについて思う ~仮面の告白~

 思えば21歳くらいの頃、タバコに関しても、なんとなく惰性で吸っていたのを、あるとき急に、俺は他の人たちほどは、タバコの美味さを享受していない気がする、と気が付いて、それから一気に吸う気がなくなり、やめた。やめたらやめたで、ぜんぜんタバコが恋しくなくなって、ああ本当に、別に正式に必要としていたわけではなかったんだな、と少し驚いた。
 いまサウナに関しても、それと同じムードを感じている。
 「ととのう」というのがあるだろう。今年の新語・流行語大賞にもノミネートされた、サウナブームのきっかけとなったといってもいい言葉。サウナ、水風呂、外気浴を繰り返すことで、血流がよくなって、頭が覚醒し、パーッと蒙が啓かれたような状態になることを指すが、実をいうと僕は、本当にきちんと「ととのう」を実感したことはない。ああこれかな、と思う瞬間はあったが、それというのは意識が飛ぶような、地上にありながら少し浮遊するような、そういう感触であって、これをさらに高めれば「ととのう」ということなのかもしれないとも思ったが、だとすればそれって、クスリであったり、首を絞めて意識を失う直前であったり、なんかそういう、少し危険な状態なのではないかとも思った。本当の「ととのう」は違うかもしれないが、どちらにしろ僕はどうやらそこには到達できないようだ、と諦観している。
 そして意識が飛びそうになる、その気配にある種の快感を覚えるという意味なら、僕の場合サウナよりもプールのほうが、手っ取り早く到達できる。トレーニングって結局マゾヒズムなので、もう既にかなり苦しい状態で、なんとか端まで泳ぎ着いたあと、立ち止まって呼吸を整えるかと思いきや、止まらずタッチターンをしてさらに25メートルの旅に出るとき、体は「マジかよ!」と嘆くと同時に、意気を感じるのか、普段の生活では決して引き出されない、なんかしらのものがみなぎるのを感じる。それが僕にとっての「ととのい」なのではないか、というようなことを思う。だからプールはいい。
 それで、前の記事の終わりに引っ張ったが、それだのになぜ僕はこれからもサウナに行かないこともない所存なのか、である。サウナそのものでは、もちろんそれなりの気持ちよさはあるものの、そこまで特別な快感を得られないのに、なぜわざわざサウナに行くというのか。
 それはずばり、裸になるためだ。
 僕はととのえない、ということを喝破する前から、僕はもともと、サウナにおいていちばん大事なのは外気浴だと感じていた。サウナ室の香りであるとか、湿度であるとか、水風呂の温度であるとか、そういうのはそこまで重要ではなく、とにかく外気浴がどれだけ開放的かという、いいサウナの基準は主にそこにあった。そうなのだ、僕はサウナにかこつけて、外で裸になりたかったのだ。
 つづく。

おこめとおふろ

 今週は土曜日も労働だったし、日曜日の今日もファルマンには仕事があったため、午前中に僕と子どもらと3人で近所に買い物に出たほかは、家でのんびりと過した。思えば10月からの年季明けで、あんまりにもはしゃいだと思う。毎週のようにレジャーに繰り出していた。来週は来週でもう既に予定が入っているため、今週くらいはちゃんと休もうと思った。
 買い物は食料品を中心に、まあまあいい具合に買い回れたと思う。毎月の食費が、月末になるとなんだかんだで苦しくなるので、今月からは日々の買い物の記録を取るようにしていて、意識が高まっている。レコーディングダイエットというのがちょっと前に流行ったが、なるほど記録するだけでこうも効果があるものか、と驚いた。食費を30日で割った数字と、実際の残りの食費を月の残り日数で割った数字が、日々激しい攻防を繰り広げている。葉物野菜の値上がりはすっかり解決して、白菜やほうれん草、ネギなど、むしろ普段よりも安いくらいで嬉しい限りだが、油や卵がじりじり高まっていて、なんとももどかしい。
 ちなみに世間で評判の良くない18歳未満の子どもへの給付金だが、差別だの、子どものいない困窮者に支援が届かないだの、いろいろいわれているものの、もらえる身からいわせてもらえば、そんなことは知らん、そんなことは政治家とか活動家が考えればいいことであって、われわれは単純に、やっほい嬉しい、てなもんだ。なんの引け目もない。引け目を感じるいわれも一切ない。もらえない立場だったら、それはやっかむだろう。それだけのことだな。
 午後は筋トレをしつつ、午前中にダイソーで買ったものの整備とか(サプリメントを入れるタッパーなどを買った)、そして今度作ろうと思っている商品の裁断などをして過した。ファルマンが仕事をしていると、すぐそばでミシンを踏むことは、うるさいのでできない、というディレンマがわれわれ夫婦にはある。夫婦にあるというか、僕にある。ファルマンが仕事をしているときに僕がミシンを踏むことは許されないが、僕がミシンを踏んでいるときにファルマンが仕事をするのを僕は(器が大きくて鷹揚なので)気にしないから、ディレンマは一方的である。いまファルマンは、早くも年末進行で忙しい時期に入りかけていて、連日のように仕事をしているため、僕はあまりミシンができずにいる。
 晩ごはんは、安かった白菜でクリーム煮を作った。あたたかく、おいしかった。
 晩ごはんのあとは自分で事前に洗っておいた風呂にいちばんに入り、ゆったり浸かる。最近ヘアパックをする習慣がついていて、今日もやった。髪にヘアパックを塗って湯船に入り、先日図書館でもらったTarzanを読んだりしている。もらった雑誌って、お風呂で読むのにすごくちょうどいい。それにしてもヘアパックしながらTarzan読むなんて、なんかOLみたいだな、と思う。OLってすごく言葉として古く、そんなことはもちろん分かっているのだが、この状況をいい表わすのに、OL以外の言葉を知らない。

サウナについて思う ~永すぎた春~

 労働の帰りにプールに寄る日々を復活させた。幸いなことに、ここ島根でも、通勤のルート上にプールがあるのだった。ありがたいことである。
 プール通いはもちろん運動不足の解消が主たる理由だが、久しぶりにがっつりひとりで泳ぐということをして、運動以前に、気分転換とか、リフレッシュとか、そういう精神作用も含め、要するに僕は泳ぐのが好きなんだな、ということをしみじみと思った。それが同時に運動不足の解消および筋トレになるのだから、いいことづくめである。
 そんないいことづくめのプールを再発見して、ふと思う。
 サウナってどうなのかと。
 ちょっと前からうっすらと、サウナに対する不信感というか、疑いが生じている。どうも自分は、実はそこまでサウナの快楽を享受していないんじゃないかと思うようになった。先日、サウナに関する書籍を図書館で借りて読んで、それで余計に白けた気持ちなってしまった、というのもあるかもしれない。借りて読んでおいていうのも何だが、そういえば僕は、人の好きなもの、人が愛を語るものが、好きじゃないのだ。もっともサウナに関しては、「俺はひっそり好きだったのにブームでにわかが増えてうんざり」ということでは決してなく、思いっきり、おととしあたりからのブームに乗っかってサウナに傾倒した口なので、それでいて「サウナ好きが多すぎてウザい」もなにもあったもんじゃない。
 しかし、これはブームの時期的にもジャンルの雰囲気的にも、大いに共通するところがあるが、キャンプブームというのもあるだろう。これに関して、夏にTwitterにアップしていたヒットくん漫画の中で、「キャンプはもはやオシャレでもなんでもなく、ゴルフの様相を呈し始めている」ということを主張したが、サウナもまた、だいぶそのムードがある。というか、そもそもサウナは、ゴルフとおっさんとワンセットのものだったはずで、それが昨今、北欧にかこつけて、ちょっとシャレオツなものであるかのような扱われ方をし、そしてブームになったわけだが、自分自身それに乗っかってひとしきりサウナを味わった結果、まあ結局サウナというのは、おっさん趣味のものであり、そんないいもんじゃない、という結論に至った。
 こんなことをいうと、それは本当にサウナの良さに気づけていないだけ、入り方が間違ってる、あるいはいいサウナを知らないのだ、なんてことをいわれそうだが、別にそれに対して反論をする気持ちもない。サウナを偏愛する人のことは、それはそれでいいと思うし、その人たちはサウナで僕よりもはるかに大きな快楽を得るのだろうと思う。僕はそうではなかった。そんな結論がこのたび出た。それじゃあプール通いも始まり、僕はもうサウナには行かないのか、といえば、実はそんなこともない気がする。なぜか。なにを求めて僕はサウナに行くのか。それは。
 つづく。

高所作業車とサヒメル

 土曜日はまず、山にごみを棄てに行った。人聞きが悪い。ちゃんと、市の正規の手段のやつだ。山の中にある、持ち込みの出来る集積場に、模様替えによって出たものや、期せずしてそのあと発生した故障電化製品などを車に積み、持って行った次第である。入口ゲートで車の重さを計り、場内で係員の指示に従って積み荷を降ろしたのち、出口ゲートで再び重さを計り、軽くなった分の重量、すなわち廃棄した物品の重さ分だけ、代金を払うシステム。100円くらいだった。岡山からの引っ越しの際にもこういう施設を利用したが、いちどやると、300円なり500円なりの粗大ごみ券を買って取りに来てもらうのが、すごく馬鹿らしくなる。棄てるものたちは、模様替えから今日まで、仕方なく廊下の端に置きっ放しになっていたので、それがなくなってとてもすっきりした。家電がダメになったタイミングも実によかった。
 ごみを降ろしたあとは、軽くなった車で多伎へと向かう。この日に、多伎図書館において貸出期間を過ぎた書籍や雑誌の無料配布が行なわれるという告知を目にし、ぜひ来ようと思っていたのだった。行ったところ、2年くらい前のものだが、ポルガの好きな「るるぶ」や、僕の期待していた「Tarzan」などが箱の中にあったため、ホクホクしながらもらう。普段、図書館で本を借りて読むだけで、だいぶ得した気持ちになっているが、もらい受けるなんて丸儲けだな、と思う。図書館はそれだけの予定だったが、図書館と併設する多伎のコミュニティセンターでは、ちょうど多伎町の催し物が行なわれていて、町民の絵画や写真、手芸や習字などの作品が展示されていたり、交通安全の啓蒙キャンペーンなんかが繰り広げられていた。もっとも先週の出雲ドームのイベントに較べて、とても小規模でこじんまりとしたものである。しかしその中に、「高所作業車体験」というコーナーがあり、駐車場の一画に停められた高所作業車のバスケット部分に乗り込み、アームを伸ばしてもらい、その高さを体験できる、というもので、待ち時間なく乗れるようだったので、ファルマンには撮影係を依頼し、僕と子どもたちの3人で乗ることにした。これまで明確に高所作業車に憧れを持ったことはなかったが、滅多にできない体験であることは間違いない。ぜんぜん知らないで来たが、これはいい時に来たなあと喜びを感じた。しかしそんな気持ちを抱いたのはアームが伸びはじめて5秒目くらいまでのことで、だんだん視界が高くなるにつれ、そういえば自分が極度の高所恐怖症であるということが思い出され、去年の夏に日御碕灯台に行った際も、長い階段を昇った末に、てっぺん付近にある展望テラスに出られるようになっているのを、僕だけが恐怖のあまり一歩も外に出られなかった、という出来事があったが、それなのになぜかいつも、むしろ率先して、高い所に行く企画に参加してしまう。参加して、少し日常から逸脱した高さを感じると、すぐに足が竦んで猛烈な後悔の念を抱く。今回もまさにそうだった。多伎なので、海のすぐそばである。急な浜風が吹くやもしれないじゃないか。そういう安全対策を、果してこの企画は想定しているのだろうか、などと不安に駆られる。子どもたちはまるで平気そうで、ああこの娘たちには生命にとってとても大事ななにかが欠落している、と思う。実際、アームが高くなるにつれ、わりと風で揺れるのだ。とても立ってられず、しゃがんでしまう。あとからファルマンに、「ひとりしゃがんでたけど、あれってどういう意味? 落ちたときしゃがんでると意味あるの?」と半笑いで指摘された。「ここがてっぺんです」と操縦者の人がいい、ああこれでやっと地上に降りれる、と安心したら、「じゃあここで360度回転しますね」と悪魔みたいなことをいいだし、嘘だろ、もう伸びきった時点でアームの限界は超えてるだろ、酷使させすぎだろ、浜風なめんなよ、ポキッと折れるぞ、と思うものの声も出せず、しゃがみこんで震えながら、さらにゆっくり回転するという、地獄のような時間を過した。


 いや、怖いって。マジで。これがゆらーり揺れるのだ。怖すぎるだろ。今後、街で高所作業車を見かけたら、作業をしている人に心の底からの敬意を示そうと思った。
 明けて今日は、天気が悪いという予報もあったので、家でのんびりする予定だったのだが、蓋を開けてみたら晴天で、あれ?となる。雨だから行けないねと、週間予報を見て諦めていた、三瓶山のサヒメル行きが、にわかに息を吹き返す。サヒメルでは現在、ポケモンと化石の特別展をやっていて、うちの子、特にピイガはいま、ポケモンにだいぶハマっていて、せっかくの機会なので連れて行ってやろうとは思っていたのだが、期間は来年の1月までと長いので、慌てて今日行かなくてもいいのだが、しかし行こうと思えば行けるなあと悩み、ホームページなどを眺めていたら、ススキで作った迷路という催しが、これはもう季節的に今週末で終わるようで、じゃあもう行っとくしかないか、となって行った。三瓶山およびサヒメルは、先日の国営備北丘陵公園と同じで、第一次島根移住の際に行ったことがある。向こうは8年ぶりだったが、こちらは2012年11月のことなので、なんと9年ぶりだ。ポルガ1歳。まだピイガもお腹にいなく、完全にひとりっ子の時代である。その頃に較べてポルガは、体は大きくなったが、中身はまったく変わっていないような気がする。9年ぶりの道のりは、すっかり忘れていたが、やはり山なのでなかなかのもので、「凍結注意」の看板も多数あり、1月まで特別展をやっているから焦る必要ないな、などと甘く見ていたが、今のうちに行っといて本当によかった、と思った。ススキのおかげだ。
 行くまでの道はとても空いていて、サヒメルに行く人間なんてわが家くらいなのかな、と思ったが、到着してみたら駐車場は満車で、臨時駐車場に停めなければならなかった。不思議だな。どうしてあんなに道は空いていたんだろう。下から登ってきたのはわが家くらいで、あとはみな、天上から降りてきた方々だったのかな。館内も人が多く、これはこれは、と思ったが、入館料を払ってちゃんと中に入ってみると、人が本当に多いのは館内入ってすぐのポケモンの特別展の物販コーナーだけだ、ということに気づいた。それ以外の場所は、そこそこの感じだった。
 肝心の、というわけでもないが、ポケモンの特別展は、別におもしろくないというか、現実の古生物と、ポケモン世界の古生物(かせきポケモン)の比較をしていて、これを子どもが見たら現実と創作が混乱するのではないかと思った。それよりも普通の展示のほうがおもしろかった。9年前からリニューアルしている部分も多くあるようで、「これが危険生物だ!」という煽りで中を覗くと顔の写真を撮られ、地球にとっていちばんの危険生物はあなたを含む人間なんだよ、といわれる、あの気分の悪いコーナーはなくなっていて、体験型のクイズコーナーになっていて、けっこう愉しめた。館内をひと通り巡ったあと、物販コーナーでピイガにねだられ、発掘ピカチュウのぬいぐるみを買わされる。2300円。高い。いうまでもなく、ぼってる。キャラクターはつええな、としみじみと思う。2300円……。
 そのあとは臨時駐車場に戻り、野原でお弁当を食べたり、ススキの迷路をしたり、キャンプ場のほうへ行ってアスレチックをしたりした(9年前が思い出されて懐かしかった)。そしてこれもまた備北丘陵公園と同じで、前回はとてもアスレチックどころではなかった(ひとりは存在さえしていなかった)子どもは、今回スイスイとアスレチックをこなし、そして前回は子どもの代わりにアスレチックをしたり、それなりに体を張った親は、すっかり体が重たくなっていた。親は9年が経過したことによって、自然を愛でる心が強まったようで、ほのかに色づく三瓶山を仰いで、ほーう、と感じ入ったりした。もうすっかりそっち側だ。山野草とか愛でたい。
 

 そんな感じの9年ぶり三瓶山およびサヒメルだった。返す返すも、秋のうちに行っておいてよかった。

家電の文化

 文化の日である。週の真ん中、水曜日の休みである。ハッピーマンデーで移動する祝日と、移動できない祝日の区別がわからない。たぶん検索するとわかるのだと思うが、あえてそうまでして知ろうとも思わない。週の半ばの休みはもちろん嬉しいが、今週はそれのおかげで楽だと油断していたら、リズムが崩れて意外としんどい1週間になったりするので注意が必要だ。
 今日はもともとレジャーの予定も特になかったところへ、炊飯器がどうもよくない、せっかくの地元産の新米なのに十全においしく喰えていない気がする、と買い替えの必要性を感じていた矢先、おとといの晩に電子レンジがウンともスンともいわなくなる、という事態まで発生したため、今日はどうしたって電器屋へ行かなくちゃならない、ということになった。家電って、よくいわれることだが、本当になぜか連鎖してダメになる。本当になんでなんだろう。
 炊飯器は、年式はそこまで古くないが、義父が単身赴任をしていた頃に使っていたのをお下がりでもらい受けたもので、近頃は底面に接する部分が、おこげというわけでもなく、ただ焼け付いて茶色くなるという症状が出ていて、子どもの頃、実家の炊飯器も、そうなったので買い替えたことがあり、それはつまり炊飯器の末期症状なのだと思う。電子レンジは、なんと僕が実家を出たとき、すなわち22歳、16年前に使いはじめたもので、そう考えれば実に長く持った。ここまで長く使えたのだから逆にめでたい、天寿を全うしたな、といいたくなるほどだ。どちらもこれまで隣り合って位置し、ともに台所を盛り上げていたが、寄る年波には勝てず、今シーズン限りで引退ということになった。今後は指導者としての手腕に期待したい。
 さて買い物の顛末だが、はじめからなんとなく予期していた通り、電器屋の商品は軒並み高価格で手が出ず、どちらに関してもそこまでのこだわりがあるわけではなく、ごはんが5合炊け(普段5合は炊かないが)、そしてオーブン機能付きのレンジであればそれでいいので、そういうのって案外こういうお店のほうがいいかもね、という感じで行った、食料品から医薬品、衣類から家具から家電まで売っている大型ディスカウントストアで、まさにこちらのそんな希望に適う商品を見つけ、ふたつとも無事に購入することができた。よかった。ネットで家電を買うの、なんだかんだでわりと面倒なので、お店でいい具合のものを買って帰れるに越したことはない。ふたつ併せて、ほぼちょうど3万円。思っていたよりだいぶ安く済んだ。
 そんな新しい調理家電を用いて、今晩の献立はハンバーグ。やっぱりごはんのおいしさがぜんぜん違う、ような気がした。なにぶんこの半月くらいは、本当にパサついて、つややかな感じに炊き上がっていなかった。だから、おいしさがぜんぜん違う、ともいえるし、このよろしくなかった半月間よりも前の状態に戻れた、ともいえる。壮健な炊飯器の炊き上げるごはんの、そこから先の品質のことは、正直いってよく判らない。