そしてパピロウは11月へ

 パピロウあるある。10月や11月はcozy ripple新語・流行語大賞のために過去の日記を読み返しているので、回顧したり、当時の状況と今の状況を較べたりしがち。
 今年は近所のスーパーで、カマスが阿呆みたいな安値で叩き売りにならなかったな、去年ほど豊漁じゃなかったんだな、と半月前くらいに残念がったのだが、そのあと去年の日記を読み返していたら、去年その買い物をしたのは10月下旬のことで、なんだこれからか、と安心した矢先、図ったかのようにスーパーの店頭には、去年に匹敵する阿呆みたいな値段のカマスが並ぶようになり、大喜びで購った。本当に安いのだ。最近やけに高いシシャモと、1尾あたりの値段が同じくらい。信じられないコスパである。
 去年と同じ事柄として、今日は多伎町の図書館のリサイクル市と、町民文化祭へと赴いた。そして去年と同じく、僕は「Tarzan」のバックナンバーを、ポルガは「るるぶ」を無事にゲットする。狙っていた号が手に入ったので本当に嬉しい。文化祭を冷やかしたあとは、屋外の駐車場で行なわれていた、特殊車両の展示イベントにも顔を出す。去年、高所作業車に乗って、恐怖体験をしたイベントである。今年も高所作業車は来ていて、もちろん僕は(ちんこが大きいこともあり)乗るつもりはなく、ファルマンに「今年は君が子どもたちと乗ったらどうだ」と提案したのだが、「やだよ」と無碍に断られた。その代わりに今年は、除雪作業車であったり、河川パトロールカーといった車に、子どもたちとともに乗り込んだ。なかなか愉しかった。多伎のこのイベントはいいなあ。来年も行こう。
 今日はそれで終わりではない。そこから一路、出雲ドームへ。これも去年と同じイベント、産業博が執り行われているのだ。去年は、産業博は今年と同じ10月最終週、多伎町のほうが11月の第1週と、ばらけていたのだが、今年は同日開催で、僕が今週は土曜日まで労働だったこともあり、なかなか忙しい立ち回りをするはめになった。
 産業博は、多伎町の文化祭よりもだいぶイベントの規模が大きく、人出があった。人出があると言ってもたかが知れてるのだが、しかしこういうのって、行列慣れした都会ならば整然と並ぶところを、ふだん行列などほとんどしない地方民は、並ぶとも並ばないともなく、ほんのり窓口のあたりに群がりがちで、そのぐじゃっとした感じがどうも僕は苦手なのだった。しかし子どもたちはそれなりに愉しんだようなのでよしとした。
 それから買い出しもして帰ったので、帰宅はだいぶ遅くなった。慌ただしく焼きそばを作り、昼ごはんとした。午後はようやく筋トレや裁縫ののんびり時間。来週は休みが多いので、たっぷりこういう時間が取れたらいいと思う。ところで筋トレはトレーニングベンチを使って行ない、裁縫はショーツ作りだったのだが、1年前は、トレーニングベンチはまだ持っていなかったし、ショーツも1枚も作ったことがなかった。ジョニファー・ロビンももちろんいない。今の暮しから考えると、にわかに信じられない。お正月がちょっと前の出来事のように感じられたりして、1年はとんでもなく早いと思う一方で、1年でけっこう変化したことは多いな、と驚いたりもする。「トレーニングベンチもなく、ショーツも作らず、1年前の俺はなにをしてたんだろう」とファルマンに訊ねたら、「なんやかんやしてたよ」という答えが返ってきた。そうだろうな。なんやかんや、してたな。
 晩ごはんはピザ。前に作ったときからだいぶ間が空いたな、と思ったが、前回は9月中旬なので、実はそうでもない。今回もおいしくできた。年末年始、義妹一家なども実家に来たとき、ふるまえたららいいな。賞賛されたいな。
 日本シリーズが終わる。3戦目までの段階で、間違いなく今年もヤクルトだと思っていたので、まさかの展開だった。去年、今年と同じくヤクルト対オリックスだった日本シリーズの開幕戦を、鳥取旅行の宿泊先のオーシャン(の部屋とサウナ)で観たことは、とても思い出に残っている。1週間ほど前の、今年のシリーズ初戦の際、あれから1年かー、などと思ったのだが、実は去年というのはコロナやオリンピックの関係でペナントレースが延び、今年よりも1ヶ月ほど遅れて進行していたのだった。だから実は、11ヶ月前である。そして冒頭でも述べたように、大賞の関係で僕は11月に1年間を区切りがちなので、だとすれば去年の11月から今日までという1年間で、僕は2回、日本シリーズを観たということになる。対戦チームが一緒なので、いっそう不思議な感じだ。去年と今年は、淡く同じで、淡く異なる。なにもかもが、だいたいそんな具合で、移り変わってゆくのだな。

秋ガニ

 秋の心地よい季節である。今日は爽やかというには少し暑いほどだったが、でもよく晴れた。小さな地方都市でも、ここぞとばかりにいろいろな催し物が開かれていた。そのひとつに、実家から誘いが来て、ファルマンと娘たちは出掛けて行った。僕は今週が土曜日も仕事だったこともあり、誘うとも誘わないともない自由参加の感じだったので、行かないという選択をした。というわけで午前中は家でひとりでのんびりと過した。家でひとりで過すという時間が、僕には本当になくて、もしかすると今日の午前のこれは、正月以来ではないかと思った。というわけで前夜からワクワクしていたのだけど、いざその時を迎えてみれば、やったことと言えば筋トレと、生地の裁断と、まあ多少いつもより堂々と勃起したりすることくらいで、そこまで堪能できた実感はなかった。もっとも、どうすれば十全なのかは自分でもよく分からない。
 昼過ぎになり、ファルマンから帰宅がどのくらいになるか、昼ごはんをどうする感じか、メッセージが届く。その中に、「ピイガがくじ引きで1等のズワイカニを当てた」という文言があり、目を見開いた。なかなかのパワーワードである。カニにもいろいろなカニがあり、山陰ということもあるのか、そこらへんのスーパーで、それなりの大きさのカニが意外な安価で売られていることもあるが、しかし逆に言えば、そんなカニに驕っている地域のくじ引きで1等賞品とされるカニである。いったいどんなものがやってくるのか、ドキドキしながら帰宅を待った。
 しばらくして帰ってきたピイガは、カニの箱を抱えていた。箱である。なんかギフト用の、きちんとした箱だった。見ると巨大で生々しいカニの脚が、ごそっと入っていた。それでも今日の買い物のスポンサーである実家と山分けした結果だという。たいへんいやらしい話であるが、箱の画像をアプリケーションを用いて検索したところ、なかなかの販売価格で取引される品物だった。ピイガは前々から、くじ運がいいとされてきたが、いよいよ今回のことで確信へと変わった。ハロウィンジャンボ買わなきゃ!
 冷凍庫にはとても入らないので、今晩食べることにした。というわけで夕飯のメニューはカニ鍋となった。まさか今晩、わが家の献立がカニ鍋になると、誰が予想しただろう。人生っておもしろいな。ちゃんとした値段のするカニは、なるほど水っぽくなくておいしかった。子どもたちはきちんとカニを食べるのは初めてだったろう。おいしくて大興奮、というほどのリアクションでもなかったが、それなりに食べていた。親はほぐすのに必死だった。カニの殻、めっちゃ固い。おいしい代わりにめっちゃ固くて、苦労と美味しさがきちんと比例する食べ物だな、と思った。カニ鍋ののち、雑炊。日本酒と合わせ、至福の時間だった。至福の時間だったが、個人で買った場合の値段と照らし合わせて、値段ほどの幸福は得られないなあ、とも思った。金額が、一食で得られる最大の幸福量に見合う数字を、どうしたって超えてしまっているのだ。こういうのを、舌が安いというのだろう。でも自分で支払ったんじゃなくラッキーで手に入れたものなので、なんの憂いもない。幸せでした。

山陽福山

 ようやく台風が来なかった3連休、しかし後半は天気がぐずつくとのことなので、初日の土曜日に、かねてより行こうと思っていた福山市立動物園へと繰り出した。これまでに、2014年9月と、2019年2月の2回行ったことがある。しかしその2回は、どちらも倉敷からだった。倉敷から福山は、1時間かからない。そして倉敷と島根がだいたい3時間なので、つまり今の住まいから福山市立動物園に行こうとすると、2時間ちょいかかる。2時間ちょいと言えばずいぶんなお出掛けだが、3連休だし、なにより遠出したい欲があった。実は山陽に移動することそのものが目的だったのかもしれない。実際、道が懐かしかった。広島市に行った際、三次までは同じ道を使ったが、そこから先は本当に久しぶりに走った。島根に再移住をしてぼちぼち2年になろうとするが、ここまで岡山にまるで行かないようになるとは思っていなかった。
 尾道北のインターで降りて、あとは地道。動物園は山の中にあり、倉敷から来たときとは、なるほど反対の道(以前までは東から西の道、今は西から東の道)から自分たちがたどり着いたので、なんとなくおもしろいものだと思った。
 福山市立動物園には大型遊具のある公園が併設されていて、子連れにとってこの公園をどう扱うか、動物園の前に遊ばせるか、あとに遊ばせるか、毎回わりと悩ましいところで、わが家は1回目は先に遊ばせ、しかしその結果、公園でお腹がいっぱいになってしまった反省を生かし、2回目はあとということにしたが、動物を観ながらも公園のことばかり気にするのでこれも失敗で、結局のところ正解はない(動物園の横に公園なんてないのが正解)ようなので、今回は子どもの希望に合わせ、先に遊びたいと言うので遊ばせることにした。それはいいのだが、この公園に関して今回、この公園ってこんなに小さかったっけ、ということを強く感じた。こじんまり、というほどではないにせよ、そこまで大規模な公園でもない。なんだか意外だった。もっと大きいような気がしていた。ポルガもそう感じたようで、子どもならば、それだけ自分たちが小さかったってことだよ、となるのだが、僕は2014年の初来訪の頃から大人だったではないか。強いて言うなら、当時よりちょっとだけ筋肉がついた。そのせいだろうか。筋肉がついたことによって、僕は世界のすべてが以前よりも些細なものに見えるようになったのだろうか。
 公園でひとしきり遊んだあと、動物園に入る。3度目なので、配置はだいたい記憶している。相変わらず、必要最低限の要素がぎゅっと凝縮された動物園だ。ものすごく見応えがあるわけではないが、ズーラシアのことなどを思えば、これでいいんだよな、という気もするのだった。
 動物園を出たあとは、福山市街へと向かう。今回は動物園に加え、福山城もコースに組み込んでいた。組み込んでいたのだが、天候のことなどもあって、前日の夜に行くことを最終決定し、福山城のホームページを見たら、城内の見学はコロナ対策として予約制で、前日の午後3時までに申し込まなければいけないとのことで、時間切れだった。それでも当日枠もあるということなので行ってみたのだが、一切の慈悲もなく「本日の受け付けは終了しました」というお知らせが掲示されており、城の外観を眺めながら恨めしい気持ちになった。広島城がぜんぜんそんなことしてないのに福山城がこんな制限をするのかよ、と若干の憎々しい気持ちが禁じ得なかった。下の広場には、「中入れないんだって」「ダメなんだって」などと語り合う人々が多くいて、こんなに無碍に客を拒むだなんて、殿様商売だなー、などとうまいことを思ったりした。
 これで帰宅ではまだない。最後にサファ福山というショッピングセンターへと立ち寄る。前日の検索によって、ここにはファルマンが倉敷時代にこよなく愛していた(家のものすごく近所にあった)セイムスというドラッグストアがあり、さらには僕が倉敷時代にわりと愛していたエブリイというスーパーがあることを知り、どちらも山陰にはないので、せっかく山陽に出てきたのだから行くしかないとなったのだった。それぞれで微妙にテンションを上げながら買い物をし、さらには同じ敷地内にあった西海岸という古着屋(これは倉敷時代にも馴染みがなかった)にも行ってみて、先日ユニクロで買えなかった子どもたちの服を何枚か買った。わりとよさそうなものが手に入り、行ってよかったと思った。
 そんな福山行きだった。城はまったく残念で、なんかもう今後またわざわざ福山という街に赴く機会はあまりないんじゃないかという気もするので、縁がなかったのだな、と思う。次の山陽行きは、いよいよ倉敷だろう。ポルガと未だに手紙などでのやりとりを続けてくれているダイアナと、久々の再会をさせてやりたい。僕も当時の近所のスーパーなどを巡ったりしたい。そのうちできればなあ。

終盤に入りました

 10月に入る。9月は早かった。8月が終わり、前のめりで区切ろうとした夏が、しかし日中を中心に意外と何度も顔を出し、二度の3連休と台風が訪れ、そして誕生日を迎え、夏と秋、平日と休日、平穏と怒涛、38歳と39歳が、入り交じり、なにも確定しないあわいの中を、漂うように、過すともなく過していた。なんだかそんな9月だった。プールは7回。射精は非公開。
 衣替えはまだなのだが、しかし子どもの秋冬服を調達しようじゃないかと、日曜日はユニクロに赴いた。ポルガはなんならもう子ども服ではなく大人用のSサイズでも十分いけるね、なんて話しながら、ユニクロに行けば服はなんとかなるだろうという期待を持って行ったのだが、店に並んでいるもののあまりのつまらなさに衝撃を受けた。ユニクロって、前からあんなにも、機能性だけの、ほとんど人民服のような、つまらない衣類ばっかりだったっけ。それでいて値段もそう安くないし、なんで当世これほどの存在になっているのか、今の姿からは説明がつかないと思った。
 帰宅後、午後はハンドメイド。9月さんざん作ったショーツではさすがにない。ピイガに頼まれたペンケースの、試作をした。この夏、みどごTシャツをさんざん着倒したピイガは、生来の性格と、加えて時期的なものもあるのか、他人と被らないものに重きを置いているようで、そこへちょうど、ハンドメイドが趣味の、工業用ミシンを保持している父親がいるため(いるからこそかもしれない)、新しいペンケースも当然の帰結として、手作りを所望するのだった。というか、そもそもこれまでも、minneに出品したボックスポーチを使っていた。ちなみに試作と言ったのは、ボックスポーチのような、簡単なものではなく、ちょっとややこしい機構のものだからで、首尾はどうだったかと言えば、まあまあうまくできた。なので次は本番用の生地で作る。作ったら「nw」で紹介しようと思う。「試作はうまくできたから、まあ年内には完成させるよ」と言ったらキーキー怒っていた。
 10月に入ったら始めると宣言していたインスタグラムを、約束通りとうとう始めた。ブログとは勝手が大きく違い、戸惑うことばかりである。今日まで3日、連続投稿している。年内は連続を継続させたいと思っている。
 今年が残り3ヶ月になったのだな。