ポルガ13歳

 ポルガの誕生日祝いを無事に執り行なった。13歳である。中学生という生き物は、13歳~15歳を指す印象があるので、これでやっと名実ともに中学生になったな、という感じがある。 
 誕生日祝いの日の晩ごはんは、定番のたこ焼き。いつもより1.5倍多く作り、実家にもお裾分けした。少し前に、生地の中に細かく刻んだちくわを混ぜるとおいしくなるというライフハックをネットで目にしたので、今回それを初めてやってみた。いつもよりおいしくなったような、いつもどおりのおいしさのような(そもそものレベルが高すぎるのかもしれない)。具のひとつで、カットしたちくわの穴にとろけるチーズを入れたもの、というのがあるのだが、今回は生地にちくわを使用したため、ちくわの代わりに海老にしてみた。海老は海老でおいしかったが、海老の味が強すぎるためか、チーズがあまり感じられなかった。
 ケーキは、本人のリクエストを受け、ピラミッドをモチーフに作った。もとい、造った。買ってきたスポンジを、はじめは同じ大きさのたくさんの直方体を作り、それを積み上げるという、本物のピラミッドと同じ製法で考えていたのだが、あまりにも面倒そうだったので、スポンジを、大きさを段階的に変えた正方形に何枚も切り出し、それを順々に積み上げていくことにした。だからケーキの構造としては、結果的にミルフィーユみたいな感じになった。だいたいの形ができたところで、表面をクリームでコーティングする。本物のピラミッドも、たしか最初はそうやってなめらかな仕上がりだったんじゃなかったか。それがやがて剥がれ落ちて、現在のほぼ石が剥き出し状態になったんだったと思う。ちなみにこのクリームには黄色の着色料を混ぜ、エジプトの砂や土をイメージした黄土色に仕立てた。着色料なんて久しぶりに買ったな、と思い、前回がいつだったかと探ったら、なんのことはない、1年前のポルガの誕生日祝いのケーキで、カラフルなゼリーを作るために使ったのだった。毎年やけに奔放にリクエストをしてくるものだ。ピイガはいつも正統派のショートケーキを求めるので、こういうところに性格の違いが明確に現れるな、と思う。かくしてピラミッド型ケーキが無事に完成した。本物のピラミッドに較べ、かなり急勾配になったけれど、まあまあ要望には応えられたんじゃないだろうか。
 親からの誕生日プレゼントは、手塚治虫の「ブッダ」の愛蔵版全巻。ピラミッドで、ケーキで、ブッダ。もうわけが分からない。ポルガらしい混沌だとしみじみと思う。
 混沌としているのは、もともとの人間性に加え、目下思春期花盛りなので、なおさらなのだろう。日々、苦々しかったり、痛々しかったり、眩しかったり、なんだか目まぐるしい。いかようにも今後の筋道が変化する、人生の中でかなり重要な時期なんだなー、ということを客観的に見て思う。でも当事者は決してそれに気づかない。中学生って、起きてから寝るまで、ずっとがむしゃらだ。こんな思索のない、がむしゃらな生き物、他にいないだろうと思う。それともうちの子が特になのだろうか。個性的なのはいいことだが、もう少し親の言うことに素直に耳を傾けるようになってほしい。無理だろうな。

久しぶりカラオケ

 今日の午前、ポルガが部活で3人が予定なしという、こういう状況が訪れたらぜひやろうと思っていた、カラオケ行きを決行した。岡山時代、わりとよく行っていたカラオケだったが、コロナ禍を経て、島根に住まいも変わって、すっかり疎遠になっていた。そしてその間に長女は思春期に入り、家族とカラオケに行くのを拒む年頃になってしまったのだった。それはそうだと思う。自分は中学生の頃、カラオケはおろかスーパーだって親と一緒に行かなかった。というわけで、ポルガが合法的にいない隙を狙っての、本当に久しぶりのカラオケなのだった。
 ポルガが昼過ぎには帰宅するので、それに間に合うよう、1時間半である。ちょっとタイトな気もしたが、久しぶりのカラオケにはちょうどよかったようにも思う。
 僕が最初に唄ったのは、「唇よ、熱く君を語れ」(渡辺真知子)。この歌は前から好きで、車内でよく聴いている。唄うのは初めてのように思う。伸びやかに唄えるので、喉を開くのにちょうどよかった。
 次が「ロコロコのうた」(ロコロコ・イエロー)。これは「おもひでぶぉろろぉぉん」で過去の日記を読み返す中で、これについて言及している箇所があって、去年十何年ぶりにその存在を思い出し、それ以来よく聴いているのだった。ゲームをプレイしたことはいちどもないが、利用しているサブスクの年末のまとめによると、僕が去年いちばんよくそのサービスで聴いた曲は、なにを隠そうこの歌だった。歌詞が架空の言語で、なんの意味もないのがいい。少々歌詞を間違えてもなんの問題もなく、勢いだけで愉しく歌えた。
 その次が「イケナイ太陽」(ORANGE RANGE)。なぜ唄ったかと言えば、この年末年始、去年のリアルタイム放映時はまったくノーマークで乗り遅れた「ブラッシュアップライフ」を、ファルマンとTVerで一気に観たからだ。ドラマは評判通りすごくおもしろかった。そしてこのタイミングでカラオケに行くならば、それはこの歌を唄わなければいけないだろうと思って唄った。ファルマンが「うまい」と褒めてくれたので、じゃあ本気で歌手を目指そうかなと思った。
 ここからは追悼が続く。まず「愛は勝つ」(KAN)に始まり、その次が「昴」(谷村新司)、その次が「舟歌」(八代亜紀)、そして「たそがれマイ・ラブ」(大橋純子)と、自分の順番時、4曲連続で追悼歌唱を行なった。これはあくまで真摯な気持ちで、岡山時代から行なっているのだけど、さすがにこう連続させると、逆に不謹慎な感じが少しした。
 最後に「COLORS」(宇多田ヒカル)でフィニッシュ。車内で聴いて、これを上手に唄えたら気持ちいいだろうと思い、数日前から少し練習をしていた。でもやっぱり難しい。あまり満足のいく感じにはいかなかった。
 そんな8曲。8曲と言えばけっこうな量だな。1時間半だけとは言え、メンバーが3人だし、ファルマンには2周に1回くらいしか唄わなかったし、こうなるか。カラオケは定期的に行くと、カラオケ筋のようなものがパンプアップされてゆくので(つまり今回は岡山時代に培ったそれが萎えているのを感じた)、今後はそれほど間を空けずに行きたいと思う。カラオケ筋がパンプアップされているとなにがいいのかと言えば、まあ特になにも浮かばないのだけども。

捉えづらい正月

 2024年の三が日が終わろうとしている。
 大みそかから書くなら、夜はひたすらに紅白を映しながら、食べたり飲んだりしていた。普段21時半に寝るピイガは途中からぐずり始めたが、それでもがんばって目を開け続け、無事に最後から3番目の出番であったYOASOBIを見届けていた。YOASOBIのパフォーマンスは、そうまでして観た果以のある、とてもいいものだった。たぶんジャニーズ系のアイドルグループが出演しない紅白は、この1年限りだろうと思う。その年にこれをやったというのが、巡り合せでおもしろいな、と思った。
 のんびりと目覚めた元日は、去年と同じく、おせちにおける骨と皮のような、最低限の要素だけの品を皿に並べた。紅白かまぼこ、茹で海老、れんこんの炒め煮、煮豚、黒豆という面々。ちなみに後半のふたつは母から送られてきたものである。それと我々3人は雑煮を食べ、餅を食べない主義のポルガは、餅の入っていない汁と、前日の残りのクリームパンなどを食べていた。元日からポルガはもちろん和を乱すのだった。
 そのあと、とりあえず初詣へ。いつもの、出雲大社ではもちろんない、近場の、正月なのでそれなりに賑わっている、ちょうどいい規模の神社である。神様への挨拶ののち、全員でおみくじを引いた。子どもたちふたりは大吉で、僕とファルマンは吉。と言うか、僕とファルマンが引いたのは、同じ番数の、同じ文面のおみくじだった。その内容はと言えば、『心正しく行いをすなおにしないと家の内に不和が起こって災が生れます 特に男女の間をつつしめ』、さらには「願望」の欄には、『とゝのう しかし色情につき妨起る』とあって、夫婦揃ってこんなに下半身関係のことを諫められるおみくじを引くだなんて、2024年はいったいどんな年になるのだろう、だいぶ桃色の年になるのだろうか、と思った。
 そのあとは実家に向かい、昼過ぎから新年の集いをする。
 年末には僕はこちらに顔を出さなかったので、次女一家とは夏以来の再会であった。1歳半ほどになる第2子は、それなりに歩くようになっていて、喃語も少し出てきていて、そしてたぶんいちばん人見知りをする時期に入っていた。夏はできた抱っこも、今回はできなかった。ファルマンのように年末から足場固めをしていたら心を開いてもらえたのかもしれないが、なにぶん今回はほとんど絡まなかったのだった。まあ眺めているだけで癒されたので別にいい。
 鮨とおせちの食事を済ませたあと、みんなで外に出て、散歩がてら凧揚げなどする。僕はバトンを持ってきていたので、それを回した。その最中に、ファルマンのスマホに警報が届き、ほぼ同時に、川の近くのスピーカーからなにかアナウンスのようなものが流れた。しかしなにが起ったのかはあまりよく分からず、そのままもう少し外で過したのち、家に戻った。家に戻ってテレビを付けたら、だいぶとんでもないことが起っていて、大いに驚く。「令和6年能登半島地震」と名付けられた、最大震度7の大地震なのであった。まさかの元日の出来事に、現実味がまるで湧かない。海や川からすぐに離れるよう促すアナウンサーの、鬼気迫る声がひたすらおそろしかった。
 晩ごはんの前に実家を出て、スーパーに寄って帰る。昼餉が豪華だったので、晩ごはんは簡単に、レトルトのミートソーススパゲッティと、茹でた肉や野菜などで済ました。
 そして2日である。この朝に覚えていた夢が、初夢と言われる。僕は、ピイガとトランプをしていたら、ピイガが持っている札を8つ折りにしたので叱った、という、なんとも所帯じみた、そして僕はピイガの手癖の悪さをよほど憂えているのだな、という夢だった。ファルマンにどんな夢だったか訊ねたところ、ファルマンは「ん-……」と口ごもったあと、「淫夢だった……」とポツリと答えた。そのあと内容について詳細を語らないので追求しようとしたら、「いや、ちょっと、倫理的に、よしとく」と拒まれた。それでも「俺は? 相手は俺?」と問いただしたところ、「うん、あなたも、出てきたよ」とのことで、「も」かー、と思った。どうも非常に社会通念的によろしくない夢だったようである。前日に引いたおみくじのことが思い出された。色情につき妨起る。
 そしてこの日は、僕ひとりが買い物に行った以外は、なんだかんだで一家で家にこもって過した。3人はまた実家に顔を出す気満々だったのだが、第2子の昼寝のタイミングであったり、第1子は向こう(次女の夫)の家の面々と出雲大社に初詣に行ってしまって、聞いた瞬間に、よく行ったもんだな、と思ったけれど、やっぱり行きも帰りもとんでもない混み具合だったそうで、半日仕事になってしまい、この夜は次女一家はもとから向こうの家に宿泊する予定となっていたため、まるで遊べる時間がなくなってしまったりで、ままならなかったのだった。
 晩ごはんは唐突に食べたくなり、餃子を作った。そしてホットプレートで焼き上がった餃子を囲んで、それを摘んで食みながら、「桃太郎電鉄ワールド」をした。もちろん普段はごはんを食べながらゲームなんてしないのだが、こういうときなので特別である。ちなみにこれまでの数日でゲーム内では10年ほどが経過し、意外や意外、もう何年もファルマンがトップで在り続けている。今作は前作までよりも、盤石の体制が作りづらい気がする。このまま右肩上がりかな、と思いきや、あれよあれよと借金になったりする。それゆえにおもしろい。やっぱり休みのはじめに買ってよかった。
 夜になり、風呂に入っていたら、羽田空港でとんでもないことが起っていた。前日の地震に関連した出来事とは言え、正月からあんまりじゃないかと思う。折しも、「hophophop」に書いたように、いたずらに怖がっている飛行機についてきちんと知識を深めようと、年末の図書館に行って関連本をたくさん借り、読んでいた最中である。そんなタイミングで目にしたセンセーショナル過ぎる映像に、頭がくらくらした。もうああなってしまったら、飛行機が飛べる仕組みとか関係ない。揚力について学んでも意味がない。なんてこったよ。
 それにしても、夏の台風もひどかったが、今回も帰省が悲劇ではないか。帰省することにしていた場合、冬なので飛行機を使う目は基本的になかったけれど、飛行機があんなことになった影響で、新幹線に人が流れたそうで、そして新幹線と言えば、今回の帰省を思いとどまるひとつの要素であったが、全席指定席(指定席を持たない人は通路に立って乗る)仕様なわけで、そこへ想定外の人の流入が起ったのだとすれば、その車内はさぞひどいことになったのではないかと思う。ああ帰省おそろしい。
 3日の今日は、次女一家は今日が移動日ということで、午前中にまた3人は実家へと向かい、僕はホームプールが今年の初営業ということで、初泳ぎをしに行った。午前中ということで、いつもとはぜんぜん違う感じかなと思いきや、泳いでいる人間はわりと見たことのある顔ばかりで(誰とも喋ったことはないが)、要するに会員の、ふだん足繫く通っている人間は、数日間のブランクを経ての待ちに待った営業再開日、夕方までなんか待てず、午前中のうちに来てしまったのだろうと思った。かくいう僕もだけど。今年最初の今日も、去年最後の日と同じく、1km泳いだ。
 午後は、またずっと家にいるのも何だしということで、年末と同じく具体的な目的があったわけではないが、ゆめタウンへと赴いた。初売りセールでにぎやかだった。まあそういう雰囲気を味わいに行ったということで。ちなみにここへは昨日、お笑いコンビのアイデンティティが営業でやってきていて、三女は観に行ったそうだ。もちろん野沢雅子だったらしい。いいなあ。
 晩ごはんは、鶏肉ですき焼きにした。2日連続のホットプレート(IHクッキングヒーター)メニューで、今日もまた行儀悪く、食べながら桃鉄をした。いけませんな。
 まあそんな感じで、三が日は終わろうとしている。わが家は地味に過し、世の中ではとんでもないことが起き、なにをどう思えばいいのか、とことん捉えづらい正月だ。とは言え確かなのは、家族で家で過せているのは、とても尊いということである。初詣でもそれを願った。しかし石川県の人々も、あの日の午前にそれを願っていたに違いなかった。やるせないな。
 休みはいちおう明日まである。しかしもう三が日は終わったし、翌日からは労働が始まるし、なにより明日という日はピイガの誕生日を祝うための日なので、もう実質的に年末年始の休みは今日でおしまいだ。のんびり自由に過した日々だった。開始時にやりたいと思っていたことは、まあまあの率で潰せた。よかったと思う。