秋だな

 土曜日の夜、キングオブコントを観る。どぶろっくが優勝し、感動した。結局ちんこ、ということを改めてしみじみと思った。世の中でいちばんおもしろいものはちんこ。これは本当にそう。これまで、おおっぴらにちんこを前面に出すのはどうなのかという判断から、いろいろな方面の創作は、恋愛などというどうでもいいオブラートを被せられていたが、今回のどぶろっくの優勝で、その潮目が変わるのではないか。我々はもっと純粋に、ちんこで笑ったり喜んだりしていいのだ。勇気が出た。希望がわいた。どぶろっくのふたりは、幼少期からずっと一緒に生きてきたのだそうで、そんなふたりがずっとちんこのことで笑い続けられているのだと考えると、とてもうらやましい。友達なんかいらない、となって久しい僕だけど、ちんこのことでずっと話ができる相手は欲しいと思う。コントはあまりにもおもしろかったので、ビデオに撮ったものをどぶろっくの所だけもういちど観た。僕よりもファルマンのほうが笑っていた。
 明けて翌日は、ファルマンの両親が、義母方の墓参りでこちらへやってくるというので、我々一家もそれに参加することにした。昼前にショッピングセンターで落ち合い、まずは昼ごはんを食べる。マクドナルドとかでいいんじゃないか、子どもがハッピーセットで喜ぶし、というこちらの思惑を易々と飛び越え、義母は前にいちど行ったことがあるというカフェへと我々を誘導した。そこは紛うことなきカフェで、典型的なカフェレストランというのか、白が基調で、天井が高くて、ちょっとしゃれた優雅な空間、というステレオタイプのお店だった。ランチメニューが基本的にプレートで供され、数種あるそれがどれも1500円程度の値段というのも、判で押したようにそれらしかった。マックでエッグチーズバーガー(200円)をふたつ食べてたんぱく質をたくさん摂ろうと考えていた僕は、仕方なくポークカツレツをメインにしたプレートを選んで頼んだ。出てきたカツレツには櫛形のレモンが乗っていて、僕は揚げ物に柑橘類の汁はかけない人間なのでそのまま食べたら、ゼロの味がした。ゼロの味というのは、それそのものをひたすら食べるのには問題ないが、おかずとはそうあるべきであるはずの、白米を食べるためのプラスを口にもたらさない味つけのことで、たまらず店員を呼んでなんかしらの味をくれと頼んだ。すると「しょうゆかデミグラスソース」と言うので(店員もこの訴えには慣れているらしい応対だった)、心中ではブルドックソースを切望しながらも、デミグラスソースをお願いした。それでなんとか味にプラスが発生し、「ライスにしますかパンにしますか」の質問に「ごはん」と答えて受け取ったごはんを食べることができた(ちなみにあっちが「ライス」と言うものだから、てっきり平皿に盛られたあれが出てくるのかと思いきや、意外と茶碗で出てきた。じゃあ「ごはん」だろ、と思った)。プレートの上には、カツレツの他に、野菜や豆を使ったなにかが盛られた小さい皿が3つほど乗っかっていた。皿の上に皿を乗せるというのは、こういうカフェレストランが生み出した手法なのだろうか。いまいち意味が分からないのだけど。お店はそこまで静謐な空間というわけでもなかったが、料理が出てくるまではずいぶん時間を要し、食事を終えたあとはデザートとコーヒーまであったので、さすがに子どもたちはダレ、テーブルの周りをうろちょろしたりするようになり、そうなるとこちらも怒らざるを得ず、なんかひたすらつらかった。義母がマダム友達と、ゆったりとした時間を過すなら適当なのだろうが、5歳と8歳と、こんなものに1500円払うのならかつやで500円でかつ丼を食べて残りの1000円でビールとかポテトチップスとか買ったほうがよほどいいと思う下賤な人間を連れて来るような場所ではなかった。大人になると、自分の生息場所というのがだんだん定まってきて、波風の立たない日々を送るようになるので、ずいぶん久しぶりに、カルチャーショックというものを受けた。
 食べたあとは墓参りと、祖父の暮す施設への顔出しなので、そこでファルマンと子どもは義父の車に移り、僕だけ別行動に入る。温泉へ行くのである。前に行って会員になった温泉が、誕生月は入浴が1回タダだというので、行こう行こうと思っていた。でもそれだけのために行くにはちょっと遠方にあり、どうしたものかとあぐねていたのだが、今回の墓参りで方向的にとてもいいついでができ、話に乗ったというわけなのである。というわけでほくほくと、真っ昼間からタダの温泉を堪能した。おろち湯ったり館ほどの感動はなかったが、気持ちがよかった。そのあと再び家族をピックアップし、帰った。
 その翌日の今日は、台風一過となった昼過ぎに一家でお出かけをした。目的地はプールで、しかし泳ぐわけではなく、なんか今日はプールでイベントをしているということで、それを覗きに行ったのだった(プールを覗く、と言うと不穏な感じになる)。プールでは、ひとり乗りのカヌーを水面に浮かべて漕いでいたり、飛び込み台から次々に少年少女がジャンプしていたり、愉しそうだった。なにより屋外で、台風一過の秋晴れで、とにかく爽快な風景だった。観るだけでも愉しかった。そのあと行った図書館は、祝日とか関係ない無情な「月曜休館」で残念だったのだけど、ほぼドライブというような、カラッとした気持ちのよい外出だった。晩ごはんは昨日のランチの雪辱というわけでもないが、かつ丼にする。おいしかった。秋だな。

36歳

 誕生日だった。誕生日のお祝いメッセージは、母と姉から届いた。人からお祝いメッセージが届かないことは、「hophophop」に書いたように、ぜんぜん哀しくないつもりだったのに、母と姉から届くものだから、さすがに哀しくなった。誰からも届かない、なら受け入れやすいのに、母と姉から届いたせいで、母と姉からしか届かなかった、という状況になってしまい、母と姉だけに誕生日を祝ってもらうのは、普通それは子どもの頃の話で、じゃあ22歳で家を出てから今日までの約15年間で俺はいったいなにを……? と、とてつもなく重くて暗い部分に気持ちをやってしまい、落ち込むはめになった。しかもその二者のメッセージというのが、毎年一様にそうなのだが、「あんたももうずいぶんな歳だね」という内容で、届くだけで気持ちが塞がるのに、なおも文面で嫌な気持ちにさせるのかよ、と毎年思う。他になんか言葉はないのか、と訊ねたくなるが、肉親なので訊かずとも分かる。ないのだ。あいつ誕生日や、いくつや、36か、いい歳やなー、と、本当にそれしか思わないのだ。僕もきゃつらのそれについて同じことしか思わないので、ただ単にそれだけのメッセージを送ることになると思う。それに対してファルマン家の人々はきっと、「いい1年になりますように!」とか、「しわわせに過ごしてね!」なんてことを言い合う。さすが中国山地の向こう側にあるというラテンの国の一家だと思う。
 誕生日当日はそんな感じで、本当に静かに過ぎた。家族によるお祝いは、出勤だった本日土曜日の夜にやってもらった。帰宅すると、日中からケーキ作りや部屋の飾りつけにいそしんでいたという子どもたちはテンションがきわめて高く、うるさかった、けどかわいらしかった、けどうるさかった、けど幸福感があった(けどうるさかった)。将来、我々はどっち側の気風の家族になるのだろう。ファルマン家側かな。少なくともファルマンと子どもたちはそうだろうな。僕もそのときまでに、大人になった子どもたちの誕生日について、「あいつもいい歳だな」以外の感想が浮かぶ人間になっていようと思う。
 ファルマン特製のミートソースがたっぷり掛かったスパゲティと、野菜たっぷりのスープ、チキンナゲットというメニューのあと、リクエストしたガトーショコラを食べた。全体的においしく食べたのだが、食べたあとで胃がもたれる感じがあった。いい歳……。子どもたちから、手作りのプレゼントをいろいろもらう。去年は「ずかん」という名目の冊子だったが、今年はさらに進化し、巻き物のようになっていた。ファルマンによると、この1週間ほどはずっとその制作に励んでいたという。嬉しい。嬉しいと同時に、父親は今後の思春期に思いを馳せずにいられない。いつまで快く祝ってくれるのだろうな。ちなみにファルマンからのプレゼントは、もうだいぶ前に先取りで手に入れたダンベルセットである。ファルマンからの誕生日プレゼントをろくに使わないことで有名な僕だが、これは初めてくらいに、今のところ日々せっせと使っている。そのあとはみんなで少しドンジャラをして、パーティーは終わった。なにはともあれ、こうして無事に年齢を重ねられたことはめでたい。家族以外だれも僕の誕生日を祝わないけれど、僕は僕の誕生日に際して、この世のありとあらゆるものへ感謝の気持ちを捧げる。受け取るばかりのそなたらは自らの浅ましさを思い知り、存分に恥じ入るがいい。

夏がしつこい3連休

 3連休ということで、ちょっとくらい普段の週末よりは遠出をしようじゃないかと考え、初日に矢掛町総合運動公園まで繰り出した。やかげちょう。地方ニュースでたまに耳にするが、なんの馴染みもない町。島根に行く際の高速道路にもぜんぜん引っ掛かっていないため、たぶん町内に足を踏み入れたのが、今回初めてだったろうと思う。当然ながらなかなかの田舎だったが、しかしもうこんな程度の田舎には慣れ切っている。それどころか、これでも岡山や倉敷へ車で気軽に行けるのだろうから、中国山地の只中にあるような山村と較べれば、田舎レベルとしてはぜんぜん高くないな、なんてことさえ思った。元シティーボーイの僕の見聞もなかなか広がったものだ。
 矢掛町総合運動公園は、山の中にかっぽりと、大らかに作られた感じの公園で、わりと新しくもあるようで、なかなかよかった。過不足ないアスレチック遊具の他に、ここの目玉とされる、人工芝のけっこうな規模の滑り場があり、ここでは公園の管理するそりを借りて、滑りまくることができるのだった。僕もピイガの付き添いで滑ったのだが、頂上から下までは20メートル以上あって、見晴らしがいいこともあり、なかなかの爽快感があった。そもそもウィンタースポーツに馴染みがないため、そりで滑る、という行為そのものが新鮮に感じた。しかし新鮮とは言え、レンタル100円30分という設定は、どう考えても長すぎで、別に100円はそのままでいいから、20分か、あるいは15分でもいいんじゃないかと思った。だって上から下にそりで滑るだけなのだ。さすがに飽きる。休憩を挟みつつ、開始20分のあたりで「もういいね」となってそりを返した。返したら「えっ、もういいの?」みたいな反応を管理人にされたので、逆にびっくりした。そのあとは噴水エリアで子どもを遊ばせる。地面からいろんな出方で水が噴き出て、子どもがわあわあ喜ぶ、あのやつ。それがあることは下調べ済みだったので、ちゃんと着替えを持ってきていたのだ。なので思う存分に濡れさした。気持ちがよさそうだった。この日の最高気温も悠々と30℃を超え、しかもそれはちょうど正午ごろのことだったので、心の底から「子どもはいいなあ」と思った。ちなみに公園に着いて車から荷物を降ろすときに、期せずしてジムウェア一式を乗せたままであることが分かったため、僕もやろうと思えばやれたのだけど、水浸しになっている者の平均年齢は5、6歳くらい(ポルガが最年長くらい)だったので自重した。それから着替えついでに、持ってきた簡易テントの中で、昼ごはんを食べた。今回はおにぎりをちゃんと作ってきていた。暑さが緩んだためこういうことができる時期になった、と言うにはまだまだしっかり暑かったのだが、3連休の初日なので少々の無理をきかせた形である。もっとも公園内に売店もないし、近隣にコンビニの類もなかったため、弁当を持ってきたのは正解だった。腹ごしらえのあともひとしきり遊んで、満足したところで帰った。ずいぶん汗をかいたが、当たりの公園だった。
 帰宅後は、さすがに陽射しにやられて、身体を動かすようになった最近にしては珍しく、仮眠をとった。そして晩ごはんは今年初の煮込みラーメンにした。日中は暑さで茹だっておきながら、夕飯は煮込みラーメン。いかにも夏と秋のあわい、という感じがする。セレクトが醤油、というのもこの時期らしい。これが寒くなると味噌になってゆく。もちろんおいしかった。そしてビールが異常なまでにおいしかった。
 2日目はあんまりすることがなく、午後に少しだけ買い物に出た。大きい電器屋へ行き、カメラを物色したりした。ポルガの誕生時に購入したデジタル一眼レフが、これはひとえに扱いの悪さに起因するのだろうが、内部にゴミが入ったり、たぶんそれ以外にも原因はあるのだろうが、昔ほどきれいな写真が撮れなくなってきたため、なんかちょうどいいのがあれば新しいのを買ってもいいかもねー、なんて話になっていたのだった。しかしカメラはやっぱりピンキリで、高いものは異様に高く、そして安いものになると、「じゃあタブレットでいんじゃね?」という感じもあり、また下の子も5歳となり、3歳くらいまでの天使的な姿を阿呆ほど撮る、みたいな時期は過ぎたこともあり、手持ちの一眼レフの不具合さを微妙にあぐねつつも、いまいち購入のモチベーションは高まらず、「ふーむ……」という感じで売り場をあとにした。
 晩ごはんは大根と鶏ひき肉の煮物と、ほぐした鶏ささみを乗せた冷ややっこ、そして秋鮭ときのこの炊き込みご飯というメニュー(汁物はなし)。並べた終えたところで、ぜんぶ茶色いことに気がついた。
 3日目もまた特に用件はなく、とうとう完全に家で過した。せっかくの3連休なのに、休日の過し方というのはなかなか難しいものだな。カラオケも行ったばかりだし、プールの時期も終わってしまったし、読む本がなくて困っているということもない。まあ3連休だから初日にがっつりとした公園遊びを行なったのだと考えれば、この2日間に関してあくせくする必要はないのだけども。午後に、4人でドンジャラをした。ドンジャラはなにしろ麻雀なので、人生ゲームよりも大人がやって愉しい。今日はポルガの調子がよく、ピイガがさっぱりだった。しかしピイガの牌を取ったり並べたりする仕種は、どう見ても単なる5歳児のそれではなく、前世の熟練を感じさせた。末恐ろしい。
 晩ごはんは、鶏肉を甘辛く焼いたものと錦糸卵、昨日の煮物の残り、枝豆、大根と油揚げの味噌汁。昨日の反省として、取ってつけたように枝豆を出した。
 そんな感じの3連休。全体の仕上がりとして、まあまあ悪くなかったんじゃないかと思う。

カラオケとドンジャラ

 約2ヶ月ぶりのカラオケに繰り出す。8月は行かなかったか。まあ妻子は半月帰省していたもんな。その間、日記には書かなかったが、仲間とは何回行ったんだったっけかな。仲間と行くカラオケは、基本的に酒が入っているし、唄う曲も湘南乃風オンリーなので、ここに書いても仕方ないと思って書かないのだ。たぶん6万回くらいだと思う。半月で6万回か。減ったなー。
 というわけで今回唄ったのは以下の通りである。
 1曲目、高橋洋樹「摩訶不思議アドベンチャー」。言わずと知れたドラゴンボール主題歌。先ごろ単行本をはじめのほうの巻から買いはじめたのだが、歌の間に流れたアニメ映像が、ピラフ一味に捕まってギャルのパンティをもらって大猿になる、まさにそのあたりで嬉しかった。
 2曲目、倖田來未「恋のつぼみ」。倖田來未のことはもちろん好きではない。でも本人の手による歌詞が、「めちゃくちゃ好きやっちゅうねん!!」などと、あんまりにもあんまりな感じなので、逆におもしろく感じられて、唄ってみた。俺が倖田來未を唄う、というのも本人にとってはそれだけでギャグなのだが、こういうギャグって使いどころが難しい。
 3曲目、光GENJI「パラダイス銀河」。前回、ジャニー喜多川氏の追悼ということで嵐を唄ったのだが、今回も数日前にお別れの会が営まれたこともあり、ジャニーズを唄うことにした。光GENJIは僕よりも5年とかもうちょっと上の世代のアイドルで、実はあまり馴染みがない。いま思えば、錦戸脱退ということで関ジャニを唄うべきだったか。
 4曲目、MAX「GET MY LOVE!」。MAXである。俺がいま目下ファン活をしているMAXである。これも倖田來未と一緒で、それほど親しくない人とカラオケに行って、俺がおもむろにMAXを唄いはじめたとき、それがちゃんとギャグだと認識されればいいが、本当に好きなんだと捉えられ、(この人とは趣味が合わないな)と心の中で断ぜられたらたまったもんじゃない。それなら唄わなければ済む話なのだが、僕自身の中では、僕が倖田來未やMAXを唄うというギャグがツボなのだからして、なかなか諦めきれない。難しい問題である。もっとも、それほど親しくない人とカラオケに行く予定はないし、それに僕はMAXの真正のファンである。
 5曲目、少女時代「Gee」。日韓関係の悪化に関して、僕にできることはなにかと三日三晩考えて、思いついたのがこれだった。みんな心が洗われればいい。
 6曲目、財津和夫「切手のないおくりもの」。倖田來未やらMAXやら少女時代と来て、これ。なにがしたいのか。聴衆をどういう気持ちに持っていきたいのか。
 7曲目、堺正章「さらば恋人」。そうか。今日はもうここからこういう路線、しっとり唄い上げる路線でいくんだな。昭和歌謡の、地に足の着いた唄いやすさ。心地よかった。
 8曲目、Berrys工房「ファイティングポーズはダテじゃない!」。どうした。どうしたいんだ。混沌とし過ぎだろう。FNS歌謡祭か。
 9曲目、野口五郎「私鉄沿線」。またそっちに戻るのか。じゃあなぜBerrys工房を挟んだんだ。ちなみにこれにて新御三家をとりあえず唄ったことになる。昔の映像を見ると、おじさんになってからしか知らない新御三家は、本当に少女マンガの男の子のようなビジュアルで、びっくりする。特に野口五郎のギャップがすごい。
 10曲目、椎名林檎「歌舞伎町の女王」。ファルマンのお株を奪い、初めて僕が椎名林檎を唄ってみた。椎名林檎と言えばこれ。これ以外の曲もこれに聴こえる。
 11曲目、CHAGE and ASKA「SAY YES」。解散を受けての記念歌唱。「パラダイス銀河」に続いて本日ふたつめの飛鳥涼であり、その才能に改めて感服する。「尿をお茶とすり替えた人」のイメージが強いが(僕だけだろうか)、早くそんな記憶を払拭する名曲をまた作ってくれたらいい。ファルマンがちょっとCHAGEをやってくれた。
 12曲目、米津玄師「パプリカ」。カラオケには子どもたちのバージョンしかなかったのだが、僕の中では米津バージョンのつもりで唄った。米津玄師の歌い方って、けっこうこぶしをきかせる演歌調ではないかと思っている。
 以上である。前回のような、エキセントリック少年ボウイからはっぱ隊の夫婦メドレーのような感動はなかったが、思う存分に気持ちよく唄えた。しかし最近はいちども唄ってない曲を唄おうとするあまり、セレクトが変な感じになってきたな。
 カラオケのあとは少し買い物をして帰る。空には見事な入道雲が浮かんでいた。厚みのある入道雲のあんまりな白さと空の青さが、馬鹿な子のようだった。これは残暑のそれじゃないな、実はまだバリバリ夏だな、と感じた。そう言えば9月19日までは夏、という説もあった。
 午後は最近買ったドラえもんのドンジャラ(製品名は異なるのだが、もう僕の人生の中ではドンジャラで固定されている)を、子どもたちにルールを教えながら4人でやる。やっぱり4人家族と言えばドンジャラだ。まあ、俺は、ほら……、3人、だった、けどさ……。北家はいつだって空席だった、けどさ……。そんなほろ苦い少年時代のことなんかも思い出しつつ、20年以上ぶりのドンジャラはやっぱりおもしろかった。勝負ごとにやけに強いピイガが優勝し、勝負ごとにやけに弱いポルガがボロ負けという結果だった(ポルガは結局いちども上がれず、持ち点を全て失くし、ポロポロ泣いた)。またやろう。
 夕飯は手羽先の竜田揚げ。また片栗粉の衣で、好みのゴリゴリ風に仕上げる。しかしゴリゴリを深追いしすぎた結果、これはもはや若干焦げていると言うべきではないのか、というくらいになってしまった。でもおいしかった。

8月締め

 金曜日、8月の終わりの終わり、折からの不安定な天候をかいくぐっての曇天の夜に、意地のように今月限りで今シーズンが終了する屋外プールへと、労働後に繰り出した。月のはじめ、妻子が帰省中に初めて行ったときは、開始時刻(入れ替え制なので泳ぎはじめられる時間が決まっている)にはまだ西の空に明るさが残っていたのに、今はもう最初からすっかり暗い。そして水中に入ると、その水温の冷たさにびっくりした。それでも泳いでいれば体が温まるだろうと泳ぎはじめたが、300メートルほど泳いだところで、どうにもしんどく、500メートルになんなんとするあたりで脚も攣りそうになり、ほうほうの体でプールサイドに上がった。それから屋内プールへ移る気概もなく、正味20分ほどで終わらせてしまった。やっぱり営業が終了するだけのことはあって、屋外プールはいよいよ限界なのだった。昼間ならまだしも、朝晩は涼しくなってきた今日この頃であり、もはや晩はプールに堪える気候ではないのだった。そのことをまざまざと体感した。とは言え、気持ちよく泳げなかったそのほろ苦さも、たくさんプールに行った今年の夏の締めとして、味わえてよかったと思う。もっともプールとしばらくお別れするわけではない。今後も屋内プールには普通に行く。
 土曜日の夜は三女が泊まりに来た。夜にやってきて、日曜日の朝に出発する、素泊まりのような利用だった。本人も自分からは口にしないし、我々もあえて訊ねはしないが、陰でこそっと、三女の好きな有名人のスケジュールを確認したら、土曜日は香川で、日曜日は広島でイベントをやっていた。実に明解なのだった。なるほどその日程で、岡山に姉の家があれば、それは便利に使うわな、と思った。それにしたって先週に引き続き、人々はイベントに繰り出す。そのことに僕はいま若干アンニュイになっていて、思うところがあった。
 今日は、今日から9月ながら、日曜日なのでまだ夏休みという、ちょっとレアな日。子どもたちの長く長く長かった夏休みも、今日でいよいよおしまいである。明日からは2学期なのでアクティブなことはせず、図書館やら100均やらスーパーやら、平常の休日を過した。大人の夏休みはお盆の数日で終わっているので、暦が8月だろうが9月だろうがあまり関係ないが、なんとなく子どもたちにつられて、明日から新章に移るような感覚が多少ある。特に区切りをつけてなにをするという構想もないが、とりあえず夏の間は軽く除毛していた陰毛について、もう手入れしないことにしようと思う。