人のやさしさ、消防隊員のかっこよさ

 小学校が休校になってから最初の週末。閉鎖空間でなければ連れ出しても問題ないともいうが、読みにくい天候ということもあり、あまりうまいこといかなかった。
 土曜日の午前はとりあえず晴れるようだったので、手芸屋での買い物のついでに、ちょっと公園へと出向くことにした。しかしこれが悲劇の始まりだった。行こうとしたのは田舎名物の、山の上に作られた公園(といっても家からそんなに遠くないし、むしろこの公園のある地域のほうが栄えているくらいだ)で、その山道を車で登っている際、どうも分岐を間違えたようで、しばらく急斜面を進んだ末に、絶対に車が通れないような細い道幅となり、最悪だー、と思いながらゆっくりとバックして分岐まで戻ろうとしたのだが、その途中で右の後輪が排水溝に落ちて、身動きが取れなくなってしまった。この瞬間、全身に寒気が走った。なにしろ急斜面である。車の中にいるので実際どの程度傾いているのかは判らなかったが、そのまま車が右後ろにひっくり返る情景が脳裏に浮かび、体が強張った。とりあえずブレーキを踏んでいる限りは車は安定しているようだったので、安全のためにも様子を確認するためにも、ファルマンと子どもたちを車の外に出す。出してから気付いたが、車は右側に傾いているのだから、助手席のファルマンには出ていってほしくなかったな……、と思った。でもファルマンが出て、動いてくれないことにはどうしようもない。どうもサイドブレーキでは駄目で、ずっと足でブレーキペダルを踏んでいないと、車は後ろに下がってしまうのだった(思い出すだにおそろしい!)。外に出たファルマンは、まず後輪の様を写真に撮って、「こんなふうだ」と見せてくれた。やはりタイヤは排水溝の内側の中空にあった。こういうときはなにかを噛ませてタイヤが回るようにしないといけないんだろうと思うが、そんなちょうどいい石や板があるはずもなく、途方に暮れた。保険会社を呼ぶしかないのだろうか、と話していたところへ、散歩の老婦人が近づいてきて、「落ちちゃったの?」と声をかけてきてくれる。そうなんです、大いに困っているんです、ということを伝えると、「主人に板とかブロックを持ってくるよう連絡してあげる」といって、電話をかけてくれた。なんという聖人か。そして「しばらく時間がかかると思うから、私はぐるっと散歩してるわね」といって老婦人はその場から離れた。状況は大いに改善した。老婦人の旦那さんが板を持ってきてくれたら絶対に抜け出せるとも限らなかったが、ひとまず安心した。それでしばらく待っていたら、別のおじさんたちもやってきて(地元の人の散歩コースであるらしい)、「おお、これはこれは」「たまにやるんだよね」などと声をかけてくる。いや、もう、ほんとに参っちゃって、どうしたらいいんでしょうかね、などと話していたら、そこへなんと消防車が通りかかる。なぜ消防車が? という話で、サイレンは鳴らしていなかったので、緊急出動ではなく、山の上の公園になんかしらの用件で向かうところだったのかもしれない。もちろん通報をしたわけではない。それをおじさんたちが停めてくれる。これは消防隊員の仕事ではもちろんないが、たしかにちょうど消防隊員が通りかかったら、手を貸す流れになる案件ではあるかもしれない。停まった消防車からは、頼りになりそうな屈強な消防隊員が、4人も出てきた。こころづよ! と思った。4人の屈強な消防隊員、こころづよ! と心の底から思った。そして消防隊員は、車を見て少し話し合ったあとは、巧みな連係プレーで、車を溝から救い出してくれた。タイヤの下になにかを噛ませて進むしかないと思っていたが、車体を少し人力で持ち上げた状態で、ギアをニュートラルにさせ、ハンドルを右に切らせ、ブレーキを少しずつ緩めさせて(これらを僕に向かって巧みに指示し)、車体を降下させることで、無事にタイヤを地面へと戻してくれたのだった。なんという手際の良さ。なんという頼りがい。車を少し進めて安全な位置に置いたあと、車外に出て、めっちゃお礼をいった。集まっていたおじさんにももちろんお礼をいい、さらには最初に声をかけてくれた老婦人と、消防隊員の作業の途中で来てくれていたその旦那さんへも、何度もお礼をいった。旦那さんは車のトランクにブロックと板をたくさん積み込んでくれていた。えらい労力だったじゃないか。ありがたかったし申し訳なかった。というわけで、とてもおそろしかったが、人のやさしさ、そして消防隊員の頼りがいに感動した体験だった。もちろんそのあと公園で遊んだりはせず、そのまま帰った。帰り道、ファルマンとふたりで興奮が冷めず、消防隊員のかっこよさについて何度も語り合った。自分が小学生男子ならば将来の夢は消防隊員にするだろうと思った。
 今週末の出来事はこれに尽きる。土曜日は午後から雨が降ったし、今日は昼過ぎまで天気がパッとしなかった。そもそも公園に繰り出す気にはあまりならなかった。平地のものならばまだいいが、ちょっと当分の間は急な上り坂の先にある目的地には行きたくない。斜面で車が不安定な状態になった際のあの揺れは、しばらくトラウマになる気がする。結果的に何事もなくて本当によかった。注意深く、安全運転しようと思う。それにしてもあのタイミングで、緊急出動しているわけでもない消防車が通りかかるって、ちょっと奇蹟的だ。とはいえそもそもが不幸(不注意)から話が始まっているわけで、持っている話なのか、持ってない話なのか、判断がつきづらいと思った。