授業参観模様替

 土曜日、ピイガの幼稚園の休日参観に出る。運動会には行ったが、教室での振る舞いを見るのは初めて。ポルガと違い、先生の話をよく聞き、けなげに行動していて、偉いなあと思った。いちど親子で一緒に行動する場面で、僕がピイガの近くから離れてしまったとき、知らない大人がたくさんいるのに僕がいないという状況に恐怖を覚えたのか、泣き出してしまい、戻ってきて慰めていたら、それを見た先生から驚かれた。ピイガは幼稚園ではよほど鉄の女で通っているらしかった。休日参観ということで、僕と同じく父親もけっこう来ていた。だがそこから何かが生まれるということはもちろん一切なかった。職場で、毎日のように顔を合わせる、同じ職種の人とも友達になれないのに、ただこの1年それぞれの子どもがクラスメイトになったというだけの、得体の知れない男性と、交流が生じるはずがないのだった。しかし職場でも子ども関係でも友達ができないのだとすれば、本当に一体これから、友達というのはどういう巡り合せで出来得るのだろうか。まったく謎だ。思春期の少女が、成長した自分を想像して、いまの自分が全く知らない大人の男の人と裸になってベッドでそういうことをすることになる、そこまでのストーリーや自分自身の気持ちがまるで想像つかないのと同じくらい、想像がつかない。もう夢見る少女じゃいられない。
 午後はミシンをして過し、晩ごはんは鶏もも肉とレバーの丼物を作る。錦糸玉子たっぷりでおいしかったが、レバーはあまり子どもに評判がよくなかった。あと豚汁ととうもろこし。今回は産地を見た。徳島県産だった。
 明けて日曜日は、起きたらなんと10時だった。今週はどうも全体的に寝るのが遅くなってしまい、土曜日も参観のためにそれほど寝坊ができなかったので、「気の済むまで寝させてくれ」とファルマンに頼み、思う存分に寝させてもらったのだった。これまで遅くても9時台だったので、10時の大台到達には驚いた。でも快適な眠りで、生きる活力が湧いた。顔も若返ったろうと思う。ファルマンからも、僕の寝姿を見て、「あなたは普段からもっと睡眠を摂りなさいよ」と窘められた。フードファイターの気持ちのいい食べっぷりのように、回復が見て取れるようなむさぼるような睡眠だったらしい。たしかに日々の睡眠は僕にとってちょっと短い。僕は6時間前後だとどうも足りないようで、7時間前後あるといい具合になる。しかし平日必ず7時間程度寝ようとすると、ちょっと家に帰ってごはんを食べてからの自分の時間が短すぎるのだよな……。
 たっぷり寝て調子がよく、しかし公園に繰り出せるほど気温が温和ではなかったので、今日はちょっと前から話に出ていた、部屋の模様替えを決行することにした。もう1年以上前になるが、子ども部屋として使っていた部屋が、どうにも効果的に使えていなかったので、その部屋に親のパソコンデスクも持ち込み、部屋の中央に家族4人のデスクが2対2で向かい合って置かれる、デスク部屋とでも言うような状態の部屋を作っていた。今回それをまた見直し、やはり机はそれぞれ壁を向いて置こうじゃないかということになり、それに付随して廊下に置いてあった棚にまで影響が波及し、久々になかなかに大規模な模様替えとなった。
 昼時になり、しかしその時間帯が模様替え途中特有の混沌のピークであり、カップ麺でさえ食べるのが困難だということで、珍しく外に食べに出るということをした。わりとヒートアップしていたので、いい気分転換になった。
 帰宅してからまた作業を続け、くたくたになりつつ、なんとか完了する。想定通り、なかなか部屋をすっきりさせることに成功し、達成感があった。達成感ハイで、もう夕方だったのにフットワーク軽く、売却処分とした本をブックオフに売りに行くことまでした。いまちょうど読書熱が下がっているということもあり、一般小説をまたずいぶんと売る。一般小説の実物を持っている意味というのは、本当にぜんぜんない気がしてきた。今後もう増えることはまずないだろうな。
 晩ごはんはその帰りにスーパーで買った、味付けの焼くだけの肉。今日はもうとにかく模様替えの一日だった。今回の変更で、これまで互いのパソコンの背を突き合せるようにして机が向かい合っていた僕とファルマンは、かつてふたり暮らしの時代からずっとそうであったように、椅子と椅子とが向かい合せで、パソコンのディスプレイ同士は向かい合うという、その状態にまた戻った。いまその状態でブログを書いているわけだが、やっぱりこれがいい。画面に見せたいものがあるとき気軽に見せることができるし、あと振り返られたら画面を見られる緊張感から、僕もあんまり不穏なものはそうそう気軽に見ないようになる。これまではその緊張感から完全に解放されていて、緊張感から解放されると人は駄目になるということを実践で学んだ。だからこれでいい。

フォークダンス父の日

 午前中に車を出し、図書館へ行く。しかし本はあまり借りない。いま、僕の中で読書の熱がだいぶ下がっている。特に小説。人気のある話題の小説とか、そりゃあ読んだらおもしろいんだろうけど、おもしろいからなんだよ、という気持ち。たまにこんな気分がやってくる。周期的なものだと思う。それでこれまで本を読んでいた時間で、トランプのサインの練習をしたり、フォークダンスの音楽を聴いたりしている。本を借りない代わりに、またフォークダンスのCDを何枚も借りた。もう合計でアルバムを10枚近く借りた。ちょっとした第一人者になろうとしている。踊ったことはほぼないが、なんでも訊いてほしい。ポルガはもちろん何冊も借りていた。今回、星新一なんていいんじゃない、と両親で話して、借りさせてみた。読むかどうか判らないが、読んだ場合の反応が愉しみだ。
 そのあとは回転ずしで昼ごはん。ちょっと久しぶり。父の日ということも微妙に関係しているが、しかしこの時期のお鮨というのはどうしたって冬ほどおいしくない。梅雨明け前にして、早くもTシャツ一枚で衣服が完了することに飽きはじめているし、夏はパッパと終わればいいと思う。
 午後はのんびり。子どもたちから父の日のプレゼントをもらう。


 左がピイガからで、クラフト紙の既製の紙袋に、イラストが描かれ、ハートのメッセージカードに「ありがとう」の文字。中にはイラストのほか、折り紙の飛行機などが入っていた。右のトートバッグがポルガで、フェルトをヒットくんの形にカットして、顔を刺繍し、そして貼り付けたもの。


 作る際、ファルマンが見本として刺繍の実演をしてみせたそうで、それが黄色のヒットくんの顔である。それ以外の顔はポルガが自分でやったという。さすがお母さんは上手! すばらしい出来ですね! ちょっと子どもの手によるものとクオリティが違いすぎるんじゃないですか。
 まあとにかく嬉しい。父の日バンザイ。毎日が父の日ならいいのに。
 晩ごはんはポテトサラダと、手羽先を味付けてグリルで焼いたもの。おいしかった。

梅雨入りカラオケ週末

 カラオケに行く。2週連続の運動会が終わり、出張を済ませ、梅雨に入り、平穏な日々に戻った感がある。というわけでカラオケだ。唄ったのは順番に、「わかれうた」(中島みゆき)、「光合成希望」(西野七瀬)、「十七の夏」(桜田淳子)、「手紙~拝啓 十五の君へ~」(アンジェラ・アキ)、「デビルマンのうた」(十田敬三)、「情熱の嵐」(西城秀樹)、「キャンプだホイ」(マイク真木)、「さくらんぼ」(大塚愛)、「ラムのラブソング」(松谷祐子)という全9曲。いつものことながら、混沌としているような、僕としての一本筋が通っているような、よく判らないラインナップになった。西城秀樹は追悼歌唱。「デビルマンのうた」はアニメには思い入れがないけどCDで聴いたら愉しいので唄ってみたシリーズ。「キャンプだホイ」については後日、改めて歌唱の理由を説明する。カラオケでは毎回、なんとなく採点モードにしていて、1曲唄うごとに点数が出て、なんかしらの寸評が出るのだけど、今回はその文言がやけにおもしろかった。たぶん言い回しのバリエーションが追加されたんだと思う。「あなたの歌は言霊。宇宙にまで届きます」などと、妙にスピリチュアルなことを言ってくるので、ちょっと心配になった。担当者がちょっとそっち方面に傾いているのではないか。あと今回は、ファルマンが「これまであまり唄ってこなかった人の歌を唄おう」というコンセプトのもと、19やホワイトベリー、シャ乱Qなど、同世代特有のポイントを突いた選曲をしてきて、とても愉しかった。特にホワイトベリー(もちろん歌は「夏祭り」である)は、特技であるモノマネをしながらの歌唱であり、妻の芸達者ぶりに舌を巻いた。さらには中島みゆきの「地上の星」もモノマネ歌唱をしていたのだが、その最中に店員が注文の品を持ってやってきて(フードメニューを注文してから店員が持ってくるまでの歌唱には、誰が唄っているときに店員がやってくるかという、ロシアンルーレットのようなハラハラ感がある)、しかし強靭な精神力でやり続ける、という一幕もあり、俺の妻はすごい、と思った。
 カラオケのあとは図書館に行ったり、100均に行ったりといういつもの感じ。
 帰宅して、カラオケで微妙に食べたけど夜までは持たない腹具合だったので、昼食兼おやつみたいな感じで、ホットケーキを焼いて食べる。苺とアイスクリームを乗せて、蜂蜜まで掛けて食べた。食べる前には、ホットケーキを食べる際の作法である写真の撮影をし、心の中のインスタグラムに更新した。ホットケーキは食べるたびに、「何年振りか」と思う。そのくらいのペースで、1枚をペロリと食べるくらいでちょうどいい食べものだと思う。
 晩ごはんはお好み焼き。今日はホットプレートデイとなった。そばのモダン焼きで、豚と、海老チーズの2種類を作る。とてもおいしかった。
 明けて今日は、近場の買い物へ。冷凍食品を中心にたくさん買う。野菜が安くて嬉しい。半年前には200円もしたニラが、60円ほどで売ってたりする。ニラ以外も全体的にそんな感じだ。半年前と今と、そんなに世の中の情勢は違うだろうか。いまいちピンと来ない。半年前の大地は、そんなにもズタボロだったのか。あと今年初のとうもろこしを買った。そう言えば産地を確認しなかったが、九州だろうな。これからだんだん産地が北上してゆくのだろう。
 午後は家でのんびりと過す。のんびりと言うか、家族4人とも、特になんにもしなかった。
 晩ごはんは醤油ラーメンと炒飯。豚肩ロースのブロックで煮豚を作ったので、どちらにもたっぷりとそれを使う。おいしい。とうもろこしも食べた。ポルガが、「今年はとうもろこしがもう食べづらくない」と喜んでいた。思えば去年は前歯が整っていなかったのだった。なんだか俳句や短歌になりそうな風景だが、あいにくそういうテーマでポエムを作る思考回路はないのだった。

連続運動会

 先週に引き続き、今週はピイガの幼稚園の運動会が執り行なわれたのだった。2週連続で運動会に接したのなんて、人生で間違いなく初めてだと思う。
 とてつもない規模でシステマティックに進行する小学校に対し、幼稚園のそれはだいぶアットホームなので、わざわざ観に来る甲斐があるということなのか、あるいはたまたま都合がよかったのか、義父母も島根からやってきた。梅雨入り宣言こそまだだが、週の半ばに微妙なグズつきなんかもあり、多少の不安があったが、蓋を開けてみれば必要以上の快晴で、陽射しでじりじりと肌が焼けた。
 僕は入園式以来となる幼稚園だったので、ピイガが集団の中で活動している姿というものを、これまで見たことがなかった。それを今回、初めて見た。ピイガは最初の入場行進の際、ひとりだけひときわ小さく、そしてなぜかひとりだけポケットに手を入れて現れた。その登場はなかなか様になっていて嬉しくなった。そのあとかけっこやダンスなど、プログラムが進行する。ダンスはとてもかわいらしかった。座るべきタイミングでピイガだけが悪びれる様子もなく立ち続ける、という場面があり、立て続けにシャッターを押した。なんかピイガは、いつだってやけに堂々としているのだった。
 ポルガは小学生参加競技がないことにご立腹だったが(ポルガが幼稚園のときはあったのだ)、同じ立場の、幼稚園に通う弟妹の応援に連れ出された小学校の同級生というのがけっこういたようで、気を取り直してその子たちと遊んでいた。子ども同士で遊んでくれるなら相手しなくてよくてよかったわ、と安心したが、どうしても目に入ってしまう、ポルガとよその子たちとの遊びは、ポルガだけがあまりにもあからさまに浮いていて、ちょっとショックを受けた。なんとなく浮いているんだろうなあという予測はあったのだが、実際に目の当たりにしたら衝撃的なレベルだった。集団が、みんなでひとつのことに夢中になっているときに、ひとりだけぜんぜん別のことをするのだ。ひとしきり遊んだ後、帰ってきたポルガはひとりの少年を指してこう言ったという。「あの子は嫌い。だって「みんなで遊ぼう」って言ってくるから」。すばらしいじゃないか、と思った。
 また小学校のそれと違い、こちらには父母参加競技というものがある。ファルマンが何度目とも知れぬぎっくり首を、よりにもよってこのタイミングでやらかしたので、僕が出場した。まずは玉入れ。玉入れなんて何年ぶり、いや何十年ぶりだろうか。落ちている玉を拾って、高い場所にある篭めがけて投げる。よく考えてみたら、なんとどうでもよい競技だろう。よくこんな行為が2018年まで生き残ったものだ。それでもたぶん2つくらい入れることができたと思う。僕のそんな活躍もあり、所属しているチームが勝ちを収めた。買ったチームはバンザイをしてください、と言われたので、他の人々が3回バンザイを繰り返す間、ずっと手を大きく上げ続けた。バンザイって、写真のことを考えたら、手を上げ下げせず、ずっと大きく上げている状態を保持するのが正しい。とにかく出場したからにはいい具合に写真に納めてほしくって、入場から退場まで妻や義父母のカメラに向かい、カメラ目線とピースを出し続けていたのだった。その一方でサングラスは掛け続けていたのだけど。そのあと、子どもと一緒に行なう競技というのにも参加し、ここでもカメラをすごく意識した。せっかく大人が一緒にやるのだから、子どもはあまり意識してくれないシャッターチャンスを、ここぞとばかりに提供しなければいけないと思い、ピイガともども、すごくカメラのほうを向いてやる。「もういいから。競技、競技!」とファルマンがジェスチャーで訴えるほど撮らせてやった。競技そのものは、まあのんびりと、これもあんまり急ぐとピントが合わなくなるので、悠々と歩いた。幼稚園の運動会は勝ち負けとかあまり関係ないからいい。性に合う。
 そんな感じの運動会だった。全体的に牧歌的で、愉しかったが、とにかく太陽光がすさまじく、えげつないほどに疲弊した。そのあと2時間くらい、気を失うように寝た。しかし子どもたちは帰宅後、風呂場で水浴びをして遊んだという。意味が分からない。ふたりとも、集団でなんとなく浮くところには共感を覚えるが、無尽蔵の体力に関しては辟易する。後者はファルマンに似て、前者は僕とファルマンに似たんだと思う。